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果無登山口~果無観音堂~果無峠~茶屋跡~八木尾集落 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
果無登山口 2002年11月16日、朝5時30分に起きて、本宮に向かった。 道の駅中辺路で仲間と待ち合わせた。家からちょうど2時間の距離である。 本宮大社前に一台留め置き、八木尾バス停に向かった。 近くに路上駐車し、9時33分のバスを待っていると、車が来てリュックを担いだ人を二人おろした。 この八木尾から本宮まで歩くという。その二人はすぐ山を登っていった。 その運転手さんにコースのことをいろいろ聞いたが、聞いているうちに、その運転手さんは、「八木尾まで送ったげる」ということになった。お言葉に甘えて、5人全員乗せてもらった。 (乗せてもらった車の車種はあえて書かない。途中は風と日の光をまともに受けながら走った) バスがくるまでにまだ少し時間があったので非常にありがたかった。 柳本橋の袂に案内板と芭蕉の弟子、向井去来の、 「つづくりもはてなし坂や五月雨」 の句碑が建っている。『つづくる』とは道普請のことらしく、往事はこのルートは有料だったと物の本には書いている。 さしずめ高野龍神スカイラインみたいなものだったのだろう。 観光パンフレットの出発点は、柳本橋になっていたが、登り口で案内板を見ながら、運転手さんといろいろお話をするなかで、やはり石仏をすべてみるべきという結論になり、櫟砂古バス停まで送ってもらった。 運転手さんは、ペンションあしたの森のご主人であった。 私は、世界リゾート博のスタッフをしていたとき、ここでお世話になった。 非常においしい牛肉「熊野牛」のステーキをいただいた。 川湯での宿泊はここがおすすめである。 さて、送ってもらったバス停に降りて、すぐに階段があり、あがると正面に33番の石仏があった。 道は、急な登りがいきなり始まった。パンフレットにも書いている。 しかしコンクリではなく田舎道であり、快適であった。 歩き始めて17分ほどして、次の石仏が見えた。 道はだんだん険しさをまし、小休止を余儀なくされた。 しかし、この石仏を一つずつ確認しながら行くというのはいいもので、先頭を行くものが「あった」というと、うれしい。 道はさらに険しさを増して上に上にと続いている。 歩き始めて25分くらいで、小さな集落があり、柳本橋からのルートの道をクロスする。 このあたりは、きれいな石を敷いた石畳の道が2kmほど続いている。 こういう生活道路はうれしい。 大根や柿を干していて、懐かしい景色が広がる。 集落の、おうちの庭を横切り、自動車道に突き当たり少し歩くと看板があり、さらにしっかり登りなさいよ、と言っているように案内の矢印が、階段の上を指している。
果無観音堂 この道がコースの尾根筋と思っていたが、そうはいかなかった。道はさらに険しく上に続いている。 31番と30番の間で歩き始めて30分たっていた。 感心したのは、これらの石仏の前に備えられている花が新しかったことである。 近所の方々が気をつけて入れ替えているのであろうか? ここに来るだけでも大仕事で、日常となると大変な作業である。 坂はまだまだずんずん続いた。28番の石仏で歩き始めて一時間余りたつ。 坂は終わる感じがなく、続いている。石仏は、それぞれに表情があって面白い。 大正末期に置かれたとあるが、かなり風化して番号の読みにくい石仏もある。 道は、所々開けたところがあり、そこからは十津川や野迫川方面も眺められる。山脈の中腹を林道の走っているのが見えた。 このコースの低地には、杉が多かったが、上に行くにつれて、ウバメガシやコナラが多くなってくる。これが、昔から変わらない風景ではなかろうか。 21番の石仏を過ぎたあたりで昼食をした。 汗をかいた後の昼食はおいしかった。 30分程度休憩し、石仏の番号を確認しながら歩みを進めると、果無の観音堂についた。 