ホーム > サイトマップ > PC > ブログ・掲示板 > ブログ エンジョイBOWの記録


ブログ エンジョイBOWの記録

 2006年〜2012年の全記録

2012.07.31. 掲載
このページの最後へ

目次

2006年 ブログ開設 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
2007年 世界一周 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
2008年 孫娘誕生 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
2009年 サイト大掃除 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
2010年 サイト新装 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
2011年 東日本大震災 1月 2月 3月 4月 5月 6月 8月 9月 10月 11月 12月
2012年 ブログ閉鎖 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月


2006年の記事


◆プロフィール 2006年5月13日 (土)


1行紹介
余生をエンジョイしている古希老人

自己紹介文
戦前のことも少しは記憶にあります。戦中は愛国少年で鬼畜米英と戦い、敗戦と同時に大人がいとも簡単に180度転換してデモクラシー信奉者に変ることに不信感を抱き、権威が信じられなくなった世代です。

戦中戦後の貧しさ、それから、朝鮮戦争を契機にどんどん成長発展していく中で生きてこれたこと、こんなに短い期間で多くのことを経験できた世代は、歴史上ほかにはみられない特異な存在でしょう。

メカが好きで、ラジオ、オーディオ、カメラ、TV、ビデオ、パソコン、パソコン通信、インターネット、携帯などを初期の段階から経験してきました。今は余生を存分にエンジョイしようとしています。

興味のあること
創ること(物、文のいずれも)、歌(聞くよりも唄う方が好き)、映像(ビデオ、写真、それらの撮影と編集が好き)、情報発信(Webサイトと電子出版)


◆古希からのエンジョイ 2006年5月13日 (土)

この春から古来稀なりといわれた70歳に入りました。ここまで生きて来れたのは、生まれた時代が良かった、運が良かったと思っています。

終りの幕が下りるのも、それほど先のことではなく、私はこの1年を最後の年と想定し、それ以上の命があれば、それはオマケの人生と考えることにしています。オマケは多ければ多いほど良いものですが、なくても仕方がないものです。

今年から、これまで以上に人生をエンジョイしていきたいと考え、その計画と実行をこのブログに記録して行こうと考えています。

手始めは、Webサイトをこれまでの「中之島のBOW」のほかに、映像中心の「BOWの映像」と、歌とエッセイに特化させた「BOWの部屋」の2つのサイトを立ち上げる予定で、現在その準備作業に入っています。

2006年5月13日 (土) 趣味 | 固定リンク | コメント (30) | トラックバック (0)

▼コメント
投稿 Muチャ子 | 2006年5月13日 (土) 02時44分
開設おめでとうございます!! 古稀をすぎ益々輝いて、したい事をエンジョイされていらっしゃるお姿に敬礼!!

▼コメント
投稿 BOW | 2006年5月13日 (土) 11時01分
今、流行というブログなるものに興味があって、パソコン通信時代に専ら利用させて頂いたNiftyを 訪問してブログを登録しました。訳も分からず記事を書き込んで一夜明ければ、ビックリ仰天、Muチャ子さんのコメントを頂いていて、ムチャ嬉しいです(笑)

▼コメント
投稿 Muチャ子 | 2006年5月14日 (日) 01時59分
ワオ〜昨日はなかったプロフィール拝見しました!宴会状況や旅行でのスナップ写真ではお目に掛かっているのですが(^^;)バッチリお姿かっこイイ〜!!ブログ一番乗りやったぜベイビー(笑)

▼コメント
投稿 BOW | 2006年5月14日 (日) 10時25分
まだブログのことが良く分からず、プロフィールもその一つです。試行錯誤で方向を決めて行こうかなと思っています。
Muチャ子さんは私のサイトを訪問して下さっているのですか?これまたビックリです。ありがとうございます。

▼コメント
投稿 Muチャ子 | 2006年5月14日 (日) 13時18分
はーい こんにちは。今日も新コーナー発見「BOWのリスト」!Muチャ子は、HP野村医院時代からずーっとの訪問者です。まさに盛りだくさんのサイトに毎度目を奪われています。この先オマケの人生に栄光アレ!の心境で陰ながら応援しています。

▼コメント
投稿 BOW | 2006年5月15日 (月) 17時45分
ありがとうございます!応援頂いているのを知って、今朝から頑張りました。とりあえず、ベースサイトの「中之島のBOW」に手を加え、できるだけシンプルになるように、無駄な部分を削除しました。

▼コメント
投稿 マミー | 2006年5月18日 (木) 19時33分
育児に追われる毎日でしばらくHPにおじゃましていなかったのですが、「ブログ」を開設されているのにビックリしました!bow先生のバイタイティと若さに敬服です。これから楽しい記事をたくさん載せて下さいね。 ときどきおじゃまさせていただきます。

▼コメント
投稿 BOW | 2006年5月18日 (木) 21時57分
マミーさん、どなたか分からないのですが、ありがとうございます。これからもよろしく!
まじめに一生懸命やっても、必ずドジをするのが子どものころからの私の特徴です。これは直そうにも直らないことを小さい頃から悟って、開き直って、人生うまく行きました(笑)。

▼コメント
投稿 マミー | 2006年5月18日 (木) 22時09分
BOW先生 ありがとうございます。こんなに早くにレスを頂き感激です。メルアドを記入するべきでした。4世代に亘ってお世話になっております、ガールズの母、USJマニアでございます。(分かっていただけましたでしょうか?)

子供の頃からお世話になっていましたので、医院を引退されとても淋しかったのですがこのHPでBOW先生と今でも繋がっていられる気がしてとても嬉しいです。

日々enjoyされているご様子が目に浮かびます。身動きのとれない私ですが、楽しいご経験のお話で疑似体験させていただきたいと期待しております。頑張って下さい。

▼コメント
投稿 BOW | 2006年5月18日 (木) 22時51分
マミーが誰か分かりましたぞ〜!勘が鈍いですね、ゴメンナサ〜イ!!

▼コメント
投稿 Muチャ子 | 2006年5月20日 (土) 00時27分
ビックリクリクリ新規の方の書き込みではありませんか!嬉しいですね〜Muチャ子は訪れるのが楽しみになってきました〜!変な気候でただ今鼻水タラタラ、ティシュの箱が離せません。ハーーハックション。

▼コメント
投稿 マミー | 2006年5月20日 (土) 00時57分
Muチャ子さま はじめまして。唐突にカキコしてしまいましたが、是非お仲間に入れて下さい。
HPの板の方を殆ど拝見していませんでしたので、こちらではどんなお話をされているのか全く知らないんです。ついてゆけるかどうか分かりませんがどうぞよろしくお願いします。m(__)m

私は手作りとアメリカンなバイクに乗るのが大好きな不良主婦です。そして数年前、ヨンさまにハマっていた60代母のことを小バカにしてましたが、今自分が韓ドラなしでは生きていけないぐらいどっぷりハマってしまっています。現実逃避したい気持ちと相まってほとんど中毒状態です。(私はクォン・サンウさんとヒョンビンが大好きです。)

そんな私ですが、どうぞよろしく。(BOW先生、勝手に自己紹介してすみません。)

▼コメント
投稿 Muチャ子 | 2006年5月20日 (土) 01時28分
ハーイ マミーさま こっちゃこそ よろしゅうに!お付き合い下さい。何も解らず書き込みしている状態ですが、このブログが発展するようにと願っている者ですhohoho 真面目な事を云うこともまれにはあるんですよ〜(笑)韓ドラにはまった理由は、冬ソナからですか?

▼コメント
投稿 BOW | 2006年5月20日 (土) 08時21分
お二人さんは夜が遅いのですね!ビックリクリクリ(笑)

▼コメント
投稿 マミー | 2006年5月20日 (土) 10時02分
Muチャ子さま BOW先生 レスをありがとうございます。はい、私は週末「夜更かし王」でございます。金・土の夜は私のパラダイスタイムなのです。まずGYAOで韓ドラ、楽天Show timeで韓国芸能情報、DVDで韓映画とワクワク過ごしております。

>韓ドラにはまった理由は、冬ソナからですか?
たいていの方はそうですよね。でも私は違って、世間のブームからかなり遅れて、クォン・サンウ主演の「天国の階段」デビューです。もう不幸のテンコ盛り、ジェットコースター並みのストーリー展開、「そんなアホなぁ〜。」とツッコミどころ満載でした。中でもタイトルバックで海辺でグランドピアノ弾いてるんですが、その状況だけでも変なのに、なんと「二人羽織」で弾いたそうな。画面引きのときの手が短いんです。恐るべし韓ドラ!でしょ?

今一番のお勧めは「私の名前はキムサムスン」です。もうおもしろすぎて一気に3日連続徹夜してしまったドラマです。韓ドラに全く興味なしの友人たち、お父様方までハマってしまわれたのできっと間違いなくおもしろいです。そして主演のビンくんにメロメロです。

海外はバックパッカー一人旅派の私はいつか韓国も、、と夢見て、ただ今NHK「ハングル語口座」受講中です。BOW先生の韓国旅行記、羨ましすぎて溜息でしたー。・・・・ってこんな話は場違いですよね。失礼しましたー。

▼コメント
投稿 BOW | 2006年5月20日 (土) 10時18分
>こんな話は場違いですよね。
ほかのブログを知らないので、場違いか場違いでないかは分かりません(笑)。私はビックリしながら楽しんでいますので、よろしければ使って下さい!

楽しかった昨日のクラス会のことを書き始めたところです。今日中にもHPに載せようと思っています。

▼コメント
投稿 musi | 2006年5月21日 (日) 03時50分
嬉しい悲鳴が聞こえるようです(^^)/  マミーさま、Muチャ子さん、musiもお仲間に入れて下さいね。ブログ友達が増えるといろいろなニュースが読めて(ん?これニュース?)今までとは違った楽しい体験をしています。

>昨日のクラス会のことを書き始めたところです。今日中にもHPに載せようと思っています。
必ず今日中には!gu-gu-

▼コメント
投稿 BOW | 2006年5月21日 (日) 09時10分
> 必ず今日中には!gu-gu-
アタリ〜!古希からはタイムリミットにしばられない生活をすると宣言した方を援用しました(笑)。書いている内に、これが最後のクラス会の記録になるかもしれないことに気づき、それならまとめ的なものにしようと方向を少し変えました。今日中には仕上げたいと思っています。約束反故、ゴメンナサイ!

▼コメント
投稿 マミー | 2006年5月21日 (日) 19時54分
BOW先生、私も楽しみに待っています。
>これが最後のクラス会の記録になるかもしれない
そんなことありません。きっとこれからまだ何回も開催されると思いますよ。

musiさま こちらこそ、どうぞよろしくお願いします。今日10年間乗り続けた250バイクと涙のお別れをしました。どうしても「欲しい」と切望して下さっていた恩のある方に引き取られていきました。家族は駐車場が広くなっていいと喜んでましたが・・。

でも私は密かに次のバイク選びに入ってまーす。ほんとは400のバイクに乗りたいのですが車検などあり、主婦には贅沢なのでガマン、我慢・・です。

▼コメント
投稿 BOW | 2006年5月22日 (月) 16時54分
マミーさん、クラス会は何回も続くでしょう。けれど、私にオマケの人生がなければ、クラス会の記録はないでしょうという意味でした。(笑)

クラス会を終えて帰宅したら「おまけの人生でまた会いましょう」というメールが届きました。分かってくれたクラスメートもいたようです。(笑)

▼コメント
投稿 マミー | 2006年5月24日 (水) 23時17分
なぜBOW先生が来年「死ぬ」と仰るのか、新しくなったHPを探検させて頂き、やっと分かりました。寿命を70歳と想定されることでタイムリミットを定められ、なさりたいこと、しなければいけないことを逆算して遂行されているということなんですね。

安心しました。実は何か病を患っておられるのだろうか??とほんの少し心配だったんです。今日も素晴らしい書斎でお仕事されているのかと思うと羨ましい限りです。あの本棚は圧巻ですね。そしてサイズを自在に変えて使えるのも優れモノです。オーダーされたお品なのでしょうか? 私なら本ではなく、集めすぎたアメリカンプリントなどを並べて、布地屋さんのようにしてしまいたいところです。

同窓会のお話も驚きました。人間は60年も前のことを記憶していられるものなんでしょうか?例えば現在の記憶を生きていられたとして30年後に覚えている自信すら、私は無いのですが。私の一番幼い頃の記憶はたぶん3歳半ごろです。遊んで帰宅すると家に鍵がかかっていて、隣町の祖父母宅まで1人で泣きながら歩いている場面です。それ以外はもう小学校まで何も思い出せません。人間の「脳」のメカニズムは神秘の世界ですね。

きっと「おまけ」とは思えないほど充実した、素敵な人生を過ごされることと思っています。

▼コメント
投稿 BOW | 2006年5月25日 (木) 00時24分
>新しくなったHPを探検させて頂き楽しくなったと思われませんか?
早速探検して頂き、感謝!

>何か病を患っておられるのだろうか?
重大な病気はないと思いますが、何しろ検査らしい検査を受けたことがないので分かりません(笑)

>オーダーされたお品なのでしょうか?
家具団地へ行って即座に決め、マンションに帰って部屋の採寸をして、翌日必要量を購入しました。

>人間は60年も前のことを記憶していられるものなんでしょうか?
それが覚えているんですよ!10歳の時のことですが、皆で当時のことを思い出して、話がつきません。

▼コメント
投稿 musi | 2006年5月27日 (土) 03時04分
マミーさま ね!ね、面白いでしょ!すごいでしょ!「中之島のBOW」はまさに盛だくさん!今度からエッセイは、すっごく解りやすい「BOWの部屋」からお邪魔しようかなと考えている今日この頃です(^_^)v uチャ子さん元気ですか?

▼コメント
投稿 Muチャ子 | 2006年5月29日 (月) 02時27分
はーーい元気印で〜す。何とかは暇無しで毎日せまい場所を走り回っています(笑)マミーさんはアメリカンですか〜バイクのお話には、いや〜参った!でした。すごい趣味をお持ちなんですね。いろんな場所へ行かれたことでしょうね。韓ドラ「クォン・サンウ」さんがお好きとか、板への書き込みもしてはるんですか?

▼コメント
投稿 マミー | 2006年5月29日 (月) 23時30分
musiさま
>ね!ね、面白いでしょ!すごいでしょ!「中之島のBOW」はまさに盛だくさん!
ほんとにそうですね。読みたくなるタイトルがいっぱいあって、毎晩寝不足です。BOW先生のご家族は寛大だと思いました。私なら「それ書いちゃダメ」「それ載せないでー。」と口出ししてしまいそうな深い内容もあり、、。中でも以前に拝読した「超整理術」はとても参考になりました。今でも子供たちの絵画や写真など「仮置き場」制度で頑張ってます。いつも「仮」が長く、多くなりすぎてパンクしそうですが。

Muチャ子さま
>すごい趣味をお持ちなんですね。いろんな場所へ行かれたことでしょうね。
全然スゴクないですよー。16歳のときに親と交わした約束(バイク、毛染め、ピアスは@外国に住むかA子供を産むかB30歳になるまでダメ!)を律儀に守ってしまい、結婚後10年間親になることなく、その間外国にも住めず、ようやくBの30歳になったときに夫婦でバイクの免許をとりました。遅いデビューでしょ?そこからバイク生活ってことなので現在の年齢が分かってしまうってもんですね。しっかり中年です。(苦笑)

なぜか外国人と結婚した友人が多く、グラスゴー、北アイルランド(英)、マサチューセッツ(米)などに数ヶ月ずつおじゃまし、先々でバイクを借りて小旅行しました。インバネス(ネス湖のある町です。)とエジバンバラが一番印象に残っています。ヨーロッパの古い街並みは本当に美しかったです。少し走ると牧場や小高い丘などがあり、カントリーサイドと街が隣接しているのも楽しかったです。雨の日に石畳を走るのは少し怖かったですが。

ひょんなことからガールズの母になってしまい、あんなことはもう一生できないだろうと絶望している次第です。バッテリーを生かしておくためだけに、無理矢理スーパーにリュックを背負って買い物に行っていた情けないバイカーだったんです。トホホ・・。

>「クォン・サンウ」さんがお好きとか、板への書き込みもしてはるんですか?
以前は日本で一番メジャーとされてたサイトに書き込んだりしてましたが、管理人さんがお金集めてサンウ氏にプレゼントしたり、会員制秘密板を始めたり、なんだかお商売の臭いがし出して嫌になりすっかり離れてしまいました。なので板からは情報だけ頂いてます。(^^;) ちなみに誰かのファンになる、ということ自体人生で初めてのことです。Muチャ子さんも韓ドラをご覧になりますか?

▼コメント
投稿 Muチャ子 | 2006年5月31日 (水) 01時08分
訪問の先々で油を売るのでこちらへ辿り着くのがいつも深夜なります(^^:) ん?元々夜に強く朝に弱い私で、アクビと共に起床!毎年年頭の誓いが規則正しい生活を心がけるぞ〜ですが実行不可能!(^^;) 皆さんはどうですか??

韓ドラ、題名が定かではないのですが、たしか「美しき日々」だったと…妹が歌手、めちゃすれ違いのドラマで最後はハッピーになる、韓ドラはこれ一本だけ、ビデオでみました。「チャングムの誓い」ご覧になってますか?

▼コメント
投稿 マミー | 2006年6月 1日 (木) 08時38分
Muチャ子さま 「美しき日々」は私もDVDで観ました。TV放映は吹き替えの声優さんが、どうもイメージと違っていたりしてあまり好きになれずにいます。「チャングム」もそんなわけで観ていないんですよ。でも母は「勧善懲悪」が水戸黄門みたいで安心して観ていられる、と言ってました。長編らしいですね。いつか観てみたいと思っています。

今まで韓国映画、ドラマをあわせて200タイトルぐらい観ました。有線が提供している無料配信の「Gyao/ギャオ」は映画もドラマも充実しています。(洋画・日本映画もあり)よく見逃してしまってますが。よろしかったらまたご覧になってみてください。

▼コメント
投稿 Muチャ子 | 2006年6月 3日 (土) 01時21分
な、なんと!韓国産200タイトル!睡眠不足になりませんか?あっ夜型でしたね、納得です(^^;)

> 無料配信の「Gyao/ギャオ」って映画などPCで観れるのですか?「チャングム」は実話らしいです。韓国映画、ドラマ、どうしてこうも人気があるのかなあ?たった1本みただけでは語る資格ないっか(^^;)

▼コメント
投稿 マミー | 2006年6月 3日 (土) 18時05分
今日は学校の参観→スイミング付添→フリマのお手伝い・・と狭いエリアを駆け回ってましたー。暑い一日でしたね。梅雨を通り越して夏が来てしまったような気さえします。

>無料配信の「Gyao/ギャオ」って映画などPCで観れるのですか?
はいそーなんです。居住地域の郵便番号とメアドのみの登録で利用できます。番組の所々で強制的に観せられる広告収入でもっているようです。

もしかすると「cineplayer」などのDRが必要だったかもしれません。(すみません、はっきり覚えてないんです。)勝手にリンクは貼りづらいので、「Gyao」で検索していただければすぐ先頭に出てきます。国内970万人登録!などと書いてあります。(ホントでしょうか?)

国内限定のサービスらしく海外にいる友人たちは残念がってます。実家の〒で登録してもアドレスから海外のものをはじいてしまうようです。著作権の関係かもしれませんね。で、タイトル、あらすじ、レビューだけ読んで楽しんでるようです。それだけ読んでいても結構楽しめます。是非お時間がおありのときに行ってみて下さい。

ところでBOWさまがこんなこと仰ってます。↓ >「BOWさんかBOWさま」とお願いしましたが、「BOWさま」では落ち着かないので、「BOWさん」にしていただけませんか?

悩んでしまってます。Muチャ子さんはどうされますか?

▼コメント
投稿 マミー | 2006年6月 4日 (日) 00時17分
Muチャ子さま
>韓国映画、ドラマ、どうしてこうも人気があるのかなあ?
それは・・。私が思いますには今の日本ドラマにはない、昔の「赤いシリーズ」のような濃ゆ〜いストーリー展開に少女漫画にも似たドキドキ感を盛り込んであるからではないでしょうか。韓ドラの全ての要素がぎゅぎゅっと詰まってるのがクォン・サンウ+チェ・ジウの「天国の階段」です。著作権無視で勝手にBGMや劇中で洋画を使ってるので、日本でテレビ放映された際には音楽差替え、カットだらけでした。 冬ソナもアバの♪ダンシングクイーンで高校生ジウが踊るシーンがあるのですが、NHKは韓POPの音楽に変えたそうです。なので口と音が合ってなかったとか。やっぱりノーカット版・字幕で観るのが最高です!

騙されたと思って是非「天階」をご覧下さい。そして韓ドラにも全く無かった作りの「私の名前はキムサムスン」はもう面白さ200点満天のドラマでした!!何度でも観たくなります。去年韓国では社会現象にまでなり視聴率40%超えをしたドラマです。こちらも是非!!主演のキム・ソナは高校生まで東京に暮らした人です。「三順/サムスン」はダサい名前の代名詞らしいのですがそのニュアンスが分かりたくてハングルの勉強を始めることにしました。イバラの道です〜。

・・・とこんなことを言っては友人たちを韓ドラワールドに引き入れてきた実績あり!の私です。今夜もGyaoで土曜更新の「ピアノ」を見なくっちゃ!です。


◆サイトの開設と改変までの経緯 2006年5月15日 (月)

このブログを開設する前に、これまで開いてきたサイトを見直し、新しく大容量のサイトを開設することにしました。というのは、10年前からの「中之島のBOW」に余りにも多くのタイトルを収めて来たので、分かり難くなったことと、これから増やして行こうと思っている映像関係のタイトルは使用容量が膨大になるからです。

そこで、パソコン通信時代から会員であるNiftyを訪れ、その中で2GBもの大容量提供のあるLaCoocanというホームページサービスを見つけ、5月10日に「BOWの映像」を開設しました。

次に、5年前に友人のサイト開設の際にその練習用に作って、その後放置したままでいた「BOWの部屋」をチェックし、これを歌とエッセイに特化したサイトに改造することにしました。「中之島のBOW」を基地として残し、この両サイトを充実させることにしばらく取り組みます。

2006年5月15日 (月) サイトとブログ | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)


◆ブログ開設 2006年5月15日 (月)

大容量サイトを開設に続いて、今話題のブログも開設する気になり、これもNifty会員であればややこしい手続き無用で、広告も入らないココログを選び、5月13日に、この「エンジョイBOW」を開設しました。

よく分からないまま深夜に最初の記事を書きました。一夜明けると「新しいコメントがつきました」のメールが飛び込んできて、ブログを覗いてみると、本当にコメントが書き込まれていて、驚くやら嬉しくなりました。

それにしても、どうしてこんなに早く書いた記事が目に留まるのか不思議です。これもブログが流行っている理由の一つなのでしょう。10年前にサイトを開設した頃は、「こんな記事を載せたから見て見て」とメールを送っていたものでした。

プロフィールを記入するページがあることを見つけ、これに書き込んだり、マイリストというコーナーがあることを見つけ、そこに私が開設しているサイトをリストアップし、簡単な紹介をつけました。このブログの記事は当分サイト開設改変の記録になりそうです。

2006年5月15日 (月) サイトとブログ | 固定リンク | コメント (2) | トラックバック (0)


▼コメント
投稿 musi | 2006年5月18日 (木) 01時09分
すばやいコメント拝読!「こりゃ目が離せんわい!」と心臓パクパク(^^;) 楽しみです!!

▼コメント
投稿 BOW | 2006年5月18日 (木) 21時44分
musiさんもお出ましで、春ですね! ありがとうございます(笑)。愉快なお友達にもケッサクを書き込んでもらえないかな!? 一度直接ゲラゲラ話を聞きたいものです(笑)


◆サイトトップページの作成と改変 2006年5月15日 (月)

私はサイトのトップページを大切に思ってきました。シンプルで、内容が分かりやすく整理されていて、サイトの中で迷うことがあっても、トップページに戻れば解決できるようなものが望ましい。

カラーは暖色系が好みなので、3つのサイトの背景を、ベースサイトである「中之島のBOW」は薄い黄色、「BOWの部屋」は普通の黄色、「BOWの映像」は濃い黄色にしました。

「BOWの部屋」は歌と思い出、エッセイ、リンクという3つのカテゴリーだけを載せた単純明快なものにし、気に入った絵を中央に置き、BGMには分散和音のきれいなメンデルスゾーンの「歌の翼に」をつけました。それぞれのカテゴリのページは、「BOWの部屋」の「音楽」と「エッセイ」のジャンルから、こちらへ選択して掲載しようと思っています。テキストファイルで容量を余り消費しないので、それは可能ではないかと思っています。

「BOWの映像」は映像というカテゴリーの中で、これから掲載していこうと思っている大阪の風景、イベント、旅の光景、静物、病気の図譜、ムービーという6つのいジャンルとその説明という「中之島のBOW」のトップページを単純化したものにしました。

BGMは心にしみ込んでくるパッヘルベルの「カノン」を選びました。「中之島のBOW」のBGMはドビュッシーの「月の光」です。私はこのBGMが一番のお気に入りです(笑)。

ここへは、「中之島のBOW」から映像関係をすべて移植し、それに新しい映像を加え、将来はムービーも予定しています。「中之島のBOW」の映像は大容量のファイルは削除してこちらへリンクする形に変更しようと考えています。

2006年5月15日 (月) サイトとブログ | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)


◆リンクカラーの変更 2006年5月15日 (月)

インターネットの最大の魅力の一つは、リンクを張られた文書や画像にクリック一発でジャンプできるハイパーリンクにあると思います。このリンクカラーについて、「未訪問」「訪問済み」について、それぞれ色を変えておくことが望ましいとされてきました。

10年前にサイトを開設して以来、それを忠実に守り、「未訪問」は規定値の「青」、「訪問済み」は「緑」としてきました。これによって確かに「未訪問」と「訪問済み」の区別は明らかで便利なことは間違いありません。

しかし、青字と緑字の混在は、決して美しいものではありません。最近は他のサイトでこの区別をつけないところが多く見られるようになりました。ブロードバンドが普及した現在、検索サイトなどは別として個人のサイトでは、見た目優先で「未訪問」と「訪問済み」の区別をつけなくてもそれほど支障はなく、許されるのではないかと考えました。

そこで、昨日「中之島のBOW」の320のHTMLファイルのすべてについて「訪問済み」の「緑」を「未訪問」と同じ「青」に書き直しました。かなりきつい作業でしたが、その結果まっさらさらのサラに変身しました(笑)。

2006年5月15日 (月) サイトとブログ | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)


◆リンク下線の修正 2006年5月15日 (月)

初期値ではリンクの部分に下線が付くようになっていますが、これは見慣れてくると目障りなので、スタイルシートを使って、付かないように改変してきました。

しかし、マウスが乗ったときだけ下線が出るリンクにすると便利なので、ベース・サイト「中之島のBOW」の改変作業の一つとして、これも加えました。

上のスタイルシートをとの間に置くだけのことです。ただし、これを300以上のHTMLファイルに入れる肉体労働は、古希老人にとってかなりキツイ作業ではありました(笑)。

その甲斐があって、スッキリで便利なリンクに仕上がりました。

2006年5月16日 (火) サイトとブログ | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)


◆メニュー画面をシンプルに 2006年5月16日 (火)

私は何ごとにも「Simple is the best」と思う性格ですが、現実はそうもいきません。いまベース・サイト「中之島のBOW」の改修工事を始めてみて、無駄なものがまだまだ残っているのを知り、この際無駄を省くことに努めてみました。

具体的には、1)メニュー画面のカテゴリーの整理と、2)冗長なことばを書き換えること、3)意味の少ない記号や番号を取り除くことです。

もちろん、これらを行なえば、それに関連して手直しをしなければならない箇所が出てきます。「チェック嫌いな人間」には、これは苦痛で、チェックもれはたくさんあると思います(笑)。

2006年5月16日 (火) サイトとブログ | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)


◆ブログの面白さが少し分かった! 2006年5月16日 (火)

ブログはホームページを持てない人のための簡易HPだろうと思い込んでいたのですが、最近大流行というので、どんなものかと試してみました。

わけが分からず、とりあえずはサイトの開設や改修作業の記録に使っている内に、「リンク」がいとも簡単につけることができることを活用すれば、自分の過去に書いたものへの引用へのリンクや他のサイトの記事の引用のためのリンクが、何の抵抗もなくできることを実感し、ブラボー!です。

「BOWのひとりごと」という自分の掲示板を持っていますが、ここでは記事の中でリンクを付けることはできません。このブログと比べれば、リンク機能が付いていないのはずいぶん不便です。そろそろ閉鎖も検討しようかなという気持になってきました(笑)。

2006年5月16日 (火) サイトとブログ | 固定リンク | コメント (6) | トラックバック (0)


▼コメント
投稿 Muチャ子 | 2006年5月17日 (水) 02時24分
Muチャ子も、意味は落ちますがブログの面白さには同感です!知れ渡るとお忙しくなりますよ〜ブログでいろんな方々と会話が出来るのですから、横から割り込まれたりしますが、これも又楽しいもので〜す。 HP拝見!花○!でしたー!

▼コメント
投稿 BOW | 2006年5月17日 (水) 22時44分
Muチャ子さんはブログの大先輩ですね!どうかよろしくお願いします。HPの表紙をご評価いただき、ありがとうございました。

▼コメント
投稿 musi | 2006年5月18日 (木) 01時16分
> そろそろ閉鎖も検討しようかなという 気持になってきました(笑)。
こちらも面白そうだしどうなるのでしょう...

▼コメント
投稿 BOW | 2006年5月18日 (木) 21時48分
T-baさん不在中に閉鎖をするわけにも行かないので、カムバックされたら、BBSは終りにしようと思っています。そろそろ潮時じゃないかな?

▼コメント
投稿 musi | 2006年5月20日 (土) 01時38分
同じ書き込みでもBBSとブログでは違うような感じを持っています。姉寅さまのお帰りがチト遅れそうですが、待つわ待つわドレミです(^^;)

▼コメント
投稿 BOW | 2006年5月20日 (土) 08時25分
それまで私も待つことにします


◆小学4年クラス会の記録をUP ■2006年5月21日 (日)

5月19日に神戸の須磨であった小学4年のクラス会の記録を「中之島のBOW」にUPしました。敗戦の翌年、今から60年前に男女共学のモデルケースとなったクラスで、楽しく遊び、学んだ恩師とクラスメート40数名の後日談です。酒、歌、女に分けて書いています。お読みいただき、ご感想を書き込んでいただければ嬉しいです。

2006年5月21日 (日) サイトとブログ | 固定リンク | コメント (2) | トラックバック (0)


▼コメント
投稿 Muチャ子 | 2006年5月23日 (火) 02時43分
02年、03年共に!まれに見る素敵な教師とよい子の集まりに妬みちょっぴり含め「スバラシイ!」と呟きながら、拝見しました。皆さんとってもいいお顔です!写真がこれ又いい味出していますね。羨ましく拝見しました。現役の教師と生徒に読んで頂きたいと切に思いました、すがすがしい気分になりました。ありがとうございました。

成せば成る!オマケだって付いてきます!!

▼コメント
投稿 BOW | 2006年5月23日 (火) 21時42分
妬みちょっぴりですか!(笑)。嬉しいですね!ほんとうに私たちは運が良かった、幸せだったと思っています。オマケ 欲しいです。けれど、なくてもあきらめます。クラス会をたくさん見て下さったのですね、ありがとうございました。


◆BOWの部屋を改修しました 2006年5月23日 (火)

BOWの部屋のエッセイのコーナーを模様替えしました。ベース・サイトの中之島のBOWのエッセイのコーナーとまったくタイプを変えてみました。微調整は必要ですが、この線で行こうと思っています。一度覗いてやって下さい。

2006年5月23日 (火) サイトとブログ | 固定リンク | コメント (2) | トラックバック (0)


▼コメント
投稿 musi | 2006年5月27日 (土) 02時52分
アレ??ブログから「BOWの部屋のエッセイのコーナー」へジャンプしないのですがmusiのやり方が悪いのかなぁ、それとも改装工事でしょうか(^^;)

▼コメント
投稿 BOW | 2006年5月27日 (土) 08時30分
ありがとう! musiさん 改装工事でファイル名を変えたのをこちらに反映させていなかったのです!このドジは何回やっても直りませんね(笑)。こどもの頃から満点をとれないのが私の欠点、開き直るのが私の要領の良さ(笑)。いつも教えて下さり、大感謝!!


◆部屋と映像の改修工事終了 2006年5月28日 (日)

慣れないブログでもたもたしたり、コメントに喜んでいる内に、新しい記事を載せていないことを忘れていました。(笑)

「BOWの部屋の歌のいずみ」と「BOWの映像」の改修工事を昨日終えました。ただ、ベースサイトからの移植だけで、新規の記事がないのが口惜しいです。近日中に、映像関連で新しい記事を掲載します。宣言をまずしておいて、それから逃げられなくする癖はいつまで経っても直らないようです。(笑)

2006年5月28日 (日) サイトとブログ | 固定リンク | コメント (28) | トラックバック (0)


▼コメント
投稿 Muチャ子 | 2006年5月29日 (月) 01時59分
>映像関連で新しい記事を掲載します。宣言をまずしておいて、それから
Fufufuやはりそうですか〜HPを再々訪問しエッセイは何度も拝見しているんですもの、よーくわかります(笑顔)お待ちしていま〜す。

▼コメント
投稿 BOW | 2006年5月29日 (月) 22時50分
そんなにご訪問頂いているのですか!? ありがとうございます! 古希からはタイムスケジュールを決めない、決めても守らないと宣言したのに、習い性は簡単には直らないものですね(笑)。宣言する方がやり易い。(笑)

▼コメント
投稿 マミー | 2006年5月29日 (月) 23時56分
>宣言をまずしておいて、それから逃げられなくする
私はできるだけ、「逃げ」も可な、ぬる〜い状態に身を置きたいのでBOW先生とは真逆な人生を歩んでおります。でもちょっと改心して明日は「今日はお掃除を頑張ってします!」と家族に宣言してみようかな・・・。誰も応援してくれそうにないのがつらく、空しいところですが。
新しい記事、楽しみにお待ちしてまーす。

▼コメント
投稿 Muチャ子 | 2006年5月31日 (水) 00時08分
マミーさんエライ! お掃除宣言されたのですか!?そうですよねぇ、だーれも手を貸してくれないのが辛いところですよね。その代わり口だけは出す!結局空振りの繰り返しでーすトホホホ BOW株式会社はすごいですね!七色の泉が吹き出しているようで私も寝不足気味でーす(^^)楽しみですね!

▼コメント
投稿 BOW | 2006年5月31日 (水) 00時18分
5月も今日1日となりましたね! 5月はバラの季節です。今日中に(6月に変わるまでに)中之島バラ園の記事をUPします、と宣言しておきます。もし、できなければ「古希老人には無理だと思っていた」と笑って下さい。

▼コメント
投稿 musi | 2006年5月31日 (水) 01時15分
笑うことなく月が変わると確信!!(^_^)v

▼コメント
投稿 BOW | 2006年5月31日 (水) 20時13分
頑張ったら何とかできました。(笑)

▼コメント
投稿 musi | 2006年6月 1日 (木) 00時52分
超特大迫力にビビリながらうっとり(^^)

▼コメント
投稿 マミー | 2006年6月 1日 (木) 08時32分
サクっと開けました。バラが本当に美しいですねー。接写もお上手ですが、風景の写真の構図が素晴らしいですね。遠景・近景のバランスがよいので気持ちよく見られます。絵はがきみたいです。

子供の頃から高校生まで絵をやっていたので地面と空の境界が画面のどこらへんにきているかなど、見たときに落ち着く位置が自分の中で決まっているようです。

・・と言って私に写真の才能は皆無で、いつも「気持ち悪い」仕上がりになってます。BOW先生のカメラマンセンスはすごい!と思いましたー。

▼コメント
投稿 BOW | 2006年6月 1日 (木) 11時59分
>サクっと開けました
良かった!10年前にこんなファイルをUPしたら、ダウンロードに10分くらいはかかって、皆からブーイングでした!! musiさんならお分かりですね(笑)

>BOW先生のカメラマンセンスはすごい
ヒヤ〜 ドウモドウモです。 あの〜、書きにくいでしょうけど、BOW先生はここでは止めて、BOWさんかBOWさまにしていただけません?坊さん、某さんはちょっと困りますが(笑)

▼コメント
投稿 マミー | 2006年6月 1日 (木) 13時03分
【BOWさま】・・と書くとドキドキしてしまいますが、
>BOW先生はここでは止めて、BOWさんかBOWさまにしていただけません?

了解です。そうですねー。クーキ読めなくてすみませんでした。管理人様をなんとお呼びすればよいのか、実はちょっと悩んだんですが。今日まで「BOWさま」とお呼びする勇気がありませんでした。OK出していただいて、嬉しいよーな、照れるよーな。大変失礼しましたー。
これから「BOWさま」と書くたびにドキドキしちゃいそうです。(#^.^#)

▼コメント
投稿 BOW | 2006年6月 1日 (木) 13時47分
>これから「BOWさま」と書くたびにドキドキしちゃいそうです

読むたびに、ニコニコするでしょう(笑)。ご無理お聞き届け頂き感謝!!

▼コメント
投稿 musi | 2006年6月 3日 (土) 00時39分
どのようにお呼びすれば…とお悩みのマミーさんのお気持ちよーくわかります。ほんとmusiも悩んでいました(^^;)お陰様で決まりですね。「BOWさま」初めて書きますが心臓パクパクドキドキでキーを叩く指がすべっちゃう〜〜!

▼コメント
投稿 BOW | 2006年6月 3日 (土) 08時10分
何度もゴメンナサイ! 「BOWさんかBOWさま」とお願いしましたが、「BOWさま」では落ち着かないので、「BOWさん」にしていただけませんか?その方が、私も「Muチャ子さん」「マミーさん」「musiさん」と書きやすくてありがたいのです。それとも「Muチャ子さま」「マミーさま」「musiさま」とお書きしましょうか?

▼コメント
投稿 マミー | 2006年6月 3日 (土) 17時09分
>「BOWさま」では落ち着かないので、「BOWさん」にしていただけませんか?

え〜っ!!どうしましょ・・。そ、そんなことできるでしょうか・・。「BOWさま」もとても勇気のいる呼び方でしたので。

musiさん、いかがです? 私は皆さんについてゆくことにさせていただきます。どうかご決断のほどを!

▼コメント
投稿 musi | 2006年6月 4日 (日) 02時28分
オヨヨヨ…えらいこっちゃ!エーイ!ここは目ぇつむって息止めてっと思い切って「BOWさん」でいきましょう。ネ!マミーさんBOWさまのご希BOWを優先しましょう(こちらを さまで書きますなんて脅すんですもの…ブルブルイヤだよん)さー勇気を振り絞って「BOWさんこれからもよろしゅうにおたの申します」すみません!

▼コメント
投稿 マミー | 2006年6月 4日 (日) 08時11分
息止めて せーーのっ 「BOWさん!!」 (わーーん、すみませんー。)ですね。了解しました。私も「さま」だなんて、滅相もないですー。では「BOWさん、今後ともどうぞよろしくお願いします」すみませ−−ん!

▼コメント
投稿 BOW | 2006年6月 4日 (日) 09時01分
お二人さん、アリガトウ!!
musiさま、マミーさま と書かずに済みました(笑)。今ブックレビュー見終わったばかりです(笑)。

▼コメント
投稿 mudi | 2006年6月 5日 (月) 02時46分
あのーーもう一度提案です。どうも、書きにくいのですが「BOWどの」ではいけませんか?やはり「BOWさん」ですか?マミーさんはどう思われます?(^^;)

▼コメント
投稿 BOW | 2006年6月 5日 (月) 15時03分
私がしょうもないことを言い出したため、話が変なことになってしまい申し訳ありません。ここで発想を全く変え、ドットなしの「DrBOW」は如何でしょう?これなら、私はOKです。

▼コメント
投稿 マミー | 2006年6月 5日 (月) 20時22分
>ドットなしの「DrBOW」は如何でしょう?
了解しました。「ドットなし」なんですね?早速単語登録しまーす。
musiさま 私もちょっと「BOWさん」とは書きにくくてとまどっておりました。「DrBOW」をご希BOWとのことで、ほっとしてます。「BOWどの」もよい感じ!と思いましたが、「マミーどの」と書かれてしまう心配が少しあり、、。
ところでmusiさんも「mudi」さんにご変更なのでしょうか??

▼コメント
投稿 マミー | 2006年6月 5日 (月) 22時17分
DrBOW
あのぉ〜、どうでもよさそうなことなんですが・・。
以前に「小児科独習法」の空ディスクをお送りになってしまったお話の中で、電気屋さんのあと、確か郵便局へ行かれたようなことを書かれていましたよね?

ネットオークションマニアの私は郵便局へ足を運ばれたことがちょっとひっかかってました。「不用品を家から失くす」ことを目的に毎月30〜80ぐらいの荷物を発送していますが落札者さんの希望で約8割クロネコメール便を利用しています。なぜメール便に人気があるかというと普通郵便より安いというのもありますが、

利点その1)普通郵便もメール便も補償なしにかわりありませんが、メール便はバーコード追跡ができます。 利点その2)80円1通でも無料で集荷に来てくれます。(*これは発送者の都合ですが足を運ばなくてよいのは楽です。)コンビニでも受け付けています。 利点その3)宅配便とほぼ同じスピードで届くのでたいてい翌日、遅くとも翌々日には届くので、郵便局からなら速達扱いに匹敵すると私は感じてます。*但しメール便は厚み【2p以内】という規定ありです。

重さにもよりますが
50gまで   郵120円  メ便80円、100gまで  郵140円  メ便110円

一番差が開くのがこういうときです。
250gを超えて500gまで郵390円、300gまでならメ便160円

メール便は馴染みが無いとなかなか利用されることもないでしょうが、大量発送される折などには使ってみられるのもよいのでは?と思ってしまった、大阪のおばちゃん的お節介魂のマミーをお許し下さい。

▼コメント
投稿 BOW | 2006年6月 5日 (月) 22時45分
いや〜知らなかったですね、メール便なるものを!勉強になりました!!
ところで、郵便局ですが、この郵便局は、そんじゃそこらの郵便局と違って、大阪中央郵便局なんです!この中にあるポスト?に放り込むと、とにかく早く届くのでビックリしてからは、急ぐ場合はここへ持参しています。と言っても車で10分、「制作終了即中央郵便局」というのが、大事な緊急を要する場合の現在のやりかたです。

宛名や差出人もPCで印刷したラベルシートを張るだけなので、手書きより間違いが少なく早いのですが、、、メール便もPCで印刷したシールを張るのでも良いのですか?電話をすれば、直ぐに取りにきてくれるのですか?

▼コメント
投稿 マミー | 2006年6月 5日 (月) 23時09分
DrBOW
>メール便もPCで印刷したシールを張るのでも良いのですか?
手書き、シール、なんでもOKです。宅配便のような専用伝票はありませんので。ただ、「信書ではありません」というようなのにチェックを入れる用紙だけあります。その用紙にバーコードラベルがついていてそれをペロっと剥がして荷物に貼り付けはります。取次店から出すときと、集荷に来てもらったときでは用紙の種類がちょっと違いますが、集荷用は複数でも数量を1枚に書き入れるだけで楽です。予めたくさんその用紙を貰っておくと準備して待てます。

>電話をすれば、直ぐに取りにきてくれるのですか?
すぐっていうのは無理かもしれません。だいたいの時間をこちらから希望して伝えています。 フリーダイヤル0120-11-8010(いいヤマト)です。

ちなみに、CD・DVD・ビデオテープなどの電磁媒体も郵便では「冊子小包郵便」扱いにできるように去年の春ぐらいから改定されました。便宜上少し封を開ける必要がありますが、普通郵便より安価です。なので、お送りになるものによって、一概にメール便の方が安価とも言い切れません。ですが経験から本などを送る際にはたいていメール便が勝利してます。500gを超えて1sまで冊子小包郵便340円(定形外郵便だと580円)・メ便600gまで210円、1sまで310円です。こんなことが空で言える私は発送オタクです。(笑)

すみません、郵便局といってもそんじょそこらの郵便局とは違うんですね。【中央郵便局!!】なんですね。それでしたらそちらの方がスピーディかもしれません。田舎暮らしの私には想像もつきませず、失礼致しました〜。

▼コメント
投稿 musi | 2006年6月 6日 (火) 00時20分
「DrBOW」
慣れるまでちょこっと時間が必要ですが了解しました。DrBOWは(う〜早く慣れなくては)嬉し楽しい『会』の目白押しでお忙しそう、これもエンジョイ!楽しい思いと笑ってくらせば寿命は延びます!曾ばあちゃんがよく言ってました。

マミーさん・Muチャ子さん
我々は「さん」付けでいきませんか?私に「さま」は似合わないのでがす(^_^;)

>「mudi」さんにご変更なのでしょうか??
ギャー又やってしもうた!チョンボしました〜こんな調子のmusiです。よろしく!

メ便、利用したことはありますが、、、お詳しいのにびっくりしました。勉強になりました。ありがとうございました。

▼コメント
投稿 Muチャ子 | 2006年6月 6日 (火) 00時40分
ご無沙汰Muチャ子です。
「DrBOW」了解しました。圭先生のHPが更新され今はそちらへ…musiさんもではありませんか?(^o^)

マミーさんはもの知りですね!教えられる事ばかりです。やはりブログはいいですね、DrBOWに感謝です(^^)/いずれお仲間も増えることでしょう。あせらずお待ちしていま〜す。

▼コメント
投稿 マミー | 2006年6月 6日 (火) 02時17分
たいがい、もう寝なくちゃ!な時間ですが。夜はY!オクなど3つのサイトで落札されたものの梱包とメール連絡に追われてます。(金額的にはとってもちょっぴり・・・な内職です。)その変わり、いらないものがどんどん減っていく爽快感があります。で、「超整理術」の一貫としてやめられずにいます。オク歴(発送歴)4年です。

musiさん
>我々は「さん」付けでいきませんか?私も全く「さま」はこそばゆいので「さん」または何もなしの「マミー」でお願いします。musiさんのままでよかったんですね。小姑みたいなツッコミしてしまいゴメンなさーい。

「メール便」熱く語りすぎてしまってすみませんでしたー。お節介は関西人の性とお許しを。お得なのにオク参加者以外は、あまり一般に利用されていないのが、なんだか勿体無く思えて・・。

「安く送る」というのは実はオークションで落札されやすくするための重要なポイントなんです。もう1つ「手数料無料で代金を振り込めるか」というのと並んでなのですが。

イーバンク、新生銀行、りそな銀行、三菱東京UFJ銀行(先月5月22日にスタートしたばかりのサービスです。)が、今手数料無料で振込みができる銀行です。安い郵貯口座間でもネット110円、ATM130円かかりますから「無料」は魅力なんです。特に「新生銀行」はスゴイです。他行あてでも月に5回まで300円の手数料が無料になるんです。その他3行は同じ銀行どうしのみ無料です。この4行を支払い受け入れ口座として商品説明に明示しておけば、それだけで付加価値になります。

・・とお得なことはなんでも伝えずにはいられないお節介のマミーです。
*上記4行には口座維持手数料はありませんが、サービス規定が変更になるなどリスクはあると思います。
*イーバンクも新生銀行も実店舗がほとんど無いネットバンクのようなものですが、郵便局のATMやコンビニのセブン銀行のマシンで無料で入金できます。おろすときには手数料がかかるかもしれませんが。

・・・とMuチャ子さんがほめて下さったのでまた調子にのって書いてしまいましたー。でも私の知ってることってこれで全て終了です。失礼しました。

▼コメント
投稿BOW | 2006年6月 6日 (火) 09時35分
>>「mudi」さんにご変更なのでしょうか??
>ギャー又やってしもうた!チョンボしました〜
「類は友を呼ぶ」で、musi T-ba BOW のチョンボ連発には、誰もが慣れっこ。(笑)


◆高層階からの眺望をUPしました 2006年5月29日 (月)

37階マンションから見える眺望はまさに鳥瞰です。それを北西、西、西南、南、南西の方向から撮影した写真でご紹介しました。「BOWの映像」の高層階からの眺望がそれです。

関心のない方には、読むのも煩わしい解説と思いますが、実のところ、これはかなりの労作なんです。こちらへ転居して地図や実地で何度も確かめたビル情報などのまとめです。

だから、このまとめが一番必要な人間は書いた本人です。しかし、いつもの記事と同じで、自分のためにまとめたものが、もし、誰かのお役に立てば望外の幸せです。

2006年5月29日 (月) サイトとブログ | 固定リンク | コメント (7) | トラックバック (0)


▼コメント
投稿 マミー | 2006年5月29日 (月) 23時48分
BOW先生
画像と結論だけ読ませていただきました。大阪は地理上も合理的に作られた街なんですね。(また後日ゆっくり拝見したいと思います。)
スカイビルがもうすぐそこなんですね。本当にすごい眺望ですねー。そして「夜景」もとても綺麗。田舎暮らしの私には、別世界でした。

▼コメント
投稿 BOW | 2006年5月31日 (水) 00時06分
お忙しいのに、気を使って頂いて申し訳ないです!ホームページへのUPは、全部自分のためのまとめなので、無理をしないで下さいね、お願いします。

▼コメント
投稿 マミー | 2006年6月 1日 (木) 08時58分
>無理をしないで下さいね
とんでもないです。勝手に楽しませていただいてます。何しろ憧れの「都会生活」ですから興味津々です。なのでどうぞお気遣いなく。

▼コメント
投稿 BOW | 2006年6月 1日 (木) 12時15分
>何しろ憧れの「都会生活」ですから興味津々
良かった〜!!それじゃ、散歩道、橋、建物、公園など、載せて行きますね。(笑)

▼コメント
投稿 マミー | 2006年6月 1日 (木) 13時37分
お言葉に甘えてリクエストがあるんですが。ラッキー系列のお気に入りのスーパーがあると仰ってますよね。どんな感じのお店なのかすごく興味があります。是非画像をUPして頂けませんか?産業スパイと間違われないように、撮影してきて下さいねー。私はスーパー大好きで、以前はなかなか売っていなかった「ベーグル」を求めて、京都「MEIDIYA」なんかに出かけてました。

イギリス人や、オージーも好んで食べている「MARMITE/マーマイト」もなかなか出会えなくて。見かけは海苔の佃煮のようですが、トーストにつけて食べると好きになる人にはウケます。吐き出し派と5:5ですが。夫と子供の1人は後者です。なので小さなデータの統計上半々です。(笑)友人のアイリッシュのお母さんによるとマーマイトは「万病予防」の食品らしいです。真偽のほどは「?」ですが。こちらも売っているかどうか是非チェックしてみて下さい。(黄色の蓋の小さな瓶詰めです。)スーパー探訪はスルーして頂いてよいので、もし機会があれば・・・ってことで。

▼コメント
投稿 BOW | 2006年6月 1日 (木) 13時58分
>お気に入りのスーパーがある
何しろ、スーパーはここが始めてだったので、井の中の蛙かもわかりませんが、

>産業スパイと間違われないように、撮影して
BOWはノミの心臓なんです、そんな大それたこと勘弁下さい!外観や駐車場なら大威張りで撮ってきますが、、、「ベーグル」と「MARMITE/マーマイト」ですね、覚えておきますね。

▼コメント
投稿 マミー | 2006年6月 1日 (木) 14時06分
リアルタイムでレスを頂きありがとうございます。「ベーグル」はいまどきどき生協をはじめ、たいていのスーパー、パン屋さんに売ってますのでチェックしないで下さいねー。7,8年ほど前までは輸入の冷凍モノしか買えなかったんですよ。


◆中之島バラ園をUPしました 2006年5月31日 (水)

バラの季節5月が終わらない内にと頑張って、何とか「中之島バラ園」をUPしました。鳥がバラ園を上空から眺め、地上に降りてきて、バラ園の中を見て歩き、一つ一つのバラの花をアイウエオ順で紹介するという趣向です。おまけもつけておきました。大きな写真が45枚で、ちょっと重いのですが、見て下さいね!

2006年5月31日 (水) サイトとブログ | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)


◆BOWのひとりごと を続けます 2006年6月 1日 (木)

このブログを作った時に、私の出藍の弟子T-baさんのWeb復帰を待って「BOWのひとりごと」という掲示板を閉鎖しようと思いました。

しかし、ブログに少し慣れてくると、「掲示板」にはブログにない良さがあることが分かり、5年5ヶ月間の自分史のデータとしても貴重であることに気づきました。そこで、BOWのサイトの一員として陽の目に当ててやろうと、他の4サイトでもこれにリンクを張りました。

この掲示板は誰でも読むことはできますが、書き込みはASAHI−NETの会員しかできません。これは、欠点でもあり長所でもあります。

5年5ヶ月で2400件の書き込みがありました。かってはたくさんの方が来られていましたが、最近はmusiさんのほか、T-baさんという方が常連です。よろしければ、お立寄り下さい。


▼コメント
投稿 musi | 2006年6月 3日 (土) 01時26分
ブログとは違った魅力があります。何はともあれ良かった!です。BOWさまのご決断にカンパ〜イ!

▼コメント
投稿 BOW | 2006年6月 3日 (土) 08時02分
決断とはちょっとオーバー!!ハヤトチリに気づいただけ(笑)


◆中学の古希同窓会 2006年6月 5日 (月)

昨日は中学の古希の集いがあり、神戸のポートランドへ行ってきました。来月は高校の古希クラス会、再来月は大学の卒後45周年同窓会と学校関係の行事が目白押しです。

昨日は、生まれて始めてクールビズなるものを着て出席しました。前日に買ったばかりで、ちょっと落ち着かぬ気分でした。

私のクラスは12名出席で、8学級の内では2番目に出席者が多く、他のクラスにも54年ぶりに会う同窓生がかなりいて、小学4年のクラスとはまた違った楽しさがありました。


▼コメント
投稿: musi | 2006年6月 5日 (月) 23時57分
ワイドで拝見!しました(^o^)  54年ぶりにお会いになってすぐピンとおわかりになられたのですか!?  お忘れですよ〜ハサミ!fufufu

▼コメント
投稿: BOW | 2006年6月 6日 (火) 09時20分
54年ぶりでも分かる者はいました。半々くらいかな。全くのお婆さんになっていて、愕然となってしまった女の子もいましたが、、、

カニポーズはあの頃はしていなかったので、やれば、「何やそれ!頭おかしなったんちゃう?」と心配されるのがオチだったでしょう(笑)。


◆ハンドルネームBOW 2006年6月 8日 (木)

先日来私への呼称で「先生、さま、さん、どの」騒動を起して申し訳ありませんでした。DrBOWで1件落着とはなったものの、この機会にハンドルネームBOWについてふり返ってみました。

最初は、ここに書き込む程度と思っていたのが、例によって深追いをしてしまい、結局Webサイトに載せました。ご興味がおありでしたら、お読み下さい。中之島のBOW、BOWの部屋のどちらにも載せています。

明日から、大きなプロジェクトに取り組もうと思っています。それはハイビジョンの撮影、編集、保存です。ブルーレイディスクに書き込みができるパソコンが発売されることになり、先行予約を受け付けているので予約しました。DVDの時よりも数倍しんどいのは覚悟で、これを最後の大きなチャレンジにしようと思っています。 書かなくても良いのに、書いてしまう悲しい性ですね(笑)

2006年6月 8日 (木) サイトとブログ | 固定リンク | コメント (9) | トラックバック (0)


▼コメント
投稿 musi | 2006年6月10日 (土) 16時24分
DrBOW…ドックボウさん(^_^)v
たかがハンドルネームされどハンドルネーム!でこうも奥深い経緯があったのかと驚きながら楽しく読ませて頂きました。

又々もの凄いことを始められるのですね。こう書いている間にも作業はチャクチャクと進んでいることでしょう。思い立ったら即行動にお移しになられる!このいさぎよさ!に最敬礼のmusiです。

▼コメント
投稿 BOW | 2006年6月10日 (土) 22時16分
>ドックボウさん
「ドッグボウ」と違うか?と眼鏡を外して確かめ、濁点がなくてホットしました。(笑)

今朝、面白いことを思いつき、脱線して調べていました。2〜3日後に、予想が当っておれば(いや当っていなくても)ここへ書き込みますね。サイトを持っている者には興味があるはずです。

一大プロジェクトは、今度はちょっと落ち着いて、進めて行きます。アルツハイマー気味の部分をWeb記録でカバーするという、何時もの生活の知恵を活用して、、、(笑)

▼コメント
投稿 Muチャ子 | 2006年6月11日 (日) 03時08分 >
DrBOWさん、ハンドルネームエッセイ興味深く読みました。ちなみに私は無茶子ですが、ちょっとハイカラに!?「Muチャ子」としただけの単純バカでごじゃります(^o^)

一大プロジェクト、、、どんな形でUPされるのか、その時は見てみてコールして下さいね(^o^)

マミーさん
オク歴スゴイですね〜お店はどこで?オークションに参加したことはないのですが。「ギャオ」登録しました〜PC画面で2時間はちょっとしんどいですが、マミーさんは何かほかの方法でご覧になっているのですか?

▼コメント
投稿 BOW | 2006年6月11日 (日) 11時26分
>私は無茶子ですが、ちょっとハイカラに!?「Muチャ子」としただけ
予想していました、ヤッパリでした。(笑)

>一大プロジェクト、、、どんな形でUP
いや〜、これは技術メモが中心で、関心のある方には興味があったり、お役に立つこともあるかも分からない代物になると思います。

案外これが検索でひっかかり、質問があったり、役に立ったと感謝メールを頂いたりするのです。3年前のDVDの時がそうでした。

▼コメント
投稿 マミー | 2006年6月11日 (日) 22時20分
DrBOW
HN,奥深いエピソードがあったのですね。「ハイカラ」なお名前、羨ましいです。私も名前では、特に旧姓の頃はからかわれっぱなしでしたので少しお気持ちが理解できました。でも時がたつと不思議なもので子供時代、あんなに嫌だった自分の名前やあだ名も愛着が湧いてくるものですね。私のHNは子供たちが呼んでるそのままでつまりませんよね。察していただけそうな、安直なHNにしてしまいましたー。もっとひねってみるべきでしたね。

>3年前のDVDの時がそうでした。
購入したDVDが壊れてしまわないようにバックアップを自分なりに作っていますが、shrinkを使った1枚から1枚へのコピーの方法しか知りません。「2作品を1枚に」とかしてみたいのですが・・。是非DrBOWの「秘伝書」読ませていただきたいです!!今でも読ませていただけますか?探してきます。

Muチャ子さま
ギャオ、登録されたのですね。活用いただけて嬉しいです。

>PC画面で2時間はちょっとしんどいですが、マミーさんは何かほかの方法でご覧になっているのですか?
私もドラマの1時間はともかく、映画はキツいです。椅子をリクライニングのものに変えただけで、フツーに観てます。GyaoもたぶんPCに読み込ませたり、それをDVDに焼いて保存できると思うのですが、その技を知らないので更新されるまでに目当ての作品を必死で観てます。1週間、すぐ過ぎてしまうんですよねー。いつか研究してみたいと思ってます。(DrBOW、ご存知でしたらご伝授下さい!)

▼コメント
投稿 マミー | 2006年6月11日 (日) 23時00分
DrBOW
「DVDの書」発見できませんー。(悲、、)よろしければリンク貼って下さい。

Muチャ子さん
>お店はどこで?

最初は無料登録・無料出品の「楽天」に出品し始めて、今は「Yahoo!」「楽天」「ビッダーズ」の3つのサイトに出品しています。それぞれお客様層が少しづつ違いますので、それに合わせて商品を出品しています。でもなんといっても一番よく買っていただけるのは参加者の多いY!です。

お店で売っているのと同じ商品、新品の物が豊富に出ています。是非お買い物してみて下さい。オクで安価でお買い物するようになり、リアル店舗でモノが買えなくなってしまったマミーです。

ただ、家電など高額商品は詐欺が横行してますから要注意です。代金先払いの取引が主なのでどうしても落札者の方にリスクがあります。出品者の評価を確認してから入札すればまず大丈夫です。

▼コメント
投稿 musi | 2006年6月16日 (金) 01時18分
マミーさん
>「DVDの書」発見できませんー。

あのー「中之島のBOW」→「映像」をクリック「動画」を選んでみては…見当違いのコメントでしたらごめんなさいm(_ _)m

▼コメント
投稿 BOW | 2006年6月16日 (金) 09時02分
musi さん、私に代わってコメントありがとう!ちょっと忙しくしていて、ごめんなさい。マミーさんの求められているのはDVDのコピー、バックアップ関連で、私が関心のあるというか必要なのはDVDの制作です。

つまり、ビデオカメラやそのほかのビデオ素材を使って編集し、作品を創作することです。DVDと言っても、これはまったく違うことです。そういう訳で、マミーさんのご希望に副える記事はありません。それから、あの「動画技法」に書いた記事も3年以上前には値打ちがあったと思いますが、これほど普及した今では、常識的なことが多いのではないかと思います。

DVDライブラリは600をかなり越えています。最近はBS2の録画をするのも減り、専ら購入しています。二重買いをしないため(過去には何度かやりました!)携帯で、このDVDライブラリの五十音順検索を見て確かめています。その効果は抜群。(笑)

▼コメント
投稿 BOW | 2006年6月17日 (土) 09時45分 BOW
私が関心のあるというか必要なのはDVDの制作です。
そうだったのですか。見当違いな質問をしてしまい失礼致しましたー。そして次は「ハイビジョンの撮影、編集、保存」なんですね。いつも最先端技術を駆使しておられ、新しいことに取り組まれる意欲がすごいと思います。頑張ってください。

misiさん
レスをありがとうございまーーす。


◆T−baさんが帰って来た 2006年6月17日 (土)

5月末に交野を離れ、浜松の地に引越されたT−baさんは、待ちに待った光ファイバーがつながるや否や、脱兎のごとくWebの世界に復帰されました。

1.5ヶ月ほどの間に、BOWの名のついたサイトやブログを3個も作りましたが、それらもまたたく間に縦覧され、掲示板「BOWのひとりごと」にコメントを書き込んでくれました。

それを終えると、「ジジババ引越騒動」をご自分のサイトである「寅babaのパソコン部屋から」にUPされています。

私の出藍の弟子「T−ba」さんのWeb復帰を皆様も祝ってあげて下さいね!

2006年6月17日 (土) サイトとブログ | 固定リンク | コメント (6) | トラックバック (0)


▼コメント
投稿 T-baba | 2006年6月17日 (土) 16時49分
復帰などと大げさですが、餓えた犬のようにBOW各部屋を訪問しました。大師匠はやはりスゴイ!これだけの部屋に記事をきちんと整理整頓されて、まるで何冊かの本になったような按配です。とてもこのような整理は出来そうにもありませんし、するだけの内容を持ち合わせていないことを思い知りました。こんなんで投稿してもいいのだろうかと思いつつ、恐る恐る、、

▼コメント
投稿 BOW | 2006年6月17日 (土) 20時52分
いらっしゃい!
今流行りという「ブログ」を開いて1ヶ月ばかりになります。Webサイトとは、ちょっと勝手が違いますが、操作は簡単、ブログしかできないことも多いようです。きっと、ご自分もやってみたいと思われるような気がします。(笑)

▼コメント
投稿 musi | 2006年6月18日 (日) 03時04分
ご登場までに、ながーーい待ち時間の日々でした(^^) 誠に嬉しい!!

▼コメント
投稿 Muチャ子 | 2006年6月19日 (月) 02時51分
「BOWのひとりごと」背景色変えられました?
T-babaさん初めまして。よろしくお願いします。DrBOWさんはT-babaさんのことが余程ご自慢なのでしょうね。サイトを訪問したり、あちこち拝読しそう感じました(^o^) PC同好会のほかの皆さんは辞められたのですか?その後が知りたい(^o^)

▼コメント
投稿 マミー | 2006年6月19日 (月) 10時29分
T−baさまはじめまして。私もHP拝見致しました。とても素敵な画像をたくさんUPされていて、またエッセイも文章がお上手で楽しく拝読させて頂きました。

そして気付いたことがございます。新聞に投稿されていましたよね?そのときも思わず「くすっ。」と微笑んでしまい、心がぽっと暖かくなるようなお優しい文章でした。なぜ記憶に残っているかと申しますと、たぶん私はお嬢様と中学校の同級生なのです。これからもどうぞよろしくお願い致します。

▼コメント
投稿 BOW | 2006年6月19日 (月) 16時03分
>T-babaさんのことが余程ご自慢なのでしょうね
そうです!(笑)しかし、コワイのも確か、何しろ相手は寅、私は鼠だから、本気になると食われてしまいます。(笑)

>PC同好会のほかの皆さんは辞められたのですか?その後が知りたい(^o^)
マンネリ化してきたので、6年目で解散しましたが、MLは残っています。

>「BOWのひとりごと」背景色変えられました?
変えました。新しいPCとモニターが届いて、それまで99年購入の液晶18インチで見ていたのがオバケのような黄ばんだ色で、まったく意図したイメージと違っていたので仰天し、ひとりごともBOWの部屋も映像も全部色を変えました!そのことも含めて、新しいPCやモニターの記事をその内UPするつもりです。


◆寅虫物語 2006年6月19日 (月)

最近このブログにも「musi」とか「T-baba」というハンドルネームのお方がお越しになっています。私BOWにとってはお付き合いの長い方たちですが、この機会にこれらのHNの由来と歴史をご紹介します。

お二人は、交野市医師会にパソコン同好会ができた時からお付き合いを願っている方で、どちらも往診した時に、私の説明をうしろでしっかりメモをとられていました。パソコン物語第2章 、3章。

その時、この女性は将来伸びるに違いない、と直感したのが当たりだったという非常に優れた方々です。

男性軍と違うところは、いろいろ質問をされても、最後は自力でやってしまわれるところで、出藍の弟子と私が言うのはそれほど誇張ではありますまい。二人の優れた弟子を持てたことを幸せに思っています。

前置はこのくらいにして、

T-baba」の由来と歴史
97/10/16 までのメールのサインは、「Y. IKEDA」でしたが、97/10/22のメールからは「寅婆」が登場します。これには、「寅年生まれの高齢女子であるが、パソコンに挑戦しているのだぞ!」という意気込みが感じられます。

ただ、困ったことに、ご本人は良いとして、BBSやメーリングリストでこちらから「寅婆さん」とは言い難い。そこで、「お寅さん」が定着し、そのうち、本当の名前と思い込むパソコン同好会会員まで出てくる始末。

ご本人はそれから「寅B」「TORA」「TORA BABA」「T BABA」「寅」「T-baba」「Tbaba」などを使って来られ、最近の傾向は、正式には「T-baba」、めんどくさい時は「寅」または「T−ba」のような感じです。それに対して、musi さんは「姉寅さま」、私は「T−baさん」と呼んでいます。

musi」の由来と歴史
96/11/14 のメールでは「パソコン音痴亀」、97/02/21 のメールから「オジャマ虫(職員)」、98/01/17 から、メールやBBSの書き込みなどに「虫」で登場、03/09/30 から「musi」と改め、現在に至るというわけです。

この方は、非常に気配りのされる方で、そこから「オジャマ虫(職員)」というHNを使われ、最後はハイカラな「musi」に変身されたのでした。この「musi」に「c」を加えると私の好きな「「music」となります。

残念ながら、約10年前に往診した時に一度お目にかかったことがあるだけで、仮想世界でしか存じていないのです。

私ども3人に共通しているところは、ドジでチョンボを何度もくり返し、それをニュースねたとして、おお威張りで、BBSやMLに書き込んだり、Webサイトに記事としてUPしてしまう性癖があることでしょう。

musi さんは、それに輪をかけた愉快なドジ仲間がいらっしゃり、呆れてしまう事件を起こすのだから、2〜3ヶ月に一度ある?後藤医院のホームページへのUPが楽しみです。

2006年6月19日 (月) サイトとブログ | 固定リンク | コメント (18) | トラックバック (0)


▼コメント
投稿 BOW | 2006年6月19日 (月) 23時38分
BOWのリストに、掲示板「お茶しません?」とT-ba さんとmusi さんのHPを加えました。

▼コメント
投稿 Muチャ子 | 2006年6月20日 (火) 02時50分
t-baさんとmusiさんの由来よーくわかりました(^o^) (クッククと笑っちゃったです、愉快ですねー)ありがとうございました。DrBOWはやはりスゴイお方です!ドジ、チョンボのお三人なんて想像しただけで愉快なお仲間だとわかります(^_^)v

マミーさんと私のHNも明かした事ですし、このブログも愉快に!ハーイみなさん出発進行GOGO!
マミーさん、musiさん、T-baさん、期待してまっせ!(^^)/

▼コメント
投稿 T-baba | 2006年6月20日 (火) 20時54分
Muチャ子さん、マミーさん、大歓迎いただき、穴があったら入り、、の心境です。BOW弟子の中でもチョンボナンバーワンがT-baなのです。あくまでもチョンボドジで1番ということを忘れないでいて下さい。

今はまだ家の手直しなどで時間がなくて、思うような書き込みが出来ませんが、あと1ヶ月もしたら、ジャンジャン、煩いオババになることでしょう。宜しくお願いいたします!

▼コメント
投稿 BOW | 2006年6月21日 (水) 23時12分
私がブログのスゴサを知ったのは、ブログ開設の2時間後に、Muチャ子さんがコメントを書き込んで下さったからです。他のブログを知らず、マニュアルに従って開設したのが5月13日の1時ころだったと思います。

ところが、朝になるとコメントが付いている、それも02時44分だというのを知って仰天しました。今だに、その理由が分からないのです。ひとりごとにブログ開設を書き込んだのは、それから5日後の5月18日でした。Muチャ子さんは私にブログのスゴサを強烈に印象づけて下さった恩人です。

▼コメント
投稿 musi | 2006年6月23日 (金) 00時38分
DrBOWさん…
ご厚意の詰まったご紹介をいただき誠に誠にありがとうございました。その上リストに登録までして頂き有頂天になっているmusiです(バンザーイ!やったぜべィビー!の心境で〜す!)1職員であるmusiをお仲間に入れて頂いたことに感謝の念でいっぱいです。

「一番」はたやすく譲れない!と。
いえいえドジチョンボはmusiが一番でございますさかい、マミーさん、Muチャ子さん忘れんといてね(^o^)

▼コメント
投稿 Muチャ子 | 2006年6月23日 (金) 04時16分
musiさん
>「一番」はたやすく譲れない!と忘れんといてね(^o^)
んもーぉこれ一つにしてもオモロイですねぇ。へいへい覚えておきまっさ!あっも〜アカン!始まるよ〜!観たい、眠たい、どっちを優先するか…迷える小musi(爆笑)

DrBOWさん
>ブログのスゴサを強烈に印象づけて下さった恩人です。 第一号の書き込み者Muチャ子で〜す(^_^)v 光栄です!!!!!TVから目が離せないよ〜

▼コメント

投稿 T-baba | 2006年6月23日 (金) 09時57分
BOWブログ、隅々までしつこく拝読した結果、どう考えても「Muチャ子」さんと「musi」さんは双子のように思えてなりません。T-baの感は当るのです(どなたかの受け売り)

▼コメント
投稿 BOW | 2006年6月24日 (土) 09時34分
T-baさん
>BOWブログ、隅々までしつこく拝読した
かなりの量だったと思います。申し訳ありません。

ところで、話題の「ドジNo1」は、威張るわけではないけれど、BOWに決まりです。小学校の時から100点が取れずケアレスミスをしていまうのは今日まで続いてきました。

最近のドジは、2ヶ月前に古希をドジで始めたのはご存知の通り。今月はじめの中学の古希同窓会の帰り道、50年ぶりに再会した旧友と談笑しながら阪神梅田駅に着いたら切符がない。いくら探しても出てこないので、不細工な別れをしてしまいました。まあ、これは大したことではない。(笑)

そして、今月14日には大変なドジをしてしまったのです。この日梅田に歩いて出かけていて、そこでメールをチェックすると、同期入局のN君から「30年会の案内が届かないがどうなっているのか」というメールが届いていました。

30年会というのは医局に昭和31年から40年までに入局したものの親睦会で、私は昭和37年入局なので、先輩が6学年、後輩が3学年いる会なのです。年に1回開かれる会の当番が今年は私の学年で、その幹事を私が引き受けていたのでした。

N君のメールを読んで、「あいつはまた間違ってる、30年会は冬のはずや」と妻に言って、ゆっくり飲んで食べて帰りました。念のため、昨年の30年会の後で皆に送信したメールを見てみると、6月24日(今日です)に決めていたのです!

シマッタ!またヤッタ〜!

仕方がないので、皆に平謝りのメールを送り、9月16日に急遽変更して、21日に案内の往復はがき85枚を郵送し、昨日からその返事が届いているという状況です。

立て続けにこんなドジを重ねることができるのは、自慢じゃないけどBOWを置いて他にはいないでしょう!! どうです、T-baさん、musiさん、恐れ入ったでしょう!!

師匠はドジでも師匠です!(笑)

▼コメント
投稿 BOW | 2006年6月24日 (土) 10時13分
忘れていました! この話にオマケがあるのです!!

「災い転じて福となす」は私のモットー。案内状はすべて楷書体で、文面も丁重で格式のある?ものにして、これまでの案内状と一味違うものにしました。30年会のメンバーで、ここまでできる者はいないだろう、これでちょっとは失点回復できるかも、と思いました。

まず往復はがきの返信の方を印刷しました。宛名は私、文面は出欠の有無と近況。85枚を刷り終えて気がつくと、この文面は私の宛名の裏に来るべきものです!!

また中央郵便局に行って往復はがきを購入し、正しく印刷し直しました。これで「ドジNo1はBOW」は確定ですね。(笑)

マミーさん、お願い! これの善後策は書き込まないで下さいね!お4方がお読みになれば、この部分は削除するつもりです。騒ぎが大きくならないように、善後策は自分で考えますので、、、(笑)

▼コメント
投稿 Tbaba | 2006年6月24日 (土) 11時54分
>また中央郵便局に行って往復はがきを購入し、正しく印刷し直しました。
ギャハハハハ、、まさか葉書を一から新しく購入なさってはいませんよネ? 同じようなドジはよくやるT-baですが、さすがにこれを読んだらNO1は譲らねばならないかと思ってしまいました。

植木屋の到着が遅いので、BOWブログで楽しんで時間をつぶし(ゴメンナサイ!)ています。

▼コメント
投稿 マミー | 2006年6月24日 (土) 14時45分
DrBOW
毎回キョーレツですねー。たいがいドジばっかりしでかしてる私ですが、なんだか私なんてまだ普通?って思えてしまえます。(スミマセン)

書いちゃいけなさそうですので、ここは沈黙・・・のマミーでいることにします。中央郵便局が超ご近所のDrBOWならあっさり解決!です。

▼コメント
投稿 マミー | 2006年6月24日 (土) 14時49分
T-baさま
>ギャハハハハ、、まさか葉書を一から新しく購入なさってはいませんよネ?
されているような、、、気がしません?

