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2016.08.15. 掲載
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目次
はじめに
開設の動機
内容に対する方針
記事ファイルの階層構造
目標としてきた文書スタイルとそのための対応
私にとっての個人サイトの意義
サイト内容の保存
サイトの閉鎖
付録1.ホームページの変遷
付録2.電子掲示板
付録3.ブログ
本日、2016年8月15日をもって、当サイト(ホームページ)は開設20周年を迎えた。その間660件の記事を掲載し、その内の475件の記事を現在も掲載している。
最近は、新しい記事を掲載する頻度も減ってきたが、それでも月1件程度は維持している。
掲載記事のGoogle検索順位は、総じて高く、昨年末の総括記事で調べたところ、記事14件の内、1位が8件、2〜10位が4件だった。つまり、1位が約60%、10位以内が約86%ということになる。
1996年7月、大阪府堺市学童のO157集団感染が発生した際、O157に関する最新医学情報がインターネットの上でのみ得られたことから、私の所属する交野市医師会の会員の間では、インターネットに接続したいという欲求が高まった。
そこで、パソコン同好会を作り、パソコンを長く使ってきた私が、インターネット接続の技術を身につけられるように会員をお世話をすることとなった。
そのためには、自前のホームページ(Webサイト)を持っていることが実習に便利だという理由で、1996年8月15日に開設したのが、「交野の野村医院」という名のホームページである。
当時、世の中では、ホームページの存在は未だわずかで、Yahoo! JAPANも、この年の1月に設立されたばかりだった。
1996年8月から2005年8月までのサイト「交野の野村医院」には、医院の名前が付いている。しかし、医院のPRになる記事は極力減らし、自分が関心のある分野の記事を載せることを方針としてきた。
「交野の野村医院」最終日のホームページを見ると、記事のカテゴリを、1.当院の紹介、2.患者さん用情報、3.医療関係、4.当院の出版物、5.院長のエッセイ、6.パソコン関係、7.音楽、8.映像、9.ハウツー、10.BOWのひとりごとに分類している。
これを記事でみると、医療関係の記事の数は合わせて70件で、全記事292件の24%に当たる。
2005年9月より医業を息子に引き継ぎ引退したのに伴い、サイト名を「中之島のBOW」に変更した。これでもって、名実ともに私の個人的関心事のサイトとなった。
サイト開設20周年の「中之島のBOW」の記事を、カテゴリー別に並べてみると、言葉 169件 36%、音楽 80件 17%、映像 77件 16%、医療 48件 10%、旅行 46件 10%、PC 43件 9%、出版 9件 2%、創作 1件 0%である。
この記事数の割合は、私の関心事の割合にある程度関係しているだろう。言葉、音楽、映像が三大関心事で全体の7割を占め、その中でも、言葉の記事数は、音楽と映像を合わせた記事数と同じであるのが面白い。もちろん、記録というものは、ほとんどの場合、言葉で記すのだから、言葉が多いのは当然ではあるのだが、、、
医療、旅行、PCがそれぞれ約10%で合わせて全体の3割を占めている。
医療カテゴリーの記事数は全体の10%となり、「交野の野村医院」の場合の半分以下に下がっている。
記事ファイルは、すべてホームページ(トップページ)と同じルート・ディレクトリーに置き、仮想階層構造を持たせた。
具体的には、サイトマップを利用して、疑似的な階層構造で記事ファイルを表示した。これは、可変性があり、非常に簡単かつ便利な方法で、パンくずリストにも活用している。
もう一つは、記事ファイルをフレーム・スタイルで表示せず、専らノーフレームに徹したが、これにより、複雑な構造が不要で、仮想階層構造との相性が良いと考えている。
私が望む当サイトの記事のスタイルの要素を、優先順位の高いものから挙げていくと、1)読みやすい、2)分かりやすい、3)関連記事にすぐ移れる、4)記事を見つけやすい、5)少ない手順で求める情報にアクセスできる、6)情報の新鮮度が分かる、7)記事を作るのが容易、8)見た目がきれい、少なくとも不快ではない、と考えてきた。
この望ましい文書スタイルにするための作業を、2010年から始めた。その作業は、これまでのHTMLだけでサイトの記事を書くのではなく、HTMLとスタイルシート(CSS)を併用することが中心となった。
その具体的な方法は、Web記事の文書スタイルに詳しく書いている。
