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その5
ラ・ラヤ峠、シルスタニ遺跡、プ−ノ、ティティカカ湖

2004年5月4日(火)
 ホテルを7時に出発。ガイドはプ−ノから来たMARITZAさん。

 30分くらい走ってクスコに行くと買うとペル−の人の言うオロペサで焼きたてのパンを見る。おすそ分けを頂く。甘みのある円形の特大の大きなパン。ついでサン・パブロの町でみやげ物店に入る。ビク−ニャ、アルパカ、ベビ−アルパカ、リャマ、クイが飼われている。ビク−ニャを飼うには年のいくらかの金が必要とのこと。餌をやったりして過ごす。
 
 クスコからプ−ノまでは鉄道が道路に沿って走っているが、不定期で一日1本でバスと同じ8時間を所要するとのことである。この道は昔のインカ道でクスコから1時間くらいの場所に関所の遺跡がある。走っているこの道路は有料道路でところどころに料金所があるが、区間内では無料とのこと。

 10時30分、一番の高所ラ・ラヤ峠(4335m)に着く。我々を待っていたように原住民が道端に店を開く。簡単な日本語でアリパカの織物などを売りに来る。リャマとの記念撮影でドルを稼ぐ子供たち。

 14時40分シルスタニ遺跡に着く。チュラホン文化(1000年頃に全盛を迎えた)からインカ時代にかけて造られてきた石塔の墳墓群でインカ時代のものは磨き上げた石を積み重ねており、それ以前のものは石を積み上げただけのものもある。墳墓は東側に小さな窓があり6月21日の冬至に太陽が差し込むようになっている。100基位はあったそうだが、雨が多い地域のため完全に残っているものは少ない。墳墓群の後ろにはウマヨ湖があり、この島では乱獲されて少なくなったビク−ニャが一家族に管理委託され保護されている。
 
 遺跡の見学のあとに、インディエナのセレスティ−ノ家を訪問する。馬鈴薯には100種類以上あり、乾燥馬鈴薯(ケチュア語でチュ−ニョ)をさらに乗せ展示されていた。ここでも織物などの販売が行われており観光客大歓迎の農家。そしてその夜はプ−ノのホテルに宿泊。コカ葉の入った飲料が出された。 
2004年5月5日(水)
 午前中ティティカカ湖の観光。ティティカカ湖はペル−とボリビアの両国にまたがるアンデス山脈のほぼ中央、標高3690mの高地にあり、その面積は琵琶湖の約12倍。富士山よりも高い場所にある。チチカカ湖にはインカ起源伝説があり、その昔、太陽の神が後年、初代のインカ皇帝マンコ・カパックとその妹ママ・オクリョを湖に浮かぶ太陽の島に降りたたせ、地上に住む人々に文化を与えたという。

 8時20分プ−ノ港より40分くらいの航行で浮き島のウロス群島のひとつトトラ島へ。

 島といっても普通の島でなく、トトラと呼ぶ葦を3m位積み重ねた浮き島で移動しないように杭に一応つながっている。ウロス島は大小あわせて40ほどの島があり数百名の人が住んでいる。大きな島には学校や教会がある。フジモリ大統領のときに電気が引かれたという。トトラの試食や湖でとれる魚カラチなどを見せてくれる。もうひとつトラニパタ島も訪れる。一行の半分くらいの人は葦船(パルサ)を利用して移動した。
 
 ティティカカ湖の観光後、13時40分フリアカからアレキパ経由でリマに飛ぶ。ONOJIMA氏の迎えを受け、氏の案内で一路ナスカ観光の拠点イカへ。

 道中、砂漠の砂上に建てられた不法住宅にフジモリ元大統領が電気をつけたことや最初の日本人移住地(さとうきびの生産に従事)のカニエテの話を聞く。イカの町のラス・ドウナス・ホテルに到着したのは9時を過ぎていた。このホテルは各棟が広大な庭園にひろがっいるリゾ−トタイプのホテルであるが、ゆっくり出来ないのが残念である。
オロペサの特大のパン ビク−ニャ、アルパカなど ビク−ニャ ラ・ラヤ峠
ラ・ラヤ峠から トカゲのある墳墓 インカ時代の墳墓 プレインカ時代の墳墓
墳墓 墳墓群 墳墓群 石臼をひくセレスティ-ノさん
セレスティ−ノ家 トトラ島  トトラ トトラ島 竹をさし水に浮いていることを トトラ島
トトラ島 トラニパタ島 トラニパタ島 葦船