アドリア海紀行  その5 
ヴェネツィア・スロヴェニア・クロアチア・サラエボを訪ねて 10日間
5月6日(火) プリトヴィッツェ→ディナラ山脈→シベニック→トロギ−ル→スプリット
ディナル山脈

 アドリア海をめぐる10日間の旅も後半に入った。8時半の出発前にホテルの周囲を歩く。朝霧の静かな空気の中、小鳥の囀りを聞く。7時頃から各グル−プの出発が始まる。山間部の気温はやや冷え込む。昨夜は雨が降ったのか?バスは靄の中を暫く走り、高速路に。カルスト地形のゴツゴツした山肌のディナル山脈が近づく。
      5.6kmの長いSVETI ROKトンネルを抜けると湖が見え、山肌の良く見えるところでSTOPする。 
 また、暫く高速路を走り、11時過ぎにシベニックの路線バスの駐車場に停まる。現地ガイドはアリアナさん。
  少し、お天気が曇り気味で、不安があったが傘を持たずにバスを出てしまった。大きな銅像とフランシスコ教会のある公園を通り、城壁のあたりでこの旅で始めての小雨が降ってきた。
 シベニックは石畳の細い路地が交差しており、両側に商店が並ぶ。ザグレバチカ通り、トミスラヴァ通りを歩く。
 ファサ−ドに二つの鐘を持つ聖母被昇天教会鏡楼にシベニック初の機械仕掛けの時計を持つ聖イヴァン教会正面に風変わりな24時間時計を持った聖バルバラ教会、犬の水呑場(AMOR d CANI)、 そしてどの路地からも眺望できた聖ヤコブ教会とその前に広がる共和国広場。   
 大聖堂の北側にはルネッサンス様式の建物があり、16世紀中旬に建築され、ヴェネツィア共和国時代には市議会がおかれていた。二階に欄干があり、ダルマチア地方でも特に規模の大きなロッジアである。現在は市庁舎として使用されている。      

  聖ヤコブ教会(世界遺産)は1431年から1555年まで120年以上かけて建設された。大聖堂のファサ−ドは3つの丸い山形をしておりバラ窓がある。北側の入口はライオンの扉といわれ、両脇の二頭のライオン(ヴェネツィアの象徴)がアダムとイヴの彫像を支えている。内部は下部がゴシック様式、上部がルネッサンス様式。上部の建築は地元ザダ−ルの建築家ダルマティナッツが1441年に担当し、人生の後半をこの仕事に捧げ完成を見ずに死亡。北の外壁にはさまざまな表情の顔の彫刻がつけられている。この顔顔は何を意味しているのだろうか興味深いものである。当時の市民を表現しているとも言われる。 昼食までフリ−タイムで海岸に出てみる。紺碧の海にはヨットが浮かび、遊歩道には古い大砲が置かれていた。
  食はPESKARIJAでクロアチア風の魚のス−プ(ブロデット)を食べる。魚介類の煮込み料理で美味だった。

      ダルマチア地方について:
 前6世紀ギリシャ人が植民市を築く。1世紀にギリシャの植民市はロ−マの統治下に。7世紀半ばにクロアチア人に征服されクロアチア王国に組み込まれた。1102年クロアチアがハンガリ−に統合されるとダルマチアは絶えずハンガリ−とベネツィアの係争地となる。海上商業国家であるヴェネツィア共和国は11世紀初頭からダルマチア地域の諸都市に商館を設け、ハンガリ−や他のイタリア都市と争ってきたが、15世紀初頭ハンガリ−王国で内紛が起こり、その機に乗じてこの地域の支配権を握った。1420年以降1797年ナポレオンにより共和国が滅ぼされるまで4世紀に亘りドヴロブニク共和国を除くダルマチア地域の諸都市はヴェネツィア共和国の支配下に置かれた。ヴェネツィア共和国の支配を離れてから、これらの地方ではヴェネツィア共和国時代の象徴のライオンの彫像を壁から剥がして支配への抵抗を示している。

聖フランシスコ教会 聖フランシスコ教会の前の庭園
シベニックの小路
聖イヴァン教会 犬の水呑場AMOR d CANI 広場
市庁舎 市庁舎 聖ヤコブ教会
聖ヤコブ教会北口 聖ヤコブ教会北口 聖ヤコブ教会の顔の彫像
聖ヤコブ教会バラ窓 聖バルバラ教会 聖バルバラ教会
聖母被昇天教会 聖イヴァン教会 聖バルバラ教会
 昼食後、旧市街全体が世界遺産に指定されている古都トロギ−ルに向かう。右手にアドリア海と多くの島嶼を見ながらおよそ1時間半くらいで午後3時トロギ−ルに到着する。
 
