若山牧水 わかやま・ぼくすい(1885—1928)


 

本名=若山 繁(わかやま・しげる)
明治18年8月24日—昭和3年9月17日 
享年43歳(古松院仙誉牧水居士)❖牧水忌 
静岡県沼津市本字出口町335 乗運寺(浄土宗)



歌人。宮崎県生。早稲田大学卒。尾上柴舟に師事。明治41年歌集『海の声』『独り歌へる』を刊行。43年『別離』を刊行。歌人として認められる。大正6年『創作』を復刊、妻若山喜志子との合著歌集『白梅集』を刊行。歌集『路上』『みなかみ』『くろ土』『山桜の歌』などがある。






 

幾山河越えさり行かば寂しさの終てなむ国ぞ今日も旅ゆく      

ふるさとのお秀が墓に草枯れむ海にむかへる彼の岡の上に      

たぽたぽと樽に満ちたる酒は鳴るさびしき心うちつれて鳴る     

雪ぞ降るわれのいのちの瞑ぢし眼のかすかにひらき、痛み、雪降る  

初夏の曇りの底に桜咲き居りおとろへはてて君死ににけり      

酒ほしさまぎらはすとて庭に出でつ庭草をぬくこの庭草を

芹の葉の茂みがうへに登りゐてこれの小蟹はものたべてをり   


 

 

 〈汝が夫は家にはおくな旅にあらば命光ると人の言へども〉と妻喜志子が詠ったように、旅びとは不思議な力を持っているものだ。牧水の心は旅を求め、旅に癒やされ、旅に酔った。昔生まれた故郷に残してきた夢、無数の花、青春の時代を煩悶し、貧窮に追いかけられた生活、自然に没入し、酒に身を委ね、放浪の果てに落ちついた沼津。だが自宅の建設費用や出版事業の借金返済のために臨んだ揮毫旅の疲労や大酒飲みが禍した。43歳の初秋、この地で身を横たえる時が訪れた。衰弱したなかでも微かに眼をあけ、酒をのぞんだというが、昭和3年9月17日午前7時58分、急性腸胃炎兼肝臓硬変症で冥界に旅立った——。
 〈幾山河越えさり行かば寂しさの終てなむ国ぞ今日も旅ゆく〉。



 

 千本山乗運寺、揚羽蝶の紋をあしらった提灯が両側に吊された山門をくぐっていく。漂泊の詩人牧水の墓は、楠の葉陰に白く浮き出て建っている。うしろには先に建てられた「若山家之墓」があり、ここに牧水、妻喜志子、二女真木子、長男旅人が合葬されている。
 「若山牧水之墓」は後に主宰した創作社有志により建てられたものであると聞く。幾時であろうとも旅の途にあれば、詠っては酔い、酔っては詠った。当然ながら、詠んだ歌の数は9000首とかなり多い。全国に広がる歌碑の数も約300基と他の歌人に比べても圧倒的だ。旅に明け暮れた牧水の面目躍如というべきか。
 〈聞きゐつゝたのしくもあるか松風の今は夢ともうつつともきこゆ〉。

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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