幻想と現実

我々の考えというのは我々の内側にあるのだから、外側にある現実の世界そのままというわけにはいかず誤差を含みます。我々が自分の考えが正しいと考える場合、現実世界と内的世界の誤差を勝手に正当化していることになります。そういう意味で、我々の考えというものは幻想だと言えます。

我々の考えが誤差を含む幻想だとすると、それに基いて行動すれば結果として何らかの不都合が生じるはずです。幻想というのは現実的な情報を否定することで維持されるものなので生存の妨げになります。自然環境において動物が幻想を持っていたとしたら、たちまち他の動物に食われるか餓死するという結果を招くでしょう。人間が幻想を持ちながら生存を続けられるのは、人工的環境により安全と食料を確保しているからだと考えられます。

人工的環境は自然環境と接しているので、人工的環境を維持するには現実に関する情報を知り、それによって人工的環境を修正しなくてはなりません。現実的情報とは内的世界と現実世界の誤差のことで、それは人工的環境と自然環境の不調和として現れるとも言えます。自然環境において行動して不都合が生じた時、その不都合が現実的情報なのであり、我々はその不都合を通じて間接的に現実世界を知ることができます。現実というのは我々にとっての「不都合」という形で現れるのであり、目の前に現れた不都合を無視することによって、我々の幻想は維持されるわけです。

人工的環境の規模が小さい時、不都合とは自然による人工的環境の破壊のことなので、人工的環境を強化することで不都合を解消できます。ただし、人工的環境を強化するにはより多くの労力が必要であり、人間が自発的にではなく人工的環境という秩序の維持のために生きる必要が生じます。それは人間の精神の自発性を犠牲にすることで成り立ちます。

文明という人工的環境は本質的に規模が大きくなる傾向があり、現代文明は既に大きすぎると言えます。現実的情報を否定する幻想に基いて、自然を否定しようとして作られたのが人工的環境ですから、人工的環境が大規模な時の不都合とは自然環境の破壊であり、さらに人工的環境を強化すると不都合も拡大することになります。自然環境と人工的環境の不調和を減らすには人工的環境を縮小する必要があり、そのことは我々の精神の自発性の回復とも関係しているはずです。