20年間続けてきたこのサイトの記事の作成には、最初から、Mifes というテキスト・エディターだけを使って来た。これはメモ帳の高級版と言ったもので、本来プログラムの作成に使うソフトである。
そう言うわけで、通常使われることが多い「ホームページ作成ソフト」は、一度も使ったことがない。
私はこどもの頃から何かを作ることが好きだった。最近は、その中でも、何かを構築することがしたいことである。
もうひとつのしたいことは、記録をすることで、これはしたいというより、しておかなければならないという思いの方が強いかもしれない。記憶力低下をカバーするために欠かせない方法でもある。
三つめのしたいことは、作った作品、記録などを公開したいという欲求である。インターネットがない時代には、それは出版、雑誌などへの投稿が主な解決法であった。
これに対して、現在最も有用な方法が、サイトに記事を載せることである。個人のサイトを持っていれば、自分で記事を書き、それを自分が望ましいスタイルに編集し、出版などとは比較にならぬ短い時間と安い費用で、世界に向けて発信できる。
Googleなどの検索エンジンに取り上げられれば、関心のある内容の情報を求めている人からのアクセスが得られる。
個人の情報の発信の手段として、現在の段階でこれを超えるものはないと考えている。
サイトの内容は、自分のパソコンのハードディスクと、サーバーのハードディスクに保存されているが、それ以外に、CD、DVD、BDなどの光ディスクに保存することも、便利な場合がある。
光ディスクなら、大量のダビングが容易で、それをパソコンに挿入してデータを再生することも容易で、軽量、安価、長期間の保存に耐えられるなどのメリットがある。
ある時点でのサイト内容の保存としては、光ディスクでの保存は今のところ最適かもしれない。サイトの開設者、サイトの作成者が高齢、病身、そのたの理由で内容の更新ができなくなる場合、この方法でサイトの内容の保存を図るのは、意味があることと考えられる。
サイト開設20周年という節目を記念して、この日のサイトの全内容をDVDに記録した。その方法については、今後試行を繰り返し、最適と考えられる方法を確立しておく予定である。
サイト開設者の死亡、病気、そのたの理由でサイトを閉鎖しなければならない時は必ずくる。私も80歳を越え、老化が加速度的に進行していることを自覚しているので、先延ばしにしておくわけにはいかない。
その状況にあって、現在思っていることは、内容を更新したい意欲があり、肉体的にそれが可能な間は、サイトを維持したい気持ちだ。
私が死亡したときに、速やかに閉鎖するか、一定の猶予期間を置いて閉鎖するかについては、今は決めかねている。サイトを1年くらい残してから閉鎖するのが現実的かもしれない。
私は自分のホームページを20年前に開設し、名前を「交野の野村医院」としたが、医業から離れてからは、名前を「中之島のBOW」に変更し、同じURL http://www.asahi-net.or.jp/~mf4n-nmr/ のサイトを続けてきた。
ここで、それぞれの名前のホームページを画像で紹介する。
この二つの図から、「交野の野村医院」時代の年間アクセス数は、146678÷9≒16297 約16,300人
「中之島のBOW」時代の年間アクセス数は、(394018−146678)÷11≒22485 約22,500人で、
1日のアクセス数は、それぞれ、約45人と、約62人 になる。
これは、この時代にインターネット人口が爆発的に増えたことが、関係しているのだろうと思っている。
2000年から2012年までの13年間、電子掲示板「BOWのひとりごと」を開設した。電子掲示板とは、コンピュータネットワークを使用した環境で、記事を書き込んだり、閲覧したり、コメントを付けられるようにした仕組みのことである。
英語の Bulletin Board System から由来し、略して BBS と呼ばれることも多い。
電子掲示板「BOWのひとりごと」12年間の記録を、サイト「中之島のBOW」に、掲示板 BOWのひとりごと の記録全目次のタイトルで掲載している。
2006年から2012年までの7年間、ブログ「エンジョイBOW」を開設した。サイトや電子掲示板は アサヒネット を利用したが、ブログはニフティーを利用した。
その全記録を、ブログ エンジョイBOWの記録のタイトルで、サイト「中之島のBOW」に掲載している。
ブログは新しい記事、新しいコメントが上に来る構造にになっている。この構造は記録として残す場合、分りにくいので、それぞれの記事を古い順に並べ、記事に対するコメントも古い順に並べ替えた。
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