▼コメント
投稿 BOW | 2006年6月24日 (土) 21時37分
>されているような、、、気がしません?
これだから、善後策を書き込まないで!と申し上げたのです!!どうしたら良いかは知っているけどプライドが許さない、85枚の宛名が全部野村 望のはがきを見せるくらいなら、8500円は安いものです。

ところが、これを山の神に知られたら、そうは行かない。だから、お4方が目を通されたら削除することにしているのです。(笑)

▼コメント
投稿 マミー | 2006年6月24日 (土) 22時44分
なるほど、、、プライドでしたか。じゃ、こんなのはどうでしょ?(だからぁ、ほっといてーっと言われそうですが。)http://volunteer.kids.yahoo.co.jp/what/collection/postal_c.html お節介マミーより。

▼コメント
投稿 musi | 2006年6月26日 (月) 01時17分
アッハハハ大爆笑です!!もうここまで暴露されたのですもの、お譲りします!「NO1」これだから楽しくてやめられない!ドジチョンボ支障…間違った!師匠さま(す、すみません)経験済みから考えて、ハガキはすべて書き換えられたと確信!(^^;)ご苦労様でした!

マミーさん
サイト見ましたよ〜昔?は捨てていたのですが教えてもらい最近は書き損じたハガキ郵便局で交換しています。切手にも交換可能なんて知らなかった、ありがとうございました〜。 Muチャ子さん あせらずゆっくりと!登場して下さいね。DrBOWさんが4人さんが読んだ後は削除するそうです!許されませんよね〜。

▼コメント
投稿 BOW | 2006年6月26日 (月) 17時35分
>4人さんが読んだ後は削除するそうです!許されませんよね〜。

あきらめました!!このブログが存続する限り、残しておきます。(笑)

▼コメント
投稿 Muチャ子 | 2006年6月28日 (水) 02時29分
>あきらめました!!
>このブログが存続する限り、残しておきます。(笑)
出前の時期を伺っていたのですがもういいようなので(^_-)暑くなりましたねぇ

マミーさん
ギャオ登録済みで〜すが!PCの容量不足でしょうか時々固まりまーす(^^)お勧めの「天階」は終わったのですか?アッPCとTVをつなげば観やすくなりますよね〜コードを探そうっと。


▼コメント
投稿 マミー | 2006年7月 2日 (日) 02時19分
Muチャ子さん
>PCの容量不足でしょうか時々固まりまーす(^^)お勧めの「天階」は終わったのですか?

固まるというか、CMから次に進むときに「読み込み中」みたいなコメントが出て、画面が真っ暗になったことが何度かあります。でも原因や解決法が私には分からないのです。申し訳ありません。

「天国の階段」はGyaoではやってなかったと思います。去年地上波(フジ)で土曜日の夕方に放送されていました。ですがかなりカットされてたり、音楽が差し替えになったりしていました。何より吹き替えだったのでクォン・サンウ氏の声が聞けなくて残念でした。

またいつかGyaoでも配信されるといいですね。とりあえずレンタル屋さんだと必ず並んでいます。相手役はチェ・ジウさんで、実年齢は年上ですが、かわいらしく年下の役を演じておられます。ご覧いただけると嬉しいです!


◆T-baさんの浜松での暮らし 2006年6月26日 (月)

T-baさんご夫婦が、移り住まれた浜松で、どれほど楽しい生活をされているかがよく分かる「浜松での暮らし」をUPされました。文章が生き生きしていて、写真は超鮮明、ぜひご覧下さい。 2006年6月26日 (月) サイトとブログ | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)


◆新しいPCへのデータコピー 2006年7月 2日 (日)

私はこれまで新しいPCを購入する度に、古いPCのデータを新しいPCにコピーし、古いPCで使ってきた有用なソフトを新しいPCにインストールしてきました。これによって、データのバックアップを行なってきたわけです。

その上で、この新旧PCをLANで結んでダブルパソコンシステムを作り、両PCの重要データを常に同じにすることで、新しいPCが故障した場合にも、タイムラグ少なくPC作業を切り替えるようにしてきました。

今回新しくPCを購入しましたので、BOW流の新しいPCへのデータコピー方法を「新しいPCへのデータコピー」としてUPしました。

関心のない方には少し難しいかも分かりませんが、よろしければご覧下さい。いろんなことがあり、暫くブログとご無沙汰してしまいました。ごめんなさい!

2006年7月 2日 (日) パソコン・インターネット | 固定リンク|コメント (0)|トラックバック (0)


◆「ダブルパソコンシステム」をUP 2006年7月 8日 (土)

私が4年前から続けてきた「ダブルパソコンシステム」の改訂版をUPしました。これによって21年間にPCに保存してきたデータを継承保全することができただけでなく、メインに使っているPCが壊れたり、不調の際には、すぐサブのPCに切り替え、タスクを代行することができます。

このようなデータの保守継承機能とPC不調時の代行機能を持った簡単かつ安価なパソコンシステムは、他には存在しないのではないか、少なくとも公表されたものはないのではないか、と思っています。

2006年7月 8日 (土) パソコン・インターネット | 固定リンク|コメント (10)|トラックバック (0)


▼コメント
投稿: BOW | 2006年7月 8日 (土) 11時06分
これにもコメントが付かないと思います。前の「新しいPCへのデータコピー」よりもかなり難しい代物です。このブログに、UPの記事を書き込むと、なぜか検索エンジンで上位に掲載されるので、面白くない記事ですが、これからも続けたく思っています。

PC関連のまとめはこのくらいにして、目的のハイビジョンに進むか、「BOW流PCデータ収納法」をまとめようかと考えています。

▼コメント
投稿: T-baba | 2006年7月 9日 (日) 11時25分
> PCは考えたり、計画を立てたりする自主的な行動はまったくできません。所詮、有能な部下、優れもののツールです。そう思われますでしょう!

・・は、「BOWひとりごと」の弁ですが、全くその通りです!そう思います!有能で非常に優秀です。ただし、師匠のように使いこなせていればの話ですね。

計画を立てたり、勝手に自主的な行動をとられたら、心狭いT−baは解雇せざるをえませんから(笑)

▼コメント
投稿: BOW | 2006年7月 9日 (日) 13時26分
コメントが付かないと思ったので嬉しいです。
>使いこなせていればの話ですね

これまで、自分に必要な部分だけ、PCをこき使ってきました。しかし、自分に必要のないPC機能には全く手をつけていません。

それでも10人、100人の人間を使ってもできない仕事ができるのだから、スゴイ時代に遭遇できたと感謝して使っています。

▼コメント
投稿: BOW | 2006年7月 9日 (日) 13時43分
>計画を立てたり、勝手に自主的な行動をとられたら、心狭いT−baは解雇せざるをえませんから(笑)

心広い?BOWでも即刻クビですね(笑)

▼コメント
投稿: T-baba | 2006年7月 9日 (日) 14時46分
「この情報を登録する」のところへ何でか手がすべって(笑)チェックが入ってしまいました。ドジの始末のためにもう1回だけ書くハメにおちいりました。ゴメンナサイ、、

▼コメント
投稿: musi | 2006年7月 9日 (日) 23時22分
>何でか手がすべって(笑)
NO1です何度でもすべらせて下さい(^^)

musiは超せまい使いみちで解雇やクビ以前に入社出来ないこがします!トホホホ。
>目的のハイビジョンに進むか、「BOW流PCデータ収納法」をまとめようかと考えています。
コインは裏、表どちらが出たのでしょうか〜(^_^)  どちらが先でも見てコールお待ちしています!

▼コメント
投稿: BOW | 2006年7月 9日 (日) 23時49分
> コインは裏、表どちらが出たのでしょうか〜
せっかく意気込んだのに、回り道をしてしまって、ハイビジョンへの意欲が落ちてきました(笑) ここで初心に戻り、ハイビジョンのお勉強から始めていくことにします。

▼コメント
投稿: musi | 2006年7月10日 (月) 00時36分
>ここで初心に戻り、ハイビジョンのお勉強から始めていくことにします。
了解しました(^_^)v  どのようなモノなのか見当もつきませんが(すみません)楽しみにしています。すばらしい書斎はながーーい年数お使い頂きたいと願っておりま〜す。

▼コメント
投稿: マミー | 2006年7月21日 (金) 21時51分
お久しぶりです。精力的に次のプロジェクトに向けてお仕事を進めておられるご様子、尊敬致します。

「魔の夏休み」に突入してしまい、ほとんど自分の時間が無くなってしまいました。土砂降りの雨では外でも遊んでくれないので、1日中母子密着状態です。こんな日が何日も続くと「育児ノイローゼ」って誰でも陥ることなんじゃないかと思ったりしています。私はいい加減にしかガールズの相手をしていないので、まずそんな心配は無さそうですが・・。

さて、「ダブルパソコンシステム」についてとても参考になりました。今、ノートを含めて4台のPCを夫と私が2台ずつ使用していますが、ほとんどデータを共有させたりはしていません。万一の備えがまるでなっていない状態です。夫婦間のPCは互いに関知しない方が良さそうですが、自分の2台はトラブル対策としてチャレンジしてみたいと思います。子供が使い始めましたので尚更対策が必要です。頑張ってみます。行き詰まったときにはまた質問させて下さい。

▼コメント
投稿: BOW | 2006年7月22日 (土) 00時46分
お久し振りです!
「魔の夏休み」ですか、実感のこもった、それでいてちょっとユーモラスな表現ですね(笑)。「ダブルパソコン」がお役に立つところがあったのなら嬉しいです。自分のデータを大切に思う者にとっては、トラブル対策は重要ですね!


◆高校古希クラス会 2006年7月 8日 (土)

昨日高校の古希クラス会がありました。昨年3月にこの高校のクラス会があり、9月には高校の卒業50周年記念同窓会がありで、立て続けに旧友たちと会っています。今回は、前々会まで出席した下さっていた恩師がお亡くなりになったので、昼に墓参りをして、夜が宴会となりました。

30名近い者が傘をさして墓参りをするのはちょっといただけない光景なので、天気予報は雨だったのに、降らなかったのはラッキーでした。

「ワシの古希やけど」と言うと、息子に「また子機壊したのか?」と言われるし、娘婿は「コキおめでとうございます。ところで、お父さん何歳になられました?」と尋ねられ、若い人に「コキ」は通じないらしいとこぼす者がいました。

最後に、阪神間在住で持ち回り幹事を経験していない数少ない人間として、次回の3人の幹事に選ばれてしまいました。「オマケの人生があれば引き受ける」というと、それは誰も同じ条件だと言われて納得。明日の命が分からないから、これからは毎年することに決まりました。

2006年7月 8日 (土) 日記・コラム・つぶやき | 固定リンク|コメント (1)|トラックバック (0)


▼コメント
投稿: musi | 2006年7月10日 (月) 00時48分
悲しみの涙雨は前日でストップ、当日は雨がやみ良かったですね。たぶん皆さまにお会いできお墓のなかの方も嬉しかったのでしょう。傘30本、、、想像すると、こ、これはコメントはさけま〜す。


◆チョンボ夫婦 2006年7月13日 (木)

T-baさんが「チョンボ夫婦」という爆笑エッセイをUPされています。交野を離れ、浜松の地に終の棲家を建てられ、慣れない土地でドジ・チョンボをくり返し?ながら、仲良く人生をエンジョイしておられます。夫君のバイタリティーにはもう唖然となります。

何しろ、あの2001年9月11日の同時多発テロ事件の直後に、南フランス美酒美食の旅に出かけられたお方なので、スケールが日本人離れしておられます。このようなグルメ亭主の好みのパンを毎朝焼いて来られたT-baさんも並みの方ではないことがお分かりいただけるでしょう。

一読をお勧めします。


▼コメント
投稿: BOW | 2006年7月13日 (木) 16時51分
T-baさんの掲示板に書き込んだ私の感想を再録します。この掲示板はASAHI-NETのIDがなければ、書き込みができないです。
----------------------------------------
拝読、爆笑、また爆笑!!

イタボ閣下の元気の秘密を知った気持になりました。(笑)
それにしても、すさまじいバイタリティーですね! もう圧倒されました!
持って生まれたもの? 環境? 両方?

このような強烈グルメ人間の食感に満足を与える食べ物を提供し続けることができた方もまた偉大です。仲の良い夫婦にはその理由があることがよく分かります。(笑)

10時起床、ほんと?
{目的地周辺です}5〜60メートルの範囲ということでしょうかね?

> アンパンがことのほか好きな人で、どこへいってもまず買う。
 ウヮ〜! こちらは、少なくとも結婚以来食べたことなし!!

> 「支店、支店、、、支、」
 私たち夫婦も同じようなドジをやりますが、ドジにはもう少し早く気がつく?

 そして
「そやけど、ええ店見つかって良かったやん!」
「休業日やなんて惜しかったわ!きっとあっちの方が美味しいんやわ!」
「そら縁がないんや、あきらめよ! きっと、大したことないんやで!」

 こんなところでしょうか(笑)

▼コメント
投稿: T−ba  | 2006年7月14日 (金) 21時50分
ご紹介、有難うございました。
> 何しろ、あの2001年9月11日の同時多発テロ事件の直後に、南フランス美酒美食の旅に出かけられたお方なので、スケールが日本人離れしておられます

そのように言って下さって有り難いことですが、本当はただの「考えナシ」「いきあたりばったり」というだけのこと。すでに申し込んであったので、今更取り消しもなんだし、まあ死ぬことはなかろうという超楽天気分ででかけて行ったのでしょう。

それはさておき、本日は朝からえらい暑い日でしたが、浜松は軽く日本一を記録、38度だったそうで、ニュースを見たとたんにしんどくなりました。今夏が思いやられます。トホホ、、

▼コメント
投稿: BOW | 2006年7月15日 (土) 08時43分
>浜松は軽く日本一を記録、38度だったそうで
暑いのが大の苦手の方には日本一暑いところが付きまといますね(笑) 4年前の7月、枚方は38度を越す暑さで、日本一でしたよ、お気の毒!!


◆実用ハイビジョン・ビデオ(1) 2006年7月17日 (月)

実用ハイビジョン・ビデオ(1)をUPしました。
サブタイトルを「HDVビデオの撮影、編集、保存、鑑賞のために」としたのは、今回は「撮影」、2回目は「編集」、3回目が「保存」、そして最後を「鑑賞」とする予定だからです。

こんなに大上段に構えることなく、要領良くハイビジョンビデオを撮り、編集し、保存することもできますが、一度くらい最初から自分の納得できる程度まで掘り下げたいという気持がありました。

一般には未だ手が余りつけられていない「ハイビジョン・ビデオ」を、新しいことへの私の最後の取り組みとしたいと思っています。オマケの人生がなくても、これ位はやれそうな気持でいます。

ご興味がある方にお読み頂ければ嬉しいです。

2006年7月17日 (月) ハイビジョン | 固定リンク|コメント (7)|トラックバック (0)


▼コメント
投稿: musi | 2006年7月21日 (金) 02時34分
進んだり戻ったりしつつ逃さず拝読いたしました。何も知らなかったことに少しは目覚めた気がします。むつかし〜い!悲しいかなデジカメも満足に撮れないのですモノ勉強します!プリントを渡し喜んでもらっています。「撮影」編が終わりお次の「保存」お待ちしているのでと云ってました〜もっちmusiもです!

▼コメント
投稿: BOW | 2006年7月21日 (金) 09時57分
musiさん 活用して下さってるのですね、嬉しいです。
あと1年も経てばもっと簡単にハイビジョンが撮れ、編集し、鑑賞することができるはずですが、私にはその時間がない。だから、最後に自分が納得できるように取り組んでみたいと思い、それを公表することで、後に引けないようにする何時ものスタイルを取ってしまいます(笑)

>「撮影」編が終わりお次の「保存」お待ちしている
ありがとうございます。ただ、次は「編集」です。撮影と編集が一番クリエイティブな部分で、保存はテクニカルな問題が多いと思っています。

3日前に、私の尊敬する方が亡くなり、その葬儀に出た後で、少し思うことがあり、追悼のエッセイか何かをWebに残そうと考えています。

▼コメント
投稿: 棘(とげ) | 2006年7月23日 (日) 01時34分
(ここはお邪魔してもよいのかしら??) ご丁寧なレスをありがとうございました。
つられてハイビジョン・・・を覗いてみましたが 私の小さな脳みそには・・・以下省略
Dr.BOWワールドは広くて深いですね  迷子にならないように気をつけます(^^;

▼コメント
投稿: BOW | 2006年7月23日 (日) 11時25分
>ここはお邪魔してもよいのかしら??
もちろんです!! 大歓迎(笑) 何しろ開いてまだ2月少々
他のブログを覗く時間と興味がないので、独善的かも知れませんが、よろしくお願いします! 「溶連菌感染症」の検索で、私のサイトを見つけて下さった方ですね。
棘(とげ)さんとお読みするのですか、ちょっとビックリ!!

「からたちのとげは痛いよ 青い青い針のとげだよ」母がよく歌っていた歌、私の愛唱歌でもあります。

>Dr.BOWワールドは広くて深いですね
深いかどうかは分かりませんが、広いことは広いかもしれません(笑)

今から追悼文をUPします。よろしければ、お読みください。

▼コメント
投稿: musi | 2006年7月24日 (月) 02時33分
棘さん
初めまして。脳細胞スカスカですがお付き合い頂きたく、よろしくお願いいたします。こちらは気張らず書けるブログで〜す(勝手に決め込んでいますが…)(^^;)

▼コメント
投稿: 棘 | 2006年8月11日 (金) 17時41分
musiさん
>はじめまして
ご挨拶遅れましてスミマセン  こちらにいらっしゃる先輩方をお手本に いろんなことを楽しみたいと思います 若輩者ですがよろしくお願いいたしますね

▼コメント
投稿: BOW | 2006年8月11日 (金) 18時45分
棘さん お久し振りですね
書き込みありがとうございます。閑古鳥がうるさく鳴いていましたので、ホットしました(笑)
musiさんのパソコンが故障中で入院していると漏れ聞いています。だから、レスを書けないのではないかと思って老爺心からこれを書いています。


◆musiさんのユーモア・エッセイ、久々のUP 2006年7月22日 (土)

musiとその仲間がくりひろげるドタバタ劇<板前が飛び出した!>がUPされています。今回は食べ物がテーマ。皆さん、ご覧あれ!

「タコ、イカ、たまご」に呆れました。「ガツガツしてまるで戦時中の子供」は、「欠食児童」とも言われました(笑)

2006年7月22日 (土) サイトとブログ | 固定リンク|コメント (3)|トラックバック (0)


▼コメント
投稿: T-baba | 2006年7月22日 (土) 15時07分
交野にいた頃、一緒に仕事をしていた二人の職員は、どんなことにもオタオタしない立派なコテコテの大阪おババでした。ある日蟹の食べ放題の店が出来たことをいち早く聞きつけて、食べに行ったのです。食べ放題の開店サービスに数え切れない皿数を注文、もう蟹の顔も見たくない感じになって帰ってきたとか。

その後、蟹食べ放題のその店は早々につぶれたんだそうです。「ウチらが仰山食べたよって、やっていかれへんようになったんやね!」と本気で申しておりました。

▼コメント
投稿: BOW | 2006年7月22日 (土) 21時44分
>「ウチらが仰山食べたよって、やっていかれへんようになったんやね!」
まさかとは思いますが、ちょっとは? と思わせるところがありますね(笑)

私も蟹は大好物、専らBOW流蟹スキで食べます。これは、妻にも息子にもほとんど食べさせず(ありがたいことに彼らはそれほど蟹が好きではない)、机の上を普段以上に飛び散らかし、上品に食べたら美味くないと、うそぶいてきました。

昨日、大型の蟹一匹を一人で平らげ、ビールと米飯で満腹となり、動けなくなりました。また、失神するのではと妻は極度の心配状態に陥りましたが、どうにか無事でした。あさましいですね!!

▼コメント
投稿: musi | 2006年7月24日 (月) 02時49分
ご紹介頂きありがとうございました(^_^)v 「食べ放題」は一度行って懲りたのでそれっきりですが。バイキングは好きで〜す。

マミーさん
夏休み…(^o^)愉快な毎日でしょうね。yfオクでお忙しい日々をでしょうかー?


◆高い所から見た天神祭 2006年8月 2日 (水)

中之島のマンションに越してきたので、今年はこの目で直接天神祭を楽しめるものと思って来ましたが、25日の本宮当日はマンションの外に出ることができず、バルコニーから眺めるだけに終りました。

しかし、そのお陰で、ほとんどの人が見たことのない天神祭の舞台裏をじっくりみることができました。

「高い所から見た天神祭」のタイトルで、「中之島のBOW」と「BOWの映像」に掲載をしています。ちょっと違った天神祭をご覧下さい。

2006年8月 2日 (水) サイトとブログ | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)


◆葬送の音楽 をUPしました 2006年8月 8日 (火)

先日身内の葬儀があり、BGMとして故人が希望した曲が絶えず流れていましたが感動しました。その時、自分なら何を選ぶかと考えたら、ためらうことなく、シューベルトの交響曲第8番「未完成」が閃いたのにはちょっと驚きました。

そのことから、葬送の音楽に興味が出て、Web検索の結果なども含めてまとめてみました。中之島のBOWとBOWの部屋に掲載しています。

2006年8月 8日 (火) サイトとブログ | 固定リンク | コメント (2) | トラックバック (0)


▼コメント
投稿 棘 | 2006年8月11日 (金) 18時14分
お葬式と聞くといつも田舎の祖父の亡くなった時を思い出します。もう10何年になるのですが和歌山の山中の集落で行った通夜と葬式は親戚はもちろん隣近所や知人たちが集まっての大宴会付でその用意のためにそこいらじゅうのお母さんたちが割烹着で集会所に集まり食事の用意。

宴会が始まると私たち身内がお酌して回り知らないおじさんたちが「あんたのじーちゃんはこんなんやった」 「昔はこんなで大変やった」なーんてイロイロな話をしてくれて中には歌うヒトまでいらっしゃり大盛り上がりな一席でした(笑

娯楽の少ない田舎のこと、お葬式は故人が参加する最後の「お祭り」なんだなーなんて思ったことです。 BGMとは無縁でしたが、とても良いお式でした。

Dr.BOWのお式はまだまだ先でしょうけど(笑 きっとよいお式になることと思われます♪
長々と書いてしまいました。失礼しました。

▼コメント
投稿 BOW | 2006年8月11日 (金) 19時17分
棘さん、楽しいお葬式のお話をありがとうございました。良いですね、天寿を全うして、周りの人に心地良い思いをたくさん残して亡くなられたことが、、、

私も、このようなお葬式なら、して欲しいと思いました。しかし、平均寿命に至らずに去らねばならない人の場合、残された者の悲しみはこらえきれぬほど大きいかもわかりませんね。

>Dr.BOWのお式はまだまだ先でしょうけど
オマケの人生があれば良いのですが(笑)。不利な情報がまた一つ加わりました。今月5日に大学卒業45年の同窓会があったのですが、死亡者が5年間で5名増えて全部で18名となりました。

82名中18名で22%と高いのですが、解剖を一緒にした6名中4名が亡くなり、66.7%になります。他の者から「お前ら屍体に悪いことをしたのやろう」言われる始末。

残りの一人が欠席だったので電話をしたら、アキレス腱断裂で動けないとのこと、オマケの人生は遠のいて行きます(笑)


◆ハイビジョン・ビデオ(2) カット編集をUPしました 2006年8月15日 (火)

今日はホームページ開設満10周年にあたります。この10年間は私の生涯で最も充実していた時だったように思えます。毎年この日が来ると、何か感想を書き、まとめをしてきました。しかし、今年は不思議にそのような気持が起りません。

6月に入って、オマケの人生までに果たせそうな新しい課題として「ハイビジョン・ビデオ」を見つけ、それに取り組んできました。先ほどその第2回目の記事をUPしました。これをHP開設満10周年の記念記事にします。

これをUPした後で、私のハイビジョン・ビデオの記事のGoogleでの評価を検索で調べてみました。「ハイビジョン・ビデオ」と「撮影」の二つのキーワードで検索したところ、ハイビジョン・ビデオ 撮影 の検索結果 約 688,000 件中 12件目 という結果が得らました。

昨年1月、私のサイトの記事の中で、Googleの評価が高かったものについて、検索上位表示タイトルとしてまとめたことがありました。それと比べてずば抜けて上位ではないですが、このようなジャンルで、70万件中第12位というのは驚きであり、アングルのバイオリンの気持で嬉しいです。

話が少し難しいかも分かりませんが、よろしければお読み下さい。

2006年8月15日 (火) ハイビジョン | 固定リンク | コメント (9) | トラックバック (0)


▼コメント
投稿 棘 | 2006年8月16日 (水) 22時38分
ハイビジョン・・・勇気を出して読むんじゃなくて「見て」みました(笑

やはり、眩暈と共に頭痛が・・・(爆 ドクター、いい薬はありませんか???
と、冗談はさておき、今日は淀屋橋で映画の試写会があったので帰り道はDr.BOWのお膝元を自転車で通り抜けて帰宅しましたー
では、でわ。

▼コメント
投稿 棘 | 2006年8月16日 (水) 22時49分
あ、大事な事を書くの忘れました。10周年おめでとうございます。益々のご発展を・・・

溶連菌が結んでくれたご縁ですが♪ これからもお相手、よろしくお願いしますね。ちなみに棘はYAHOOで検索して飛んできました。3番目にBOWセンセの解説が出てまいりますのょ

▼コメント
投稿 BOW | 2006年8月16日 (水) 23時00分
見ていただきましたか!光栄です(笑)眩暈と頭痛には参りましたが想定範囲内です(笑)

棘さんはこのマンションの近くにお住まいなんですね、それだけで心理的にも近く感じるから不思議です。10周年のお祝い、ありがとうございます。YaHoo!の検索でお越し頂いたのでしたか、私は専らGoogleです。

▼コメント
投稿 musi | 2006年9月 5日 (火) 02時30分
「秋田大曲花火大会」が再放送されると姉寅さまからメール電報が届きました。嬉しかった!さー何が何でも見なくっちゃとかじりついて見ましたーー!!花火でこんなに感動したのは初めてだとおもいます。

見るまでは あきただいきょく…ってアホ丸出しのmu…でしたア〜ァ

▼コメント
投稿 BOW | 2006年9月 5日 (火) 10時16分
良かったですね!!
NHKの「プロフェッショナル 仕事の流儀」という番組に、あの大曲の花火大会で、この夏も含めて課題の部で、3年連続優勝した花火師・野村陽一さんの「一瞬の美にすべてを懸ける」が8月31日放送されました。これも良かったですよ!

再放送は9月7日(木)午前2:00〜からのようです。ちょっとキビシイかな? いや、musi時間で大丈夫かな?

▼コメント
投稿 musi | 2006年9月 5日 (火) 23時41分
>再放送は9月7日(木)午前2:00〜からのようです。ちょっとキビシイかな? いや、musi時間で大丈夫かな?
hohoho大丈夫でございまする!ありがとうございました。電卓ほーりだしてでも見るぞ〜と決意新たに(^_=)

▼コメント
投稿 BOW | 2006年9月 5日 (火) 23時48分
この番組を2〜3回観ただけですが、いつも何か納得できることがあったり、同じことを自分もしてきたなと思うこともあり、職人、プロフェッショナルというものに親近感を持っています。レセを放り出すほどの値打ちがあるかどうかは、保証しかねますが、、、(笑)

▼コメント
投稿 musi | 2006年9月 7日 (木) 02時09分
先生ーー見てますよ〜「遅咲きのチャンピオン野村陽一」目がはなせませ〜ん。


◆Tbaさんが「ビバ!浜松」をUP 2006年8月20日 (日)

Tbaさんが中日新聞に投稿して掲載された「ビバ!浜松」がホームページにUPされています。

浜松が好きな理由が「食材が豊富でおいしいし、晴天率も日本一だし、花火がたくさん上がるし、夕暮れが素晴らしいから」となった理由がよく分かります。皆さんぜひご覧下さい!

2006年8月20日 (日) サイトとブログ | 固定リンク | コメント (10) | トラックバック (0)


▼コメント
投稿 T-ba | 2006年8月20日 (日) 19時19分
先生のHiDVDの記事、参考になるだろうと、ファイルを息子に送信してやりました。すると、BOWサイトに行き着いていろいろ拝見したらしく、

・・・・・・・・・・「まさに目が覚めるようなサイト!写真の鮮度の良さとセンスに驚愕!東洋美術館のとなりのレンガの建物、いつ見てもいい感じです。BGMにどっきり、とゆうのはただ今製作中のDVDの最終シーンの候補曲に選んでいた物。

映画オーシャンズ11の最終シーン、一仕事やり終えた人々が1人また1人と去っていくシーン」・・・・・・・・ と言うてよこしました。やっぱりいいサイトは、誰が訪問しても驚き、感嘆するのですね!

ひとしきり師匠自慢をしておきました(笑)

▼コメント
投稿 BOW | 2006年8月20日 (日) 21時25分
太郎様が訪問下さったのですか、光栄です。それに、飛び抜けて嬉しいご感想をありがとうございます。血は争えませんね、褒め上手でいらっしゃる(笑)

新にDVDを制作されているのですね、処女作であれほどの作品を創られるのだから、今度はスゴイものになりそうな予感がします。楽しみですね。太郎様によろしくお伝え下さい。

▼コメント
投稿 musi | 2006年8月22日 (火) 02時12分
やっと出番を迎えることが出来ました(^_^)v棘さんごめんなさい。DrBOWお手数おかけしました。 マミーさん、夏休みも終盤ですね。yf覗いてみたのですが…よくわかりませんでしたー。PC初心者ってバレバレでしょポリポリ 韓ドラ観てますかー?

▼コメント
投稿 マミー | 2006年8月22日 (火) 22時49分
musiさま 皆様
お久しぶりです。お気に掛けて頂きありがとうございます。夏休みもやっとゴールが見えてきましたー。岡山県牛窓町というところに移動して、PC、韓国ドラマとも縁を断ち、「Back to the Nature」の心意気で、歯を食いしばってしばらく過ごしておりました。子供たちは毎日海三昧、付き合う大人はへとへとでした。私のオークション生活も7,8月は毎年閉店です。

Tbaさんの記事を読ませていただき、やはり「夕暮れが素晴らしいから」というフレーズが心に残りました。美しい夕暮れを堪能されたあとは、ゆったりとした気持で夜を迎えることができるでしょうね。

思えば親になってからというもの、夕暮れどきに空を見上げることもなく、時間に追われるように過ごしてしまっています。たまには子供たちと季節を感じながら、空や山を眺めてみようと思いました。そうすれば一向に捗らない課題(家事)の山を目の前にしても、カリカリと子供に八つ当たりすることなく過ごせるようになるかもしれません。深く反省しているところです。ただ、この地ではそれほど美しい夕暮れは期待できないかもしれませんが。

では夏休み終了日までカウントダウンしながら、もうひと頑張りします。皆様お元気で。

▼コメント
投稿 BOW | 2006年8月23日 (水) 08時04分
マミーさん、お久し振り!!
もうすぐ夏休みもお終いですね。お疲れ様でした。牛窓で自然と存分に過ごされたとのこと、お子様たちは大喜びだったでしょうね。

▼コメント
投稿 BOW | 2006年8月23日 (水) 08時22分
musiさんもこちらでは復帰第1号の書き込みでしたね、おかえりなさ〜い!!左手虫眼鏡、口に懐中電灯、右手半田ごての作業って、思い出しては吹き出しています(笑)

▼コメント
投稿 musi | 2006年9月 5日 (火) 02時38分
ギャーーすみません〜たった今気がつきました。虫眼鏡・・・これマジなだけに哀しいもんがあります(^_^)b

▼コメント
投稿 棘 | 2006年9月10日 (日) 03時08分
ちょっとお久しぶりです、こんばんわ。musiさんおかえりなさい はじめましての方、どうぞよろしく。 棘も遅めの夏休みで台湾に行って帰ってきたところです。皆様には想像つかないのではと思われる貧乏旅行で(笑 5泊6日、のんびりして参りました。

少しは涼しくなっているかと思いながら帰ってきましたがまだまだ残暑が厳しいですね・・・ドクターはじめ皆様もご自愛下さいな。

▼コメント
投稿 BOW | 2006年9月10日 (日) 09時26分
棘さん、お帰りなさい! 台湾へ5泊6日の旅をされていたのですね。スゴイ! それだけ時間をかけたら、台湾通になられたことでしょうね。私たちも台湾へ行ったことがありますが、わずか2泊3日だったので、皮相的な見方、感じ方しかできていないのかも分かりません。

医師会報に載せることを命じらて書いた「台北への旅」を、エッセイの旅行記のところに載せています。よろしければお読み下さい。最近肩凝りがひどくて、キーボードに向かうのが、ちょっと苦痛です。

▼コメント
投稿 musi | 2006年9月10日 (日) 16時27分
棘さんお久しぶりです。台湾への旅行ゆっくりされたのですね、羨ましいです(^^)
先生、40肩でしょう(^_=)肩こり体操されてでも早く治りますようにと願っております。苦痛があるのが困ったものです、気になります。イタイの飛んでいけー!


◆セプテンバーソング 2006年9月10日 (日)

もう9月も半ば、9月という月はいつも慌しく過ぎ、私の好きな「セプテンバーソング」をこころを込めて歌った記憶がありません。おまけの人生がなければ、これが最後の9月というのに、今年も今日まで歌わずに来ました。

9月は私にとって区切りの月、開業をしたのも、息子に院長を引継いだのもこの月。今年は理事長も、その他もろもろのことも引継ぎました。それらのことから解放された今日、私はこの歌を歌います。

September Song

Oh, it's a long, long while from May to December
But the days grow short when you reach September

When the autumn weather turns the leaves to flame
One hasn't got time for the waiting game

Oh, the days dwindle down to a precious few
September, November

And these few precious days I'll spend with you
These precious days I'll spend with you

2006年9月10日 (日) | 固定リンク|コメント (10)|トラックバック (0)


▼コメント
投稿: BOW | 2006年9月11日 (月) 00時35分
musi さんの
>40肩でしょう(^_=)

こちらに、レスを書きますね!
+30肩です!

昔、四十肩五十肩だと診断したら、年寄りには喜んでもらえました(笑)一つはPCに向かい過ぎが原因だとは分かっているのですが、、、

▼コメント
投稿: musi | 2006年9月11日 (月) 00時49分
>・・・だから貴重な日々を貴方と一緒に過ごしたいのだ」
ご心境にピッタリだなあと思いました。お風呂で…あっ都会だものこれはないかもと(^^)録画されたのでしょうか?musiへのコメントは省いて下さって構いません。肩こり早くほぐれますように!

▼コメント
投稿: 棘 | 2006年9月11日 (月) 01時38分
おっかけレス(笑
ゆっくり台湾では、脊椎の矯正をやって頂きました。 ドクターのエッセイにあったような怖いマッサージでは無く(笑  ソフトなんですがかなりすっきりしましたよー

棘も肩こりについては持病のようなものなので 人様にはえらそうに言えませんが・・・

ドクター、それは運動不足でもあると思いますので 軽めのストレッチなどされると おまけの人生にもよろしいかと思われます♪

▼コメント
投稿: BOW | 2006年9月11日 (月) 21時21分
>脊椎の矯正をやって頂きました
それは、それは、良かったですね!私は今まで肩凝りなど経験したことがなかったのに、こちらへ来てから持病になってしまいました。

何を緊張してるのかな、やはりタイムリミットが関係しているのかなとか、やり始めると休むことをしないからか、いや、できるからかなとなどと思ったりしています(笑)

▼コメント
投稿: まりん | 2006年9月19日 (火) 18時52分
今日学校に、きてくださりありがとうございます。
この、世界のみんなが、大切に、しているものや、いろいろなことをおしえてくださりありがとうございました。マミーにもおしえてあげました。
またしゅうかいにきてください。1ねん3くみ まりんより

▼コメント
投稿: マミー | 2006年9月19日 (火) 19時02分
今日、娘が帰ってくるなり、 「学校にNドクターがきてお話があったよ!!」(←興奮状態) と怒涛の報告が続きました。

「HPがあるって言ってはったから探すわ!」(またまた興奮) 近頃、Googleで自分で探すようになり張り切っておりました。 お友達のお家なども画像の中に発見し、ひとしきりKドクターのHPを探検しておりました。見慣れた風景、医院の様子に感動しておりました! で、ローマ字表とにらめっこで上の書き込みをさせていただきました。

小学校へは定期的に講演をしにいらして下さるのでしょうか?次回を楽しみにしているようです。私も拝聴したかったですー。

「世界で一番大切なもののお話だったよ。」
「何か分かる?【いのち】だよ。」
と教えてくれました。

▼コメント
投稿: BOW | 2006年9月20日 (水) 01時16分
まりんちゃん、ありがとう!!
倉小の皆があんまりお利口だったので、感心して、もう嬉しくて嬉しくって、ずっと今日の集会のことをホームページに書いていたので、お返事が遅くなり、ゴメンナサイね!!

だけど、まりんちゃん、スゴイね!あんまり賢いので、もうマイッタマイッタです。ありがとう。先生は涙が出るほどうれしいです。また、ここに書いてね。

▼コメント
投稿: BOW | 2006年9月20日 (水) 01時27分
マミーさん
まりんちゃんは神童ですね!もう唖然となりました。その内に抜かれそうな予感がしませんか? 早晩ライバルになるのではないですか(笑)

>「世界で一番大切なもののお話だったよ。」
>「何か分かる?【いのち】だよ。」

1年生なのに、私が一番分かって欲しかったことを、ちゃんと理解してくれたのですね!
スゴイまりんちゃんが、スゴイスゴイまりんちゃんになった、スゴイ!
これ、私の最大のほめことばです。過去に1〜2回しか使ったことがありません。まりんちゃんに伝えて下さいね!

▼コメント
投稿: まりん | 2006年9月20日 (水) 20時32分
おへんじありがとうございます。すごくうれしいです。
のむらいいんはわたしがかよったことがあります。
すごいといってくださり、ありがとうございます。(^O^)♪
もう学校に、こられないので、さびしいです。けいせんせいが、びょうきのとききてください。
1ねん3くみ まりんより

▼コメント
投稿: マミー | 2006年9月20日 (水) 20時49分
娘にまでレスをいただきありがとうございます。 やはり学校の健診にもう先生がいらっしゃらないと知り、ショックだったようです。

>その内に抜かれそうな予感がしませんか?
友達の子供に教えてもらったイギリスBBCの子供向けゲームサイトなど、私はさっぱり勝手が分かりませんが、事もなげに楽しんでいるので、もうその分野では完全に抜かれてしまってます。

今時の子供って、ほんとにPCに馴染んでますよね。このままでは地道に図書館で調べ物なんて絶対にしなくなりそうな予感がします。ゲーム脳になられても怖いですし、ツールとしてうまく利用できるようにもっていくのは至難の技かもしれません・・。

親がPC漬け生活してしまっているのに、そうなっちゃいけないと指導できるものかどうか、不安です。子供の前では電源OFFを心掛けます。


◆私の英語愛唱歌の歌詞 をUP 2006年9月13日 (水)

「セプテンバー・ソング」をここに書き込んだことから思いつき、「私の英語愛唱歌」の歌詞をABC順で30曲、「中之島のBOW」と「BOWの部屋」に掲載しました。これは、愛唱歌の内で、ほとんど歌詞を覚えているものばかりです。

それぞれについての「歌と思い出」と「歌のデータベース1000曲」にリンクを張りましたので、歌詞と思い出と歌のデータが有機的に結びつき、Webの素晴らしさを体験していただけると思います。

私にとって有用ですが、歌のお好きな方にとっても、お役に立つところがあるのではないかと思っています。

2006年9月13日 (水) サイトとブログ | 固定リンク|コメント (4)|トラックバック (0)


▼コメント
投稿: Muチャ子 | 2006年9月15日 (金) 02時37分
みなさんのご活躍を陰からずーっと眺めていました(^o=)~°°°
仕事関係の時間帯が変わりサイクルがつかめなくて、ずいぶん遅くなりましたー。魅力あるブログ「エンジョイBOW」の益々のご発展を!と。

▼コメント
投稿: BOW | 2006年9月15日 (金) 08時40分
お久し振り! 良かった!!
ブログを開いた翌朝コメントを下さった Muチャ子さんも、ハイビジョンなどの難解な記事ばかり載せるので、もうお見限りかとあきらめていました(笑)

▼コメント
投稿: Muチャ子 | 2006年9月17日 (日) 23時25分
難解な記事が何回続いたかなあ(^^)  冗談です!

>もうお見限りかとあきらめていました
それはないですよ〜!いつも優しいまなざしで見守っているMuチャ子ですもん(^_^)v
今からちょっと「中之島のBOW」で調べもんがあるのでお邪魔しま〜す(^^)

▼コメント
投稿: BOW | 2006年9月18日 (月) 08時15分
>「中之島のBOW」で調べもんがある
「中之島の図書館」並みに扱っていただき、光栄です!(笑)


◆校医を辞めました をUP 2006年9月19日 (火)

33年勤めた小学校の校医を今月一杯で辞めるにあたり、今朝600人のこどもたちにお別れの話をしてきました。そこで私は深く感動しました。その気持がうすれない間にそれを書きとめ、ただ今UPしました。「中之島のBOW」と「BOWの部屋」に載せています。

「荒れる小学校」とマスコミが煽る記事とは正反対のこどもたちがいます。こどもに関心をお持ちの方、是非お読み下さい。

2006年9月19日 (火) サイトとブログ | 固定リンク|コメント (17)|トラックバック (0)


▼コメント
投稿: マミー | 2006年9月20日 (水) 00時37分
そ、そうだったのですねー!!
お別れのご挨拶にいらして下さったとは娘は全く理解できていなかったようです。次回を楽しみにしていたぐらいですから。情けないことです、、。(チグハグな書き込みをしてしまい大変失礼致しました。)

今、先生のエッセイを読ませていただき、私も子供の頃、保健室で健診してもらったときのことを思い出しています。懐かしい初代校長先生のお名前が登場し、一気にタイムトリップしてしまいました。そして子供たちが落ち着いてお話を聞けたという事実にほっとしています。きっと先生の巧みな話術にみんな引き込まれていたんでしょうね。

長い間、本当にありがとうございました。滑り込みで学校でも親子2代にわたって診ていただくことができて嬉しかったです。 娘には明朝、昨日先生がいらしたことの趣旨を説明します。きっと淋しがると思います。

▼コメント
投稿: BOW | 2006年9月20日 (水) 01時33分
そうだったのです。ホームページを印刷し、倉小に今送ったところです。文集をくれた可愛い女の子たち7人にもお礼として、HPの印刷を入れておきました。のようなわけで、レスが遅れっぱなしでごめんなさい!

まりんちゃんに謝っておいてくださいね!

▼コメント
投稿: 棘 | 2006年9月26日 (火) 04時37分
おじいちゃんセンセイ(^^)おつかれさまでした
まりんちゃんの「けいせんせいがびょうきのとききてください」
すてきなメッセージですね
まりんちゃんはとてもあたまがいいんですね?
だってオトナはそんなことおもいつくことができないもの。

センセイはすてきな生徒さんたちと出会えてよかったですね?
なんだかコチラまであったかーい気持ちになりました♪

▼コメント
投稿: BOW | 2006年9月26日 (火) 10時18分
棘さん、嬉しいコメントありがとうございました。
>「けいせんせいがびょうきのとききてください」
このことばには参りました(笑) かわいくて、胸にこたえました。

息子がこれを読んで、これ幸いと仮病を使われても困るので、黙っておきます。(笑)
ほんとにステキこどもたちで嬉しくなりました。

▼コメント
投稿: musi | 2006年9月26日 (火) 13時06分
こころ温まるメッセージばかりで最高の気分になりました!純なまりんちゃん、マミーさんすてきなお子さんですね!周りの者までホンワカムードに包まれました。ありがとう!

▼コメント
投稿: BOW | 2006年9月26日 (火) 13時41分
musiさん 10時18分の書き込み!からだの具合が悪いのではないですか?
こんな時間の書き込みは初めてです、嬉しいけれど、心配しています!

▼コメント
投稿: マミー | 2006年9月26日 (火) 22時11分
misiさま
体調を崩されていませんか?私も心配です。

DrBOW 棘さま musiさま
>すてきなお子さんですね!

などと言って頂き恐縮です。娘は「喪失感」に弱く、大切に思っている方との「お別れ」は特に落ち込んでしまいます。1才の頃からとても優しく診て頂き、大好きなドクターですので医院でお会いできなくなったのは淋しいのです。ですのでおマセな書き込みをして必死で繋がっていようと努力しているようです。(涙ぐましいです。) 母娘で同じようなことしているような気もしますが・・。(笑)

DrBOWは「それは優しく繊細な性格を表している」と仰って下さいましたが、今のところ毎日妹に意地悪している姿にその片鱗も感じることはできません。皆様が全く違うイメージで娘を想像下さっているので、申し訳なく、いたたまれなく、、、な心境です。

DrBOWが娘にバラとバラ園のお写真をお送り下さり、小躍りして喜んでおりました。早速額に入れ、学習机の横に飾らせて頂きました。これからの「お守り」になってくれそうです。そして今日、お礼のお手紙を書いていました。郵便配達員さんが娘の暗号のような宛名書きを解読下さるのを祈るばかりです。(笑)

▼コメント
投稿: musi | 2006年9月27日 (水) 01時49分
駄文をご紹介いただきありがとうございます。ご心配恐縮ですが、musiの時間とは違いますが…なぜでしょう?送信時間を書き込んでみます。27日(水)01時49分です。

▼コメント
投稿: BOW | 2006年9月27日 (水) 09時23分
良かった!10時18分はBOWが書いた時間でチョンボ! 13時06分 にビックリしてコピーし損ねたのでした。元気一杯とのこと安心安心(笑)

▼コメント
投稿: BOW | 2006年9月27日 (水) 21時01分
また嬉しがった記事を書いて顰蹙(ひんしゅく)ものであるのは分かっています。けれど、もう一度目をつぶって、いや目をつぶられると見てもらえないので、目を開けて見てくれないでしょうか?実は、今日倉治小学校の校長先生が「記念パネル」を贈って下さったのです。

それを、後日談その2に載せています。下にあるBOWをクリックして頂ければそちらへ飛びます。

▼コメント
投稿: マミー | 2006年9月27日 (水) 22時29分
musiさま お変わりなく、よかったです!
DrBOW
素敵なプレゼントが届けられたのですね!
当日のお写真、ちゃんと撮影されていて、DrBOWの表情から、そのときの雰囲気が伝わってきます。校長先生、諸先生方ありがとうございます!とお礼を申し上げたくなりました。田舎の小学校ですが、なかなか素敵!と我が娘の通う小学校が好きになりそうです。

▼コメント
投稿: BOW | 2006年9月27日 (水) 23時23分
>DrBOWの表情から、そのときの雰囲気が伝わってきます。 悪乗りして拡大写真も載せました。カンニン、カンニンね(笑)

▼コメント
投稿: musi | 2006年9月28日 (木) 02時05分
マミーさま。
ありがとうございます。この通り元気印で相変わらず夜の蛾で〜す。まりんちゃんから始まった感動をもお裾分けしてもらい、「世の中捨てたモンじゃない!」といい気分になっています(^o^)

▼コメント
投稿: 棘 | 2006年10月 2日 (月) 01時50分
これはこれは・・・素敵なオジイチャン先生♪ 最年長の卒業生でもあったんですね? 世界でたった1つの、卒業証書ですね<パネル

▼コメント
投稿: BOW | 2006年10月 2日 (月) 13時44分
>最年長の卒業生でもあったんですね?
そうなりますね(笑)

>世界でたった1つの、卒業証書ですね
そうなりますね(笑) 宝にして飾っておきます(笑)

▼コメント
投稿: マミー | 2006年10月 3日 (火) 21時13分
musiさま DrBOW 皆さま
娘がDrBOWのブログに人生初めての書き込みをさせて頂き、先生とのやりとりができて母娘で喜んでいたこの頃でしたが、、。よいことばかりは続かないもので、今日次女が幼稚園で瞼を切る怪我をし、「縫うことになるかもしれない。」と連絡が入り大慌てで迎えに行きました。

どんな顔になってしまってるのかとドキドキしながら車を運転していましたが、腫れた瞼にキズテープが貼られているぐらいで大怪我ではなかったと分かりほっとしました。歩かなきゃいけない廊下を走って、転んで、顔面の先に角張ったスチールの支柱(楽器・ピアニカのホースを干すためのものらしいです。)があったらしく。

不細工ながらも一応女の子の「顔」なので、縫合の上手なドクターにお願いしたいと思い、「オペの習慣で真冬でも裸足」のKドクターのもとに急ぎました。

時間外(しかも飛び込み)でしたのに快く診ていただき、夜には奥様にも診ていただきました。なんとか縫わずにいけそうだということで、消毒ののち傷口が閉じるようテープを貼っていただきました。

Kドクター、奥様に感謝、感謝の1日でしたー。

▼コメント
投稿: BOW | 2006年10月 3日 (火) 21時42分
花音ちゃんにも「絵」をもらって、こどもさんの成長の早さに驚いていたのですが、大変だったのですね。 Kと嫁でお役に立てたようでほっとしました。こどもは傷の直りが早いから、すぐ回復すると思います。お大事に!


◆musiさんが「お願い泣かんといて!」をUP 2006年9月26日 (火)

musi さんの「はちゃめちゃ日記」に「お願い泣かんといて!」が掲載されました。例によって、ドジはありますが、こころ温まるお話で、もらい泣きしてしまいました。(嘘です)

「はちゃめちゃ日記」をクリックして、その一番下にある「NO26」をクリックすると、「お願い泣かんといて!」へ飛びます。

ぜひ、ご覧下さい!

2006年9月26日 (火) サイトとブログ | 固定リンク|コメント (1)|トラックバック (0)


▼コメント
投稿: musi | 2006年9月27日 (水) 02時23分
ごめんなさい!書き忘れてました。元気の固まりみたいな今日この頃で〜す\(^^)√
27日02時23分であります。


◆祇園一力亭の宵 をUPしました 2006年10月 2日 (月)

9月28日の夜を祇園の一力亭で過ごす機会がありました。おそらくこれが最初で最後の体験となると思い、記録に残しておきました。

私のような素人が抱いた疑問は、皆さまにも興味があるかも分かりませんね。よろしければ、お読み下さい。18枚の写真入りです。

「中之島のBOW」と「BOWの映像」に載せています。

2006年10月 2日 (月) サイトとブログ | 固定リンク | コメント (2) | トラックバック (0)


▼コメント
投稿 Muチャ子 | 2006年10月12日 (木) 01時15分
セーフ!で拝顔できました(^_^)v
拝読しました。いつも感じるのですが、的確ですごく解りやすくもの書きの天才だわ!と感じています。全然興味のない方でもついつい引き込まれ最後までちゃんと読んでしまいます。京都で舞妓さんを見かけた時はちゃっかり観察してやろうと、企んでいま〜す。面白いお話をありがとうございました。

▼コメント
投稿 BOW | 2006年10月12日 (木) 18時34分
>的確ですごく解りやすくもの書きの天才だわ!
ありがとうございます。Muチャ子さんは、おだての天才ですね!

近頃舞妓さんの真似をさせてくれる商売が流行っていて、ずぶの素人高校生が、姿格好だけ真似て歩いているとの話も聞いたことがありますよ!


◆浜松池田邸 をUP 2006年10月23日 (月)

浜松に転居された池田先生ご夫妻の新居へ、5日に1回のペースで、お客さまが訪問されているとのことで、驚嘆いたしております。

その池田邸とはどこにあるのか?、どんなお家なのか?、どうして大阪生まれで大阪育ちの池田先生が、この地を終の棲家に選ばれたのか? などを知りたいですね!実は、これは私の疑問です(笑)。

そこで、先日池田邸にお邪魔したときの記録を写真を中心にしてUPしました。あいつに来られると、すぐホームページに載せると思われて、訪問を敬遠されると困るので、今まで寝かせておきました。

しかし、こんなにたくさんの方が訪問されているのだから、UPしても許されるだろうと思い、池田先生ご夫妻のお許しを得てUP致しました。浜松池田邸です。ご覧下さい。

2006年10月23日 (月) サイトとブログ | 固定リンク | コメント (12) | トラックバック (0)


▼コメント
投稿 T-ba | 2006年10月23日 (月) 18時20分 BOW先生の撮影と画像処理技術は並でないことは充分承知していました。その上、カメラが特級ですから、もう鬼に金棒、実物よりはるかにキレイに撮れています。住まいしている住人が驚いているのですから、どうか大幅に割り引いてご覧下さいますように!

訪問して下さった花の先生と制作したプリザーブ「ボルドー色の秋」の方も観ていただきたく思っています。少し煩すぎる秋になったきらいはありますが、、
http://www.asahi-net.or.jp/~cy3y-ikd/arenj10.html

▼コメント
投稿 BOW | 2006年10月23日 (月) 23時17分
「ボルドー色の秋」も素晴らしいですが、私は2006年9月より浜松新花暦の今月の花のピンクのバラが好きです。花音痴でごめんなさい(笑)

▼コメント
投稿 T-ba | 2006年10月23日 (月) 23時37分
あの「ピンクのバラ」はBOW中之島バラ園31jpg の画像を拝借したものです。浜松新規の花暦を記念する意味で、使わせていただいていました(スミマセン)

秋色、、は、あまりご趣味ではないとは思っておりました(笑)。実物は格調があっていいのですが、、

▼コメント
投稿 BOW | 2006年10月24日 (火) 00時00分
また、チョンボをしたかと慌てましたが、違うようですよ(笑)

▼コメント
投稿 musi | 2006年10月24日 (火) 01時24分
いっぱい拝見しました〜花暦では今月の13日、20日のがナウイじゃん!(すみません今問題視されている敬語を知らない彼女です。musiもですが)と横から口を出しています(^^)

明朝5時の電車に乗るのでお泊まりしている彼女です。朝食は・・・ハハハ食パン焼いてチョンで〜す。gu-gu-gu-

▼コメント
投稿 musi | 2006年10月24日 (火) 01時24分
drBOW、みなさん、お変わりありませんか〜。秋はソワソワする季節でもあり、何かとお忙しいのでしょうね。 drBOWさん、大作に取り組んでいらしゃるのですか〜そんな予感がします(^^)

▼コメント
投稿 BOW | 2006年10月28日 (土) 07時59分
Muチャ子さん、おはようございます。
ちょっと、ご無沙汰を続けてしまいました。10月も間もなく終わるというのに、だらしないですね!
今月末までには、何かまとめてUPしたいのですが、、、

▼コメント
投稿 BOW | 2006年10月29日 (日) 00時27分
私は嘔吐というものを経験したことがなかったのですが、医師となって入局した時に先輩に冷酒をたくさん飲まされ、生まれてはじめて酩酊し、嘔吐をしてしまいました。

次は結婚した時に叔母のところに挨拶に行って、そこで痛飲して、やはり吐きました。3回目は開業前に、同期入局の友人たちと、午前4時頃まで飲み続けて、これは帰宅してから、苦しくなって嘔吐したことがあります。

しかし、それから、30年以上も嘔吐したことがなかったのですが、池田邸を訪問して、美味しい料理と楽しい会話が6時間以上続いた時に、お調子者の私は、嬉しくなって、ワインをビール飲みしてしまい、あのオシャレな新しいお家の食堂と、リビングルームで、これまでの中で最大量の嘔吐をして、お部屋を汚してしまったのです。これで70歳までに合計4回嘔吐をしたことになります。

酔いはすぐに治まったのですが、美しいお部屋を汚してしまったことが申し訳なく、すっかり落ち込んでしまいました。ドジ、チョンボは私の特技、話のタネにすることはあっても、気にしないのですが、このようなご迷惑をお掛けしたことが恥ずかしく、それを寛大にお許し下さった池田先生ご夫妻に申し訳ない気持が続いています。生涯で一番恥ずかしい経験です。

浜松池田邸の紹介記事には、そのことをきちんと書いて置いたのですが、それは自分勝手なエゴで、記事を読まれた方や池田先生ご夫妻には、不快感が残るだけであることに気がつき、削除しました。

しかし、やはり気持が治まらないので、ここにこっそり書いて置きます。もうこれが最後であるように気をつけるつもりです。

▼コメント
投稿 T-ba | 2006年10月29日 (日) 10時13分
やっぱり!!気分鬱々となさっておられたのですね! 削除してUPなさって下さい」とお願いしましたのはT−baです。正直なBOW先生がイヤイヤ同意なさったことを感じておりました。ここに書かれて、ご気分がはれたのであれば、それが一番かもしれないと思います。「お茶しません常連様」は、もう二度、三度とお読みにはなりますまい、削除されました箇所を元に戻して、ご気分がスッキリするのであれば、いずれそうなさってもいいのではと思っています。

何回も申し上げましたが、私共は、ただひたすらBOW先生にそのような思いをおさせしたことが申し訳なく、当方の不手際とデリカードワインをおすすめし過ぎたことをくやんでいるだけです。

T−baにとっては後片付けなど大したことではなく「昔とった杵柄」、ご心配にはおよばないこと、重ねてここに申し上げておきます。

イタボスが言いました。
「BOW先生は、きっと自分でバラシはる!」、、と、ボケボケ爺ィでも「カン」が当ることがあるのだ、と思わず笑いました(ゴメンナサイ)

▼コメント
投稿 BOW | 2006年10月29日 (日) 11時10分
>「BOW先生は、きっと自分でバラシはる!」

すっかりお見通しで、苦笑してしまいました。やっぱり、書いておかないとフェアでないという気持がいつまでも残ってしまう性格で申し訳ありません。これで気持を切り替えて、月末までには、ちょっとしたまとめをUPしたいという気持になりました(笑)。

▼コメント
投稿 Muチャ子 | 2006年10月30日 (月) 14時48分
DrBOWさん、月末は瞬きした途端に過ぎてしまいま〜す。ファイト!必ず読みま〜す!

▼コメント
投稿 BOW | 2006年10月31日 (火) 01時23分
>月末は瞬きした途端に過ぎてしまいま〜す。ファイト!
Muチャ子さんの叱咤激励を受け?なんとか先ほど、小さなまとめをUPしました。


◆英語愛唱歌を唄った歌手 をUP 2006年10月31日 (火)

10月はあまりブログに書き込みもできず、WebサイトへのUPもわずかでした。なんとか、最後に小さなまとめを「英語愛唱歌を唄った歌手」としてUPしました。

「私の英語愛唱歌」を唄った歌手を、手持ちCDから探し出し、それぞれの歌手についての感想と、私の好みをまとめたものです。これは、前回の「私の英語愛唱歌」からもリンクできるようにしてみました。

2006年10月31日 (火) サイトとブログ | 固定リンク | コメント (4) | トラックバック (


▼コメント
投稿 musi | 2006年10月31日 (火) 01時12分
拝見しました。「私の英語愛唱歌」へも飛べ、あちらを読んだりこちらを読んだりしています。先生の歌に関する熱意が伝わるサイトだと思いました。ありがとうございました。

▼コメント
投稿 BOW | 2006年10月31日 (火) 01時26分
お読みいただき、ありがとうございます。UPしてから風呂に入り、出てきたら、musiさんのコメントがついていて驚いています。

▼コメント
投稿 Muチャ子 | 2006年10月31日 (火) 14時22分
ワオーーー!思った通りのスピードUPに、さすがdrBOWさん!さっそく拝見しました。ハズカシイですが英語の成績は(-_-)でしたのですが、なんとなく分かり、ため息つきつつ読んでおります。したいことが出来る内が華で〜す!お元気でジャンジャンUPして下さ〜い。陰の応援団のMuチャ子です。

▼コメント
投稿 BOW | 2006年10月31日 (火) 20時09分
Muチャ頑張りました(笑)オマケの人生まで後5ヶ月となり焦っています(笑)次々と新しくしたいことが出てくるので、このあたりで手を打たないといけないとは思っているのですが、、


◆私の英語愛唱歌(2) をUP 2006年11月 1日 (水)

もう11月です。11月の我が家は1年間で一番記念日が多く、妻、息子の誕生日、結婚記念日が続きます。飲む会も二つばかり、招待を受けた発表会も二つ、それに中断していた「ハイビジョン(3)」を再開することにしたので、忙しくなることでしょう。

そこで、とりあえず突貫作業で作成した「私の英語愛唱歌(2)」を先ほどUPしました。これには「歌と思い出」「歌のデータベース1000曲」「この英語愛唱歌を唄った歌手」にもリンクを付けています。関心がおありの方ご覧下さい。


▼コメント
投稿 BOW | 2006年11月 1日 (水) 20時19分
たった今、Googleで「英語愛唱歌」を検索してみましたら、検索結果 約 61,600 件中 1、2、4位でヒットしました。 英語の歌の歌詞が意外と求められているようです。Muチャ子さん、そういう訳で、重ねてのUPゴメンナサイね(笑)


◆恐怖のサッタ峠ドライブ 2006年11月13日 (月)

T-baさんが「恐怖のサッタ峠ドライブ」をUPされています。安藤広重の「東海道五十三次・由井」に描かれた富士山を見るために嶮しい難路を車で上り下りされたお話です。

その成果としての富士山の写真の掲載もあります。「 広重の絵」の構図そのまま、富士はその変わらぬ美しい姿を見せています。広重の絵を載せておきますので比較をして、ご覧下さい。

2006年11月13日 (月) サイトとブログ | 固定リンク | コメント (3) | トラックバック (0)


▼コメント
投稿 T-baba | 2006年11月14日 (火) 14時04分
「東海道五十三次・由井」の絵を載せていただき、有難うございます!ブログはこんなことが出来るのですね!写真と比較するのにこの「絵」がほしいと思ったのですが、スキャナーが古くなって、ほってしまいましたので、諦めていました。嬉しいです!

古い友人があの近くに住まいされていると聞いて、再び行くつもりになっているイタボスに同行断固拒否を宣言しました(笑)

▼コメント
投稿 BOW | 2006年11月14日 (火) 21時01分
明日のイタボス閣下ご生誕78周年のお祝いに、メールで画像ファイルをお送りします。お使い頂ければ幸甚です。

▼コメント
投稿 T-ba | 2006年11月15日 (水) 12時25分
有難うございました!早速使わせていただきました!感謝感激です。


◆PCオーディオの基礎をUP 2006年11月21日 (火)

この度、PCのオーディオについての私の知識がわずかしかなく、そのわずかの知識もよく消化されていないことに気づきました。

そこで、いろいろ調べてみたのですが、初歩的な情報が少なく、情報はあってもその関係が良く分からず、悪戦苦闘の末ようやく何とかまとめることができました。ただ今「PCオーディオの基礎」のタイトルでUPしましたので、ご関心のある方はご覧下さい。

今日は息子の38回目の誕生日、その記念になると勝手に思っています(笑)。


▼コメント
投稿 musi | 2006年11月24日 (金) 04時19分
圭先生のお誕生日お祝いUPだったのですね
おめでとうございます。次々のテーマに目を見張っています。ますますお元気でと願うばかりです。

▼コメント
投稿 BOW | 2006年11月24日 (金) 09時09分
圭は何も知らないはず!書き上げたら、たまたま奴の誕生日だったので、何かの記念にするのが好きないつもの癖が出て、書き加えました(笑)コメントありがとうございました!


◆ハイビジョン・ビデオ(3)特殊編集をUP 2006年11月30日 (木)

余りにもオーディオ部分が難解のため中断して、その間に英語愛唱歌やCDの整理をしてきました。それが8割くらいできたところで、もう一度オーディオに挑戦し、今なんとかまとめることができました。

Premire Pro のオーディオは、これまで取り組んできた課題の中で一番難解だったような気がします。おまけの人生を目前にして、何とか自分の納得できるまとめができたことを嬉しく思います。

「実用ハイビジョン・ビデオ(3)特殊編集」に、図を14枚ばかり入れました。図だけでも見て頂ければ嬉しいです。

2006年11月30日 (木) ハイビジョン | 固定リンク | コメント (5) | トラックバック (0)


▼コメント
投稿 BOW | 2006年12月 1日 (金) 17時28分
こんなわけの分からんタイトルにコメントをもらえるはずがなく、自分で思いつくことを書いていきます(笑)。週に3〜4回は梅田へ歩いて出かけ、帰りはビヤホールで飲んで帰ります。おかげで飲酒運転の心配がなく助かります。昨夜は制作打ち上げ気分となり、大衆イタメシ屋で乾杯しました。悪戦苦闘をしたけれど、達成感はいつの場合も気持が良い。

帰宅して、Google でどのくらい評価されているのか、「実用ハイビジョン・ビデオ」のキーワードで検索してみました。そうしたら、282,000 件中で1〜7位までを私のものが独占しているのです。

「実用ハイビジョン・ビデオ(2)カット編集をトップに、 5<映 像>の構成、 エンジョイBOW: ハイビジョン、 実用ハイビジョン・ビデオ(1)撮影、 BOWの映像、 ひとりごと、 ひとりごとが続きます。

もう嬉しくなって、妻を呼び寄せ、データを見せました。いつもは批判的な妻も、何でかしらね?と言いながら、結果だけは認めてくれました。

▼コメント
投稿 BOW | 2006年12月 1日 (金) 22時23分
実用ハイビジョン・ビデオについて大きな山場を越えることができました。そこで、オマケの人生を迎えるまでに、予定していた多くの過去のまとめ作業を中止して、予定していなかった実用ハイビジョン・ビデオに取り組むことになった経過を、この際ふり返ってみました。これまで突貫工事で進んできましたが、今ふり返っておかなければ、あとでは難しいのではないかと思います。

私は、行なってきたことのまとめを大切に思う人間です。それをしておかなければ、行なってきたことが形として残らず、そのために自分がその結果を利用するにも十分でなく、まして、他の人に活用してもらうことなど望むべくもないと思っています。

引継引越問題を片付け、32年間の診療のまとめを「開業医の小児科独習法」で終え、次に行なったのは、「BOWの部屋」と「BOWの映像」という2つのWebサイトを増設し、「エンジョイBOW」というブログを新設することでした。

その後は、まず「病気の図譜」をまとめるつもりで、増設した「BOWの映像」のトップページに「病気の図譜」工事中と予告をしてきました。これまで10年間ホームページを続けて来ましたが、工事中を表示したことは一度もありません。それは、何か空手形を出すようで嫌だったからです。

それなのに、この度は「工事中」と表示したのは、それを宣言することで自分にノルマを課すためでした。その次は「病気とストレス」をまとめ、次は手持ちの動画をデジタル化し、その次は過去の静止画(写真)をデジタル化すること、その次は文字の記録をまとめデジタル化すること、いくつも予定は残っていました。

その時は6月、オマケの人生までに残された時間は10ヶ月ばかりとなっていました。

▼コメント
投稿 BOW | 2006年12月 1日 (金) 23時32分
私は3台前のPCから Sony Style の通信販売で購入しています。だから、絶えず最新情報がメールで送られて来ます。6月2日に「VAIOオーナーメードモデル「type R」『VGC-RC72PS・RC72S』にブルーレイディスクドライブが追加され、先行予約販売受付中です」との情報が入りました。

こちらに転居して、65インチの液晶で「フルスペック・ハイビジョン」の素晴らしさを知った時から、これからのビデオはハイビジョンだと思ってきました。情報量が4.5倍になると、これほど精細な映像が得られるのかとカルチャーショックに近いものがありました。

ハイビジョンビデオカメラの一般向けが発売され、撮影だけなら簡単にできる状況になっていました。しかし、その記録メディアとしてのブルーレイディスクで保存できるPCはなく、この先行予約販売受付に飛びつきました。もう気持はすっかりハイビジョンです。

それから、ハイビジョンについて調べてみたのですが、Web検索で有用なまとまったハイビジョンの情報はなく、書籍も有用なものはほとんどありません。こうなると、自分で実用的なハイビジョン・ビデオの撮影、編集、保存についてまとめてみたいという欲求が湧いてきて、急速に大きくなってきました。

残り10ヶ月となったけれど、これをまとめて身につけ、ハイビジョン・ビデオで記録して作品を作ることはできるのではないか、新しいことに取り組めるラストチャンスだと思いました。

そこで、「病気の図譜」制作も「病気とストレス」のまとめも中止し、6月8日のこのブログの「ハンドルネームBOW」のところで、

----------------------------------------
明日から、大きなプロジェクトに取り組もうと思っています。それはハイビジョンの撮影、編集、保存です。

ブルーレイディスクに書き込みができるパソコンが発売されることになり、先行予約を受け付けているので予約しました。

DVDの時よりも数倍しんどいのは覚悟で、これを最後の大きなチャレンジにしようと思っています。書かなくても良いのに、書いてしまう悲しい性ですね(笑)
-----------------------------------------

と書いたのでした。

▼コメント
投稿 Muチャ子 | 2006年12月 2日 (土) 01時25分
コメントはありま〜す(^○^)
いつもの如く拝読しました。目次の言葉も分からずチンプンカンプンですが、興味のある方にはたまらない題名でしょう、すがりついて読みふけっているのではと想像できます。ご自分のためだけでなく、人様にも役立つサイト、スバラシイ!といつも感じ入ります。この大作を完成されご苦労様とおめでとうございます!

▼コメント
投稿 BOW | 2006年12月 2日 (土) 08時41分
Muチャ子さん、コメントありがとうございます!
不思議な方ですね、ブログを立ち上げた翌朝、数時間のちに激励のコメントをいただき、ビックリするやら、嬉しいやらだったことを思い出します(笑)。


◆サイトのトップページを改変しました 2006年12月 3日 (日)

2つのサイトとこのブログを新設したあと、ハイビジョンにはまり込んでしまったりで、トップページを分かりやすいように改変することをサボっていました。

いまちょっと一段落したので、今朝から改変作業をしてきて、「中之島のBOW」は、かなり改良できたのではないかと思っています。しかし、なにかゴチャゴチャして、分かり難くなったと言われそうな気もします(笑)。

その中心は、1)「What's New !」「今年の更新履歴」、「全部の更新履歴」を分かりやすくしたこと。2)私のWebサイトの3大テーマである、エッセイ、音楽、映像について、より分かりやすくしたことです。

今のところ、これがベターではないかと思えるのですが、私の頭が変で、分かり難いと思われるかもしれません。こうしたら良いのではないかと、アドバイスいただければ嬉しいです。よろしくお願いします(笑)。

2006年12月 3日 (日) サイトとブログ | 固定リンク | コメント (4) | トラックバック (0)


▼コメント
投稿 T-ba | 2006年12月 4日 (月) 19時41分
より分りやすく、行きやすくなりました。決して「頭が変」ではありません(笑)。

それに、今気付きましたが、リンクをリニューアルされて整理されましたね、「寅baba」のページをBOW3サイトのお仲間に入れていただき、光栄です。思いがけなかったので、見た瞬間、涙が出そうになりました(嬉しくてです!ネンノタメ)

▼コメント
投稿 BOW | 2006年12月 4日 (月) 21時08分
>より分りやすく、行きやすくなりました
T−baさんに太鼓判を押して頂いて大安堵!

>寅baba」のページをBOW3サイトのお仲間に
「医療から離れたサイト」は他にはこの4つしかありません(笑)

▼コメント
投稿 musi | 2006年12月 5日 (火) 02時06分
迷子にならず飛びやすく感じます。姉寅さまのリンク、画像が季節に応じて変わってま〜す。musi作成は昔のままクラシック調・・・トホホホあ〜ぁ(^^;)

▼コメント
投稿 BOW | 2006年12月 7日 (木) 16時38分
>迷子にならず飛びやすく感じます。
musi さんのような超ベテランを迷子にする構造は設計者失格ですね(笑)

>musi作成は昔のままクラシック調
背景色を変えられたでしょう!? ブログが点検中で書き込めずゴメンナサイ!


