インド旅行記 インド旅行記
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一日目(1998年5月14日)  デリー

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1998年5月14日初めての、インドへの旅は始まった。
デリーが近づくにつれ、窓から見える地上の山肌は煉瓦のように赤く、木も少ないことがよく分かった。川の水はわずかであった。そんな光景を眼下にして、まもなくJAL機は無事インドのデリー国際空港に到着した。
空港内で10000円を出して両替を頼んでいるとガイドさんが、「2000円で2日持ちます」といってくれた。はじめは信じられなかった。空港の外に出ると、フェンスにもたれたたくさんのインド人、インド人。慣れない日本人はびっくりという感じ。インドの人は、彫りの深い顔立ちで独特の雰囲気を漂わせている人が多く、目線があったとき何となく気後れがしてしまう。(これは慣れるに従いなくなった)
そんなインド人の、たくさんの視線を感じながら迎えのバスに乗り込んだ。空港で写真を撮りたかったが、撮影はご法度ということでシャッターは押さなかった。バスに乗り込むとき、おじさんがオレンジ色の花で作ったレイを首にかけてくれた。
乗り込んだバスは、いきなり市内観光になり、ヒンズー教の寺院に着いた。
ラクシュミーナーラーヤン寺院(ビルラ・マンディル)である。
ヒンドゥー教寺院でヴィシュヌ神の化身ナラヤンと、その妻、美と幸運と繁栄の神ラクシュミーを祭っているという。1938年以来、インド有数の大財閥であるビルラ財団によって管理運営されているらしい。
途中のバスから車外を見ると、人口650万人の都市で、牛が闊歩し、ラクダが哲学的な表情で座っている。クジャクが歩道を飛び回わり、子供が裸足で走り回っている。これがインドか、といったんはびっくりしたが、なんのことはない、日本もつい40年ほど前はこういう景色であった。
毎朝、荷車を引く馬糞を拾ってきて、朝顔の肥やしにした記憶が甦った。国際世論をものともせず、2回目の原爆実験した日だったので、ハイテクと民衆の暮らしぶりのギャップの方が新鮮な驚きであった。
そんな混沌とした街のにおいを嗅ぎたかったが、贅沢にもエアコン付きのバスだったので、それはかなわなかった。
途中日本人とおぼしき男性が、汚い身なりで歩いているのを見た。

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(飛行機から見たインドの国土)
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(機内食)
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(デリー市内のヒンズー教寺院)
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(人と牛とは同権?)
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(いずこの国も同じ光景がある)
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(レイとルームキー)
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夕暮れの町を走りホテルに着いたのは現地時間で7時くらいであった。
旅の楽しみの一つにホテルがあるが、インドの第一夜のホテル「Ashok ELITE Hotels」はお世辞にもいいホテルとはいえなかった。料理は特に問題はないが施設が悪く、水洗便器のレバーは外れてくるしシャワーは冷水のまま。
廊下の電灯もまっすぐついているものがない。部屋が暗くて本も読めない。
一緒にツアーに参加した人々も、初日のダメージでいささか元気がなかった。
私は、寝られればどんなところでもいい、というタイプなので、気にはならなかった。
日本とは3時間30分の時差があるため、寝ついたのは現地時間の1時。日本ではもう夜明けが近い。

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