集中力とは何か

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普通の人間がやりたいことをやるには、生活の合間に少しの時間を見つけてこつこつとやるしかない。大事なのは集中力である。集中とは、意識を自分の内側か外側のどちらか一方に向けることである。自分の内側を観察してそこにあるものに対処するのが思考で、外側を観察してそこにあるものに対処するのが行動だ。周りのできごとに気をとられていると思考が妨げられ、考えごとをしていると行動がおろそかになる。つまり思考と行動を両方いっぺんにやるのはとても難しいのだ。どちらか一方をちゃんとやるためにもう一方を無視するのが集中である。

自分の内側か外側のどちらか一方に集中するのは、集中した方の全体を把握するためである。自由に考えるには自分の考え全体を把握する必要があり、自由に行動するには自分の周囲全体を把握する必要がある。僕のリラックス理論で言うと、内側に集中するのが「リラックス」で、外側に集中するのが「クール」である。

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宇多田ヒカルが「集中するのと力を入れて踏ん張っちゃうのは違う」と書いていたが、集中するつもりで力んでしまうと、興奮したり緊張したりする。力を入れて踏ん張っちゃうのは、ものごとを考えたとおりにやろうとするからだ。考えたとおりに行動するというのは思考と行動を一致させることで、そのためには自分の内側と外側をいっぺんに見なくてはならない。そうすると意識を広げることができず、思考の一部と行動の一部に集中してしまう。その「集中」は集中力の「集中」ではない。思考と行動を一致させようとすると、どちらにも集中することができなくなるのだ。

思考と行動のどちらにも集中していない状態では、我々は自分の中にある仮想的世界(自分の想像や解釈)と外にある現実世界(客観的事実)をいっぺんに見ている。その場合は仮想的世界と現実世界が一致している狭い範囲だけを見ていることになる。仮想的世界と現実世界が全部一致することはありえないので、集中せずに見ることができるのはどちらも一部分である。そして、仮想的世界と現実世界がズレた状況では、とりあえずどちらかに集中しないと混乱してしまう。我々が興奮したり緊張したりするのはそういう時だ。

仮想的世界をよく見たら思考が自由になり、現実世界をよく見ると行動が自由になるはずである。それには集中力が必要なのだ。集中とは、仮想的世界と現実世界を分けてそれぞれをよく見ることである。よく見ると、仮想的世界と現実世界は結構ズレている。現実世界からズレた仮想的世界はシュールで、仮想的世界からズレた現実世界はハードボイルドだ。仮想的世界と現実世界は遠くへ行くほどズレていくが、一番遠いところでは繋がっているはずである。なぜなら仮想する我々は現実を構成する全てのものと同じ自然の一部だからだ。

1999.6.19

 → 「集中力の効用」