◆Xmas高知別府クルーズ 2006年12月19日 (火)

18日から飛鳥UでXmas高知・別府クルーズを楽しんでいます。今日は高知城と桂浜を観てきました。明日は湯布院に行く予定です。写真は神戸港に停泊中のの飛鳥Uで、後ろの建物はメリケンパークオリエンタルホテルです。船上からBOW

2006年12月19日 (火) サイトとブログ | 固定リンク | コメント (6) | トラックバック (0) |


▼コメント
投稿 Tba | 2006年12月19日 (火) 21時07分
>18日から飛鳥UでXmas高知・別府クルーズを楽しんでいます。

スッゲー!驚きました。奥様がさぞかしお喜びと思います!さすがしはることが違う! 優美な飛鳥Uでクリスマスクルージングは素敵でしょうね、11デッキのCPプラザにてブログに書き込みなんてオッシャレーッ!ダンス、カラオケ、カジノ、シアター、、それにフォーシーズンのフレンチ、、、ウラヤマシか、、航海日記、楽しみにしてます(笑)

▼コメント
投稿 BOW | 2006年12月19日 (火) 23時18分
> 優美な飛鳥Uでクリスマスクルージングは素敵でしょうね

何しろはじめての経験で戸惑うことばかり(笑) フォーシーズンのフレンチは食べつけてない人間には、天丼やざるそば、うどんの方がよほど魅力的です。ブログに書き込みができたことが私には大きな収穫でした(笑)

▼コメント
投稿 ふじもと | 2006年12月20日 (水) 16時04分
ブログ拝見しました。飛鳥Uの船上でこのようなことをされている方はきっとお一人だけでしょうね。

▼コメント
投稿 musi | 2006年12月24日 (日) 06時53分
な、なんと!ほんまにスッゲ〜!堪能さててらっしゃることでしょう!エーゲ海に続いて二作目の航海日記の公開を楽しみにしておりま〜す。

▼コメント
投稿 BOW | 2006年12月30日 (土) 20時42分
ふじもと様
書き込みありがとうございました。翌日湯布院の温泉を出た後から、尿が出なくなり、帰宅の翌日に緊急入院をし、28日に退院してきました。レスを返せず失礼しました。もう、元通り尿は出ています。

▼コメント
投稿 BOW | 2006年12月30日 (土) 20時51分
musiさん
書き込みにレスできなかったのは、上に書いた事情からです。ゴメンナサイ! 航海記は書くほどのこともありませんが、闘病記はいつかは書いておきたいと思っています。

とにかく、思わぬことで1週間をとられたので、年賀状がまったくできていなくて、昨日1日かけて何とか深夜に投函できました。今年は、50数年ぶりの失神、30数年ぶりの飲酒嘔吐、生まれてはじめての尿閉とヘンナ経験を重ねました。オマケの人生まであと3ヶ月、私の想定はあまり外れていなかったようです。


◆「死亡想定年をふり返って」をUPしました 2006年12月31日 (日)

今年は古希の年であり、死亡想定年でもありました。その特別な年の終り、今年1年をふり返ってみました。「死亡想定年をふり返って」のタイトルでただ今UPしました。明日からは「オマケの人生」の始まる年に入ります。楽しみです。


▼コメント
投稿 マミー | 2007年1月 1日 (月) 02時02分
新年あけましておめでとうございます。その後おかげんはいかがでしょうか?入院なさったとのこと、娘たちも心配しております。どうぞゆっくりと静養なさってください。(それでも年賀状を29日に投函なさったなんて、神業!ですね。)

いつも生き生きと毎日を過ごされているご様子、怠惰な毎日の私にはとても眩しいです。今年はいよいよ「オマケ」のスタートなのですね。これからも私にとりまして「未知の世界」のお話、楽しみにしております。(いつもロム専で申し訳ありません。)今年もときどきおじゃまさせていただきます。どうぞよろしく。

▼コメント
投稿 BOW | 2007年1月 1日 (月) 09時14分
マミー様
明けましておめでとうございます。元旦早々の書き込み、嬉しく拝読しました。昨年は想定死亡年にふさわしい幕切れでした(笑)。今はもう完全に回復し、トイレのドアを開けっ放しにしておいて、放水音を高らかに響かせ、心配する妻に聞かせています。

元旦に間に合ったか知りたいので、年賀はがき届いたら、届いたとだけ教えて頂けませんか? 今年はオマケの人生の始まる年です。嬉しくて軽い興奮状態にいます。今年も楽しい書き込みをお願いしますね!

▼コメント
投稿 マミー | 2007年1月 1日 (月) 16時22分
残念ながら今日到着分にはありませんでした。楽しみにお待ちしております。特に何事もなかったのに、30日の深夜にしか投函できなかった私の年賀状も当然元旦には届いていないと思います。

毎年12月にはいると「今年こそは、なんとかクリスマスまでには出そう!」などと誓いをたてるのですが、結局29・30・31日のどれかにしか出せたためしがありません。掃除や買い出しなどと重なり、年賀状作りは尚憂鬱になります。「もっと早くにしておけばよかった・・。」と後悔しますが、毎年このパターンから抜け出せずにいます。今年こそは悔い改めたいと思います。(と元旦には必ず思うのですが、、。)

昔から逃避癖があり、しなくてもいいことから先にしてしまうこの性分をなんとかしないといけません。年賀状を早く仕上げる秘訣を是非ご伝授くださいませー。

昨年は次女の幼稚園での目じりの怪我に始まり、夫がラジエーターで火傷、長女がお風呂のフチを平均台のように歩いて落ちて(←全くなんで?と思うような行動です!!)アゴを切る、と2ヶ月ほどの間にK先生、C先生のお世話になることばかり続きました。すべてが診療時間外の出来事で血をみてはパニックに陥っていた私でしたが、快く診て下さり両先生に感謝しております。家族で残るは私だけなので、怪我に気をつけて過ごしたいと思います。

▼コメント
投稿 BOW | 2007年1月 1日 (月) 22時33分
マミー様 やはりダメだったのですね。情報ありがとうございます。この正月は配達のアルバイトが集まらないため、遅く出した年賀は元旦に届かないと入院中に新聞で読んだ記憶があり、気になっていました。

年賀状を早く仕上げる秘訣は分かりませんが、1日で350枚ほど印刷しました。その内の120枚には個別の一言コメントをつけました。

昨年はいろいろ大変だったのですね、K&Cがお役に立ったとのことで嬉しいです。

▼コメント
投稿 マミー | 2007年1月 2日 (火) 20時31分
DrBOW 本日年賀状を受け取りました。ありがとうございます。今年は郵便局のアルバイトが不足していたのですね。知りませんでした。そういわれてみると、元旦に届いた年賀状は例年より少なめだったような気がします。

お元気になられたとのことで安心致しました。是非高知のお話もお聞かせ下さい。学生時代何度か高知出身の友人に招いてもらったことがあり、とても懐かしいです。夫と室戸や須崎にダイビングにも行きました。私は高知の海が大好きでした。海の幸とお酒がとても美味しかったです。そして地元の方に親切にしていただき、皆さん優しかったのが印象に残っています。

▼コメント
投稿 BOW | 2007年1月 2日 (火) 23時48分
マミー様 年賀状到着のお知らせありがとうございました。BSHiのフィレンツェ・ルネッサンスに釘づけとなってしまっていて、お礼が遅れ申し訳ありません!高知のこと、また機会があれば書きますね。



2007年の記事


◆オマケの人生が始まる年をUP 2007年1月 2日 (火)

明けましておめでとうございます。 今年もどうかよろしくお願い申上げます。

今年は私にとってオマケの人生の始まる記念すべき年です。そこで、「オマケの人生が始まる年」のタイトルをUPしました。初日の出の写真も載せています。ご覧下さい。

2007年1月 2日 (火) サイトとブログ | 固定リンク | コメント (5) | トラックバック (0)


▼コメント
投稿 BOW | 2007年1月 7日 (日) 16時41分
先ほど大学の医局の同窓会から訃報が届きました。入局は1年あとですが、同じ年齢で、心臓外科の同じ研究グループに属し、数年間をともに過ごした後輩です。昨日亡くなられ、明日岡山で告別式との知らせに驚き、弔電を打ちました。

年末には、これも同じ年齢の1年後輩から、車椅子生活のため開業を止めるとのメールを頂きました。そのほかにも、私と同い年の者の良くない知らせが入って来ています。

私の死亡想定時期の設定が、あまり間違っていなかった、リーズナブルだったことを後押ししてくれる情報です。キーワード「死亡想定年」のGoogleの検索順位は、約 1,350,000 件中 1位でした。

▼コメント
投稿 Muチャ子 | 2007年1月11日 (木) 02時21分
お久で〜す。おめでとうございます。今年もお付き合いのほどよろしくお願い申しあげます。HP拝見していま〜す「死亡想定年」・・・よくわかんないですよ〜。ある程度の年齢に達したら理解できるのかなと思ったりしてま〜す。子供の頃オマケにワクワクした覚えがあります。オマケと名がつくものはきっと楽しく心ときめく日々だと思います。書いていらっしゃるように、しがらみを振り払いつつマイペースで良い人生をお過ごしになって頂きたいなぁーーーと思っていま〜す。

▼コメント
投稿 musi | 2007年1月13日 (土) 00時38分
気象庁の予報では、「今年は暖冬」だそうです。そこでピンときた(^^)毎年同じ事云ってるなと。夏になれば「今年は猛暑」だって。あくまでも「予報」で〜す。つまんないこと書いちゃってごめんなさ〜い。

▼コメント
投稿 BOW | 2007年1月13日 (土) 17時18分
Muチヤ子さん、musiさん コメントありがとうございました。携帯でこれを書いています。 うまく書き込みができれば良いのですが、、、 BOW

▼コメント
投稿 musi | 2007年1月14日 (日) 23時07分 !!しっかりと目の中へ文字盤が写っていま〜す。携帯からだなんてワオ〜たまげました!!ルン!!



◆再入院をして本日退院しました 2007年1月18日 (木)

皆さま、しばらくご無沙汰いたしました。前回の緊急入院で見つかった前立腺肥大症に対して、1月9日に入院し、10日に経尿道的前立腺切除術を受けましたが、経過順調で本日退院いたしました。

切除した前立腺が完全に治るには2〜3ヶ月が必要とのことで、普段の生活に戻れるのも、温泉に入れるのも、それから先と申し渡されています。3ヶ月後と言えば、私のオマケの人生が始まる時です。今はオマケの人生をモノスゴク楽しみにしています。


▼コメント
投稿 BOW | 2007年1月21日 (日) 11時17分
また、自分で補足コメントを書いています。
今朝なにか予感がしてmusiさんのサイトを覗いてみたら、Muさんの「はちゃめちゃ日記」(07.01.18)更新が目に飛び込んできました。http://www.asahi-net.or.jp/~rr5m-gtu/fnik.htm 

このサイトの構成はチョット難しいのですが、慣れれば簡単。★月27日<刻まれた家族写真!>を見つけ、楽しく拝読しました。いつもの大の大人の失敗談とは違って、今回はこどもが主役なので、小さなこどもって可愛いねとほほえんでしまいます。

musiさんが「年賀状」ではなく「寒中見舞」にしなければならない事情もよく分かります。ほんとうに、他人の面倒をよくやられますね!07.01.18.の日付から、これは私の退院祝いかもしれないと感謝しています。

T-baさんも、これまでと違った文体のエッセイ「風の笑い声」http://www.asahi-net.or.jp/~cy3y-ikd/kaze.htmlで退院を祝って下さいました。お二人に心からお礼申上げます。皆さまも、この楽しいエッセイをぜひお読み下さい!

▼コメント
投稿 musi | 2007年1月23日 (火) 01時02分
メチャクチャ日記、ご紹介ありがとうございました。嬉しいです。めちゃ恥ずかしい駄、駄文ですがなんとしても18日にと。さぼっていたのですが退院のお陰でUPできました。お礼申しあげます。トップページの更新日から飛んでいただければちょっとはマシかなあ(@_@)

▼コメント
投稿 BOW | 2007年1月23日 (火) 16時22分
やっぱり退院祝いのUPだったのですね! ありがとうございました。来年から年賀状のスタイルを一新しようと思っています。93年から今年まで15年間同じスタイルで通してきました。これからは、オマケの人生にふさわしい楽しい写真入りのものにしようと思っています。

▼コメント
投稿 musi | 2007年1月25日 (木) 01時13分
ええー!今から来年が楽しみです!鬼が笑う?いえいえ鬼も首を伸ばしてお待ちしているそうで〜す。

▼コメント
投稿 マミー | 2007年1月26日 (金) 08時07分
DrBOW その後おかげんはいかがですか? あまりご無理をなさらずに、どうかゆっくりと静養なさって下さい。

来年の年賀状、私も今から楽しみです♪ もう構想を練っておられるのでしょうね。1年後、拝見するのを楽しみにしております。どうぞお大事に。

▼コメント
投稿 BOW | 2007年1月26日 (金) 21時13分
マミーさん
お気遣いありがとうございます。18日に退院して、今日はじめて家の外にでました。再診日だったからです。これからボチボチ慣らし運転をして行こうと思っています。友人からの微笑ましい写真入りの賀状を見て、良いなあと思い、来年からは、これまでの気取ったのではなく、このスタイルで行こうと思ったのです。友人の写真は構図ももう一つ、少しピンボケでしたが、温かくて良い雰囲気でした。

これからは「まだオマケがもらえて楽しんでいます」ということだけを知っていただく年賀状にしようと思いました。鬼が笑うかもしれないけれど、笑われるオマケがあるだけで嬉しいのです。musiさん、マミーさん、ご期待くださいね(笑)


◆「入院と心の情景」をUP 2007年1月26日 (金)

昨年末と今年のはじめに2回入院をしました。その時感じたこと、考えたことなどをまとめて「入院と心の情景」のタイトルでUPしました。関心がおりの方にお読み頂ければ嬉しいです。


◆「服の取り違え」をUP 2007年2月 4日 (日)

昨日から今日にかけての医師会懇親旅行で、またまた失敗をしてしまいました。そのあらましを、「服の取り違え」のタイトルでUPしました。ご笑覧下さい。

2007年2月 4日 (日) 日記・コラム・つぶやき | 固定リンク | コメント (3) | トラックバック (0)


▼コメント
投稿 Muチャ子 | 2007年2月11日 (日) 22時34分
はろー、みな様お久しぶりです。旅行にPCにと、お忙しいなかお変わりないご様子なによりです。今回の「服・・・」もしっかり読ませていただきドジ健在だと、思わずプ〜と笑ってしまったこと、ごめんなさ〜い!

▼コメント
投稿 musi | 2007年2月17日 (土) 00時36分
暖かい2月の日々です。みなさんインフルエンザに好かれていませんかー?ご注意下さいね。musiは健康に気をつけながら(ギャー冗談!)夜更かししています(^^;)

▼コメント
投稿 BOW | 2007年3月 4日 (日) 00時29分 Muチャ子さん、musi さん!!「服の取り違え」をUP せっかく書き込んで下さっていたのに、オオドジで見落としていました。ゴメンナサ〜イ!! 言い訳をすると、1)術後の経過が思っていたほど順調ではなかったこと、2)私の愛唱歌101曲のまとめと、入院物語のまとめに必死だったこと、3)スパムメール対策のやり過ぎ!、でその内の3)は、まさに私特有のドジによるものです。

何でも、「過ぎたるは及ばざるが如し」であることの見本のようなドジです。また、その内にUPしますので、抱腹絶倒して下さいね(笑)


◆「私の英語愛唱歌101曲」をUP 2007年2月 5日 (月)

「私の英語愛唱歌(3)」と「この英語愛唱歌を唄った歌手(3)」をUPした機会に、私の英語愛唱歌(1)(2)(3)を総合して、「私の英語愛唱歌101曲」としました。この方が、曲名を探しやすいと考えたからです。

それぞれの曲には、「歌と思い出」、「歌のデータベース1000曲」にリンクをつけたほか、手持ちCDにある「この英語愛唱歌を唄った歌手(1)」、「この英語愛唱歌を唄った歌手(2)」、「この英語愛唱歌を唄った歌手(3)」、にもリンクをつけました。そういうわけで、このページにはリンクが数え切れぬほど張り巡らされていて、ハイパーリンクの見本の様相を呈しています(笑)。

最初は今年こそ9月中に「September Song」を唄いたいということから始まったものが、ここまで発展してしまったことに感慨を覚えます。

英語の歌がお好きな方にご活用いただければ嬉しいです。


▼コメント

投稿 Sammy | 2007年2月17日 (土) 11時11分
英語の歌が大好きな広島在住のものです。BOWさんのHPにたどり着いたのは、英語の歌のテキストを調べたくて、いろいろ検索してたどり着きました。これも何かもご縁と思い、初めての書き込みをさせていただきます。ものすごい情報量で驚いています!!

私は昨年からJAZZの歌を習い始めました。小さい頃からジャンルを問わず歌うことが好きでした。社会人になって20年余り、自分がこれからどう生きたいのか、どう生きることが自分らしいのか模索している最中です。その中で出てきたのが”歌”でした。

歌っているときが一番自分らしいと感じています。Bowさんの書かれていることに感動や勇気をいただいています。今後ともよろしくお願いします。

▼コメント
投稿 BOW | 2007年2月17日 (土) 20時20分
Sammyさん、こんにちは!「服の取り違え」をUPに書込みありがとうございました。歌がお好きとのこと、私も同じで、こどもの頃から絶えず鼻歌を唄っています。歌のない生活、人生は考えられませんね!?SammyさんはどのようなJAZZを唄われるのですか?私は50年60年代のポップスが好きです。

▼コメント
投稿 Sammy | 2007年2月19日 (月) 17時45分
私も歌、音楽のない生活は考えられません!!BOWさんは50年60年代のポップスがお好きなのですね。私の今の課題曲は、Mistyです。4月末に教室のミニライブがあったり、所属しているBIG BANDのコンサートが5月にあるのであせっています。まだレパートリーが少ないですが、スタンダードナンバーを数曲歌っています。あとゴスペルも7年前から習っていて、ユニットを組んで広島の祭典フラワーフェスティバルに参加もしています。

何が好きかなあって考えたのですが、映画音楽も好きですし、カーペンターズのようなPOPSも好きですね。カレンの声が好きです。今は、JAZZを習っていますが、日本の童謡や唱歌も大好きなんです。日本語の曲にも素敵な作品がありますよね。将来は、日本の歌を歌いたいですね。

▼コメント
投稿 BOW | 2007年2月19日 (月) 21時20分
Misty しっとりした良いラヴ・バラードだと思います。エラ、サラ・ヴォーン、ジュリー・ロンドンのCDを持っています。しかし、難しい曲ですね!ゴスペルも唄われるのですか、スゴイですね!また、BIG BANDにも所属とか、もうセミプロ級の方なんですね(笑)

私も映画音楽大好きで、カーペンターズも好きです。日本の童謡では「月の砂漠」「故郷」、歌曲では「荒城の月」「からたちの花」「椰子の実」などが昔から好きでよく唄って来ました。ただ、私はあくまでも我流の鼻歌なので、そこがSammyさんと大きく違うところです(笑)

▼コメント
投稿 Sammy | 2007年2月24日 (土) 11時12分
Bowさんの鼻歌そばでお聴きしてみたいですね。私は通勤途中に他の人に聞えるか聞えないか ぎりぎりで歌っています(笑)。今日は午後からボーカルレッスン三昧です。それと今年は、6月24日(日)神戸のハーバーランドである西日本アマチュアビッグバンドコンサートというのに初参加するらしいです。このコンサート今年で27回目になるイベントみたいです。ご存知ですか?よい週末をお過ごしくださいませ!

▼コメント
投稿 | 2007年2月24日 (土) 14時24分
神戸で開かれる西日本アマチュアビッグバンドコンサートに参加されるとのこと、おめでとうございます。神戸は私の生まれ育ったところ、私は神戸っ子なんです。ハーバーランドへも時おり出かけるので、聴きに行きたいです。しかし、その頃はサンフランシスコからバンクーバーへ向かう船の上にいます。残念!

▼コメント
投稿 Sammy | 2007年2月28日 (水) 11時13分
Bowさん神戸っ子でいらっしゃいましたね。大変失礼いたしました。6月は船の旅ですか〜。どのくらいのご予定ですか。素敵ですね。楽しみがたくさんあるのは、わくわくしますね。

さて、Mistyは一応、先生から及第点をいただきましたので次の曲の練習に入っています。Beautiful Love です。ご存知ですか? ボサノバアレンジで歌う予定です。大人っぽくしっとりした感じで・・といわれますが、難しいです。ではでは・・。

▼コメント
投稿 BOW | 2007年2月28日 (水) 14時46分
4月4日に神戸のハーバーランドの向かいの中突堤から出航し、100日間世界1周をして、7月13日に同じところへ帰ってきます。エンジョイ・オマケの人生の始まりです(笑)

Misty、及第点をもらわれた由、スゴイですね! Beautiful Love は、残念ながら知りません。Beautiful Dreamer なら良く知っているのですが(笑)。

これはビクター・ヤングの曲のようですね。彼の曲は流れるような美しさがありますね。アニタ・オデイの唄ったCDがあるようなのでアマゾンに注文しました。ボサノバアレンジで歌われるのですか、楽しみですね! 真似をして、ではでは。

▼コメント
投稿 BOW | 2007年3月16日 (金) 10時42分
アルファベット順だけでは使い難いので、アイウエオ順のものも作りました。日本語の曲名の方を覚えていて、原語名を知らないときには、こちらの方が便利です。


◆「私の入院物語」をUP 2007年3月 2日 (金)

昨年末と今年の始めに、前立腺炎と前立腺肥大症で、2度入院しました。その記録を「私の入院物語」としてまとめました。

これをまとめたのは、1)自分にとって、生まれて初めての貴重な体験で、学んだことが多くあったこと、2)医師としての目で見たこの種の記録は少なく、3)同じ病気で入院される方にとって、参考になるところがあるのではないかと思ったからです。

膨大な記録なので、詳細な目次と索引をつけ、ここから約170件の該当記事にリンクを張り、キーワードをクリックすると、該当する記事へジャンプできるようにしました。ご興味のない箇所は読み飛ばして、ご一読いただければ幸甚です。

記事の文字量は、シリーズ物を除けば、これまでの最大となり、I.E.で印刷すると52枚になります。これに「入院と心の情景」12枚を加えると、合計64枚で、「ホントの人生」の最後の作品らしくなりました。

4月からは、「エンジョイ・オマケの人生」、略して、「エンジョイOMAKE」で、余生を楽しむつもりです。

2007年3月 2日 (金) 心と体 | 固定リンク | コメント (12) | トラックバック (0)


▼コメント
投稿 Sammy | 2007年3月10日 (土) 11時36分
BOWさん今日は!4月からの「エンジョイOMAKE」楽しみにしています。小さな頃から「OMAKE」って何がでるか楽しみだった気がします。人生においての「OMAKE」なら尚更、わくわくしますね!!

私は明日ステージがあるんですよ。楽しんできます。それと昨日、映画「ドリームガールズ」を観てきました。感動しました。私の大好きな映画のひとつになりました。

そういえば小さな頃から映画音楽が好きだったことを思いだしました。スクリーンの映像がより臨場感あふれたものになりますね。まだまだ書きたいことあるんですが、またにします。ではでは・・・。

▼コメント
投稿 BOW | 2007年3月10日 (土) 12時50分
Sammyさん、書込みありがとうございます!!閑古鳥が鳴いていたので嬉しかったです。

ほんとに、オマケってわくわくしますね、夢があります。オマケを英語で discount、prize、addition などのほかに「premium」とも言うようです。そこで、ちょっと気どって、「エンジョイ・オマケ」「enjoy premium」と、書こうと思っています。

明日ステージですか! もうプロ級ですね、楽しんできて下さい!映画音楽、良いですね、音楽を聴けばその場面が目に浮かびますね。またのお越しをお待ちしてます。ではでは。

▼コメント
投稿 Sammy | 2007年3月14日 (水) 09時13分
Bowさん おはようございます!「enjoy premium」素敵ですね。 きっと「プレミアム」の響きがおまけの中でも特別だよ!というように感じるからかな?

日曜日のコンサートの朝、BOwさんからのメッセージを拝見し、激励していただいたみたいで、本番は気持ちよく歌うことができました。ありがとうございました。言葉の魔法ですね!ひとつまた、「何かができた!」って感じです。

月曜日は主人とバイクのタンデムで広島県の最南端「倉橋島」の「鹿島」というところまで船にも乗り、行きました。広島のチベットのようなのどかな棚田風景、瀬戸内海の美しさを堪能してきました。また、昨日は松江にある「ルイスCティファニー美術館」に行ってきました。宍道湖に面したとっても素敵な空間です。残念なことに3月末で閉館してしまうので記念に友人3人とで行きました。

そして、今日はこの休暇最後の日です。日から会社に復帰です。この休暇は私にとって「一生に一度の運命の休暇」だったんです。ちょっとオーバーですが、それほどいろいろありました。これからの人生にも休暇はあると思うのですが、今後の私に生き方を方向付けてくれる大切な時間でした。Bowさんとの出逢いも大きな影響を受けています。ありがとうございました!

バンドのHpアドレスアップしました。遊びにいらしてくださいね。

▼コメント
投稿 BOW | 2007年3月14日 (水) 14時19分
Sammy さん、嬉しい書込みありがとうございました。

>「enjoy premium」素敵ですね。
ありがとうございます。言葉の魔法ですね!嬉しくなります。妻と、T-baさんと、そしてSammyさんに言っていただきました。

>ひとつまた、「何かができた!」って感じです。
自信が自信を呼び、良循環に入ります。人生をエンジョイするコツを身につけられましたね!

>バイクのタンデム
私の世代では経験した者は少ないでしょう、若いって良いですね!

「鹿島」は昨年秋にNHKで放映され、きれいに整理された段々畑に驚嘆したのを思い出しました。「ルイスCティファニー美術館」の閉館のニュースを読みました。開館直後にT-baさんが行かれて、そのレポートをBBSに書き込んでおられました。素敵なところのようですね。

>私にとって「一生に一度の運命の休暇」だったんです。
>今後の私に生き方を方向付けてくれる大切な時間でした。
>Bowさんとの出逢いも大きな影響を受けています。

そうだったのですね、それを Sammyさんがご自分で解決されたのですよ、私はそのきっかけになっただけのこと。

>バンドのHpアドレスアップしました。
95年結成の非常にアクティブなジャズバンドのようですね。ヴォーカルの3人の女性の中の真中の方が Sammyさんですね!?

3回以上の演奏曲が2つありました。「Moonlight Serenade」と「As Time Goes By」です。バンドの皆様がお好きなのでしょうね。

「Moonlight Serenade」は高2のとき「グレンミラー物語」が封切られて、とりこになりました。「As Time Goes By」はカサブランカの映像がダブります。私の一番好きな女優はイングリット・バーグマンです。長くなりました。では、では(笑)

▼コメント
投稿 Sammy | 2007年3月15日 (木) 18時38分
BOWさん、素敵なメッセージをありがとうございます。これまた嬉しいです。

>自信が自信を呼び、良循環に入ります。人生をエンジョイするコツを身につけられましたね!
人生をエンジョイされているBOWさんからのお言葉だから”お墨付き”をいただいた気分です。またまた言葉の魔法ですね。言葉には”言霊”があるんですよね〜。発する言葉を大切にしていきたいです。

HP早速見てくださったのですね!ありがとうございます。写真はビンゴ〜〜です♪
「Moonlight Serenade」は4声コーラスで、私はソプラノパートです。「As Time Goes By」は、ソロで歌わせてもらっています。私の主人がイングリット バーグマンが大好きで この曲を歌ってみたいと思ったんです。あらっ共通点発見!なんだか嬉しくて 私も長くなりました(笑)

▼コメント
投稿 BOW | 2007年3月15日 (木) 22時45分
写真アタリだったようで、それは割合簡単に分かりました。妻も同じで正解でした(笑)
ご主人もバーグマンが好きとは、ご縁がありますね(笑)

私は彼女が轟々たる非難を浴びながら、ロッセリーニの許へ走った時からのファンです。中学2年でした。「As Time Goes By」がSammy さんのオハコなんですね。良い歌です。ペギー・リーの唄っているのが一番好きです。私も、何とか歌詞を見ないでこの歌を唄えます(笑)

▼コメント
投稿 Sammy | 2007年3月22日 (木) 22時01分
BOWさん お久しぶりです。15日から職場復帰してやっとペースを取り戻しつつ あります。昨日は奈良県と、帰りに京都に少しよるという急ぎ足の旅を主人としました。

急に思い立ち、20日の夜、最終の新幹線で大阪に宿泊し、翌朝奈良へ移動しました。天候にも恵まれていい旅になりました。主人とは14年ぶりの奈良でした。帰りは京都に寄り、「花灯路まつり」の最終日を1時間あまり楽しみました。旅はとてもリラックスした気持ちになりますし、よく歩きます!

BOWさんも奥様やお友達とよく旅をされているようですね。4月はいよいよ世界一周へご出発ですね。なんだか私までわくわくします!

▼コメント
投稿 BOW | 2007年3月22日 (木) 23時53分
Sammyさん、こんばんは
大阪で宿泊、奈良、京都へご旅行を楽しまれたとのこと、良かったですね!もう間もなく4月、その準備で気忙しくしています。エンジョイ・オマケ enjoy premium 楽しみです。明日は最後の診察日、主治医の先生から、旅行可のお墨付きを頂けるものと確信しています(笑)

▼コメント
投稿 Muチャ子 | 2007年3月24日 (土) 00時24分
お墨付きがいただけないとMuチャ子は困りま〜す。世界一周のお話がUPされるのは夏ですね、今からめっちゃ楽しみにしているのですから。先日HP拝見しました。個々のサイトがあり、見たい読みたい場所へサッサといけるのがなんとも心地よいです。利用させて頂いてま〜す。トップ・・・あれ??画像のサイズでしたー。

▼コメント
投稿 BOW | 2007年3月24日 (土) 10時02分
Muチャ子さん、お久し振りです。世界一周の話のUPを楽しみにして頂いていると知って俄然元気が出てきました(笑)。主治医から太鼓判は出なかったのですが、参加OKを頂きました。船上でWeb閲覧だけはできるので、このブログに記事をUPできるのではないかと思っています。その時にはコメントをお願いしますね! 帰ってきたら、画像をタップリ入れた「世界一周クルーズ記」をまとめて、UPしたいと思っています。

>先日HP拝見しました。個々のサイトがあり、見たい読みたい場所へサッサといけるのがなんとも心地よいです。
これはまた嬉しいご感想をありがとうございます!

>トップ・・・あれ??画像のサイズでしたー
これは何??

▼コメント
投稿 Muチャ子 | 2007年3月29日 (木) 14時50分
>>トップ・・・あれ??画像のサイズでしたー
>これは何??
ええ〜ドジが感染したのかなあ(ごめんなさい)画像のサイズが違っていませんでしたっけ。目の錯覚?

>その時にはコメントをお願いしますね!
はーーい!楽しみにしておりま〜す。

▼コメント
投稿 BOW | 2007年3月29日 (木) 22時31分
ドジが感染するのは、どうやら本当らしい(笑)。
妻と出かけようとしたらキーが無い。探し回っていたら、妻が自分のキーのほかに、私のキーまで自分のバッグにしまい込んでいて、「ドジがうつったんや」とノタマウのです。もう、私はドジの病原体です、ああ。


◆世界一周クルーズ日程をUP 2007年3月24日 (土)

4月4日から7月13日まで、下記の予定で世界一周クルーズに参加します。エイプリールフールの日に、ホームページで公開しようと思っていたのですが、変更して、本日そのスケジュールを掲載しました。

手術をしていただいた主治医から、昨日クルーズ参加の許可が出ました。クルーズの状況は、船上から、このブログ「エンジョイBOW」に記事を載せて行きたいと思っています。その際には、コメントをよろしくお願いします。

2007年3月24日 (土) 旅行・地域 | 固定リンク | コメント (7) | トラックバック (0)


▼コメント
投稿 Sammy | 2007年3月27日 (火) 07時20分
BOWさん おはようございます!
>主治医から、昨日クルーズ参加の許可
おめでとうございます!!!私も嬉しいです。スケジュール拝見しました。どのようなドラマがあるのでしょうか〜。船上からのご報告楽しみにしておりますね〜。それでは仕事に行ってまいりま〜す^^

▼コメント
投稿 BOW | 2007年3月27日 (火) 10時14分
Sammyさん おはようございます。出勤前のお忙しい時間に書き込んでいただき、ビックリしました! 最初の enjoy premium を存分に楽しもうと思っています。うまく記事を載せることができれば良いのですが、、、

▼コメント
投稿 ヒマジンスキー | 2007年3月27日 (火) 11時27分
回復おめでとうございます。100日間で世界一周とは驚きました。80日間で世界を一周するという映画とそのテーマ曲を思い出しますが、日数ではそれを超えますね。

BOWさんはタキシードとカジュアルだけでいいのでしょうが、奥様におかれてはドレスや装飾品が大変ですね。いくつのトランクを船積みされるのかからヒマジンの追及が始まります。ボンボヤージュ、お元気で!

▼コメント
投稿 BOW | 2007年3月27日 (火) 13時26分
ヒマジンスキーさん、コメントありがとうございました。まあ、何とかクルーズ参加の許可を頂きましたので、楽しんでまいります。

「80日間世界一周」の映画があり、テーマ曲が流行りましたね、これを製作したマイク・トッドが飛行機事故で死亡し、妻のエリザベス・テイラーがこの大富豪の財産を相続したことが話題になったことを思い出しますね。

妻のドレスなどご心配いただきありがとうございます。クルーズでは派手な服でも良いことを知って、妻は20年から30年前の服なども持っていくようです。

クルーズの良さは荷物の持込無制限なことで、JTBから段ボール箱8個を送ってきました。これらを宅配が自分の船室に届けてくれるので大助かり。

神戸を出てシンガポールまでは洋上なので、そのころにクルーズのために行なった準備などを、ここに書き込もうと思っています。時々ご訪問下さい。

▼コメント
投稿 KENZO | 2007年3月29日 (木) 08時23分
Dear Dr.BOW !最高のペアで最高の世界一周クルーズをして来て下さい。

船上からのドジ報告が楽しみですね!(笑)。特に船長主催のパーティではコートの取り違えに注意! 過去、何回もコート.ドジールを経由でしたからね!兎に角、健康で楽しい旅をお祈りします!.

▼コメント
投稿 BOW | 2007年3月29日 (木) 09時34分
ハ〜イ Dear Dr.KENZO !
クリニックへ向われる直前のお忙しい時間にコメントいただきありがとうございます。最高のペアとは最高のお世辞、身体中が痒くて痒くて悶えています。

一度犯した過ちは二度しないのがBOWのモットー、コート取り違えなど、もうあり得ません!!「何回もコート.ドジールを経由」とは、はて何のことでしょう? エーゲ海クルーズのドジ先輩やその最高の奥方とご一緒できないのが最高に残念です(笑)

モルジブのマーレでオマケの人生に入るのが最高の楽しみ、この日からアルコール解禁だからです。ウーロン・ビール、ウォーター・シャンパンにはもうアキアキ!!拒絶反応を起しています(笑)

▼コメント
投稿 BOW | 2007年3月29日 (木) 13時15分
Dear Dr.KENZO 今日は朝から休診日、テニス日でしたね!!早速ドジりました(笑)。先が思いやられます、、、


◆飛鳥U世界1周航海記 2007年4月 4日 (水)

本日15時に、飛鳥Uは神戸港中突堤を出航し、世界1周クルーズが始まった。神戸の山、街、港を眺めながら、この地を離れてもう40年が過ぎ、今では、こうべがふるさとになってしまったことに感慨を覚える。

「世界1周」とよく口にするが、正式な定義はなく、すべての経線を通過して地球を1周するのが「世界1周クルーズ」とされているようだ。世界には250隻ほどの客船があるが、世界1周クルーズを運行しているのは10隻あまり。日本船は3隻運航していて、その一つが飛鳥U。

昨夜は神戸メリケンパーク・オリエンタルホテルに泊まった。ドジと縁の深い夫婦だから、何かの弾みで乗船し損ねては大変と、用心した訳だ。

妻は早速ドジをして、気に入っているイヤーリングを片一方無くしてしまった。私は、今回は画像が使えないようにPCが変えられていて、画像が送れなくて、ガックリきている。

メールはWebMailを使っているので、これまでとおり使えるが、こちらも画像を送れない。

それでは、皆様行って参ります!!


▼コメント
投稿 Kei | 2007年4月 5日 (木) 11時08分
船旅、Enjoyしていますか?
それは残念ですね。また、いい案を考えてみてください。大きな海を見ているといいアイデアが浮かぶかも知れませんよ。
こちらで、出来る事があれば教えて下さい。留守は守っていますので、ご安心を!では、続報、期待してます。

▼コメント
投稿 ヒマジンスキー | 2007年4月 5日 (木) 11時19分
片方だけになったイアリングも残念ですが、画像が使えないように「PCが変えられている」とは困ったことですね。

PCとはBOWさんが持ち込んだPCか、それとも船上のシステムの問題か、状況によっては次の寄港地で上陸してでも何らかの手当てをして欲しいものです。船上からのライブ中継を楽しみにしていますので(イライラせずに)がんばってください。

一方で、画像なしでもレポートを楽しみたく思いますので次々とアップしてくださいね、お願いします。

▼コメント
投稿 FUJIMOTO | 2007年4月 5日 (木) 20時46分
祝出港!皆さんにお会いできて大変感激いたしました。今頃シンガポールに向けて楽しい航海といったところでしょうか。今後の更新楽しみにしております。

▼コメント
投稿 BOW | 2007年4月 5日 (木) 22時12分
圭、見送りありがとう。バタバタして日が過ぎています。千佳さんにもよろしく。留守番頼みます。

ヒマジンスキーさん
コメントありがとうございます。プレッシャーをしっかり、いただきました。画像の件は、本日分の記事に書き込む予定です。

FUJIMOTO 様
わざわざ東京からお見送りありがとうございました。画像をつけられないのが残念ですが、致し方ありません。12月にしたことで、PCを改変されたようです。今係りの人に確かめました。

▼コメント
投稿 musi | 2007年4月 6日 (金) 01時10分
画像ドンマイ、ドンマイです。お帰りになってからのお土産にUPされるのを楽しみにお待ちしていま〜す。イヤリング紛失…残念でしょうが、微笑ましい可愛いチョンボですね〜(ゴメンナサイ) プリントした日程表を眺めながらDrBOWご夫妻のエンジョイを応援していま〜す。

▼コメント
投稿 BOW | 2007年4月 6日 (金) 06時02分
musiさん、こんばんは!
嬉しいコメントありがとうございました。ちょっと、がっくりきていたのが、元気が出てきました。ドジ・チョンボは小さいのを少々重ねています。ご安心あれ!


◆飛鳥U世界1周航海記 2007年4月 5日 (木)

昨夜、喜び勇んでコンピュータ室に来てみると、ここのWeb閲覧用のPC では、表示画像の右クリックで保存することができない。12月のクルーズではそれが可能だったので、今回は画像を毎回掲載する予定だった。それができなくなって残念無念!

コンピュータ室のPCは、Web閲覧だけができるPCと、船舶用のEメールだけがが送受信できる、メール専用のPCの2種類だけしかない。Web閲覧専用PCは、USBメモリーはもちろん、FD、CDなどの外部入力を一切受け付けない仕組みになっている。

そこで、Webメールに画像を送り、その画像をPCに保存して利用することを思いつき、前回は成功した。しかし、このような使い方ができないように改変されたようだ。思わず「クソッタレめが!」と罵ってしまった。

画像がなければ、拙い文章だけで航海記を書かざるを得ず、プレッシャーは大きい。画像タップリの航海記は帰国早々にホームページに載せることにした。 ホームページ「中之島のBOW」に掲載している「クルーズの日程」をご覧いただければお分かりのように、4月11日のシンガポール寄港までは、南シナ海の洋上にいる。その間に、これまでの準備とか、乗船後の経験などを、ご紹介しようと思っている。

本日はファースト・フォーマル・ナイトで、キャプテンのウエルカム・パーティー、フォーマル・ディナー、寺井尚子のジャズ・バイオリンと、忙しさに目が回りそう。ドジも一杯したが、それは次の機会にしたい。あ〜疲れた!!


▼コメント
投稿 T-baba | 2007年4月 6日 (金) 11時21分
> Web閲覧専用PCは、USBメモリーはもちろん、FD、CDなどの外部入力を一切受け付けない仕組みになっている。

なんで〜やねん??!というのが偽らない感想です。世界一周する船から画像が送信できないとは、何か特別な船舶法でもあるのでしょうか、、残念!無念!

Webメールに画像を送り、それをPCに保存することなど、多分、熟年のセレヴなご乗客サマには関係ないことなのかもしれませんが、全く!もう!歯噛みがでますね!

フォーマルパーティのご様子など是非拝見したいと思っておりましたのに、、お帰りの際の楽しみが倍増したと思えば我慢できますけど、、

でも画像ナシの「BOW航海日記」でも、充分皆様が楽しまれるだろうことは、今までの数々のBOW名文章が示しているところですから、98の頃だと思ってそれなりにエンジョイしましょう!!

お疲れがすぎないようにして下さい、まだまだ始まったばかりです。

▼コメント
投稿 BOW | 2007年4月 6日 (金) 19時12分
コメントありがとうございます。ほんとに、なんでやねん!です。しかし、切り替えが早いのも、早すぎるのも、BOWの性分。いろいろ面白いことが起こりそうです!!


◆飛鳥II世界1周航海記 2007年4月 6日 (金)

今日は、乗船した途端に遭遇した荷物の整理を記録しておく。

JTBから宅配用の段ボール箱8個が送られてきた時には驚いたが、飛行機の旅と違って、船旅では荷物持込無制限というのは本当だったと実感した。それを良いことに、古着を詰め込んだら、ちょうど7箱全部を使ってしまった。オマケに、PC2台とプリンターなど、私の趣味的な、しかし大切なツール、それに万巻の書籍を別に収めた2箱を加えて合計9箱となった次第。

4月4日に乗船して船室に入ると、宅配で送った9個の段ボール箱が、天地逆さまに積み上げられている。こんなのを見ると、放って置けないのが、我が夫婦。9個を全部開けて、整理を始めた。私は、通販で購入した引き出し式の衣装ケース(押入用)を3個組み立て、これをベッドの下に置き、引き出し式衣装ケース(クローゼット用)を7個組み立て、これをシャワー室に積み上げた。同じく通販で買ったパソコン用の簡易机も組み立てた。整理が苦手の妻はウロウロしている。二人とも汗だくのクタクタ。

翌日半日を使ってほぼ満足できるように片付けてしまった。 船室内にはメードさん以外は入って来ないのだから、キレイにする必要はないのだが、それでも気にするのがBOW夫婦。エエカッコシイは不治の病い(笑)。

お陰で非常にうまく整理ができたと思うのだが、それをお見せできないのが残念である。もちろん、しっかり写真で記録をとってあるので、帰国した暁には、映像付きの詳細な「船旅荷物整理法」を必ずUPするつもりだ。また、整理か!、ウンザリという顔を思い浮かべながら、まだオマケの人生ではないので、こんなことを書いていると苦笑している。


▼コメント
投稿 Sammy | 2007年4月 7日 (土) 09時03分
Bowさん おはようございます! まずは、ご無事のご出発、何よりです。「映像つき船旅荷物整理法」楽しみに待っておりますね。楽しみは先延ばしというのもわくわくします。Bowさんの航海記を自分でいろいろイメージしながら読ませていただくのも楽しいと思います。

私は、同じ4日出発で2泊3日の 新入社員研修の引率で禅寺修行に行って参りました。ものにあふれている現代から昔にタイムスリップしたようなそんな時間を過ごしてまいりました。太陽の暖かさ、うぐいすの囀り、風が頬にあたる気持ちよさ、食事をいただくありがたさ 多くの感謝の気持ちを再確認してまいりました。 ではでは・・・。

▼コメント
投稿 BOW | 2007年4月 7日 (土) 21時50分
Sammyさん
お久しぶりです。禅寺修行に行かれたとのこと。禅は良いですね!私の方は悪戦苦闘をしながら、なんとか目処がつき始めてきました。では、では


◆飛鳥II世界1周航海記 2007年4月 7日 (土)

一昨夜はクルーズ最初のフォーマル・ナイトだった。キャプテンのウエルカム・パーティーのあとは、フォーマルディナーが続く。私たちにとっては、生涯最初のフォーマル・ナイトだが、特別に緊張することもなかったのは、乗客の平均年齢が75歳位と推定したことも関係していると思う。

12階にあるグランドスパで身を清めたまでは良かったが、部屋に帰るとそのままソファーでうたた寝をしてしまった。1時間くらい眠っただろうか、妻に揺り起こされた。クリーニングから帰ってきたまま、試着をせずに持って来たロングドレスの袖口に不具合が見つかり、それを補修する、だから、タキシードは自分で着るようにと命じられたのだ。おまけに、妻は、ウエルカム・パーティーが始まるのを17時15分からと思い込んでいたのが、16時30分からだと知って、おお慌てのため、私には全く構ってくれない。

仕方がないので、自分でタキシードを着て、こんなの簡単だ、カッコよく着れたと思っていたが、ディナーが終わって部屋に帰ると、カマーバンドの上にサスペンダーを着けたのが間違いだと指摘された。分かる人には分かったかもしれないが、大抵の人は気がついてはいまい。幸いなことに、キャプテンと一緒に写した写真では分からないようだ。キャプテンは、大阪の寝屋川出身で、奥様も交野の方だとお聞きした。標準語で話されるのだが、如何せん、大阪弁は隠しようがない。

「ドレス・コード」ということばは、船上では良く使われるようだ。フォーマル、インフォーマル、カジュアルの3種類があり、毎日指定され、午後5時以降はそのドレスコードに従わなければならないのだから難儀である。フォーマルは7回、インフォーマルは13回、残りはカジュアルと書いてある。

タキシードは、今から約20年前に、現在交野市医師会の会員の結婚披露宴に招待された時に作ったもの。妻のロングドレスも同じ頃、妻の従兄弟の結婚披露宴のために作ったもので、二人とも体型があまり変わらず、今でも着ることができるので助かっている。

フォーマル・ディナーで初めてフルコースが出た。それまで全部和食だったのは、推定平均年齢75歳がこれにも関係しているのだろう。洋食がメインだろうと覚悟をしてきていたので、これは嬉しい誤算だった。飛鳥IIフォーシーズンズの食事は、前回の国内クルーズでは美味くないと思ったが、今回は美味い。それは、私の体調が悪かったからだろうと妻は言うのだが、何回も飛鳥や飛鳥IIに乗ったことのある人は、シェフが変わって美味くなったと言う。いずれにしても美味いと言うことは良いことだ。

ディナーの後はギャラクシーホールで最初のコンサートが開かれ、寺井尚子のジャズ・バイオリンがエキサイティングな音色で魅了した。バイオリンも良かったが、それに劣らぬほどジャズ・ピアノが素晴しかった。

2007年4月 7日 (土) 旅行・地域 | 固定リンク | コメント (4) | トラックバック (0)


▼コメント
投稿 マミー | 2007年4月 7日 (土) 22時43分
壮大な旅に出られていたのですね。画像をUPいただけないのはとっても残念ですが、musiさんに同じく、帰国されてからの画像総まとめUPを楽しみにお待ちしております。

キャプテンが寝屋川ご出身だなんて、とても親近感がわきますね。そして奥様は交野のご出身だとか。DrBOWご夫妻とのご縁を感じてしまいます。

私などきっと一生体験することのできない別世界のお話ですので、航海記を楽しみにしています。どうぞめいっぱい楽しまれてくださいねー。

▼コメント
投稿 BOW | 2007年4月 8日 (日) 20時57分
マミーさん、お久しぶりです! コメントありがとうございました。

壮大なとはオーバーなお言葉、恥じ入ります。マミーさんが私たちの年代になれば、月に行かれることでしょう。しっかり、航海記を書かせていただきますので、お読み下さいね!マリンちゃん、カノンちゃん、元気ですか?怪我はしていませんか?

▼コメント
投稿 | 2007年4月 8日 (日) 22時42分 DrBOW
早々にお返事ありがとうございます。この冬、娘たちがインフルエンザにかかってしまったら「タミフル」はどうしよう、、、などと悩んでいましたが、杞憂に終りました。2月に2人そろって風邪をひき、K先生に1回ずつお世話になりましたが、1日だけ学校、幼稚園を休んで復活でした。なんとか「怪我」もなく春を迎えています。

真鈴は明日から2年生です。花音は年長になります。「飛鳥U」の航海予定表の国旗を見ながら、地球儀をぐるぐる回して、神戸を出航されたDrBOWと奥様の旅の順路を確認しようと2人で頑張っていました。「海には道がないのにどうやって船は進むの?」「船の中に食べるものとか水道はあるの?」と父親を質問攻めにしてました。

先日、世界1周の豪華客船にモグリで侵入していた人がハワイで降ろされて強制送還されたという話がニュースになっていました。セレブな方々の中で明らかに浮いていたので、いたたまれなくなって自ら自首(?)したんだとか。「飛鳥U」にはまさかそんな人紛れていませんよね?

船上でどんな風に過ごされるのか、寄港地での見聞録、楽しみにしています!

▼コメント
投稿 マミー | 2007年4月 8日 (日) 22時52分
すみません、↑記名するのを忘れていました。マミーです。(^^;)

「スペシャル・ウォーク・ラリー」制覇おめでとうございます!「曲名検索」を活用されたなんて、DrBOWだけの隠し玉!ですよねー。毎日ワクワクするような催しが用意されているのですね。ご活躍、楽しみにしています。


◆飛鳥II世界1周航海記 2007年4月 8日 (日)

昨日船内で開催された「スペシャル・ウォーク・ラリー」に挑戦した我等二人は、完全制覇を成し遂げ、証明書を授与されたので報告する。

毎夕「ASUKA DAILY」という船内新聞が届けられ、そこには翌日の船内行事などの情報が掲載されている。それで「スペシャル・ウォーク・ラリー」があることを知った妻は、参加したいという。渋る私に「一人で行ってくるからね」と冷たく言われると、これはお供をしておく方が賢明だと判断した。

このラリーでは、次々と与えれる暗号を解きながら、船内を探検し、制限時間内に最終ゴールに到着した者に対して「完全制覇証明書」が授与される。午前のスタートの時点で、集合場所のハリウッドシアターに集まったのは200名はいただろう。午前午後を通じて、6ヶ所を探検し、7番目のゴールで証書をもらうことになっている。

4、5、6デッキ、11、12デッキを昇ったり下ったりして、船首側から船尾側までの片道 200mの道のりを、平均年齢70.3歳の人間が、息を切らせて早足で動き回っている姿は、知らない人には異様に映るかもしれない。

5番目の探検箇所に着いて与えられた暗号は、ギターで弾いている曲名がヒントだという。よく知っている曲だが、こんな時に限って曲名が出てこない。イライラしかけていると、部屋に戻ってPCで「歌の曲名検索」したらどうかと妻に言われた。なるほどそれは確実だ。検索の結果曲名が「星に願いを」であることを確認し、「クラブ・スターズ」へ直行した。

最終ゴールへのヒントも難問だったが、暗号を解読し、目的地に到着すると「オメデトウゴザイマス」と言って「スペシャル・ウォーク・ラリー完全制覇証明書」を授与してくれた。

この催しは、飛鳥IIの乗客に、船内の施設を楽しく、しかし真剣に、覚えてもらうために考え出されたのではないかと推定されるが、まことに賢明で効果的な方法だと感心する。

3時15分、ハリウッドシアターには得意そうな顔の面々が集り、模範解答と講評を受けた。その結果、ラリーには140名が参加し、完全制覇を遂げた者は80名であると知らされると、得意顔は苦笑顔に変わった。続いて、この催しを手伝ってくれた19名のスタッフの紹介があり、盛んな拍手を浴びていた。


▼コメント
投稿 T-ba | 2007年4月 9日 (月) 16時32分
楽しんでおられますね!!飛鳥には専属の元報道カメラマンの大須賀さんという方が乗船されていて、船上の出来事を毎日画像つきでUPされています!(ナイショですが、BOW文章の方が数段面白い。http://www.asukacruise.co.jp/focus/photoessay.php#serch)

目を皿のようにして小さい写真を拡大して見たのですが「我らがBOW師匠」は見つけることができませんでした。しかし、長い航海ですから、そのうちにヒョイと拝顔できるかもしれませんね。日中29度とのことでしたが、そろそろ熱帯気候に突入でしょうか。

▼コメント
投稿 BOW | 2007年4月 9日 (月) 23時26分
嬉しいコメント、飛び上がって、内緒で喜んでいます。いつか書きますが、極悪のPC環境でUPし、コメントを書いています。URLを書いて頂きましたが、今は見る余裕がありません。いつか、こそっと覗いてみます。


◆飛鳥II世界1周航海記 2007年4月 9日 (月)

今回は飛鳥IIについて、船体のこと、乗船して分かったことなどをまとめて置くことにする。

飛鳥IIは、全長・全幅:241m×29.6m、総トン数:50,142t、航海速力:最高23ノット、販売客室数/乗客数:400室/800名、ベランダ付き客室比率 54%とのこと。デッキは12あり、客室は10〜7デッキ全部と 5デッキの約半分にある。フォーシーズンズ・ダイニングルームとかレセプションのあるメインデッキは5デッキにあり、4デッキには医務室がある。

今回のクルーズでは、乗組員数:462名、乗組員の国籍:22ヵ国。乗客数:761名で、初乗船客が39%とのことだ。ということは、リピーターが61%と考えてよいだろう。 リピ−ターの割合が70%だったことも過去にはあったそうで、どうもクルーズは病みつきになるようだ。

独りで食事をしている年配の男性をよく見かけるので、レセプションで尋ねてみると、シングルが105名、15%とのこと。私たち夫婦は、どちらかが独りになったら(もちろん、95%の確率で妻が残る)、どうするのだろうか?

年齢層は、前回推定75歳と報告したが、これもレセプションで正確な数字を尋ねると、70.3歳とのことだ。それじゃ、まさに自分の年齢ではないか! ほとんどの乗客が自分よりも年寄りだと思うのは、いつもの「我が家の芝生は青い」と同じ発想だとの顰蹙顔が目に浮かぶ。私は、自分に都合の良いようにものごとを判断する習癖があるので、そのつもりでお読み頂きたい(笑)。

乗組員が462名とのことだが、サービス担当はほとんどがフィリピン人のようで、一生懸命働いている姿を見ると、少し胸の傷む思いがする。特に、フォーシーズンズ・ダイニングルームでは、95%以上がフィリピン人男性で、慣れない日本語を使って、気くばり一杯にサービスをしてくれるのだ。

船内では、チップが一切不要であるのはありがたいが、それ以上に、日本語だけで生活できるのが嬉しい。また、各部屋にバスがあるだけでなく、最上階のデッキ(スカイ・デッキ)には大きなスパ(グランド・スパ)があるのも、風呂好きの日本人には好評で、私たちも1日2〜3回これを楽しんでいる。

出発前に、クルーズ船では客室クラスによる待遇の違いが大きいと、クイーン・エリザベス2世号に乗船経験のある方などから聞かされてきたが、乗船してみると部屋の違いの他はほとんど変わりがなく、食事のルームサービスと冷蔵庫のアルコール類が無料であること、乗船下船の順番が早いという特典がスイートの乗客にはあるだけのようだ。このように待遇が平等であるのは飛鳥だけなのか、日本船はすべてそうなのかは知らないが、非常に良いことであり、大切なことであると思う。

2007年4月 9日 (月) 旅行・地域 | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)


◆飛鳥II世界1周航海記 2007年4月10日 (火)

今日は飛鳥II船上から見た景色について書くことにする。

乗船して2日目の朝、バルコニーに出て水平線を眺めると、水平線は直線でなく曲線であることを発見して驚き、妻を呼び寄せた。考えてみれば地球は球形であり、そのように見えるのは当然だが、非常に新鮮に感じられた。

その夜、大学時代の友人から送られて来たメールにも、同じことが書かれていて、彼もかって同じように感じたことを知り愉快になった。大きな船の高い所から水平線を眺めると、カーブがより強調されて見えるのは納得が行く。

私たちの船室は左舷にあるので、毎朝水平線から昇る太陽を見ることができる。これも始めての経験だ。

日本を離れて3日目ころから、海の色が今まで見たことのない深い青に変わり、それは今も続いている。波も時々かなり大きくなるが、5万トンの貫禄か、ほとんど揺れを意識することがなく、船酔いなど誰も起していないようだ。大きいことは良いこであることを実感する。おかげで、船旅に対する不安を全く感じることはない。

曇り日の夜、バルコニーに立ち、外を見るとこれ以上黒くならない程の暗黒の世界で、少し不気味に感じた。こどもの頃このような夜の暗さを経験した記憶はあるが、その後の数十年間で忘れてしまっていた暗闇だった。

昼間は、果てしなくどこまでも続く海原であり、まだ4月だというのに積乱雲が遠くに連なる。

一昨夜21:30〜22:00にかけて、星座観測を楽しむ集いがあった。スカイデッキ(最上階である12デッキ)に、200名近くが集まり、2等航海士から星の説明を受けた。 スカイデッキから上にある光源をすべて消灯した途端、天空には満天の星が忽然と現れ、ウォーという嘆声が一斉にもれた。その時、北の空に流星が1個現れて消えた。航海士は「願いごとを唱える時間はなかったでしょう」と言ったが、その通りだった。このような星空を、子どもの頃に見た記憶があるが、これもまた数十年間忘れていた光景である。今の日本、特に都会では、このような夜空を見ることはできないだろう。

一昨夜を星座観察に選んだ理由は、月の光が弱い時期で星が良く見えることと、南十字星が見える位置にまで飛鳥が南下したことによるとのことだ。そして、北斗七星、北極星、春の大三角形、冬の大三角形、シリウス、土星、偽南十字星、そして、目的の南十字星と説明は進んだ。カラス座のところでは、アポロンと奥さんの浮気とカラスについてのギリシャ神話が出てきたり、双子座の由来も教えて頂いた。

5000年前、メソポタミアの羊飼いは、星を見て季節を知っていたそうだ。それがギリシャに伝わり、ギリシャでは死ぬと星になると言われてきたので、ギリシャ神話の名前が星座に付けられている。しかし、南半球の星は、ギリシャでは見ることができないので、南半球の星座の名前は航海時代に付けられたものが多いとの説明を受けた。

私は、5000年前に、星について実用的な知識が存在していたことに感動した。エジプトのピラミッドも同じ頃に作られたものであることを思うと、人間の頭の進化というのは、数千年の単位ではなく、数万年以上の長い単位で行なわれてきたと考えざるを得ない。

船を安全に運航をするためには、船の位置を正確に知らなければならない。昔の船乗りは、夜は星、昼は太陽を観測して、それを知ったそうだ。現在はGPSを使って、より簡単で正確に船の位置を認識することができる。しかし、米国が何らかの理由でGPSの使用を拒否するような事態が発生したり、GSP機器の不調に備えて、船員は星について充分な知識を持つ必要があるとの話は説得力があった。

この星座観測はまことに意義のある催しであった。


▼コメント
投稿 ヒマジンスキー | 2007年4月10日 (火) 13時00分
9日、10日と飛鳥Uの紹介、船の外の景色と描写して戴いて楽しかった。水平線が丸く曲っているというのはよく海辺で言われるのだが、如何せん陸からだと幅に制限があるからか、「そんな気がする」という感じであり、感服するほど如実なものではない。大海に出た大きい船からの景色は本当に水平線が水平でなく見えるのに違いない。

大きさ故に揺れを感じない、従って船酔いに悩まされる人もいないというお話も新発見だ。波を見ただけで酔う家内にも早速報告せねばならない。『それなら私も乗りたい』と言われると慌てさせられるのだが、知識は常に共有したく思うので今夜の話題にする積りだ。また100日間「飲み放題」は私などには危険だろうなと思う。

▼コメント
投稿 BOW | 2007年4月10日 (火) 21時10分
ヒマジンスキーさん、こんばんは!
妻と貧弱な船のPCで、コメントを拝読し、大笑いしてしまいました。水平線、ゆれ、船酔い、すべて本当です。100日のアルコール漬けは確かに剣呑ですね(笑)。またのコメントお待ちしております

▼コメント
投稿 musi | 2007年4月11日 (水) 01時53分
有意義な時間をお過ごしのご様子、お忙しく!楽しんでいらっしゃるBOWご夫妻へコーヒーで乾杯していま〜す。「星に願いを」で正解の次は星座の観測なんて、さい先グット!! あと数時間でシンガポール入港!どんなお話が飛び出すか楽しみです。

▼コメント
投稿 BOW | 2007年4月11日 (水) 22時26分
musiさん、こんばんは! 星が重なるとは気がつかなかったです! 幸先が良ければいいのですが、、、


◆飛鳥II世界1周航海記 2007年4月11日 (水)

神戸を出航して最初の寄港地シンガポール上陸を翌日に控え、昨日はその準備などで気忙しかった。

夕方から、アジアン・ディナーが、11デッキのプールサイドで行なわれ、アジアの音楽演奏の許で、夕陽を浴びながら、アジアの料理を食べた。アジアの料理と言っても、私にとって珍しいものは、子豚の丸焼きだけ。体長約30cmの子豚がチョコレート色に焼かれて照り輝いている。可哀そうという気持と、きれいに焼けているなという感嘆が混じった複雑な気持で、デジカメにその姿を収めた。老婦人も同じようにデジカメで撮影しようとしていたが、腰が後にひけてへっぴり腰そのもので可笑しかった。

その丸焼け子豚を削いだ皮付き肉片を、妻がもらってきた。よく見ると、皮が飴色で香ばしそうだ。この肉片からは、あの丸焼きの姿は想像することはできない。そこで、思い切って口にしてみると、予想通り皮の部分が適度に固く、歯ごたえがあって美味い。肉の部分は、焼き豚とほとんど同じだ。こんな残酷な料理は食べられない、と思ったのは間違いだった。お代わりをしたのは、もちろんだ。

アジアン・ディナーなので、中国、朝鮮、雅楽などが演奏されたが、途中からアフリカ音楽に変わった。背が2mもありそうなアフリカ人の男性たちが踊り、唄い、打楽器を打ち鳴らす。その強烈なこと! もう圧倒されてしまう。女性は、なぜか彼らに魅せられてしまうようで、中高年の女性たちが、嬉しそうに、楽しそうに踊りながら、彼らにまとわりつくのだ。それはそれで良い。しかし、いつからアフリカはアジアになったのだ!

あまりに暑いので、最上階のスカイデッキに登ると、そこは風がよく通って涼しく快適だった。夕方近くの空の雲が美しい。日本では目にすることができないと思った。 妻にとってラッキーだったのは、作家の橋田寿賀子氏が、このアジアン・ディナーに来られたのを発見して、一緒に記念撮影ができたこと、最上階のデッキでは、作家の内田康夫、早坂真紀夫妻が登って来られたのを発見して、これまた、一緒に記念撮影をさせてもらったことで、ダブルラッキーだった。

お二人の新刊本が飛鳥のショップに置かれていたので、妻は早坂氏の著書を、私は内田氏の著書を購入した。そうしたら、サインをして頂けると言う。かくして、「薔薇に祈りを」には「野村経子様 ニ00七年世界一周飛鳥船上にて 早坂真紀 四月八日」のサインが、「イタリア幻想曲」には「野村 望様 飛鳥IIニ00七年世界一周乗船記念 内田康夫 平成十九年四月八日南シナ海にて」というサインが記されている。この調子では、クルーズの良い記念がいくつもできそうな予感がする。

2007年4月11日 (水) 旅行・地域 | 固定リンク | コメント (1) | トラックバック (0)


▼コメント
投稿 musi | 2007年4月13日 (金) 01時06分
ワオーースゴイ!お帰りの時には記念が段ボールにいっぱいでしょうね。それをUPされる!もうもう今から楽しみです!始まったばかりなのに待ちきれないよ〜です。とにもかくにもお元気で!!


◆飛鳥II世界1周航海記 2007年4月12日 (木)

午前5時30分、飛鳥はシンガポール港に着岸した。1週間ぶりの陸地を間近に見て、これを記録に残そうと、キャビンを飛び出し、最上階のスカイデッキ(12デッキに)駆け上った。急速に近代化したシンガポールは、超高層ビルが林立し、船上からも、その繁栄が想像できる。

7時30分に、ニュージーランドの国旗をつけた客船 Nautica号 が桟橋を挟んで反対側に着岸した。ずいぶん大きく見えたが、我が飛鳥よりは一回り小さい。向こうの乗客もこちらを注目し、ビデオ、カメラ、双眼鏡で観察している。年齢層は飛鳥IIよりやや若いのではないかと思える程度で、中高年であることに違いはない。

シンガポールは初めてなので、オプショナル・ツアーとして、「シンガポール1日観光」を選択した。「シンガポールの見どころを満喫できるコースです」という案内文が効いたのか、これを選んだ乗客は非常に多く、大型バス4台を連ねることになった。そして、クタクタに疲れる観光が始まったのである。

先ず、下船するまでに時間がかかり、入国審査が遅々として進まず、30分以上同じ場所に立ちっぱなしの状態を余儀なくされた。これは、かのニュージーランド船の乗客が、同じ時間に上陸したことも関係していると思われる。

バスに乗るや、早速スコールに見舞われた。現地ガイドは10分で止むと言うが、1時間以上も続いた。前日「雨具を必ず持参するように」と言うアドバイスを受けたが、正しかった。アドバイスと言えば、上に羽織るものを持参することも勧められたが、これも正解で、外は蒸し風呂でも、バスや建物の中はクーラーをガンガン効かせていて、強烈に寒いのだ。

雨の中をまず、セントーサ島にある「イメージ・オブ・シンガポール」という、シンガポールの開拓史館・戦争資料館に入った。ここはお化け屋敷のような蝋人形館で、駆け足で見て回るだけなので、印象に残るところはほとんど無い。

その中で、ビデオの大画面で紹介されたシンガポールという名前の由来を紹介するアニメだけは、はっきり覚えている。 シンガポールは淡路島くらいの小さな島で、昔この島を発見した王子の一団が上陸すると、ライオンに似た動物がやって来た。王子がその動物の目を見つめると、おとなしく去って行ったということだ。そこで、この地を「シンガ・プーラ」と名付けたが、「シンガ」はライオン、「プーラ」はシティーの意味である。このライオンの下半身が魚の形をしているのは、この地がジャワ語で「テマセック(海)」と呼ばれていたことを表しているそうだ。

続いて、巨大な「マーライオン・タワー」の頭の部分に登ったが、5分も経たずに降りなければならないのだから慌しい。その後は、港や市街が一望できるシンガポールで一番高い山「マウント・フェーバー」に登った。ここではゆっくり眺望することができた。山と名はつくが、標高150mの丘である。シンガポール人は山を知らないので、少し高い土地のことを「山」と呼ぶ習慣があるのだろう。

ホテルで昼食に飲茶を食べ、午後は「マーライオン公園」を訪れた。マーライオン像は、背景に超高層ビルをいくつも従え、確かにシンガポールのシンボルという風格がある。ここにも観光の大集団が一度に殺到するので騒々しく、カメラやビデオの撮影環境としては良いとは言えない。

その後、シアンホッケン寺院に参り、目抜き通りのオーチャード通り、インド人街、チャイナタウンを車窓観光して、最終はDFSギャラリアに立ち寄った。信心深い?というより、願いごとができるところでは常に願をかける習性のある妻は、ここ道教のお寺でも、なにやら一生懸命祈っていた。DFSは意外と閑散としていたが、こういうところが嫌いな私には、むしろ好都合だった。

結局、一つの船から4台もの大型観光バスを連ねて回る観光は、それなりの制約があるのは致し方ないことを学んだ。次に、この国を訪れることがあれば、自由行動を選ぶだろう。しかし、シンガポールという国はすごいと感心するところが多くあった。1行で表せば、北緯1度という赤道直下の位置にありながら、急速に近代化が行なわれ、それが見事に成功し、中国系を中心に、他民族が共存している秩序の整った模範的な国である。このような人為的な秩序をいつまで続けることができるのか、興味が沸く国でもある。

最後にドジの紹介。
DFSに到着する直前に目を覚ましたのは、私たち夫婦だけだったらしい。バスを降りる際にDFS入場チケットをもらったのは私たちだけだった。他の人たちは、車内で配られたチケットをしっかり手にしておられた。きっと苦笑されていたのだろう。

船に戻り、クローゼットに入った妻は、金庫を開けっ放しにして出掛けたことに気づき、大慌て。初めての上陸なので昨夜、金庫の中身の整理をしたまま、ロックをするのを忘れていたのだった。持ってきた日本円、ドル、ユーロ、妻のクレジット・カード、そのた重要なものが全部入っている。直ちに点検をしたら異常はない。そこで、安心した妻は言った「あなたは、エーゲ海でも同じことをしたわね!」。いや、まだデジカメは失くしていないぞ! 金庫の開け閉めのような複雑なこと?は常に私が分担することになっている。

そうです、みんな私が悪いのです。


▼コメント
投稿 ヒマジンスキー | 2007年4月13日 (金) 11時20分
今回のBOWさんの報告で初めてシンガポールにも山があることを知りました。

それから、シンガポールって冷房過剰だそうですね。風邪を惹きやすいから要注意です。昔から言いますよね、「エスキモー風邪ひかない」って。

私たち夫婦の場合、温泉旅館に行くと部屋の金庫のキーは家内が持ち、部屋のキーは湯上りの早い私がホールドします。金庫の管理は私にはまかせて貰えないのです。信頼されていて幸せですね、BOWさん。

▼コメント
投稿 T | 2007年4月13日 (金) 14時59分
ご無事で初上陸、おめでとうございます! シンガポール近代化に力をつくしたスタンフォードラッフルズ卿の名前がついたラッフルズホテル、いまや有名ホテルになりました。自由時間がありましたら、是非ハイティを試みてほしい所でした。マーライオンより数段シンガポールです(笑)

▼コメント
投稿 BOW | 2007年4月13日 (金) 15時23分
ヒマジンスキーさん いつも楽しいコメントありがとうございます。信頼されているのではなくて、妻は難しいことができない人間だからです。

Tさん 記事に書いたとおりの状況で、ツアーを選んだのが間違いでした。


◆飛鳥II世界1周航海記 2007年4月13日 (金)

一昨夜22時にシンガポール港を出航した飛鳥IIは、進路を北西に変えて、マラッカ海峡を航海している。マラッカ海峡といえば、数年前、日本のタンカーが海賊船に襲われて、船長を人質に、身代金を要求してきた事件を思い出す。この海峡は幅が狭く、浅瀬が多くて、座礁し易く、航海の難所であり、海賊船が出没するということを知っていたので、以前から興味があった。

興味があることに対しては、俄然元気が出てくるご存知の性格なので、朝食を急いで摂り、スカイデッキに駆け上った。太平洋の東シナ海、南シナ海を航行中は、周りはすべて海原だったが、マラッカ海峡では左舷側も右舷側にも陸地が見える。そして、これまでは、航行している船に遭遇することは滅多になかったが、ここでは、行き交う船が多数が見られる。その船はいろいろで、貨物を満載したもの、漁船らしきもの、見たことのないタイプの船もある。海の色の濃さが減り、緑色が増していて、日本で見る海の色と変わらない。おまけに、水面にゴミが浮いているところまで同じだ。

何かの本で読んだことがあるが、海賊船は夜の暗闇に乗じて、襲う船に乗り込み、武器で乗組員を脅し、時には殺傷までする。狙われるのは船脚が遅く、乗組員の少ない貨物船が多いそうだ。貨物船は喫水線が深く20mもあるため、常に座礁の危険があり、浅瀬の多いこの海峡では、安全に通れる航路が非常に限られている。だから、下手に逃げようとすると座礁するので、簡単に逃げるわけにはいかない。身代金を取りやすいのは日本人と相場が決まっているので、日本の貨物船が海賊に狙われやすいというのは、充分納得が行く話だ。

それでは、武器を持つことのできない日本船は、どのようにして海賊から船を守るのか興味があるが、以前に読んだ本によると、先ず船の周囲を最大限に明かるくして、早く発見する。発見すれば、清掃用ジェット噴流や消火用ホースを使い、強力な水圧で放水して、船に登ってくる海賊を海に突き落とすのだと言う。本当かどうかは知らないが、想像するだけでも愉快ではないか! 飛鳥IIのように大きく、スピードが出て、不夜城のような明かり点けて航行している客船が、襲われるようなことは滅多にあるまいと高をくくっているから、このような気楽なことが言えるのかも知れない。

ここへくるまでの変化のない海とは違って、ここでは海そのものが、「海賊」という非日常的な世界を想像させてくれる。

もう一つは、ドリアンのお話。
昨日のシンガポール観光に際して、「ドリアンの船内持込禁止」がくり返し警告された。それは、ドリアン特有の強力な臭気が出るからだという。その一方で、ドリアンは一度食べたら止められないほど美味であり、シンガポール人の大好物であるとの情報も入る。それを知ると、どのような味がするのか、どのような臭いなのかを知りたくなるのが人情というものだ。

それを察してくれたのかどうかは定かではないが、昨日14:00〜14:45にかけて、11デッキのプール・サイドで「フルーツ・ビュッフェ」が催され、そこにこの「ドリアン」も用意すると書いてある。どうやら、昨日シンガポールで仕入れてきたらしい。ただし、ここでも「ドリアンは、香りの強い果物です。デッキでお召し上がり下さい。客室や施設内へのお持込みはご遠慮いただいております。」との注意がはっきり付けられていた。

これだけ煽られると、ドリアンがどんなものかを知りたいという欲望を抑えることは難しい。私たちも、もちろん「フルーツ・ビュッフェ」に出かけたが、そこには多くの乗船客が殺到していた。小分けしてもらったドリアンは、メルティー・チーズのようにクリーミーで、それほど強い香りはしない。私が口にするのを見て、妻は「どんな味?」と尋ねる。そう言われても「ドリアンの味」と答えるより他には思いつかない。あまり美味いとも思えないが、慣れれば美味しくなるかもしれないと全部食べてしまった。

その後、なんとなくあとくちが悪く、口直しにコーラを飲んだら、ゲップの度になまぬるい臭いが出てくる。これには閉口して、早く体内から排泄してしまおうと、水分を大量に飲んだら、食欲が落ちてしまった。私は、おそらく、今後ドリアンを口にすることはないであろう。

昨夜から、ブログに記事は書けるが、コメントを1字でも書こうとすると「スクリプト・エラー」が表示され、書き込むことができない。他のPCでも同じことなので、もうガックリ。

そういうわけで、しばらく、コメントを書けませんが、お許し下さい。それでもコメントはいただければ嬉しいです。書く励みになります。PCが不調が一番のイライラのもと。過敏性腸症候群になりそうです(笑)。


◆飛鳥II世界1周航海記 2007年4月14日 (土)

マラッカ海峡と海賊の話のところで、飛鳥IIくらい大きく早い船は襲われないだろうと昨日書いたのは誤りだった。今朝の船長の船内放送で、マラッカ海峡通過中は、乗組員を多数デッキに配置して警戒に当った、無事で良かったとのアナウンスがあり、飛鳥IIと言えども安全ではないことを知った。今朝からインド洋に入り、見渡す限り海原の世界だ。海の色も濃く青い。

一昨夜のフォーシーズンズで、食事関係の乗組員の紹介があったが、その中で、ギャレー(厨房)部門として、エグゼキュティブ・シェフ(総料理長)を先頭に、ざっと5〜60名が一列で、ダイニングルーム内を一巡した。これには、誰もが圧倒されてしまった。飛鳥歴の長いご夫婦と一緒だったが、「こんなのは初めて経験した。良い企画だ」と感心しておられる。

ディナーでは、暖かい料理は常に適温で運ばれてくる。ホテルのパーティーとは全然違うと思ってきたが、見えないところで、これだけの方達が働いているからこそ、それができるのだと納得した。レセプションで確かめたところ、厨房関係の乗組員は80名いるそうだ。

同じく一昨夜、スリー・オーストラリアン・テナーズ・コンサート(Three Australian Tenors Concert)がギャラクシー・ラウンジで催された。ここは420名収容可能だが、80%近くの席が埋まっていた。3人の中では、パバロティーそっくりの巨体のテナーが一番素晴しかった。「グラナダ」で始まり、「帰れソレント」で終り、アンコールの最後は、オーストラリア民謡「ワルチング・マチルダ」だった。

このほか、いろいろの催しがあるが、関心のあるものだけを選んでいる。ダンス教室が大盛況のようだが、私たちは興味がないので寄り付かないでいる。船で知り合った皆さんの多くは、ダンスを楽しまれているようだ。

昨日の朝は、松本 渉氏の講演「古代エジプトのファラオ:3300年前に国際平和条約が」を聞いた。6デッキのハリウッドシアターは260名収容可能だが、立ち見が多数出る盛況。講演内容も良かった。あとエジプトに着くまで2回講演がある。楽しみだ。アスカ・ショップで著書を2冊購入したら、これもサイン付き。

船内で迷子になると困ると、本気で心配する妻にせがまれて、トランシーバをヨドバシカメラで購入した。売り場では、船は鋼鉄の壁なので電波が届かず、使えないと言われたが、ダメモトで買ったのだった。講演までの時間を利用して、トランシーバーの実力を試してみたら、船首船尾間はもちろん、12デッキと6デッキの間でも明瞭に交信が可能なので驚いた。キャビンから、エレベーター内、そのほか、どの場所でも交信ができそうで、これは嬉しい誤算だった。

マンションでは、防火扉を閉めると交信不能になるので、船でも使えないだろうとあきらめていたのだが、やはりマンションの壁はそれだけ重厚ということだろう。トランシーバーを操っている人間は、船上にはいないので、ちょっと得意になっている。

昨夜は飛鳥祭りが11デッキのプール・サイドで行われた。ねぶた、竿灯、阿波踊り、よさこい、と日本のお祭りが洋上でくり広げられる。そして、最後はみんなで盆踊り。これが飛鳥恒例となっているようだ。私たちは、見る阿呆役を務めさせていただき、大損をするところだったが、炭坑節が始まると、「私これ踊れる」と言って、妻は盆踊りのしんがりに加わってしまった。

カメラマンは大慌て。ビデオとデジカメを引っさげ、見物衆を掻き分け、必死で何とか撮影をした。その証拠をビデオ、デジカメにバッチリ収めているので、帰国すればご紹介するつもり。いずれにしても、退屈する閑はなく、食事の時間が直ぐにきて、忙しい。お陰さまで、今のところ体重増加はない。

今夜は星がたくさん見える。南十字星はバルコニーの正面天空にあり、飛鳥IIはインド洋を西へ向かって航行中。


▼コメント
投稿 Sammy | 2007年4月14日 (土) 10時15分
Bowさん 聞こえますか?どうぞ〜♪ トランシーバで奥様と通信という手段、素晴らしい! 楽しそうですね〜。

ディナーズコンサート、飛鳥祭り・・毎日が楽しそう! 炭鉱節・・「月が出た出た♪〜」ですね。奥様も楽しまれていらっしゃいますね〜。

さて、これからエジプトに向かわれるのですね。私は、行ったことがないのですが、主人が20代に5週間エジプトに一人旅に行ったことがあります。夕暮れ時アスワンのナイル河近くの公園で飲んだマンジュースの味が忘れられない・・とよく話てくれます。

Bowさんの航海記を拝見しながら自分の中にあるストーリーと関連付けながら読ませていただくのも私のしばらくの楽しみになります。では、では・・。引き続き よい旅を〜

▼コメント
投稿 musi | 2007年4月14日 (土) 15時02分
超有意義な日々をいっぱい体験されてるご様子に頬もゆるみます。拝読しつつ驚いたり、嬉しくなったりとmusiも忙しく嬉しい悲鳴中(^^) お元気でいらしゃるのが何よりです!

