本文へスキップ

熊野古道 和歌山

熊野古道陸路はいよいよ和歌山に入り熊野を目指します 

熊野三山への参詣道はバラエティに富んでいます。
和歌山の熊野古道はみどころたっぷりです。

ギャラリー

中山王子跡・春日神社
熊野古道の大阪と和歌山の境は、新旧の交通手段が並行して走っている。
大阪から見て左が阪和高速道路で、中央が古道、そして右がJR阪和線である。
現代の古道は、裏道であるにもかかわらず、交通量はかなり多い。

そんな古道の、大阪から和歌山に入って最初の王子は中山王子である。
和歌山市滝畑集落にあるこの王子は、看板だけが残る。
王子権現社と紀伊風土記に記されているが、JR阪和線路により消え、その痕跡すらない。
阪和線の山手を走る電車はほぼ熊野古道に沿って走っている。

古道を分断して走る線路を見ると、もっと別なルートはなかったかと、少し残念な気もする。

中山王子社は、春日神社に合祀され、さらに明治42年山口の日吉神社に合併された。 熊野道行きの人々が、この雄ノ山峠を越えるのは大変であったことは想像に難くない。
現在は車の行き来が絶えず、道幅も狭いので歩いての峠越えは気をつける必要がある。

道が狭いので、カメラを持って歩くと車と接触しそうになり、危険である。
古道は、ここからかなり険しい山坂を上っていくことになる。
四季に応じて、周辺の景色は美しく、いにしえの人々もしばし足をとめたであろう。
和泉山脈である。

車で布施屋貝塚線を和歌山へ進むと、阪和高速道路の下を並行して通る。
そして数分間登ると、雄の山峠頂上となる。

この付近から湯屋谷に至るまでの間、『ゴミを捨てるな』と書かれた看板が至る所で目に入る。
以前は粗大ゴミが捨てられて本当にひどかったのが、地元の方々の熱心なボランティアできれいになった。
住民運動の勝利である。

峠を下ってすぐに、峠の不動明王がある。
お不動さんは、高さ30センチくらいで、大きくはないが精悍な顔立ちで、いかにも道行きの人々を守ってくれそうな感じである。

中山王子
(王子跡の看板は、左の踏切をわたってすぐ目の前)
 春日神社
(春日神社)
   中山王子社前の掲示板
   (熊野古道 中山王子社跡)


平安時代の終わりから鎌倉時代にかけて、京都の貴族のあいだで熊野信仰が熱烈に広まり、熊野三山への参詣が盛んにおこなわれた。
この熊野詣に主に利用された道が熊野街道であるが、その要所要所には、熊野三山を遙拝したり休憩するための施設(王子社)が設けられていた。
熊野詣の旅は、京都を出発しておおよそ4〜5日で紀伊国に入るが、紀伊国で最初の王子社がこの中山王子社である。
『後鳥羽院熊野御幸記』(建仁元年〜1202〜の後鳥羽上皇熊野参詣に随行した藤原定家の旅行日記)には、十月八日の頃に「天、晴る。ウハ目王子に参る。沢、中山王子に参る。」と記されている。
ここから南へ約四キロ行くと次の山口王子社がある。
        平成五年八月二日

       和歌山市教育委員会
 
中山王子

中山王子
<春日神社>

滝畑は、昔をとどめるしっとりとしたいい佇まいの家が多い。
日本人として、残しておきたい風景が続いている。
周囲の田畑にはトタンの囲いがしてある。何かと通りかかった人に聞くと、イノシシの被害がひどいのでそうしているとのこと。
それでもイノシシは乗り越え、作物を食いにやってくると言う。
そうした集落の奥に、氏神である春日神社が鎮座する。
その古い氏神は、何となく人の祈りを込めたらしい神々しさを感じる。
社の奥には、日本全国の「音無しの滝」の発祥といわれる小さな滝があり、役の行者もここで修行をしたと伝わる。
帝たちも熊野参詣の道すがらここにも立ち寄ったであろう。
平清盛も、熊野との縁を大切にしたらしく、紀伊名所図会には、

  泉と紀伊の国のさかひなる雄の中山にて、 あしげなる馬に乗りたる者、
   早馬とおぼしくて、 もみにもん出て来れり


と清盛へ都よりの早馬がきた様子が記されている。
 

<峠の不動明王>  
和歌山への坂の途中に不動明王を祀った小さな祠がある。
はるばる京都から熊野に詣でる人は、このお不動さんを見て和歌山が近いことを知っただろう。
お不動さんは祠の左端に着物を着せられていた。