熊野古道 | 中辺路 |
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新宮2 | |||||||||||||||
<阿須賀王子> 熊野速玉大社の元摂社で、祭神は事解男命。 ご神体が蓬莱山であることから、徐福との結びつきが深い。 中世には阿須賀王子とよばれる九十九王子の一つであった。 境内はよく整備されている。 ここには、神社境内から発掘された、弥生時代の円形の竪穴式住居を復元したものがある。 同時に弥生式土器も多数出土し、歴史民俗資料館にその一部が展示されている。 この神社の周辺の街路は細いが、町並みは往事を思わせるしっとりとしたいいところである。 新宮の歴史の古さを感じさせるいい町並みが続いている。 阿須賀王子はJR新宮駅から10分ほどで着く。 周辺には、歴史民俗資料館や弥生式竪穴住居がある。 当初のガイドブックにはこの王子は出てなく、新宮を歩いてはじめて知った。 <浮島の森> 島全体が沼の中に浮いており、台風で動いたり、大雨で浮上したりする。 島には寒暖両性の植物が混成しており、国の天然記念物に指定されている。 昔沼はもっと大きかったのだが、周辺が埋め立てられてドブ池のようになっている。 少し残念である。 島に上がると、地面がふわふわする。 町中にこんな鬱蒼とした森があるとは信じられないようなところである。 JR新宮駅から歩いて6分ほどのところにある。 <新宮(丹鶴)城趾> 市街地の北に、熊野川を背にしてある。 太平洋を一望できることから沖見城ともよばれた。 浅野家一代、紀州徳川家の家老水野家十代へと続いた3万5千石の居城である。 現在は公園として整備され、石塁の残る城趾からの眺望は素晴らしい。 新宮駅から速玉神社方面に歩いて8分程度でつく <浜王子> 浜王子は、国道42号線と168号線の合流点の信号を海に向かい、大浜海岸に沿った、バス停大浜海岸の近くにある。 古道としての特定のルートは残っていない。 往年、そのあたりはきれいな松原が広がっていたというが、今はその面影は少ない。 鎌倉時代にも遡るという社歴であり、社殿も当時の王子社としての形をとどめており、地元の人々は王子権現として参詣している。 神武天皇東征の際、熊野の海に入り、常世の国に旅立った神武天皇の二人の兄も祀ってある。 古来より海神を祀る神社であったと思われる。 王子社からわずかな距離に大浜海岸があり、茫洋たる熊野灘が広がっている。 今でも浜からは、様々な海の幸が得られる。
<佐野王子> 佐野王子は、高野坂を下り、三輪崎の海岸沿いの街中を、黒潮公園に向かっていく。 黒潮公園を過ぎた国道42号線沿いにある。那智山に詣でるときには必ずお参りした場所だというが、今は森も社殿も残っていない。 近くに、2度熊野詣をした北条政子の宝篋塔があり、さらに神武天皇聖蹟狭野顕彰の碑が立っている。 かつては浜王子から佐野までは松原を行き、佐野からは山道であったという。 王子の場所は、国道でもあり車の往来が激しく注意が必要である。 『近くに巴川製紙新宮工場があるが、今は閉鎖している』と以前書いたが、巴川製紙跡はスーパーや映画館のある複合施設に変わっていた。藪であった後ろが大きく開け、スーパーなどの建物が見える。 後10年しないと昔の風情に戻らないだろう。 本来の古道は、佐野王子碑近くの王子川を渡り、国道をはずれて右手の山中にはいる。 佐野岡、小狗子、大狗子の峠を越えて、那智勝浦町にある浜の宮王子に向かう。 今は通ることができない。 次の浜の宮王子へは、宇久井まで国道を歩くことになる。 最近はどこを歩いても無粋な看板群があるが、ここ佐野にもあった。 いつも思うのだが、ここに「なくそう差別・・」とかすごく立派な「高速道路を紀南地方へ」などの看板は絶対に必要なのだろうか? センスのある行政機関であれば、あえて建てなくてもよい看板は許可しないと思うのだが、今の日本には景観を守ろうとして、看板規制をするところは少ない。 せっかく世界遺産登録にされたところである。周辺のこうした景観にも気配りがほしいところである。 それと、ここも王子跡の案内板が2つある。右の熊野体験博のとき建てられた青いものだけで十分ではなかろうか? どこかの首相が、「美しい国」日本を作ると言っていたけれどあれはどこへ行ったのだろうか。 前宮城県知事の浅野さんが、講演の中で「うつくしいくにを逆さに読んでみてください」といった。 「憎いし苦痛(にくいしくつう)」となった。まさにその通りである。
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