インド旅行記 インド旅行記
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四日目(1998年5月17日) デリー2

インド最後の日は、再び危ない「高速道路」を走って再びデリーに着いた。
初日はオールドデリーが主であったが、今度はニューデリーを主にまわった。
ニューデリーはきれいな街である。日本でもこれだけの都市はない。
ただし、ガイドさんが、「世界で一二をあらそう空気の悪さの交差点があります」といっていたが、そこは車が渋滞し、確かに空気が悪かった。雨期になればさらにすごいだろう。
日本も30年前くらいはあちこちでこういう問題が起こっていた。

インド デリー
(フマユーン廟)
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(インド門の前を行くインラインスケートの白人)
インド デリー
(インドの国民車とスズキアルト。車のほとんどがこの2つ
)
インド デリー
(クツゥブ・ミナール)
インド デリー
(道ばたでウンコをする子供)

(街角の井戸)
   
インド デリー
インド デリー

デリーでもあちこちの遺跡などをまわったが、インドという国の昔のすごさと、今とがどうもあわない。
ニューデリーの研ぎ澄ましたような都市と、同じ街で、道ばたで平気でウンチをする光景とがミスマッチであるとともに、すごくまわりに溶け込んでもいるのである。
ガイドさんも、「インドは何でもありの国です」と言っていたが、まさにその通りである。
たくさんの民族と神が存在し、毎日何人かがパキスタンとの戦争で命を落とし、国は原爆実験をしているのにかなりの人々が物乞いをしなければ生活できないでいる。


(公衆電話ボックス:地方ではきわめて少ない)
インド デリー
インド デリー インド デリー
インド デリー インド デリー

インドに行くと友人に言うと、「帰れなくなるかわからんで」と忠告をくれた。その言葉の意味がわずかな滞在ではあったが、理解できそうな気がした。いいことも悪いことも、そして人間も動物も、すべて一緒の輪の中で生活しているため、自分が何処に位置するか分からなくなり、その存在意義を見つけようと考え込んでしまうとついにははまってしまいそうな、そんな気がするのである。

世界は情報化社会に向かっているが、インド中心部ではむしろ日本より進んでいるらしいが、地方では電話線なども裸線のままであり、まだまだの感じがする。しかし、マーケットとしてはすごいものになると思う。少し時間に余裕があれば、通信事情がどうなっているか、じっくりと調査をしてみたかった。

今回の旅で非常に役立ったものに、ビクトリノックスのナイフがある。旅行鞄の数字キーの番号を忘れてしまってあかなくなった。そこでナイフでこじ開け、キー番号を変更し元通りにした。

いろいろなことがあったが、インドはまた行ってみたい国の一つになった。今度は雨期に訪れ、濡れたインドを見てみたい。関空へついたのは、18日朝の6時ころであった。気温は20度。実に27度の温度差があることになる。


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