オマケはめちゃお忙しくなりますデスヨ〜画像付の長〜い航海日記のUP、わーーワクワクしまーす。

▼コメント
投稿 マミー | 2007年4月15日 (日) 00時47分
「海賊」のお話、ゾクゾクしながら読ませていただきました。放水で戦わなければならないようなことが起きなくて、ご無事で良かったです。

PCが不調なのですね。お気の毒です。それだと文筆活動が快調には進みませんね。でもいつも通り、とても楽しく、お上手な文章なので、そんなことはDrBOWにとっては、何の問題もないということが分かります。

先日T-baさんがご紹介下さったカメラマンの方は一体どうやって画像をUPされているのでしょう?ノートを携帯電話に繋いでおられるのかなぁ、と勝手に想像していますが。

でもDrBOWご夫妻が携帯ではなく、トランシーバーでご夫婦間の連絡をとられているのはもしかして「携帯使用禁止?」なのかな?とも思い、ますますナゾは深まるばかりです。ですが「トランシーバー」での通信、楽しそうです。他の方々の羨望の眼差しが目に浮かびます。

撮られた画像は全てメモリーに保存されているのでしょうか?きっとすごい量になりますね。もしかすると、ネットには繋げなくてもノートPCは持って行かれているのでしょうか。それだとどんどんPCに移していけばよいだけですよね。・・と、どうでもよいことばかり気になり、勝手にあれこれ想像して楽しませていただいてます。毎晩拝読させていただいてから、眠りにつくのが日課になってます。「おもしろ出来事」のご報告楽しみにしています。


◆飛鳥II世界1周航海記 2007年4月15日 (日)

昨朝の船内放送でキャプテンは、TVに表示されている航路の軌跡が折れ曲がっていることについて、一昨夜の飛鳥祭りを無事終了させるため、雨雲を避けたからだと話された。乗客の知らないところで、そのような配慮が絶えず行なわれていることを知り、少しばかり感動した。

昨日で10日間、飛鳥IIの朝食を摂ったことになる。朝食は和食だけでなく、洋食ビュッフェやモーニングセットの場所もあるが、私はパンが苦手なので、5デッキのフォーシズンズで和食を食べ、その後、飛鳥II で一番のお気に入りの場所、11デッキのパームコートで、美味いコーヒーを飲むのがお決まりのコースになっている。

朝食を少ししか摂らない妻は、ここでパンを食べ、お美味しいという。結婚して40年になるが、朝食に妻はパン、私は饂飩か蕎麦を、お互いが妥協することなく続けてきた。ここにきても、妻はその習慣を変えようとはしない。

そのフォーシズンズの和食だが、献立は毎回変わっている。しかし、変わらないものが3つある。温泉卵、梅干、焼海苔で、納豆も必ずついてくるが、こちらは豆の種類がいくつか変わる。私は焼海苔が好物で、おやつのように食べるので、焼海苔を3缶ほど持ってきたが、無駄になってしまった。

午前は、次の寄港地モルジブ共和国の「マーレ」の説明会が、6デッキギャラクシー・ラウンジで行なわれた。420名収容のこのホールが満席のため、部屋のTVによるライブ中継で、辛抱しなければならない方が多数おられたようだ。私にとって、ここ「マーレ」は、オマケの人生へのスタート地点であると思って、熱心に聴いていたが、一時は睡魔に負けた。隣人は負けっ放しのようだった。

午後は、エッセイスト細川直子氏の「遠くて近い国トルコ」の講演があり、開始10分前に会場へ出かけたら、もう満席。仕方がないので部屋に戻り、TVのライブで拝聴したら、こちらの方が分かりやすい上、周りに気を使って睡魔と闘う必要もない。案外、生放送も良いものだ、という収穫を得た。

夕食後、2回目のスリー・オーストラリアン・テナーズ・コンサートが開かれた。彼らとは、朝食後プール・サイドで出会ったことを思い出し、頬が緩んだ。パバロッティーに似た巨漢のマッケンジーさんは、プールデッキをウォーキング、やっぱり健康に注意されているのだろう。もう一人はプールで泳いだり、プール内の波に乗って漂ったり。最後の一人は、メンズ用のウォッシュルームに入るのを目撃した。

今回のアンコールでは、軽快な「フニクリ・フニクラ」に続いて、「マイ・ウエイ」でフィナーレとなったが、3人のテナーのユニゾンは、これまで聴いたどの「マイ・ウエイ」よりも迫力があった。私のホントの人生の目標としてきたこの歌が、その終わる1日前に、かくも堂々と歌い上げられたことに対して、何か運命的なものを感じて私は嬉しかったが、妻は逆にそれを不安に思ったようだ。

もっとも、「マイ・ウエイ」は、しんみり唄う歌だと私は思っている。


▼コメント
投稿 ヒマジンスキー | 2007年4月15日 (日) 22時19分
BOWさん、毎日楽しく読ませて戴いています。

もう二度とドリアンを食べないだろうとおっしゃっているので安心ですが、あの記事を読みかけたときにドキっとしました。「ドリアンを食べてビールを飲むな」と昔ジャカルタ時代にきつく言われたことがあったからです。詳しくは知りませんが、胃が破裂しそうな状態に陥ると言われました。またどこかで出るかも知れませんので気をつけてください。もしかするとコーラ類も同じように危なかったのかも。

朝食に饂飩やソバを召し上がるとは余り聞かないお話です。奥様はパンだそうですが、これは私たちと同じです。「ここに来ても妻はその習慣を変えようとしない」とおっしゃいますが、私たちには「変えようとしないのはBOWさん」という感じでおりますよ。公海上で饂飩やソバだというのは「カタクナ」ですね!これあくまでも感想に過ぎません。あるいは亭主関白ぶりへのヤッカミでしょうか。お元気で!

▼コメント
投稿 Kei | 2007年4月16日 (月) 00時10分
Happy Birthday!
日本は、今4月16日午前0時です。調べたところ、モルジブは、4時間遅れとの事なので、まだ15日の20時でしょうか?まあ、これを読む頃には、HappyBirthdayと言う事で。

さあ、いよいよおまけの時間の始まりですね。今日は、封印していたお酒も解禁ですね。船の上は揺れるので、酔いやすいですから、お気をつけを。船医さんのお世話にならないようにして下さい。今日、マンションに大好きなスーパードライも運んでおいたので、帰っても安心ですよ。

さて、おまけが始まって、無事なので、まあ、次は9のジンクスですかね。ということは、99歳だったりして(笑)。武勇伝はきっちり、ブログで確認していますから、ご心配なく。モルジブの海は綺麗ですか?最高の誕生日ですね。仲良く旅して下さい。最後にもう一度、おめでとう!

▼コメント
投稿 bow | 2007年4月16日 (月) 01時00分
ヒマジンスキーさん ご助言ありがとうございます。道理でコーラを飲んだら胸が張り裂けそうになりました。クワバラクワバラ! 私が亭主関白だなんて、こんな弱い関白はいません(笑)

▼コメント
投稿 musi | 2007年4月16日 (月) 02時04分
Happy HappyBirthday!! 解禁酒の始まりですが数ヶ月振りですのでお気をつけ、、、あ、奥様がしっかりとでした〜(^^) 今までと違った人生にも乾杯!

>次は9のジンクスですかね。ということは、99歳だったりして(笑)
同感!!そうしましょう!マジですよ〜。

▼コメント
投稿 BOW | 2007年4月17日 (火) 12時13分
musiさん ありがとうございます。その日の顛末を今UPしたばかりです。 99歳なんて死んでもいやです。マジです(笑)。


◆飛鳥II世界1周航海記 2007年4月16日 (月)

昨日はホントの人生の最後の日であり、それを思うと少しの感慨はあった。今までのところ、船上生活は退屈ではなく、次々とスケジュールが詰まっていくため、ゆっくりできないという不満を感じ始めている。それは、自分が取捨選択すれば良いだけのことなので、贅沢な不満かもしれない。食事で相席となった方とお話をするのは楽しいが、私たち夫婦のような、もともと社交的でない人間にとって、いささか疲れることも確かだ。

名刺交換をしてお話をした方は、約2週間で28名、その内昭和11年生まれが私を含めて4名もいた。また、医師は私を含めて6名いた。昭和11年生まれが多いのは、古希の年齢であることが関係しているのかもしれない。医師は私のほかにもう一人11年生まれがいたが、残りの方は7〜8歳以上年長と推定される。リピーターで、クルーズを良くご存知の方は、自営業の方や企業経営を引退された方が多いようだ。そのほか、何らかの大きな病気をされたことのある方や、現在も病気をお持ちの方も多かった。現役とか身体壮健な方は、クルーズではなく、飛行機を利用されるのだろう。

私たちの飛鳥IIお気に入りの場所として、昨日11デッキのパームコートを挙げたが、もう一つのお気に入りは、グランド・スパだ。キャビンにジャグジー・バスがあるのに、これを使ったのは乗船した日の夜だけだった。グランドスパは12デッキにあり、広々としてまさに大浴場と言える。私はその中に2つある円形のジャグジーに必ず入り、肩や腰に強力なジェット流を当てるのが好きで、空と眼下の海を眺めながらの入浴は心地良い。妻は温泉に行っても、いつも部屋の内風呂に入るのだが、このグランド・スパへは喜んで行く。キャビンのバスを使ったのは、私と同じく1回だけだから、よほどここが気に入っているのだろう。

反対に、期待していて失望したのは「ハリウッド・シアター」で、260名も収容できる立派な映画館であるのに、映画は映写でなく、背面からスクリーンに投影するタイプのため、解像度が悪く、家庭用DVDを再生するのと変わらない。ハイビジョンの鮮明な映像が普及している現在、これでは誰も見てくれないだろう。 おまけに、乗船客の平均年齢70.3歳にマッチしたタイトルが少ないのだから、ほんとうに閑散としている。ここのソファーは座り心地が良く、講演でよく使われ、その点では良いのだが、本来のムービー・シアターとしては改善の余地が大いにある。

午前中にあった松本 弥氏のエジプトについての2回目の講演「エジプトの自然・風土に育まれたデザインとファッション」は面白かった。私が高校1年の時に、エジプトに魅せられたのは、ピラミッドではなく、このデザインだったことを改めて教えて頂いた。

奥様は、ただ今フィットネス・センターで、自転車漕ぎ中である。


▼コメント
投稿 さくら38 | 2007年4月16日 (月) 19時25分
おまけの人生おめでとうございます。乾杯!この様な気分ではないでしょうか・・・。

楽しく世界一周紀行読ませていただいています。横着な私にとっては、居ながらにして旅行気分が味わえるなんて最高です。この様な旅行は興味があったのですが毎日どのようにして生活が展開されていくのか、楽しみながら私も頭のなかで旅行しています。お元気で。

▼コメント
投稿 BOW | 2007年4月17日 (火) 12時10分
さくら38 さま嬉しいコメントありがとうございます。ヒマジンスキーさんに東京で会われましたら、よろしくお伝え下さい。

▼コメント
投稿 KENZO | 2007年5月14日 (月) 23時40分
Dr.BOW &経子奥様!毎日楽しい発見や体験の連続の様子を知らせて頂いて凄い凄いの連発です!

先のエーゲ海クルーズでの現地添乗の日本女性に偶然再会されたとの奥様からの絵葉書が届きました!どうぞ体調に気をつけて、素晴らしいクルーズを満喫して下さい。帰国後、数え切れないドジ体験と美しい画像のご披露も楽しみにお待ちしていますよ!


◆飛鳥II世界1周航海記 07/04/17(火)

ブログにモルディブと誕生日のことをUPしたが、これまでの2週間の中で、一番長文になってしまった。 その後、松本先生の「ヒエログリフ文字教室(講義)」を受講すると、難しそうに見えたこの象形文字が身近に、感じられるようになった。

アルコール解禁日に飲んだビールは、なぜか少し苦く感じた。3ヶ月以上飲んでいなかったせいか、妻が心配、心配というので、気分が乗らなかったのか、よく分からない。2日目からは、本来のビールの味が戻ってきた。昨夜私の顔が赤かったのは、モルジブでの日焼けのせいだと分かって、妻の監視の目がゆるんだせいもありそうだ。

昨日は、眠りが浅く、モルジブに到着したと思って何度も目を覚ました。就眠前に、ブログに一昨日の記事をUPするため、コンピュータ室に行ったが、そこで、たくさんの方から頂いた、メールやブログのコメントに接して、嬉しくて軽い興奮状態だったせいかも知れない。

時差が4時間あり、その時こちらは未だ15日だったが、日本では16日なので、私の誕生日を祝って下さるメールやコメントも多く頂いていた。生まれて初めての経験で嬉しかった。その中でも、ご自分のホームページに掲載していただき、私のオマケの人生(プレミアム・ライフ)出発を祝うエッセイに感動した。この場で、皆様にお礼申上げる。ありがとうございました。

目を何度も覚ましたもう一つの原因は、モルジブの島々を飛鳥II船上から早く見たい、早くビデオやカメラにに収めたいという気持が強かったためだろう。この世界1周クルーズで、モルジブへ寄航する日が、自分の誕生日だと知った時点では、モルジブ? マーレ? だった。そこで、書店に行き、この国について書かれた書籍を探したが、わずか2冊しか見つからなかった。

Webで検索して、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』で、モルジブ共和国は、スリランカ南西のインド洋に浮かぶ26の環礁や約1,200の島々から成り、約200の島に人が住む国であることを知った。無数の珊瑚礁で構成されている国とは、何と魅惑的な国だろう! 世界は広いということを実感した。その思いを確実にしたのは、 Google Earth で見た衛星からの映像だった。モルジブの地理的な不思議を知るのに最も有効なのは衛星からの映像である。

午前6時に、マーレ沖合いで停泊中の飛鳥IIの最上階の12デッキに駆け上った。目の前に浮かぶマーレ島は、おとぎの島に思えた。デッキで、エジプトについての講義をして下さった松本先生を目にして、挨拶をして「先生のご本は非常によくできていて感心しています。昨日のご講演で、自分がなぜエジプトに魅かれるようになったのかが分かりました。ありがとうございました。」とお礼を述べた。先生は、本格的デジタル一眼レフで何度か撮影をされていた。

モルジブでのオプショナルツアーでは、「リゾート体験とマレー散策」を選んでいたので、飛鳥IIからスピードボートに15分ばかり乗って、「バンドス・アイランド・リゾート」に到着した。 ここの海はたとえようもなく美しい。周りから嘆声の途切れることがない。これほど美しい海を知らない。「Beyond the Reef」が自然と鼻歌となって出てくる。

美しいラグーンとエメラルドブルーに囲まれた珊瑚の島々は、リゾート開発に理想的であり、約100の島はリゾート島になっているという。「インド洋の真珠」と呼ばれ、世界各国のダイバー、ハネムーナー達のあこがれの地になっているということも良く分かる。漁業を主要産業としてきたこの国が、観光産業にも力を入れ始めたのは当然であろう。

このリゾート島から、マーレ島に移動して、散策とみやげ物店を覗いたが、見るものは少なかった。ここはモルディブ共和国の首都で、モルディブの全人口の約3分の1が住み、人口密度世界1だという。飛鳥IIのテンダーボートが2隻、この島と船の間を何度も往復して乗客を運んでいる。これに乗って、飛鳥II戻ると、マーレ島はやはり美しかった。マーレは離れたところから眺める島。リゾート島は上陸して鑑賞するところだ。

昨夜の夕食では、誕生日のお祝いをしてくれるとの案内があり、飛鳥乗船以来親しくしていただいている3組のご夫妻と食事をした。皆様は、楽しい会話で場を盛り上げ、かくし芸までご披露して下さるのだから、私は感激のし通しだった。今夜からのアルコール解禁で、私が調子に乗って、飲みすぎて倒れるのではないかと、極度に心配する妻の味方になって下さり、ご自分達も極力アルコールを控えられる。お陰さまで、無事終了した。船から楽団演奏で「ハッピー・バースデイ・トゥー・ユー」を唄って下さっていると、お隣のお部屋のご夫妻も駆けつけて下さり、ご一緒で記念撮影に加わって下さった。

部屋に戻り、誕生日が無事終了したことを喜んだ妻は、兄と息子夫婦に無事を報告していた。どちらも、妻の心配しいに苦笑していたことだろう。

今回の誕生日は、ホントの人生(True Life)が終り、オマケの人生(Premium Life)に入る、私にとっては記念すべき誕生日である。それを、モルディブという夢のような美しいパラダイスで、多くの方々の祝福を受けて迎えることができたことに対して、ただただ感謝あるばかりだ。

モルディブ共和国の、共和国記念日が11月11日で、これは妻の誕生日である。だから、このモルディブが、私たち夫婦にとって忘れることのできないところとなることは間違いない。

オマケの人生では、これまでも何度も書いたように「周りと過去とのしがらみから解放され、好きなように自由に生きる」ことにしている。それには、「自分で決めた課題を果たすことを止める」も含まれる。これからは、タイムリミットを果たすという生き方はしない。

乗船以来2週間、オマケの人生に入るまでは続けることを自分に課して、航海記をこのブログに掲載してきた。そのため、お付き合いで、不本意ながら航海記をお読みいただいた皆様も多く居られたのではないかと、申し訳なく思っている。しかし、これからは、書きたい時に書くことにしようと思っている。もし、途切れることがあっても、尿が出なくなったとか、心筋梗塞で倒れたとか、意識不明になったとか、そのようなことではなく、オマケの人生の生き方を始めたのだと思って頂ければ幸甚である。

とは言いいながら、やっぱり毎日書いているではないかと苦笑されることがあるかもしれない。それは、記録するのが好き、まとめるのが好き、書くのが好きという、好きなことをしているのだとご理解いただきたい。


▼コメント
投稿 tsugu&aki | 2007年4月18日 (水) 21時55分
おじちゃん、経子おばちゃんこんばんは。かな? お二人で仲むつまじく楽しいクルーズをお過ごしのようでなによりです。家の中がばたばたしていて遅ればせながら、お誕生日おめでとうございます。モルジブの海の上でこんな素敵なお誕生日を迎えられ、羨ましい限りです・・・・。

ボンボヤージュ。
ps.スカイタワーの父母からもヨロシクとのことです。

▼コメント
投稿 BOW | 2007年4月19日 (木) 00時07分
tsugu&aki お父さんからかと思ったら、違っていてビックリ!! だけど、もっと嬉しかった! ありがとう!二人で仲良く、クルーズを楽しんでいます。クルーズで出会ったお二人から、コメントをもらって、私たちも何か良いことが起こりそうな気がしています。

スカイタワーのご両親によろしくお伝え下さい。今夜はアルコール解禁3日目、生ビールが美味しくて幸せです(笑)

▼コメント
投稿 musi | 2007年4月20日 (金) 15時38分
S−DRYもありますか〜!? お便りのないのはお元気な証拠だと喜ぶことにしています。大丈夫です!お帰りになられたらドンドンハッパをかけます「いつUPされるのですか〜!」と(^^)

▼コメント
投稿 BOW | 2007年4月20日 (金) 17時38分
musiさん、こんにちは!
もちろん、S−DRYありですよ 背中がむずかゆくなってUPにやってきたら、予感はあたりました。しばらくサボって、まとめ書きしますので、お許しを!


◆飛鳥II世界1周航海記 07/04/18(水)

今日は、乗船以来一番ゆっくりくつろげた感じがする。久し振りに、6時前に早朝ジョギングをしたら、踵の部分が痛くなり、小さな水ぶくれができたので止めた。グランド・スパに浸かると、両腕がヒリヒリ痛む。モルジブの太陽は強烈だったのだ。現地ガイドの日本女性から、ここは日本の4〜5倍の強さの紫外線を受けるので、厳重に日焼け止めクリームで防御し、帽子、サングラスを着用するようにとの忠告を受けたのを思い出した。彼女の顔は、現地人に負けないほどの黒褐色をしていたが、彼女の言は正しかったのだ。

昨日に続いて「ブリッジ見学」が催された。飛鳥IIを操縦する超近代的なブリッジに、熊野神社のお守りが飾られ、立派な神棚も設けられている。その不釣合いが可笑しい。ブリッジの両脇のドアを開けると、見張り用デッキが海面上に突出している。この真下は大海原で、壮観だ。ここからは、飛鳥IIの船体の側面がよく監視できる。あのマラッカ海峡を航行中は、きっとこの場所が、海賊早期発見の最重要の場所だったのだろうと想像した。

その後、妻は芳村真理氏の「洋服のトレンド”モードを先取り”」の講演を聴くために部屋を出て行った。会場のハリウッド・シアターは超満員だったそうだ。驚いたことに、その中に男性も多数いたという。往年の芳村真理氏の現在を知りたいということなのかと推定したが、私はまったく関心が湧かなかった。

私はというと、昨日の続きの「ヒエログリフ文字教室」に参加した。先着30名のみ受付締め切りで、入れてもらえない人もかなりいたようだ。松本先生は、パピルスを配られ、テキストをもとに、このパピルスに自分の名前などを書くようにと仰る。 そこで、私は、NOMURA  ASUKA 2007年4月18日とヒエログリフで書き、色鉛筆で色付けをして、マジックペンで縁取りをしたら、カッコよく仕上がった。インストラクターの女性が回って来て、「きれい」と言ってくれる。松本先生も、「きれいに書けましたね」言われるので、私は有頂天なのだが、「これで間違っていませんか?」などと関係ない質問をしている。しかし、嬉しくて仕方がないのは、まる分かりだったかもしれない。

部屋に戻ると、妻も「きれい、私のも欲しい」という。明日も「ヒエログリフ文字教室」があるから、自分で書いてくれば良いものを、ヒエログリフは難しくて分からないから駄目というのだ。しかたがないので、これは、「NOMURA」だけだから、二人共通だと言うと納得した。早速、写真に撮ったので、帰国後、是非見ていただきたいと思っている。このパピルスに書かれた文字が、5000年を経た今も、そのまま残っているということは何と素晴しいことだろう。

夕食後、伍芳(ウー・ファン)さんのコンサートがギャラクシー・ラウンジで開かれた。彼女は、2000年前から伝わる、21弦の中国古筝で、中国の曲、日本の曲を演奏した。日本の曲では「赤とんぼ」「蘇州夜曲」などが弾かれた。この筝の演奏は、華やかでいて寂寥感が漂い、メロディーをトレモロで奏でる部分に少し違和感があったが、それは、この楽器の特徴なのかも分からない。また、2曲ほど演奏を終えると調弦をしなければならないのも、そのような構造の楽器なのだろう。

伍芳さんは、日本語が美しく、控えめでしとやかなので、すっかり聴衆を魅了してしまった。その上、舞台を去る姿勢が素晴しい。長身の背筋を真っ直ぐ伸ばし、凛とした雰囲気を漂わせている。最近の日本の若い女性は、背が高いが、その多くが、背を丸めて貧相だ。だから、この伍芳さんの美しい歩き方が目に焼きついている。


◆飛鳥II世界1周航海記 07/04/19(木)

飛び魚が海面を飛ぶのは数日前からよく見たが、イルカを見たのは今日が初めてだった。アラビア海を北西に向けて航行中のことである。右舷側にイルカの群を発見という船内放送を聞くや、ビデオを手にバルコニーへ飛び出すと、2〜3頭づつ、海中から飛び跳ねている。飛鳥IIは時速19ノットで航行中だから、どんどん後に離れて行くので、ビデオカメラを望遠にして、現れるのを待ち構え、何度か撮影に成功した。

午後から「ハリウッド・カジノ」が開かれた。前日各部屋に配られた「カジノ・チケット」をチップと交換して、カジノ遊びを楽しんだが、ルールがあまり分からない私たちは、瞬く間に全財産を失ってしまった(笑)。

部屋に戻ると「古代エジプト象形文字ヒエログリフ入門講座」の修了証が届けられていた。私の宝物がまた一つ増えた。

夕食は初めから第1回目組と第2回組みの2組に分かれていて、私たちは第1回組を選んだので、常にその順番になっている。クルーズの最初の夕食をご一緒したご夫妻とカジノで出会って、私がアルコール解禁と分かると一緒に食事をしながら飲もうということになった。この方達は2回目だと言われるので、内緒で2回目組に紛れ込むことにした。

キャビンで夕食の時間待ちをしていると、船内放送があり、日没が間もなく左舷で見られるという。それを聞くや否や、ビデオカメラとデジカメを手に最上階のスカイデッキに駆け上った。そこにはアラビア海に今まさに沈もうとする夕陽があった。美しい!素晴しい! ビデオとデジカメにその美しい映像を収めることができた。これほど美しい夕陽を見たことがない。

夕食を2回目に変えたことによって、こんなに幸運に巡りあえたのだ。聞いてみると、件のご夫妻も自主的に2回組に変更されたのだという。圧倒的に1回組みが多くて混みあうので、2回組に変更されたとのことだが、船の方もその方が望ましいので、黙認してくれているのだろう。

食事を終えて、3回目の星座観察に参加した。船のライトを消した中で満天の星を眺める最後の機会だからか、たくさんの人がスカイデッキに群がっている。2等航海士の楽しい説明を聞きながら、アラビア海の天空を眺めた。

今日は、いろいろな自然を観察することができた。その上、ビールの味が昨夜から美味い。昼にはアルコールを摂らない、というこれまでの習慣をキッパリ変えた。幸せだ。

ここまで書いてきて、良いことばかりではなかったことを思い出した。14日夜の船内新聞で「かくし芸大会出場者募集」を知って、翌日申込みに行って、「マイ・ウエイ」を唄いたいと言ったら、面白い一芸を持っている人が望ましいという。誰かの物真似をして唄うとか、間に面白いな芸を入れるとかできないか?と尋ねられるが、そんなことができるはずはない。できないから、取り下げると言うと、申込みだけしておいてくれと言われるので、「ダメモト」で、一応申込み用紙に書くだけはしておいた。

その締切が終り、本日ご丁重なお断りの電話があった。そして、クルーズ期間中に紅白歌合戦も予定しているので、そちらにも応募できると気を使ってくれたが、もう応募はしない。もともと、歌が上手いと思って応募したのではなかったのだから、、、

自分は「マイ・ウエイ」をホントの人生の目標として生きてきた。それを終えて、今はオマケの人生に入っている。この飛鳥IIに乗船されている方の中にも、同じ気持の方が、たくさんいらっしゃるだろう。皆さん、オマケの人生をエンジョイしましょう!という呼びかけをするつもりだった。一人くらい、このようなクソまじめな話が入っても良いと思って応募したのだが、振られてしまった。

しかし、お気遣いはご無用。いつもの通り、私はこれを「酸っぱいブドウ」にしてしまっている。


◆飛鳥II世界1周航海記 2007年4月20日 (金)

これまでは、記事を掲載した日付で前日の航海記を書いて来たが、書いている本人もややこしくなるので、今回からは日付通りの記事にすることにした。また、毎日記録は残しているが、それをまとめてUPする場合があっても良いだろう、もう、オマケの人生なんだから。

松本 渉先生の講演「地中海と紅海を結ぶ4000年の歴史」は、これまでの松本先生の講演と同じで、大変勉強になった。

紀元前521年にエジプトを支配したペルシアのダリウス1世が、紅海とナイル河を結ぶ運河を完成し、さらには紅海と地中海を結ぶ運河を作ろうとした。

それから約2300年後の1798年に、エジプトを征服したナポレオンは、この運河堀削の跡を見て、ここに再び運河を作ろうとして、技師達に測量をさせた。その結果、紅海の水位は地中海のそれより9cm高く、もしも運河を作れば、地中海に紅海からの海水が溢れこみ、大災害になると進言した。そこでナポレオンは仕方なく運河を断念したが、技師達の測量は誤りだった。

その約70年後の1869年に、フランス人のレセップスが、スエズ運河を開通させることになるまでの歴史を詳しく教えていただいた。

私は松本先生のお人柄に惚れこんでしまい、飛鳥のショップに並べられていた先生の著作をさらに2冊購入し、またサインを頂いた。これで合計4冊購入したことになる。

この日は、2回目のフォーマルナイトだった。前回はいろいろドジをして、パーティーに遅れてしまい、かなり慌てたので、今回は少し早めに出かけた。めかしこんで行ったら、前の事情を知っている方から、今日はカマーバンド大丈夫?とからかわれ、大笑い。

1回目は、乗船直後で、知った人も少なく、あまり気を使うこともないが、2回目となると、乗船客がかなり分かってくるので、服装はきちんとした方が良さそうだ。私は白のタキシードの上着に赤の蝶ネクタイ、妻は息子の結婚の時に作った黒のロングドレスを着用した。


◆飛鳥II世界1周航海記 2007年4月21日 (土)

飛鳥IIはアラビア海から紅海に入り、進路を北西に向け航行している。アラビア海も紅海もインド洋の一部で、インド洋は太平洋、大西洋と並ぶ三大洋の一つ。五大洋という場合内は、これに北極海と南極海が加わる。このようなことは、今回の世界一周クルーズに参加するまでは、忘れてしまっていたことだった。

紅海の名前は知っていても、具体的には何も知らないのと同然だったが、数日間に亘ってここを航海している間に、いくつかのことを知ったので、これもご紹介しておく。

紅海の東はアラビア半島、西はアフリカ大陸である。英語でも Read Sea というが、なぜ赤なのかは諸説があるらしい。船内放送で、30数年前までは、紅海を北上する客船の左舷側のキャビンの代金は、右舷側よりかなり安かったとキャプテンは話していた。それは、紅海が北西に位置しているため、客船の左舷側は常に西南側からの強い日差しを浴び、クーラーが無かった時代には、耐え難い暑さだったからだと言う。

治安があまり良くないので、紅海の沿岸沿いを避けて、真中を航行しているとのことだ。今度は海賊よりも、もっと危険があるのかも知れない。

TV放送されている航路図を見ながら、持ち込んでいる地球儀で調べると、エチオピアのすぐ近くだったり、サウジアラビアのメッカが、すぐ右側にあったりして、興味が尽きない。

次はエジプトのシャルム・エル・シェイクに寄航するが、ここはシナイ半島の南端にある。モーゼのエジプト脱出の舞台になったところだが、今ではエジプト随一のリゾート地として有名だという。

午後は細川直子先生の「魅惑の都 イスタンブール」の講演があった。ビザンチン帝国の首都として約1000年、オスマン帝国の首都として約600年。民族が行き交い、その繁栄と興亡を見守ってきた都市イスタンブールを、歴史をたどりながら、その魅力を話された。


◆飛鳥II世界1周航海記 2007年4月22日 (日)

朝から、原副船長の「スエズ運河よもやま話」の講演があった。スエズ運河の航路図を使って、見どころを中心にいろいろ話され、撮影の参考になるところが多かった。飛鳥IIのスエズ運河通行料が約3100万円というのには、皆驚いていたようだった。

午後は芳村真理氏の「和服の魅力”今こそ着物を着よう!”」という講演があり、妻は出ていったが、私は興味がないので、キャビンに残ってこれを書いている。明日から、エジプト観光が始まる。楽しみだ。

2007年4月22日 (日) 旅行・地域 | 固定リンク | コメント (4) | トラックバック (0)


▼コメント
投稿 ヒマジンスキー | 2007年4月23日 (月) 07時35分
BOWさん、楽しんでますね、こちらも読ませて戴いて楽しいです。是非書き続けて下さい。

BOWさんの白のタキシード姿や奥様の黒いロングドレスなど、読むと同時に想像しています。どなたかにBOWさんのデジカメで写してもらっておいて下さいね。

地球儀を持ち込んでいるとは何と用意周到な、と驚きました。それにスエズ運河通行料約3100万円とは新発見です。もっともっと驚きをご提供下さい。お願いします。

▼コメント
投稿 BOW | 2007年4月23日 (月) 14時04分
ヒマジンスキーさん、こんにちは!
嬉しいコメント、励みになります。今朝シャルムエルシェイクに着きました。ちょっとしたカルチャーショックです。明日はピラミッドなど古代エジプト文明をこの目で見ることができます。スゴク楽しみです。

▼コメント
投稿 Muチャ子 | 2007年4月26日 (木) 02時43分
DrBOWさん
メチャクチャ、ご夫婦でエンジョイしていらっしゃるご様子が伝わってきま〜す!読んでる私も大発見に驚いたりワクワクしながら楽しんでいます!白のタキシード、黒のロングドレス、ツーショットでHPへ!お待ちしていま〜す。

▼コメント
投稿 BOW | 2007年4月26日 (木) 14時44分
Muチャ子さん、こんにちは
お読みいただきありがとうございます。エジプトは期待していた以上の収穫がありましたが、期待していなかった災難にも遭遇しました。そのうちまとめてUPしますので、またのご愛読をお願いします(笑)


◆飛鳥II世界1周航海記 2007年4月23日 (月)

シャルム・エル・シェイクはシナイ半島の南端にある。飛鳥II世界一周クルーズの3番目の寄港地であることを知った時には、まったく知らないところだった。その上、名前が覚え難く、すらすら言えるようになるまで、何度もくりかえした。

ここに寄港して、朝日を浴びた荒涼たるシナイの岩山が連なる光景を目にした瞬間、人を拒絶しているように感じた。ここからカイロへ飛ぶ途中の飛行機からシナイ山を見たが、その印象はより強くなった。

モーゼはユダヤの民を引き連れて、ここを通り、エジプトを脱出したというが、それがどれほど過酷な行程であったか想像できる。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教という強烈な一神教が誕生する背景には、このような厳しい自然があったのだろうということにまで、思いは飛躍した。

寄港した時に驚いたもう一つは、この港の岸壁のすぐそばにある高台に、半壊した建物がそのまま放置され、その高台から水面までの崖の部分は崩れかけたままの状態で、ゴミも散在していることだった。港の反対側の海には、数え切れないほどのきれいな白いレジャー船が浮かんでいる。そのアンバランスが不思議だった。ここは、エジプト唯一のリゾト地であるというのに、私たちなら醜く思って必ず取り除くものを、そうは思わずに放置しているのが現在のエジプト人の感覚かもしれないと思った。

その感想は、カイロをバスで移動している間、あるいはホテルやレストランや観光地に着いてからも同じだった。道端、ビルの屋上、川べりから川の中まで、ゴミがところを選ばず放置されているのだ。

カイロへ飛ぶ前に、このシャルム・エル・シェイクを散策する時間があった。この地はイタリア、フランス、ドイツ、イギリスから飛行機で3時間で来れるので、格好のリゾート地となっているとのことだが、ショッピング街は西部劇の町をこぎれいにした感じ、ビーチはハワイ調、昼食を摂ったシェラトン・シャルム・エル・シェイクもアメリカン風でオリジナルな魅力は少ない。

シャルム・エル・シェイク空港から、飛行機でカイロ空港へ向かう途中、先に書いた嶮しい不毛と思えるシナイ山を過ぎると、次は砂漠が続く。そしてカイロに近づいたころ、密集する中層集合住宅が現れ、それが途切れることなく続くので、ここが大都市であることが分かった。

カイロに到着して目にしたのは、米国風の清潔な高級高層建築が、猥雑なエジプトの街の中に点在する光景だった。

カイロで最も古いモスクであるアムル・モスクを訪れ、この中に座って、現地ガイドからイスラム教の話を聞いた。モスクは、規模の大小はあっても、構造は変わらないこと、なぜ毎日5回礼拝をするのか、礼拝する方向はメッカで、カーペットには一人一人方向を示す矢印の模様がつけられて、壁にはくぼみがつけられていることなどを話してもらった。

その中で一番印象に残っているのは、エジプトはもともと全部がキリスト教徒だったのが、現在は11%となり、残りの89%はイスラム教であるということだった。イスラム教がなぜこのように広まったのか、そのわけをどちらの宗教にも偏らないで、客観的に知りたいと思った。

このガイドはバーサムさんと言い、カイロ大学を卒業され、生まれはアスワンダムの近くのヌビアだそうだ。古代エジプト人にそっくりの風貌で、古代エジプト文明を非常に誇りに思っていることが伝わってくる。私はすっかり惚れこんでしまった。

彼は何かの話の中で、エジプトは2100年間植民地であったと漏らしたことがあった。そのことばに私は衝撃を受けた。これまで、そのような視点からの話を聞いたことがなかった。しかし、調べてみると3000年続いた古代エジプトの諸王朝が、紀元前525年にペルシアに支配されて以来、エジプトはいずれかの国の支配下に置かれてきた。エジプトが独立するのは1922年である。彼の言うことは正しかったのだ。

だから、現在のエジプト人は古代エジプト人の系統の人間以外に、イラン系、トルコ系など他民族が混在していることになる。彼は古代エジプト系と見ただけで分かるが、それが彼の誇りであり、また悔しさでもあるのだろう。現在のエジプト人の生き方が、2000年以上他国の植民地であったことの影響を受けていると考えて間違いはあるまい。

このモスクは観光案内にあまり出てこないが、写真やビデオの撮影が自由で、観光客はほとんどいない。だから、思う存分にモスクの中を撮影できた。絢爛華麗な有名モスクではなく、モスクの原点のようなこのモスクは美しかった。その映像を帰国したら紹介したい。

撮影に時間をとられて、ここを出るのがツアー一行の最後になってしまった。靴を受け取ると、預り代を請求された。1ドルを渡すと、妻の分も払えという。まあ、1ドルだから良いかと思って渡したが、先に出た人達は誰も払っていないことが分かった。私は良いカモにされたようだ。しかし、あの撮影料が2ドルと考えれば安いではないか!

夜はナイル川ディナー・クルーズになっていた。大きいクルーズ船の中で、食事をしながら、ベリーダンスや民族舞踊を見るのだが、食事がまずく、手際が悪く、踊りもくどく、船内から見る夜景にも厭いてしまう。エジプトでは生水、生ものは絶対に摂らぬようにくどいほど聞かされてきているので、用心をしたつもりだったが、どうも、この時の食事のどれかが悪かったようだ。それは翌日の午後になって判明した。

宿泊したホテルはコンラッド・カイロで、小泉元首相も泊まったというだけあって、なかなか立派だ。キングサイズのベッドが二つ、これなら寝相の悪い私でも安心して寝られる。バルコニーから眺めると、右手にはナイル川が流れ、高層ビルが目立つ。左手を見ると、中層のアパートメントハウスが密集している。その屋上は瓦礫が山をなしている。その中にパラボナアンテナが多数見える。これがエジプトの姿なのだ。集合住宅はあまり上等ではないようだが、非常に数が多い。そのかわりというか、日本で見る青テントはまったく目に付かない。

カイロの街の交通も先進国とはまったく違っている。片道3車線4車線の広い道路も多いが、車が無茶苦茶に多い。呆れたことに、この道路に信号がほとんどなく、あっても守られていない。日本であれば、この状態では渋滞で身動きがならないのだが、それが案外スムースに動いていくのが不思議だった。交通事故を一度も目撃しなかった。現地ガイドも交通事故は滅多にないと言う。おまけに、横断歩道がほとんどなく、道のどこでも人は車をすり抜けて通る。それが、老人も歩行不自由な人も、女も子供もするのだから、なんと要領が良い人たちばかりなのだろうと感心してしまう。

クラックションを良く鳴らすが、車の運転がうまく、天才的と思えるほどだ。運転が上手いという以上に、車の渋滞を防いでいるのが、交差点毎に配置されている警官だと思われる。最低2人以上、多いところでは数人の拳銃を所持した警官が、臨機応変に処理をしている。

交通渋滞を防いでいるもう一つの対策は、市内の道路のスピードを制限する箇所に、楕円形の隆起が作られていることだと思った。これも有効な方法である。こうしてみると、私たち先進国のやり方ではなく、この地に合った方法で問題を解決しているのだと推定できる。ここはシンガポールのまさに対極にあると思った。

車は日本車も多いが、韓国車もかなり目に付いた。欧州車も多い。新しい車は少なく、だから、パンクしたタイヤの交換、他の車による牽引、ボンネットを上げている車、人間が押しながら移動させている故障車など、3〜40年前に日本でもよく見かけた場面によく遭遇した。

食事のことも、エジプトでは下痢になるから注意するようにと、多くの旅行経験者やシップドクターから言われてきた。それにも関わらず、私たち夫婦は下痢に見舞われたのだが、これは必ずしも不衛生のためではないと思う。そうではなくて、こちらの人たちの食事が私たちに合わず、ちょうど牛乳アレルギーの人が牛乳を飲むと必ず下痢をするのと同じように、ある種の食べ物に対して体が拒絶反応をしていると考えた方が、うまく説明できる。

自分達の価値基準で判断し批判するのは簡単で理解し易いが、それは合理的ではない。違う生き方をする多くの人たちが、それで問題なく満足しているのなら、それは尊重すべきだろう。私たちの基準を押し付けることなど大きなお世話なのかもしれないと思った。ただし、観光立国を目指すなら、私たちに合う物を提供する義務はある。政府や観光に携る人たちの指導が肝要になる。

私は古代エジプトに魅かれて、エジプトに来たのであり、現在のエジプトには端から関心がなかったのだが、長々と現在エジプト談義を書いてしまった。野次馬根性というか、すぐ本筋から脱線してしまう性癖に、我ながら呆れてしまう。

この日は良く歩いた。万歩計は11000歩を示していた。


◆飛鳥II世界1周航海記 2007年4月24日(火)

私たちの選んだツアー「カイロ充実1泊2日の旅(健脚コース)」は、その名の通りの健脚コースで、午前8時に集合し、帰船したのが23時だから、平均年齢70歳にとってかなりきびしいものであった。

まず、ギザの3大ピラミッドを見て、クフ王のピラミッドではその中に入り、河岸神殿、スフィンクスを見た後は、ダハシュールでピラミッド群(屈折ピラミッドや赤のピラミッド)を、メンフィスではスフィンクスやラムセス2世像を、そして最後のサッカラでは、階段ピラミッドとそのコンプレックスを見た。

その中で一番印象に残っているのは、これまであまり紹介されていなかった階段ピラミッドへの入口通廊と、それに続く列柱で、ギリシャ建築の原型はここにあるのではないかと思った。今から4650年も前にこのような精巧な技術が存在していたということには、もう驚嘆するより仕方がない。

個々のピラミッドの説明や感想などは、画像なしではとうてい不可能だ。だから、それらは帰国してから豊富な写真を使って改めてご紹介しようと思っている。

この世界最古のピラミッドである階段ピラミッドとその複合体を、ツアーの最後に見たのは本当に良かった。ここからは、アラビアのロレンスの舞台となった大砂漠を眼下に眺めることができる。そして、はるか彼方に点在するピラミッド群は、ギザの大ピラミッド群にはない静寂があった。

ギザのピラミッドとスフィンクスは夜間ライトアップして、「音と光のショー」が行なわれると聞く。しかし、それは4000年前の人間の叡智に対する冒涜のように私には思える。ピラミッドは、美しいもの、珍しいもの、不思議なものという類のものではないのだ!

コンラド・ホテルで夕食を済ませ、午後6時半から8時まで、エジプト考古学博物館を見学した。これは飛鳥II貸切で、約350名が、それぞれの現地ガイドの説明を受けながら、全館を見て回った。普段なら駆け足で、チラッと見るところを、ゆっくりと見ることができるのだから、飛鳥IIのすごさを実感した。ただ、残念なのはカメラとビデオカメラの撮影が禁止されていて、入館の前に預けておかなければいけないことだった。

やはり、有名なツタンカーメンの黄金のマスクはすばらしかった。若くして急死した無名の王の副葬品ですら、これほど立派なものばかりだとすると、ラムセス2世のように長命なファラオの副葬品はどれほどのものだったのか想像もできない。それにしても、ほとんどの副葬品が盗掘されているところから、盗みもまた古代から続く人間の性である事実を認めざるを得ないのは皮肉である。

この後、バスでポートスエズに停泊中の飛鳥IIの許へ帰りついたのが午後11時過ぎだった。もう皆はくたくたで、この時は、だれもが飛鳥IIを我が家のように恋しく思ったようだった。その中でも、私たち夫婦は特別その思いが強かった。

妻は昼食時から腹痛と下痢に見舞われた。それまで生ものは一切とらず、ホテルで歯磨きもミネラルウォーターを使うほど用心をしてきたので、最初のうちは「心配ばかりするから、腹が痛くなったり、下痢をするんと違うか、過敏性腸症候群やろう」と言っていたが、夕食後からは私も腹が痛くなり、下痢になってしまった。結局は妻の方が敏感だったということになる。私は生ものを除いては、それほど制限をしなかったせいか、遅れて症状が出て、長く続く。お腹だけは自信があったのに、有馬温泉での食中毒以来どうも調子が悪い。

この日の万歩計は13000歩だが、太腿はかなり痛い。


◆飛鳥II世界1周航海記 2007年4月25日(水)

今日はスエズ運河を通過する日だ。ピラミッドなどの文明が5000年前の人類の叡智であるとすれば、このスエズ運河は、近代の人類の叡智を象徴するものだと思ってきた。その二つを連日この目で見て、写真とビデオに保存できたのは、私にとって至福に近いものがある。腹の調子が悪い、太腿が痛いなどということは全く気にならず、数え切れないほど、キャプテンズ・ビーチに出かけては、スエズ運河を自分が好むだけ、何度も写真とビデオに収めた。

一番関心があったのは、運河へ入る時点と、すれ違い、運河から地中海へ出る地点だった。すれ違いの方法は、紅海から地中海へと北上する船団が優先し、南下する船団は途中のラージ・ビター・レイクで待機して待つことになっていた。南下する船が全部揃うまでは、ここで停泊して待つ。この時の南下船団は13隻だった。全部がそろったのが確認されてから、北上許可が下り、飛鳥IIを先頭に船団が北上していく。左舷側(西側)は、ナイル川の恵を受けた肥沃の緑の土地が続くのに対して、右舷側(東側)はシナイ半島の砂漠ばかりが延々と続く。

運河がエジプトにとって重要な場所であることを示す明白な証拠として、約100m間隔で小銃を持った兵士が番小屋の中に立ってこちらを注視していた。人懐こく手を振る者も多い。昨日のカイロでも、いたるところに小銃を持った兵士がいて、検問も行なっていた。私たちのバスにも2人の警官が乗り込んでいた。このようにエジプトは平時においてもテロに対して厳戒態勢であるようだ。

スエズ運河を出る少し手前でムバラク平和橋の下を通過した。この橋の橋脚の高さがクフ王のピラミッドと同じ約140メートル、日本政府の無償援助工事で、鹿島建設、日本鋼管、新日本製鐵の手によって建設された。水面から橋桁までの高さは70メートルあり、「日挨友好大橋」とも呼ばれているそうだ。

写真を撮っている時は元気だが、それが終わるとトイレに直行となる。この時の排泄物は猛烈なオイルサーディンの臭いを随伴するのだ。この臭いがうすれ始めたころから、腹の調子は快方に向かった。今回のエジプトの下痢の原因が、汚染されたものを食べたためではなく、食べ物が身体に合わなかったためだと診断した根拠の一つが、このオイルサーディンの臭いだった。この嗅診という診断法は原始的に思えるかもしれないが、意外と役に立つことがある。20年前に、「嗅診の効用」というタイトルで医療エッセイを書いたことがある。今回の例も、その一つに充分値すると思う。

古代エジプトとスエズ運河を、この目で実際に眺め、それを詳細にビデオと写真に記録することができた。この3日間は、私にとって、世界一周クルーズの最も大切な期間となるであろう。


▼コメント
投稿 ヒマジンスキー | 2007年4月27日 (金) 21時17分
この記事が出るまでに日数がかかったので、エジプトでは書くことが山ほどあったのか、それとも体調を壊しておられるのではないかと心配したが、記事を読んでどちらも当っていたことを知った。文末にある『嗅診の効用』も興味深く読ませて戴いた。明日からのGWを控え、落着いて読書?することができた。

先日、妻のパスポートができているのを受け取りに行くのに横浜は大桟橋の旅券センターへ付き合い、最上階の中華レストランで食事をした。眼下に国際客船ターミナルが見えた。ここへ飛鳥Uが着くのは未だ2ケ月以上後になる。

▼コメント
投稿 BOW | 2007年4月28日 (土) 03時00分
ヒマジンスキーさん ご心配いただきありがとうございます。どちらもアタリとは、相変わらず冴えていますね! 読書いただき誠に、ありがとうございました。まだ2ヶ月残っていますが、ご愛読のほど、お願い申し上げます。


◆飛鳥II世界1周航海記 2007年4月26日 (木)

夕食で相席となった老夫婦の奥様が、私たちを見てニコニコされている。妻は「前にもご一緒しましたね」と話しているが、私はあまりよく覚えていない。ビールを飲み始めると、「この前は、手術で4ヶ月間アルコールが飲めなかったのが、昨日から飲み始めて美味しいと、ほんとうに嬉しそうに飲んでいらっしゃいましたね。よほどビールがお好きなのだと思いました。」と仰るのだ。そんなことを言ったのか、このおしゃべりめが!と思いながらも、好意的な目をされているので、嬉しくなって饒舌になってしまった。

ビールといえば、エジプトのピラミッドはこれまで奴隷が建設したものとされてきたが、今では農閑期の公共事業によって作られたというのが定説となっているそうだ。その報酬は、ビールとパンと玉ねぎだったという。ピラミッドとビール、ビール発祥の地はエジプトと聞いて嬉しくなった。これで、エジプト絵画、ヒエログリフ、ピラミッドのほかに、ビールまで、私の好きなものがエジプトに連なっているのだから愉快だ。

エジプトはイスラム教国だから、エジプト人は飲まないのだろうが、エジプト産のビールはいくつかあるようで、私はその内の「ルクソール」と「ステラ」という銘柄のものを飲んだが、あっさりしていて美味かった。

エジプトにつながるもので、もう一つ好きなものがある。それは、オペラ「アイーダ」で、オペラの中では一番好きだ。カイロ市内をバスで通っている時に、現地ガイドがオペラハウスを教えてくれた。また、サッカラのピラミッド群のそばに、鉄骨の枠組みがあり、4年に1度、ここで「アイーダ」の上演があるとの説明を受けた。

また、この航海記を読んで下さっているH氏が、「アイーダ」は、スエズ運河開通を記念して建てられたカイロの大歌劇場の、開場式のために作曲されたことをメールで知らせて下さった。博識の彼だが、「エジプトは2100年間植民地であった」という現地ガイドのことばに、私同様驚かれたようで、いろいろ疑問に思っていた謎が解けると、私と同じようなことを書かれていた。

スエズ運河を出て地中海に入ると、なぜか、波は高くなる。地図で見る地中海から、頭の中ではここを瀬戸内海のように感じていたが、実際はなかなか広い。ここでも時々イルカを見た。 エーゲ海に入ると、右手にロードス島が見える。2001年夏、明石夫妻との楽しいエーゲ海クルーズが甦ってくる。特にこのロードス島 では、いろいろなことがあったので懐かしい。

この夜、私が出演申し込みを断られた例の「隠し芸大会」が開かれた。それを見に行かなかったのは、ご想像通りだが、腹を立てたからではない。ヒマジンスキーさんに「連休前の読書」と書かれてしまった前回の膨大なエジプト記録をまとめていたからである。

しかし、気にはなるのでTVの生中継を音声だけ聞いていたが、あれに出演できなくて幸運だった。その大きな理由は、出演することになれば、エジプトを思う存分に記録できなかったし、それをまとめることもできなかったこと、小さな理由は、私が出演するには場違いだったことが分かったからだ。


◆飛鳥II世界1周航海記 2007年4月27日 (金)

「ダーダネルス海峡」とはどこか、ご存知の方は少ないだろう。持ち込んだ地球儀には載っていないが、航路図が絶えずTVに表示されるので、私たちには分かる。ここはエーゲ海からトルコの内海の「マルマラ海」へ入る狭い海峡で、この内海から「黒海」へ抜ける通路が「ボスポラス」海峡である。こちらは、有名なので名前だけは知っていた。

ダーダネルス海峡の幅は一番狭いところで1200mしかなく、この短い距離で、ヨーロッパ大陸とアジア大陸が対座していることになる。ここを航行中は、行き交う船も多く見えたが、マルマラ海に入ると、また、一面の大海原に戻ってしまった。

イスタンブールが見えてきた午後2時ころ、ヘリコプターが飛来し、中村カメラマンが飛鳥と乗客を空撮するというアナウンスが入り、多くの乗客は11、12デッキに上った。爆音高くヘリコプターが右舷上方にやってきて撮影を始めたようだ。皆は手を振り、大喜びしている。

私はというと、ビデオをズームアップして、ヘリコプター内で撮影している中村カメラマンの表情までバッチリ写しこんでおいた。彼が撮影した写真は後で販売されるらしいが、ビデオカメラを向けている白髪の男がいれば、それは私の可能性が高い(笑)。

イスタンブールに着岸するまで、洋上からブルー・モスク、アヤ・ソフィア、トプカカプ宮殿などをゆっくり眺めていると、ここはオリエントなのだという実感が湧いてくる。


◆飛鳥II世界1周航海記 2007年4月28日 (土)

トルコと言えば、イスタンブール。イスタンブールといえば、フォア・ラッズの唄った「イスタンブール」や、庄野真代が唄った「飛んでイスタンブール」を思い出す。しかし、トルコのガイドさんは「ウシュクダラ」を唄った。イスタンブールのツアーで「トプカプ宮殿と旧市街1日観光(健脚コース)」を選んだが、街のイメージは、最初の2曲のようにハイカラではなく、確かに「ウシュクダラ」だった。

ブルー・モスクやトプカプ宮殿は、それぞれに見ごたえはあったが、正直感動するところは少なかった。ビザンチン帝国がオスマン帝國に破れ、首都の名がコンスタンチノープルから、イスタンブールに変えられたとき、アヤ・ソフィア大聖堂はモスクに改変されたが、壁に描かれていたビザンチン・モザイク画は、破壊されることなく、しっくいで塗りこめられた。そのため、6世紀の素晴しいビザンチン文化が現存しているという事実に感動した。

また、アヤ・ソフィアの隣にあるビザンチン帝国時代の地下貯水槽にも圧倒された。ここは、レンガでドーム型の天井を連ね、それを、336本の大理石の円柱が、28本づつ12列に整然と並んで支えている。まさに地下宮殿である。

イスタンブールの名所として、グランド・バザールという巨大な屋根つきショッピング・モールがある。ここでは5000軒もの店が密集しているという。値札がついていないので、交渉して値切り、購入するもののようだが、私たちの手に負えるものではない。時間つぶしに、この場所の大きさを調べて見たら、約200mほどのメインストリートに並行して10本の狭い道路があり、碁盤の目を乱雑にしたような構造ではないかと推定できた。一度見たら充分で、二度とは行きたくはない場所である。

以上どの建造物もしっかり写真に収めてあるので、帰国後ご紹介する予定にしている。

ところで、ドジ夫婦、何か隠しとるんと違うか?と思われた方は勘が鋭い!

奥様は朝からなぜかご機嫌斜め。それは、私が元気になって心配がなくなったからか、それとも、ツアーに着る服装が決まらないからか、そのどれでもないのか、とにかくよく分からない。

ツアーのグループごとに集合し、いざ出発という時になって、乗船カードが見つからないと奥さまは騒ぎ出した。これがなければ、乗船も下船も入室もできない大切なカードなのだ。歩いてきたところを探して来るようにと命じられ、私は目を凝らして引き返していると、お礼をくり返している声が聞こえてきた。次のグループの方が拾って下さったのだった。 私たちのグループの皆様はとっくにバスに乗り込んでいらっしゃる。恐縮しながら、唯一空いている最後部の座席に座った。さすがに、奥さまはこれに懲りたのか、ご機嫌は平常に戻ってくれたのでやれやれである。

就眠前に、二人でコンピュータ・プラザに出かけようとして、キャビンを出たのは良いが、忘れ物に気がつき、取りに戻ろうとしたら、乗船カードがない。部屋に置いてきたのだ。だから部屋に入れない。こんどの責任は私にあるので、「私はドジをしない」と威張ったのはつかの間だった。

2007年4月30日 (月) 旅行・地域 | 固定リンク | コメント (6) | トラックバック (0)


▼コメント
投稿 BOW | 2007年4月30日 (月) 19時11分
ダーダネルス海峡の幅は1200kmではなく、1200mlです。
ヒマジンスキーさん、ご指摘ありがとうございました。今回は3回目のドジをやってしまいました。

▼コメント
投稿 yakky | 2007年5月 1日 (火) 07時54分
初めてのメールです。
飛鳥II世界1周航海記を楽しく夫婦で拝見させていただいてます、パソコンを開けたら夫婦で更新されているか、チエック(楽しい記事を有難う御座います)

私達も海外・国内旅行が好きで(現在はハード旅行)すが、70歳を越えたら飛鳥Uで世界一周クルーズしようと計画中です。

アイーダを劇団四季で観ましたが、スエズ運河開通を記念して建てられたカイロの大歌劇場の、開場式のために作曲とは知らなかったです。(アイーダは感動でしたが歌手が?)

色々と勉強になる記事が多く、将来に乗船するクルーズに夢が膨らみます。次のメッセージ を首を長くして待っています。

ところで、飛鳥Uより発信されている、大須賀氏のエッセイ写真入が4月24日(エッセイ43)より途絶えていますが?何か有ったのですか?心配しています。

宜しくお願いします。

▼コメント
投稿 yakky | 2007年5月 1日 (火) 12時00分 日本は5月1日AM12時です。本日 6枚 49まで更新されました。有難う御座いました。


▼コメント
投稿 BOW | 2007年5月 1日 (火) 14時40分
yakkyさん、はじめまして
嬉しいコメントで書きたい意欲が増します(笑)。予想外の美しい景色に出会い、2日間興奮しっぱなしでした。次にUPします。しかし、こちらは映像を送れないので、帰国したら存分に載せたものに改変しようと考えています。その時も、よろしくお願いします。

▼コメント
投稿 monarisa | 2007年5月 1日 (火) 17時09分
BOWさん!はじめまして
飛鳥U世界一周航海記を毎日楽しみにしております。さて、本日コメントを拝見!何と私達夫婦と同じ様な人がいるものだと感心しておりました・・・

「よ〜く・よ〜く見ると」何と我が旦那さまの書き込みではないですか。そのコメントに『書きたい意欲が増します・・・』と返信を頂きました。こちらこそ有難うございます。

日に何度となくパソコンを開けては「BOWさんがUPされたよ〜」とか「今日の何時にイスタンブールを出発だから・・・」とか盛り上がっています。私達はまだ世界一周旅行はかなわない身ですが、BOWさんの旅日記で世界一周の雰囲気を味わせて頂いています。

私としては“本音の部分”が特に気に入っているのですが奥様の感想はいかがですか?「そんな事まで書かないで〜〜〜」って声が聞こえてきそうです。

▼コメント
投稿 BOW | 2007年5月 2日 (水) 15時57分
monarisa さん、はじめまして
ご夫婦でご愛読、感謝感謝です。私の愛唱歌のひとつが「モナリサ」ナットキングコールです。

>奥様の感想はいかがですか?
 もう諦めているようで、文句も言いません(笑)。 よろしく


◆飛鳥II世界1周航海記 2007年4月29日 (日)

イスタンブールの地理はややこしい。ここへ来るまでは、イスタンブールはトルコのヨーロッパ大陸側を言い、これは金角湾を挟んで西側の旧市街と東側の新市街に分かれる。そして、ボスポラス海峡を挟んでこれと対座しているアジア大陸側は、トルコの別の地方で、イスタンブールではないと思い込んでいた。ところが、ここはウスキュダルと言って、イスタンブールの一部だったのだ。 前日観光したアヤソフィアなどは、すべてイスタンブールの旧市街にある。飛鳥IIは新市街の港に停泊していたたので、橋を往復して、旧市街へ行き来したのだった。

私はイスタンブールよりも、イスタンブールをヨーロッパ側とアジア側に分断しているボスポラス海峡の方に興味がある。この海峡は、狭いところでは、その幅わずか500mしかなく、この前に通ったダーダネルス海峡の半分以下である。ボスポラス海峡には2本の橋が架かり、西側から順に第1ボスポラス橋、第2ボスポラス橋と呼ばれている。これによって、ヨーロッパ大陸とアジア大陸は陸続きとなっている。

午前7時に飛鳥IIはイスタンブールを出航し、黒海へ向かう。出航直後にこのボスポラス橋を渡るので、その前後をビデオと写真に記録しておきたい。そう思うと、眠りは浅く、2時、4時、6時と目を覚ましては時計を確認していた。普段なら、7時頃まで熟睡するのだが、まるで子どもだ。

そして、7時から9時まで、船首と船尾を往復し、左舷右舷を右往左往し、嬉々として撮影に夢中だった。ボスポラス橋だけなら、これほど時間はかからない。ところが、それに続く景色が何とも素晴しかったのだ。海、空の青、緑の丘、白い壁、赤い屋根、それらが作り出すハーモニーの連続に、ワー、キレイ、キレイ、キレイとボキャブラリーは貧弱になり、興奮はいや増し高まる。この景色をまったく予想していなかったので、これは大きなオマケ、そう、プレミアムだ。

どれほどキレイな景色だったかは、もちろん肉眼で眺めたものが一番だが、残念ながら私の貧弱な脳は、それを長く保存することができない。そこで、いつもの通り、肉眼の記憶に代わるものとして、ビデオと写真に取り込んでおいた。帰国後ご紹介したい。

モルジブの珊瑚礁の島々は、これまで見たことのない自然の美しさだったが、このボスポラス海峡で見た景色は、自然と人間の作ったものが渾然一体となって作り出す美しさだった。 このボスポラス海峡の風景を眺め、撮影を行いながら、これはクルージングでしか体験できない醍醐味の一つだと思った。夕食で相席となった方は、定年退職後絵を始められたそうだが、この方もまったく同じ感想を話され、ほんとにキレイだったですね、と話はつきなかった。

飛鳥IIはボスポラス海峡を通過し、黒海に入った。そこはまた大海原の世界。時おり、イルカが姿を見せるが、元気がないのか、ジャンプは小さい。


◆飛鳥II世界1周航海記 2007年4月30日 (月)

飛鳥が黒海に入るのは今回が初めてである。そのためか、寄港地のオデッサやコンスタンツアについての船内情報が乏しく、オプショナル・ツアーもそっけない感じがしていた。オデッサは、シャトルバスを利用して、自分の足で街を散策するだけで充分で、見るべきものは「ポチョムキンの階段」を除いては何もない街という雰囲気だった。

それを魅力一杯の街に変えたのは、前日の小林和男氏の講演だった。「エカテリーナ・ポチョムキン・オデッサ〜オデッサが歴史を変えた〜」という演題で、NHKの元モスクワ支局長は、オデッサとロシア革命との関わり、不世出の優れた音楽家を数知れずオデッサが輩出した背景を、音と映像を駆使して、明快に話されたのだった。これを聞く前と後では、オデッサの魅力度は10%から80%くらいに飛躍した人が多かったのではないかと推定する。音楽好きには、それが95%に昇った人もいたのではなかろうか?

飛鳥IIは本当に良い講師を選ばれている。これまでの松本氏や細川氏の講演も非常に良かったが、今回のは、それに輪をかけた感じがした。惚れっぽいのは私の性分、アスカショップに置かれていた著書を全部(3冊だが)衝動的に購入してしまった。もちろん、これにもサインを頂いた。

午前7時に入港したオデッサ港の客船岸壁は、大きくオシャレだった。バルコニーから下を見ていると、知らない人が手を振って、大声を出している。ウクライナ在住の日本人が、知人を出迎えに来ているのだろうと思って、ほかに目を向けると、どうも「のむらさ〜ん」と言っているように聞こえる。まさか、そんなはずはあるまいと思いながら、よく見ると、JTBのFさんではないか! 後でお聞きすると、こちらの現地ガイドのアシスタントをするために、一昨日からこちらに来られているとのことだ。これでもって、私たちのオデッサ好感度はますます高くなった。

午前中「車窓からの市内半日観光」に参加して概略を知った上で、午後から徒歩で街を歩いた。飛鳥IIの停泊しているすぐ横に、あの名画「戦艦ポチョムキン」で有名な「ポチョムキンの階段」があり、これを登りきった所から市内は始まる。あのリヒテルが、アルバイトでピアノを弾いていたという「オペラ・バレイ劇場」は修復工事中だったが、素晴しかった。そのほか海洋船舶博物館、オデッサ考古学博物館や街全体がオシャレで落ち着きがあり、明るく、行き交う人はおだやかで、美人が多く、良い街だった。「黒海の真珠」と言われるのが分かる気がする。

街を歩いていると、船に戻られる途中のキャプテンに出会った。ふたりが交わしたことばは奇しくも同じで、「キレイな街ですね、ビックリしました。」だった。ここは横浜市と姉妹都市提携を結んでいるそうだ.横浜市は飛鳥IIの母港ではないか。来年からの飛鳥II世界一周クルーズで、オデッサの評価が高くなることは間違いあるまい。

乗組員もたくさん上陸して街を散策する姿をよく見かけた。ポチョムキン階段では、キャビン・スチュワーデスのグループに出会った。私たちのデッキ担当の人もいる。頼まれて彼女らのデジカメのボタンを押し、私のデジカメでも、妻も一緒に入った写真を撮らせてもらった。私の部屋を担当のDさんがいないので尋ねてみると、当直で出られないのだそうだ。かわいそうに!

このオデッサも、これだけ魅力のある場所だとは予想していなかった。だから、これもプレミアム、オマケのご褒美である。やはりオマケは嬉しい(笑)。



◆飛鳥II世界1周航海記 2007年5月01日 (火)

飛鳥IIは、午前7時にルーマニアの唯一の港コンスタンツアに入港した。この都市の名前は、コンスタンチヌス帝が自分の妹の名前に改称したことに由来し、ルーマニア(Romania)はローマ人の国の意味で、もともとはローマ人が建てた国らしい。

この港の海は黒っぽくて、それを見た妻は「だから黒海なのだわ」と言ったが、当っているようだ。なぜここの海の色が黒いかというと、表層水と深層水の循環が少いために、深層水では酸素不足となり、嫌気性菌が繁殖する。この菌によって硫化水素が発生し、それが海水中の鉄イオンと結合して、黒色の硫化鉄となるためだと言う。表層水には充分酸素はあるので、生態系に異常はなく、漁業も盛んであるとのことだ。

コンスタンツアも、オデッサと同じく横浜市の姉妹都市である。この港はオデッサよりもずいぶん大きいが、客船用岸壁は小さく貧弱だ。それに比べて、貨物船用の岸壁は膨大で、クレーンが林立している。しかし、そのほとんどは稼動せず、ペンキは剥がれ、ゴースト・タウンの様相を呈している。港に人影はほとんどなく、活気がまったく感じられない。直感的に、この国の現在の状況を理解できたと思った。

シャトルバスを利用して、観光地である旧市街を歩いたが、その印象はますます強くなった。壊れた建物が多く、ここでも人影はまばらで、生活が行なわれているのか疑問に思うところも多かった。車の大部分は、これで動くかと思うほどのくたびれた古いタイプである。しかし、街は清潔で、ゴミの放置は見られなかった。

そのほかに印象に残ったのは、ルーマニア正教の教会とカジノの建物だった。 教会の中に入ると、薄暗い灯りの許で祈る老女、黒い服を着た神父らしき人に跪いて、懺悔をしているかのように見える人、多くのイコンの像などが見えた。何か息苦しくなる雰囲気がある。かって、共産党支配下のもとでは、これらの人たちは弾圧されたのだろうと思った。

海岸沿いに立派な白い建物があり、「CAZINO」の名前が書かれていた。チャウチェスク政権下では、ここは私物化され、政府要人しか入ることが許されなかったところだと言う。

ルーマニア人は、ダキア人とローマ人の混血のラテン系が9割近くを占めているそうだ。陽気なラテン系の人たちが、このようにおとなしく控え目でいるのは、あのチャウチェスク共産党独裁政権の影響が、まだ残っているということだろうか? 経済が破綻し、停滞したままであるということだろうか? あの使われていない巨大な港湾施設は、分不相応な無用の長物のように見える。無計画に投じられた膨大な設備投資が、経済を疲弊させてしまったのだろう。猛烈な資本主義の競争世界にあって、このような過去の負の遺産を背負って、経済を建て直すことは、容易なことではないだろうが、その可能性を信じたいと思った。

このコンスタンツアに来て、今までの寄港地とはまったく違うものを見ることができ、それについて考えることができたことを良かったと思っている。

夕食時には、飛鳥IIはまだコンスタンツア港に停泊していた。フォーシーズンズで夕食を摂っていると、すぐ目の前で数頭のイルカが海面を飛び跳ねている。魚をとっているのだろうか? それが10分近く続いた。このようなことができるのは、クルーズならではであろう。相席の方々とルーマニア談義が弾み、ビールは格別に美味かった。

オデッサでは、NやRを逆向きにしたロシアの文字で書かれていて、読めなかったが、コンスタンツアは、さすがローマ人の作った国だけあって、アルファベット文字そのままで、例えば看板に「GROUPE SOCIETE GENERALE」とイタリア語と同じ語順で書かれているのを見つけ、嬉しくなった。

今日で神戸を出港してちょうど4週間が過ぎた。これからはヨーロッパに入り、ほぼ毎日のように別の場所に寄港することになる。洋上が多かったこれまででさえ、瞬く間に時間が過ぎ、退屈などする閑がなかった。これからはどんな毎日が待っているのだろう。

楽しみだ。 飛鳥IIは午後8時にここを出港し、黒海を逆行して、ボスポラス海峡、ダーダネルス海峡を通過して、エーゲ海に入り、ギリシャのピレウスへ向けて航行する予定である。


▼コメント
投稿 ヒマジンスキー | 2007年5月 2日 (水) 18時04分
やはりジェットで飛んで行く旅行と違ってクルーズは港がベースになるのだなと痛感しました。神戸育ちにとっては嬉しい、まるで足が地についたような感じになりますね。ルーマニアの港湾施設の錆び具合が凄く参考になる現地報告です。続編をどんどんお願いします。

BOWさんはイルカがあまりジャンプしなかったとコメントされていますが、イルカに対して申し訳ないように思います。きっと我々がよく目にするイルカショーでは餌を高いところにかざしてジャンプさせるので彼らもがんばるのに違いありません。空中に餌のない大海ではあまりジャンプしても意味がないとの判断があるのではないでしょうか。イルカのジャンプは小さいのが普通というヒマジンの新説です。

▼コメント
投稿 BOW | 2007年5月 3日 (木) 03時09分
>クルーズは港がベース
 同感!

