熊野古道 | 伊勢路 |
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獅子岩・熊野市街・花の窟 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
<松本峠> 本当に久しぶりに熊野古道を歩けた。歩いたのは2013年9月15日。 伊勢路がほとんどいけていないので、まず松本峠を歩くことにした。 姓と同じ名前の峠ということで、楽しい。 電柱にある古道の標識を頼りに、熊野市の木本町側から歩き出した。駅前を抜け、商店街を歩いたがここも何となく荒れた感じである。町並みに勢いがない。 当初は大泊まで列車で行き、大泊側から歩く予定であったが、列車の本数が少なく時間調整ができなかった。 早く歩きたいので木本側からにしたのである。 この松本峠は、これも世界遺産の、名勝・鬼ヶ城の山手に位置している。 天気が良ければ鬼ヶ城にまわりたいと思っていたが、歩き始めは日も差していたが少し経つと台風18号が振り回している雲で空が、鬱陶しくなってきた。 天気予報では完全に雨であった。ゴアテックスの防止とジャケットを持ち、「えいままよ」と峠を登りはじめた。 登り口に笛吹橋があり、由緒を書いた看板があった。 竹の杖が置いてあった。何となく坂の険しさを感じた。登りはじめは9時23分であった。 登りはじめてすぐにお地蔵さんが出迎えてくれた。坂道はいい石畳が続いている。 途中彼岸花が咲いていた。中七里ヶ浜を見下ろせる場所があった。9時40分に着いた。 この七里ヶ浜は日本の渚100選に選ばれている。浜は台風の湿気と波しぶきで、かすんでいた。 そこから間もなく、竹林に囲まれた鉄砲で撃たれたと言い伝えのある地蔵さんが立っている。 9時50分に着いた。 若い女性が二人、古道歩きのスタンプを押していた。間もなく木本側に降りていった。 すれ違うとき、 「雨が降らなくて良かったですね」と声をかけると、 「ほんとうにラッキーです」と返事が返った。 意外と早く着いたが、ここで小休止することにした。 昨日買って置いた餅を食べた。 食べているときに大泊側から数人の子連れハイカーがやってきた。 話を聞くと、金沢から歩きに来たそうで、今日ガイドを依頼していたが、「台風だから取りやめます。ガイド料は要りません」 と電話があったそうである。 あまりにも一方的であったと憤慨していた。 せめて現地まで来て相談すべきですね。 話を聞けば、1人の女性は娘の母校の金沢大学で図書館司書をやっていたという。 2,3年前に退職したというが、年代をたどれば娘とクロスしているはずで、聞くと、外国の留学生は家で食事も振る舞ったりしてよく覚えているが、日本人の学生は多すぎて覚えていないという。 まあそうだろう。 餅を食べ終わり、歩き出そうとしたとたん雨が降り出した。 ゴアテックスのジャケットを羽織り、D90をリュックに入れAW100を首に下げた。
下りの石畳はすばらしい。これまでのどの石畳より大きな石でしっかりと組まれている。 ただ雨が降っているので、苔むした石畳は気をつけないと滑る。滑らないように足に力を入れながら下るのは骨が折れる。途中たくさんのカニが這っていて、近づくと穴に逃げ込んだ。写真を撮るのに苦労した。 やはりコンクリートの道よりこうした自然石の道の方が、多様な生態系を維持できるという証拠でもある。 この美しい石畳は、明治元年に木本と小泊の漁師が鮪の水揚げに関する騒動を起こし、代官所が罰として漁師達に築かせたものといわれている。 スリップに気をつけながら下ると車の音がうるさくなってきた。 国道42号線である。杖を置いてある大泊側の登り口に到着したのは10時50分であった。 思ったより早く着いた。 そこから大泊の駅に行こうと歩きかけると、峠で出会ったグループに再び出会った。 聞けば歩道トンネルを歩いてきたという。 ここは歩く前にチェックしていたところで、木本へのショートカットとなる。時間がないのと、雨が気になったのでそのトンネルを歩くことにした。 トンネルは鬼ヶ城への道の手前にあった。 煉瓦作りでなかなか風情がある。 建築遺産である。 中は涼しかった。 この道はなかなかいい。 鉄道の便数が少ないので、ここをうまく利用すれば効率的な古道歩きができるのではないだろうか。 トンネルは20分足らずで抜けた。 この後古道を、海岸縁の木本神社に向かった。
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