リラックスと不安

リラックスするとは「考えた通りにいかないこと」を受け入れることで、それは自分の失敗無意味な行動を受け入れるということである。ものごとが自分の考えた通りにいかないということを受け入れると、自分の考えなどというものは大したものではなかったということが明らかになる。ものごとは自分の考えた通りにいくようなもんではないのだと認識させられるわけである。そうすると、自分の考えに確信が持てなくなる。リラックスというのは「自分の考えに確信を持たない」状態、自分の考えにこだわらない状態なわけである。「自分の考えは完璧だ」と思っていたらリラックスできないのだ。

ところで、「自分の考えが正しいものだとは思えない」という状態はリラックスじゃなくて不安を生むのではないだろうか? 「自分の考えは大したもんじゃない」と考えた途端に我々は不安になりそうだ。何しろ、考えた通りにいかないのだから、未来に何が起こるかわからなくて不安である。不安になると、「自分の考えなんか大したもんじゃないから、結果もどうせ大したもんじゃない」と卑下してしまいがちである。そうやって卑下するのは「大したもんじゃない」という「考えた通り」の結果を得るためである。そう考えると「考えた通り」にいくので不安がなくなるが、それだと未来に希望が持てない。

「考えた通りじゃない結果」には失敗や無意味という否定的なものだけではなく「考えていた以上の結果」というものも含まれている。「考えた以上の結果」を得ようと思ったら「考えた通りにいかないこと」を受け入れるしかない。つまり、リラックスすると「考えた以上の結果」が得られる可能性があるわけだ。しかし、「自分の考えなんか大したもんじゃないから、結果もどうせ大したもんじゃない」と考えてしまうと、「考えた以上の結果」を見逃すことになる。何か予想外の収穫があっても、そんなのは自分とは関係がないと思ってしまう。考えた通りにいかない不安から逃れようとすると「考えた以上の結果」まで失ってしまうのである。

リラックスというのは不安から逃れることで得られる状態ではない。「ものごとは考えた通りにいかないのだ」と思うと不安になるが、「どうせ大した結果は得られない」と考えることで「何が起きても考えた通りだ」という方向へ逃げると、実際「大したことがない」結果しか目に入らない。ところが、「大したことがない状態」というのは、要するに無価値な状態である。不安から逃れようとする場合、「自分の考えは無価値で、行動した結果も無価値である」と思い込もうとしているわけだから、リラックスできるはずがない。

何が起こるかわからないという不安から逃れようとするのではなく、「予想外の結果の中に考えた以上の結果が含まれているのだ」と思えたらリラックスできるのだ。失敗や無意味に終わると予想される行動が予想以上の結果に繋がることもあるということだ。それを理解するためには、失敗や無意味に終わると思える行動もやってみなくてはならない。それはどちらかというと不安が増す方向である。逆に、不安から遠ざかろうとすると、リラックスからも遠ざかることになる。

 → リラックス理論