悪とは何か

悪とは何でしょうか。物事が悪であるかどうかは、悪を為すかどうかで判断されるので、悪というのは物事の機能にかかわるものと考えられます。悪は「我々にとって否定的な価値を持つ物事の機能」だといえます。

我々が物事の機能を認識することができるのは、我々の中で物事についてのシミュレーションができた時です。つまり、機能というのは、対象の側にではなく、我々の中にあるからこそ認識することができるわけです。したがって、我々が物事を悪と認識する時、機能である悪は我々の中にあることになります。我々が何かから苦痛を被ったとしても、それが我々のシミュレーション能力を超えて複雑であったり巨大であったりした場合は、我々はそれを悪であるとは認識できないでしょう。

ところで、物事についてのシミュレーションというのは我々の能力の一部でもあります。それを悪として否定的にとらえることは、我々自身の能力の一部を否定することなわけです。また、自分の中に否定したい部分がある場合は、それを外部の対象の性質ととらえて、その対象こそ悪であると考えてしまったりします。いずれにせよ、悪とは否定的にとらえた我々自身の一部であるということになります。

では、我々が自分自身の一部を否定しようとするのはなぜでしょうか。否定というのは意識の性質から生じるのだと思われます。意識は意識していること以外の全てを無視するものだからです。意識というのは個人と社会の接点にあるもので、社会は意識を通じて身体的な個人を否定しようとします。そこで否定された部分は無意識となります。

つまり、我々が人間を構造(身体的個人)と機能(社会的役割)に分けて考えようとすると矛盾が生じ、その矛盾が悪として現れるわけです。あるいは、意識に安定をもたらすものは正しく、そうでないものは悪とされるのだと言えます。