リマ オリャンタイタンボ マチュピチュ
ナスカ シルスタニ・ティティカカ 日程
HOME 行記のペ−ジ

その2
クスコ・サクサイワマン・コリカンチャ

2004年5月1日(土)
 ホテルを7時45分出発。LANPERU飛行機9時40分で10時50分クスコ・ベラスコ・アステテ空港に到着。

 空港出口で、コカ飲料の接待を美女よりコンドルは飛ぶの音楽の中で受ける。バスは我々26名でいっぱいになる小型バスで、ス−ツケ−スはバスの上にロ−プで積み込まれる。インディオの物売りが盛んに来る。クスコの標高は3360m。歩く我々を写真に撮る男。ガイドは20歳代の日本人留学生の阪口さん。

 前日リオでのガイドONOJIMA氏より高山病(ソロッチェ)のことについて注意を受けていたが、皆さんの足取りは軽かった。しかしホテルに帰ったときに一行の二人の女性が頭痛と悪心があるとのことで、若い女性の方は酸素吸入を受けられた。ダイアモックス半錠と胃薬をあげた。友人も持参しており同じように薬をあげていた。一応、添乗員の処置で現地の医師の往診を受けられたが、診断書には偏頭痛と記載されていた。コリカンチャでJTBの一行の方がうずくまって酸素吸入を受けられていた。最初はやはりゆっくりゆっくりと行動するのが得策。

 クスコは町全体がピュ−マの形をしており、その頭の部分に相当するサクサイワマンに行く。広大な台地で、巨石を3層に積み上げて造られている。巨石がピッタリとかみ合っており22回のジグザグで300mにもわたって荒々しい石壁が続いている。軍事的な要塞か宗教的な施設か?発掘が進むにつれ後者の説が多い。建築は第9代パチャクティの時代?広大な台地で6月24日には太陽の祭りIntiRaimiが行われる。ここからのクスコの眺望はすばらしい。イタリアのTVクル−のTV撮影が行われていた。

 
インカウオ−ル・レストランで昼食をとったのち、コリカンチャ太陽神殿(サント・ドミンゴ教会)を見学する。インカ時代には神殿の壁には幅20cm以上の金の帯がつけられており中庭には金の石が敷かれ無数の黄金であふれていた。1533年クスコに侵略したフランシスコ・ピサロの侵略軍はそれらの黄金を手当たりしだい収奪し金の延べ棒としてスペインに持ち帰った。中庭を囲み月、星、稲妻、虹などの部屋が復元保存されているが太陽の部屋は教会祭壇になっており、インカの宗教観を表現した壁掛けがあった。各部屋の石組は精巧で凹凸の石を組み合わせ、壁は内傾斜で壁には台形の壁龕が並んでいる。スペイン人は上部を破壊しその上に教会を立て原住民をキリスト教に強制教化した。地震で上部の教会は何回も倒壊したがインカ時代の石組はびくともしなかった。

 その後アトゥン・ルミヨク通りの十二角の石を見にいく。インディヘナの子供たちが「十二角、十二角・・・」と日本語で石を指し示す。また民族衣装をした子供たちが写真を撮らしてお金を稼いでいた。聞くところによると子供たちの衣装は貸衣装とのこと。


 クスコ市内をバス見学の後、雪を抱くチコン山(5530m)を望む峠(3900m)を通り、インカの聖なる谷にあるユカイ(標高2863mのウルバンバの3km手前)のコテッジ風のホテルに宿泊する。バスタブはない。JTBの一行と一緒になる。彼らは明日早くオリャンタイタンボ見学後マチュピチュを2日かけて見学するとのこと。ウルバンバはクスコよりも標高が低く(2863m)、レクレ−ション場多くクスコの人々の保養地とのことである。
クスコのバス。荷物をロ−プで屋根に。 第9代パチャクティ皇帝 アルマス広場 クスコ全景
大聖堂 大聖堂 アトゥン・ルミヨク通り 十二角の石
サクサイワマン要塞
タワンティンス−ユ帝国(インカ帝国)とクスコ:
 
インカ族の王朝はスペインに征服され第13代皇帝アタワルパが処刑される(1533年)まで13代続くがインカ文明は文字を持たなかったので皇帝の名前は口承によって伝えられてきたもので第7代までは伝説上の存在、第8代ヴィラコチャ以降が実在の肯定と考えられている。クスコ周辺の小国であったが、ヴィラコチャの次男第9代皇帝パチャクテイ(1438年〜1471年)がチャンカ族との闘争に勝利し次第にその版図を広げ北はエクアドル南はチリ−のサンチャゴまでに及んだ。クスコはケチュア語でヘソを意味し太陽神を信仰する人々の中心であり日の御子インカのまします聖都で宇宙の中心でもあつた。1533年スペイン軍が侵入したときのクスコは人口20万人と南米最大の都市であった。
伝説のインカ起源神話:
1:父である太陽の神がマンコ・カパックとママ・オッヨ−を選びチチカカ湖につかわされ、マンコに金の杖を地中に深く突き刺さた場所にインカ帝国を築ことを命じた。
2:クスコの南東の洞窟かタンプ・トコから生まれでた4人の兄弟と4人の姉妹がクスコに向かった。色々の事件ののちマンコ・カパックがママ・オクリョを妻としてインカ王朝の祖となった
コリカンチャ(黄金宮殿)
スペインによるペル−侵略:
 16世紀初パナマにたむろしていたスペイン人の一旗組のフランシスコ・ピサロ、ディエゴ・アルマグロ、フェルナンド・ルゥケの三人組。パナマ総督の許可を得て第2回目の遠征を1526年秋。飢餓と疲労の連続。そのためパナマに帰りたい隊員にガヨ島でピサロはこの線の向こう側は黄金の国、こちら側は安寧と無為の世界。私は南に行くと大芝居を打つ。ツンベスに上陸したピサロは住民から王位継承で帝国が内乱状態であることを知る。第13代皇帝アタワルタには白い人間が銀の足をした獣に乗り、クスコに向かっており、創造神ヴィラコチャではないかと伝えられてきた。アタワルタは2万人もの兵士を従え白い人間の到着を待った。アタワルタは情報を分析しヴィラコチャの使者でないことは知っていた。ピサロは皇帝生け捕りのため部下を隠して配置した。宣教師がアタワルタと会見し聖書を差し出す。聖書を開こうとしてとまどい、それを助けようとした宣教師の手を払いのけたときに聖書が地面に落ちた。これを合図にスペイン軍は総攻撃を加え、皇帝を生け捕りにし、一見自由の身分のようにして王の威光を利用して黄金を集めさせた。アタワルタは兄のワスカルを部下に殺させたがこのことがピサロを立腹させ1533年8月絞首刑をアタワルタに命じた。
破壊された壁 修道院に改造されていた 虹の部屋
中庭 太陽の部屋の壁の掛け物 工夫された石材
二層の外壁 外庭 チコン山 ウルバンバ サン・アウグスティンホテル