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発心門王子~水呑王子~伏拝王子 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
<発心門王子> 音無川に沿った道を今度は登っていくと赤い鳥居が見える。発心門王子跡である。 この王子は、明治末期の神社合祀後、王子神社跡の碑が建つだけであったが、近年整備され社殿が建てられた。 ここは古道の要所であり、五体王子の一つでありながら中世には衰退したようである。 中右記の天仁2年(1109年)の参詣記に、大鳥居があってその前でお祓いをして中に入り、それから王子に参ると記していて、発心門はいわば本宮の入り口であった。 発心とは、菩提心を起こすことで、発心門とは、すなわち聖域へ入る門のことである。 ここから本宮までは、2時間あまりの距離である。 発心門王子には、「三本杉」と呼ばれる一株から三本に分かれた大杉が江戸時代には名物だったという。 紀行文によく出てくる。 この王子も明治40年村の神社の三里神社に合祀され、大樹はほとんど伐採されたという。 聖域の入り口にある発心門、その門の名はそのまま村の名になった。 尾根に開けたこの在所を越えて、小高い峠を一つ越えれば次の水呑王子である。 本宮がだんだん近くなる。 本宮町一帯は、NHK連続ドラマ「ほんまもん」で一躍有名になり、ドラマにまつわるところには、旗や案内板が付けられている。ここは、龍神本宮林道の途中にある。 2002年9月23日に、KLEで林道を走り、立ち寄った。 以前より施設もかなりよくなっている。 発心門王子から水呑王子間の道筋に小さな土産物売りの小屋があり、本宮の特産品などを販売している。 なかなかユニークなものがあり、休憩がてら立ち寄りも良い。 2010年にも歩いた、2002年にバイクで来て、8年ぶりである。 景色そのものはそれほど大きくは変わっていないが、何よりも世界遺産になった。 案内看板もよくなり歩きやすくなっている。 こうした努力を地道に続けていれば、世界的にも評価されると思う。高野山の観光客が増えていると言うことで、こちらへも足を運んでもらうようにすれば、もっとたくさんの人がこの道を歩いてくれると思う。 道筋にはいろいろ面白い碑や祠、そして地蔵などがある。 2010年4月は花がきれいであった。発心門王子の境内ではシャクナゲが咲きかけていた。
水呑王子へ行くまでにある面白い人形。 写真右のおけに水がたまるとこの人形の手が出てくる。 表情が何ともいえずユニーク。 1998年当時よりはるかにバージョンアップしている。 発心門王子から熊野本宮大社までの古道は、熊野古道中辺路のクライマックスといえる。 ツアーでもここ発心門王子をスタートする。 往時の人が、当時河原にあった熊野本宮大社(大斎原)を一望し、有難さのあまり平伏し拝んだといわれる伏拝王子など、本宮町内の王子社をめぐって熊野本宮大社へと続く。 <水呑王子> 水呑王子跡を示す碑は、元三里小学校水呑分校の入り口近くにある。 この王子名は古いいくつかの記録では、内水飲となっている。 中右記の天仁2年(1109年)の参詣記に、この王子を新王子としていて、当時設置間がないことを伝えている。 江戸時代の紀行文には、「社なし、発心門より十五町程先、道の左」と出ている。 碑のある敷地の小学校跡は、今は住む人もないが、校舎の壁に掛かるエキゾチックなマスクが古道を歩く人々を迎えてくれる。 果無山脈を見ながら歩いていくと、次は伏拝王子である。 2010年4月再訪した。以前は目立たなかったが、周辺はこぎれいになりお地蔵さんの前掛けもきれいになっている。 気になったのは当時から廃校となっていた小学校の校舎が崩壊寸前で、かわらなどかなりズレ落ちてきている。 これは何とかしないとまずいのではないかと思う。 何年かぶりに訪れた水呑王子跡。碑などの配置は変わっていないが、単なる看板が取っ払われ、案内板が出来ていた。 この右手にある丸い案内板には番号がつけられていて、マップにもこの番号が書かれているため、あとどれくらい行けばいいかすぐ分かるようになっている。 なかなか工夫されていて、これなら外国から来た人のもよく分かると思う。
<伏拝王子> 水呑王子跡を過ぎると、杉の落ち葉を踏みしめながら心地よい自然道となる。やがて舗装道路となり、のどかな田園風景の向こうに果無山脈が美しい山並みを見せている。 私が歩いたときは、お茶畑のあちこちできれいな鯉のぼりが泳いでいた。 なだらかな丘が見えてくるが、そこが藤原定家が「名月記」で「感涙禁じがたし」と記している伏拝王子である。 王子からは、本宮旧社地の杜が遠望でき、参詣者はここから大社の社殿を伏し拝んだとされる。 私がもっと若い頃人に聞いた話によると、参詣の和泉式部が月のものになり、不浄の身で参詣はかなわぬ思いここから大社を拝んだということであった。 しかし当地の伝承では、この式部の嘆きをきいた熊野権現が、夢に現れて和光同塵の神であるから月のものになっても遠慮は要らないどうぞ参詣してくれとお告げがあり、式部は喜んでお参りしたとある。 しかし、京都などからの長い道のりを歩いて、目的地を間近に見れば、誰でも拝みたくなるであろう。 そんな気持ちが、この名を付けた気がする。いい名前である。 王子跡は、石造りの小祠が祀られていて、それと並んで和泉式部の供養塔といわれる卒塔婆がある。 2010年4月に訪れたが、真新しい茶店が出来ていた。 賽銭箱も木製から金属製に変わっていた。王子跡を小祠もよく磨かれていた。 そして案内板も読みやすいものに変わっていた。 王子跡前にある茶店で、おいしいコーヒーと温泉卵を食べた。 昔も各所に、形こそ違えこうした茶店が並び「蟻の熊野詣で」の人々を接待したのだろう。 簡単な土産物も売っている。トイレも新しく快適であった。 トイレ入り口には、設備維持協力金の箱が置いてあったので、100円入れて用を足した。 ここから本宮大社はそれほど遠くない。 本宮大社まで遠くはないと言いつつも、長い下り坂が結構続く。途中に三軒茶屋がある。 三軒茶屋跡には東屋とトイレがあり休憩が出来る。その前で年配の方が山菜を売っていた。なんでもここで売るものは、地元で採れたものしかだめらしい。こだわっているのである。 棚の上には、蜂蜜、イタドリ、ゼンマイ、ワラビ、そしてコンニャクなどが並べられていた。以前は何もなかったが、こうしてお年寄りの楽しみが増えると言うことはいいことである。何か買ってもよかったのだが、荷物が重かった。 道は、九鬼の関所を抜けて少し坂を上り、それからは次の祓戸王子までは夕暮れなど薄暗い林の中を下っていく
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