熊野古道 伊勢路
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獅子岩・熊野市街・花の窟

<獅子岩

世界遺産、そして天然記念物及び名勝「獅子岩」は、地盤の隆起と海蝕現象によってうまれた高さ約25m、周囲約210mの奇岩である。
新宮に勤めていた関係で、よく遊びに来た。
昔から南側に位置する神仙洞の吽(うん)の岩(雌岩)に対して阿(あ)の岩(雄岩)と呼ばれ、井戸川上流に位置する大馬神社の狛犬として親しまれてきた。このため、大馬神社には今も狛犬が設置されていない。
毎年8月17日に開催される「熊野大花火大会」では、多くのカメラマンが集まる絶好の撮影スポットとなり、名作もしばしば目にする。(2013年9月15日)

熊野市獅子岩

<木本神社・熊野市街>

松本峠を歩いて、鬼ヶ城歩道トンネルを歩いてから、木本神社に向かった。雨が心配だったが、まだそれほど降ってはいなかった。
木本神社は熊野古道沿いに鎮座している。神社はそれほど大きくない。熊野古道 熊野市 木本神社昔、ここの祭礼を写真に撮りに来た。
なかなかいい祭だったのを覚えている。

神社名:木本神社
鎮座地:三重県熊野市木本町95
御祭神:天照皇大神、天児屋根命、天布刀玉命、
事代主命神紋:左三つ巴
例祭:10月

鳥居の横に石碑があるがこれは、吉田庄太夫を祀る吉田大明神石祠で、安政二年、木本方面の紀州藩領二十七ヶ村と有田方面の新宮藩領五ヶ村の知行替えが発表されると、税が重くなることを恐れた木本側による熊野古道 熊野市 木本神社領地替え反対騒動が発生(安政の村替騒動)した。
一揆を防ぐため江戸詰御勘定奉行の吉田庄太夫が来て説得にあたるが、木本側は納得しない。
ついに吉田は知行替えを行わないとの誓詞を独断で書き中止させるが、その責任を取り自刃したといわれる。
その人の碑である。
木本神社の周辺にはたくさんの看板があった。付け足し付け足しした感じがする。せっかくの落ち着いた境内の雰囲気を壊している感じがする。これはここだけではないが、全体的な雰囲気も含め、見せ方を工夫して欲しいと思った。
看板があるおかげで見落としはないのだが木造の狛犬はどこにあるか、分からなかった。

熊野古道 熊野市 木本神社 熊野古道 熊野市 木本神社 熊野古道 熊野市 木本神社 熊野古道 熊野市 木本神社
熊野古道 熊野市 木本神社

木本神社から熊野市街を散策した。地方都市の特徴で、何となく活気がない。若者が少ない。
街中も何となく統一感に欠ける。地方都市が都市のまねをして、ミニ都会を作ろうとした結果のような気がする。
中には雰囲気のある建物があるのでこれらを活かして熊野古道沿いの街というイメージを作り上げて欲しいと思った。
きれいな浜のあるこの町は、計画的に街作りをしていけばいい観光地になると思う。
街角の標識で、奥熊野代官所跡という表示があり見に行った。
せめて敷地でもあるのかと思ったが学校に代わっており、小さな石碑が傾いて立っているだけだった。

案内板に、三重県内で一番大きな黒松があったが松食い虫にやられ、やむを得ず切り倒されたと書いていた。
樹齢は約300年だったといわれ、各時代の木本の街を見守りつづけてたが、枯死し、平成11年9月に切られてしまったそうである。
その大きな切り株だけが残っていた。
全然手入れされていないが、これでは観光客をがっかりさせる。

あちこち歩いているといきなり大雨になった

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<花の窟>

花の窟は、神々の母である伊弉冊尊(イザナミノミコト)が火神・軻遇突智尊(カグツチノミコト)を産み、灼かれて亡くなった後に葬られた御陵である。平成16年7月に花の窟を含む「紀伊山地の霊場と参詣道」が世界遺産に登録された。花の窟
花窟神社(花の窟神社)は日本書紀にも記されている日本最古の神社といわれており、古来からの聖地として今に続く信仰はあつく、全国から多くの参拝者が来るという。
年2回、例大祭がある。
岩窟上45メートル程の高さの御神体から境内南隅の松の御神木に、日本一長いともいわれております約170メートルの大綱をかける「御綱掛け神事」があり、この祭りは太古の昔から行われているという。
日本最古の神社といわれている。

日本書記に、

「 一書曰伊弉冉尊火神(いざなみのみこと)を生み給う時に灼(や)かれて神退去(さり) ましぬ 故(か)れ紀伊国 熊野の有馬村に葬(かく)しまつる 土俗(くにびと)此神の魂(みたま)を祭るには 花の時に花を以って祭る 又鼓 吹幡旗(つづみふえはた)を用て歌い舞いて祭る」
花の窟
とある。
花窟神社は古来から社殿がなく、石巌壁立高さ45米の南に面した正面に壇を作り、玉垣で周う拝所を設けている。
この窟の南に岩があり、軻遇突智神の神霊を祀っている。
軻遇突智神は、伊弉冉尊の子で王子の窟という。

花窟との社号が付けられた理由は、窟は伊弉冊尊の御葬所であり、季節の花を供え飾って尊を祀ったのが、起こりという。

参詣した日は台風が近くに来ており、波が高かった。
風も強かったが海岸のあちこちで遊ぶ人があった。
以前はなかった物産店やきれいなトイレができていた。
熊野古道はここから新宮速玉大社に向けて海岸を24kmほど歩かなければいけない。

花の窟 花の窟 花の窟 花の窟
花の窟 花の窟 花の窟 花の窟
花の窟 花の窟
花の窟 花の窟  花の窟

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