矛盾とは何か

矛盾というのは「Aである」と「Aでない」を同時に主張することですが、論理の世界では矛盾する主張は常にマチガイであるとして退けられます。ここで、論理の世界というものについて考えてみると、「AならばBである」などという命題はAやBが不変でなければ真偽が確定しません。つまり、論理の世界を構成する要素は変化してはならないのです。論理の世界は不変の世界であり、全てが不変の世界では時間という概念は無意味です。論理の世界は不変の構造を持つ無時間的な空間なのです。

不変の構造というのは大脳によってとらえられます。一方、変化する世界には時間が流れていて、小脳がとらえるのは変化です。そして、時間の流れる世界では論理の代わりに因果関係があります。論理と因果関係の違いは、論理が循環を構成すると無限循環に陥って破綻するのに対し、因果関係は円環になってもおかしくないという点です。論理の世界では、時間が流れないために情報伝達のスピードが無限に速いことになり、循環が表現できません。因果関係においては情報伝達は有限なので循環というものが意味を持って表現できます。

例えば「AならばB」「BならばAでない」という二つの命題があると、論理的には「AならばAでない」という短絡が起きるので、これは矛盾だということになります。論理の世界では矛盾は無意味ですが、因果関係の世界では「Aである状態から一定時間後にAでない状態に至る」というだけのことなので、何かのシミュレーションとしての意味を持ちます。

無時間的でなければならない論理の世界において、時間の流れる現実の世界を表現しようとすると論理は破綻してしまいます。それが矛盾です。大脳が現実の世界を把握しようとすると矛盾が現れてくるのだとも言えます。しかし、大脳から見て矛盾した世界というのが現実の世界であり、現実をマチガイとして退けるわけにはいきません。矛盾した世界には論理的な正解がないわけですが、正解がないからこそ何をやろうと自由だとも言えます。