一間四方で、小さいがしっかりと造られている。屋根は銅板張りである。 祠の中には3体の観音様がある。 もっと古いものを期待していたが、いずれも石仏で、結構新しい感じである。 境内には、トイレと水飲み場があり、水が流れ出ている。水筒の水が少なくなっていたので補給した。 皆で記念写真を撮った。昼食もここですればよかった。 観音堂を後に、まだまだ続く急坂を登ると、木を切り開き、景色が見えるようにしているところにでる。そこからは、行仙岳・笠捨山・地蔵岳とそして大峰の山稜が見える。 眼下には、十津川の家並みも見える。 かなりの高度になってきていることを実感する。 やがて、長くしんどかった登りも終わりに近づいた。とうとう果無峠に着いた。1時10分になっていた。 10時に登りはじめ、3時間と少しであった。 その間ずっと登りであった。 果無峠には、17番の石仏と、宝夾印塔の台座がある。 大きなブナの木があり、気温もかなり低くなってきた。 標高は1114mである。 ここはこのルートでは、数少ない平らなところでありコーヒーブレイクにちょうどいい。 残念なことに、周囲の山々が見えないことである。せっかく頂上に来たら、背比べをしたいと思うのは人情である。 この登山道を、右にとると、ブナの平・冷水山を経て和田の森に向かうルートである。 入り口には、かなり読みにくくなってはいるが、案内板がある。 小辺路は、左方面の南に延びている。 いよいよ道は下りとなる。実は私は登りより下りに弱く、膝を心配しながら下り始めた。 道は相変わらず綺麗で、落ちた枯れ葉が踏みつけると、乾いたいい音を立てる。 坂を下りると、七色分岐点の看板がある。左に行くと、七色の村に行く。 8番の石仏を少し過ぎたところで、3時となった。ここまで5時間歩いたことになる。 次の7番は土手の上にあり、見つけにくかった。 さらに、なだらかな下りに歩を進めていると、次の6番を見落とした。少し疲れてはいたが、ここまで来て見落としはしゃくにさわるので、もと来た道を戻った。 なかなか見つからなかったが、道に三角点のような小さな石柱があり、その近くの土手の奥まったところに石仏はあった。これはなかなか見つけにくい。 また、十津川町発行の観光マップは、石仏の道の左右の位置が割とでたらめなので、見過ごしやすい。 果無峠の頂上には、大きなブナの木がたくさんある。 それでブナの平と名前が付いたのだろう。山として、杉林よりは遙かに、いい。 冬は葉が落ち光を入れ、夏は葉が水の蒸発を防いでいる。 落ちた葉は水を蓄え浄化する。自然のサイクルをきっちりと守れるのが、こうしたブナなどの木々である。 また機会があれば、この果無山脈縦走路を歩いてみたい。 この頃から、気温が果無峠とは明らかに違って来、暑いくらいになってきた。 900m近くの標高差で、まわりの草木の種類も少し違って見えた。 5番の石仏の前に分岐路があり、私たちは左にとったが、少し行くとそこは急な崖のような道となり、ルートをはずれたことを知った。私は、この道を引き返すとき、急いだので膝がさらにガクガクしてきた。これはいけないと思い、膝をかばいながらそろそろと坂を下った。
八木尾集落 坂を下りると、七色分岐点の看板がある。左に行くと、七色の村に行く。 8番の石仏を少し過ぎたところで、3時となった。ここまで5時間歩いたことになる。 次の7番は土手の上にあり、見つけにくかった。 さらに、なだらかな下りに歩を進めていると、次の6番を見落とした。少し疲れてはいたが、ここまで来て見落としはしゃくにさわるので、もと来た道を戻った。 なかなか見つからなかったが、道に三角点のような小さな石柱があり、その近くの土手の奥まったところに石仏はあった。これはなかなか見つけにくい。 また、十津川町発行の観光マップは、石仏の道の左右の位置が割とでたらめなので、見過ごしやすい。 この頃から、気温が果無峠とは明らかに違って来、暑いくらいになってきた。 900m近くの標高差で、まわりの草木の種類も少し違って見えた。 