藤沢周平 ふじさわ・しゅうへい(1927—1997)


 

本名=小菅留治(こすげ・とめじ)
昭和2年12月26日—平成9年1月26日 
享年69歳(藤沢院周徳留信居士)❖寒梅忌 
東京都八王子市元八王子町3–2536 八王子霊園61区14側1番 



小説家。山形県生。山形師範学校(現・山形大学)卒。師範学校卒業後、中学教員、食品加工新聞の記者などを経験。昭和46年『溟い海』が注目され、『暗殺の年輪』で48年度直木賞受賞、『白き瓶』『用心棒日月抄』『義民が駆ける』『市塵』『蟬しぐれ』などがある。






  

 助左衛門は矢尻村に通じる砂丘の切り通しの道に入った。裾短かな着物を着、くらい顔をうつむけて歩いている少女の姿が、助左衛門の胸にうかんでいる。お福さまに会うことはもうあるまいと思った。
 顔を上げると、さっきは気づかなかった黒松林の蝉しぐれが、耳を聾するばかりに助左衛門をつつんで来た。蝉の声は、子供のころに住んだ矢場町や町のはずれの雑木林を思い出させた。助左街門は休の中をゆっくりと馬をすすめ、砂丘の出口に来たところで、一度馬をとめた。前方に、時刻が移っても少しも衰えない日射しと灼ける野が見えた。助左衛門は笠の紐をきつく結び直した。
 馬腹を蹴って、助左衛門は熱い光の中に走り出た。

(蝉しぐれ)



 

 剣客や下級武士を通して武家の哀歓や市井庶民の悲喜こもごもを簡潔、端正に描いて「小説職人」と評された時代小説の代表的作家である。なにしろ文の一節一節に呼応した風景が瞬時に浮かび上がってくる。人物も然りだ。こんな作家はほとんど知らない。藤沢周平はこう語る、〈物をふやさず、むしろ少しずつ減らし、生きている痕跡をだんだんに消しながら、やがてふっと消えるように生涯を終えることが出来たらしあわせだろうと時どき夢想する。〉——平成9年1月26日、入院8か月の後、肝不全のため国立国際医療センターで多くの思い出を残して別れを告げた作家、明治、大正、昭和三代の時代小説を通じて、「並ぶ者のない文章の名手」(丸谷才一・弔辞)の痕跡は強い印象を持って今も生きている。



 

 海坂藩七万石の御城下に繰り広げられた侍や町人たちの物語を読者は忘れない。周平が想像した架空の小藩を私は幾たびさまよったことか。井上ひさしは海坂藩城下の地図を作成して、周平の「海坂もの」作品が発表されるたびに、そこに登場した場所を地図に書き込んでいったという。——開けた空に一羽の鳶が舞っている高尾丘陵の洋風霊園に藤沢周平は眠っている。マロニエ正門通りを辿って行ったその区画には、色こそ違え同規模同型の石碑が、御城下の町割りのように整然と並んでいる。一筋の端っこにある「小菅家」墓、裏面に刻まれた戒名と没年月日、「留治」の銘があった。秋口にさしかかったというのにこの塋域に静寂はない。崖下の雑木林から湧き揚がってくる蝉しぐれを彼は何と聞いているのだろうか。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

編集後記


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