>ルーマニアの港湾施設の錆び具合が凄く参考
 予想外のコメントに意を強くしました。

>イルカ新説
 イルカのジャンプは小さいのが普通という卓見に脱帽 ここでイルカ君に謝罪します(笑)

▼コメント
投稿 SACHI | 2007年5月 7日 (月) 08時39分
はじめまして
‘アントワープ 飛鳥’でヒットし感激!!家事の合間 やっと全部目を通すことが出来ました。飛鳥のフォトエッセイとは一味違ってワクワク倍増   (*^_^*) 

ただ今乗船中の両親(三重県生まれ横浜在住。父79歳母はまもなく78歳)は「どんなことを感じているんだろう」とか「お食事を一緒にする機会はあったかしら」とか想像しております。たぶん両親も 賑やかにドジを重ねながら飛鳥を楽しんでいると思います。宜しくお願いします。このページの事を両親にメールで伝えてみます。なかなか返信はありませんが

▼コメント
投稿 BOW | 2007年5月 7日 (月) 10時29分
SACHI さん、こんにちは
乗船客のご家族からのコメント、驚いたり、嬉しかったり、ありがとうございます。
ご両親様とは、いまのところ同席できていないと思いますが、まだまだ2ヶ月もあります。きっと、近い内にご一緒できると信じています。お話できるのを楽しみにしています。どうかよろしくお伝え下さい


◆飛鳥II世界1周航海記 2007年5月02日 (水)

今日の7:00〜9:00に、ボスポラス海峡を再び通過することが、航路図で知らされている。もう一度あの美しい景色とニ大陸を結ぶ橋を眺めて記録できると思うと、やはり眠りは浅くなる。ところが、あいにく今日は雨だった。シンガポールでのスコールを除いては、4週間まったく雨がなかったのが不思議なので、今日の雨はいたしかたない。

12デッキに上がったが、カメラを傷めるだけなので、キャビンに戻り、バルコニーから撮影することにした。普通なら、ここから連続で撮影することはしない。それは、右に左に、まえうしろへと、自在に行き来して撮影したいからである。だから、このような定点撮影?は新鮮である。そこで、雨にけぶる景色をしっかり記録した。

16:00〜18:30に通過のダーダネルス海峡も同じく雨。この最も幅が狭い1200mの個所を通過する際に、キャプテンは放送した。「ここでは、船の追い越しは禁止されています。」対向船はあるが、すれ違いは構わないらしい。ボスポラス海峡では、対向貨物船の通過を待って、イスタンブールに入港したことを思い出す。この海峡の幅はそれよりは広いということだろう。

昼食がざる蕎麦と知って、いそいそとフォーシズンズへ出かけた。妻はソバ・アレルギーだが、チラシ寿司と交換することにしている。ウエイターに、二人同じものを注文したが、しばらくして、ウエイター長が妻のそばに来て、「そば大丈夫ですか?」と尋ねるのだ。700人以上の乗客が利用するこの場所で、妻のソバアレルギーを覚えているとは大したもの。「貴方は年をとってもポニーテールだから、目立つんと違うか?それで、覚えられやすいんやろ」とは言ったものの、ちょっとおかしい。といって、VIPではもちろんない。

すぐ、その理由が分かった。ウエイターの一人が、妻のソバ・アレルギーを覚えていて、注意をしてくれたのだった。彼の名はALDEN、可愛い童顔で、まだ日本語に慣れていなくて、初々しく、私たちは彼が好きだ。彼がソバ・アレルギーを覚えていてくれたのを知って感激した妻は、「You are very exellent staff, I think so.」とブロークン・イングリッシュで話していた。

ここで、フィリピン人のスタッフのことを書いておきたい。4月9日のブログで、「サービス担当はほとんどフィリッピン人のようで、一生懸命働いている姿を見ると、少し胸の傷む思いがする」と書いたが、思い違いだったことが間もなく分かった。彼らは、大学でサービスについて専門に学び、30倍もの競争率を経て、この飛鳥IIのスタッフになったエリートだったのだ。以前フィリピンに飛鳥が寄港した時、一族郎党が岸壁を埋め尽くしたと、リピーターの船客が話してくれた。まさに「故郷に錦を飾る」状態だったと言う。彼らにとって、飛鳥IIで働いていることは誇りなのだ。

彼らと親しくなると、子どもが3人いるとか、妻に電話で100回「I love you」と言ったとか、上陸した寄港地で、蒐集しているディッシュ(皿)を買うのが楽しみだとか、乗船生活をエンジョイしているのがよく分かる。

小林和男氏の講演があったが、今回も立ち見、補助椅子が出る盛況だった。夜にはペニー・マティスン(Penny Mathisen)のコンサートがあった。元オペラ歌手、元ミュージカル歌手で、現在客船で歌っているとのこと。今夜で2回目である。声がよく通り、歌も上手い方だとは思うが、過去の思い出話、自己感傷のせりふが多く、サービス精神に欠け、面白くない。おまけに、横に座った老夫婦の夫君が、歌に合わせて手を振るのだが、まったくテンポが無茶苦茶なので、もうたまらない。止めてくれと思っているうちに、コンサートは終わった。素晴しい催しの多い飛鳥IIだが、これはいただけなかった。


◆飛鳥II世界1周航海記 2007年5月03日 (木)

午前8時にギリシャのピレウス港に入港した。ここは地中海航路の玄関口、それにふさわしく、大きくて立派な港だ。多くの客船が停泊している。それを見て、いよいよ、これからヨーロッパが始まるのだという気持になる。ここは2001年のエーゲ海クルーズで乗船したところで、その前夜、明石先生ご夫妻と、ここで海鮮料理を食べながら「ウゾ」という松脂の匂いのする酒を飲んだことを思い出す。

オプショナル・ツアーでは「デルフィ遺跡とアポロン神殿1日観光」を選んだ。ここは片道3時間もかかる遠いところにあるが、アテネは前回のクルーズで、2日間観光しているので、遠いのを承知でこちらを選んだのだった。このツアーは、すでに何度かアテネを訪れている方が多く、いつもと違ってバス1台の、こじんまりしたグループになった。

ピレウスのターミナルを出るところで、前回のクルーズの日本人ガイドの女性に出会った。あの時はギリシャ人と結婚するとこんなに黒くなるかと思ったが、今回は別人のようで、若い頃は美人だったのだろうと想像できる変わりようだった。少し立ち話をしている間にツアーの一行は消えてしまっている。オロオロしている私たち夫婦を見て、タクシーの運転手が笑いながら、指差して遠くを歩いている一行を教えてくれた。

アテネの街は6年前と様変わりし、大都会となり、市電が走り、高速道路が完備している。ギリシャの全人口の3分の1、400万人がここに集中していると言う。一つには、3年前のオリンピック開催が関係しているのだろう。天候は晴れ、デルフィはアテネの北西180kmにあるが、そこまでの道中で見るギリシャの風景は、アテネで見たものと違っているので、まったく退屈しなかた。途中、かってのミケーネ文明の中心地だったミケーネ地方を通り、エディップスやスフィンクスの舞台となったテーベの街も通過した。

デルフィは予想していた以上に素晴しかった。ここは、古代ギリシャ人がアポロンの神託(神のお告げ)を求めて各地から集まり、賑わった聖地であるとのことだ。背後に嶮しい山、眼下に見下ろす深い谷、遠くコリント湾が見える。聖地の場所にふさわしいと思った。

神殿跡の遺跡は大部分が失われているが、かっての栄光を想像することはできた。前回のクルーズで、スニオン岬のポセイドン神殿跡を見て感激したが、ここではそれ以上の大きなもの、たくさんのものを見ることができた。ここを選んで正解だったと妻も納得している。

夜には、ギャラクシーラウンジで、ギリシャ民族舞踏団「オルフェウス」によるローカルショーが催された。これまで何度かローカルショーはあったが、どれも見ていなかった。しかし、このステージは見たくて、ビデオカメラを持参した。これまでのリサイタルやショーはビデオ撮影禁止だが、今回は許されている。

この民族舞踊も、ギリシャ音楽も、素晴しいもので、楽しく、心が弾む。サービス精神があり過ぎるほどで、時にはビデオを撮りながら一緒に唄っていたり、カメラがリズムに合わせて動揺するほどだった。それに比べて、前夜のペニー・マティスンは、何とお高くとまっていたことだろう。


◆飛鳥II世界1周航海記 2007年5月04日 (金)

ピレウスを昨夜22時に出港した飛鳥IIは、地中海の一部であるイオニア海を航行中である。波はかなり高く、これまでの航海で一番大きいような気がする。船も少し揺れるようだが、あまり気にならない。明日の朝早く、マルタ共和国のヴァレッタに寄港する。

今日の講演は村上和雄筑波大学名誉教授の「笑いや感動が可能性を引き出す〜遺伝子オンの生き方」で、満席だった。先生はスライドやパワーポイントを使わずに話されるのだが、話術よりもその内容で、聞いている者をひきつけてしまった。

私にとって、印象に残ったのは、1)DNAの働きが現在までにわずか2%しか分かっていないこと、2)良い方の遺伝子をスイッチ・オンにし、悪い方の遺伝子をスイッチ・オフにするという考え方、3)科学を昼の科学と夜の科学に分け、発明発見などは、夜の科学つまり、感性、直感、熱い思い、意欲などが関係するという考え、4)発見には、幸運という運命が大きく関係しているという意見、などだった。

笑いが血糖値を下げるという実験結果は、私にとっては目新しいことではなく、また、笑いが何にも勝る良策だと受けとった人が多いように見受けられたのが少し心配だった。

夜にはジョン・ザラディン(John Zaradin)のギターコンサートがあった。これもビデオ撮影がOKなので、一番前の座席に座り、ビデオカメラを両太ももの間に置き、目立つことなく最後までうまく録画できた。帰国して、ハイビジョン映像でそれを確認するのが楽しみだ。

2007年5月 5日 (土) 旅行・地域 | 固定リンク | コメント (2) | トラックバック (0)


▼コメント
投稿 ヒマジンスキー | 2007年5月 8日 (火) 10時06分
このあたりは全く知らない世界なので望さんの記述で大いに勉強しています。唯一ピレウスの港だけは昔ギリシャとの貿易業務でよく聞いた名前です。

それにしてもクルーズというのは凄い社会人教育の場なのですね。レクチャーについて行くだけでなく、紀行を書くことでの復習も含めると勉強ツアーです。頭脳を使ってstay youngできているようですね。

こちらは飛鳥Uのスクリーンセーバーをゲットし、もうすぐマルセイユだなと眺めています。 日本も昨日あたりから晴天が続く模様です。

▼コメント
投稿 BOW | 2007年5月 9日 (水) 07時14分
ヒマジンスキーさん、コメントありがとうございます!
>クルーズというのは凄い社会人教育の場なのですね。
 そういう見方もあるのですね!

>レクチャーについて行くだけでなく、紀行を書くことでの復習も含めると勉強ツアーです
 勉強は嫌いですが、記憶の貧弱な脳をカバーするために書いておくことは結構楽しいんです(笑)

 明日はマルセイユ、快晴の天気予報とキャプテンが放送していました。ついています。


◆飛鳥II世界1周航海記 2007年5月05日 (土)

クルーズの寄港地にマルタ共和国のバレッタがあると分かっても、それがどこなのかまったく知らなかった。そのヴァレッタが、これまでの寄港地の中で一番印象に残ったのだから、旅は実際にしてみないと分からないものだ。 長靴型をしたイタリアのつま先にシチリアがある。そのすぐ下にある小さな島がマルタ共和国で、面積は淡路島の約半分しかない。その首都がヴァレッタで、ヴァレッタ市内だけなら、歩いて一周するのに1日もかからないだろう。

ここに入港した時、飛鳥IIのほとんどの乗客が、嘆声を漏らしたのではなかろうか?高い城壁に守られた中世の都市そのものが目の前に現れたからだ。広い入り組んだ港が、すべて巨大な城壁に取り囲まれていて、そびえた立つ景色に圧倒されてしまう。「マルタストーン」と呼ばれるハチミツ色の石灰岩の建造物は、威圧するのではなく、見る者を魅了してしまうのだ。海から眺める素晴しい景観は、クルーズでしか味わえないものだということがよく分かる。

上陸して、午前中ツアーで半日観光をして、この街の概略見当をつけておき、午後から徒歩で思う存分散策をした。街の中は中世の建物がそのまま残っていて、この街全体が世界文化遺産である。聖ヨハネ騎士団によって、全く人工的計画的に建設されたこの都市の街路は、整然と碁盤目状であり、城壁の上から見下ろす景観もまた壮大で、しかも、美しい。歩き回ってこの日の万歩計は13500歩を示していた。

そのほかに、私の印象に残った個所を羅列すると、聖ヨハネ大聖堂の内部の壮麗な装飾、カラバッジョの「聖ヨハネの斬首」、昔の日本と同じ赤いポスト、想像できないほど数の多いバス、などがある。その上、カラバッジョの絵を除いては、写真撮影が許されていたことも嬉しかった。

この港を離れる時、神戸港で行なわれて以来絶えて久しかった「セイル・アウエイ・パーティー」が7デッキで開かれた。それに呼応して、ヴァレッタの展望台には鈴なりの人々が見送ってくれている。まるで、林ができたのかと見間違うほどだ。そして、その展望台の前を飛鳥IIが通過する際に、礼砲が7発発射された。火炎が走り、煙が上がり、轟音が響いた。誰もが興奮し、感激している。

ここまで書いたことでだけでも、このヴァレッタの魅力がお分かりいただけると思うが、私はこのヴァレッタの歴史にも、それに劣らぬ興味を持ってしまった。 聖ヨハネ騎士団は、オスマントルコによってエルサレムを追われ、キプロス島へ移り、そこからロードス島へ逃れて、城壁都市を築いた。しかし、またも追われて流浪の身となり、最後にマルタに定住した。1565年に、ここでもオスマントルコ軍の猛攻撃を受けたが、かろうじて、守り通した。 当時ヨーロッパはオスマントルコに次々と侵食され、オーストリアも風前の灯だったという。

この勝利によって聖ヨハネ騎士団の評価は一気に高まり、財産も増え、この後に予想されるオスマントルコの再攻撃に備えて、新たに作ったのがヴァレッタである。ヴァレッタの名は、先のオスマントルコ軍に勝利した時の、騎士団長の名前から名付けられた。もしも、このときオスマントルコに敗れていたら、ヨーロッパの歴史は大きく変わっていただろうといわれているらしい.

聖ヨハネ騎士団は、その後約270年の間、この地を治めてきたが、オスマントルコが衰え、ヨーロッパでは大航海時代に入り、フランス革命が起り、高貴高潔な騎士たちの存在価値がなくなってきた。そうなると、騎士たちは堕落して行った。そして、ナポレオン軍がここを侵攻すると、騎士団はまったく戦うことをせず、イタリアへ逃げ出した。ナポレオンをして、「この国には強固な砦はあるが、それを守る強固な精神はない」と嘆かせたという。

このマルタは、最近も歴史の節目にも、大きく関わっていたことを知った。1989年12月2〜3日に、ブッシュ大統領とゴルバチョフ書記長による米ソ首脳会談が開かれ、事実上冷戦が終了することになったマルタ会談はこの地で行なわれたのだった。この小さな島が、2度に亘って歴史の転換点の場所となったことを知ると、一層このヴァレッタに興味が湧いてくる。 また、ロードス島は2001年のエーゲ海クルーズで訪れた地で、思い出すことが多くあるが、そのロードス島の城砦を作った騎士団が、このヴァレッタの城塞都市を造ったことを知り、感慨深かい。


◆飛鳥II世界1周航海記 2007年5月06日 (日)

イタリアの長靴のつま先の部分とシチリアの間を通り、飛鳥IIがイタリアの西側を北上していると、左舷側に小さな背の高い島が見えた。山頂は雲に隠れている。このあたりには、このような島がたくさんあるのかと思いながら、魅力があるので、映像に収めておいた。その後キャプテンの船内放送があり、この島はストロンボリ島という標高924mの活火山で、短い周期でマグマを噴き上げるので、夜間でも遠くから見えるため「地中海の灯台」と呼ばれていると知った。船で親しくなった元外国航路の船員で、何度もここを通ったことのある方が、「こんなに近くで、この島を見たことがなかった、キャプテンの配慮だろう」と言われた。

午後から、4日に講演された村上先生の著書を、船の図書室で見つけ、一気に読んでしまった。書かれていることのほとんどが、私がこれまで考え、実行してきたことだったので驚いた。ただ、一つだけ違うのは、「世の中の役に立つため」に行動するという目的が私にはなかったこだ。このように、ほとんど同じ考え方、生き方をしてきたけれど、村上先生と違うのは、大物と小物、大きな成果をあげたか、小さな成果しかあげられなかったかだと思った。

著書名をメモにとっておいたので、ご紹介しておく。村上和雄著:そうだ! 絶対うまくいく! SWITCH ON! your genes 「できる」遺伝子が目ざめる生き方・考え方 海竜社 2006年1月第1刷、2007年2月第7刷。

今夜は3回目のフォーマル・ナイトで、しかも、副機関長からディナーに招待された。副機関長に招待されたのは4組の夫婦で、私たちには、はじめての経験である。会話が弾み、楽しいディナーだった。副機関長はいろいろの質問に答えて下さる。ところが、飛鳥IIで使う水について、逆に副機関長から質問された。「昨年の飛鳥IIで、シンガポールから地中海に入るまでは、水の使用量がどんどん増えて、どうしようかと心配するほどだった。ところが、ヨーロッパに寄港するようになってから、水は逆に余る一方で、その原因が分からない。いろいろ分析検討して、漸くその原因が分かったが、いったいそれは、何故だったと思うか?」

皆はいろいろ答えるが、ほとんどが外れ。正解は「ヨーロッパに入ってから、購入してきた品物の置き場がなくなり、浴槽にそれを置く人が増えたため、室内のバスを使う人が減り、グランド・スパを利用するようになったから」だった。それほど、バスの使用水量は膨大だということだった。 私たち夫婦は前にも書いたように、グランド・スパが大好きで、乗船最初の日を除いて、一度もバスを使っていない。水の使用量節約に協力していることになるが、それをお話すると、飛鳥IIは海水から水を作っているので、心配ご無用とのことだった。


◆飛鳥II世界1周航海記 2007年5月07日 (月)

イタリアのリボルノ港に、午前7時に寄港した。ほとんどの乗客は、ここからオプショナル・ツアーで、フィレンツェなどトスカーナ地方へ観光に出かける。私たちはフィレンツェへは2回行っているので、サン・ジミニャーノとシエナ1日観光(健脚コース)を選んだ。

ここへは片道約3時間だが、バスの車窓から見る丘陵はどこまでも美しい。狭い範囲なら、これくらい美しい景色はあるだろうが、目的地に着くまでの道中がどこまでもこれほど美しく続くところを知らない。それは、なだらかな緑の丘陵をメインに、淡い緑の木々の集まりがあり、それに黄緑色の集まりも加わり、濃緑の糸杉の集まりがアクセントとなり、それらの調和が素晴しい。これは決して放置された自然が生み出したものではないだろうが、人工美を感じさせることはない。 サン・ジミニャーノもシエナも、中世の都市の美しさ、素晴しさがあった。しかし、それ以上に私はこのトスカーナの美しい丘陵に魅かれた。

これまで、私が感動した風景は、すべて映像に収めることができている。それが肉眼で見た以上のものではないとしても、その私の感動のあらましを、その映像でもっていくらかは分かってもらえるだろうと思っている。しかし、この美しい丘陵は、肉眼では存分に楽しんだが、その映像の記録ができなかった。それが、なんとも口惜しい。

ツアーを企画した会社は、1ヶ所だけで良いから、どこか車を停めやすい場所を選び、5分くらいでも良いから、撮影休憩をするスケジュールを考えるべきだと思う。今回の世界1周クルーズで、ほとんどの参加者が映像記録を行なっていた。私よりかなり年配のご婦人が、高級デジタル1眼レフに交換レンズを装着し、連続撮影をしているのに驚いたことが何度かある。それほど映像記録が普及しているのだ。

このサン・ジミニャーノとシエナへのツアーはバス2台で行った。別のバスに乗っているものが、一緒になることはほとんど無かったが、一度その機会があり、その時偶然、村上和雄先生ご夫妻にお会いした。私は、先生の著書を読んだところだったので、著書に書かれていたことと、ほとんど同じ生き方をしてきたが、違うのは、大物と小物、大きな成果と小さな成果だと申上げた。先生はお笑いになりながら、私の名前を尋ねられ、ご自分は奈良のお生まれで、奥様は京都の方だと紹介して下さった。前日たまたま先生の著書を読んでいたので、このようなお話ができたのだった。

帰船してコンピュータ室へ行くと、畏友今中孝信先生からメールが届いていた。彼は、私がブログに書いた村上先生の講演の記事を読まれて、村上先生と昵懇の間柄であることを私知らせて下さったのだった。それを知った瞬間、何と言う巡りあわせが続くのかと驚嘆してしまった。しかし、このような不思議な出会いとか、運命があることを、私は以前から感じ、信じてきた。現在の科学では説明がつかないが、運とか運命というものは間違いなくあると思ってきた。村上先生の講演でも、著書にも同じことが書かれていたと記憶している。

なお、このツアーが健脚コースであることは間違いなく、どちらの都市も車が入らず、坂あり階段ありで歩行し、万歩計は12500歩だった。


▼コメント
投稿 ヒマジンスキー | 2007年5月 9日 (水) 13時26分
マルタ共和国、ヴァレッタ、聖ヨハネ騎士団、1565年、オスマントルコ、ストロンボリ島と読み進み、ヨーロッパに入ってくると船上における水の消費が減った理由は?というクイズが出てビックリ。飲兵衛の私などは勝手に「ヨーロッパにくると皆さんがワインを飲むようになったのか」などと馬鹿げた考えまでさせられました。何とも発想が貧弱なこと。

読者というのは勝手な人種で、自分勝手なことを考えてしまう。「健脚コース」ならどのくらい歩いたのだろうと想像していた。流石にBOWさん、12,500歩という情報で今回の章を閉じられた。 読者の思いを自然に斟酌できるところも文章の達人たる所以かなと感心申し上げた次第。

▼コメント
投稿 さくら38 | 2007年5月 9日 (水) 20時11分
いよいよヨーロッパへ!マルタの景色は一度テレビで見た事があるので、なんとなく思い出して。これからの情景は見慣れたようなところが出てくる様で、BOWさんの素晴らしい文章を読みながら旅行できるのでわと・・・。

村上先生の事は奈良での講演の事をある人を通じて知っていましたので、飛鳥Uでのお話、そして身近に接触があったり、驚きました。これからはますます忙しくなりますね。

▼コメント
投稿 FUJIMOTO | 2007年5月11日 (金) 21時02分
昨日帰国しました。お元気に、また楽しく世界一周を続けておられ何よりです。

まだ3分の1程度が終わったばかりです。是非とも体調にはご留意され、引き続きお楽しみください。私も引き続きブログを楽しまさせていただきます。

▼コメント
投稿 BOW | 2007年5月12日 (土) 16時42分
ヒマジンスキーさん
毎度うれしいコメントありがとうございます。水の使用量のはなし、ビックリされたでしょう!いよいよ本格的にヨーロッパに入り、いささか疲れました。記事の掲載はちょっと遅れそうですが、お待ちくださいね!

▼コメント
投稿 BOW | 2007年5月12日 (土) 16時50分
さくら38 さん、こんにちは!
マルタもご存知でしたか、すごいですね。私はまったくしらなかったところです。ヨーロッパも、私なりの見方で、書いていくことになります。村上せんせいについては、まだ続きがあります。それもお読みくださいね!

▼コメント
投稿 BOW | 2007年5月12日 (土) 16時53分
FUJIMOTOさん、お疲れ様でした!オデッサではビックリしました。ものすごく嬉しかったです!楽しい旅を続けられ、思っていた以上にクルーズの良さを知ることができました。ありがとうございました!


◆飛鳥II世界1周航海記  2007年5月13日 (日)

寄港地に、ポルトガルの「オポルト」とあるが、地図では「ポルト」はあっても「オポルト」は見つからない。いろいろ調べた結果、英語では伝統的にオポルト(Oporto)と言うことが分かった。ポルトガル名は Portoで、定冠詞をつけると O Porto ある。この地で買った日本語の案内書にも「ポルト」と書いてある。船舶用語では地名も英語で通すのだろうか? 「オポルト」はポルトガル第2の都市で、ポルトガルの名はこの地に由来するとのことだ。

ジブラルタル海峡を通過し、大西洋に入ると、低気圧の影響で曇天が続き、波が高くなった。ポルトに入港すると、空は曇り、寂しく暗い感じがする。アマリア・ロドリゲスが歌うファド、「暗いはしけ」のメロディーが頭に浮かんだ。

まず例によって、オポルト半日観光(午前)に参加した。まず、ポルサ宮という商工会議所の建物のような所を見学したが、描かれている肖像画は粗末で、一部は少し斜めになっていたり、宮殿がこれでは哀れという気がした。そのくせ、写真ビデオ一切禁止だから、話にならなかった。

次に訪れたサン・フランシスコ教会の内部は、ターリャ・ドウラーダと言われる金泥細工で全体が飾られていた。木彫りの細かな飾りが、全面金箔で覆われているのだ。まるで、日光東照宮の飾りをすべて金箔で覆ったようなもので、これによって豊かさや富を象徴しているのかも知れないが、私の最も嫌いな装飾だった。しかも、これがフランシスコ修道会が作ったものと知って、唖然となった。

フランシスコ修道会の本拠地であるアッシジの聖フランチェスコ(フランシスコ)聖堂は質素で、宗教画とはこのようなものを言うのだと教えてくれるジョットのフレスコ画が飾られていた。だから、この聖堂を信仰の原点として納得し、胸を打つところがあった。しかし、ここはその正反対である。 そう思いながら、ポルトガルから持ち込まれたキリスト教を、日本人が受け入れたのは、当時の両国人のメンタリティーに共通するものがあったのかもしれないと思った。しかし、フランシスコ・ザビエルはスペイン人であり、教派もフランシスコ修道会ではなく、イエズス会だから、この見方は間違っているのかもしれない。

大聖堂(カテドラル)はイスラムの土地を奪ってポルトガルが建国されたころの教会のため、要塞を兼ねていたことが分かる堅固な建物が印象的だった。また、サンテ・イルデフォンソ教会の正面外壁を飾るアズレージョ(青色の装飾タイル)には目を見張った。アズレージョで最も壮大だったのは、サン・ベント駅内の壁に飾られたもので、これはまさしくポルトガルを代表する装飾だと思った。アズレンという青色の薬があるが、このアズレージョと関係があるのかもしれない。

かっては日本と一番交流のある西欧の国だったポルトガルも、今ではファドとポートワインくらいしか知らない国となってしまった。ポルトはポートワインの産地なので、ワイナリを見学した。ポートワインはワインの醗酵途上でブランデーを加えて醗酵を止め、甘味を残したアルコール度の高いもので、通常のワインとは違うものであることを初めて知った。赤、白それぞれ試飲したが、食前酒、食後酒としては、アイスワインの方を私は好む。昔、サントリーが壽屋と言っていたころ、赤玉ポートワインという甘い甘い酒があり、ワインはこのように甘いものだと思っていた頃を懐かしく思う。

ポルトを観光して感じたことは、ファドとアズレージョが似合う静かな坂の多い都市だった。ドウロ河沿いの古い建物が素朴で暖かく美しかった。


◆飛鳥II世界1周航海記 2007年5月14日 (月)

東シナ海、南シナ海、インド洋、紅海、スエズ運河は、ほとんど海は穏やかで、揺れも気になることはなかった。しかし、地中海に入ると何度か波の高い日があり、揺れを感じる日があった。ジブラルタル海峡を通り過ぎ、大西洋に入ってからは、これまでで一番波が高く、キャプテンの放送によると3mもあるという。どうやらこれは低気圧の影響らしい。

確かに波は高く、白波が無数に立っているが、その割には揺れは少なく、廊下を歩けないことはないし、眠れないことも、船酔いの気分の悪さも起らない。やはりこれは、5万トンもある大きな船だからだろうと思う。

医師になった頃、医局からの命令で、年に2〜3回、船医として黒潮丸という沖縄航路に乗ったことがあるが、あまりに揺れがきつくて、食欲がなくなり、ただひたすらベッドに臥せっているだけの日が必ず何日かあった。

船の揺れは、ローリング(rolling)と言われる横ゆれと、ピッチング(pitching)といわれる縦揺れの2種類がある。黒潮丸に乗船したときに聞いた話では、ローリングよりもピッチングの方が身体に堪えるということだった。波を乗り越えて進む時の揺れの方が、身体に影響するということだった。

この飛鳥IIでも注意してみると、揺れているのだが、その周期が遅く、ゆっくりしているために、あまり揺れとして感じないのではないかと考えて、実測してみた。と言っても、水平線の上下をローリングとし、水平線の傾きの変化をピッチングとした簡易計測だが、ローリングの周期は約10秒であるのに対して、ピッチングの周期は約20秒であった。波は数秒以下の周期で発生しているので、それに比べてかなり周期は長い。

飛鳥IIには揺れを少なくするスタビライザーも装備していると以前聞いたように思うが、それよりも船体が大きいことが、揺れの周期を長くするのに役立っているのではなかろうか?

揺れの程度を目で見て一番よく分かるのは、グランド・スパの浴槽の湯の動きである。ここには、長方形の大きな浴槽と、その両端に円形の浴槽が2つある。ゆれの強い時は、この長方形の大浴槽の湯がシーソーのように揺れて、一部は浴槽から飛び出す。グランド・スパは最上デッキである12デッキにあるため、振幅が大きいのは当然である。ところが、両サイドにある円形の浴槽は、そのような場合でもほとんど湯面のシーソー現象は見られない。これは、円形浴槽の壁から4つの強力なジェット噴流が絶えず十字方向に放出されているためだと考えられる。波の強い日も、円形ジャグジー風呂は安泰だ。

ローリング、ピッチング以外に、ガタガタと言った感じの、小さく不規則な振動を感じることはあるが、これを何と呼ぶのかは知らない。こちらは、船酔いには関係なさそうだが、不快感はある。



◆飛鳥II世界1周航海記 2007年5月15日 (火)

ボルドーと言えば、ワインの知識に乏しい私でも、ブルゴーニュ、シャンパーニュと並ぶワインの3大名産地であることは知っている。飛鳥II が寄港するのだから、海に面した港町だと思っていたら、何と大西洋から川を120kmもさかのぼったところにあると知って驚いた。

その上、満潮干潮の差(これを潮差と呼ぶようだ)が大きく、5.2mもあるため、満潮時と干潮時では乗船下船時に使われる取り外し式のタラップ(ギャング・ウエイと船では呼んでいる)の位置を変えなければならないと、キャプテンの船内放送があった。実際、ツアーに出かける時は、5デッキからだったのが、帰って来た時は、6デッキに付け替えられていた。

ここでは、午前と午後の2つのツアーを選ぶことは、時間的に無理だとツアーの手引きに書いてある。ワインの名産地に来たのだから、それなら、ワイナリー見学をしようと、「サンテミリオンのワイナリ見学(午後)」を選んでおいた。そして、午前中はシャトルバスでボルドー市内に出かけ、自由に市内散策をすることにしていた。

飛鳥II停泊地点から市内まで30分かかると聞いていた。現地から船に戻るシャトルバスは11時と12時で、12時のバスに乗れば、午後のツアーは12時50分集合だから、間に合うつもりでいた。 しかし、朝のラッシュに巻き込まれ、9時出発で現地到着が10時となってしまった。これでは間に合わない。

そこで、サンタンドレ大聖堂とカンコンス広場だけを駆け足で見て、11時のバスで船に戻ったが、行きは渋滞、帰りはスイスイ、30分もかからず帰船できた。ボルドーの旧市街は、オポルトと違って、町並みも立派で、ほかにもたくさん観るところがあったと思われるのに、残念だった。

ボルドー郊外、サンテミリオンのブドウ畑と、中世の風景は世界遺産に登録されているとのことだ。、素朴な小さい美しい街だった。ここはかって石材の切り出し地だったとのことで、私たちの訪れたワイナリーは、その石材を切り出した跡を利用して、ワインの樽を保存している。至るところに水平に掘り続けられた、高さ3mほどの坑内は、石窟を思わせて、それだけで興味がある。ここに一列に並べられたワイン樽はそれだけで様になっている。

そこまでは良いのだが、ここで延々とワイナリの人の説明があり、それを、現地ガイドが通訳して話すのだから、3倍くらい時間がかかる。ここは、ワイン保存に適した温度が保たれているわけだから、薄着で来た者は芯から冷えてくる。専門的なこと、特殊な話など聞きたくないのに、そんなことにはお構いなし。とうとう誰かが文句を言ったらしく、レクチャーは終了し、洞窟の外に出た。

ここで2種類のワインの試飲があり、その後で気に入ったものをそれぞれ購入したが、ワイナリ見学とはそれだけのことで、1)ワインを保存している樽を見る、2)通訳付きの長い専門的なワインのレクチャーを受ける、3)試飲し、購入する。それだけで、製造工程のほんの一部でさえ見ることができず、製造工程の説明図さえ用意されていない。オポルトのワイナリでも、それはまったく同じだった。ツアーの案内では「赤ワインの産地サンテミリオンのワインの製造工程をご覧いただき、、、、」とある。まさか、樽に保存しているのが製造工程というわけではあるまい。

ワインを購入したら、一路飛鳥IIへ直行で、予定よりも30分も早く帰船してしまった。もう、ワイナリー見学はこりごりだ。

ボルドーでは、貴重な時間を中途半端に分断されたことが残念だったが、カンコンス広場のジロンド派記念碑を見て、フランス革命の際に、この広場でジロンド党員22名がギロチン処刑されたことを思い、サンテミリオンでは、美しい景観、石材切り出し後の洞窟でのワイン樽保存、ブドウ酒用のブドウの木が1mくらいの小さいものであることを知ったことなど、やはり来て良かったと思う。

その中でも、私の一番興味が湧いたのは、ガロンヌ川に関係することがらだった。最初に書いたように、ボルドーは大西洋から120kmも上流にある、ガロンヌ川の流域にある。港町がこのような内陸にあることだけでも驚きだったが、もう一つの驚きは、このガロンヌ川と地中海を結ぶ運河が、17世紀に作られ、それは「ミディ運河」と言い、現存する世界最古の運河であると知ったことだ。その建設の理由が、大西洋岸と地中海岸を結ぶのに、ジブラルタル海峡を通過しようとすると、スペインの攻撃を受ける恐れがあったためだというところが、当時のヨーロッパの情勢を示している。

3つ目の驚きは、飛鳥IIがボルドーを出港して、大西洋に戻っている過程で見た川の余りにも広く、また、堤防に当るものが非常に低く、少し水かさが増せば氾濫するのではないかと心配になったことだ。恐らく飛鳥IIが下っている時刻は満潮で、最高の水位だったのだろうと思う。


▼コメント
投稿 ヒマジンスキー | 2007年5月17日 (木) 15時45分
BOWさん 面目躍如たるものを感じさせて戴きました。一つはその卓越せる観察力と分析力。グランド・スパの浴槽の湯の動きのところが圧巻です。ジャグジー風になっていると船の揺れに対して抵抗が働くと私も同意しますが、家内は不可解な表情でした。

もう一つは痛烈至極な皮肉。『まさか、樽に保存しているのが製造工程というわけではあるまい』。ヤッターと喝采を送ります。ポルトガルといえば果実酒のマテウスロゼが懐かしいです。貧しい新婚時代に家内が緑っぽいその空瓶を一輪挿しにして使ってくれていました。だからと言って何本も用意した訳ではなく、1本だけでしたが懐かしいロゼワインです。

▼コメント
投稿 BOW | 2007年5月17日 (木) 17時55分
ヒマジンスキー さん こんにちは
ジャグジー風呂のこと、面白がって下さり、嬉しいです。あのジャグジーは重宝してます。ジェット噴流が強力なので、まず背中の痒いところにこれを当てる、痒みがとれたら、次は腰のだるくなっているところに対象を変える、次は五十肩の左肩に当てる。このお陰で、グランドスパは私の最も愛する飛鳥スペースになっています(笑)

▼コメント
投稿 SACHI | 2007年5月21日 (月) 16時55分
15日に成田を出発。オランダからベルギーへ。旅行の途中、飛鳥を4時間体験し今日帰宅しました。ご縁があればお会いできるかと密かな期待。一瞬の出会いでしたが、神様の計らいに驚いています。そして すぐに分かっていただけたこととてもうれしく思っています。いろいろなエッセイを読ませていただき(まだ途中ですが)是非お話を伺えたらと・・・でもあっという間に時がたち、ツアー宿泊先のブルッセルのホテルへ戻ったのは1時前でした  (;^^)

飛鳥の日々 想像以上に楽しそうですね。両親を始めみなさんのキラキラした顔、最高でした。これからの旅行記も楽しみにしています。そしていつかお会いしていろんなお話しを伺える日が来ることを・・・(厚かましくごめんなさい。)

▼コメント
投稿 BOW | 2007年5月21日 (月) 18時33分
SACHI さん、こんにちは!
アントワープでビアカフェ巡りに出ようとして、お目にかかりびっくり仰天でした。ツアーだったので、ほんのわずかしか、お話できなかったですが、不思議な出会いを感じました。

飛鳥2ではこのような思いがけない出会いが多くあり、村上先生とお話した運命を信じるということがいくつも経験できます。今は一番忙しく、大西洋を航海中に、これまでのことをまとめてUPしようと思っています。

▼コメント
投稿 musi | 2007年5月22日 (火) 00時12分
イギリスへ到着ですね。最近はGO先生も熱心なファンの一人になられました!(^^) 弱いmusiに地図を書いては「今はココを通過し○日にココへ…」てな具合です。細部まで解りやすく書かれたエッセイに行ったことはないのに飛鳥へ乗船しているような気分を味わって、毎回楽しく拝読しています。まとめてのUPご準備は!?あ、プレッシャーはナシでした〜(^^)

▼コメント
投稿 BOW | 2007年5月23日 (水) 02時52分
musiさん、嬉しいニュースをありがとう!
Dr.GOによろしくお伝え下さいね。ものすごく喜んでいたと、蟹ポーズをしていたと、、、(笑)。ロンドンに1泊2日で出かけ、帰船したところでクタクタですが、興奮はまだ残っています。まとめてUPします。お待ちあれ!!

▼コメント
投稿 musi | 2007年5月24日 (木) 00時59分
毎回、見てみて…ではなく、読んで読んでコールを送り続けていま〜す。楽しくお読みになっていま〜す!先日は各国のパンフレットを持参!日程表と照らし合わせて講義を受けました(^^) 久々の蟹ポーズ!お伝えしました〜ニッコリされてました。ロンドンでの一泊、さてどのような興奮が、、、

>まとめてUPします。お待ちあれ!!
ハイ!了解しました!

▼コメント
投稿 yakky | 2007年5月24日 (木) 09時07分
結婚35周年記念に13日〜22日まで中欧に行って参りました。暑さと健脚コースで疲れて帰宅して2日間何も出来ずに時差ボケです。フリータイムが3日あるツアー企画でしたので、日本でネツト検索してバス・地下鉄・トラム・タクシーを巧みに使っての探索でした。今回JTB旅物語ツアー(ゆとり度★★★)参加者40名には吃驚。ゆとり度★になった(笑)酷い企画です、欧州が17日〜20日の連休に重なった為何処も満員(欧州勢にJTBが負けましたよ?)

BOW様エッセイを拝見させて頂いて、益々結婚45周年記念には飛鳥U(Vになっているかな)に乗船したいと思っています。旅行の途中、飛鳥Uを4時間体験されたとは?私も行って見たかったな。乗船の許可は厳しいですか?16日以後のエッセイを楽しみにしています。

▼コメント

投稿BOW | 2007年5月25日 (金) 07時19分
musiさん Dr.GOの近況ありがとうございます。とりあえず、パリヴェルサイユ篇をUPしました!

▼コメント
投稿 | 2007年5月25日 (金) 07時22分
yakkyさん、こんにちは 中欧に行かれたのですが、良かったでしょうね!17日〜20日の連休でパリは静かでしたよ(笑)航海記お読みいただき嬉しいです!


◆飛鳥II世界1周航海記 2007年5月16日 (水)

この日はまず室内整理をしたあと、13日から15日までの航海記の執筆に時間を費やした。


◆飛鳥II世界1周航海記  2007年5月17日 (木)

オンフルールは雨の中の着岸だった。この「オンフルール」も普通の地図に載っていなくて、寄港地を調べるのにちょっと苦労した。セーヌ川が大西洋に注ぐ河口の街は、北側がル・アブール、南側がオンフルールで、フランスの北西部のノルマンディー地方にある。ル・アブールとオンフルールの間には、斜張橋としては世界で2番目に長いノルマンディー橋が、1995年に架けられた。

かってノルマン人("北の国の人"=スカンジナビアのヴァイキング)が、この地に何度も侵入して、セーヌ川を上ってパリにまで攻め込んできた。そこで、フランスの当時の王が、この地方を与えて、ノルマンたちを住み着かせて懐柔した。彼らは、ここにノルマンディー公国を作ったので、この地方をノルマンディー地方と呼ぶことになったそうだ。

オンフルールからパリへ向かう高速道路の左手に、ノルマン人の移住を記念するステンレスの勇ましいオブジェがあり、うまくデジカメで撮影することができた。 ノルマンディー公ウイリアム(ウイリアム1世征服王)がイングランドを征服し、ノルマン朝を作ったことから、英国王朝のこと、英仏百年戦争の原因などが少し理解できるようになったことは収穫だった。

地図を調べてみると、このノルマンディー地方には、知っている名前の街が多いのに驚く。ノルマンディーといえば、あのノルマンディー上陸作戦のあった上陸作戦海岸を思い出すが、ミュージカル映画「シェルブールの雨傘」の舞台のシェルブールがあり、オンフルールのすぐ東側には、映画「男と女」のドーヴィルの海岸がある。また、7年前に訪れたモン・サン・ミッシェルもこの地方にある。飛鳥IIがこの地に寄港したのは、パリやモン・サン・ミッシェルへの玄関口として選ばれたのだろう。

また、オンフルールは印象派の画家達に愛された街で、モネの最初の出展作品「印象、日の出」はオンフルールの風景を描いたもので、印象派の名前の由来となったことを知った。

オプショナル・ツアーは「ヴェルサイユとパリ1泊2日の旅」を選んだ。オンフルールからヴェルサイユまで3時間、高速道路から眺める風景には、イタリアのトスカーナ地方とは違う美しさがあった。どこまでも続くなだらかな平野、広々とした牧草の緑、放牧された牛の群のゆったりした動きは牧歌的で、フランスが牧畜国であることを印象づける。以前、パリからモン・サン・ミッシェルへ向かう道中で見た風景は、フランスが農業国であることを教えてくれたが、今回はそれ以外に牧畜業の国でもあることを分からせてくれた。

この高速道路の、パリ、ヴェルサイユ方面行きは普段よりも空いていて、反対方向が多いとガイドは言う。そのわけは、今日5月17日がキリスト昇天祭で祝日で、木曜日なので、このような場合、フランス人は金曜日を休んで木金土日の4連休として、郊外へ出かけるのだそうだ。だから、パリは人出が少なく、郊外に人手が多いだろうと話していた。

それは間違いではなかった。パリは以前来たときよりもはるかに人間の数が少なく、反対にモン・サン・ミッシェルは大混雑で、現地ガイドも余り経験したことがないほどだったと言う。パリなど都会の人間は郊外に出かけたのだろう。夏のバカンスの季節ではないので、手近な場所が選ばれるのだろう。

ここで面白いことを聞いた。フランスでは超過勤務に対して金銭が支払われるのでなく、有給休暇の時間が与えられるのだそうだ。だから、このように4連休などが簡単にとれるようになっている。そう言うわけで、日本とフランスの給与額の比較なども、正確にはできないといっていたが、それは国民性の違い、価値観の違いだろう。

ヴェルサイユ宮殿は改修工事がほとんど終わっているためか、以前来たときよりも外観も内部も美しかった。写真もビデオも許されているのが嬉しい。ここは、すべてが壮大、豪華、華麗であったが、「鏡の間」の鏡だけは、反射率が悪く、うす汚れている感じがして、時代の限界を感じた。

ここの建物と内部の装飾、絵画、彫刻、調度品などについては、前回も驚いたが、今回はそれよりも庭園に感嘆してしまった。もし、次回ここを訪れることがあれば、建物を鑑賞するよりも、庭園をゆっくり歩いてみたく思う。ルイ14世自身が「ヴェルサイユ庭園案内法」を編纂したというが、どのようなものだったのだろう。

今回のヴェルサイユ見学で、これに連なる歴史上の3人の「ルイ」という名の王について、面白いことを知った。ヴェルサイユ宮殿は、ルイ14世太陽王の権力が如何に強大で、栄華の極みであったことを示す館である。驚いたのは、彼が77歳まで生存し、在位72年であったことで、現代人に換算すると120歳くらいに相当するというが、それほど違ってはいないだろう。そのため、息子も孫もみんな先に亡くなり、後を継いだルイ15世は14世の曾孫になる。この王も長生きで、64歳まで存命し、在位59年だったが、この人の代で多くの植民地を失った。次のルイ16世はルイ15世の孫で、アメリカ独立戦争に介入して財政を悪化させ、在位18年39歳でギロチン処刑された。その王妃がマリー・アントワネットである。

宿泊は、ル・グラン・ホテル・インターコンチネンタルで、オペラ座の西前方の一角を占める大きなホテルだった。何よりも場所が良く、部屋の窓からオペラ座の頂の飾りが見える。夕食を済ませ、オペラ通りをルーブルまで歩き、ここから、チュイルリー公園横を通ってコンコルド広場に出て、コンコルド橋から、ライトアップされたエッフェル塔を望み、マドレーヌ寺院を経てホテルに戻った。

夕食後や朝食前にホテルの周辺を散歩するのは、15年前の最初の海外旅行以来、私たち夫婦のおきまりのパターンであるが、これが、意外と新しい発見につながる。今回も、これによってパリの建造物の素晴しさを改めて知った。特にオペラ通りの建物は重厚で、格調高く、しかし個性的で見事だと感心した。これが140年前に出来あがっていたのだから、明治の初めにここを訪れた日本人の感動が想像できる。


◆飛鳥II世界1周航海記  2007年5月18日 (金)

朝食後、オペラ座とその周辺を散策した。オペラ座は前回来た時は補修中で、うす汚れていたが、今は輝くばかりの美しさで、堂々と聳え立ち、前から見ても横から見ても素晴しいの一言に尽きる。この地下に怪人が住んでいたとは到底信じられない。ただ、早朝なので、中に入ることができなかったのは残念だった。

9時開場と同時にルーブル美術館を訪れた。早くここに来た効果は著しく、前回と比べて比較にならぬほど見学者が少ない。あの「モナリザ」でさえ、近くで鑑賞することができるのだ。絵画は撮影禁止だが、彫刻はOKなので、「サモトラケのニケ」「ミロのヴィーナス」などを存分に撮影できた。批判の多かったあのガラスのピラミッドも、もうすっかりルーブルになじんでいる。エッフェル塔もそうだが、斬新なデザインが時とともにパリに調和して行くのが面白い。

昨日ヴェルサイユ宮殿で見たダヴィッド作「ナポレオン1世の戴冠」の絵をルーブルでも見た。ヴェルサイユの絵と違うのは、一人女性の衣服の色が違うだけであるというこの絵を見ながら、ナポレオン・ボナパルトのことを思わざるを得なかった。パリ革命の後の混乱の中で、さっそうと登場し、ナポレオン法典を編纂し、産業発展の基礎を作り、ヨーロッパ大陸を支配した彼の在位がわずか10年であったと知って、何と優れた才能の持ち主だったのかと感嘆する。おそらくは、フランス革命という環境が、持っている優れた遺伝子の多くに対してスイッチ・オンに働いたのだろう。

ルーブル美術館に続いて、その西側にあるコンコルド広場で、エッフェル塔、オベリスク、凱旋門を同時に写せる場所へ現地ガイドが案内してくれ、写真撮影をした。この広場も前回より美しくなったように思う。ルイ16世が処刑された場所、マリーアントワネットが処刑された場所などの説明を受けている時、フランス革命の血なまぐさい恐怖政治を思い出した。

フランス革命時に、ボルドーの近隣にあるナントという都市で「反革命容疑者2600名が銃殺され、さらに数千人が溺死刑に処せられ、ロワール川の水は血に染まり、裸にされて二人づづ縛られた男女の死体が川面を埋めた。」という記事を、ボルドー寄港時に読んだが、そのことが記憶に強く残っている。

その時考えたが、フランス人が本来このように残虐で冷血であると考えるのは正しくない。人間は誰もがこのような残虐なことを好む遺伝子を持っており、通常はこれがスイッチ・オフの状態である。そこへ環境の変化、群集心理などが加わる時、この残虐を好む悪魔の遺伝子のスイッチがオンとなると考えるべきだろう。そう考えるとアウシュビッツのドイツ人も、2発の原爆で日本人35万人の命を奪ったアメリカ人も、理解することができる。人間は神にも悪魔にもなれるというのは、そういうことだろう。

凱旋門と凱旋門前広場(エトワール広場)には、12本の道路が放射状に連なっている。前回、凱旋門の頂上に登り、下を見下ろした時、そのことをこの目で確かめ、驚嘆したことを覚えている。今回はこの広場をバスで3回廻ったので、交差点としてのロータリーに非常に興味が湧いた。ここでは信号はなく、車は反時計回りに動きながら、12本のいずれかの道路に移動して行くのである。信号が無い分待ち時間の無駄はないが、車の移動する距離は増え、車の数が多い場合は、かなり高度の運転技術がいるだろうと思った。フランスではこのロータリー方式が数多く見られ、信号のある四辻交差点の方が少ない感じを受けた。

ツアーの最後は、パリ三越でショッピングになっていた。私たちのツアーより少し後で、別のツアーで来ていた飛鳥IIの乗客が、この三越前で引ったくりに遭い、パスポート入りの鞄を盗まれるという事件があった。現場を目撃した人の話では、買い物を終えて、ツアーのバスに乗車する時に、皆から少し離れたところで一人で立っていた男性が単車を当てられ、倒れたところを鞄を奪われ、逃げられたそうだ。一瞬のできごとだったという。

飛鳥IIからその件についての説明はないが、これまで6件ほど被害があったこと、パスポートを盗られた人もいること、パスポートは最重要なので肌身離さず持つこと、鞄は、たすき掛けか身体の前にかけることなどの注意が繰り返し行なわれている。クルーズで親しくなった海外旅行のベテランも、内ポケットに入れた財布をすられ、すられたことが分からなかった経験があると教えてもらった。


▼コメント
投稿 T-baba | 2007年5月25日 (金) 22時55分
旅も中盤、お疲れが出る頃と拝察していましたが、UPされた記事は連日のご活躍が元気印でびっしりと書かれていました。引き込まれて一気に読みました。違った視点からのパリ観光の詳しい記事や歴史の考証に接し、興味津々でした。「冷血の遺伝子」のon とof のお話、例え方がBOW先生らしく、ユニークでしかも現実味がありました。

ノーマンディのシードル蒸留酒カルバドスなどお試しになりましたか?たまには土地の飲食物に関する情報も少し下さいませんか、パリというと☆しかおもいつかないクイシンボウも読者におりますれば(笑)

▼コメント
投稿 ヒマジンスキー | 2007年5月26日 (土) 10時43分
歴史にも弱いヒマジンにとって今回の記事は大変に啓蒙される内容です。王位を曾孫に継いだという長寿のルイ14世のこと、ルイ16世が39歳でギロチンされたとかその王妃マリー・アントワネットも処刑されたとか、知らないことばかりで恥ずかしくなります。「人間は神にも悪魔にもなれる」というのは誰の言葉なのか知りませんが、説得力溢れるお話でした。

今日は夕刻にK高校7回生首都圏同窓会に出席してきます。BOWさんのクルーズも立ち話のトピックになるでしょう。クシャミが出ないように祈ります。

▼コメント
投稿 BOW | 2007年5月26日 (土) 17時11分
T-baba さん、コメントありがとうございます。相変わらずのへそ曲がりな見方ですが、お読みいただき嬉しいです。カルバドスは前回のモンサンミッセルで飲んで、さっぱりしてこちらの方が私には合うように思った記憶があります。

フランスで食べたフォアグラより、前にお土産で頂いた方がよほど美味しかったと、家内と話しています。ベルギーで食べたムール貝の白ワイン蒸しは、久しぶりに満足し、家内の分までぶん取りました(笑)

▼コメント
投稿 モナリサ | 2007年5月26日 (土) 17時17分
5月13日から10日間中欧(ブタベスト・ウィーン・プラハ)を旅してまいりました。北欧からの入国でしたので「ひょっとして飛鳥Uが見えるかも?」などと思い飛行機の窓から下の景色を覗いていました(笑)。“エンジョイBOW”さんのURLもメモして出かけました。先ずは関空の搭乗ゲートのパソコンでチェックしました「OK!これこれ・・・」

次回はブタベストのホテルのパソコンルームで・・・しかし、私がチェックした限りでは、日本語で書かれたページは見ることが出来ませんでした。日本語ソフトが対応していないのでしょうね(残念)

そうそう、BOWさんがオペラ座の見えるホテルに宿泊されている頃、私達はウィーンのオペラ座で小澤征爾さん指揮の“マーラー交響曲第二番ハ短調『復活』”を楽しんでおりました〜。前日はドミンゴ指揮の“トスカ”も観ました。ドミンゴさんは多才な方でテノール歌手だけではなく指揮もされるそうです。 プラハは4連休(キリスト昇天祭)ということでカレル橋も人・人・人であふれかえっていました。あの人達はパリからの旅行者だったのですね・・・

プラハ城に懸かかる三日月と金星がとても印象に残りました。飛鳥Uから見る月も少しふっくらしてきましたね。では、飛鳥Uの旅行記後半楽しみにしています。

▼コメント
投稿BOW | 2007年5月26日 (土) 17時17分
ヒマジンスキーさん、こんにちは
ルイ14~16世の年齢など意外だったですね!ちょっと驚きました。今日はK高東京支部の集いですか、皆様によろしくお伝え下さい。もう今から風邪気味です(笑)

▼コメント
投稿 BOW | 2007年5月27日 (日) 03時08分
モナリサさん、詳しいコメントありがとうございます。ブタベストのホテルのパソコンで日本語が駄目だったとのことですが、5〜6年前ハワイでも駄目でした。研究の余地ありですね。パリの住人がプラハ、十分考えられますね(笑)ドミンゴの指揮とはちょっと驚きです。彼はもともとはバリトンだったと聞きますし、最近声が出なくなったとか聞きましたが、どうなんでしょうね?


◆飛鳥II世界1周航海記  2007年5月19日 (土)

ベルギーのアントワープ入港前に、飛鳥II専属中村カメラマンによる空撮が行なわれた。イスタンブール入港前にも空撮はあったが、その時にロングツアーで不在だった乗客からクレームが出て、2度目の撮影となったらしい。前回は、撮影しているカメラマンを、ズームアップでビデオ収録することに夢中になり、空撮の写真では顔の半分がビデオカメラに隠れて、オペラ座の怪人風(そんなにカッコは良くないが)になっていたので、こんどはしっかり顔を全部写してもらおうと思った。幸い天候に恵まれ、良い撮影条件だった。その内、展示されると思うが、空撮でも意外と個人の顔が識別できるのが驚きだ。

アントワープ港も、大西洋からスヘルデ川を約80kmさか上ったところにある。ボルドーと言い、ヨーロッパには河の港が多い。これは、かって船舶が輸送の最重要な手段であり、内陸に港があることが利点だったためだろう。

アントワープの上陸が遅れ、待ちきれない思いで「ビアカフェ巡り」のツアーに参加しようと、船を降りたところで、知らない女性が「野村 望さんですね」と声をかけて下さった。すぐ、その方が、このブログにコメントを下さったSACHIさんであることが分かり、もうビックリ。そばでご両親がニコニコ笑っていらっしゃる。お話を続けたかったが、ツアーがあるので残念ながら、それだけでさようならをした。それにしても、どうして私がお分かりになったのだろうとつぶやくと、「ブログのプロフィールに写真を載せたからでしょう」と妻に言われて納得した。その後、ある方のご紹介でSACHIさんのご両親にお目にかかることができて、船旅はほんとうに出会いの旅であるとつくづく思う。

ツアーの案内文には、3ヶ所の特色あるビアカフェを訪ね、それぞれ2種のビールを味わうと書いてある。飛鳥IIに乗った時から、この日が楽しみだったので、わくわくしながら、アントワープの街の中を歩いた。前日まで、アントワープは3日間嵐が吹き荒れていたそうだが、この日は晴天で、屋外はビールを飲んでいる人たちの集団で溢れている。

私たちのグループは13名で、屋外飲むことを選び、他のベルギー人のビール愛飲家たちと交歓し、通り過ぎる人たちとも声を掛け合い、ご機嫌だった。最初のビアカフェでは、さくらんぼから作った赤い色の甘いビール、次は白ビールだったように覚えている。それから、修道院ビール(トラピストビール)やピルスビールなどを飲んだが、どれも美味い。

横に監視人が張り付いているので、最初はセーブさせられたが、最後のビアカフェでは、安心したのか、監視人の分まで飲むことを許され、中ジョッキくらいの量を6杯以上飲んだことになる。ビールが変わるごとにコップの形が変わり、そのビールの名前が付いている。記録好きのBOWも、アルコールが入れば、そんなものはクソ食らえで、もっぱら雰囲気を楽しんだため、記録は残っていない。

ご機嫌で船に戻る途中、出てくる鼻歌が「ヴォラーレ」なのが、何故だか分からない。壊れた昔のSPレコードのように、同じところをくり返し唄っている。と思ったら、「もしもし、かめよ」のメロディーで「ああ、ゆかいなり、ゆかいなり、ああゆかいなり、ゆかいなり」に変わってしまった。それからあとの記憶はない。飲んだ量も多かったが、上陸時間が大幅に遅れてしまったので、飲む時間が短くなり、早いピッチで飲んだ影響もあるに違いない。しかし、翌朝は二日酔いもなく、次のツアーに元気で参加できた。

この「ビアカフェ巡り」は、クルーズで一番楽しかったツアーで、一緒に廻った飛鳥IIのアシスタントに、後日そう伝えると、これは今回がはじめての企画だという。今回成功したのは、晴天だったからで、もしも雨、嵐であれば、みじめだったかもしれないことを思うと、来年もこの企画を続けるべきか否かはなかなか難しい問題だろう。

アントワープと言えば「フランダースの犬」の舞台になったところというが、こちらの人は97%がこの物語を知らないと現地ガイドは話していた。最近この物語の日本のアニメが放映されたので、少しは知っている人も増えたかという程度で、図書館にも本は置いていないそうだ。

アントワープはダイヤモンドの研磨で世界の70%のシェアを占めていて、その中心はユダヤ人であることをまったく知らなかったが、私たちには関係のない話である。


◆飛鳥II世界1周航海記  2007年5月20日 (日)

この日のツアーは「ブリュッセル1日観光」である。バスに乗ると、現地ガイドが、ベルギーは1年の200日が雨で、天気予報には雨、曇り、晴れの3つがいつも載っていると言う。天候が変わりやすく、雨具を携行しておくのが無難らしい。実際、出発時には晴れていたが、昼食後は雨となってしまった。また、雨が多いとしたら、ブリュッセルの建物はカビで黒ずんでいるのではないかと思ったが、それも当っていた。

まず、サンカントネール公園で下車して、ここを眺めた後、王立古典美術館を訪れ、ルーベンスやヴァン・ダイクなど絵画を鑑賞した。ストロボ発光なしで撮影OKはありがたかったが、ガイドの絵の選択や説明が充分でなく、また、ルーブルを見たあとだったためか、印象に残る絵は少なかった。

次のグラン・プラス広場はブリュッセルの中心地で、110m×70mの広場の周辺を中世の建物が取り囲み、世界遺産に登録されている。中でも王の家と、ゴシック尖塔が見事な市庁舎が向き合っている姿は素晴しい。この広場の近くに、有名な小便小僧の銅像がある。ガイドから世界3大ガッカリ像だと予告されていたが、小さな愛らしい像で、妻などは可愛いと言って喜んでいた。

グラン・プラス広場の近くのグルメ横丁にあるレストランで、昼食に「ムール貝の白ワイン蒸し」を食べた。山盛りのムール貝に、刻んだセロリがたっぷり添えられ、塩味か効いていて、とても美味い。ちょっとバターが多すぎる感なきにしも非ずだが、辛抱できる。ムール貝の貝柱を貝殻ではずし、実を食べる。これを早いスピードで食べて、無くなると妻の分にまで手を出し、久し振りに満足感を味わった。

フライドポテトが添えてあり、これに食卓塩をたっぷりかけて食べていると、隣のご夫婦が呆れていらっしゃる。お二人は高血圧症なので塩分制限をしておられるとのことだ。ムール貝もフライドポテトもビールの肴にとてもよく合う。これもアメリカに移住したベルギー人が持ち込んだものだとガイドは話していた。

昼食が終わると自由行動になり、散策、写真撮影、ショッピングなどの時間が与えられたが、あいにく雨が降り出して、行動が限られてしまった。しかたなく、大部分を近くにあるギャルリー・サンチュベールの中で過ごした。ここは1846年に建造された、いまも現役のショッピングアーケードである。ガラス天井を持つアーケードとしてはヨーロッパ初のもので、パリやミラノのギャルリーは、これにならって建造されたものだという。これはアールヌーボーの建築様式で、アールヌーボーはウイーンが本場かと思っていたら、ブリュッセルがアールヌーボー誕生の土地だと知った。ここには、ゴディバなど王室御用達チョコレートの一流店も軒を並べている。

私が、ベルギーについて連想するのは、ゴディバ、ヴィタメール、ノイハウスなどのベルギーチョコレートやベルギーワッフルなどのお菓子、それと王室が天皇家と親しい関係にあることくらいだったが、この地を訪れ、ビール、ムール貝料理、アールヌーボー、ダイヤ、変わりやすい雨勝ちの天候などが加わった。

アントワープの出港は遅れることなく、17:00に行なわれた。明日はサザンプトンに入港し、バスでロンドンへ行くことになっている。


▼コメント
投稿 ヒマジンスキー | 2007年5月27日 (日) 07時41分
モントリオールに駐在したときにベルギー料理に接し、ムール貝料理を楽しみました。帰国後、東京で食べたムール貝料理に貝が5つほどしかなかったことを覚えています。ベルギーではバケツに入ったムール貝を別の殻入れ用のバケツを横にムシャムシャ食べると聞いていたのに。ゴディバもベルギーのチョコとは知りませんでした。HPで勉強しました。11世紀英国の伯爵夫人のレディ・ゴルバの物語、馬にまたがる裸婦のシンボルマークを次回よーく観察するようにします。

▼コメント
投稿 T-baba | 2007年5月27日 (日) 14時47分
☆印レストランが多い「美食の町ベルギー」でのビアカフェ巡り、、なんともウラヤマシ!

丁度こちらは日曜日の昼下がり、思いがけず和歌山から今朝クール宅配で届いた地ビール(なんと「軍艦ビール」と言う名前)と、浜松餃子をサカナにイッパイやってご機嫌の時に読みましたから、ビアカフェの興奮がこちらまで伝わってくるようで、ついつい二人ともマッカッカ(こんなことはめったにないことなのです)生ビール好きのT−baはBOW先生と同席してムール貝とフライドポテトをさかなにおいしいビールを堪能しました(笑)。

ビタメール、ノイハウス、、どれも思い出いっぱい、懐かしいです。ワッフルも美味しいのですね。二日酔いがなくてなによりでした。さあ次回は大英帝国!楽しみにして、期待しています。

▼コメント
投稿 BOW | 2007年5月28日 (月) 08時13分
ヒマジンスキーさん ムール貝の白ワイン蒸しを3〜40個、家内の分を2〜30個ガツガツ食べました。美味かった〜!

▼コメント
投稿 BOW | 2007年5月28日 (月) 08時20分
T-baba さん ビアカフェ巡りほど楽しかった経験をほかに思い出せません。前日まで嵐だったというので、ほんとにラッキーでした(笑)。ムール貝とフライドポテトにご同席ありがとうございました。Drもビールを飲まれたとは、驚きです。ワインオンリーとばかり思い込んでいました! 二日酔い、恥ずかしいです(笑)

▼コメント
投稿 SACHI | 2007年5月28日 (月) 10時45分
親友がデザインしたノーザンホースパーク K's garden(とっても素敵です。機会があったら是非訪れてください。)グランドオープンのため北海道に行ってました。心を癒し元気をくれる数々の花たち、おいしい魚貝、肉、野菜、限定ビール。。。北海道もいいですよー

帰宅後、ブログを見て わぁ!!日記に残していただけるなんて ありがとうございます。私もベルギービールを楽しみにしていたのですが 時間と許容量が・・・   (;^^A  ビアカフェ巡りと知っていたら ご一緒したかったです。(両親に叱られる エヘヘ) 父からは相変わらずメールが届かず・・・こちらのページで出会いを知りました。私の何を暴露されたのか 少々不安です

▼コメント
投稿 BOW | 2007年5月29日 (火) 05時35分
SACHI さん。お久しぶり ノーザンホースパーク K's gardenへ機会があれば行ってみたいです。

>私の何を暴露されたのか 少々不安です
ご安心あれ! 今のところ何も把握していません(笑)。しかし、まだ日にちは充分あります。そのうちにタップリ聞き出しますので、お覚悟を!!


◆飛鳥II世界1周航海記 2007年5月21日 (月)

サザンプトン港に入る少し手前で、左手にワイト島が見えた。キャプテンは、船内放送で、ここは高級保養地であり、またヨット競技の開催地として有名で、休日はヨットで賑わい航行に神経を使う。今日は月曜日のために少なくて助かると話していた。それでも、かなりのヨットが浮かんでいる。

サザンプトン入港が、港からの指示で1時間ばかり遅れた。英国はEUに加盟していながら、ユーロは駄目で、使えるのはポンドだけ。入港してから、5千円、1万円分のポンド交換が始まったが、長蛇の列でどうにもならない。入港が遅れているので、ツアーの出発時間を過ぎても、遅々たる進みようで、並んでいる乗客は怒り心頭である。そのうちに、両替はホテルでもできるとの情報が入り、交換を中止してツアーに参加した。

ユーロは誰も用意しているが、ポンドは持って来ていないので、最低限のポンドを手に入れようと並んだわけだが、両替に来ているサザンプトンの銀行が、5千円、1万円分のポンドセットを、一つ一つ数えて渡す融通のきかない石頭だ。入港を遅らせた上、EUに入っていながら、貨幣はポンドとは、何を威張っているのかと英国に八つ当たりする者も多かった。飛鳥IIの方にも、もっと要領良く処理すべきだと批判する者も出てきた。

私たちの選んだツアーは、「ロンドン観光とミュージカル鑑賞1泊2日の旅」で、夕食を摂ったあと、ミュージカルを見て、それからホテルにチェックインとなっている。出発が1時間以上遅れたので、夕食抜きで観劇するのではないかと心配するものもいた。 しかし、その心配はなく、ロンドンの中華街で中華料理を食べることができた。

この料理がかなり美味く、北京ダックも食べきれないほど出てくる。飛鳥IIから、ご迷惑をおかけしたお詫びに760mlの紹興酒が、各テーブルに1本差し入れされ、これもなかなか良い酒なので、すっかり機嫌は良くなった。

ミュージカルは「レ・ミゼラブル」である。劇場クイーンズ・シアター (Queen's Theatre)は、こじんまりしていて舞台の横幅が狭く、これで群集劇を演じることができるのかと、ちょっと心配なるほどだった。ただ、座席は良く、私たちは前から7列、8列目の中央だった。

しかし、開幕と同時に、引き込まれてしまい、誰もが緊張の連続で、興奮してしまった。圧巻は群集劇だが、主役のバルジャンはもちろん、脇役のジャベール警部も素晴しい。全員が声量豊かで、前によく通る。一番感心したのは舞台の演出だった。この狭い舞台で、たくみに群集を移動させ、まったく不自然さを感じさせないのだ。まるでマジックのようだった。フィナーレではスタンディング・オベーション、皆の興奮は最高潮。寝る者なしと思ったら、男の子がうしろで二人、可愛い顔をして眠っていた。

以前日本で「レ・ミゼラブル」を観たことがあるが、月とスッポンで、お話にならない代物だった。また、5年前にロンドンで「オペラ座の怪人」を観たことがあるが、それよりも、こちらの方が素晴しかった。ツアーの誰もが感動しているようだった。このような体験ができたことを心底嬉しく思った。幸せだった。

「レ・ミゼラブル」には、私の人生で大きな影響を受けたことばがある。小学校の4〜5年だった思う。父に連れられてモノクロのレ・ミゼラブルを観た。そして、バルジャンが銀の食器を盗み出した時、司教が銀の燭台までも与えて、話した「与うるは受くるよりも幸いなり」と言うことばだ。「なぜ、もらうよりも、あげる方が幸せなのか?」ということがずっと気になっていた。その意味が分かるようになったのは、それから10年も過ぎてからだったと思う。そして、年を重ねるごとに、そのことばの正しさが理解できるようになってきている。


◆飛鳥II世界1周航海記 2007年5月22日 (火)

英国に来ると、四角い煙突の出ている家が非常に多く目に付く。その四角の中に、何本かの小さな円い煙突が認められる。この円い煙突は部屋に1つあるので、これを見ると、部屋数や間取りがだいたい分かるらしい。むかしは石炭を焚いて暖房に使ってきたが、もくもくと出る煙(smoke)とロンドン特有の霧(fog)が重なって一寸先も見えないほどになり、ここからスモッグ(smog)ということばが作られたとガイドは話していた。50年前に法律ができて、煙突を付けることができなくなったので、煙突のある住宅は50年以上前の建造物ということになる。

ロンドンは物価が高く、便所風呂台所共用の6畳1部屋で、月6万円くらいの家賃がかかる。便所風呂台所が共用でなければ、月17万円もすると聞いて驚いた。ヨーロッパは消費税(付加価値税)が20%と高いことも関係しているようだ。

もうひとつ、知らなかったことで驚いたのは、王室は自分で収入を得て、その中から莫大な税金を納めていることだった。だから、国民は王室に文句を言わない。英国民が一番好むゴシップは王室関係で、芸能人などは、その次だという。王室は神様ではなく、人間であるというわけだ。実際、王室は土地や建物を多く持っていて、それらには王室の金のマークが付いている。建物の一部を公開して入場料をとったり、土産物を作って販売したり、王族はみんな働いているそうだ。その点では日本の皇室と大きく異なる。

ロンドン塔を訪れたが、ここは彼のノルマンディー公ウィリアム1世征服王が建造したものだと知って、それまでは、陰惨なイメージだったのが、親しみを感じるようになったから不思議だ。

大英博物館をはじめ、英国の公共の博物館や美術館は、すべて無料だという。たくさんの小学生や中学生たちが先生に引率されて、スケッチをしたり、説明を聞いたりしていた。今は観光のシーズンではないためか、以前来た時と違って、館内の人影はそれほど多くない。写真やビデオ撮影が可能なのも嬉しい。 広々とした館内で、展示がうまくされている。海賊の分捕り品展示会場ではないかと思った印象を、今回は受けないのはなぜなのだろう。まさか、昨夜のミュージカルが素晴しかったから、英国びいきになったというわけでもあるまい。

中でも良かったのはエジプト関係だった。カイロの考古学博物館を、飛鳥II貸切で見学したが、建物、展示物の内容、展示の仕方、観覧の方法の何れをとっても、こちらの方が格段に上である。ミイラ関連も、エジプトで充分見たと思ったが、実際はこちらの方が優れたものが多かった。中でも、一番奥の部屋の左側にある壁画は素晴しかった。これは日本で公開されたことはないのではないかと思う。私はこれまで見たことがなく、嘆声をあげながら、ビデオと写真撮影をしっかり行なった。

カイロの考古学博物館と大英博物館の両方を見たことで、このような人類の文化遺産を、丁重に保存管理し、それを見事に展示しながら、訪れる者すべてに無料で見学を許し、写真やビデオ撮影まで許すという方針に共感した。そのことが、海賊分捕り品の展示という前回の印象を変えてしまったのではないかと思う。分捕り品には間違いないとして、それを元の場所に置くよりも、世界の多くの人に広く見てもらえて、保存管理が行き届いているなら、それも致し方ないかも知れないと考えが変わってきた。どちらが人類にとって有用であるかが問題であろう。

その他の市内観光は車窓からだったが、そのほとんどの場所を前回訪れていた。昼食はフランス料理だったが、食べられたものではなかった。ロンドンでは中華料理に限るようだ。

ロンドンからサザンプトンまで、バスで約2時間半の高速道路から見た風景は、トスカーナ地方、ノルマンディー地方とも違う美しさがあった。大きな山はないが、丘陵はあり、ゴルフ場のグリーンに似たところが多かった。牧畜も少しはあり、羊が多く見られた。

サザンプトン港は、清教徒たちが「メイフラワー号」に乗って、アメリカに向けて出航した港であり、タイタニック号が最初で最後の出港したところでもある。飛鳥IIが着岸したすぐ向こうには、クイーンメリー岸壁があった。


◆飛鳥II世界1周航海記 2007年5月23日 (水)

サザンプトンを昨夜22:00に出航し、洋上にいる。ヨーロッパの都市を休み無く廻ってきたので、クタクタで、休息日となってしまった。


▼コメント
投稿 T-baba | 2007年5月28日 (月) 20時32分
> EUに入っていながら、貨幣はポンドとは、、
ユーロが使えないとはけしからんことですね!なんでやねん!って思いました。両替の仕事も遅いし、要領が悪いのは変わりませんね。その点では日本人は優秀ですね。街も昔は真っ黒でしたが、今は少しはキレイになっているのでしょうか。

「レ、ミゼラブル」の感動が伝わってきました。中学の学芸会で、銀の燭台を与える司教の家のメイドの役をしたことを思い出しました(笑)

大英博物館はエジプトから価値あるものを略奪したと言われるたびに「英国が保管し修理し管理したお陰で、いまのコレクションの存在があるのだ」と言うのだそうですが、確かにそうかもしれません。カイロの博物館は規模が小さく、陳列環境もよくありませんから。

フレンチが不味かったとのこと、同感します!アメリカについでベロオンチな国だと勝手偏見を持っています。中華を選ばれたのは正解でしたね。今回は同感ばかり多くて、全て意義ナ〜シ!でした。お疲れをしっかりとってください!