5番の石仏の前に分岐路があり、私たちは左にとったが、少し行くとそこは急な崖のような道となり、ルートをはずれたことを知った。 私は、この道を引き返すとき、急いだので膝がさらにガクガクしてきた。 これはいけないと思い、膝をかばいながらそろそろと坂を下った。 坂の途中に、木製の休憩所があった。時間があれば、コーヒーブレイクにちょうどいい。 私たちは、夕暮れが近いので、笑いかけた足を休めただけであった。 日はかなり西に傾いており、日陰になる山道は少し冷えてきた。冬季にここを越えるときは、寒さ対策をきちんとしておく必要がある。先にも書いたが、頂上とゴール近くとの気温差は思った以上に大きい。 休憩所から少し下ると、麓近くになってまた同じような休憩所がある。あまりに近い位置にあるので少し面食らった。 先の休憩所は、もう少し上にあった方がいいが、これは致し方なかったのか。 坂の途中は所々開けたところがあり、下界を見渡すことができた。 ただ気になったのは、立ち枯れた木が多かったことで、これはこの熊野川水系で問題になっていることでもある。 酸性雨かそれとも山そのもののバランスの崩れによるのか、いずれにしろ、枯れるということは好ましい状態ではない。 坂は、後半になって、新しい木の階段が続いた。見た目はいいのだが、私の歩幅に少し合わず、膝がよけい痛くなってきた。足が笑いかけている。よたよたと、歩幅の合わない階段を下りる。周りは、杉の林で夕暮れがさらに近く感じる。 木漏れ日の角度が浅くなっている。坂を下りきると、一気に景色が開け、八木尾の集落が見える。 道は、民家の敷地の中を走っている。ご婦人が納屋にござを敷き何かを作っていた。よく見ると、古布でわら草履を作っていた。綺麗な色柄の布を使っているため、そのわらじはカラフルであった。 「これは作ってどうするのですか?」 と聞くと、 「売るんやけど作るのが間に合わない」 「一日いくつくらい作れるのですか?」 「5つか6つやね」 「主にどの辺で売れるのですか?」 「うん、新宮で売れるんよ。旅館などでよく買ってくれる」 話しながらも手は止まらず、草履を作り続けた。 道は、そのご婦人宅の玄関前を抜けていく。 そのおうちをすぎてすぐに、右手に鉄の小さな鳥居がある。 どんな神社かなと小さな坂を上り、見に行くと、小さなかわいい地蔵さんを祀っていた。 何かいわれがありそうな感じだが、聞ける人もいないので、元の道に引き返した。 空は、鰯雲が拡がり、秋真っ盛りを実感できた。 わかりにくかったが、果無越え最後の石仏は、石段の上にあった。 なおも下ると、朝、明日の森のご主人に車に乗せてもらったゴールのバス停に着いた。 ところがここまでに、第一番の石仏が見あたらない。みなであちこち探した。 十津川村発行のガイドブックにもきちんと記載されていない。 バス停を左に行くとしかかかれていない。 近くで小さな店らしき建物で作業している人がいたので聞いた。石仏は、道向かいにあった。 石段の上にこんもりとした森の前に、集会場のような建物があり、その奥に第一番の那智山の石仏があった。 新しい道が出来たので、本来の古道が分断されていたのである。 無事最後の第一番那智山の石仏を拝んで、帰途についた。 ここから本宮大社までは、約5kmで国道沿いのルートになるため歩かず、小辺路ルートの果無峠越えを終わった。 このルートは舗装したところがなく、坂はきつかったがいかにも古道らしい道が続き、楽しい歩きとなった。 ここ小辺路の果無峠越えは、熊野古道の各ルートの中でもおすすめである。 汗をしこたまかいたので、温泉につかって帰ることにした。 ここ本宮町は、熊野の温泉郷である。私たちは湯の峰温泉の公衆浴場に入った。 入湯料はたった200円である。 湯は90度もあるため、薄めているが、それでも熱かった。しかし近所の常連さんらしきおじさんは、 「今日は日曜日なので観光客が多いからぬるい」といっていた。これ以上熱かったらゆだってしまう。
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