二日目(1998年5月15日) ジャイプール | ||
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朝5時30分に電話でモーニングコール。「グッドモーニング」、「ハーイ、グッモーニング」。これくらいの応対はできる。 次の訪問地、ジャイプールまで6時間のバスツアーということで、かなり早朝の出発なのである。 5ルピーを机の上に置き部屋を出た。聞けばインドには元々チップ等という習慣はなかったという。 それを支配していたイギリス人がチップの習慣を付けてしまった。要らないことを教えてしまっている。 ホテルのフロントで2000円をルピーに両替した。 デリーからジャイプルまで高速道路を6時間の旅になるといわれていた。走り出してみるとインドの高速道路はおもしろい。人はいうに及ばず、馬・ラクダ・ロバ・豚、そしてトラック・バス・乗用車・トラクタが分け隔てなく行き交う「高速道路」をバスはぶっ飛ばした。写真を撮りたいが、路面が悪いのと絶えず追い抜きをかけるので、バスは上下左右に揺れ、シャッターが押せない。 途中でハプニングがあった。 詳細はわからないが、農村に電気を供給するのが遅れているということで、地域の農民が高速道路封鎖のデモをし、軍隊と衝突したのである。そのため、渋滞の列は延々と続いた。 日本と違うのは、自動車は当然だが、馬車、ラクダ車、ロバ車、トラクターなどあらゆる乗り物が渋滞の列にあることだ。 遺跡見物の時間がなくなるので高速道路を降り、村をいくつもぬける一般道をジャイプールに向かった。 町の写真を撮りたい私にとっては、それの方がむしろうれしく、インドの人々の暮らしぶりを垣間見ることができ、楽しかった。 |
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行き過ぎる街の所々でバザールがある。様々なものを売っている。日本ではとても使いものにならないようながらくたやスクラップも、立派な商品らしく、そばでは店員らしき人が番をしていたりする.周辺の農村風景は、乾季でもあり、埃っぽく緑は少ない。これで雨季がなければ完全に砂漠化する。わずかに残る水たまりは牛たちの天国である。 ![]() ![]() (アンベール城のゾウさん) ![]()
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かなり遅れて着いたジャイプルの街は、建物という建物がピンク色に塗られている。 これは100年ほど前に、ここを訪れた王子を歓迎し町中をピンクに染めたからだという。 ムガール朝の衰退に乗じてマハラジャが作った町で、その名残が町中に色濃く残る。観光地もほとんどがこれにちなんだものである。 中でもこの「風の宮殿」は、厚みのほとんどない建物で、なぜこのスタイルかと不思議な感じがする。 1799年、この街を治めていたラージプートの王サワーイー・プラタープ・シングによって建てられた。ハワー・マハルはシティ・パレスの一部で、ピンク色をした砂岩を外壁に用いた5階建ての建造物で、953の小窓が通りに面している。 この小窓から宮廷の女性たちが自らの姿を外から見られることなく、街の様子を見たり、祭を見て楽しむことができるようになっている。 また、この小窓を通して風が循環することにより、暑いときでも涼しい状態に保たれるような構造となっており、これがこの宮殿の名前の由来ともなっている。 ジャイプールでのホテルは、「ラジプタナパレス・シェラトン」というウエルカムグループのホテルで、これはもう一流であった。 しかしシャワーを浴びた水は、砂混じりで茶色であった。 ホテルのロビーでジュースのサービスがあったが、ツアーのみんなは手をつけなかった。 |
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