▼コメント
投稿 BOW | 2007年5月29日 (火) 04時48分
> 街も昔は真っ黒でしたが、今は少しはキレイになっているのでしょうか。
 前回よりも心持ちキレイになったているようです。

>レ、ミゼラブル」の感動が伝わってきました。
 良かった! 学芸会でメイドをされたのですか!

>今回は同感ばかり多くて、全て意義ナ〜シ!でした
 ありがとうございます


◆飛鳥II世界1周航海記 2007年5月24日 (木)

リバプールでは飛鳥IIが大型船のため接岸できず、リバプール沖に投錨して停泊し、地元の大型ボートで上陸した。接岸できなかったのは、モルジブのマーレに次いで2回目である。 ここでも上陸が遅れ、「イギリス湖水地方1日観光」はあわただしい出発となった。

湖水地方(the Lake District)はイングランドの北西部、アイリッシュ海に面した地域にある。名前の通り、比較的大きな約10の湖をはじめ、小さいものまで含めると約500の湖が点在する。以前コッツウォルズ(Cotswolds)を訪れた時、その美しい景色に魅せられたので、同じようなものを頭に描いていたが、まったく違うものだった。コッツウォルズが英国の田舎のこじんまりした美しさであったのに対して、こちらは、大自然の美しさだった。湖と丘陵と森、そして点在する小さな村々の風景だった。

まず湖水地方の中心地ウインダミア(Windermere)湖 へ行き、ベアトリクス・ポッターの世界に入館し、ピーター・ラビットに関係する展示を見た。ご婦人方は可愛いと喜んでいるが、私には興味が湧かない。ここで時間をつぶすより、湖岸の道を歩きたいと思った。次は、詩人ワーズワースが若い頃を過ごしたグラスミア(Grasumere)湖周辺へ行き、住んでいた家(ダヴ・ハウス)を眺め、最後は、ケズウイック (Keswick)の小さな街を散策した。

バスから眺める湖水地方の景色は、確かに素晴しかったが、ここは何日間か逗留して、ゆっくり歩いて見るところであり、日帰りで訪れるところではないことがよく分かった。それに比べて、コッツウォルズは、日帰りでも、その美しさを一応は味わうことができると思う。

リバプールと言えばビートルズである。ツワーが終わってからの僅かの時間でも、彼らにゆかりの場所を散策したいと思っていたが、出発が遅れたため、スケジュールが厳しくなり、その上、帰りは渋滞に巻き込まれたことから、帰船が遅れたため、それができず残念だった。


◆飛鳥II世界1周航海記 2007年5月25日 (金)

長い空白が続いたので、BOWの奴ダウンしたのだろう、いままでカラ元気で頑張っていたようだから、と思われているかも分からない(笑)。それも確かにあるが、ヨーロッパの主要な都市への寄港が続き、メモを残すことだけで精一杯だったのも事実。明日のダブリンが終われば、長い長い大西洋の旅が待っている。それまでに、ヴェルサイユ・パリ分を書き上げたので、UPしておく。


◆飛鳥II世界1周航海記 2007年5月25日 (金)

アイルランドの首都ダブリンへの入港は、予定通り8:00に行なわれ、午前中はいつもの通り「ダブリン半日観光」で街の概略を知り、午後からシャトルバスで自由行動をとった。

ツアーで最初に訪れた聖パトリック大聖堂は、これまでヨーロッパで見てきた教会の中で、私は一番美しいと感じた。ダークグレーの石で作られた外壁は、質素だが落ち着きがあり、とてもシックである。私は思わずきれいともらしてしまった。聖堂の内部では、ステンドグラスが、これもこれまで見た聖堂のいずれよりも美しいと思った。フラッシュなしで撮影をしていると、少年の聖歌隊が入場してきて、清楚な美しい声で賛美歌を歌った。その歌声は、この聖堂にまことに似つかわしかった。ヘンデルの「メサイア」の初演がここで行なわれたということも納得できる。また、「ガリバー旅行記」の作者スウィフトはこの聖堂の司祭を務めていたとのことだ。

次に訪れたギネス・ストアハウスは、最上階の7階に、ダブリン市街を360度眺望できる展望台があり、ここでは、作りたてホヤホヤの一番美味いというギネスビールを、1パイント(570ml)試飲できる。普通のギネス・ビールより色がうすく、ココア色をしていて、充分泡だっていた。瓶入りのギネスはあまり好みではないが、こちらは美味かった。売店でギネスのロゴ入りポロシャツを購入したが、妻は恥ずかしいといろいろケチを付けてくれる。

最後は、トリニティー・カレッジという、アイルランドで一番古い大学の図書館を訪れ、8〜9世紀にまとめられた世界最古の書物の一つといわれる「ケルズの書」を鑑賞した。挿絵が何とも言えずユニークで、印象に残った。また、旧図書館の主要図書室であるロングルームは、奥行きが65mあり、図書館所蔵のうちの最も古い蔵書が20万冊整然と収められている。本好きな者にとって、見るだけでたまらない光景である。これらは撮影禁止なので、写真を購入した。

午後は、シャトルバスでダブリンの街を散策し、国立美術館や国立博物館を訪れた。いずれも入館無料であるが、美術館は広く近代的で、展示されている絵画も豊富、この国の文化の水準を感じた。

ヨーロッパのほかの国と比べて、アイルランドは、質素な美しさがあり、静かで控え目で、のんびりしているという印象を得た。ただ、道端に物乞いが多くいて、その人たちが病身に見えず、貧しくも見えないのが不思議だった。 飛鳥IIは23:00にダブリンを出航し、大西洋を航海して一路ニューヨークに向かっている。


◆飛鳥II世界1周航海記 記 2007年5月26日 (土)

久し振りの At Sea を嬉しく思いながら、ヨーロッパの寄港地を訪れて、感じた全般的なことをまとめておこうと思う。

まず、あまり高級とは言えないが、日常的に大切な問題について私の観察結果を報告する。それはトイレの高さである。英国に来るまでの男子小用トイレの位置はどれも非常に高く、背の低い者は、背伸びをしなければならないのではないかと思うほどだった。それを使う現地の人の背が高いかと言うと、決してそうではなく、外人としては低いほうだと思う。169cmの私より背の低い大人をかなり見かけた。

ところが、英国に来てそれが低くなり、小学生でも使える高さになっているのに驚いた。英国は、どちらかというと背の高い男が多い。英国ではトイレの高さが低いだけでなく、トイレの数が多く、ハンドドライヤーの数も多い。 英国までの寄港地は、ほとんどがラテン系民族の多い地域だった。背の低いラテン系では男子小用トイレの高さが高く、背の高い英国では逆である事実をどのように解釈すれば良いのだろう。まさか、この高さでも充分小用ができると見栄を張っているわけではないだろうから、歴史的な習慣の違いなのだろうか?

トイレについて付け加えれば、パリの高級ホテルもロンドンのそれも、ウォッシュレットは皆無であった。これに慣れてしまった日本人は、少々違和感をいだいてしまうが、これは習慣の問題だろう。

もう一つ、日本人とヨーロッパ人の違いを知ったのは、信号のある横断歩道の渡り方で、車が近くに来ていなければ、彼らは信号を無視する。車が来なくても、行儀良く信号を守るのは日本人と中国人の集団だった。

今日の午前中、小澤幹雄氏講演「小澤幹雄のやわらかクラシック(1)征爾とウイーンのオペラ」がハリウッドシアターで催され、船内のTVで生中継があったので、そちらで拝聴した。その中で、小澤家四兄弟の音楽との出会いのお話が特に面白かった。

夕食は越前そば処「越前屋」のそば職人桶谷則雄氏の手打ちそば会席料理を食べた。わざわざ日本から飛行機でやって来てくれるのだから、飛鳥IIはすることが違う。そばは固くて美味かったが、味がうすいと思ったのは、私の味覚がおかしいのかもしれない。そう言えば、最近フォーシーズンズの料理も味がうすめになってきているような気がする。塩分制限をしている乗客からクレームが出たと思うのはうがち過ぎだろうか?


▼コメント
投稿 ヒマジンスキー | 2007年5月29日 (火) 13時57分
BOWさん、いろいろとよく書いて下さいましたね。読むだけでも大変で目がショボショボするのに、本当にご苦労さまです。

立派なキャビンがありながら陸上のホテルに泊まることが多いようで、シブチンスキーは「もったいない」と思ってしまいますが、そこが余裕なのでしょう。

英国は王室も働いているというのもほぼ新発見。シャワートイレだけは日本が先進国なりと喜んでいます。同窓会ではヒマジンスキーが誰であるかがばれていまいました。プロ野球では今、タイガースが弱いです。強打と軽打を使いわけて欲しいものです。

▼コメント
投稿 musi | 2007年5月30日 (水) 00時51分
お元気上々、エンジョイ上々!何よりですと思いながら初めて知る内容にたまげたり、楽しくワクワクしたりと目をこすりながら毎回残さず拝読しています。プリントされたTシャツのところでは思わず「クスッ」としました〜。思いがけない出会いを幾度も体験されたこと、musiも嬉しいーーです。お一人につき10年生命が延びると聞きました!

▼コメント
投稿 BOW | 2007年5月30日 (水) 05時38分
ヒマジンスキーさん 長らくのご愛読ありがとうございました。ようやく8週間が過ぎたところです。続きもどうかよろしく

ヒマジンスキーの正体見破られましたか! とうぜんでしょうね タイガースの情報船、内新聞で見ています、情けない!

▼コメント
投稿 BOW | 2007年5月30日 (水) 05時40分
musi さん musi 語を嬉しく読みました。これもおばあちゃんのおことばですか?

▼コメント
投稿 Ikeda | 2007年5月30日 (水) 13時59分
地中海を出ても、まだ忙しい日々が続いたようですが、これからは、揺れることはあっても、ゆっくり出来ますね。当然の事ですが疲れというものは、年と共に回復に時間がかかってきますので、私も翌日は良くても暫くして疲れがでてくる事がよくあります。お土産を貯めるのは水の節約になるそうなので、結構な事だと思いますが、また忙しくなると予想される帰国後を考えて疲れは残さないようにと願っています。

私たちの話ですが、7月始めにイギリス旅行を予定していて、湖水地方とコッツウォルズにそれぞれ2泊ずつするツアーです。たまたま書かれている事が良い参考になりました。イギリスには私が30年位前に行ったきりで、家内は初めてなので楽しみにしています。

小用トイレについてですが、確かに土地の人の背丈とはあまり関係ないと言うことは私も感じていました。ただ北欧では例外なく高かったと記憶しています。トイレと直接関係ありませんが身長については、中国でもハルピンまで行くと皆、背が高いのに驚いた事があります。「ベルクマンの法則」通り、寒い所では体が大きくなるのは確かで、あちこち移動されるとそれが良く解るのではないかと思います。 少し前のお話ですが、フランスでは信号ではなくロータリー式が多いと書かれているのは私も実感しました。昨年のフランス旅行では南仏からノルマンディーを通って、パリまでバスで移動しましたが、あまりにロータリーが多いので、目が回りそうでした。

また今回の信号無視の話ですが、中国人の集団も信号を守るという事が意外でした。中国やインドでは走っている車の間をすり抜ける必要があるので、我々日本人はなかなか道を渡れないからです。しかし考えて見ると、もともと信号があまりない場合は歩く人も運転者も慣れているから事故にならないので、信号が多くある所では、逆にそれを守るのかなと思いました。

▼コメント
投稿 モナリサ | 2007年5月30日 (水) 17時06分
BOWさん実は飛鳥Uに私達の友人が乗っていらっしゃるのですヨ その奥さんから先程「初めてのメールです〜!」というメールが届きました。飛鳥Uのパソコン教室で教えて頂いたそうです。

さて、先日の「ブタベストで検索したBOWさんのエッセイが白紙でした」という事を書込みましたが、その件についてご報告致します。他国を訪ねてネット検索をする場合はブラウザのエンコードを日本語に変換すれば日本語で見ることができるそうです。反対に日本のパソコンで韓国、中国またはドイツのホームページを閲覧する場合はエンコードを変更すれば文字化けが解消するということも学びました。日本語の入力は日本語辞書(例えばMicrosoft IME)をインストールすれば、入力時に辞書を切り替えすることで入力可能ですが、これはお借りしたパソコンでは無理ですね。

こんな事を書いていると、飛鳥Uって“日本大陸の一部が分離して大海原を移動しているよう〜”という感がしました。お食事は日本食・電圧は100V・それに日本使用のパソコン・・・そして、時折又しばしば一泊旅行に出かける。アポロンの神託で有名な“デルフィー”の村で1泊しましたがその村にもネットカフェがありました。又アフリカ大陸の先端ケープポイントでもメールの看板があり“喜望峰”をバックに写真がメールで送れるというサービスがありました。「目がショボショボする」と言いながらパソコンの魅力にはまっている私です。“飛鳥Uの旅日記楽しみにしています〜♪”

▼コメント
投稿 BOW | 2007年5月31日 (木) 08時08分
Ikeda様、ブログへの初めての書込みありがとうございました。Ikeda様は歌と映画のお好きな私の大先輩です。

>帰国後を考えて疲れは残さないようにと願っています
ありがとうございます。ちょっと、はしゃぎすぎで、またダウンするのではないかとご配慮下さり感謝です。

>湖水地方とコッツウォルズにそれぞれ2泊ずつするツアーです。
どちらもよい所だと思いました。いつもご夫婦仲睦まじく、良いなあと思っています。

>「ベルクマンの法則」
そうですね。

>中国人の集団も信号を守るという事が意外でした
あれはたまたま私たちが信号を守っているのを見て、真似をしたのかも分かりません(笑)。

▼コメント
投稿 BOW | 2007年5月31日 (木) 08時14分
モナリサ さん いろいろ有用な情報ありがとうございます。

>飛鳥Uって“日本大陸の一部が分離して大海原を移動しているよう
そんな見方もできるかも知れませんね。誰もが自分のキャビンを我が家のように思って、帰り着くとほっとするようです。

>飛鳥Uの旅日記楽しみにしています
うれしいコメント、ありがとうございます。今また新しいのをUPしました。そのあとはNYでしばらくUPが遅れるかも分かりませんが、今のところダウンする兆候は見られませんので、NYを楽しんでいると思ってくださいね(笑)。

▼コメント
投稿 団野迪昭 | 2007年6月18日 (月) 23時57分
お元気で世界一周を楽しんでおられるようですね。6月16日に阪大一外30年会があり内藤先生、堀口先生、浜中先生にお会いしました。いつになく盛会でした。私は相変わらずで毎週ペインクリニックに通っています。娘が眼科クリニックをオープンしますので、孫の面倒を家内が見たいと申しますので20日に和歌山に転居します。残りの旅お元気でお過ごし下さい。

▼コメント
投稿 BOW | 2007年6月19日 (火) 07時06分
団野迪昭先生、お久しぶりです。コメントありがとうございました。30年会、盛会だったとのこと、良かったですね!昨年は幹事をして大失態で冷や汗をかきました(笑)。毎日ペインクリニック通いは大変ですね、早く良くなられることを祈っております。世界一周クルーズも残りわずかとなりました。何とか楽しくやっております。お元気で!!


◆飛鳥II世界1周航海記 2007年5月27日 (日)

昼食時に小澤幹雄氏とたまたま相席となった。征爾氏によく似ていらっしゃるが、人懐っこい気さくな方で、四人兄弟の末っ子でいらっしゃる。私はネズミ、幹雄氏はウシ、征爾氏はイノシシで、同じ世代のため、国民学校をはじめ、敗戦直後の生活など話が弾んだ。

今日は4回目のフォーマルナイトである。最初は気を使い、2回目はちょっと気取ってみたりもしたが、4回目となると、私も妻も、もうメンドクサイというのが正直な気持だ。私にはカジュアルが一番性に合っている。名刺交換も64名になり、一応整理はしているが、こちらも正直煩わしく思うようになり、食事も二人用の席を見つけようとすることが多くなった。

前回ヨーロッパの感想をまとめてみたが、ちょっと対象のレベルが低かったので、今回はレベルアップをして、緯度についてまとめておきたい。 ヨーロッパの国の緯度がかなり高いとは思っていたが、調べてみたら予想以上だったので驚いている。寄港地の緯度は持参の地図によるとだいだい以下のようになっている。これを実感できるように、同じ緯度の日本の地名も調べて併記した。

ヨーロッパ  緯度  日本
リバプール  53度
ダブリン   53度
アントワープ 52度
ロンドン   51度  樺太
パリ     49度
オデッサ   46度  宗谷
コンスタンツァ44度  旭川
ボルドー   44度  知床
フィレンツェ 43度  札幌
マルセイユ  43度  札幌
イスタンブール42度  函館
バルセロナ  41度  津軽
オポルト   41度  津軽
ピレウス   38度  佐渡
バレッタ   36度  福井

ヨーロッパの寄港地で、一番南にあったマルタのバレッタが福井市の高さで、情熱の国スペインのバルセロナは津軽半島、フィレンツェは札幌、パリ、ロンドンは樺太の中央部に相当するのだ。ビートルズのリバプールや、アイルランドの首都ダブリンは、樺太の北端に対応する。

これまでヨーロッパを旅行する度に、いつまでも明るくて、夜になるのが遅いのが不思議だった。それも、これほど緯度が高ければ当然である。緯度が50数度以上の地域には、白夜が現れるとのことだが、ダブリンやリバプールは、それに近い高緯度にある。ヨーロッパの夜がなかなか来ないもう一つの理由は、夏時間が採用されていて、時計を1時間進めていることも関係している。

ヨーロッパは高緯度の国で、夏の昼が長いということは、冬の夜が長いということである。このことから、彼らが、なぜあれほど太陽を求めるのかが、よく理解できた。

しかし、逆に緯度では説明がつかないことがある。それは気温だ。ロンドンやパリが、樺太中央部に相当する位置であるのに、例えば、5月の平均気温は最高摂氏19度、最低が10度で、日本とあまり変わらない。調べてみると、これはメキシコ湾流の影響によるものだと分かった。メキシコ湾流というのは、大西洋の世界最大の海流で、太平洋の黒潮のように暖流である。海の力の大きさを改めて知った思いだ。


◆飛鳥II世界1周航海記  2007年5月28日 (月)

英国という国は分かっているようでよく分からない。複雑怪奇とまでは言わないが、とにかくヤヤコシイ。そこで、自分のために、現在の英国についてまとめてみた。 現在の英国は、大ブリテン島とアイルランド島の一部から成っている。大ブリテン島は南部のイングランドと西部のウエールズ、北部のスコットランドに分かれる。

歴史的には、イングランドがウェールズ、スコットランド、アイルランドを順次併合し、海外に植民地を建設して、本国と植民地を合わせて大英帝国(British Empire)と称した。その後、北の一部を除いて、アイルランドが独立し、各植民地も独立して、現在の英国に至っている。英連邦(British Commonwealth of Nations)というのは、英国と旧英国植民地から独立した諸国で構成される、ゆるやかな連合体で、50国が加盟している。

私たち日本人は、「英国」とか「イギリス」と呼んでいるが、公式名は「グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国(United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland )」で、略称は「UK(the United Kingdom)」である。

また、英国人とかイギリス人と言うが、「English」というのはイングランド出身者で、ウェールズ出身の者は「Welsh」、 スコットランド出身者は「Scot」と言い、「English」と言われるのを嫌う。「British」と言えば、ウェールズやスコットランドも含むが、北イングランドは含まれない。そこで、連合王国全体の国民を指すことばは、 a person from the UK とか a UK citizen しかない。

「英国」というのは、イギリスを江戸時代にエゲレスと称し、「英吉利」と当てたことから来ているとのことだ。なぜ、イギリスというのか、イングランド、イングリッシュとの関係はどうなのか、などはよく分からない。


◆飛鳥II世界1周航海記  2007年5月29日 (火)

午前中小澤幹雄氏の「やわらかクラシック(2)」の講演があり、征爾とロストロポーヴィチとの親交や、ボストンでの30年の日々を中心に話された。特に印象に残ったのは、小澤征爾の何ごとにもアクティブに生きる姿だった。

また、お母様が、桐朋学園を創設した斎藤秀雄と又従兄弟であり、斎藤秀雄の父は「英和中辞典」を著した斎藤英三郎であることを知って、わが国のそれぞれの分野での文化の偉大なる存在が結びついていることに感動した。

今夜はインターナショナルナイトが催された。これは、さまざまな国のエンターテイメントを乗客が演じて、楽しもうというもので、出場者募集の案内がアスカデイリーに載ったところで、イタリアチーム(カンツォーネ)に応募した。というのは、飛鳥IIに載ってから、大声を張り上げて歌う機会がない。カンツォーネなら、それができるだろうと思ったからだ。

定員15名で締め切られ、出場を許されて、頂いた案内文によると、曲目は「フニクリ・フニクラ」、1番目は皆で斉唱、2番目は振り付け中心だという。私は、例えば「帰れソレントへ」のような朗々とした歌を予想していたが、このような忙しい歌で、しかも振り付けまですると知って、できれば辞退したかった。しかし、それも男らしくないので、しぶしぶ練習に参加した。

私たちイタリアチームのメンバーは女性10名、男性5名の総勢15名で、指導はクルーズスタッフの元気な二人のお嬢さんである。最初はどうなるのかと思うできばえだったが、3回の練習で少しづつ慣れて上達して行った。まるで幼稚園のお遊戯会のような振り付けだが、年を取ればこどもに戻るというし、このぐらいのことしかできないのだから、なんども間違いながらマスターをして行った。

カンツォーネで応募したと言うのに、皆の声は小さく遠慮がちである。私が好きなだけ声を出せば、目だってしまい、反発されそうに感じたので、練習中は4割くらいの声に抑えておいた。

当日のリハーサルの会場は、本番と同じギャラクシーラウンジ、プロのエンターテイナーが使う舞台である。これまでなかったマイクが、4台並べられている。たくさんの照明が取り囲み、正面の操作室では、いろいろな指示や打ち合わせが飛び交っている。

嬉しくなって、もう目立っても構わないと、8割くらいの声で歌った。ほかのメンバーも、いつもより大声を出しているようだった。振り付けも間違わず、うまくまとまった。 指導してくれた二人のお嬢さんは、今日が一番素晴しいと感心してくれる。これが本心なのか、激励のリップサービスだったのか分からないが、私は本心と解釈した。激励だとしたら、その効果は抜群だった。

本番では、服装は女性が白い上着に黒のスカート、男性は白のズボンに支給された赤、青、緑、黄色の太い縦じまのシャツを着た。男女とも、身体に緑または赤のスカーフを付け、手には反対の色の赤または緑のスカーフを持って勢ぞろいした。出番まで、楽屋を使い、小道具に囲まれ、もうプロ気分である。 こんどは大声を上げて、思う存分歌おう、目立っても構うものかと、9割くらいの声を出した。爽快である。

嬉しくなって、客席にいらっしゃる知人に向かって、オーバーに赤のスカーフを振りながら、舞台を半周し、振り付けの場面を楽しんだ。イタリアチーム応援の観客は、イタリア国旗の小旗を振って応援してくれる。リハーサルよりも上出来だった。司会者に感想を聞かれたスタッフは、本番が最高と手放しで喜んで答えている。

どういうわけか、私にもマイクが向けられた。 「楽しかった。けれど、ちょっと恥ずかしかった」と殊勝に答えたら、「恥ずかしいなんて、嘘でしょう、大きな声で堂々と歌っていらしたですよ」と言われる。なんでそんなことを知ってるのかと、質問者をよく見たら、私たちの指導スタッフのもう一人のお嬢さんだった。そういえば、大きなつけ鼻と眼鏡に口ひげをつけて、この人は私の隣で、小さな声で歌っていたのだった。

この日のプログラムは1)ベリーダンス(トルコ)、2)フォークダンス(ギリシャ)、3)カンツォーネ(イタリア)、ビートルズリズム隊(イギリス)、5)ミュージカル・マンマミーア(アメリカ)だった。それぞれが特訓を受け、楽しいお遊戯をご披露した次第である。

終了後、それぞれのチームごとに、写真撮影が行なわれた。私たちチームへのご褒美は、首からつりさげることのできるボールペンと、使った赤と緑のスカーフで、縦じまシャツは返却した。 航海中の日が続くと、このような催しをして、気分転換が図れるように、船の方で心配りしてくれているようだ。部屋に戻って間もなく、記念写真入りの礼状が部屋に届いた。その中に、キャプテンのにこやかな顔も写っている。キャプテンもお忙しいことだ(笑)

今日で航海8週目を終えた。56日が過ぎたことになる。残りは45日となってしまった。間もなくNYだ。はじめて訪れるので楽しみだ。


▼コメント
投稿 シブチンスキー | 2007年5月31日 (木) 13時47分
各地の緯度と対応する日本の地名、興味深い観察ですね。最初は対応する日本の地名がないのでオヤっと思ったが当然のこと、日本はそんな上まで領地を持っていないのだ。ボルドーが知床でマルセーユが札幌とはヒルマン監督ならずとも、「シンジラレナーイ!」。

海流との関係は日本にもあって、新潟市あたりよりも佐渡島のほうが対馬暖流の影響が強くで暖かいと聞く。

あれだけいろいろ楽しんでいるBOWさんなのに、2人席を望んだり、面倒くさくなったりさなっている。その良し悪しは別にして、BOWさんって率直な方ですね。BOWさんの記事が面白いのは率直さにあると分かりました。こちらはヒマでなくなってきたので改名しました。

▼コメント
投稿 BOW | 2007年6月 1日 (金) 00時18分
シブチンスキーさん 改名の件しかと承りました。まさか、イソガシスキーさんになられたわけではないでしょうから、ご愛読継続のほどよろしくお願い申し上げます(笑)。

緯度のことビックリされたでしょう! 書いた本人がビックリしました。私が素直かどうかですが、自分と妻のことは素直に書いているつもりで、妻はもうあきらめているようです。

しかし、他人のプライバシーに関わることは書かないように注意しています。その点では素直でありません(笑)。

▼コメント
投稿 さくら38 | 2007年6月 1日 (金) 16時18分
お元気でご旅行なによりです。しばらく東京に行っている間にたくさんの書き込み、読んでいるだけでもすごいのに、いろいろ詳しく、ただただ驚きばかりです。

私の体験、友達からの話、そしてBOW先生のブログと私の頭の中では濃密なる旅をしている気分です。かなりの所を回られてまだ後45日、どうぞお体を大切に(いらぬ心配でしょうか)。これからも楽しみにしています。

▼コメント
投稿 | 2007年6月 1日 (金) 22時27分
さくら38 さん、こんにちは! 航海記お読みいただき嬉しいです。
明日早朝自由の女神の横を通って、ハドソン川を遡り、NYの90番岸壁に7時に着岸予定です。ちょうど50Streetあたり、絶好の場所です。出港が翌日午後11時なので、船上から摩天楼の輝きを撮影できそうで、楽しみです。


◆飛鳥II世界1周航海記  2007年5月30日 (水)

キャプテンの朝の船内放送で、タイタニック号沈没現場近くを通過するとの情報とともに、氷山が本船の300km前方にあり、充分に注意をして航行しているとの話に正直驚いた。一つは、沈没現場がNYのまぢかであったこと。もう一つは今でも氷山がこの近くまで漂流していることだった。

キャビンのTVで現在の航路図を見ると、ダブリンとNYの間の、NY側に30%近い位置である。書物で調べると、タイタニック号は北大西洋ニューファンドランド沖で沈没とあるが、航路図ではニューファンドランド島より600kmも南で、ほぼNYの緯度に当る。そして、現在も氷山が近くにあるという。

タイタニック号の映画は見たが、もう一度見たいとは思わなかった。しかし、このクルーズで、あの船がリバプールで建造され、サザンプトンから出港し、大きさが4万6千トンで当時世界最大の客船だったこと、飛鳥IIもほぼ同じ大きさの5万トンで、リバプール、サザンプトンを寄港して来て、遭難現場の近くを航海している。そして、96年後の今も、前方に氷山があると知ると、タイタニック号遭難が急に身近に感じられるようになった。

夜は、シャブリを開けるので付き合ってくれないかとのお誘いを頂き、アルコールは会話が最高の肴であることを改めて確認できた楽しい夕食だった。つい、ビール飲みしてしまいそうになるのを、監視役がしっかり見張ってくれているので、ご機嫌なまま無事終了した。ワイン音痴の私であるが、このワインはさっぱりとした辛口で、飲みやすかった。


◆飛鳥II世界1周航海記 2007年5月31日 (木)

ダブリンを出港してから、3個の低気圧に見舞われ、船の揺れは大きく、船酔い続出のようだった。幸い、私たち夫婦は船酔いにならず、ありがたかった。よくメニエル症候群で目を回していた妻が、ここでは大丈夫なのだから、分からないものだ。私の好きなグランド・スパも、中央の大浴槽は、湯が浴槽から飛び出して危険なので、水を抜かれている。両サイドのジャグジー風呂はいつも通りで、入浴に差し支えはないが、真中が湯なしでは、異様な感じがする。

今日はその3つの低気圧を乗り越えたので、久し振りの快晴で気持が良い。海、空、雲のどれもがこんなに美しいとはちょっとした驚きだ。やはり快晴は良い。水平線近くに、見たことのない形の雲がたくさん並んでいる。それを見て妻は「イレウスの水平像に似ている」と言う。そういえば、確かに、イレウス(腸閉塞)の時のレントゲン写真の特徴的な形にそっくりだ。しかし、それではあまりに情緒がない。長年私のアシスタントをしてきたので、即物的になってしまい、詩的な発想ができなくなったとしたら、責任は私にあるのかも分からない。


◆飛鳥II世界1周航海記  2007年6月01日 (金)

朝6時半に目を覚ますと霧で視界がまったく不良。このような霧はクルーズで最初の経験だ。飛鳥IIもずいぶんスピードを落としている。朝食を終えた頃には霧も消えていたが、ダブリンを出てから天候にはあまり恵まれていない。

小澤幹雄氏の3回目の講演が終わって、偶然先生と一緒になり、ビストロというカフェでお話をして、昼食もご一緒した。2回目の講演で、小澤征爾氏が桐朋学園を創設した斎藤秀雄氏とご親戚で、その父は「英和中辞典」を著した斎藤秀英三郎であることを知った。その時、英文学者と音楽家というまったく違う分野で超一流の人物が生まれた理由は何だろうかと疑問に思ったと申上げたら、「征爾は、斎藤親子には優れた分析力と総合力がある。英文学者の斎藤秀三郎はもちろん、斎藤秀雄も、ものすごく分析をし、理論立てる先生だった。分野が違ってもその点では同じだったと述懐していたことがある」と話して下さった。それにまったく納得をした。


◆飛鳥II世界1周航海記  2007年6月02日 (土)〜03日(日)

いよいよNYである。アメリカは、いろいろな意味で一番影響を受けた国でありながら、はじめて訪れる国であるのが我ながら不思議だ。NYを良くご存知の方は多く居られることと思う。このクルーズで2日間、私なりにNYを楽しんだが、間違いのご指摘や、アドバイスをいただければありがたい。

また、NYは2日間をまとめて記録して置くことにした。時間的な経過を追うより、テーマごとにまとめる方がまとめ易いからである。テーマは、1.地理、2.入港、3.入国審査、4.徒歩観光、5.車窓観光、6.ショッピング、7.ミュージカル鑑賞、8.出港、9.まとめ、に分けたが、実際に歩いて体験した4.徒歩観光が中心になっている。

NYは、クルーズでは一番予習をしておいた都市で、見たい場所はできるだけ歩いて確かめ、ツアーバスの窓外見学で満足できない場所は、改めて別に歩いた。そのためにタクシーをフルに利用した。

1.地理
NYの概略を理解するのに必要な最低限の地理をまとめてみた。 大西洋に面したスタテン島(西側)とロングアイランド(東側)の間を通って北に上ると、マンハッタン島がある。この島の西側をハドソン川、東側をイースト川が流れている。ニューヨーク(NY)市は5つのブロックからなるが、中心はマンハッタン区(マンハッタン島)で、そのまた中心は、ミッド・タウンとローワー・マンハッタンである。

NYの道路は南北に走るAvenue(番街)と東西に走るStreet(丁目)に分かれ、Avenueは東から順に1番街(1st Ave.)から12番街 (12nd Ave.)までの道路があり、Streetは南から北へ順に、1丁目 (1st St.)から155丁目(155th St.)までの道路がある。この2種類の道路によって、NYはどこまでも整然と四角に区画されている。その街区を南東から北西に向けて斜めに貫いているのがブロードウエイ(Broadway)で、これはネイティブ・アメリカン(インディアン)の使っていた道である。

ミッド・タウンというのは、34丁目から59丁目を言い、ローワー・マンハッタンというのは、1丁目よりも南の東西に走るハウストン通り (Houseton Street)より南の地区を言う。ローワー・マンハッタンには、ウォール街やソーホーなどがある。摩天楼群はこれらの二つの地区に集中している。

2.入港
飛鳥IIは6月2日午前5:40に、スタテン島とロングアイランドを結ぶヴェラザノ・ナローズ橋の下を通過し、6:00には左舷側に自由の女神像を見ながら、ハドソン川を北上し、7:00に90番埠頭(Pier 90)へ着岸した。ここは50丁目(50th St.)の位置に当る。 ダブリンを出てから、大西洋はおおむね曇りか雨で、3回も低気圧に襲われたため、あまり快適とは言えなかったが、NY入港のころから晴れ間も見え始めた。

自由の女神像、ウォール街の摩天楼群、さらには、ミッドタウンの摩天楼群を順に目にする度に、NYに来たという実感が湧いてくる。しかし、大いに感動するというほどではない。

3.入国審査
米国の入国審査が厳しいことは、以前から何度も聞かされていたので、どのようなものか興味があった。飛鳥II乗船者は、上陸の有無に関わらず、全員入国管理官の対面審査と、生体認証を受ける必要がある。乗船客だけでも730名いるのだから、すべてが終了して、上陸できるまでに2〜3時間はかかるだろうとの予想が、船側から知らされていた。私たちは早めに並んだので、8時40分頃に審査は終了し、9時には上陸できた。

対面審査とは、入国管理官にパスポートを提出し、それをコンピュータのモニターでチェックされる。次に、生体認証として、まず左右の人差し指の先をガラス板の上に載せると、指紋が採取される。皮膚の乾燥している者は、湿潤用のクリームを付けさせられる。それが終わると、ゲゲゲの鬼太郎に出てくるお化けの目玉のようなカメラを向けられ、これですべてが終了する。予想していたよりも簡単で、あっけなかった。

4.徒歩観光
A.セントラルパーク周辺
1)メトロポリタン美術館
NYで真っ先に訪れたのがこの美術館である。膨大な展示物を短時間で見ることは不可能であり、ギリシャ・ローマ美術を観た残りの時間を、エジプト美術の鑑賞に費やした。ギリシャ・ローマ美術では、古代ギリシャの壷がルーブル美術館、大英博物館や以前訪れたアテネの考古学博物館のいずれよりも、はるかに多く展示され、それが素晴しくて圧倒された。

エジプト美術では、カイロ国立博物館、ルーブル美術館、大英博物館と比べて、大きな彫像は見られなかった。その代わり、精巧な、あるいは華麗な展示物が多く見られた。特に、エジプト壁画の数は、ここが圧倒的に多く、また上質で、思わず美しいと嘆声をあげることが多かった。贅を尽くして蒐集した美しいものを、美しく分かりやすく繊細に展示しているという印象だった。一度全部を見終ってから、特に気に入ったものを写真撮影した。

私がエジプト美術に魅せられた原点となる壁画をここで発見し、あ〜これだ!と感激した。どこかに書いたような気がするが、高校1年の美術の時間に、素焼きの湯呑み茶碗に絵を画いて、それを窯で焼いて湯呑みを制作する授業があった。私はその時ためらわず、その頃の美術書で見たエジプトの壁画を模写して、湯呑みに画いたのだった。それは、今も私の本棚に飾ってあり、私にとっては大切な思い出の宝物の一つである。

その壁画に対面したのだ。あの絵がここにあったのだと知って、もう嬉しくって嬉しくって、しっかり写真に収めておいた。 世界一周クルーズでは、同じ対象について、印象が残っている期間内に比較鑑賞することができるという大きなメリットがあることを改めて認識した。

2)リンカーンセンター
メトロポリタン美術館の次も、迷うことなくリンカーンセンターを訪れた。ここには、メトロポリタンオペラハウスがある。ここで撮影されたオペラを何度か観たことがあり、観劇は無理だとしても、建物だけでもこの目で見ておきたかった。シンプルで近代的なこの建物は、中に入ってもモダンだった。それを取り囲んで劇場、音楽堂、少し離れてジュリアード音楽院がある。ここは音楽関係のメッカと言えるだろう。

3)セントラルパーク(ツアーの自由時間)
マンハッタンの中央部、ミッドタウンの北側にセントラルパークがある。東西約800m、南北約4kmの長方形をなしている。ここをツアーの自由時間に散歩した。中に入ると、思っていたよりも美しくはなく、こどもの遊園地を大きくした感じがしないでもない。ロンドンのハイドパークとは雰囲気が違う。良くも悪くも大衆の公園であった。もちろん、歩いたのは南東の端から北へ1kmばかりを往復しただけなので、もっと歩けばきれいなところに行けたのかもわからない。

B.ミッドタウン
1)カーネギー・ホール
私が若かったころ、カーネギーホールは音楽の殿堂だった。ところが、オヤッと思い始めたのが、確かIジョージが、ここでリサイタルを行なったころからだと思う。私は彼のファンで、歌の上手さは当時の歌手の中でも抜群だと思っていたが、その彼でも、カーネギーホールは格が違うと思っていたのだった。しかし、その後、まさかと思う歌手が、ここで歌うようになり、カーネギーホールの斜陽を感じていた。

タクシーが横付けしてくれたカーネギーホールは、思っていたよりもこじんまりした建物で、中に入るとチケットはいらないかという男に話しかけられた。ここには、かっては存在していたであろう栄光を感じることができなかった。日本の演歌歌手が歌って箔をつけるのに適当なホールというところかもしれない。

2)トップ・オブ・ザ・ロック(ツアー)
ロックフェラー・センターは、マンハッタンの中心部を占める19個の高層ビル群で、5番街から7番街、47丁目から52丁目という広大な面積を占めている。このビル群で働く人間の数が6万人というから、まさに「都市の中の都市」である。しかも、それが1930年代に既にできあがっていたのだから、驚異以外のなにものでもない。

このビル群の中心となる、RCAビルの70階の展望台より、マンハッタンを眺望した。セントラルパークもエンパイヤステートビルディングも間近に見ることができる。素晴しい。残念なことには、息子が一番気に入っているクライスラービルディングが「Metlife」という名前のついたビルに一部が隠されて、美しい尖塔の一部が見えないことだった。

3)セント・パトリック大聖堂
ダブリンで感動した一つがセント・パトリック大聖堂だった。NYでも同じ名の大聖堂があることを知って、5番街にあるこの建物の外観を見た。NYで一番大きな聖堂はパリのノートルダム寺院に似た雰囲気があり、美しいとは思ったが、ダブリンの大聖堂とは違ってあまり感動はなかった。それは、NYの雑踏の中を長時間歩いて疲れていたせいかも分からない。そこで、外観の写真撮影だけで済ませ、中に入ることをしなかった。

航海記をUPする度に、詳細な感想をメールで送ってくれる友人から、5番街の聖パトリック大聖堂は荘厳で立派だったので、訪れるようにとのアドバイスをもらったが、外観を見ただけで終えてしまっていた。あとで、この聖堂の内部に入った飛鳥IIの乗客から、内部が素晴しく、特にステンドグラスが見事だったと聞いたが、残念ながらあとの祭りだった。

友人のメールを読んだ夜、私はなんども目を覚まし、眠っている中でも、ダブリンで見た1m足らずの彫像群を思い出していた。ダブリンで、シャトルバスに乗って市内の中心部に向かう途中の川沿いに、その彫像群はひっそりと立っていた。これは、かって大飢饉があり、ダブリンの人口の3分の1が餓死したメモリアルだと現地の日本人ガイドの説明を受けた。このことは、観光ガイドのどこにも載っていない些細なことだが、たまたま信号待ちになったので話してくれたのだと思う。

その彫像群が気になって、ダブリンの歴史を調べて行くと、1845年にアイルランドで大飢饉があり、ここを征服していたイイギリス政府の対応が悪く、数10万人の命が失われ、100万人以上がアメリカなどへ移住したことを知った。そのアイルランド人が、故国の守護聖人の名の付いたセント・パトリック大聖堂をNYに建立したのだろう。

ダブリンに行って、私はすっかりアイルランドが好きになったしまった。映画「静かなる男」のジョン・フォード、ジョン・ウェイン、モーリン・オハラのいずれもがアイルランド系だった記憶があるが、間違っているだろうか?

4)タイムズ・スクエア
タイムズ・スクエアというのは、もとNYタイムズ社のビルがあった広場で、ブロードウエイと7番街が交差する地点にある。ここは、現在「ブロードウエイ・ミュージカルの中心地」であり、「最新のファッションのショーウインドウ」でもある。いかにもアメリカらしい、派手な巨大広告がひしめき合って、これ以上目立つことはできないと思わせる場所だ。ここを、44丁目から46丁目まで歩いた。ゴタゴタした活気溢れる街だった。

5)クライスラービル
クライスラービルでタクシーを停めてもらったが、真横では良く分からないので、少し離れて見上げて見たら、道路を挟んだ向かい側のビルだった。ビルが周りに立ち並んでいて、全体を見通せる場所がない。一応、他のビルに一部を隠されながら、あの特徴的な尖塔のある部分を写真に収めた。後で観光ガイドに載っているこのビルの写真を調べたが、他のビルに隠されずに全体が写っている写真はなかった。 このビルに入ると、入ったすぐのところに綱が張ってあり、これ以上の進入は禁止との表示に苦笑い。写真撮影は禁じてないようなので、内部を写真撮影しておいた。

6)国連本部(ツアー)
エンパイアステートビルや、RCAビルの70階の展望台に登るにも、セキュリティーチェックはあったが、国連本部の内部に入るには厳しいセキュリティーチェックを受けなければならなかった。通常の手荷物検査だけでなく、ズボンのベルトに付いている金属バックルも駄目だというので、男性はほとんどベルトを抜き、不安定な状態のズボンを気にしながら順番を待つことを余儀なくされた。

内部に入ると、移動できる範囲で、これほど厳重な警戒が必要な場所はどこかなのかと思ったが、テロリストにとっては、国連本部の一部でも爆破するということは、宣伝効果があるのかもしれない。

シャガールのステンドグラスが有名のようで、一応写真に収めておいたが、私の好みではない。歴代の国連事務総長の肖像が並べられている。妻が好きなアナン事務総長のポートレートの横に立たせて、記念撮影をした。ショップでも欲しいものは余り無く、お笑い召さるな、「First Encyclopedia of Our World」という小学生向けの図解たっぷりの本を購入した。クルーズでは、小学生程度の地球に関す知識が必要なことが多く、知識のおさらいと確認のために重宝しそうだ。

国連本部の向かいにはニューヨーク・ヤンキースの松井選手が家賃月140万円で住んでいるという高層アパートが聳え立っている。1階部分には金が貼り巡らされていて、趣味が良いとは言えない。

7)エンパイアステートビル
エンパイアステートビルの展望台に上がるには、3時間待ちだと聞いていたので、外観だけを撮影するつもりでいた。しかし、中に入ってみると案外空いているようなので、上がることにした。結局は1時間くらいで展望を終えることができた。 80階の展望台は、ガラス越しでなく直接眺望できるので、写真撮影に適しているが、観光客が群がっていて、自由に位置を変えて360度撮影するのは困難である。

そこで120階に登った。ここはガラス越しの眺望であるが、観光客が非常に少なく、また尖塔部分に当るので面積が少なく、360度の移動が簡単で、撮影し易い。 ここからNY全体がよく観察できる。NYの下調べをかなりしてきたので、説明がなくてもほとんどが理解できた。夜にここへ登った飛鳥IIの乗客は、待ち時間ゼロで、夜景がきれいだったと話していたが、私としては、NYの俯瞰図が分かり、それを記録できた昼間の方が良かったと思っている。もちろん、それは何を求めるかという個人の問題になるのだが、、、

C.ローワー・マンハッタン
1)サウス・ストリート・シーポート(ツアー)
ウォール街の東側の海べりに、サウス・ストリート・シーポートがある。古い港の町並みをそのまま残し、ウォーターフロントとして再開発された街で、帆船が係留され、ショッピングモールの建物がある。神戸のモザイクに似ていると思った。ここからは、イースト川を挟んで対岸のブルックリン地区が良く見えるので、日本人ガイドは絶好の写真撮影場所だというが、そんな風にも思えない。ただ、ブルックリン橋やその上流にあるマンハッタン橋を写すのには向いている。

ここで昼食となったが、イタリアにいるかと陰口を叩きたくなるほどのスローテンポで、ボリュームタップリの典型的なアメリカ料理が提供され、デザートはないというので、呆れてしまって腹も立たなかった。

2)ブルックリン橋(ツアーの自由時間)
日曜日のため交通渋滞がなく、予定より早くサウス・ストリート・シーポートに到着したため、1時間の自由行動時間が与えられた。そこで、私たちはブルックリン橋を渡ることにした。ガイドは往復1時間くらい必要だというが、橋のたもとまで到着するのにもかなり時間がかかりそうなので、時計を見て途中で引き返すより仕方がない。1882年にこの橋が完成した時には、世界で最長(1825m)、最高(83m)だったという。

この橋は、両側が自動車専用、中央が自転車用と歩行者用の3つに分かれている。 橋のたもとから、川までの陸上部分の距離は川幅以上に長い。橋の中央近くまで来たところで時計を見て引き返した。人が歩いているところを通ったが、北側半分を歩く人が少ないので、そちらを歩いていると、自転車が私たちを避けてくれる。しかし、間もなく自転車に乗った若い女性に怒鳴られてしまった。それによって、北側が自転車専用であることを理解した次第。以前ドイツに旅行した時、自転車道の上で立ち止まっていて、自転車に乗った男性に厳しく叱られたことを瞬間思い出した。

後で現地ガイドに、ブルックリン橋の途中まで渡ってきたことを話したら、NYの人間でもこの橋の渡り方をあまり知らないと感心された。

3)バッテリー公園(ツアー)
マンハッタンの最南端にあるバッテリー公園で、トイレ休憩をした際に、前方に見える自由の女神像などを撮影した。ここからは自由の女神像のあるリバティー島行きのフェリーが出ているが、乗船客が長蛇の列をなして並んで、公園を埋め尽くすほどだったのには驚いた。アメリカ人にとって、それほど人気があるということなのだろう。

5.車窓観光
1)ロックフェラーセンター(ツアー) ここはNYの「心臓」に当る広場だ
2))グリニッジ・ビレッジ(ツアー) 作家や芸術家が多く住んでいる街
3)ソーホー(ツアー) アートとファッションが楽しめるオシャレな街
4)チャイナタウン(ツアー) 中華街特有の活気が感じられる街
5)トリニティー教会(ツアー) NY最古の教会、ダブリンに同名の教会がある
 アイルランド人には聖パトリック大聖堂とともに大切な教会
6)グラウンド・ゼロ(ツアー) 2001年9月11日に崩壊した世界貿易センター跡地
 建設工事が進行中である。

6.ショッピング
NY徒歩観光をすることにしている上陸初日には、最初に私が行きたいところを歩き、最後は妻の一番好むショッピング街の散策をする予定を立てていた。それをほぼ守ることができたので、夫婦ともにかなり満足している。

1)5番街
5番街は、マンハッタンの中央を南北に走り、世界の一流ブランドが最も多く出店している、華やかな目抜き通りである。私たちは、タイムズ・スクエアから、46丁目を東に歩いて5番街に達し、そこから5番街の46丁目を北に上り、61丁目まで歩いた。その間、妻の望むショップには、全部付き合って入店した。大阪では、妻のウインドウショッピングに付き合うことは全くと言って良いほどないのだが、今回は、最初が私本位の行動だったので、最後は妻に妥協をしたというのが正直なところである。

61丁目から、東に歩いてマジソン街に至り、ここを57丁目まで南下して、そこから西に向かい、再び5番街を54丁目まで散策した。

2)マジソン街
5番街の東側を並行して南北に走るマジソン街は、5番街とともに高級ブランド店が集中していて、両方を合わせて「ブランド通り」と呼ばれるほどだ。ここを61丁目から57丁目まで歩いた。 5番街とマジソン街を散策し、ブランド店に入った印象では、大阪の北のハービスエントやヒルトンウエストにあるブランド店の方が、大きく豪華であると思った。妻も同じように感じたらしい。それは、アメリカ系のブランドである「コーチ」とか「コール・ハーン」でも同じだった。そこから推量したことは、日本人のブランド志向がどれほど大きいか、その程度をこれは表しているのではないかとということだった。

7.ミュージカル鑑賞(ツアー)
上陸初日の夜、ミュージカル「美女と野獣」を観た。数年前に、劇団四季の演ずるこのミュージカルを観た時には、華やかで美しいおとぎ話と感じた記憶があるが、本場ブロードウエイ・ミュージカルでは、どう演じられるのか興味津々だった。また、ロンドン・ミュージカルの「レ・ミゼラブル」は、これまで観たミュージカルの中で最高のものだったので、ロンドンとブロードウエイとの違いも知りたかった。

劇場「ラント・フォンテーン」はロンドンの劇場より少し広く、座席は前から15列目の中央で、それほど悪くはない。観客の落ち着きがなく、ざわつく感じがするが、気になるほどではない。 ミュージカルは華麗で、歌も演技も演出も上手かったが、感動は少なかった。これはアメリカのミュージカルだと思った。野獣までもコミカルで、観客の爆笑、苦笑を絶えず呼び、コメディーでないかと思うほどだ。観客もそれを大いに楽しんでいるが、行儀も悪い。私たち夫婦には少々期待外れであったが、非常に良かったと興奮している飛鳥IIの乗客もいて、人さまざまだと思った。良くも悪くもアメリカのミュージカルだった。

この劇場を昼間のタイムズ・スクエア散策の際に見ているが、ミュージカルを終えて見たこの劇場は、これが同じ劇場かと思うほどきらびやかで、その変貌ぶりに目を見張ってしまった。周辺もそれ以上の変わりようで、電光きらめく不夜城の様相を呈していた。

8.出港
出港は23:00、輝くように点滅する摩天楼群の夜景を見たかったが、あいにく激しい雨で視界が悪く残念だった。ミッドタウンの摩天楼の光が少なかったのは日曜だったせいもあるかも知れない。それに比べて、ローワー・マンハッタンの摩天楼は光の量が多かった。雨に濡れながら、写真とビデオを撮り続けた。雨のNYの夜景にも、これまでに見てきたNYの夜景とは違ったおもむきがあり、それはそれで良いものだった。

9.まとめ
NYは期待していた以上のものでも、期待していた以下のものでもなかった。大いなる感動、驚きがあったわけでもない。しかし、時代を思うと深い感動がこみ上げてきた。1811年に、現在の12のAvenueと155のStreetからなる街区(ブロック)が作られ、1930年に、クライスラービルとエンパイアステートビルが建設され、「都市の中の都市」ロックフェラーセンターも、1930年代には、現在のスカイラインが出来あがっていたのだ。私が生まれる前に、既に現在のNYの主要なものが完成されていたことを思うと、これもまた、人類の叡智のひとつであると思う。


▼コメント
投稿 シブチンスキー | 2007年6月 6日 (水) 23時19分
10年近くを過ごしたわが第二の故郷であるニューヨークをBOWさんがどのように見られるかと楽しみにして毎日覗いていました。詳しい分析と僅かな日数で効率よく回られたなあと感心しました。

BOWさんの感想と私が持っている感覚は非常に似ていると思います。ブランドショップが日本のそれほど完璧なセットアップになっていないところがアメリカ式だろうと思うのです。

昔の感覚ですが、ニューヨークの夜景は白っぽく、日本の夜景はネオンで赤が多いという印象でした。BOWさんは夜景の色合いをどうご覧になったでしょうか?

今週末は「ユニトピアささやま」へ研修に行ってきます。家庭麻雀、つまり中国語の研修会です。

▼コメント
投稿 BOW | 2007年6月 7日 (木) 11時35分
シブチンスキーさん、早速のコメントありがとうございます!
10年もNYに居られた方のご感想私も楽しみでした。今回は初めて計画的に観光してきました。同じ感覚であるというのは、若いころを同じ神戸で過ごしたことも関係しているのではないかと、ふと思いました。如何でしょう?

NYの夜景が白っぽく、日本のそれが赤っぽいとのご指摘は、その通りだと思います。私は、日本の赤の多い夜景も好きです。中之島の夜景をご覧に入れたいです!

▼コメント
投稿 Ikeda | 2007年6月 7日 (木) 13時19分
もうメキシコに向かって航行中だと思いますが、ニューヨークについて綿々と綴られているのに驚きました。私がニューヨークへ行ったのは昭和45年と63年の事で、それも仕事の途中で寄っただけですから、今回、紹介されている所は殆ど行っていません。

特に最初の時は、まだ1ドル360円の時代ですから、ショッピングどころではなく、有名店など入る気もおきませんでした。それでギンブル百貨店へ入りましたが、エスカレータが木製のガタガタ動く旧式だったのに驚きました。逆に日本の商社があるパンナム・ビルへ行った時、まだ日本には高層ビルがない時代だったので、エレベータのスピーードにビックリした事を思いだします。あまり調べていなかったので、休日には適当な行き場所が解らず、地下鉄に乗ってシェイ球場へ野球を見に行ったのが思い出になっています。

2度目の時は変動為替になっていましたから、有名店でも平気で入れるようになり、日本より安いなと感じました。同僚が有名店で革ジャンが安いと言って買いましたが、後で良く見たら韓国製で、大笑いした事があります。

> 素焼きの湯呑み茶碗に絵を画いて
私も会社の旅行で益子焼で有名な栃木県の益子へ立ち寄った時、 素焼きの湯呑みに書いた事があります。とっさの事で、何を書いたら良いか解らず、能のない話ですが、「ちゃわん」と書いた事があります。少し欠いてしまいましたが、まだ持っています。無事の航海を祈ってます。

▼コメント
投稿 T-baba | 2007年6月 7日 (木) 14時56分
ニューヨーク紀行、拝読しました、いつものように細かな観察と感性による記述はすばらしく、心楽しく読ませていただきました。

昔、ミュージカル「キャッツ」を観に行っての帰り道、夜更けの町をバッグを抱えて走ってホテルまで戻ったことを思い出しました。エレベーターの前で、ボーイに「シーキィ!シーキィ!」と言われて、あわてて部屋の鍵を取り出して見せた事も思い出しました(笑)。

ヘリコプターの夜間飛行を試してみましたが、その頃はオレンジ色のイメージが強かったように思いました、NYは暖かい色で燃え立つよう、日本は冷たく白っぽい色だとそれからは思ってきましたが、大阪「中之島」は、たしかに「赤」が素晴らしいですね。

▼コメント
投稿 モナリサ | 2007年6月 8日 (金) 01時09分
世界の首都・ニューヨークの観光楽しく拝見しました。あれだけの場所を1泊2日で回られたのにはびっくりです。以前私達がニューヨークを旅したときも同じような場所を回りましたが3泊4日はかかったような記憶があります。但しブルックリン橋は歩きませんでした。シーポートからB・M・Wの橋をバックに写真を撮っただけです。マンハッタンへの移動もタクシーはいつも橋を通らずに地下道を通るので橋を渡ったという感じはしませんでした。

同じ所を訪ねても「少々期待外れであると感じる人」と「非常に良かったと感じる人」がいる。“人様々だな〜”という意見に全く同感です。感じ方は相対的な評価ですので〜

さてさて、BOWさん世界経済を牽引しているアメリカの中心ニューヨークを肌で感じてどう思われましたか?強いアメリカは今後も世界の中心でいそうですか?それともそろそろピークは過ぎた感じでしたか?かってのローマ帝国・大英帝国の様な文化遺産を残すことが出来そうですか

▼コメント
投稿 BOW | 2007年6月 8日 (金) 09時08分
Ikeda様、コメントありがとうございました。
360円時代は大変だったでしょうね。昭和45年の百貨店のエスカレータが木製とは驚きました。私は日本でも記憶がありません(笑)。

「ちゃわん」と書かれた湯呑みをまだお持ちとのこと、わかる気がします。私以上にメモリアルになるものを大切にしていらっしゃるのではないかと思っているからです。

▼コメント
投稿 | 2007年6月 8日 (金) 09時16分
T-baba 様、コメントありがとうございました。
「キャッツ」をブロードウエイで観られたのですね、ショーが終わるのが11時を過ぎ、大急ぎで走っていらっしゃる姿が目に浮かびます。深夜にホテルに入れてもらうには部屋の鍵が要るのですね!

そのころのNYが暖かい色で日本が冷たい白というのは、白熱灯と蛍光灯の違いだったのではないかと思いますが、如何でしょう?今は日本人も白熱灯を好む人が増えて来ましたが、当時は蛍光灯が新しく、明るく、経済的で好んで使われたような気がします。今では蛍光灯にも白熱色が普及してきましたが、、、

▼コメント
投稿 musi | 2007年6月 8日 (金) 14時46分
今日はメキシコですね。船酔いもなくお元気で楽しんでいらっしゃるお姿にカンパイ!
ニューヨーク、いつもの事ながら詳しくわかり易く書いて下さり楽しく拝読いたしました。musiに業を煮やしたdrGOはとうとう世界地図を持参、昼休みの講義としてブログを読みながら詳しく状況を説明して下さってます(^^)

▼コメント
投稿 BOW | 2007年6月 9日 (土) 12時46分
モナリサさん、コメントありがとうございます。

>強いアメリカは今後も世界の中心でいそうですか?それともそろそろピークは過ぎた感じでしたか?
NYを訪れたからというわけではないですが、アメリカが今しばらくは世界の中心でいるように私は思います。それに代わる国がないからです。

NYは落ち着いていると感じました。初めての訪問者に違和感を与えず、民族の違いを気にしないで済むように思いました。かって、荒れていたタイムズ・スクエア周辺、地下鉄、セントラルパークなどが安全で、活気がありました。ソーホーのように新しい街づくりも成功しているようです。だから、NYからは、ピークを過ぎたとは感じられなかったです。

>かってのローマ帝国・大英帝国の様な文化遺産を残すことが出来そうですか
どちらも植民地を持った帝国ですが、アメリカはそれがほとんどなく、広大な新世界に他民族が集まり作り上げた人類最初の実験的な国というのが文化遺産ではないかと私は思います。これは後にも先にもありえないことで、成功失敗は別として、人類のひとつの文化遺産だと思います。

▼コメント
投稿 BOW | 2007年6月 9日 (土) 12時49分
musiさん、お久しぶり!
Dr.GOの直接講義を受けられたのですか!私も帰ったら講義を受けてみたいです。よろしくお伝えくださいね。

▼コメント
投稿 musi | 2007年6月 9日 (土) 21時34分
drGOも地図上?ブログでクルーズを楽しんでいらっしゃるようです(^^)
「な、ここで誕生日を迎えはって、、、ここが海賊が、、今はここで、明日はここや、、、」と。musiは居残り組みで補習を受けているようなモノです(^^:) 更新を楽しみにされていま〜す。もっちmusiもです。

▼コメント
投稿 BOW | 2007年6月10日 (日) 06時25分
musi さん、DrGOの講義ぶり教えて下さりありがとうございました。ちょっと、小難しいNY繁栄の理由の考察を書いてみました。お読みくださいね。


◆飛鳥II世界1周航海記 2007年6月04日 (月)

ニューヨークを出港したあとバハマへ向かう大西洋は、ハリケーン崩れの熱帯性低気圧の影響で、またも船の揺れが大きく、曇天である。この日はニューヨーク観光のまとめに追われた。


◆飛鳥II世界1周航海記 2007年6月05日 (火)

ニューヨークを2日間観光したあとで、なぜニューヨークがこれほど繁栄することになったのか、気になったので、私なりにまとめてみた。充分な資料の裏づけがあるわけではないので、間違いも多いとは思うが、一応私はこのように理解した。間違いのご指摘をいただければありがたい。

ニューヨーク繁栄の理由について、A.地の利、B.人智、C.時代に分けて考えてみた。

A.地の利
1)ヨーロッパに近い
かって、人々はヨーロッパから船でアメリカへ渡っていたので、大西洋を越えてヨーロッパに近いということは重要な要素だったに違いない。

2)自然の防波堤
ニューヨークの地理を地図で調べていて、マンハッタン島が、スタテン島とロングアイランドの二つの島によって、防波堤のように大西洋の荒波から守られていることを知った。港が重要な時代には、安全で穏やかな港は重要だっただろう。

3)ハドソン川
マンハッタン島の西側をハドソン川が流れている。ボルドーやアントワープを観光して、かっては川が港として重要であったことを知ったので、大型船が航行可能で、その長さが約500kmもあり、五大湖まで運河でつながるというこの川の価値は大きかったと思われる。

4)縦長の大き過ぎない島
マンハッタン島は玄関口にあたる港から、縦長の構造になっている。間口が狭く奥行きが深いのは、都市が徐々に発展して行くのに都合が良い。事実、ニューヨークはその最南端のウォール街のある地区から発展して行った。また、次のB.人智のところで取り上げる区画設定(街区)でも、12番街と155丁目は分かりやすい。これが155番街で155丁目では、何が何だか分からなくなる。このように、縦長の大き過ぎない島ということも有利に働いたと考えるべきだろう。

5)岩盤
摩天楼が1930年代に生まれ、それがそのまま残っているというのは、強固な地盤でなければ成り立たない。マンハッタン島は岩盤でできているのであろう。砂上の楼閣に近い都市ピサでは、建物は、それぞれが勝手な方向に傾いていた。また、阪神淡路大震災で、山のふもとにある高層ビルの多くは倒壊を免れたが、これは地盤が岩盤でしっかりしていたからだといわれている。このことから、マンハッタン島は地盤に恵まれていたことが幸いしているのだろうと推定できる。

B.人智
1)区画設定(街区)
1811年に、現在の12のAvenueと155のStreetからなる街区 (ブロック)が作られたというのは、やはり英知だと思う。もちろん過去に、長安、平城京、平安京などのように碁盤の目のように土地を区画した例はあるが、マンハッタンの場合、それが効率よくなされたのだと思う。実際、地図があれば、簡単に間違いなく、その場所に行くことができる。これほど分かりやすい都市を他には知らない。

ヨーロッパでは都市は教会が中心になったためか、放射状の道路が多かった。その、最も完成された形がパリの凱旋門広場の12の放射状道路だろう。これは形としては美しいが、分かり難い。

また、セントラルパークのような公共の公園を当時から策定したことも英知だと思う。

2)荒廃したニューヨークの再建
一時期、ニューヨークの地下鉄、タイムズスクエア地区、セントラルパークの荒廃ぶりをTV報道で見て、「ニューヨークは怖いところ」というイメージを持ったことがあったが、ジュリアーニ市長などによって、それらが一掃され、安全で健全な街が再建された。

3)SOHO地区などの変革の努力
かっての倉庫街に、芸術家やファッション関係者が住むようになり、アートとファッションのオシャレな街に変貌しているように、意図的かどうかは別として、ニューヨークでは変革の努力が続けられている。

4)多民族共存
ニューヨークを歩いたり、ショップに入ると、身構えることなく、日本と同じような感覚でいることができる。これは、多民族を受け入れ、共存しているためだと思う。アメリカのほかの都市でも同じなのかどうかは知らないが、ニューヨークでそう感じられた。

5)良循環
何ごともそうだが、いったん良循環に入ると、ますます、それが加速される。悪い部分が現れれば、それを取り除き、良い部分を加えることができるなら、良循環を続けることが可能だ。ニューヨークは、少なくともこれまでは、それが行なわれてきたのだと思う。それが行なわれなくなった時は、ニューヨークの衰退の時であろう。

C.時代
1930年代に、現在のマンハッタンの重要な摩天楼群ができていたということは、その頃のアメリカが急速発展期であり、高層ビルが建築可能な技術革新の時期であったことも大きく影響していると思われる。


▼コメント
投稿 T-baba | 2007年6月11日 (月) 17時43分
ニューヨークに関する記述は、船の上という制約を感じさせないBOW総括論、納得しながら読みました。王政のなかった歴史の浅い国でありながら、大きな繁栄を得ることが出来たのは、民衆の賢い選択力におうところがおおいのでしょうか。ただ、少し踏み込むと、人種的差別はまだまだあるように感じます。

あと少しでパナマ運河ですね!太平洋とカリブ海を繋ぐ長い運河ですから、水位や閘門のこと、1999年の返還のこと、それに周辺環境のこと等、詳しいことをUPして下さるのだろうと、期待しています。パナマ運河を通過して、メキシコからいよいよ西海岸、ゴールドラッシュの終点サンフランシスコですね!ご感想を伺うのが、特に楽しみな所です。(セーターを一枚、夜は冷えます)

▼コメント
投稿 BOW | 2007年6月12日 (火) 08時07分
T-baba 様、コメントありがとうございます。

>大きな繁栄を得ることが出来たのは、民衆の賢い選択力におうところがおおいのでしょうか。
そう思いますね

>少し踏み込むと、人種的差別はまだまだあるように感じます
そうなんでしょうね

>ご感想を伺うのが、特に楽しみな所です。(セーターを一枚、夜は冷えます)
猛烈なプレッシャーを感じます(ウソですよ〜!)
どんなところか興味津々、いつもの通り感じたままを書くことになりますが、それが楽しいのです(笑)

▼コメント
投稿 シブチンスキー | 2007年6月13日 (水) 07時26分
BOWさんのニューヨーク分析を興味深く読ませて戴きました。同感するところが多々あります。
彼我の違いを私が一番感じるのは住所表示の点で、日本はブロックごとに住所があり、ニューヨークを含めて外国はほとんどが道路名に従って住所を定めている。これだと場所をつきとめるのに便利で、タクシーは必ずズバっと指定住所の真ん前に横付けしてくれる。日本の道はほとんど名前がない。生涯を通じて「何とかならんのか」と思い続けている少数派です。

▼コメント
投稿 BOW | 2007年6月13日 (水) 23時18分
シブチンスキー さん、コメントありがとうございます。

>日本の道はほとんど名前がない。生涯を通じて「何とかならんのか」と思い続けている少数派です。
同感です。初めての海外旅行でフィレンツェの街を徒歩で歩いて回った時にそのことを実感しました。


◆飛鳥II世界1周航海記  2007年6月06日 (水)

NYを出港した飛鳥IIは、フロリダ半島の南東、西インド諸島北部にあるバハマの首都、ナッソーに07:00入港した。バハマには700の島があるが、人の住んでいるのは40ばかりで、人口約30万人のうち、首都のあるニュープロビデンス島に20万人以上が住んでいる。このバハマを訪れた観光客が、2005年は500万人だったというから驚きだ。

半日観光のツアーで見た限りでは、見るべきほどのものはなく、目抜き通りに免税店は数多く並んでいるが、それにもあまり魅力はない。500万人もの観光客をひきつけるものはなにかと調べたら、アメリカから最も近いカリブ海のリゾート地で、ゴージャスなリゾートホテルが多数あり、ダイビングやフィッシングを楽しめ、タックス・ヘイヴン(tax haven)の国として、免税品のショッピングを楽しめることがその理由のようだ。

このナッソーには、10万トンクラスの客船が5隻着岸可能で、この日も飛鳥IIを含めて3隻が停泊していた。この島の向かいにあるパラダイス・アイランドという島には、スイート1泊300万円のアトランティス・ホテルがあると聞いて、出港までのわずかな時間を利用して、それを見て来た我ら夫婦は、立派なミーハーである。スイートの部屋は、二つの建物の間をつなぐ部分にあり、正面、裏面はもちろん真下も海が見える場所だと聞いた。1ヶ月で1億円にもなる部屋を利用するのはどんな人間なのだろう。そのような人間のいることが信じられない。

天候も曇り気味で、カリビアン・ブルーというには程遠い海の色と言い、ナッソーは期待はずれだった。しかし、リゾート地の玄関口を見て廻るだけという行程からすれば、それは当然のことだろう。ここは長逗留をして、レジャーを楽しむところなのだ!