 旧市街は東西500m南北300mの小さな島で本土と一本の橋がかかっており、かっては島全体が城壁をめぐらせていた。現地ガイドはMIRNAさん。

 歩いて橋を渡り、城壁の北門から観光が始まる。門の上には12世紀の司教で守護聖人のイヴァン・ウルスィニの像が立っている。この城門は日没になると閉鎖され時間に遅れた市民等は運河近くの(現在の青空市場)宿屋に泊まらなければならなかった。北門を入りインフォメ−ションで地図をもらう。
 
 正面に博物館があり、左に曲がると47mの赤い鐘塔の聖ロヴロ教会がある。有名な正面入口のロマネスク様式の門。1240年ラドヴァンの作。下部にはヴェネツィアの象徴のライオン。右の雄獅子は悪をあらわすドラゴンを、左獅子は羊を押さえており、獅子の上にアダムとイヴ。上部の半円形部にはキリストの誕生や東方三博士の礼拝。内部は13世紀の八角形の説教壇、聖イヴァン礼拝堂、聖イヴァン・ウルスィニの石棺。天井にはキリストやマリアのレリ−フ。
 
 教会を出ると広場があり、市庁舎と聖セバスチャンの時計塔が立っており、また、屋根の付いたバルコニ−風のロッジアがある。ロッジアはかって裁判所として使用されていたもので、壁面のレリ−フには善悪を測る天秤を持つ聖母が、そしてレリ−フの右には鉄製のバ−ベキュウ(鉄板で聖人が焼かれたことに因み)を持つ聖人イヴァン、左はトロギ−ルを捧げ持つヨハネの像。反対側の壁面にはイヴァン・メシュトロヴィッチ(1950年)作のベリスラヴィッチ総督の騎馬像。市庁舎に入場して中庭を見る。中央にある井戸のライオンを除いて、ライオン(ヴェネツィアの象徴)はすべて除去されている。南門を出て海沿いの広い道をヴェネツィア時代のカメルレンゴ要塞まで歩く。橋を渡り青空市場やス−パ−マ−ケットKONZUMでフリ−タイムを過ごす。
 
 午後5時20分、30km先のスプリットに向かう。車窓の右には紺碧の色のアドリア海とそこに点在する島嶼の景色。暫く走ると車窓の左遠くにサロナの遺跡を望見する。サロナは古代ロ−マ帝国時代の遺跡でディオクレティアヌス皇帝の生地とも言われ、古代ロ−マ帝国のダルマチア属州の都として栄えた。
 
 
.
北門と守護聖人イヴァン・ウルスィニ 北門を入って
聖ロヴロ教会と鐘塔 聖ロヴロ教会入口
内陣 八角形の説教壇 木製のシャンデリア
内陣 聖イヴァン・ウルスイニの石棺
内陣の天井 聖ロヴロ教会入口 聖ロヴロ教会入口
右側のライオン 左側のライオン ロッジア
トロギ−ル出身の総督騎馬像 ロッジアのレリ−フ ロッジアの天井
市庁舎正面 市庁舎中庭 市庁舎中庭
聖セバスチャンの時計塔 南門 カメルレンゴ要塞
 6時10分海岸沿いの旧市外にも近いMARJAN HOTELに到着。ホテルでヴァイキングの夕食後、三々五々歩いて旧市街の夜を見学に出かける。スプリットの守護聖人ドムニゥスの祝日が明日のため、よみせがたくさん出ており、木製の家庭用品や人形、おもちゃ、お菓子などを売っており大変あ人ごみであった。また、ステ−ジでは、子供たちのバトントワリングなどの遊戯が行われていた。
サロナ遺跡 車窓より MARJAN HOTELのテラスより スプリット大聖堂
スプリット大聖堂 ディオクレティアヌス宮殿の地下通路 スプリット大聖堂
 ホ−ムへ   アドリア紀行1へ  アドリア紀行2へ  アドリア紀行3へ  
アドリア紀行4へ アドリア紀行6へ   アドリア紀行7へ   旅行記のペ−ジ