機能と構造

我々の世界には色々なものごとがあります。ものごとを意識的に捉えるとモノ(構造)とコト(機能)が分離します。例えば人間という存在を身体と精神に分けてしまうように、我々が「ものごと」を認識しようとするとモノ的側面とコト的側面に分けてしまうのです。しかし、「ものごと」の側においては、「モノとコト」は分離されていない状態にあるはずです。

構造も機能も、認識する側が頭の中に構成しているのは同じです。しかし、構造は「見れば分かる」、つまり視覚像によって直接頭の中で静的なイメージが形成されるのに対して、機能は想像力によって動的なイメージを再構成しなければなりません。したがって、頭の中に形成された構造に対応するものごとは明確に存在するように感じられますが、機能に対応するものごとには、再構成の過程を逆にたどらなければ到達できないので、その存在は曖昧なように感じられます。

これは我々の認識方法がそういう風になっているのであって、ものごとの性質ではありませんが、我々の実感としては「ものごとの構造は我々の外側にあり、機能は我々の内側にある」ということになります。構造はものごとの存在とともにあり、機能は認識する人間の間に広く分布するわけです。

ものごとの構造という静的なイメージは視覚を通じて形成されるので、人によらず一定しやすく客観的ですが、機能という動的なイメージは想像力によって再構成されるので個人の能力や傾向に依存し主観的になりがちです。したがって、客観のみに価値を置けばものごとのコト的側面は排除されやすくなります。しかし、ものごとの本質は客観と主観を統合したところにあるので、客観性に偏るとものごとの本質からは遠ざかることになります。