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熊野古道 和歌山

熊野古道陸路はいよいよ中辺路のメインルートです 

峠をいくつも越え熊野三山への参詣道を歩きます。
熊野古道の奥深さを感じながら歩きます。

ギャラリー

高原熊野神社
熊野を目指す人は、こういうスタイルで歩いたのだろうか?
カラフルで楽しそうである。写真はいずれも高原熊野神社の近く。
2009年に再訪したときには、綺麗な休憩所が出来ていた。
ネズ王子は再訪できなかった。
看板類がどうなっているかまた行かなければならない。
ここ高原には、ネズ王子から3.2kmで1時間半ほどで着く。
トイレもあり屋外にも椅子がたくさんあるので、休憩にもってこいである。

最初の古道歩きのイベントから7,8年経つが、今回再訪すると休憩所になっていた。
そこから眺望できる山並みは変わってなく、熊野の山々が見渡せる。
ちょうどコスモスの時期であった。
2009年のこの日はバイクで訪れた。

時間を入れている写真は2011年のものである。
熊野古道 中辺路 高原熊野神社
(こんな美女と一緒に古道を歩いてみたいものだ)
熊野古道 中辺路 高原熊野神社

(果無の山々が見渡せる)
熊野古道 中辺路
(休憩所)
熊野古道 中辺路
(近所のおうちで栗の虫抜きをしていた。秋の味覚)

(古道はここを抜けて次の大門王子に向かう)
熊野古道 中辺路

熊野古道 中辺路
高原熊野神社には11時47分に着いた。
2時間歩いたことになる。熊野古道 中辺路
ここ高原の休憩所は昼を食べるのにいい場所である。
上の白黒写真は昭和10年の高原地区の写真という。
まだ屋根に石を置いている家がある。
左のカラーがほぼ同じ場所からの現在である。
山の上の方は棚田だろう。まだ人口も多い時である。
こんな景色の中を歩きたいと思った。

この日は,昨夜の宿で作ってもらった弁当の昼食だった。
おいしかった。
これにくわえて田辺のTさん差し入れの鰹の刺身だった.満足大満足。
一宿一飯の義理で、モモギ餅を買った。
建物の中には、皇太子が来た時の写真等がたくさん張ってあった。
(2011年5月8日 12:40)
熊野古道 中辺路
<高原熊野神社>

ネズ王子からぜいぜいいいながら1時間半ほど歩くと高原熊野神社に着く。
高原熊野神社は、室町時代初期の1394年(応永元年)に熊野権現から勧請したという。
春日造り・檜皮葺きで、中辺路の古道に現存する最古の神社建築である。境内には大きなクスノキがある。
そのクスノキには、いろんな木が根を下ろしている。
それはこの熊野が何者をも受け入れるという象徴的なことである。

明治の神仏分離令と神社合祀令は熊野にも深い傷跡を残した。
特に明治39年に施行された1町村1社を原則とする神社合祀令は熊野に壊滅的なまでのダメージを与えた。
明治政府は記紀神話や延喜式神名帳に名のあるもの以外の神々を排滅することによって神道の純化を狙ったと言うが、ここで熊野人のおおらかさを奪い取ってしまった。
熊野信仰は、自然崇拝に加えて仏教や修験道などが混交して成り立った、「何でもあり」の宗教であるから、合祀の対象となりやすかったのだろうか。
ここ高原熊野神社も合祀の対象にされたが、南方熊楠が、強引な神社合祀を怒り、神社合祀に反対し、孤軍奮闘したことはあまりにも有名である。
しかしそれでも神社合祀令により、熊野の神社の8割から9割が滅却されたという。
奈良では廃仏毀釈で廃寺となった寺が多かったが、ここ熊野では、村の小さな神社が廃止されただけでなく、歴代の上皇が熊野御幸の途上に参詣したという歴史のある熊野古道・中辺路の王子社までもが合祀され、廃社となったのである。政治は時には見境なくなってしまう。
お上の命令と言うことで、めった切りされたのである。
五体王子のひとつとして格別の尊崇を受けた稲葉根王子や発心門王子でさえ合祀され、さらに小さな神社や王子社のほとんどが合祀され、神社林は伐採された。
そうしたなかで、合祀滅却を免れ、神社林の伐採を免れたこの神社はとても貴重な存在となっている。
この神社のクスノキは樹齢が800年とも1000年とも言われている。  
熊野古道 中辺路
(神社の左裏にある巨大なクスノキ)
熊野古道 中辺路 熊野古道 中辺路 熊野古道 中辺路
熊野古道 中辺路 熊野古道 中辺路
   熊野古道 中辺路
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