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熊野古道 高野山への参詣道

熊野古道の高野山への道は七つあります。

熊野古道といえば、畿内から紀州・熊野三山へと通じる由緒ある参詣道です。
熊野へは高野山にお参りし、小辺路をぬけて熊野に向かう道もありました。

ギャラリー

熊野古道 高野山参詣道 三谷坂〜町石道

高野山への熊野古道

高野山
高野山町石道
高野七口
丹生酒殿神社
三谷坂(1)
三谷坂(2)〜町石道
K河道
大峰道
有田龍神道
女人道
高野街道京大坂道
相の浦道
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三谷坂(2):
高野七口 三谷坂(丹生酒殿神社)
丹生酒殿神社(にゅうさかどのじんじゃ)は、明治6年4月1日村社になり、昭和10年6月18日上天野村官幣大社丹生都比賣神社の攝社として合併され、戦後独立し、現在に至っているという。
お祀りしている神様は、

1.丹生都比賣大神(右坐)。
 天照大御神の御妹で稚日女命ともいい、神代の昔、御子高野御子と共に大和地方や紀伊地方に人民の為に農耕の事、糸をつむぎ機を織る事や煮焚の事など衣食の道をはじめ教えてまわったという。
特に紀の川地方には川の水を以て酒を造ったので、丹生酒殿神社といわれている。最後に天野に本居を定め、鎮座した。

2.高野御子大神(中坐)。
 丹生都比賣大神の子神で、高野山の名称も此の神の御名よりでたという。狩場明神とも称えられている。

3.誉田別大神(左坐)。
 元熊手八幡とも称し、鎌八幡宮とも称され、香川県讃岐国多度郡風ケ浦に鎮座していたのを弘法大師産土神の故を以って高野山に勧請したが明治2年神佛分別の際、官費を要し当時の兄井村へ新殿を設立し遷座された。
 明治42年9月5日丹生酒殿神社境内への許可を受け、同年10月13日大字兄井鎮座八幡神社を当丹生酒殿神社に合祀されたのである。鎌八幡宮は、無病息災、子宝、受験諸々の願かけの御祭神として広く信仰され、昔は大和(奈良県)河内(大阪府)の信者も多かったと伝えられている。

4.建御名方命(大国主神の御子)。

の四神である。
丹生酒殿神社
丹生酒殿神社
(2016年12月3日)

丹生酒殿神社

丹生酒殿神社
丹生酒殿神社 丹生酒殿神社
丹生酒殿神社は、秋の紅葉の頃が楽しい。巨大なイチョウが黄葉し、たくさんの人が訪れる。
手入れが行き届ききれいで、この三谷の地の氏神として奉られ大事にされているのがよくわかる。
大イチョウの前には「境内を黄に敷き詰めて大いちょう」の句碑が建てられている。
その言葉通りに、辺り一面が黄色になりイチョウの絨毯を敷き詰めたかのような光景が広がる。
イチョウの他に、境内には世界で初めて全身麻酔による乳がん手術に華岡青洲が天保5年(1834年)74歳の時に寄進した石灯篭もある。
三谷坂が世界遺産になった関係でトイレが整備され、もともときれいだった境内もさらに良くなった。

鎌八幡宮もきれいに整備されており、木の幹に刺さっている鎌も増えていた。
鎌八幡宮の社はなく、イチイガシの大樹をご神体としている。
元熊手八幡宮ともいわれ、無病息災、子宝、受験諸々の願かけのために鎌が打ち込まれている。
その願いが成就する時は次第に深く突き刺さっていくが、叶わぬ時は抜け落ちるのだとか。
初めて訪れたときは、古く錆びているものや柄がなくなったものなどばかりであった。
最近は新しいものが多くなった。
私的には以前のいかにも使い古した感じで刺さっているほうが風情があっていかにも素朴な信仰の姿があり、よかった。
丹生酒殿神社・鎌神社 丹生酒殿神社・鎌神社
鎌神社の右手を巻くように細い道があり、そこを登ると山の上に小さな社があった。
若力大神である。初めてお参りした。
灯篭が一基倒れていたので元に戻した。何か良いことをした思いである。
訪れる人も少なくそのまま放置されていたのだろう。
鎌神社を参詣したら、この神社もぜひ参詣してほしい。
丹生酒殿神社・鎌神社
丹生酒殿神社・鎌神社 丹生酒殿神社・鎌神社
丹生酒殿神社を参詣した後、周辺の景色をと散策したが、古いおうちも多くいかにも里山という感じで好ましい。
四季を通じて楽しめる感じである。
モモや桜の時期も楽しいだろう。
丹生酒殿神社 丹生酒殿神社