本名=西脇順三郎(にしわき・じゅんざぶろう)
明治27年1月20日—昭和57年6月5日
享年88歳(慈雲院教誉栄順徹道居士)
東京都港区芝公園4丁目7–35 増上寺地下廟(浄土宗)
詩人・英文学者。新潟県生。慶應義塾大学卒・オックスフォード大学中退。シュルレアリスムの指導的理論家。昭和22年発表の詩集『旅人かへらず』に続く詩集『近代の寓話』『第三の神話』では独自の詩風を築く。『第三の神話』で読売文学賞受賞。『失われた時』『豊饒の女神』などがある。

旅人は侍てよ
このかすかな泉に
舌を濡らす前に
考へよ人生の旅人
汝もまた岩間からしみ出た
水霊にすぎない
この考へる水も永劫には流れな
永劫の或時にひからびる
ああかけすが鳴いてやかましい
時々この水の中から
花をかざした幻影の人が出る
永遠の生命を求めるは夢
流れ去る生命のせせらぎに
思ひを捨て遂に
永劫の断崖より落ちて
消え失せんと望むはうつつ
さう言ふはこの幻影の河童
村や町へ水から出て遊ぴに来る
浮雲の影に水草ののぴる頃
(旅人かへらず・一)
その時代のあらゆる西洋的な風潮であるモダニズム、ダダイズム、シュルレアリスムなど芸術運動の中核となった詩人であった。『あむばるわりあ』のあとがきに次のような彼の言う原始的な人生観を書いた。
〈人間の生命の目的は他の動物や植物と同じく生殖して繁殖する盲目的な無情な運命を示す。人間は土の上で生命を得て土の上で死ぬ〝もの〟である。だが、人間には永遠といふ淋しい気持の無限の世界を感じる力がある〉。
日本の伝統詩形や抒情に背を向け、古今を問わず豊かな学殖、西洋的教養に裏付けされた独自の詩風で日本現代詩の支柱となった西脇順三郎は、昭和57年6月5日、新潟県小千谷市の小千谷総合病院で心不全のため死去。無限の世界へと一途に向かっていった。
西脇順三郎の遺骨は東京タワーを背にした徳川将軍家菩提所、浄土宗大本山増上寺の大殿地下霊廟に納まっている。
分骨された西脇家菩提寺、照専寺のある新潟県小千谷は特別豪雪地帯に指定されるほどの雪国であるから、年明けの今頃は墓も生家跡もまた茶郷川も一面の雪原に埋もれているのだろう。
1700基もの厨子に入った如来像が迎える冷え冷えとしたこの地下廟所には、厳かな香の匂いが充満していた。白扉を開き、西脇夫妻の位牌と遺影が飾られたシンプルな祭壇がやわらかな電光に包まれて浮かび上がってきた瞬間、思わず手を合わさずにはいられなかった。
〈旅から旅へもどる 土から土へもどる この壺をこはせば 永劫のかけらとなる 旅は流れ去る〉。
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