◆飛鳥II世界1周航海記 2007年6月07日 (木)

今日は散髪の予約がとれたので、男の理容師に散髪をしてもらった。前回は予約が取れず、美容師に整髪してもらって、白髪をほめられ喜んだが、妻に「美容師さんは女性が相手だから、お世辞も仕事のうちよ」と一笑された。なるほどと思って、今度は早めに理容師による散髪の予約をとった次第。

理容師さんは若い小柄の男性で、ベッカムのようなヘアスタイルでニコニコと愛想が良い。話し上手で、理髪の作業中もほとんど会話が続いた。ていねいに扱ってくれて、今まで経験したことがないような不思議なこともしてくれる。散髪が終わっても、理容店特有の匂いが頭に残っていない。すっかり気に入って、次回も彼にお願いしたいと思った。

もちろん、彼も他の理容師と同様、私の白髪を褒めるということはしなかった。それがあたり前なのだ。美容師の女性にほめられて喜んだが、女性に整髪してもらうのは、気恥ずかしく、会話もほとんどできないので、やはりこれからも理容師にお願いしようと思う。


◆飛鳥II世界1周航海記  2007年6月08日 (金)

本日はプラヤデルカルメンから、メキシコのユカタン半島に上陸し、チチェン・イツア遺跡を訪れた。寄港地案内で、ユカタン半島は、所により蚊大量発生することがある。蚊に刺されるとデング熱を発症する可能性があるので、虫除けスプレーを準備するようにとの注意があった。心配しいの妻は、持参したスプレー以外に医務室で4本も購入してきた。虫嫌いな妻は虫に好かれやすく、以前から、一緒にいても蚊に刺されるのは決まって妻だった。

キャビンにも2個のベーブが配られ、停泊中はこれを使用するようにとか、ドアも開放するなとか、脅かすことを並べてくれるので、妻はパニック状態に近い。チチェン・イツアは30度を越える暑いところだというのに、完全武装で、スカーフで頬被りまでしようとするのだから、農家の女性そっくりになってしまった。それでも構わない、カッコより安全だという。私にまでそれを強要するが、拒否をすると、露出部すべてに虫除けスプレーを振り掛け塗りつけられた。

チチェン・イツア遺跡は、このクルーズで見たいと思ったベスト5に入るかもしれない。マヤ文明の名残りをこの目で確かめたかったし、それを自分の満足できる写真とビデオで記録して置きたかった。そのため、いくら暑くても良いから、快晴であって欲しいと願ったが、その願いは叶えられた。

片道3時間のバスが通る高速道路は、ほとんどが一直線で、両側には絶えることなくジャングルが続く。ジャングルと言っても、3m程度の潅木がが密集しているだけなので、本当はブッシュというべきだろう。

チチェン・イツア遺跡は、メキシコのユカタン半島にあるマヤ文明後期(900〜1100頃)の都市遺跡である。「チチェン・イツア」とは、マヤ語で「イツア族の泉の湧き口」を意味する。この遺跡は、カスティージョと呼ばれるピラミッド、球戯場、神殿など石造りの建造物群からなり、メキシコ中央部のトルテカ文明の影響も受けているといわれる。1988年に世界文化遺産に登録された。

●カスティージョ
スペイン語でカスティージョ(城)と呼ばれるピラミッド型神殿は、底辺約55m、高さ約30mで、マヤ文明の数多い建造物の中でも、最も均整の取れた美しいピラミッドだと言われている。四方にある階段の数が各91段で、91×4=364。これに頂上の1段を加えると太陽暦の1年=365日になる。また、ピラミッドの基層は9層で、階段の左右の基層を合わせて9×2=18は、マヤ歴の1年の月数を表す。

また、このピラミッドの北側の階段下の両脇に、蛇の頭の彫像がある。毎年春分と秋分の夕刻には、基層の凹凸の影が階段に映り、ちょうど尾をピラミッドの頂上にあげた形の、蛇の姿が現れる巧妙な仕掛けになっている。メキシコ在住30年という日本人ガイドに、その写真を見せてもらったが、確かにそのように写っていた。いずれも、当時のマヤ文明に高度の天文学が存在したことを示している。

私にとってラッキーだったことを付け加えておく。それは、今回このピラミッドへ登ることが禁止されたのだ。経験者によると、ここの階段の傾斜は急峻で、登るのは良いが、降りる際には足がすくんでしまうとのことだった。もし、今までどおり登ることが許されていたら、登らざるを得まい。それは、高所恐怖症の私にとって、この上ない苦痛である。それを免れることができた上、このピラミッドに群れ登るゴミを写さなくて済み、美しい映像が得られたのだ。

●球戯場
マヤ遺跡には球戯場欠かせないらしい。チチェン・イツアの球戯場は大きく、120m×30mもある。両側が壁で囲まれており、両方の壁の中央付近には、直径約20cmくらいの石のリングがある。ボールをこのリングに通すのだが、バスケットのように手で入れるのではなく、サッカーのよう足で蹴って入れるのだと現地ガイドは説明してくれた。

また、競技ではなく、豊作を願う儀式のようなものだっだらしい。判定結果を全体に伝えるため、壁は上部がやや内部に傾けてあり、音が両側の壁に何度か反響し、拡大して伝わるように工夫されている。実際にその中央で手を叩いて、その効果を確かめることができた。

●ジャガー神殿
ピラミッドに近い側の球戯場の壁に隣接して、ジャガー神殿がある。マヤ文明では、ジャガーは神の化身のようなものだったらしい。神殿の前にはジャガーの石像が置かれている。

●セノーテ(聖なる泉)
ピラミッドやジャガー神殿、球戯場が点在する広場から少し離れたところに、セノーテと呼ばれる聖なる泉がある。直径66m、地上から水面まで22mあり、覗き込むのが怖くなるほど深い。水面は澱んだ緑色だ。

ここは、雨乞いや豊作を願って生け贄を捧げる場所だったらしく、1911年の調査では、21体のこども、13体の成人男子、8体の女性の人骨が見つかり、同時に金のメダルや翡翠などの宝石類も発見されたとのことだ。

チチェン・イツア遺跡を訪れ、マヤ文明は生贄文明であることを知った。神なるものはジャガーやワシの姿をしている。神に願いを叶えてもらうためには、生贄が必要で、当時マヤ地区には家畜はなく、そのため生贄は人間であったということだろう。当時は、しかたがないことだったのだろうが、なんとも痛ましい。

それはそれとして、快晴のもとで素晴しいマヤ文明の遺跡をこの目で確かめ、写真とビデオに収めることができたことを嬉しく思っている。

ユカタン半島のツアーの後では、例年下痢症状を訴える参加者が出るので、生水はもちろん、野菜サラダ、氷の入った飲み物、などを摂らないようにとの注意があった。今回は注意をしたせいか、エジプトの時のように、下痢になることはなかった。

ユカタン半島のプレアデルカルメンから、地元のボートに乗って、飛鳥 IIが停泊しているコズメルに渡った。午後7時を過ぎてやや薄暗くなり始めているが、港の海の色はコバルトブルーで、澄みきっていて底までが見える。この美しいカリブの海を充分楽しむことはできなかったが、チチェン・イツアは、私にとってそれに勝るものであった。


▼コメント
投稿 Ikeda | 2007年6月12日 (火) 13時53分
いよいよコスタ・リカに寄ってパナマ運河ですね。私はメキシコを初め、中南米へは行ったことがないので、興味があります。それにしても、この辺は、殆ど初めて聞く地名が多いです。個々には観光地として行かれた人もあると思いますが、これだけあちこち寄るのは流石クルーズだと思いました。

それにしてもバハマ諸島へ行くのが珍しいのと思います。ここだったら、すぐ近くのキューバへと思いますが、矢張り無理なのでしょうね。私は行ったことはありませんが、仕事で同僚が2,3回行っていて、「ジタン」という両切りの煙草を土産に頼んでいました。チチェン・イツア遺跡にも興味がありますが、緯度も大分下がって暑いでしょうし、虫に弱い人は余計、大変ですね。私は割合平気ですが、昔インドへ行っていた時に、寝るときには蚊帳を吊っていた事を思いだしました。

なお、地名がスペイン語ですが、クルーズの寄港地らしい名前が多いのが当然とは言え面白いです。お聞きになっているかもしれませんが、プラヤ・デル・カルメンの「Playa」は「Beach」ですから、さしずめ「カルメン浜」と言うことになります。これから行かれるコスタ・リカは「Coast Rich」で、プエルト・リモンの「Puerto」は「Port」です。またカボ・サン・ルーカスの「Cabo」は「Cape」という意味ですから、「聖ルーカス岬」と言うことになりましょうか。いずれもスペイン語なので地形が、そのまま地名に転用されたのではないかと憶測しています。私がスペイン語に詳しい訳ではないので間違っていたら訂正していただきたいと思います。

▼コメント
投稿 yakky | 2007年6月13日 (水) 08時59分
偶然の放映に吃驚です。
チチェン・イツア遺跡  NHKhi 放映されました  
6月12日 PM8時〜9時30分
http://www.nhk.or.jp/inca-maya-aztec/ja/02-mayan/chichen-itza/what.html

驚きの都市に感心させられました。9世紀〜12世紀まで栄えた大都市が繁栄出来たのは。都市の地表に、雨水が浸みこまないように石灰岩を利用した漆喰(しっくい)で塗り固められていた。しかも地面には0.76度という微妙な傾斜がつけられ、雨水はその先にある貯水池に導かれていた。生け贄・王様のミイラー・ヒスイの首飾りなど等、必見でしたよ。

プロローグ
「空から見たインカ・マヤ・アステカ ?悠久の古代文明紀行?」
2007年6月11日(月)午後10:00?10:50 BShi
第1話
「密林の王国と湖上の帝国 ?マヤ・アステカ?」
2007年6月12日(火)午後8:00?9:30 BShi
第2話
「マチュピチュ天空に続く道 ?インカ?」
6月13日(水)午後8:00?9:30 BShi
第3話
「アンデスミイラと生きる」
6月14日(木)午後8:00?9:30 BShi
再放映も有ると思います。

▼コメント
投稿 BOW | 2007年6月13日 (水) 23時08分
ikeda様が面白いことを教えて下さったので、スペイン語はまったく知らないのですが、調べてみました。お陰でちょっとスペイン語に親しみが湧きました。ありがとうございました。

・プラヤ・デル・カルメン
Playa del Carmen = Beach of Carmen カルメンの浜辺
・コスタ・リカ
Costa Rica = Coast Rich 裕福な海岸
飛鳥IIクルーズのガイドブックによると、コロンブスの最後の航海でこの地に上陸したら、出会った先住民が金の装飾品を身につけていたので、裕福な海岸と呼ぶようになったとのことです。
・プエルト・リモン
Puerto Limon = Port Lemon レモン港
・プエルト・リコ
Puerto Rico = Port Rich 裕福な港、豊かな港
プエルト・リモンから、同じプエルトの付く国名が頭に浮かびました。
・カボ・サン・ルーカス
Cabo San Lucas = Cape St.Luke 聖ルカ岬

▼コメント
投稿 BOW | 2007年6月13日 (水) 23時13分
yakky様、コメントありがとうございました。
偶然か必然?かNHKハイビジョンでチチェン・イツア遺跡が放映されたのですね!!ハイビジョンなら素晴らしい映像だと思います。肉眼で快晴のもとしっかり目に焼き付けてきましたし、デジカメ、ハイビジョンビデオで映像もバッチリ収めてきたつもりです。帰国して確かめるのが楽しみです。

▼コメント
投稿 シブチンスキー | 2007年6月14日 (木) 07時42分
1泊300万円のスイートとは驚きですね。それを見物に行ったミーハーぶりには若さを感じます。 若さと言えば蚊が寄ってくるのも若さゆえにと言えるかも知れませんね。血の甘い幼児を蚊が追っかけるのですから奥様、まだまだお若いです。

高価なホテルと言えば思い出すのがフランクシナトラが愛顧していたGolden Nuggetsのこと。できたばかりの頃に誰かが料金を問い合わせしたら「問い合わせするような方々にはお泊り戴きません」と言われたと雑誌か何かで読みました。いずれにしても私などはそんな高額なところでは一睡もできないに違いありません。


◆飛鳥II世界1周航海記  2007年6月09日 (土)

終日洋上で、本日のドレス・コードはフォーマル。これで5回目のフォーマル・ナイトである。私は白のタキシードに赤の蝶ネクタイ、妻は第一回のフォーマル・ナイトのイブニング・ドレスを着用したが、もうメンドクサイというのが私の正直な気持である。こんなものは、何年かに1度着ればよいのだ(笑)。


◆飛鳥II世界1周航海記 2007年6月10日 (日)

今夜は「カリビアン・ディナー」と銘打って、リド・デッキのプールサイドで、ビュッフェ・スタイルのディナーを楽しむ企画である。私は他の人と並んで、自分で食べ物を選び、テーブルに運ぶビュッフェ・スタイルが大嫌いだ。その上、リド・デッキは730名の乗客に対しては狭すぎて、座る場所も確保し難いし、食べたいものを手に入れるのに苦労することを、これまで数回経験している。だから、今回はこのプールサイドのディナーには参加しないつもりでいた。

ところが、知人から、「マウロ・カルデロンというメキシコのテナーが、プールサイド・ステージで歌う。昨夜リサイタルで聴いたが、すばらしかった」と言われた。最近聴いたコンサートが、3回ばかり続けて期待はずれだったので、昨夜は最初から行かなかったのだが、それを教えてもらったので、プールサイドへ出かけた。

食事は予想通りだったが、マウロ・カルデロンの歌は本当に素晴しかった。圧倒され、感動しっぱなしだった。ビデオ撮影が許されているので、一緒に唄いたくなるのを必死でこらえて、ハイビジョンにしっかり収めることができた。これほど歌のすごさを感じたことが、これまであっただろうか? 誰もが乗りに乗って聞き惚れ、踊っている。ほんとうに良い歌だった。

マウロ・カルデロン(Mauro Calderon)は、「現在メキシコで最も才能のあるテノール歌手」と称されていると紹介されたが、それが偽りでないことを実感した。


◆飛鳥II世界1周航海記  2007年6月11日 (月)

本日の寄港地プエルト・リモンはコスタリカという国の港町の一つである。まったく知らない国、知らない港だった。寄港地ガイドでは、コロンブスが最後の航海でこの地を訪れた時、先住民が金の装飾品を身につけていたので、Costa Rica=裕福な海岸と呼ぶようになったと書いてある。ツアーの内容は、熱帯雨林とナマケモノ保護センターだけが、他と変わっているところで、それも私たちには魅力がない。だから、一番興味のない寄港地だった。

しかし、寄港前日に配られたコスタリカ政府監修の紹介パンフレットを読んで、俄然この国に興味が湧いてきた。例えば、1821年:スペインから独立、1949年:軍隊制度の廃止、1980年:国連平和大学創設、1983年:永世非武装中立宣言、に驚いていると、エコーツーリズムを世界に向けて提言したエコーツーリズム発祥の国でもある。一番愉快だったのは、むかし、この国が米国に先駆けて、独伊日枢軸国に宣戦布告をした時、ヒットラーは「コスタリカ?どこの国だ?」と世界地図を調べさせたら、とまっていた蚊が1匹飛び立った後の地図に、コスタリカが現れた、という話だった。それほど小さな国が、大国に宣戦布告をしたのが、なんとも面白い。

コスタリカという国に興味を持ったが、寄港地プエルト・リモンは見るべきものもなく、市内半日観光のツアーを選んでいた。寄港前日キャビンにツアーの集合時間変更の案内が入っていた。それを見ると、「熱帯雨林リバークルーズ」となっている。熱帯雨林も嫌なら、川をクルーズするのも、ワニが出たり、水がかかってカメラをいためる可能性があるのでマッピラだった。

だから、そんなはずはないとオプショナルツアー参加証という名前のチケットを確かめてみたが、間違っていなかった。そこで慌ててキャンセルをしたが、1日前だから50%のキャンセル料は必要だった。オプショナルツアー参加証を予めチェックしておけば、そのような失敗をしなくて良かったのだが、それでも、当日ではなかったので被害は半分で済んだことを喜ぶべきだろう。

ツアーをキャンセルしたので時間が充分あり、プエルト・リモンの街に出かけてみた。ものすごく蒸し暑い。スーパーで試飲したコスタリカ・コーヒーと、この国の特産品と言うコーヒー・リキュールを購入して、船の近くまで帰ってきたら、買ったはずのコーヒーがない。スーパーに置き忘れてきたのだが、もう無くなっているだろうとあきらめた。いつものように、ドジはドジを呼ぶ。

しかし、良いこともあった。息子の土産に妻はハンモックを買いたいというので、プエルト・リモンの街を探して歩いて、一番気に入ったものを買えたのだ。息子はハンモックで寝るのが好きという変わった趣味を持っている。毛虫や蚊に襲われるだろうし、ゆらゆら揺れるのも気持が悪く、私たち夫婦の趣味ではない。最近使っていたハンモックが切れたと聞いた記憶があるので、これなら喜んでもらえるだろうと思うと嬉しい。綱が太くて、身体に食い込まないし丈夫だと、コズメルでハンモックを買った人にほめられたし、黒、白、赤の組合せがオシャレだから気にいってくれるだろう。

飛鳥IIがプエルト・リモンに寄港する理由の一つを思いついた。それは飲料水の補給ではなかろうか?ニューヨークを出てパナマ運河を越えるまでに飲料水を入手できるところは他にはなさそうだ。メキシコは川もない国で、乾燥して水が少ない上、ここの水を飲むと下痢をする者が多いと言う。その他の寄港地になりそうなところは島であるため、これも不適当だろう。プエルト・リモンは1年中雨の多い「熱帯雨林気候」で、水は豊富であり、汚染の危険もなく、また、コストが安いと想像できる。

事実、この港に着岸と同時に大きな給水タンク車が2台横付けになり、飛鳥IIに給水を始めた。街のショッピングから帰ると、3台目の給水タンク車が給水を行なっていた。その他にも食料などの仕入れ、ゴミや廃棄物の処理などのためにも、この地が重要なのだろう。

プラヤ・デル・カルメンについて、面白いコメントをいただいたので、それをまとめてコメント欄に載せた。しかし、本文に書いておく方があとで見つけやすいので、こちらに再掲しておくことにする。このコメントのお陰で、まったく知らなかったスペイン語に少し親近感を持つようになった。

・プラヤ・デル・カルメン Playa del Carmen = Beach of Carmen
 カルメンの浜辺

・コスタ・リカ Costa Rica = Coast Rich
 裕福な海岸飛鳥IIクルーズのガイドブックによると、コロンブスの最後の航海でこの地に上陸したら、
 出会った先住民が金の装飾品を身につけていたので、裕福な海岸と呼ぶようになったとのことだ。

・プエルト・リモン Puerto Limon = Port Lemon
 レモン港

・プエルト・リコ Puerto Rico = Port Rich
 裕福な港、豊かな港プエルト・リモンから、同じプエルトの付く国名が頭に浮かんだ。

・カボ・サン・ルーカス Cabo San Lucas = Cape St.Luke
 聖ルカ岬


◆飛鳥II世界1周航海記  2007年6月12日 (火)

今日は私にとってクルーズ最大の関心ごとであるパナマ運河通峡を体験できる。午前5時15分にリモン湾のクリストバル堤防を通過すると、前日の船内放送でキャプテンが話したので、期待でわくわくして、午前4時半には起きていた。パナマは前の寄港地プエルト・リモンから逆方向の東にあるため、時差調整がこれまでと違って1時間進めることになり、実質は午前3時30分である。

それから、午後5時近くに運河を通り抜けるまでの12時間は、ビデオとデジカメを持って大忙しであった。キャプテンにとっても、絶えず運河に関する情報を伝えるために、スエズ運河通過の時以上に忙しい一日だったことだろう。

今回は、この運河の知識を整理して持っておく方が理解し易いので、私なりにまとめて、NYの時のようにテーマ別に記録しておくことにした。テーマは、地理、歴史、構造と機能、飛鳥IIの通峡、疑問の5つに分けた。構造と機能の部分は、私自身が非常に興味があり、図解なしでも理解できるように工夫をしたつもりだ。


●地理
パナマ共和国は北アメリカ大陸と南アメリカ大陸のつなぎ目に当る位置にあり、東西に長細く、その中央をほぼ南北に通るパナマ運河が、この国を2分している。パナマ運河は、大西洋(カリブ海)と太平洋との最も狭い境界部分を開削して作られ、全長は約80kmである。


●歴史
1534年にスペインのチャールズ五世がパナマ地峡を通る運河の建設の調査を命じたが、北米大陸分水嶺がそれを阻み、それから300年以上が過ぎて、1878年に、スエズ運河を拓いたフランスのレセップスが建設を開始した。しかし、難工事の連続に加えて、黄熱病とマラリアの蔓延で3万人の作業員が死亡し、資金難も重なり、10年後には倒産して工事を放棄した。

その後、このスエズ運河地帯を重要視する米国によって1903年から建設が進められ、1913年に完成し、1914年8月15日に開通した。この運河地帯には米国の軍事施設がおかれ、南米におけるアメリカの軍事拠点となっていたが、パナマの民族主義が高まり、運河返還を求める声が強くなり、1999年12月31日にパナマへ正式に返還された。現在、パナマ運河の運営、機能、維持管理等すべての責務をパナマ運河庁(ACP)が担当している。


●構造と機能
1.閘門式運河
スエズ運河は水平式運河だが、パナマ運河は閘門(こうもん)式と言って、水位差のある水面間で船を就航させる方式になっている。この閘門ということばは、英語の lock の日本語訳だが、なんとも分かり難い。「閘」を漢字辞典で調べると、水を封じてとめる水門、門をあけたりしめたりすることと書いてあるので、それほど間違いではないのだろう。しかし、「閘門」は「水位差のある水面間で船を就航させるための構造物」を指すにも関わらず、それに付随する水門を連想させ、また、間違ってそのように使っている解説文もある。

そこで、この紛らわしく難解な「閘門」ということばを避け、本来の「ロック(lock)」を使うことにした。キャプテンの船内放送でも、ロックを使っていた。「ロック」は、水位差のある水面間で、水位を上下させ、船を就航させるための構造物で、上流端と下流端に扉(lock gate)を持つ天井のない巨大な長方形の部屋で構成されている。両方の扉を閉めて水位を昇降させたのち、一方を開いて船を進める。この発明により水位差のある地点間に運河を設けることが可能になった。

ロックの両端の扉を「水門」と訳しているが、これも「ロック・ゲート (lock gate)」と英語のままで呼ぶ方が、この「ロック」の両端にある観音開きの扉という特殊な水門を表現できると思う。

また、ロック・ゲートが閉じられてできる部屋を「チェンバー(chamber)」と呼んでいる。 チェンバーの大きさは、幅110フィート(33.5m)、長さ1000フィート(305m)である。パナマ運河通過最大許容サイズをパナマックス(Panamax)といい、船幅:32.3m、全長:294.1m、喫水:12mと決められているが、船幅と全長はこのロック・チェンバーの大きさによる。飛鳥IIは船幅:29.6m、全長:241m、喫水:7.5mなので、この基準をクリアしている。

パナマ運河には、ロック(閘門)が3ヶ所あり、並行に2組ずつあるため、両方向への航行が可能である。カリブ海側に3つのチェンバーを持つガトゥン・ロック(Gatun Locks)、太平洋側には、1つのチェンバーを持つペデロ・ミゲル・ロック(Pedro Miguel Locks)と、2つのチェンバーを持つミラフローレス・ロック(Miraflores Locks)の3つのロックがある。

ロック・ゲートは頑丈な鋼鉄製で、40組あり、そのすべてが建設当初からのものだという。いずれも、観音開きの扉で、大西洋側からも太平洋側からも運河側へ開くようになっている。そのうちで一番高い扉は、ミラフローレス・ロックの太平洋側の扉で、高さ25m、重さ730トンもある。これは、太平洋側の潮の干満が大きいためである。

ロックの働きを順に書くと、1)船舶をチェンバーに入れる、2)入ってきた側のロック・ゲートを閉じる、3)チェンバーの底から水を入れるか、水を抜き、求める水位にする、4)次のチェンバーと水位が同じになると、出て行く側のロック・ゲートを開く、5)次のチェンバーに船舶を入れる。以下、2)〜5)をくり返し、最終水位のところで、湖や海に進む。

この水位昇降に使う水は、海水を使わず、運河流域の湖の水を利用し、水の移動は重力を利用している。ロックを1回動かすのに約1億9700万リットルの淡水が必要で、最終的にこの水は海に流される。もしも、淡水の代わりに海水を使うとすれば、運河の水面が海抜26mの高さにあるため、ポンプで汲み上げなければならない。この場合、ポンプの設置と運転、整備にコストがかかるだけでなく、ロック(閘門)の装置が塩分によって傷み、まわりの植物も枯れてなくなる。

ポンプを使わず、湖の水を重力で移動させ、その調節はバルブで行なうというパナマ運河のメカニズムはなんとも素晴しい。 飛鳥IIの寄港地ガイドでは、「水門で仕切ったドックに海水を注入、排水して水面の高さを調節して進んでいく閘門式運河と呼ばれている。」と書かれているが、まったくの間違いである。

2.人工湖
パナマ運河は、海水面より26m高い水面にあるガトゥン湖(Gatun Lake)へ、船舶を3段階のロックで持ち上げ、ここを航行した後、船舶を3段階のロックで海水面にまで降ろすことで成立している。このガトゥン湖は天然のものと思い込んでいたが、これはパナマ地峡を開削した際に、人工的に作られた湖であることを知った。その面積は420平方kmもあり、琵琶湖の670平方kmの60%の広さを占める。 現在のガトゥン・ロック(Gatun Locks)の場所とペデロ・ミゲル・ロック(Pedro Miguel Locks)の2ヶ所を閉鎖し、そこへ自然の降水を貯めることで、このような広大な人工湖が誕生したとは、何ともスケールの大きな話である。それを可能にしたのが、1年中雨の多い「熱帯雨林気候」であろう。

この人工湖があり、その貯水を利用して、ロック式運河が成立できたのである。また、このガトゥン湖の水面レベルを調節するため、放水用と貯水用のダムが作られ、主役はそれにふさわしい裏方を従えている。もう驚嘆するばかりだ。

3.カット
カット(cut)とは掘削して作られた人工水路を指し、これを「水路」と訳すと、あいまいになるので、英語のまま使うことにした。パナマ運河建設工事で最も困難だったのが、大陸分水嶺を分断する掘削工事で、これによって作られたのがゲイラード・カット(Gaillard Cut)である。ゲイラード(Gaillard)は、この工事の責任者だった人の名前である。このカットの部分の長さは12.6kmで、運河全体の距離の15%を占めている。このカットは、ガトゥン湖のガンボア(Gamboa)からペデロ・ミゲル・ロック(Pedro Miguel Lock)まで続き、その間にパナマ地峡の大陸分水嶺を切り抜けている。

運河建設工事では、1億5000立方mの土砂と岩が掘り出されたが、その大半がこのゲイラード・カットで掘削されたもので、その土石を貨車に積むと、貨車の列は地球を4回廻る量だった。想像を絶する大工事だったことが良く分かる。

4.船体の移動
船舶は自力で運河を航行するが、ロック(閘門)内では、専用の電気機関車が船舶を牽引し、チェンバー内を安全に移動させる。運河の両側に線路が敷設され、両側の機関車がそれぞれワイヤー・ロープで引っ張って、船を水路の中央になるように保ちながら牽引する。機関車の数は、船舶の規模により両側合わせて4台から8台が使われるが、飛鳥IIの場合は6台だった。この機関車には、日本の東洋電機製造製の車両が使用されているとのことだ。


●飛鳥IIの通峡
飛鳥IIは、水のエレベーターといわれるロック(閘門)に乗って、カリブ海から海抜26mの高さにあるガツン湖に昇り、ここを航行して、ゲイラード・カットという狭い水路を通過し、第2のロックで小さなミラフローレス湖(Miraflores Lake)にまで降り、ここを通ったのち、第3のロックによって海面まで下降して太平洋に出た。その間に見たことや感想などを順に書いておくことにする。

1.クリストバル(Cristobal)港
クリストバル港へ5:15に入港の予定だったが、雨と霧のため、前を走る貨物船が遅れたため、6:30にまで延びてしまった。この港は長い防波堤で守られていて、広い湾になっている。左手に着岸用岸壁と乗船客用の建物が見える。それをさらに南下して行くと、はるか前方を航行する貨物船が視界に入ってきた。

2.ガトゥン・ロック(Gatun Locks)
7:30にガトゥン・ロックに到着した。ここは左右2個のロックが並行してあり、先の貨物船は既に左側のロックに入っていて、後の観音開きのロック・ゲートは既に閉じている。30分くらいの間に貨物船が約8m持ち上がると、前方のロック・ゲートが手前に開き、貨物船は次のチェンバーに移動して行った。移動が終わると前のロック・ゲートは閉じられ、チェンバー内の水面はかなり早いスピードで下がる。

左側の貨物船が最初のチェンバーを出たころに、飛鳥IIは右側のロックのチェンバーに入った。後のロックゲートは開いていて、前方に見えるのは前のロック・ゲートである。両脇の壁が迫っていて余裕がなく、到底自力で進入することはできないことが分かる。そのため、飛鳥IIは両側各3台の電気機関車にワイヤー・ロープで牽引されて移動する。電気機関車が合図の警報音を何度も発するのに合わせて、何か操作を行なって前進しているようだった。

飛鳥IIが最初のチェンバー内に完全に入ると、後のロック・ゲートは閉じられ、チェンバーの底から水がかなり早いスピードで流入し、飛鳥II はそれに伴い上昇する。この水は次の第2チェンバーの水が底から重力で最初のチェンバーの方へ移動したものである。上昇が止まった時点で、前のロック・ゲートが手前に開き、飛鳥IIは次の第2チェンバーへ電気機関車に牽引されて移動する。

第2チェンバーに移行する箇所の電気機関車のレールは急勾配になっているが、平気で登って行く。レールの中央には、櫛の目状の切れ目の入った第3のレールが通っていて、その上を歯車が回転しながら登っていく。ケーブルカーに似た仕掛けだと思った。

以下同じようにして最後の第3チェンバーに入り、それが終わると、いよいよガトゥン湖に進入したが、時間は9:45だった。

3.ガトゥン湖(Gatun Lake)
ガトゥン湖に入り、しばらく航行したところで、運河管理当局からの指示により投錨して30分待ちとなった。どうも、南行船、北行船の調整をしているようだ。本日の南行船と北行船は各20隻、合計40隻で、飛鳥IIは南行船の2番手、自動車貨物船の後に続くことになっているとキャプテンの放送があった。しかし、どういうわけか、約10分後には、抜錨し、南へ向かって航行した。

ここが人工湖であることを知って眺めると、元はいろいろの高さの山々が連なっていたことが想像できる。小島が点在したり、奇妙な形の島が現れたりして見飽きることがない。どれも熱帯林の小さなジャングルのようだ。すれ違う北行船が多く、10隻近くあったように思う。すべて大型貨物船だった。

突然遠くに木の枝らしいものを発見、近づいたところでよく見ると、確かに枝をつけた木の先で、若芽らしいものも付いている。その少し離れたところに、杭のようなものを見つけたが、これにもいくつか若芽がついている。木の数は何千分の1にも足らず、湖の大きさは何千倍も大きいが、その時、上高地の大正池を思い出した。

4.ゲイラード・カット(Gaillard Cut)
13:00に、ゲイラード・カットに入った。ここは運河の内で最も狭い。岩肌が段々畑のように削られ、草も生えずに残っている姿を見ると、困難な掘削工事をして作られた水路であることが良く分かる。左舷側にゲイラード・カットでの最高峰、海抜180mのゴールド・ヒルが見えた。この部分が最も困難な掘削工事だったのだろう。間もなく、2005年にパナマ運河に架けられたテンテニアル・ブリッジ?が現れ、しばらく航行して、ペデロ・ミゲル・ロックに到達した。なお、2001年にこのカットの拡張工事が行なわれ、船舶のすれ違いができるようになったとのことだ。

5.ペデロ・ミゲル・ロック(Pedro Miguel Locks)

15:00にペデロ・ミゲル・ロックに到着した。ここからのロックは水面を下降させるように働く。前を航行していた貨物船は、こんどは右側のロックのチェンバーに入った。すこし遅れて、我が飛鳥IIは左側にのチェンバーに入る。後のロック・ゲートが閉じられると、底から水が抜かれ、その水は前方の小さなミラフローレス湖に流れ込む。チェンバーの水位がこの湖と同じ高さになると、前のロック・ゲートが開かれ、船舶は湖に進む。

6.ミラフローレス湖(Miraflores Lake)
ミラフローレス湖は小さな湖で、飛鳥IIは自力航行して、16:00には、次のミラフローレス・ロックに到達した。

7.ミラフローレス・ロック(Miraflores Locks)
ミラフローレス・ロックの最初のチェンバーの左手に5階建てのビルがあり、各階は鈴なりの見物客で、こちらを見て手を振っている。どこからこれだけの人が集まるのか?、パナマ運河のロックのメカニズムを見るためか?、それとも客船飛鳥IIを見たいためなのか?、などの疑問が湧いてくる。後で調べたところ、この場所へは、パナマ・シティーから車で20分くらいで来ることができるらしい。ということは、大部分がパナマ・シティーの市民ということだろう。

このミラフローレス・ロックは最後のロックで、2つのチェンバーからできている。最初のチェンバーに入るまでは天候も良かったが、第2のチェンバーに移動してから、突如電光と雷鳴が鳴り響き、猛烈な雨が降ってきた。熱帯のスコールというのがこれなのだろう。瞬く間に視界はゼロとなってしまった。デッキから部屋に戻る人が続出し、残っている者は1割くらいに減ってしまった。 しかし、私は雨の中で、カメラを濡らさないように気をつけながら撮影を続けた。パナマ運河通峡の最後まで見届けた上、写真とビデオに収めておかないと気がすまない性分というのは難儀なものである。

このスコールが3〜40分続いたところで、雨は止み、視界もかなり良くなってきた。そして、飛鳥IIは第2のチェンバーを抜け、太平洋に出た。

8.バルボア通過(Balboa)
バルボアはパナマ運河の太平洋側出入口にある町で、この町を左舷に見ながら16:45に通過した。しばらく進んでアメリカ橋の下を通過すると、また左舷側にこんどは摩天楼が出現した。マンハッタンがここに移動してきたのかと思うほど多数の高層ビル群である。地図で調べると、パナマ・シティーに当る。パナマは急速に発展してきているのだろうか?

9.感想
私にとって、パナマ運河は世界一周クルーズの中のハイライトになるだろう。クルーズでしか味わうことのできない体験だった。パナマ運河は20世紀の土木工事の中で最も偉大なものであり、これもまた人類の叡智を示すものだと思った。ふり返ってみて、私にとって旅が重要なのは、人間がどのように生きてきたかを教えてくれたり、考えさせてくれるからだという気がする。そして、その原点となったポンペイを思い出している。


●疑問
ここでパナマ運河について思った疑問をいくつか書き出してみた。

1.飛鳥IIの通峡費用
スエズ運河の通行費用が3000万円と知って驚いたが、それよりも何倍も複雑なパナマ運河の通行費用はもっと高いだろうと考えた。そこでレセプションで尋ねてみたところ、2000万円ほどであると教えてくれた。スエズが高いのか、パナマが安いのか、なぜそのような違いがでるのだろうか?

2.飛鳥IIがパナマ運河を通らず日本に帰る場合
飛鳥IIがパナマ運河を通らず、喜望峰周りで日本に帰る場合の時間と費用はどうなるかをレセプションで尋ねたら、距離にして2040kmあり、巡航速度19ノット(約35km/時)で航行して、24日間かかる。その間の燃料使用量が3840トンで、1億6千万円に相当するとの回答を得た。パナマ運河通行費用として2000万を払っても、燃料費だけでも大幅に安くつく。

3.大西洋と太平洋を直接つなぐ運河について
かってナポレオンがスエズ地峡に運河を建設しようと学者たちに検討させた際、計測の誤りか、計算の誤りのため、紅海と地中海の海面の高さに違いがあるので運河建設は不可能と進言し、ナポレオンは運河を断念したという話を聞いたことがある。 パナマ地峡では、太平洋側の海面は大西洋に比べて24cm高いことが分かっている。

1)なぜ、両大洋の水位が違うということが起きるのか?
2)この海面の水位の違う両大洋を直結した場合、どのような現象が起るのだろうか?
3)太平洋から大西洋に絶えず海水が流入し、激しい流れとなるのだろうか?
4)流入が続けば、いつかは両大洋の水位が同じになるのだろうか?
5)現代の科学はこれらの疑問にどこまで正しく答えることができるのだろうか?


▼コメント
投稿 Ikeda | 2007年6月16日 (土) 13時16分
ハンモックを買われたとの事ですが、ご子息がお好きだからとは言っても、珍しい買い物ですね。私も好きではありませんが、熱帯地方では地面近くに寝るよりは安全ですし、何より手軽に寝床が作れるの点で、よく利用されるのだと思います。

ハンモックの良さは私がインドで感じた事があります。私がいた所は、乾期には日中の気温が50度近くにも上がる所でしたが、それでも人間が生きていられるのは、湿度がほとんどゼロに近かったからです。夜、映画館に入って、見ているときは、あまり暑く感じませんでしたが、立ち上がったら椅子に接触していたお尻の部分がびっしょりだった事がありました。同じ事で、夜ベッドに入っても、背中が暑くて、これならハンモックの方が良いなと思いました。中米では、この効用は少ないと思いますが、これは私が汗の効用を、正に肌で感じた例です。

パナマ運河については、大体の知識はあったものの、これだけ詳しい事を解説していただいて良くわかりました。有り難うございました。

最後の疑問点ですが、大西洋よりも太平洋の水位が高い理由は、太平洋の方が降水が多く蒸発が少ないためのようです。そのため喜望峰の南の海流で大西洋に向かって常時、海水が流れこんでいます。従って、パナマ運河を完全に切り開けば海水が大西洋に流れていくと思いますが、水位差はそのまま保持されると思います。その流速については、水位差が24cmでしたらさほどの速さではないと思いますが、私は専門家ではないので良く解りません。

▼コメント
投稿 SACHI | 2007年6月16日 (土) 18時53分
いつも興味深深の航海記  (^_^)v 親子といえども気になるところが全く違うようで・・・私が飛鳥世界一周を楽しむために BOWさんのページに出会えたのだと思っています。

ちょうど堺の実家に帰る時に「大阪の北のハービスエントやヒルトンウエストにあるブランド店」を読み「時間に余裕があったら覗いてみよう」とちょっと旅行気分で出掛けることが出来ました。(残念ながら素通りでしたが。)メキシコも是非行ってみたいと思っていましたが・・・奥様と同じく虫嫌い!その様子がまるで私の行動で笑い転げました。

キャンプや旅行先でしか叶いませんが主人はハンモックが大好き!お土産に頼むと良かった・・・とか また訪れる都市の知識の豊富さで全く違うものが見えてくることに感激してます。よって 私の今後のガイドブックにさせていただきます。 (^^♪ ・・・いろんな事を思いながら読み進んでいます。

父もカメラを持っては行きましたがBOWさんとは違うものを捕らえ、違うものを感じ帰ってくることと思います。母はたまに飛鳥のフォトエッセイに写真で登場し、お友達とワイワイおしゃべりを楽しんでいる様子です。 同じ飛鳥でも全く違う生活、違う旅を楽しむことが出来るのですね。

父が記していった世界地図では そろそろ日本が見えてきそうに。。。アッ! 夢の世界から現実に戻してはいけなかった  m(__)m また次のお話 楽しみにしています。

村上和雄先生の「遺伝子からのメッセージ」に出会えたことも感謝です。この春から末娘が医療系の大学で学んでいます。話題が増えました。

▼コメント
投稿 Kei | 2007年6月17日 (日) 03時38分
こんばんは(こんにちは?)
無事に旅を続けているようですね。こちらも変わりはありませんよ。 ハンモック、有難う。先日、庭の大規模な剪定をしたので、光の通りが良くなりました。最近は庭の管理が行き届いているので(笑!)ケヤキが育ちまくり森状態でしたから!今は紫陽花が満開で、ハーブ園も花盛り、シャラの木もグングン伸びてます。あ、去年張った芝生も、すっかり緑の絨毯状態です。

僕の記憶が正しければ、ハンモックは中南米が本場のはずです。それに、コスタリカ産とは驚き。コスタリカは地理で学んで知っていましたが、あまりなじみの無い国でしたが、一挙に身近な国になりました。

ハンモックが楽しくないと書いていたので、帰ってきたら、是非一度体験して見て下さい。ガーデンパーティーでもしながら!勿論、蚊のいない時間帯でね。風を浴びながらまどろむのは気持ちの良い物ですよ。 では、楽しい船旅を!

▼コメント
投稿 musi | 2007年6月17日 (日) 16時57分
BSで「ニューヨーク72時間」を放映、時間の許す限りみました(@_@) 後で気がつくなんとやらで、録画しておけば良かったと。ブログに登場した地名、建物などなど、興味深く見ることが出来ました。

何を隠そう、、、musiも虫はだっ嫌い!なんです。誰といても噛まれるのはmusiだけで、なんで好かれるのかと?野外コンサートに行くのは二度とごめん!の経験者です。奥様の防御策よーくわかります。

圭先生のハンモック好き、で兄を思い出しました。スケジュール表も残り一枚となりました。今度はHPでのUPを超楽しみにしております。あっこれってプレッシャーかなぁぁぁぁぁ(^^)

▼コメント
投稿 BOW | 2007年6月18日 (月) 07時05分
Ikeda様、コメントありがとうございました。ハンモックのことも、よく分かりましたが、パナマ運河についての私の疑問に早速クリアカットなご回答下さり、ありがとうございました。さすが、長年水を専門に扱って来られた方だと感心しました。同じ疑問を持った乗客に教えてあげました。

▼コメント
投稿 BOW | 2007年6月18日 (月) 07時11分
SACHI様コメントありがとうございます。
コスタリカで買い物をしている時に、ご両親とお会いして、美味しいコーヒーを売っているスーパーを教えて頂いたのです。その時に写真を撮っていただき、写真を昨日頂きました。コーヒーを忘れてきたことをお話したら大笑いされました(笑)。お嬢様が医療系の大学に進学されていらっしゃるのですか、楽しみですね!

▼コメント
投稿 BOW | 2007年6月18日 (月) 07時19分
Dear Kei,留守番ありがとう。
ハンモックを気に入ってもらったようで、嬉しいです。明日カボサンルーカスでメキシコ製椅子つきハンモックの良いのがあれば、買うつもりです。こちらは小柄な人向きのものをと思っています。主が変わると庭も変わる、緑の絨毯とはオドロキ(笑)。

▼コメント
投稿 BOW | 2007年6月18日 (月) 07時25分
musiさん、コメントありがとうございます。なんと「musiも虫はだっ嫌い!なんです」か!!面白いですね、そして虫には好かれる、我が家の奥様と同じですね!!

>今度はHPでのUPを超楽しみにしております。あっこれってプレッシャーかなぁぁぁぁぁ
私も、写真たっぷりたっぷりのものに書き換えたくて今からウズウズしています。プレッシャーなんかでは絶対ありません。張り切りすぎて、老体がダウンすることだけが心配です(笑)

▼コメント
投稿 シブチンスキー | 2007年6月20日 (水) 13時18分
蚊が飛び立ってくれたお陰で地図上にコスタリカを見ることができたというヒトラーのお話はオフィスで大いに受けました。

パナマ運河通行料の2000万円と利用しないで日本へ帰る場合のコストの差も面白く、通行料はそちらから逆算して設定しているのではないかとさえ疑えますね。四半世紀前に私が見学したパナマ運河もミラフローレンスロックからだったに違いありません。あの頃は日本の貨物船に日本人が乗っていて声をかけたら手を振ってくれました。

いろいろと勉強のおすそ分けをありがとう。お元気で紀行をお続けください。雑誌「選択」に「政界スキャン」というコラムを担当されている某氏が飛鳥Uに乗っておられてマルタ島の城壁のことを書いておられました。いろんな方が乗船されているようですね。

▼コメント
投稿 BOW | 2007年6月21日 (木) 01時38分
シブチンスキーさん、コメントありがとうございます。
ヒットラーと蚊の話、面白いですね、私も爆笑しました。けなげな国だとも思いました。貴兄は4半世紀前にパナマ運河を通っていらっしゃるのですね!いろんな方が乗っていらっしゃるのは確かです。あまり、プライバシーに関することは書かないように気をつけています。

▼コメント
投稿 シブチンスキー | 2007年6月21日 (木) 22時07分
パナマ運河を通った訳ではなく、パナマの銅鉱山の視察に行ったときにパナマ市内から運河の見学に行ったというだけのことです。

▼コメント
投稿 BOW | 2007年6月22日 (金) 01時29分
シブチンスキーさん、ごめんなさい 書いた後で、気がついたのですが、まあいいかと、訂正をしなくて、ご迷惑をおかけしました。あの熱狂的に手を振ってくれていた観客と同じ場所に居られたのですね。

>パナマの銅鉱山の視察
非鉄金属の殺菌作用について貴兄の講義を受けたことを思い出しています(笑)


◆飛鳥II世界1周航海記 07/06/13〜06/18

長い間ご無沙汰しました。決して体調不良だったわけではありません。パナマ運河のまとめを書いたら、肩の荷が降りた気になってしまい、ずるずるなまけていました。サンフランシスコを昨夜出港したので、これを早くまとめたいのですが、その前にデューティーを果たして置きたく、大急ぎで、カボ・サン・ルーカスまでを書き上げました。(6/23)


◆飛鳥II世界1周航海記 2007年6月13日 (水)

パナマ運河を通り抜け、太平洋を航行するようになってから、波は穏やかでゆれなくなった。晴れか曇りが多く、雨はない。大西洋とのあまりの違いを不思議に思う。

北米大陸の西海岸に沿って航行しているためか、たくさんの海鳥がなめらかに、自由自在に飛鳥IIのそばを飛んでくる。しばらくは、その優雅な姿に見ほれてしまう。海鳥たちは、時速19ノット(35km/時)の飛鳥を何度も追い抜いていく。 その内の1羽が海面に突っ込んだ。と同時に、数羽の仲間もいっせいに海中に頭から飛び込んだ。魚の群れを見つけたらしい。この鳥たちの視力はものすごく良いのだろうと想像する。飛び跳ねている魚の群れの大きな円が、遠くに見えたこともあった。このあたりは、魚が多くて、それを海鳥はねらって、優美な飛行を続けているのだろう。飛鳥IIの航行が海中の魚を驚かし、おもてに現れたところを、海鳥がねらっているのかもしれない。

夜にはギャラクシー・ラウンジでオペラ「夕鶴」ダイジェスト版が、メキシコのオペラ歌手4名による日本語の公演があった。彼らは、来年このメンバーで日本で初公演をするそうだ。これを企画したメキシコ在住のバイオリニストの黒沼ユリ子氏は、完璧な日本語だと評していたが、そのようには聴こえなかった。 また、ギャラクシー・ラウンジはマイクを使うように設計されていて、反響が非常に悪く、いくらオペラ歌手といえども、肉声では音量が不足する。そう言うわけで、歌手たちには気の毒だった。


◆飛鳥II世界1周航海記 2007年6月14日 (木)

妻が船内で顔見知りになった方から、コーラスの男声が少ないので、私に参加してもらえないかと頼まれたそうだ。それに対して、私が参加するだろうと答えたという。自分のことは簡単に決められないのに、私のことはあっさり引き受けてくるのだから、困ったものだ。

頼まれると、よほどの理由がなければ、断れない性分で、この日が最初の練習参加日だった。女声は多く、10数名はいるが、男声は4名しかいない。「花」2部、「知床旅情」4部、「千の風になって」3部、「どじょっこふなっこ」輪唱、「村の鍛冶屋」斉唱の譜面をもらって歌ったが、確かに男声は弱い。いつから、このコーラスはあるのかと尋ねて、乗船して10日目ころからだと知った。コーラスの男性が2人、体調不良のため、ニューヨークで下船されたらしく、その穴埋めに、5月29日のインターナショナル・ナイトで、大きな声を張り上げていた私が選ばれたというのが真相のようだ。

午後から厨房(ギャレ)の見学があった。乗船客730名の半数の夕食を、同時に提供できる厨房は、どのようなものだろうかという興味があった。同じ思いの乗船客は多いようで、見学者は3〜400名はいたと思う。行列をなして、順に流れ作業的見学をした。その一番最後に厨房を出てきたら、橋田寿賀子氏が厨房見学に来られたのを発見し、これに便乗させてらい、もう一度、こんどは厨房の側の説明を充分に聞きながら、見学することができた。

ここの厨房は大きく、ほとんどがステンレス製である。面白かったのは、中身の見えるかぎ付きの小さなボックスを集めたロッカーがあり、その中に包丁などの刃物類が入っている。これは、刃物の分類とか衛生管理のためのものではなく、刃物が凶器にならないために、調理に使用後、それを厳重に保管するための管理庫だったことだ。


◆飛鳥II世界1周航海記 2007年6月15日 (金)

今日、パナマ運河通峡までの航海記をブログに掲載した。入手できる限られた資料を使い、実際の体験を具体的にまとめたもので、航海記の中では一番充実したものになったのではないかと自分では思っている。

海は引き続きおだやかで、晴天である。海面にイルカの群れがよく見られるようになった。飛鳥IIに驚いて、海面上に飛び上がるのではないかと思ったりする。イルカが多いのも、海鳥と同じで、このあたりの海には魚が多いせいかもしれない。船上からは小さく見えるので、カツオが飛び上がったように見えると言う人がいた。カツオが実際に飛び上がるかどうかは知らないが、その感想が分かる気もする。


◆飛鳥II世界1周航海記  2007年6月16日 (土)

今回の飛鳥IIのキャプテンは、乗船客にずいぶん気くばりをしてくれているように思える。今日も、アカプルコをの近くを通過する際には、かなり近くまで船を近づけてくれた。そして、死のダイビングの飛び込み台のある崖だとか、いろいろを船内放送で説明をしてくれた。以前ここに行かれたことのある方が、その補足説明をしてくれるので、映画やビデオで見た映像を思い出した。

この近くにはウミガメが多いようだが、船上から見ると小さくて、分かりにくい。 今日はコーラス2回目の練習があった。あまり大きな声を出すのは、コーラスでは調和を乱してよくないのだが、男声があまりにも弱いので、しかたなく(ほんとうは、それを良いことにして?)大声を出してきた。

今夜は、「夕鶴」のメンバーによるオペラアリア集のコンサートがあった。こちらは日本語ではなく、イタリア語、フランス語、ドイツ語などの原語で歌ったので、日本語の時のような違和感はない。よく知っているアリアが多く、それは良かったのだが、やはり会場の音響環境が悪く、迫力がなかったのは残念だった。

ブログに載せたパナマ運河航海記に、コメントをたくさん頂いたので、そのお返事を書き込もうと、コンピュータ・プラザに行くと、インターネット用PCのモニターに「衛星機器不具合のためインターネットに接続できません」と貼り紙がしてある。何回か、このようなことがあったので、その内に回復するだろうと思っていた。しかし、そのあと深夜まで何度か、コンピュータ室に行ったが回復していなかった。


◆飛鳥II世界1周航海記  2007年6月17日 (日)

今日もインターネット接続不能の張り紙がとれない。スタッフの女性に回復はいつかと尋ねると、電話で担当者に長い時間をかけて問い合わせてくれた結果、1)この地域は衛星の切り替え地点で、どちらの衛星を使うか本日が日曜日のため、衛星会社と連絡がとれない、2)すぐ近くのカボサンルーカスでも衛星との交信がし難く、停泊中でも接続できないことが過去にあった、3)いつ接続できるかは答えられない、との回答だった。

これは困ったことになったと思案の末、船舶用メールは大丈夫なので、これを使ってブログへのコメントの転記をお願いすることにした。以下は、転記していただく予定だった文面である。

==========================================================
BOWです。航海記をお読みいただき、ありがとうございます。コメントもたくさんいただき、感謝しています。昨日夕方より、飛鳥IIのパソコンのインターネット接続ができなくなりました。衛星との交信が困難な位置にあるためだそうで、しばらくは、ブログを見ることも、Webメールを見ることもできない状況にいます。 そのことをお知らせしたく、船舶用メールを使い、T-baba様に甘えて、コメント欄に転記して頂きました。衛星との交信が回復次第、私本人がブログのコメントに書き込みますので、よろしくお願い申上げます。病気になったり、「うつ」になって海に飛び込んだりしたのではありません(笑)。
==========================================================

いつ回復するか分からないと言うので、それでは困るからと、T-baba様にメールでお願いしたのだが、午後4時に、念のためもう一度確かめてみると、治っているではないか! そのまま、ブログを開き、お礼のコメントを書き込んだあと、T-baba様にお詫びのメールを送信した。幸い、なんとか間に合って助かったが、私のか弱い心をもてあそんでくれて、困ってしまう。T-baba様から、心遣い一杯の返信をいただき、感激した次第。

明日のカボ・サン・ルーカス寄港でメキシコが最後になるので、今夜はメキシカン・ディナーが12デッキで開かれた。ここで、夕鶴の、テナー、バリトン、バスの3名が、「ベサメ・ムーチョ」を重唱で歌ったが、こんどはマイクを通しているので、もう、だんぜん素晴しい。こんな「ベサメ・ムーチョ」をはじめて聴いた。彼らはそのあと、乗船客と一緒に、リズムに乗って、汗だくになって踊りまわるのだが、その陽気なすがたは見ていて気持が良かった。


◆飛鳥II世界1周航海記  2007年6月18日 (月)

カボ・サン・ルーカスはカリフォルニア半島の先端にあるリゾート地である。ここは、大型船が着岸できないので、飛鳥IIは沖合いに投錨し、ここから飛鳥IIのテンダー・ボートで上陸する。まず、ツアーの「カボ・サン・ルーカス遊覧(午前)」に参加し、大型遊覧船「カボレイ」号で、半島周辺にあるエル・アルコ(アーチ・ロック)という岩や、アモール・ビーチ、リゾート・ホテルなどを海上から観覧した。

そのあと、カボ・サン・ルーカスの街を散策した。午後1時ころ、Saci さんのご両親一行と出会い、ロブスター料理を勧められた。妻は、メキシコでは、水、氷、生野菜を摂らないようにと寄港地案内で聞かされているので、ここで昼食など毛頭思っていなかったが、ご親切なお勧めを頂いたので、妻もこわごわながら食べる気になり、その有名店に入った。そこに、親しくして頂いている方がおられて、ちょうど食べ終われたばかりだった。そして、今まで飛鳥IIの乗船客で一杯で、多くの人は1時間以上並んで順番待ちをしたとお聞きした。

私は長く並んで待って食べるのが嫌いな人間で、どれほど美味いものでも、そのような場合は必ずあきらめている。だから、もしも普通の昼食時間にそこへ行ったなら、ロブスター料理を食べずに終わっていただろう。

ロブスターは身がコリコリして、美味かったが、これを食べることができて良かったと感激するほどではなかった。コーラを飲みたかったので注文したら、氷入りだったので、妻は氷なしのコーラに取り替えてもらい、これなら大丈夫と思ったのだろう。私が一気にコップ半分ばかりを飲んだところで、これは、先のコーラの氷を抜いて、注ぎ足したのかもしれないというひらめが妻の頭に浮かんだようだ。それ以上飲むな、との命令が発せられた。結局妻は一滴も口にすることはしなかった。

そして、しきりに私に謝るのだ。「きっとこれで貴方は下痢をするだろう。早く気がつけばよかったのに、ごめん」と。妻の心配しいには40年も付き合っているので、私は苦笑するばかり。

散策中に見つけておいた一番品数の多いハンモック店に立ち寄り、椅子型ハンモックを購入することにした。まず、スモールサイズを選んで、そこの主人に持たせて、妻は座ろうとする。主人は「オー、ノー」と飛び上がって驚き、私にも一緒に持てと言った。結局二人で妻の座っているハンモックを吊り下げたが、かなり重い。座り心地を確かめようとしているのか、妻はなかなか降りないので、「早く降りろ」と亭主の威厳を示してやった。 ところが、そんなことは気にかけないで、ミディアムサイズを試したいと妻は言う。

怒るかと思いきや、主人はニコニコ顔で、太いチェーンと南京錠を持ってきた。何をするのかと見ていると、かもいにチェーンを掛け、椅子型ハンモックをこれにつなぎ、南京錠でロックして、乗れと言う。妻が乗ると、ちょっと大きめの良いサイズだ。主人は私にも乗れというので、乗ってみたがちょうど頃合だった。 ここまで面倒をかけたら、買わないわけには行かないと読んだ主人は、それでニコニコ顔になったのだろう。黒のビニールの袋でぐるぐる巻きにしてくれた。

弓状になった黒い代物を肩に担いでいると、たくさんの好奇の目の注がれているのが分かる。「何を買われたのですか?」と問われて、「何だと思われますか?」と問い返したら、「象牙ですか?」、ああ愉快だ! 「その100万分の1の値段のもの、ハンモックですよ」と答えた。なんでハンモックなんか買うのだろうという目をされるので、息子が変わっていて、ハンモック趣味があるので言うと分かったような顔をされるのが面白い。


▼コメント
投稿 yakky | 2007年6月25日 (月) 09時21分
世界一周07 飛鳥U 追っかけての放映です? BOW様エッセイを拝見して、TV放映を検索すると有りましたね。 ・関東地区TBSで放映
橋田壽賀子&泉ピン子の美女ふたり旅(豪華客船・飛鳥Uで日本を発った橋田壽賀子に泉ピン子がイスタンブールで合流し、今回の旅が始まる。
2007年 6月16日 カッパドキア気球体験魅惑の黒海・ 17日クロアチアの世界遺産の街ドブロブニクでは城壁から歴史的な街並みを望む。
イタリアのベネチアからバスの旅でスロベニアに入り、湖や城など東欧の美しさを満喫。
シュコツィアン鍾乳洞などを訪れる放映でした。 再放映を探しています。

・関西毎日テレビ   ぴったんこカン・カン 
泉ピン子が橋田寿賀子(飛鳥U乗船)に便乗してバルセロナツアー 6月5日・12日・26日 放映。

・関西テレビ朝日   デコトラ 山本太郎  
アメリカ国境サンディエゴから、バハ・カリフォルニア半島に入りラパス、憧れのメキシコに初上陸を果たす。07年6月?日放映有りました。 タコス(プリプリえび)を吟味 「カンブロッソ!!」

・NHK総合、BS−1、BS−2 6月15日から17日までの3日間の放映。
ニューヨークの魅力をたっぷりとお届けする72時間。スポーツ、美術、ミュージカル、映画、ライブ…。
現地からの中継もまじえ、魅力的な番組が目白押し。 摩天楼からの夜明けは必見でしたよ!

乗船も永くなると体調を崩される方は残念ですね。次回のエッセイを楽しみにしています。

▼コメント
投稿 シブチンスキー | 2007年6月25日 (月) 10時58分
BOWさん、毎度のことながら、書いておられる内容もボリュームも誠にご立派です。
今回の記事で2人の男性が体調不良でNYで下船なさったと知り、やはり年配者が多いのでそういうことが起るのだなあと実感しました。

コーラスの男性不足は地上でも同じらしく、昨日出かけた音楽会で配られたパンフレットでも特に男性を求人していました。世の中、女性のほうが活動的ということでございましょう。

太平洋側に入って好天が続いている由。そういえば、米大リーグの野球もサンディエゴあたりでは雨天中止なんてことはほとんど考えられないそうですね。続編をお待ちしています。お元気で’


◆飛鳥II世界1周航海記  2007年6月19日 (火)

今日も太平洋は波静か、天候も良い。コーラスに参加して4回目の練習が、ピアノのあるマリナーズクラブで行なわれた。新しく「遥かな友に」3部、「海」斉唱、「故郷の人々」斉唱、の譜面をもらった。


◆飛鳥II世界1周航海記  2007年6月20日 (水)

明日はサン・フランシスコに入港する。その前に、私が抱いてきたサン・フランシスという都市のイメージをまとめてみたい。というのは、訪れたことのない都市の中で、ここほどはっきりイメージを思い浮かべることのできる都市を知らないからだ。それを教えてくれたのは、一つの歌「I Left My Heart In San Francisco」である。この歌は私の愛唱歌の中の、少なくともベスト5に入っている。また、トニー・ベネットが歌ってヒットし、サン・フランシスコ市歌に制定されている。

何が良いかと言うと、まずヴァース(verse)が良い。これは歌の前口上に当る部分で、パリもローマも大したことはない。マンハッタンでは、ものすごく孤独で、見捨てられていた。私は湾の傍にあるわが街サン・フランシスコへ戻りたい、と望郷の思いを述べるのだ。

3つの都市の名を挙げて、ここでは私の心は満たされない、やはり、心はサン・フランシスコにあると語る。 どんなところかと言うと、高い丘(hill)があり、そこを小さなケーブルカー(little cable cars)が登って行く。朝は霧が出て(morning fog)冷えるが、気にならない程度だ。青くて風の強い海(blue and windy sea)があり、金色に輝く太陽(golden sun)が待っている。

これに映画で見たシーンが重なり、サン・フランシスコは、人に優しい街、心安らぐところというイメージが湧いてくる。サン・フランシスコに寄港したら、サン・フランシスコ湾、丘、ケーブルカー、朝の霧、輝く太陽をこの目で確かめたいと思う。


◆飛鳥II世界1周航海記  2007年6月21日 (木)〜22日(金)

いよいよサン・フランシスコ(SF)である。ここもニューヨークと同じように、2日間を、テーマごとに分けてまとめることにした。

テーマは、1.地理、2.入港、3.入国審査、4.徒歩観光、5.車窓観光、6.ショッピング、7.ケーブル・カーと丘、8.出港、9.まとめ、に分けたが、実際に歩いて体験した4.徒歩観光が中心になっている。ニューヨークと違って、ミュージカルはないが、それに代わってサン・フランシスコ独特のものであるケーブル・カーと丘をとりあげた。

サン・フランシスコは、今回のクルーズでは一番イメージができ上がっている都市で、それがどのように変わるのか興味があった。正味1日半の時間しかなかったが、見たい場所はできるだけ歩いて確かめ、ツアーバスの窓外見学で満足できない場所は、改めて別に歩いた。そのためにタクシーをフルに利用したが、ここはニューヨークと違って、タクシーを捕まえるのが難い街だった。


1.地理
サン・フランシスコも知っているようで、ほとんど何も知らないのと同じだったので、自分のために地理の概略をまとめてみた。サン・フランシスコ半島は、北に向けて突出している。サン・フランシスコは、その先端部分にあり、西は太平洋、北と東はサン・フランシスコ湾によって海で囲まれ、ちょうど正方形に近いかたちをしている。その中心になるのは、北東4分の1のようだ。また、ゴールデン・ゲート・ブリッジは、北西の端近くから、対岸に向けて南北に架かっている。

区画は、ニューヨークのように、数字の付いたAvenueとStreetの道路によって整然と人工的に分けられたものではなく、すべてが名前のついたStreetである。例外は、SOMA地区で、ここでは南西に向けて1から11までの数字の付いたStreetがある。

北緯38度に位置し、新潟、仙台の緯度に当る。気候は、現地ガイドが「常秋」と表現したのが面白かった。なぜ「常春」でないのか聞きそびれたが、晩春がなく晩秋があるということだろうと理解した。


2.入港
飛鳥IIは、6月21日、12:40にゴールデン・ゲート・ブリッジの下を通過し、13:30にピア35に着岸した。ゴールデン・ゲート・ブリッジには霧がかからず、朱赤の美しい姿を見せ、サン・フランシスコ湾上からは、サン・フランシスコ市街を含めて、360度を眺望することができた。快晴で霧はなく、視界明瞭、最高のコンディションだった。水鳥が数え切れないほど飛翔している。ここは予想していた以上に素晴しい街という印象を受けた。


3.入国審査
ニューヨークで厳重な入国審査を受けているが、ここでも対面審査があった。審査はニューヨークと違って船内で行なわれ、14:20に対面審査が始まり、乗船者全員の審査が終わって下船許可が出たのが16:20である。ニューヨークでは船外で審査が行なわれ、終わった者から港の外に出ることができたので、審査開始1時間後には観光に出かけられたことを思うといささか腹立たしい。


4.徒歩観光
徒歩観光した地区を、A:ベイ・エリアと、B:市街中心部に分け、それぞれについて、おおよそ、北から南の順でまとめることにした。

A:ベイ・エリア
1)ゴールデン・ゲート・ブリッジ(Golden Gate Bridge)
「歩いて渡るゴールデンゲートブリッジとケーブルカー(午後)」のツアーに参加した。飛鳥IIが通ってサン・フランシスコ湾に入ったこの橋を、歩いて渡ることができるのだから嬉しくなる。 この橋は1937年に建設された。私が生まれた翌年である。潮流が激しく、絶えず霧が出るなど悪条件の中でこの時期に建設されたことを思うと、当時のアメリカの技術が如何に素晴しかったのかを思う。また、この橋の計画が、あの大恐慌の中で行なわれたことを知ると、アメリカの経済力の底力を感じてしまう。

全長2789m、幅37.4m、6車線の道路と両外側に歩道・自転車道がある。水面からの高さは66mあり、今までその下を通り抜けられなかった船はない。橋の色は、周囲とのコントラストが美しい朱赤(インターナショナルオレンジ)で、自然と調和し、同時に、霧の中でもよく見えるように、安全面も考慮されている。

この橋を、対岸のビスタ・ポイントからサン・フランシスコ市内まで歩いて渡った。ツアーに参加したのは80名。左手にサン・フランシスコ湾の光景が眺望できる。右手は猛スピードで走り過ぎていく車の列、そのさらに右手には太平洋が見える。橋を進むにつれて、左手のサン・フランシスコ湾の光景が変わって行く。橋梁も同じで、ものすごい迫力だ。

絶えず立ち止まっては、写真とビデオ撮影をする。同じことを、半数近くの人がしていたようだ。グループに遅れないように、早足で歩いて先頭近くに出て、撮影で遅れて、また急ぐ。このようなことを何度もくり返した。誰も元気で、楽しそうだ。45分もかからずに全員が楽々で渡りきった。太陽は燦燦と照り、太平洋から吹いてくる風も、それほど冷たくはない。絶好の渡橋条件だった。

現地ガイドによると、このようなツアーはこれまで滅多になく、ガイド生活を長年してきたが、記憶では4〜5回しかない。昨年は天候が悪く、霧も濃く、風が猛烈に冷たく、散々だったそうだ。私たちはなんと幸運なんだろう。

2)フィッシャーマンズ・ワーフ(Fisherman's Wharf)
ここは、かってはイタリア人の漁港として栄えた。その後、再開発が進められ、今やレストランショップが軒を連ねる観光名所となっている地域である。その中のピア39(Pier 39)に出かけた。 ピアというのは埠頭のことで、飛鳥IIが停泊しているピア35のとなりの埠頭がピア39である。ここは飛鳥IIから、歩いて7〜8分の位置にある。かっての桟橋は、今で大ショッピングエリアに変わり、レストラン、ブティック、土産品店など100店舗以上が軒を連ねている。

ここはウォーター・フロント再開発のはしりで、その後の世界のウォーター・フロント再開発計画のモデルになったところだ。そういえば、ここに来てすぐ、神戸のモザイクに似ていると思ったが、間違いではなかったようだ。規模はここの3分の1くらいだが、恐らくここを真似したのだろう。

ピア39の端のKドッグには、野生のアシカが、いかだの上で何頭か寝そべっていた。これが人気者らしいが、私たち夫婦の趣味ではない。

入口の2階のレストランの蟹料理が美味しいと教えてもらった。店の名「FOG HARBOR 霧の港」は上出来だ。GARIC CRAB(ニンニク利かした蟹料理)を注文した。かなり雑に料理してあり、食べるのに手が汚れてしまう。そのため、たくさんの紙製ナプキンが付いてきて、最後には臭い消し用のレモンが半分に切ってネットに包んでおいてある。

味は確かにニンニクがよく効いていて、塩味も頃合だが、あの蟹特有のうまみがない。パサパサした感じで、やはりヤンキーの料理はこんなものかと納得した。私は無類の蟹好きだが、これを美味いうまいと言うわけにはいかない。 パンは、サワー・フランスパンという少し酸っぱ味のするフランスパンで、これは、まあ悪くはなかったが、これとて、普通のフランスパンより良いということはない。大体、アメリカ料理で美味いものを求めるのが間違いなのだろう。

ツアーの日本人ガイドが面白いことを言っていた。「アメリカ人は料理の天才だ」、なんで?と思っていると、訂正が入り、「料理を不味くする天才だ」と。彼らは、かって西部へと開拓で向かっていた時に、生ものを食べるのは病気のもとだからと、何についても厳重に火を通してきた。その習性が残っているため、肉料理の注文でミディアムと言えば、ウエルダンが出てくるし、ウエルダンと言おうものなら、革靴の底のような食べられないものが出てくると言って笑わせていたが、分かる気がする。

蟹料理についても、アメリカ人は湯の中に蟹を長時間放り込んで煮えたぎらせて、うま味を全部湯の中に抜けさせてしまう。その味がたっぷりの湯は捨てて、味の抜け蟹を食べるというのだ。この話を聞いて、ピア39で食べた蟹料理を思い出した。

3)ピア35(Pier 35 Cruise Ship Terminal)
ここは客船専用の埠頭で、飛鳥IIクラスの大型客船が2隻同時に停泊できる。奇数番号のピアは客船専用で、偶数番号は貨物用埠頭だと日本人ガイドは話していた。

4)フェリープラザ
ここは、かっての世界貿易センターを改造してできたショッピングセンターで、グルメやオーガニック食材などの専門店が約30軒並んでいる。ここからは、ベイ・ブリッジが近くに見えて、写真撮影に適している。私はショッピングに興味がないので、写真とビデオ撮影で、ツアーの自由時間をできるだけ多く消費した。この建物のある表通りには、ヤシの木が並んでいて、南国ムードにしているが、どういう意図があるのだろう?

5)ダッグアウトストア
ここは、サン・フランシスコ・ジャイアンツのホーム球場AT&Tパークにある店で、かって新庄選手が居たころは彼のネーム入りTシャツがよく買われていたが、今は置かれていないと言う。不思議なことに、ヤンキースの松井選手のネーム入りTシャツが置かれていた。どうして、ヤンキースのグッズがあるのか、ガイドも怪訝に思ったようだが、しばらくして、今夜この球場で対ヤンキース戦があることが分かり、納得した。日本人のヤンキース応援団が、たくさんこちらに乗り込んでくるのだろう。

この球場は敷地が狭く、ライト・スタンドを作ることができなかった。そこで、ライト・スタンドに相当する部分は海になっている。このジャイアンツの何とかいう選手がホームラン・ダービーのトップを走っていて、間もなく新記録が出るような状況らしい。彼がライトにホームランを打つと、それはポチャンと海に落ちる。それを手に入れようと飛び込む人が続出し、ボートもひしめいているらしい。ここの海は冷たいので、犬を訓練して、ボールを取らせるのが、最近のトレンドとなっているとも聞いた。なんとも、平和なことだ!

6)ベイ・ブリッジ(Bay Bridge)
ベイ・ブリッジはサン・フランシスコから、東側対岸のオークランド (Oakland)を結ぶ。その中間点にトレジャー・アイランドがある。この橋は、大恐慌後のニューディール政策の一つとして、1936年に建設された。現在この橋を高速道路80号線が通り、そのまま突き進んで行けば、ニューヨークに達する。1989年の地震で、オークランド側の橋は大きな被害を受けたが、サン・フランシスコ側は大丈夫だった。

1936年は私が生まれた年である。この時期に、この橋が建設され、翌年にはゴールデン・ゲート・ブリッジが建設されたのだ。もし、日本の軍部の要人が、太平洋戦争の前に、これらの二つの橋を見ていたなら、この国と戦争をするなどという無謀なことは決してできなかっただろうと、ガイドは語っていたが、まったく同じ思いだ。彼我の差が如何に大きかったかを改めて思い知らされた。

私の誕生年に、ベイ・ブリッジが建設されたことを知って、この橋だけではなく、サン・フランシスコに対して親近感が湧いてきた。そこで、サン・フランシスコの姉妹都市は、ひょっとして大阪ではないかと調べてみたら、当っているではないか! ますますこの都市が好きになってしまった。

7)トレジャー・アイランド(Treasure Island)
トレジャー・アイランドはベイ・ブリッジ中間近くにある小さな島である。ベイ・ブリッジを通って、この島に降りて、サン・フランシスコ湾を眺望した。ゴールデン・ゲート・ブリッジは少し霞んで見える。ガイドは、あれが朝の霧(morning fog)だと説明してくれた。アルカトラズ島(Alcatraz)もすこし霞んで見える。

それに対して、サン・フランシスコ市街とベイ・ブリッジは、朝日を受けて鮮やかだ。入港時に飛鳥 II船上から眺めた時よりもはるかに美しい。ニューヨークの摩天楼とは違って、ここには自然と人工がたくみに調和し、色も形も配置も変化に富む。素晴しい。

8)サン・フランシスコ湾の日の出
サン・フランシスコ入港翌日の朝、キャビンのバルコニーから見た朝日は、クルーズを通してだけではなく、これまでの人生で見てきた朝日の中でも一番美しいものだったような気がする。私は感動しながら、この貴重な映像を、写真とビデオに収め続けた。左舷側のキャビンの乗船客の多くが、同じ感動を味わったに違いない。


B:市街中心部
1)ロンバード通り(Lombard St.)
普通「ロンバード通り」と言えば、Lombard St.のうちの、Hyde St. と Leavenworth St.の間を指す。「世界一曲がりくねった坂道」として有名なところで、直線にすれば100メートルくらいだろう。勾配約30度の坂に、8箇所の急な曲がり角が設けられた道だ。その両脇に、満開のアジサイが植えられていて美しい。

いろいろなタイプの車が絶え間なくここを降りて行くが、極めてゆっくりと、中にはデジカメとかビデオ撮影をしながら、降りてくる者もいる。みんなニコニコ顔で陽気だ。 カッコイイ真紅のオープンカーが下りて来た。妻はそのそばに駆け寄り、一緒に写させてくれと頼んでいるようだ。もちろん、彼らは笑いながら応じてくれたので、スナップを撮った。アジサイがきれいから、ブーゲンビリアが素晴しいからと、何枚も写真を撮らされた。

じつは、飛鳥IIを下りて真っ先にタクシーで来たのがここだった。寄港地ガイドでこの場所を知り、日の明るい内に、この楽しい場所をこの目で確かめ、歩いて下りたいと思ったのだ。それが正解だったことは妻も認めている。このような遊び心を大切にする街が好きだ。

ケーブルカーのパウエル・ハイド線は、このロンバード通りを横切るので人気がある。そのため、乗車するのに長時間並ばなければいけないようなので、直接タクシーでここに来ることを選んだのだった。二人はルンルン気分で、坂道をどんどん下って行った。

2)コイト・タワー(Coit Tower)
Lombard St.を下って行くと、遠くにコイト・タワーの円筒状建物が目に入った。タクシーを捕まえ難いので、歩いてここに行き、展望台に登った。ここからはサン・フランシスコの景色が360度の方向で見える。飛鳥IIも眼下に見え、トランスアメリカ・ピラミッドもすぐ近くに聳え立っている。

3)ノース・ビーチ(North Beach)
ここは、チャイナタウンの北東にあり、イタリア人街がある。街は落ち着いてシックな感じで、おしゃれなレストランなどがあった。

4)チャイナタウン(Chinatown)
米国で一番古く、最大の中国人街で人口16万人という。アジア以外では最大規模のチャイナタウンだという。神戸や横浜の中華街とは比較にならぬほど大きい街だが、中華街特有の猥雑さがより強く、同じアジア人でありながら、私たちの好みではないと思った。

5)トランスアメリカ・ピラミッド(Transamerica Pyramid)
サン・フランシスコで一番高い建物で、どこからも良く見える。

6)ユニオン・スクエア(Union Sq.)
ここはサン・フランシスコのダウンタウンの中心地で、ショッピングエリアである。公園を取り囲んで、南面はメーシーズ百貨店、北面にティファニーなど、西面にウェスティン・セント・フランシス・ホテル、東面にディオール、グッチなどのブランド店がある。一番の繁華街だけあって、銀座や梅田なみに賑わっている。

7)ケーブルカー終点(Cable Car Turntable)
ユニオン・スクエアの西側を南北に通るPowell St.を南に少し下がり、Market St.に交わるところに、2種類の系統のケーブルカーの乗車場がある。ケーブル・カーは、ここで男2人の力によってターンテーブル上で回転し、180度方向転換をする。これに乗る人が、長蛇の列をなして、この発着所を取り巻いていた。

8)SOMA(south of market)
SOMAとは、Market St.より南の地区で、再開発が盛んに行なわれている。その中心となるのが、サン・フランシスコ近代美術館(San Francisco Museum of Modern Art "SF MOMA")である。飛鳥II の寄港地デスクで、ここは21時まで開いていると聞いたので、ユニオン・スクエアのブランド店が閉まったあと、こちらに来てみたら、既に閉館だった。ここの売店は開いていたので、尋ねても閉館だと言われ、運が悪いとあきらめた。

あとで、飛鳥のスタッフから、自分は入館できたと聞いたが、17時ころだったという。金曜日は早く閉館するのかも分からない。 彼女は、ここへ自転車で来たという。湾岸沿いの道を通れば、あまり坂も無く、自転車が便利なようだ。

閉館では仕方がないと、タクシーで飛鳥IIに戻ろうとするのだが、なかなかタクシーが捕まらない。ニューヨークと違って、ここは本当にタクシーの数が少なく、あちこちの通りに移動してみるが駄目だった。 ウェスティン・セント・フランシス・ホテルの前にタクシー乗り場があるが、2〜30人は並んでいる。並んでみたが、なかなかタクシーが来なくて、他に探しに行ったりして、結局またこちらに並び、最初から1時間近くかかってタクシーに乗ることができた。

タクシーが捕まり難かったのは、その日が金曜日だったせいのようだ。また、サン・フランシスコではタクシーが少ないのは、ケーブルカーを初め、ヒストリック・ストリートカー、ミュニ・メトロ、ミュニ・バス、バートなど交通機関が豊富にあるためだろう。東京や大阪、ニューヨークなどで空車のタクシーが走り回っているという状況こそ異常というべきだろう。


5.車窓観光
ツアーで車窓観光したところは、すべて、徒歩観光もしたので省略する。


6.ショッピング
ユニオン・スクエア周辺のブランド店、デパート、一般店のめぼしいショップに入ったが、ニューヨークと同じで、梅田のショップより規模の大きく豪華な店は少なかった。なお、サン・フランシスコでは消費税が8.5%かかり、外税で、免税はない。サン・フランシスコのブランド店は18時閉店のため、21日は上陸が遅れた上、他を観光したので、ウインドウショッピングだけに終った。22日もツアーを途中で離断して、こちらに来たが、1時間あまりしか入店できなかった。おかげで私は助かったと内心思っている。


7.ケーブル・カーと丘
サン・フランシスコは丘の街である。丘はけわしく、いくつもあり、丘だらけという印象を受ける。だから、この街の交通機関として、ケーブルカーが使われるようになったのが、よく理解できる。このケーブル・カーは、1873年から営業を開始しているというから驚きだ。ゴールド・ラッシュの頃、鉱山のケーブルカーを設計した技師が発明したという。

街を走っているケーブル・カーは、小さくて可愛い。歌の文句にある little cable cars だ。このケーブル・カーのステップに足をかけて、バーをつかんで半身を乗り出し、ぶら下がるように乗っている人が多い。チンチンと鐘を鳴らしてやってくる。この鐘を打ち鳴らしながら、乗客が歌ったり、拍子をとっているケーブルカーにも出くわした。なんとも楽しい光景だ。

ツアーで、比較的乗客の少ないカリフォルニア線(CALIFORNIA LINE) に、バン・ネス(Van Ness)終点から乗車し、マーケット通り(Market St.)終点で下車をした。ケーブルカーの前半分の両側は窓も無く、外向きの5人掛けの椅子があり、椅子の下の外側にステップがある。また、椅子の間に3本の円柱の支柱があり、これに握り棒がついている。椅子に腰掛けた乗客の外側に、ステップに立った乗客が、握り棒を掴んで、落ちないようにぶら下がることができる構造になっているのだ。初めから、このような乗り方ができる構造になっているのだから、面白がって、ぶら下がっているのではないことが分かった。

両側が椅子なら、その間はどうなっているかと見てみると、ここに大きな歯車があり、これが両側のレールの中央にある第3のレールに挟まり回転しているのだ。これがケーブルカーの本体と言えよう。この歯車の停止再開をするのが、長いサーベルのような鉄のブレーキだ。つまり、ここは運転室。ここをデジカメで写すことはできたが、運転の邪魔になるので、ビデオ撮影はできなかった。この第3のレールを歯車が回転して坂を登り降りするメカニズムは、パナマ運河で船舶を牽引する電気機関車と本質的には同じだ。

発車とか停車の際に、チンチンと鐘を鳴らすが、これも天井から垂れ下がっている紐を引っ張ると、前方屋根の上に固定した鐘を叩いて鳴るようなっている。 このケーブルカーの外向き座席に座って、かなり長時間ビデオ撮影をしたので、うまく撮れていれば、ケーブルカーの擬似乗車体験を味わってもらえるかもしれない。

ケーブルカーに乗ると、タクシーよりもずっと丘の起伏が強く感じられる。少し視点が高い位置にあるためか、ガタガタ、チンチン、ギーギーの音がそのような気分にするのか分からない。40度もあるかと思う坂道を下って行くときは、ちょっと怖いほどである。


8.出港
出港午後10時のため、9時が最終帰船時刻である。タクシーを拾うのが難しかったが、夕食最終時刻には間に合った。気疲れと歩き疲れで二人とも不機嫌になり、キャビンに戻らず、そのまま、フォーシーズンで夕食を摂った。

10時出港の予定が、パイロットの乗船が遅れ、10時40分に出港した。疲れたのと出港が待ちきれず、出港風景を楽しむことはしなかった。


9.まとめ
サン・フランシスコは訪問前のイメージを越えた素晴しい街だった。この街の印象を数え上げてみると、1)こじんまりした、2)温かみのある、3)個性的な、4)オシャレな、5)楽しい、6)調和のとれた、7)自由な雰囲気のある、8)威張っていない、9)人間的な都市となる。これではベタ褒めに近いが、そう言わざるを得ないのは確かだ。

しかし、私たちがここに永住したいかというと、それは違う。やはり、私たちは大阪の中之島が良い。外国よりも日本が良い。もう、オマケの人生にいるのだから、なおさら、そのように思うのだろう。


▼コメント
投稿 シブチンスキー | 2007年6月28日 (木) 15時50分
待ちかねていたサンフランシスコ紀行は流石にご本人が楽しみにしておられただけあって内容の濃い記事となりました。よくあんなに1日半で歩き回られたものだと感心しました。

ゴールデンゲートブリッジの徒歩も天候に恵まれて感動的だったでしょう。私は一度仕事で行っただけですが、SFは坂のある街だと痛感させられました。ホテルのすぐ近くにレストランを地図で見つけて出かけたのですが、凄い坂道で予想の3倍ほど疲れたことを記憶しています。

▼コメント
投稿 T-baba | 2007年6月28日 (木) 20時11分
とにかく驚きのサンフランシスコ紀行文でした!たった一日半でこれだけ膨大な記事が書ける記者さん(笑)を私は知りません。

スゴイ!見所を外さず、地理も分りやすく、もう何年も滞在されたかのような細かい描写にたまげながら読みました。サンフランシスコに関してはちぃとばかり先輩だと思っていたT−baは脱帽、平伏です。

広すぎるゴールデンゲートパークを外して、実に要領よく回っておられました。お奨めしたかったのが、ゲートの真下のFort Pointで、昔の砲台跡などがあって湾の水が手に取れるところですが、あまりにマイナーすぎて案内がなかったのでしょう。

ピア39やワーフはすっかり俗化してしまいましたし、蟹は美味しくありません、おっしゃるとおりです。急な坂道、、あの「ダーティハリー」が、ムスタングをぶっとばして競りあがってくるシーンを思い出しますね!

