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熊野古道 京都   

熊野古道の始まりは京都から淀川へ   

熊野古道といえば、畿内から紀州・熊野三山へと通じる由緒ある参詣道です。
熊野古道は京都を後にし、八幡市に向かいます。ここから淀川になります。

ギャラリー

熊野古道 淀川

城南宮(京都)>>
石清水八幡宮
淀川1(山崎から)
淀川2(鳥飼大橋)
<<八軒屋船着場(大阪
石清水八幡宮:
石清水八幡宮
淀川下りをするための、ウォッチングをかねて、八幡市の石清水八幡宮に行った。高速の大山崎から迷路のような曲がりくねった道を抜け、桂川と木津川を越える。
駅前の駐車場に車を置き、石清水八幡神社に向かった。
ケーブルカーがあったので、それに乗ろうと思ったが、時間が中途半端だったので歩くことにした。途中、古い民家があり石碑が建っており、その建物の説明が短くあった。
神社へは、一の鳥居をくぐり、頓宮殿を抜けた。広場があり、ボーイスカウトの訓練らしき集会をしていた。
南門をくぐり、太子坂を登った。石清水八幡宮
かなり急な坂で、途中休憩した。
一緒に歩き出した二人連れはかなり遅れていた。
途中水の湧いているところがあったが、清水という割りにはあまりきれいでない水であった。
坂はだんだん緩やかになり、本宮が近づいた。きれいな石畳を踏んで本宮に入る。

独特な形をした本殿が見えてきた。想像した以上に立派な建物である。
社務所で朱印を頼み、パンフレットを見ながら境内を歩いた。
パンフレットには、
「日本全国には、八幡とつく神社は3万ないし4万社を数えるといわれていますが、なかでも石清水八幡宮は、九州の宇佐神宮、関東の鶴岡八幡宮とともにわが国の歴史上、極めて重要な地位を占めてきました。その歴史は古く、今も昔も全国津々浦々より多くの人が引きも切らず参拝に訪れます。また神社のある男山は、京都の南西・裏鬼門にあたり、木津・宇治・桂の三川の合流点を挟んで天王山と対峙する交通の要地、政治上の重要な拠点に位置しています」
とあった。
石清水八幡宮
(一の鳥居)
石清水八幡宮
(ケーブルの駅)
石清水八幡宮
(太子坂)
石清水八幡宮
(参道)

(由緒正しき民家)
石清水八幡宮の御祭神は、
御本殿中央に、八幡大神様(誉田別尊(ほんだわけのみこと))を、西に比淘蜷_様(ひめおおかみさま)、東に息長帯比賣命(おきながたらしひめのみこと)を祀っているという。
これら御本殿の三座の神々を総称して八幡三所大神というらしい。
創建は平安時代初めの貞観元年(859年)で、大安寺の行教という僧が八幡大神様のお告げで、ここ男山の峯に八幡三所の神霊を奉安したことにはじまるという。ここをお坊さんが作ったということが面白い。
木工寮権允橘良基が清和天皇の御命令をうけ、本殿三宇・礼殿三宇から成る六宇の宝殿を造営したという。貞観2年(860年)というから、1144年前である。
現在の社殿は、徳川三代将軍家光によって寛永11年(1639年)に造営され、国の重要文化財である。本殿は桧皮葺きで、前後二棟から成り“八幡造り”という建築様式で、周囲を回廊が囲んでいる。このスタイルは、あまり多くない気がする。竜宮城もこんな感じかと思う。本殿をはじめとして丹漆塗りが施され、極彩色の彫刻が刻まれている。
本殿の棟の間に架けられている“黄金の樋”は、織田信長によって天正8年(1580年)に寄進されたものという。こうして歴史を見ると、戦国時代も戦勝を祈って、神頼み、仏頼みをしている。

石清水八幡宮とは、男山の中腹に涌き出ている泉“石清水”に因んだもので、明治初年に“男山八幡宮”と改称されたが“石清水”の社号がふさわしいということで“石清水八幡宮”と改称したという。
ここは、熊野詣での際にも重要な位置を占め、熊野御幸の際によく立ち寄っている。
藤原定家も、その日記に書き記している。
10月5日に、鳥羽を出て、ここ石清水に立ち寄り、その日のうちに天王寺まで行き宿泊している。かなりのスピードである。この日記の熊野詣では、22日で往復している。
これはかなり強行軍である。このとき、藤原定家は、和歌山の日前宮に立ち寄っている。
庶民も熊野詣での際にはここにお参りし、淀川ルートを行くなら大山崎から船に乗り、東高野街道をとるなら、そのまま南に歩いたのであろう。
 石清水八幡宮
(神門から本殿)

(近くにあった地蔵様。外人みたい) 
石清水八幡宮
(本殿。竜宮城みたい。荘厳な趣がある) 
石清水八幡宮
(石清水という名の由来の泉)
石清水八幡宮
(はじめて見る形の寄進札)
石清水八幡宮
ここに来て、新しい発見ができてうれしかったのは、エジソンがここの竹を使ったということである。
エジソンが日本の竹をフィラメントに使ったというのは、子供の頃から知っていたが、ここ男山の竹を使ったことまでは知らなかった。
エジソンは、すぐ切れる白熱電球を長時間輝かせるために、世界各地の素材を使って実験を繰り返したということは、世界の偉人伝で読んだことがある。
木綿糸のフィラメントが44時間に対し、竹は200時間も輝いたということが書かれていた。
そこで世界からたくさんの竹を集め、テストすると、2450時間も輝き続けた竹があったという。この竹が、ここ男山の竹だったわけである。
それは、エジソンの助手が日本の竹を探し、伊藤博文や京都知事の助言を受け、手に入れた石清水八幡宮の真竹だということである。(1880年)
それは、ここに来て初めて知った。
しかし、事業のためとはいえ、世界中の素材を集めて回ったエジソンはすごい。このエジソンの業績と男山の竹の役割を顕彰するため、境内に記念碑が建てられている。毎年2月11日の誕生日と10月18日の命日には碑前に花を捧げ、日米両国の国旗を掲げて碑前祭をおこなわれる。 
石清水八幡宮
石清水八幡宮
(東高野街道案内標識)
  じつは、ここ石清水八幡宮は和歌山とも深いつながりがある。粉河町鞆淵の鞆淵八幡宮は、ここ石清水八幡宮の荘園であった。鞆淵八幡宮は、平安時代に石清水八幡宮が勧請造築したのである。ここからの神輿は国宝である。
そしてこの道標は、「右 なら こうや」とある。
ここから東高野街道の始まりなのである。
八幡市は、木津川と放生川が淀川に注いでいる。
石清水八幡宮のそばを流れる放生川のほとりを歩いたが、ドブ川であった。清水という名がすたる。
一の鳥居近くにある和菓子屋さんであられを買った。
作務衣を着たご主人が応対してくれた。
「はじめてきましたが、いいところですね。もう一工夫すればもっとたくさんの人が来ますね」と聞くと、
「そうです。せっかくいい神社があって、川沿いの道があるのに街作りが中途半端になってしまって、何となく盛り上がりません」と応えが返った。
あと飛行神社や流れ橋を見たかったが、時間がなくなったので次にした。
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○カメラ:NIKONF70
 レンズ:タムロン28−200 F3.8−5.6
       フィルム:FUJI カラー ASA100