酸っぱいフランスパン!!ほんまにそうです!美味しくないのにどうしてこんなパンを焼くのかと、いつも息子とぼやいていました。冷たい湾から上がったヒラメなのに、大きさが座布団くらいもあって大味で全く美味しくなく、アメリカ人が魚を食べない訳がわかったように思ったものでした。

ジャパンタウン近くの Van Nwss Ave から Geary St はボロ車でよく通過しました。涙が出るほど懐かしさイッパイで、書かれているストリートとアヴェニューの名前を読みました。ありがとうございました!

▼コメント
投稿 SACHI | 2007年6月28日 (木) 20時30分
風邪で寝込んだことも下痢に苦しんだ話も聞いたことがない驚異的な我が両親。氷もお構いなしで いろんなものを楽しんでいるのだろうなぁ。。。

と思っていたら昨日「母、左足関節骨折」のメールが届きました。サンフランシスコにてギプス固定、そのまま旅行が続けられると知ってほっとしました。三食昼寝付き、家事をすることもなく、北に向かえば蒸れに悩むことも少なく、不幸中の幸い!?   お友達とゆっくりとおしゃべりの時間を過ごし、疲れも取れて帰国かな。。。と   (^^ゞ 

私は活動的なこちらのブログで引き続き楽しませていただきます。

▼コメント
投稿 さくら38 | 2007年6月28日 (木) 21時34分
サンフランシスコのいろいろ、懐かしく読ませていただきました。というのも随分昔にロスに居る友達を訪ねて行った時に、レンタカーを借りてサンフランシスコを廻った時の事を、思い出しました。

でも説明の中にも行っていない所(当時にはなかったのかも)が多々ありました。その時、私はこの町なら転勤になってもあまり抵抗はないなあと思ったのですが、やはり若かったからでしょうか、なにかなじみやすく感じたのだと思います。

でも今までご無事でご機嫌よろしく、旅を続けられなによりです。あとわずかの旅行記楽しみにしています。

▼コメント
投稿ikeda | 2007年6月28日 (木) 22時15分
サンフランシスコはニューヨークよりも行かれた方が多いと思いますが、私は前に、お話した昭和45年にニューヨークへ行く時に寄ったのが初めてです。アメリカへの出張は初めてでしたが、商社で決めてくれたホテルはブッシュ・ストリートにありました。朝フロントから電話があって「ハロー」と返事したら「お早うございます」と返事があったのには驚きました。翌朝、外へ出たら語呂合わせでしょうが「武士道」と日本語で看板が掛かっているのに、またビックリしたことを思いだします。

翌年、別件でサンフランシスコへは2回行きましたが、行き先はゴールデン・ゲートを通って北へ車で1時間くらい行ったサンタ・ローザにある会社ですが、良い所でヒッチコックが「疑惑の影」や「鳥」のロケをした所です。そのためゴールデン・ゲートは何回か往復しましたが、歩いて渡る余裕がなかったのは残念です。ただ通勤時間帯に合わせて、上下車線の分離標識を置き換えているのを見た事があります。

> フィッシャーマンズ・ワーフ
ここへも一度行って、蟹は食べませんでしたが、カップに入ったシュリンプを買って食べました。これまでのお話を読むと、多分手にされなかったと思いますが。 それにしても今は、ここと同じ名前を付けた所が、内外とも、あちこちにありますね。

> ダッグアウトストア
不勉強で最近のジャイアンツのホーム球場がAT&Tパークにあるという事は知りませんでした。ジャイアンツの前の球場キャンドル・スティックに野球を見には行った事がありますが、スタンドで座っていたら寒くて仕方ないので、途中で早々に引き上げてしまいました。

> 今夜この球場で対ヤンキース戦
ジャイアンツは、昭和33年頃までニューヨークの球団でヤンキースの好敵手だったので人気ある組会わせだと思います。

> 彼がライトにホームラン
これはボンズの話だと思いますが、これを聞いた時、確かそんな場所ではないと記憶していたので、おかしいなと思っていました、今回調べたら、違う球場だと知って納得しました。

それ以後、サンフランシスコには行っていませんが、アメリカでは、こことボストンが一番好きな所なので、いずれ機会があればと思っています。


▼コメント
投稿 BOW | 2007年6月29日 (金) 13時38分
シブチンスキーさん、コメントありがとうございます。

>よくあんなに1日半で歩き回られたものだと
おかげで、翌朝顔が痛く、次の朝はそれが倍以上にひどくなり、次の日は顔が突っ張って、しかめ面ができなくなり、その次の日からすこしづつ皮がむけ始め、現在はまだらな醜い顔なっています(笑)。小学生以来の経験?だと思います。

>凄い坂道で予想の3倍ほど疲れた
私も経験して良く分かりました!

▼コメント
投稿 | 2007年6月29日 (金) 13時43分
T-baba さん、コメントありがとうございます。

>先輩だと思っていたT−baは脱帽、平伏です
それはオーバーな! だけど、ものすごく嬉しいです!!

>ムスタングをぶっとばして競りあがってくるシーン
そうですね。そのムスタングをやはりサンフランシスコでは良く目にしました。あの曲がり坂で、のろのろ下りてくるムスさんを見て笑ってしまいました。

▼コメント
投稿 BOW | 2007年6月29日 (金) 13時50分
SACHIさん、コメントありがとうございました。

>「母、左足関節骨折」のメールが届きました
このことは、知っていましたが、私はブログに書かないから、ご安心くださいと申し上げていたのです。 今朝お父様にお会いし、夕食後お母様にお会いしました。お元気で、楽しくおしゃべりを楽しんでいらっしゃるようです。

>ゆっくりとおしゃべりの時間を過ごし、疲れも取れて帰国かな
ニコニコされて、お元気ですよ!!

▼コメント
投稿 BOW | 2007年6月29日 (金) 13時53分
さくら38 さん、コメントありがとうございます。

>私はこの町なら転勤になってもあまり抵抗はないなあと思った
その気持分かるような気がします!

>あとわずかの旅行記楽しみにしています
ありがとうございます。

▼コメント
投稿 BOW | 2007年6月29日 (金) 15時44分
ikeda 様、コメントありがとうございます。

>ブッシュ・ストリート
これを「武士道」とは愉快ですね!

>通勤時間帯に合わせて、上下車線の分離標識を置き換えている
ベイ・ストリートもそのようです。また、SFに入るのは無料、3人以上乗っている乗用車も無料と、合理的ですね。

>ジャイアンツは、昭和33年頃までニューヨークの球団
そうなんですか。

>これはボンズの話だと思いますが
ありがとうございます。ガイドはそう言ってました。毎日電光掲示が出るそうです。

>こことボストンが一番好きな所
やっぱりそうですか、分かる気がします。

▼コメント
投稿 musi | 2007年6月30日 (土) 16時36分
スゴイスゴイ!一日半でこれほど膨大かつ濃密に記録されてるなんて!と驚きつつ奥様との会話を含め楽しく読ませていただいてます。

DrGOは目をショボつかせながら(ないしょ)地図を広げブログを読みつつmusiへ細かい説明をして下さいます。細部にわたる文章に驚いているようです。強い日差しもなんのその(o^^o) 残りのクルーズお元気でと願っています。プリント出来ないのが残念で〜す。

▼コメント
投稿 SACHI | 2007年6月30日 (土) 18時37分
お気遣いありがとうございます。こうして生の情報をいただけること感謝しています。

全く身勝手ですが   "^_^"BOW様にお目にかかってからは 父から連絡が無くてもなんら心配することがなくなりました。寄港地での様子、飛鳥での雰囲気が伝わり、一緒に世界一周を楽しんでいる気分です。スキャグウェイを出航すると 最後の寄港地スワードを残すのみとなりましたね。

お友達と過ごした楽しい101日間を思うと 日本での両親二人だけの生活は大丈夫だろうかと。。。ちょっと不安です。若いはずの私でも真似の出来ないハードスケジュールで回られたBOW御夫妻、どうか怪我の無いよう、お疲れが出ませんよう 飛鳥の旅 お楽しみ下さい。

▼コメント
投稿 BOW | 2007年7月 1日 (日) 12時15分
musi さん、コメントありがとうございます。DrGOに、くれぐれもよろしくお伝え下さいね。長くお付き合い願って恐縮していると、、、

日焼けはなんのそのですが、シミができないことだけを、本気で願っています(笑)幸い、いまのところ、まだその兆しはありませんが、、、

▼コメント
投稿 BOW | 2007年7月 1日 (日) 12時22分
SACHIさん、何度もコメントありがとうございます。

スキャグウエイでは山脈の関係で衛星通信ができず、インターネット接続は出港まで不能でした。今ようやくそれが可能になり、ほっとしています。お母様はお元気で、ニコニコされて、いまや時の人のご様子です。災い転じて福となす、の見本のような方ですね。

お父様が、「娘が心配するかと気にしていたが、そうでなくて励ましてもらい、安心したし、びっくりした」と話されていました。もうスワードのみの寄港となりました。早いものですね!


◆飛鳥II世界1周航海記 2007年6月23日 (木)

飛鳥IIはサン・フランシスコを出て、カナダのバンクーバーに向けて航行中である。サン・フランシスコで焼けた額と鼻が非常に痛く、ほてる感じが強い。眼鏡を外すと、その部分の日焼けは少なく、パンダのようだ。もちろん、そんなかわいいものではなく、異様な顔貌で、我ながら怖くなる。


◆飛鳥II世界1周航海記 2007年6月24日 (金)

これまで2回、夕食でシャブリのお付き合いをさせていただいた方に、お礼の気持ちで、私たちのキャビンにお越しいただき、今度はシャンパン、スコッチなどを飲みながらお話をした。楽しい夕べだった。日焼けした額は少しかゆくなってきた。


◆飛鳥II世界1周航海記 2007年6月25日 (土)

●地理
バンクーバー(Vancouver)が、カナダの太平洋岸の大都市であることは知っているが、それ以上の知識はなかった。ここも、地理的にかなりややこしいので、この地の観光に必要最低限の知識をまとめてみた。

バンクーバーは、米国のワシントン州と接しているブリティッシュ・コロンビア州の最大の都市で、この南西にバンクーバー島(Vancouver Island)あり、ちょうど太平洋の荒波の防波堤になっている。バンクーバー島にバンクーバーがあるのだろうと思ったが、違っていた。

しかし、この州の州都は、このバンクーバー島のビクトリア(Victoria)だというから、話がややこしい。また、北には、高級住宅地の北バンクーバー(North Vancouver)があり、こことバンクーバーを結ぶ橋が、有名なライオンズ・ゲート・ブリッジで、その西(バンクーバーの北西)には、超高級住宅地である西バンクーバー(West Vancouver)が控えている。

緯度は北緯49度で、樺太の南3分の1あたりに相当する。それなのに、6月の平均最高気温が19度、最低平均気温が11度で、1年を通じて過ごしやすい気候である。これは太平洋側の暖流と、取り囲む山々が寒気を遮るためらしい。

また、ブリティッシュ・コロンビア州の面積は日本の2倍あり、カナダは世界の国の中で、ロシアに次いで2番目に広く、3番目が米国というのだから驚きだ。


●観光
ここは、7:00入港、20:00出港で、寄港が1日だけだった。午前と午後のツアーに参加し、自由行動ができたのは、午後のツアー終了後の約1時間ばかりだったので、それを時間を追ってまとめることにした。

A.午前
ツアー(バンクーバー半日観光)
1.カナダ・プレイス(Canada Place)
ここに飛鳥IIは停泊した。エキスポでカナダ館として建設されたもので、白い5つの帆を持つ帆船のようなデザインが美しく、オシャレだと思った。

2.スタンレー公園(Stanley Park)
ここは、バンクーバーのダウンタウンのすぐそばにある広大な公園で、日比谷公園の25倍の広さがある。原生林が生い茂り、グリーンが美しい。トーテンポールが立ち並ぶ場所から、ダウンタウンの高層ビル群もよく見える。この公園の道路は反時計回り(左周り)の一方通行と決められている。公園周辺を1周すると、途中にウエット・スーツの少女の銅像が岩の上にあったり、水鳥が多く飛び交っていた。

プロスペクト・ポイントで、ライオンズ・ゲート・ブリッジを眺めた。この下を飛鳥IIは通って、バラード入江(Burrard Inlet)に入り、カナダ・プレイスに着岸したのだった。たにか、サンフランシスコに似ている。今春の暴風で原生林が1万6千本倒れた。その跡が生々しく残っている。以前より視界が良くなったとガイドは言う。

10kmほど走ったところにレストランがある。一方通行だから、これだけ走って、ようやくたどり着けるレストランは公園の西側にあり、イングリッシュ・ベイに面していて、夕陽が素晴しいという。

3.イングリッシュ・ベイ・ビーチ(English Bay Beach)車窓
このビーチ沿いで毎夏花火大会はが開かれるが、日没が午後10時のため、それから開かれるのだと言う。

4.グランビル・アイランド(Granville Island)
グランビル・アイランドは、ダウンたタウンの南側、グランビル橋を渡ったところにある。倉庫街を改造してパブリック・マーケットとなり、バンクーバー市民のお気に入りのスポットのようだ。ここのマーケットで、ビーフのフランクフルトのホットドッグを食べたが、美味かった。

30年以上バンクーバーに住んでいるという現地ガイドは、ここができて大助かりで、ここにくれば大抵のものが手に入るので、1週間分をまとめて買いして、冷凍しておくそうだ。30年前は、1頭の牛を10人で分けて持ち帰っていたが、今はそのようなことをしなくて済むと話していた。

5.イエール・タウン(Yaletown)車窓
ここは、最近人気のオシャレな町で、ファッションデザイナーのアトリエなどがある。

6.チャイナ・タウン(Chinatown)車窓
アジアを除いては、サンフランシスコに次ぐ大きな中華人街だという。香港の中国返還を嫌って、こちらに移住してきた人が増え、カナダの中国人人口は20万人に達するという。サンフランシスコよりもここの土地が安いので、この地に移住者が増えたようだ。そのため、バンクーバーでなくホンクーバーだと陰口を叩かれると、現地ガイドは言っていた。バンクーバーでは日本車の人気が高いが、彼らはドイツ車のベンツ、BMWを乗り回している。日本人はカローラどまりらしい。

7.ギャスタウン(Gastown)車窓
ダウンタウンの東側にあり、バンクーバー発祥の地であるという。ホテルとバーを最初に作ったギャッシーというニックネームの人物の銅像が建っていた。

B.午後
ツアー(バンクーバー・ノースショア半日観光)

1.ライオンズ・ゲート・ブリッジ((Lions Gate Bridge)
スタンレー公園の真中を貫通する道を走ると、両端に2頭づつライオンが鎮座している橋に連なる。これが、午前中にプロスペクト・ポイントから眺めたライオンズ・ゲート・ブリッジである。北バンクーバーとバンクーバーをつなぐ橋で、カナダでは最長の約1500mあり、1938年に開通した。サン・フランシスコのゴールデン・ゲート・ブリッジに良く似ていると思ったら、設計者は同じで、ゴールデン・ゲート・ブリッジの開通が1937年だから、その1年後ということになる。

しかし、色がダーク・グリーンで、まったく映えない。なぜこの色を選んだかというと、カナダはエバー・グリーンが国の基調であるため、それに合わせなければならなかったのだと言う。それを聞いて、なんと愚かなことと私は思った。緑一面の中で、赤、橙、黄などの色があれば、どれほど美しく見えるか、これはコモン・センスではなかろうか?

2.キャピラノ渓谷吊り橋(Capilano Suspension Bridge)
北バンクーバーのキャピラノ渓谷に、高さ70m、長さ137mのつり橋がかかっている。鉄製のワイヤーで吊り下げられ、底は木製の板でできている。人が歩くと左右にゆれて傾く。高所恐怖症の私は、とうてい谷底をみることなどできないが、妻は案外平気だ。樹木の間に作られた空中散歩道も、無理やり歩かされてしまった。

3.グラウ山(Grouse Mountain)
ふもとからロープウエイでグラウ山の山頂に上がり、バンクーバー一帯を眺めた。

4.シーバス(SeaBus)
北バンクーバーからバンクーバーへ帰るのに、シーバスという小型フェリーに乗った。北バンクーバーのロンズデル・キー(Lonsdale Quay)から、バンクーバーのギャスタウン近くのシーバス・ターミナルまで、約15分で到着した。シーバスというだけあって、非常に合理的な構造になっている。

駅の大きさはシーバスの幅より、乗船ステップ分だけ大きく、駅にシーバスが入港すると両側の乗船ステップが自動的に降ろされる。まず、下船側の4箇所のドアが開き、乗客が降りる。次いで、乗船側のドアが開き、乗客が乗る。椅子は乗船下船ドアと直角に配置されていて、乗降がスムースに行なえる。

5.ロブソン・ストリート(Robson Street)
シーバスを降りて飛鳥IIに戻らず、バンクーバーのダウンタウンの中でも一番賑わっているというロブソン・ストリートへ徒歩で行き、約1時間ばかり、散策した。


◆飛鳥II世界1周航海記  2007年6月26日 (日)

バンクーバーを出て、アラスカに向けて航行中である。バンクーバーから、アラスカのスキャグウェイまで、氷河が織り成す約1600kmにわたる複雑な水路を、インサイド・パッセージ(Inside Pasasge)と呼ぶ。氷河で削り取られた沿岸部は、美しいフィヨルドの海岸線を描く。ここではネイティブ・アメリカンの文化が、今なお息づいている。

14:00ころ、カナディアン・ネイティブの村「Bella Bella 」を左舷に見ながら通過した。その粗末な家を眺めながら、先住民の歴史や現在の生活を思った。彼らは、私たち日本人と同じ黄色人種で、幼児には殿部に蒙古班を持つ。


◆飛鳥II世界1周航海記  2007年6月27日 (月)

ミスティー・フィヨルド(Misty Fjord)と言う峡湾内で、9:00〜11:00まで、霞んだ中の美しい景色を楽しんだ。海面は鏡のようで波一つ無く、山並みが海面に影を落としている。あいにくの曇天だったが、これが快晴であれば、どれほど美しいだろうかと想像した。

15:00ごろ、アラスカのケチカン(Ketchikan)市を右舷に見ながら、航行していると、白頭鷲(bald eagle)が1羽、天空を飛翔した。デジカメを構えていたので、何とかその姿を収めることができた。この鳥は1782年から米国の国鳥であるが、米国本土では滅多に見ることができない貴重な鳥となってしまった。しかし、アラスカには多く生息しているとのことだ。白頭鷲は、一度つがいになると生涯同じペアで過ごし、毎年同じ巣に戻ってくると言われている。


◆飛鳥II世界1周航海記 2007年6月28日 (火)

ジュノーの少し手前の Point Adolphus で10:00〜14:00まで、鯨ウォチング(Whale Watching)のために船を止め、キャプテンの船内放送の度に、乗船客は右往左往した。鯨に100m以上近づくことは禁止されているので、かなり遠くで見ることになるが、潮吹きや尾びれを出して水中に潜る姿を何度か目にすることができた。

氷河が後退したあとにできたフィヨルド地帯は、オキアミなどの発生にともない、ニシンやイワシが群生し、それを狙ってクジラやイルカなどが集まってくる。ジュノー付近はホエール・ウォッチングの絶好のスポットになっているそうだ。


▼コメント
投稿 シブチンスキー | 2007年7月 2日 (月) 21時13分
わが懐かしのバンクーバーのことをBOWさんの記事で想い起こしていますが、何度か訪問したものの何ら記録を残しておらず、またまたBOWさんの詳細な分析に圧倒されています。

1967年に初めて米大陸へ渡ったときの最初の街がバンクーバーでした。湾状の内海にガソリンスタンドがあるのにビックリしました。モーターボート用だったようですが、ガソリンは自動車用だけと思っていたので驚きました。それとBayshore Innで一杯戴きながら見た西陽の夕焼けが印象的でした。

もう少しですね。お元気で何よりです。おまけの人生は意外に長々と続きそうですね。クックルクック!(=嬉しい笑い声です)。

▼コメント
投稿 T-baba | 2007年7月 2日 (月) 21時49分
懐かしく拝読いたしました。2000年7月から8月にかけて滞在したバンクーバーは、いろんな思い出がいっぱいです。この街もサンフランシスコについで好きなところですが、ロブソンStでは車のトランクからカメラや日用品の入った鞄を盗まれたりして嫌なこともあったのですが、それでも爽やかないい街でした。盗難事件があるとバンクーバーの人は「悪い外国人が入ってきてるからだ」と言います。どこでも同じですね(笑)

シーバスは便利でよく乗りました。イングリッシュベイの花火、スタンレー公園、ライオン橋、、又行ってみたくなりました。読むだけで楽しく、いろいろな知識を得ることが出来、しかも一緒に旅をしているかのような臨場感溢れるBOW飛鳥日記は、気配りが隅々までいきわたり、読者にとって分りやすくかつ面白い読み物になっていました(弟子の分際で、失礼なことを、、)

毎回つくコメントにも豊富な知識に裏打ちされた有意義なものが多くて、BOW師匠の交友の幅広さを示してくれていたように思います。随分勉強になりました!あと少しの航海、あまりお疲れにならないようになさって下さい。ご無事のご帰国をお待ちしています。

▼コメント
投稿 musi | 2007年7月 3日 (火) 01時49分
皆様方がとってもいいコメントをされるので…musiは他のことで一席 シワはスクランブル交差点。シミは顔のアクセサリー…と聞いたような。帰国時分にはツルッツルのお顔になれていることでしょう! エンジョイブログで知らなかった世界を体験しています。ご無事でと願っております。

▼コメント
投稿 BOW | 2007年7月 3日 (火) 12時22分
シブチンスキーさん、コメントありがとうございます。

>1967年に初めて米大陸へ渡ったときの最初の街がバンクーバー
それは、思いで深く懐かしいでしょうね!

>Bayshore Innで一杯戴きながら見た西陽の夕焼け
西が海の夕日はきれいですね、大阪もそうです。夕陽丘という地名があるほどです(笑)

>クックルクック!
ありがとう、嬉しい鳩の笑い声!!

▼コメント
投稿 BOW | 2007年7月 3日 (火) 12時33分
T-baba さん、コメントありがとうございます。

>バンクーバーは、いろんな思い出がいっぱい
それについて、私も思い出すことがかなりあります。その一つは、診療中に届いたメールがHotmailで、それがカナダからだったことです。あれがWebメールの初体験でした(笑)盗難事件ではSONYのビデオカメラもやられましたね!「悪い外国人が入ってきているからだ」で笑ったことも思い出します(笑)

>読者にとって分りやすくかつ面白い読み物
もし、そうなら、とても嬉しいです!

>コメントにも豊富な知識に裏打ちされた有意義なものが多く
ほんとうに、ありがたいことだと、いつも感謝しています。その他に、メールもかなり下さっています。その中で、最初からUPする度に、私の本文に匹敵するほどの量の(ちょっとオーバーかな)感想や、情報をくれる友人がいます。日曜に歌う会のメンバーの一人です。このような素晴らしい友人に恵まれて、自分は本当に幸せものだと思っています。皆様、ありがとうございます。


▼コメント
投稿 BOW | 2007年7月 3日 (火) 12時38分
musi さん、コメントありがとうございます。

>帰国時分にはツルッツルのお顔になれていることでしょう
夢でなければ、そのようなことはあり得ないというヒドイ状態です。しばらくは、外も歩けない(笑)

>ご無事でと願っております。
ありがとうございます。SACHIさんのお母様のように15分前には、アドバイスを頂いたのに、骨折ということもあります。充分気をつけます!

▼コメント
投稿 さくら38 | 2007年7月 4日 (水) 11時37分
いよいよ最終ラウンドに入ってこられた様ですね。私もカナダに行ったのは30年ほど前の事、ずいぶん昔です。たまたま行く時に同じ務め先の方が出張で同じ飛行機になり、着陸時窓からあれがバンクーバーだよと眺めた時の事を思い出しますが、もうその方は今は天国、古い話です。カナダの西岸の旅行だったのですが、記憶もさだかでないところが多く、ブログを読みながらああそうだったのかと楽しませていただいています。7月13日もう少しですね、お元気で・・・。

▼コメント
投稿 BOW | 2007年7月 4日 (水) 11時56分
さくら38 さん、コメントありがとうございます。

>いよいよ最終ラウンドに入ってこられた様ですね
そうです。今日のスワードが最終寄港地でした。やはり感慨があります。

>カナダに行ったのは30年ほど前の事
私たちと違って海外旅行の大先輩ですね!

>ブログを読みながらああそうだったのか
そのようにお読みいただき、ありがたいです。

▼コメント
投稿 SACHI | 2007年7月 4日 (水) 12時53分
ガイドブックではなかなか知り得ない いろんな情報を 本当に沢山ありがとうございました。今まで旅行に出ても ふわーっと楽しむだけで 下調べをしたり、記録に留めたりすることがなかったので。。。生活(気持ち?)に余裕が出来たら 頭を活性化させて 少しは「学ぶ旅」をと 少々反省です (~o~) 

このブログとも そろそろ。。。と思うと 日本にいる私でも寂しいのだから 飛鳥の皆さんは。・。・。・   

全く知らない方と若者のようにブログでの出会い、書ききれない数々の暖かさを ありがとうございました。 心から感謝しています。元気なお二人に横浜港でお目にかかれること楽しみにしています。そして 数々の写真のアップ 心待ちにしています。

そうそう 飛鳥のフォトエッセイ 7月1日のお姿は ひょっとしたら BOWさんですか?

▼コメント
投稿 BOW | 2007年7月 5日 (木) 03時30分
SACHI さん、コメントありがとうございます。

>ガイドブックではなかなか知り得ない いろんな情報
自分のためのまとめですが、お役に立てば嬉しいです。

>このブログとも そろそろ。。。
そうですね、はるけくも来つるものかな!という感慨もありますが、それよりも、やっぱり我が家が恋しいという気持ちもあります。

>元気なお二人に横浜港でお目にかかれること
横浜入稿は9時になったとたった今船長の放送がありました。入国手続きを早く済ませることができるようにとの配慮からのようです。アントワープと違って今度はハプニングではないですね(笑)

>数々の写真のアップ 心待ちにしています
膨大な数をどのように処理するか、今から楽しみにしています。

>飛鳥のフォトエッセイ 7月1日のお姿
飛鳥のフォトエッセイ をほとんど読んでいないので、図書室に行って見てみましたら、ご指摘とおり私でした。懸命にビデオ撮影をしているところを撮られていたのですね。ビデオは約15時間あるのではと思います。

▼コメント
投稿 T-baba | 2007年7月 6日 (金) 12時21分
氷河撮影中のBOW師匠を発見!と喜んでいたら、既に見つけておられる方があって、BOW人気の高さを再確認させられました。豪華客船飛鳥デッキから生の氷河を目の前にされて、カメラを真剣に操作されている小さな写真からは、撮影にかける気迫まで伝わってくるようでした(笑)膨大な画像に期待は膨らむ一方です。

30年くらい前にアラスカはマッキンリーからエスキモーの拠点、ポイントバーローまで行きました。青い海に氷山のかけらが浮かんでおりました。氷河はアラスカでもカナダでも驚くほど小さくなってしまいました。雪上車でなければ行けなかったところが今や黒い土でどこまでも歩けてしまうので哀しくなります。

またまた荷造りで大変な思いをされていることでしょう、あと一息、お元気で頑張って下さい。

▼コメント
投稿 BOW | 2007年7月 7日 (土) 17時26分
T-baba さん、コメントありがとうございます。

>撮影にかける気迫まで伝わってくるようでした
見抜かれましたか(笑)

>膨大な画像に期待は膨らむ一方です
乞う、ご期待と書きたいところですが、ちょっと時間を頂くことになるかも分かりません。

>30年くらい前にアラスカはマッキンリーからエスキモーの拠点、ポイントバーローまで行きました
何でも、先輩ですね。

>荷造りで大変な思いをされていることでしょう
今日、今日までの航海記を書き上げ、終了しました。このあと、一休みして帰り支度にかかります。

▼コメント
投稿 musi | 2007年7月 7日 (土) 23時36分
見っけた!と飛んで訪れたら、皆様お早い!(^^)
荷作り…お忘れ物のないようにお気を付けくださ〜い。残り一週間を切りました、お元気でお帰り下さいますように!

▼コメント
投稿 BOW | 2007年7月 8日 (日) 08時23分
musi さん コメントありがとうございます。
今朝から帰り支度に入りました。忘れ物しないように気をつけます。今日も家内は、レセプションで忘れ物を受け取りに行っていました(笑)


◆飛鳥II世界1周航海記 2007年6月29日 (水)

カナダのバンクーバーを出てからアラスカ沿岸を航行し、ジュノー、スキャグウエイ、スワードに寄港した。アラスカについては、地図で知っている北米大陸の最北最西の地域という貧弱な知識しかなかったが、今回のクルーズで、もう少しだけ詳しくなった。この航海記を、最後の寄港地アラスカで終えたいと思う。長い間、お読みいただき、たくさんのコメントやメールでご感想を下さり、心から感謝申上げる。帰国してからは、この航海記に画像をふんだん加えたものを、Webサイトに掲載したいと思っている。

ジュノー入港:08:00 出港:22:00 北緯58度はストックホルムとほぼ同緯度、人口約31000人。

ジュノー(Juneau)はアラスカ州の州都である。ジュノーという名は、この地の川で最初に金を発見した鉱山師の名前からつけられたという。坂が多い美しい町なので、リトゥル・サンフランシスコ(little San Francisco)と呼ばれると聞くが、それはちょっと過大評価だろう。

飛鳥IIが着岸したすぐ右手に、ロバーツ山ラムウエイ(Mount Roberts Tramway)の地上駅があり、ロバーツ山の山頂まで60人乗りロープウエイで登った。ここからは小さなジュノーの街が眼下に一望できる。ここで小屋に入れられた白頭鷲を見た。首から上が真っ白で、威厳があり、気品が感じられ、米国の国鳥にふさわしいと思った。

午後から、ツアー「氷河とホエールウォチング」に参加した。メンデンホール氷河(Mendenhall Glacier)はジュノーの北21kmにあり、市街地に近く、氷河活動を間近に見ることができる。氷河の押し出すスピードは1日2mに及ぶこともあるそうだ。全長19km、幅2.4kmあり、ジュノーの顔と呼ばれている。 最初に見る氷河だが、思っていたほどの感動はなかった。もっと美しいはずが、土の茶色の混じった部分が目につき、うす汚れた感じがするのだ。それは、かなり離れたところから眺望するので、汚れた部分を見ないで済ますことができないことも関係しているのだろう。しかし、氷河の流れ込む大きなメンデンホール湖、湖に浮かぶアイス・ブルーの氷塊には魅せられてしまった。

昨日、Point Adolphus で船上から鯨ウォチングをしたが、この日はツアーで、アウク湾(Auke Bay)のホエールウォチング・クルーズに参加した。この地でよく見られるクジラは、ザトウクジラ(Humpback whale)で、これはヒゲクジラの中のナガスクジラに属するという。冬の間は、ハワイやメキシコの海で過ごし、春になると食物を求めてアラスカの海にやってくる。ここで1日約2トンもの魚やオキアミを食べるそうだ。

絶滅の危機にあるからと捕鯨が禁止されているが、そのためにクジラが繁殖し過ぎて、クジラにたくさんの小魚を食べられるため、魚が減り、現在問題になっているとガイドは話していた。クジラの骨を使った置物が土産物店でたくさん売られているが、ワシントン条約により、日本に持ち帰れない。私はここでロンダニーニのピエタのイメージのあるクジラの置物を見つけ、購入したかったが、持ち帰れないのであきらめた。

この湾はクジラが多いらしく、何ヶ所かでクジラが背中を出して泳いでいる姿や、潮を吹くのを見ることができた。中でも親子のクジラが、2頭背を並べて遊泳するのを何度も見た。しかし、如何せん、遠い! 目の前でクジラを見ることができるかもしれないという期待ははずれてしまった。 船長は猛スピードでクジラの居そうな場所へ、次々と約3時間かけて移動してくれる。シャッターチャンスが難しいので、デジカメは止め、専らビデオカメラによる撮影を行なったが、それとて、満足な映像は得られていない。むしろ、昨日の飛鳥II船上からのクジラ・ウォチングの方が成果があったように思える。

その代わり、トド(steller sea lion)の群れを近くで見ることができた。世界中のトドの70%がアラスカに生息しているといわれる。岩の上に重なり合うようにしているトドの群れがいる。そこから少し離れたところに、だらしなく寝ている巨大な1匹が雄で、残り10数頭は雌だという。ここはハーレムなのだ。トドとかオットセイをかわいいと女こどもは喜ぶようだが、私の好みではない。

湾の中にある島の樹木に、10数羽止まっている白頭鷲(bald eagle) が見えた。それが舞い上がり、ゆうゆうと飛翔するさまは美しく気品がある。一度つがいになると一生を共にするという、このノーブルな生物に比べて、ハーレムで子孫を残そうとするトドという生物を、私は好きになれない。


◆飛鳥II世界1周航海記  2007年6月30日 (木)

スキャグウェイ 入港:08:00 出港:17:00

スキャグウエイ(Skagway)はゴールドラッシュで生まれた町で、カナダと国境を接している。1896年には人口はわずか10人だったのが、翌1897年、ゴールドラッシュの始まった年には20000人に増えた。ゴールドラッシュは間もなく去り、現在の人口は800人である。しかし、昨年観光でこの町を訪れたのは、120万人だという。

午前中は、ツアー「ホワイトパス鉄道の旅」に参加した。ホワイトパス・ユーコン鉄道はゴールドラッシュが始まってすぐに建設が始まり、1900年に開通して、金鉱発見を夢見た開拓者を運んだ。しかし、ゴールドラッシュのブームは間もなく去り、この鉄道は主に鉱石運搬に使われてきた。現在はスキャグウェイ観光のハイライトとして使われている。海抜0mのスキャグウエイから、873mのホワイトパスまで走行し、北米でも最も傾斜のある路線といわれている。

この鉄道に乗り、嶮しい山道を走る列車から見る景観は素晴しかった。しかし、曲がりくねった厳しい絶壁に、へばりつくようにして走る列車の通る道を、かっては、金を求めて馬で、それができない者は歩いて、登って行ったと聞くと、胸が苦しくなる。途中「死馬の谷(Dead Horse Gulch)」という場所を通り過ぎる時に、栄養失調や過労で死んでいった3000頭の荷馬を悼んで名付けられた谷だとの説明を受けた。人間の欲望はなんとすさまじいのだろう。米国人は、1849年のカリフォルニアのゴールドラッシュを経験しているので、アラスカのゴールドラッシュは誇大宣伝され、フィーバーの度合いが大きかったのかもしれないと思った。

午後は、ツアー「スキャグウェイ半日観光」に参加した。小さな街だから、見るものはゴールドラッシュに関係したものが中心になるのは致し方ない。ゴールドラッシュ時代の賭博場を改造した建物の中で、ゴールドラッシュ当時の映像を約20分間見ることができた。米国のイーストマンが1884年にロールフィルムを発明しているので、ゴールドラッシュの1897年には、写真はもうかなり実用化されていたのだろう。このゴールドラッシュにとりつかれた人間を記録に残そうとする人がいて、その貴重な映像をビデオにに編集して映写してくれたのだった。

驚いたことに、わずか10秒くらいだったが、その中にはムービーも含まれていた。調べてみると、フランスのリュミエール兄弟がシネマトグラフを完成したのは1895年だから、その最先端の技術は充分に実用可能となっていて、それを使ってゴールドラッシュという異常事態を記録したいと思う人がいたということになる。 私はこの画面を全部ビデオカメラで撮影し、複写することができた。そして、ビデオカメラを携帯していて良かったとつくづく思った。

もう一つ、ゴールドラッシュに関係するものとして、ゴールドラッシュ墓地を見た。これは、ゴールドラッシュ時代に亡くなった人たちの墓地である。そこにはたくさんの墓に混じって、とびきり大きい立派な墓と、みすぼらしい墓があった。当時、札付きの詐欺師スミス氏がいた。彼は人をだまし、詐欺をし、住民は困惑していた。しかし、町の有力者を懐柔していて、有力者に訴えても、「スミスさんは良い人だ」と言って取り上げてくれない。困った住人は、リード氏という人に頼んで、彼と決闘をしてもらった。決闘では、一撃でスミス氏の心臓を打ち抜いたが、リード氏も重傷を負い、それが原因で亡くなってしまった。 そこで住人は英雄リード氏には立派な墓を建てて感謝を表し、悪者スミス氏には貧弱な墓を建てたという。まるで西部劇の世界だが、違うのは英雄も死ぬというところで、これが現実というものだろう。

スキャグウェイ港に入港した船は、岸壁横にある岩山に、その船名を落書きする習慣がある。前の飛鳥の小田船長の時のものがあり、今回の飛鳥IIの末長船長の落書きも岩肌に記されていた。

スキャグウェイを出港すると、飛鳥IIの右舷側を、沿岸警備隊(coast guard)のボートが併走してくる。船首には兵士が立ち、機関銃を正面に向けている。それが45分間も続いた。フォーシーズンズで夕食を摂りながら、あの機関銃がこちらに向けられ、ダダダダダダと打ち込まれたら大変だな、などと冗談を言って見送りの歓送を楽しんだ。


◆飛鳥II世界1周航海記  2007年7月01日 (金)

この日は、ハッバード氷河(Hubbard Glacier)のそば近くまで、飛鳥 IIは接近したが、流氷群が進路を遮り、氷山も流出していた。氷山は水面に出ている部分が全体の10%くらいあるといい、水面下にはその10倍の体積がある。この2つの理由で、キャプテンは予定していたところまで接近することを断念し、近づける至近距離で船を止め、11:00〜12:00にわたって、ハッバード氷河を眺望した。

少し距離はあるが、アイスブルーに輝く氷河が海に流れ込もうとする姿にいささか感動した。そして、流氷が張りつめ、氷山が浮遊し、接近できないという状況も、それはそれで良いものだという気がしてきた。その時、頭に浮かんだのは、南極観測が始まった頃、日本の南極観測船宗谷が氷に閉ざされ、ソ連の大型砕氷船オビ号に救出されている映像だった。


◆飛鳥II世界1周航海記 2007年7月02日 (土)

今日は、プリンス・ウイリアム湾(Prince William Sound)にある、カレッジ・フィヨルド(College Fjord)に飛鳥IIは進入した。ここには、大学の名前のつく氷河が集まっている。その中心になるのが、ハーバード氷河(Harvard Glacier)で、その右側にはエール氷河 (Yale Glacier)があり、左側にはバリー氷河(Barry Glacier)、コックス氷河(Coxe Glacier)がある。これらの名前は、この地の科学調査を行なった際に、その時無名だった氷河に対して、主だった調査隊員の出身大学の名前をつけたことに由来する。

このカレッジ・フィヨルドには、かなり奥深くまで飛鳥IIは進入し、9:00〜10:00まで停泊して、それぞれの氷河を観察した。氷河が崩れ落ちたとキャプテンは2回アナウンスしたが、残念ながら、その瞬間を目にすることはできなかった。カレッジ・フィヨルドにある氷河の中でも、ハーバード氷河は一番大きく変化に富み、美しい。その手前には、天橋立のような低い陸地が横切っている。

ヘリコプターの音が聞こえてきたと思ったら、写真家中村カメラマンによる空撮だった。中村氏はカメラを構え、私たちに手を振って応えてくれる。今回の空撮で私たちが写っている写真は7枚もあり、うち5枚はバックに氷河が入っている。良い記念写真ができたので嬉しい。 そのあと、13:00〜14:00まで、ブラックストーン氷河 (Blackstone Glacier)の前で停泊し、氷山を観測した。今日洋上から観察した氷河は、どれも迫力があり素晴しく、自然の不思議を感ずることができた。


◆飛鳥II世界1周航海記 2007年7月03日 (日)

スワード入港:08:00 出港:17:00

スワード(Seward)という名は、米国がロシアからアラスカを買い取った当時の国務長官の名前からつけられた。このクルーズ最後の寄港地では、午前中はツアー「エグジット氷河とスワード半日観光」に参加した。ここで見たエグジット氷河(Exit Glacier)は、これまでいろいろ見てきた氷河の中で、飛びぬけて素晴しかった。それは、ただ壮大とか、美しいとか、自然の驚異を感じるだけで終わらなかった。氷河の後退の実際と、後退したあとの削られた岩床に植物が生育して行き、森林になるまでの過程を、この目で確かめることができたのだ。

スワードから高速道路を通って、この氷河近くの駐車場で下車し、ネイチャー・トレール(nature trail)を約5km登っていくと、この氷河のすぐそばにまで行ける。氷河との距離は10数mしか離れていない。そこには人の身長の10数倍はあると思われる氷河が聳え立っている。ただ感嘆あるのみで、あちこちから嘆声が聴こえてくる。白い氷にアイスブルーの部分が混在して美しく、土色の班が線状に入っている部分は汚れて見える。

ここへ来るまでのネイチャー・トレール(氷河が作った山道)の道端に、氷河が存在した年を示す標識が立てられている。それは、1961年、1951年、1926年、1917年だった。この標識によって、この年にはここまで氷河があったということを簡明に教えてくれる。1917年の地点から現在の氷河まで3km以上あるのではないかと思われる。氷河の後退には色々のことが関係しているだろうが、地球の温暖化はその大きな要因だろう。

この標識はまた、氷河が後退してできた岩床に植物が生育し、森になるまでの過程を教えてくれた。動物に「弱肉強食」があるように、植物にも「優勝劣敗」があるというガイドの説明を聞き、なるほどと納得した。

ガイドは「自然保護」についても、私たちが思ってもいなかったことを話してくれた。自然保護というのは、自然に手を加えないことで、この森林が山火事になったとしても、消火をせず自然に任せるというのだ。消火を行なうのは、人家に類焼する危険がある場合に限るというのだから、徹底している。この氷河から流れた水が大きな川になっている。その川原には無数の枯れた木が転がっている。これなども、もちろんそのままで放置しているとのことだ。

スワードはアンカレッジから約200km南にある人口3000人の小さな港町である。着岸している客船は飛鳥II1隻であるのに、街の中は多くの外人が歩いている。どこから、これらの人たちが来たのか不思議に思っていたら、キャンピングカーが1000台以上も停車しているのを見て仰天してしまった。現地ガイドによると、アメリカ人はロスアンゼルスあたりからでも、カナダを貫通する高速道路を通って、キャンピングカーでアラスカに来るのが一つの夢だという。キャンピングカーといっても半端なものでなく、移動する住宅である。この話を聞いて、アメリカ人と日本人の違いを痛感した。

外人がこの街に多いもう一つの理由は、明日が建国記念日であるためだと言う。そういえば各戸、各建物には星条旗がはためいている。アメリカ人は建国記念日を町中で盛大に祝うのだそうだ。


◆飛鳥II世界1周航海記  2007年7月04日 (月)

飛鳥IIに乗船してすぐの頃から、一人の男性乗船客が気になっていた。その方は80歳は充分越えていらっしゃると思われるのだが、いつも背筋を伸ばし、頭を垂直にして、正面を向き、やや大股で歩いて行かれる。カッコイイ人だな、自分がその年になって、あの方のようにカッコよく行動できるだろうかと思っていた。

その方と、5月19日のアントワープでのビアカフェめぐりでご一緒する機会があり、トイレで並んで立ち話をしながら、カッコイイ方だと思ってきたことを申上げたら、この方も私たち夫婦に好感を持って見てくださっていたことを知った。それからは、一緒のテーブルで楽しく陽気にベルギー・ビールを楽しんだのだが、2時間ばかりの間に500mlくらいのジョッキで6杯も飲んでしまっていた。この方も同じだけ飲まれたのだから、相当な酒豪だと思う。

そのことがあって、一度夕食をご一緒しようと前から約束をしていたのが、今夕実現したのだった。私よりも14歳年長だが、お話をしていて感心することばかり、そして好みの似ているところが非常に多く、驚いてしまった。楽しい夕食だった。そして、自分の直感力が、まんざら捨てたものでもないことを知り、嬉しくなった。


◆飛鳥II世界1周航海記  2007年7月05日 (火)

今夕は飛鳥100泊記念の機関長招待夕食会があった。この航海中に100泊に達する人と言えば、乗客のほとんどではないかと思ったら、そうではなく、99泊なので、該当しないことが分かった。私たちは、昨年末のクリスマス・クルーズの3泊が加算されるから100泊になったのである。


◆飛鳥II世界1周航海記  2007年7月07日 (木)

神戸を出港してから、時刻改正のため時間を1時間遅らせる日が7月4日までに18回あり、その度に1時間長く眠れると喜んできた。7月6日は日付変更線を通過するので、7月6日という日は消滅し、7月5日の次は7月7日である。1時間づつ得をしてきたのが一挙に1日盗られてしまった気持だ。このクルーズは100泊と思っていたのが99泊だったのは、この1日消滅によるものだったのである。おまけに、7月5日には、日本より18時間遅れていたのが、今日から4時間早くなるのだから面白い。

今朝から、2007年ワールドクルーズ ふれあい発表会が開かれた。これは、このクルーズで生まれた同好会の発表会で、私はコーラス同好会の一員として出演した。男声の人数が少ないということで妻が引き受けてきたのだったが、参加してみると、テナーが居ないので、私に割り当てられてしまった。52年前に2年間だけ大学の男声合唱団にいたことがあるが、常にバリトンであり、テナーを歌ったことはなかった。しかし、断るわけにもいかず、これも引き受けた。本日は「花」混声2部、「知床旅情」混声4部の2曲を歌った。

これで以て、船上で私のしなければならないことはすべて終り、あとは帰り支度に入る。本日までの航海記をお読み下さった皆様に、心からお礼を申上げる。ありがとうございました。(2007年7月7日、アッツ島を左舷に見ながら)


▼コメント
投稿 Ikeda | 2007年7月 9日 (月) 20時25分
遅ればせながら、7月1日からイギリスへ行って湖水地方とコッツウオルズを廻って8日に帰って来ました。飛鳥IIの寄港も遅れたようですが、たまたま6月末にロンドンやグラスゴーでテロの未遂事件があったためのようですが、成田出発が2時間遅れでした。ロンドンからマンチェスターへの乗り継ぎが出来ないと困ると思っていたら、その便も2時間遅れて十分間に合ったのが皮肉です。

翌日、湖水地方へバスで向かう途中で今度は高速道路沿いの化学工場で火事があり、また2時間遅れてしまいました。我々の場合はウインダミア湖のほとりでの泊まりでしたから問題はあまりありませんでしたが、その火事のあった場所がリバプールからの場合も通過するプレストンでしたから、日帰りのツアーでこのような事が重なったら、殆ど湖水地方の観光はできなかったのではないかと思いました。

最後にロンドンへ1泊したので夜、テームス川でも見ようとタクシーでトラファルガー広場まで行きましたが、丁度ツール・ド・フランスの前夜祭とかで、道路の横断が殆ど出来なくて帰って来てしまいました。それは仕方ないとして、イギリスでは7月1日から公共施設での喫煙を禁止する法令が発布されていました。ヘビー・スモーカーの私が来ることをイギリスの環境庁かどこかが察知したためではないと思いますが、意地悪するな と言いたくなりました。

バンクーバーへは行った事はありませんが、

> 緯度は北緯49度で、樺太の南3分の1あたり
で思い出すことがあります。昔から「いろはカルタ」は地方によって色々あったようですが、戦争中は「犬棒かるた」ではなく「愛国いろはカルタ」でした。「ほ」の札は「骨折り損・・」ではなく「北緯50度、くにざかい」つまり樺太の南半分は日本領土であることを強調した言葉です。領土問題については話がややこしくなるので止めますが、これだけは地理に関係ある具体的事実なので記憶に残っています。今でも日本各地の緯度など全然解りませんが、北の方の緯度に関しては、かなり見当がつきます。

今回の寄航地と関係ない話で恐縮ですが、私はカナダやアラスカには行ったことはありませんが、アンカレッジ空港には寄ったことがあります。私が初めてヨーロッパへ行ったのが1979年ですが、当時は北廻りといってもソ連の上空は飛べないので、アンカレッジ経由でした。その時、アンカレッジの空港の待合室に白熊の剥製が飾ってあった事を覚えています。これが非常に大きくて、前にお話した「ベルクマンの法則」で引き合いに出している白熊、黒熊の良い例だったと後で知りました。

あと僅かで帰国されますが、「帰朝歓迎奉祝大会」に備えて十分休養をとってください

▼コメント
投稿 シブチンスキー | 2007年7月 9日 (月) 22時12分
いやはや本当にご苦労さまでした。読むだけでも目をパチクリしながらがんばっているのですから、これだけ内容のある紀行記をモノされるのは大変なことです。以前から感心していたことですが、今回の場合は旅行中に時間を見つけての書き込みですから本当に大変なご努力だったと思います。

氷河の話のところで山火事をそのまま放置するという部分を読み、同じ話をオーストラリアでも聞いたのを思い出しました。それにしても火事のあとに植物のタネが残って樹木になるというのも不思議なチカラですね。

ご帰国後の写真入りのフル旅行記を楽しみにします。100日間、いろいろと楽しみをありがとうございました。また会う日まで、会えるときまでーーーーー。

▼コメント
投稿 yakky | 2007年7月10日 (火) 14時53分
お帰りになったら観て下さい。
毎日放送  4チャンネル   放映    
4月3日、豪華客船・飛鳥Uで日本を発った橋田壽賀子に泉ピン子がイスタンブールで合流し、今回の旅が始まる。
7月14日(土)の番組表 [地上波/ 15.54〜17.00>           ピン子と寿賀子の世界遺産ふたり旅・前編
7月15日(日)の番組表 [地上波/ 16.00〜17.00>          ピン子と寿賀子の世界遺産ふたり旅・後編
関西でも放映されます。

▼コメント
投稿 BOW | 2007年7月10日 (火) 15時10分
Ikeda 様 お帰り早々のコメントありがとうございます。事故事件続発で大変だったのですね、しかし、それをうまく乗り切られたのはラッキーでしたね!

>ヘビー・スモーカーの私が
ヘビー・ドリンカーは存じていましたが、ヘビー・スモーカーでしたか! 私も昔は1日50本は吸っていましたが、きっぱり止めました。

>「北緯50度、くにざかい」
これは良い! 緯度記憶にもってこいです。当時の記憶が残っている世代には、、、

>「ベルクマンの法則」で引き合いに出している白熊、黒熊
体表面積を少なくして熱の放散を減らすためという説でしたね、ご教示ありがとうございました。

>「帰朝歓迎奉祝大会」
おどかさないで下さい、そんな大層なことされたら困ります(笑)

▼コメント
投稿 BOW | 2007年7月10日 (火) 15時15分
シブチンスキー さん、こんにちは

>読むだけでも目をパチクリしながらがんばっている
申し訳なかったです。書いてる本人は楽しんでいました(笑)

>写真入りのフル旅行記を楽しみにします
ありがとうございます。たっぷり写真を入れますね!

>また会う日まで、会えるときまでーーーーー
この歌を歌うときには、カニポーズをします(笑)

▼コメント
投稿 BOW | 2007年7月10日 (火) 15時18分
yakky さん、ご教示ありがとうございます。
いずれも船内TVで見ました。今日は橋田先生の講演がありました。メチャ面白かったです。自由に好きなことを話して居られました。

▼コメント
投稿 有本大作 | 2007年7月13日 (金) 23時36分
BOWさま
突然のコメント失礼致します。地中海で中国料理を作りました有本です。

本日神戸にお着きになったと思います。長い船旅お疲れ様でした。そしてエッセーありがとうございました。長い間楽しませていただきました。これからのご活躍、ご健康をお祈りしています。

▼コメント
投稿 BOW | 2007年7月14日 (土) 23時50分
有本大作様 コメントありがとうございました。
地中海で頂いた中華料理の美味、豪華だったこと、今も思い出します。あの大きなフカひれの姿煮を740名の乗船客全員が嬉々として、歓声をあげていただきましたね。拍手大喝采でした。美味しい料理、ありがとうございました。この航海記をお読み頂いていたと知って、ものすごく嬉しいです。

▼コメント
投稿 Muチャ子 | 2007年7月16日 (月) 15時56分
ずーーと拝読していました!が、皆さんの的確なコメントについて行けず(自慢したくなるほどアホなんですわ(^g^))

帰国されいかがでしょう??やはり我が家が一番!ではと…お感じでいらっしゃる!かな。すばらしい体験をされたのですね、ブログでそれが伝わってきました!Muチャ子もあ〜楽しかった!

▼コメント
投稿 BOW | 2007年7月16日 (月) 18時43分
Muチャ子さん、お久し振りです!ずーーと読んで下さっていたのですか、ありがとうございます。とても嬉しいです。やはり、日本、大阪、我が家が一番です!!


◆帰国しました 2007年7月16日 (月)

皆様、ご健勝のこととお喜び申上げます。私たち夫婦は世界一周クルーズを終え、昨日午後神戸港で下船し、無事帰宅することができました。クルーズ期間中いろいろご迷惑をおかけしたことと存じますが、お許し下さい。台風の直撃を受ける少し前に帰宅できたことをありがたく思っております。

世界の多くの国を駆け足で見て参りましたが、やはり日本が、そして大阪が、そして我が家が一番だとつくづく思いました。

帰宅すると、息子夫婦が留守宅の管理をしてくれていて、家の中は整っているのですが、処理をしなければならないことが山積み状態で待っていました。それを順に各個撃破していかなければなりません。それが一段落致しましたら、あらためてメールやホームページなどで旅のお話をご報告したいと思っております。

ブログ「エンジョイBOW」をお読みいただきました皆様、ありがとうございました。あれに手を加え、写真を存分に加えたものにしたいと思っております。

取り急ぎ、帰国のご報告まで
         2007年7月14日 野村 望、経子

Webサイト「中之島のBOW」に上記のご報告を掲載したので、まあ、これで許して頂けるかと甘えてしまい、申し訳ありません。真っ先に、ここでご報告すべきでした。お許し下さい。
(07.07.16.)


◆近況ご報告 2007年7月31日 (火)

世界一周クルーズから帰り、ご無沙汰を続けてしまいました。帰国した時に『一段落致しましたら、あらためてメールやホームページなどで旅のお話をご報告したいと思っております。ブログ「エンジョイBOW」をお読みいただきました皆様、ありがとうございました。あれに手を加え、写真を存分に加えたものにしたいと思っております。』と書いたのですが、7月も終りだというのに、まったく果たせておりません。

そこで、今迄何をしてきたのかをご報告すべきではないかと気がつきました。多くの方から、メールを頂きながら、満足にお返事を差し上げられなかったり、良い情報を教えて頂いていながら、それをチェックする時間がない状態で申し訳なく思っています。

帰国した時には、デジカメで撮影した写真を加えた航海記をWebに掲載し、それを済ませてから、ハイビジョンビデオの編集に取り組む予定でいました。しかし、ハイビジョンビデオに手をつけずにいることに辛抱ができず、一旦始めてみると面白くて、こちらに引き込まれ、それに没頭してしまっています。

今度の旅行では、航海中に航海記をブログに掲載することを一つの大きな目標にしましたが、それと同じくらいの比重で大切にしたのは、ハイビジョンビデオカメラで記録を残すことでした。ハイビジョンに魅せられたのは、65インチ液晶TVで見るハイビジョン映像の素晴らしさを知ったからです。そのため、ハイビジョンを勉強し、昨年は実用ハイビジョン・ビデオ(1)撮影 、(2)カット編集、(3)特殊編集をWebに書き込みました。

ビデオカメラはSONYのHC3を使いましたが、もう一つ映像が鮮明でなく不満に思っていたところ、今年の3月20日にビクターから、これまでと違うフルハイビジョン方式のエブリオHD7と言うカメラが発売され、乗船間際に何とか入手できました。結局、旅行には評価の定まっていないこの機種と、使ったことのあるSONYのHC3を携行したのです。

しかし、結局使ったのはビクター機だけでした。世界一周クルーズなど2度と体験できないだろうから、映像はその時点で入手できる最高のものにしておきたいと思いました。そうなると、原理的に優れているとこの機種を使うことになってしまいました。この機種は従来のテープに記録するタイプではなく、HDDに記録するタイプで、5時間を過ぎると、記録した映像ファイルをPCなどに移動しなければなりません。説明書を忘れてきたので、我流で約15時間分をPCに保存しました。

気になったのは、ハイビジョン撮影をしたが、1)その映像は十分鮮明であるか?、2)カメラから我流で映像ファイルをPCに移動させたが、それで正しかったのか、3)PCに保存した映像ファイルをどのように再生するのか?、4)PCで再生した映像を65インチ液晶で見て、カメラから直結した映像と変わりはないか?、5)変わりがあるなら、PCの映像をカメラに移動する方法はどうすれば良いのか?、6)PCからカメラに移動した映像は、撮影した状態の映像と変わりなく美しいか?、7)映像の編集方法はどうすれば良いか?、提供されているソフトは貧弱だが、これで実際に使えるのか?、8)DVDに焼き付けて保存したものを再生することができるというが、その方法は? また、再生した映像に劣化はないか? など、いろいろの問題があり、それに関する情報は極めて貧弱なため、それを解決するためにかなり苦労をしました。

それが解決できたところで、今度は実際に編集をした上でDVDに焼いてみると、かなり良い線を行っています。それを見て思ったのは、この編集済み映像を見ることで、1)ブログに書き込んだ航海記に付け加えることが出てくるかもしれない、2)ビデオから取り込んだ静止画像によって、デジカメで撮ったシャッターチャンスとは違う映像が得られるかもしれないということでした。

そうなると、大雑把なカット編集だけでもしておきたいという気持が強くなり、やってみるとこれがまた面白くて、はまってしまって、ズルズル続けています。この作業は、普通でもなかなか時間がかかるのですが、それに加えて、いろいろ問題が出てきたり、失敗したり、試行錯誤を繰り返したりで、2倍3倍にも延びてしまいます。そのため、5月なかばころまでの分を、ようやく済ませたところです。しかし、今日は7月末日、このくらいで一先ず置いておかなければなりますまい。

このような事情で、画像入り航海記の掲載が遅れていますが、お許し下さい。明日から、デジカメ写真の整理をしながら、航海記の準備にとりかかろうと思っています。飛鳥に乗っていた時よりも肩凝りが強くなって困っていますが、我が家が一番。それにしても、近況報告を掲載するのは、Web開設11年間で、はじめてです。焼きが回りました(笑)。(2007.7.31.)


◆「飛鳥U世界一周2007」をUP 2007年8月 4日 (土)

大変お待たせしました。ただいま、「飛鳥U世界一周2007」をUPしました。といっても4月4日から4月17日まで、寄港地はシンガポールとモルジブだけで、全体の約10%に過ぎません。

しかし、写真は、文中では29枚、写真集では93枚をすべて640x480のサイズで載せています。ブログのコメントも掲載し、そのほかに、私の友人がメールで届けてくれた感想や情報も新に載せました。

そう言うわけで、10%に過ぎない旅行記が、かなり膨大なものになってしまいました。それに対して、求める項目をできるだけ簡単に選べるように工夫したつもりです。

これからは、この方針で順次まとめて行こうと考えています。


▼コメント
投稿 BOW | 2007年8月 4日 (土) 10時27分
> 写真は、文中では29枚、写真集では93枚をすべて640x480のサイズで載せています。

 GoogleEarthの写真を5枚追加しましたので、それぞれ34枚、98枚になります。


◆飛鳥U世界一周2007 2.エジプト」をUP 2007年8月 5日 (日)

「1.太平洋、インド洋」では、記事に挿入した画像が36枚、写真集では100枚でしたが、今回の「2.エジプト」では、記事に挿入45枚、写真集115枚になりました。

この調子で行くと、最終的には写真は1000枚を越すのではないかと思われます。すべてが終了した時点で、CD−Rに焼こうと考えています。

突貫作業を続けましたので、しばらく小休止したく思います。


◆飛鳥U世界一周2007 3.地中海1(黒海周辺)をUP 2007年8月 8日 (水)

イスタンブール、オデッサ、コンスタツア、ギリシャが中心です。写真は、記事挿入が45枚、写真集が104枚です。


◆飛鳥U世界一周2007 4.地中海2 をUP 2007年8月10日 (金)

ヴァレッタからバルセロナまで、地中海諸国は今回で終わります。写真は、記事挿入分48枚、写真集分188枚でした。


◆飛鳥U世界一周2007 5.大西洋1 をUP 2007年8月14日 (火)

飛鳥U世界一周2007 5.大西洋1(フランスほか) をUPしました。ポルトガルのオポルト、ボルドー、オンフルール(パリ)、ベルギー(アントワープ、ブリュッセル)を収めています。

記事挿入画像72枚、写真集の画像241枚の大部になってしまいました。これで丁度50%くらいを終えたことになります。予想以上に膨大な代物になってしまいました。


◆飛鳥U世界一周2007 6.大西洋2 をUP 2007年8月16日 (木)

飛鳥U世界一周2007 6.大西洋2(イギリスほか) をUPしました。 ロンドン、リヴァプール、湖水地方、ダブリンを収めています。

記事挿入画像34枚、写真集の画像143枚で、前回の半分で済みました。これでヨーロッパまでが終り、残るはアメリカ大陸だけとなりました。全体のほぼ60%くらいを終えたことになります。写真は、900枚となりました。最終的には1600枚くらいになるかも分かりません。


▼コメント
投稿 ikeda | 2007年8月16日 (木) 16時42分
沢山の写真を拝見して楽しんでいます。行ってない所、行った所さまざまですが、私は風景や絵画、彫刻類は絵葉書ですましていて、自分で撮った写真は殆どありませんので、新鮮な感じがします。ありがとう御座いました。今回より後のコメントで私達のイギリス旅行の話をしましたが、長くなるので書かなかった事を追加します。

サザンプトンでの両替作業の非能率について書かれていますが、私は日本で両替を済まして行きました。これまではどこでも現地でやっていましたが、その理由は日本では紙幣単位でしか受け取れないため、現地へ到着した直後、小銭がないと不便だからです。

所が今回はツアーの添乗員がイギリスでのレートは非常に悪いから、それは、やめた方が良いと言われ、余分めに両替して行きました。実際にレートがどうだったかは調べませんでしたが、もしかするとBOWさんが経験されたような理由もあったのかも知れません。

私たちの旅行は飛行機でしたから船旅とは関係ありませんが、ご参考のために書きますと、機内預け入れ荷物の不到着の問題がありました。我々の便は英国航空で成田ーロンドンーマンチェスターという経路でしたが、19人中3個の荷物が2〜3日遅れで到着しました。この位の事は私も経験していますし、よくある事ですが、その後の話を聞いて驚きました。

別の添乗員にその事を話したら、それは良かったですねと言われたとの事です。そのツアーの中で一個のスーツケースがなかなか見つからないので、ロンドンの旅行会社の係員がヒースロウ空港まで行って、保管倉庫を探しに行った所、1万5千個の荷物が眠っていて探すどころではなかったそうです。更に前にお話したテロ未遂事件が起きたら、それが2万個になっていたそうですから、相当なものです。

ただし、これは自分では気を付けようがないので、お話しても仕方がありませんが、たまたまMHさんがヒースロー空港の事に触れられているので書きました。

話は変わりますが、湖水地方の写真を拝見して思った事です。
一つは雲の様子を見ると必ずしも晴れではないけれども、我々の時よりは良かったのではないかという気がします。この地方は元々雨の多い所のようで、それも西からどんどん雲が流れてきて、晴れと曇りとシャワーが交互に変わるので、天気予報も晴れ、曇り、雨が皆出ていました。結局その比率がどうかと言うことになりますが、ここへ行くのはやはり6月が正解かなと思いました。

もう一つはケズウィックの街の写真です。この通りに英国皇室御用達というチーズ屋があって、家内もご多分に漏れず皇室に関心がある方なので入りました。家内に言われてチャールズ皇太子が好きなのはどれですかと聞いてみたら、女主人が唇に指を当てて、それは秘密で教えられませんとの返事でした。確かにそれは当たり前の事で、そんな事をしたら、何が起きるか解らないなと気が付きました。

結局、賞味期限の長い無難な銘柄の物を買いましたが、たまたま、近くの教会で小銭を寄付してしまって手元に無く、そう言ったら「それは良い事をしましたね」と言って、大した額ではありませんが負けてくれました。

あまり関係のないことを書きましたが、今後の写真を楽しみにしています。

▼コメント
投稿 BOW | 2007年8月17日 (金) 09時55分
ikeda様
写真入りの旅行記を楽しんで下さり、ありがとうございます。私も普通は旅行で人間の入っていない風景を撮ることは少ないのですが、今回は最初から旅行記を書こうという目的がありましたので、膨大な写真になってしましました。それでも、自分のための記録はハイビジョンビデオで残そうとしてきました。

ツアーの添乗員のアドバイスで、日本で日本で両替を済まされたとのこと、良かったですね。また、ヒースロウ空港の保管倉庫のお話にビックリしましたが、あそこなら、さもありなんと思いました。私自身は経験してしていませんが、ツアーで2回ほど同行者の荷物が届かなかったからです。

湖水地方の天候が変わりやすいとは現地で聞き、曇天できれいな写真が撮れないのも致し方ないかとあきらめていたのですが、ikeda様のときも晴れ、曇り、雨を全部経験されたのですね。私たちのような日帰りでないので、湖水地方の良さを充分に楽しまれたことと思います。

英国皇室御用達というチーズ屋のお話、面白かったです。

>今後の写真を楽しみにしています。
そう言っていただいて、嬉しいです。写真入り航海記への最初のコメントに感謝しています。

▼コメント
投稿 Muチャ子 | 2007年8月19日 (日) 03時31分
拝見、拝読しました!まず鮮やかな写真の迫力にビックリ!ブログとはひと味ちがう圧巻さにワクワクしています。2ショット素敵ですね〜いろいろ世界史の勉強をさせていただいています。ありがとうございました。これからのUPも楽しみです。

▼コメント
投稿 BOW | 2007年8月19日 (日) 10時24分
Muチャ子さん、こんにちは 見て、読んで下さったのですね、ありがとうございます。ブログを作った数時間後に励ましコメントを書き込んで下さって嬉しかったことを思い出しています。

写真スゴイでしょう! 旅行の写真を全部ここで保管しておこうと、恥知らずな2ショットも載せています。お許し下さい(笑)。

>これからのUPも楽しみです。
嬉しいです。今ニューヨークからパナマ運河までの写真の整理をしています。ご期待くださいね!


◆飛鳥U世界一周2007 7.ニューヨーク、中米、パナマ運河をUP 2007年8月21日 (火)

飛鳥U世界一周2007 7.ニューヨーク、中米、パナマ運河をUPしました。ニューヨーク、チチェン・イツア遺跡、パナマ運河を収めています。

記事挿入画像は83枚、写真集の画像は319枚で、これまでの最大になりました。これまでの掲載した写真を合計すると1200枚となります。チェックした写真は5000枚中3500枚でした。これで全体のほぼ70%くらいを終えたことになります。また、撮影した3500枚の写真うちの1200枚を掲載したということは、3枚のうちの1枚を使った勘定になります。

今回は、これまでと同じペースで作業を行なって、まる6日かかりましたが、それだけの内容に仕上がったのではないかと思っています。また、航海記は説明など理屈の多いものとし、写真集はクルーズをヴァーチャル体験できるものを目標としてきましたが、今回はそれが一番はっきりしたのではないかと思っております。

ご覧いただければ嬉しいです。そして、ニューヨークやパナマ運河をヴァーチャル体験していただければ、なお嬉しいです。


▼コメント
投稿ikeda | 2007年8月22日 (水) 14時28分
沢山の写真の掲載をありがとうございました。

私も旅行から帰ってくると写真の整理が一番大変です。特にデジカメの場合、適当に撮ったものが多くて取捨選択に苦労します。それもせいぜい1週間ぐらいでの写真ですから、まだ良いですが、100日もの旅行では、その大変さは容易に推測できます。

今回の写真の中ではパナマ運河に一番興味を引かれました。やはり、これだけ写真があると実感が湧きます。特に牽引機関車がラック式を使っているのは当然として、最後の写真をみると凄い急勾配ですね。 30年近く前にチューリッヒに出張していた時、休日に世界最急勾配だというピラトゥスの登山電車に乗りましたが、それに負けない急勾配なのに驚きました。

なお、この方式は碓氷峠に使われていたアプト式だと思っていましたが、念のため調べてみたら、それはラック式の一種で、すべてをアプト式と呼ぶのは間違いだという事が解りました。

スペイン語の地名についてですが、私が聖ルーカス岬と書いた所、聖ルカ岬と表現されて、確かにその方が正しいなと思っていました。所が先日、家内が歩く会とかで東京築地の聖路加ガーデンへ行って来たと聞いて、これは聖路加岬が正解かなと思いました。

少し、読み方が気になったので聖路加病院を調べてみたら、本当は「せいるか」らしいです。ただ、当て字の読み違いが定着した例とは言え、やはり私は「せいろか」でないとピンときません。それで、藤山一郎の「夢淡き東京」を改めて聞き直してみましたら、はっきり「せいろか」と唄っていました。

なお、BOWさんの後を追いかけるようですが、私達に9月上旬にギリシャ旅行を予定しています。始めての土地なので、掲載されたブログなどを参考にさせていただきます。


▼コメント
投稿 BOW | 2007年8月22日 (水) 16時31分
ikeda様、早速のコメントありがとうございました。お名前が抜けていましたが、内容からikeda様と判断しました。写真整理の苦労を察していただき、恐縮です。また、牽引機関車につき教えていただき、ありがとうございました。

ギリシャに旅行される由、2001年にエーゲ海クルーズに行った際にアテネで2日過ごしました。その時の記録を「エーゲ海クルーズ」に掲載しています。今回のような詳しい記録ではありませんが、もし、よろしかったらご覧下さい。


◆飛鳥U世界一周2007 8.太平洋東岸(サンフランシスコなど)をUP 2007年8月27日 (月)

サン・フランシスコを中心にバンクーバーも少し収めています。

記事挿入画像は55枚、写真集の画像は254枚で、これまでの掲載した写真を合計すると1450枚となります。チェックした写真は5000枚中の4200枚でした。これで全体のほぼ80%くらいを終えたことになります。また、撮影した4200枚の写真うちの1400枚を掲載したということは、3枚のうちの1枚を使った勘定になります。

今回も前回と同じで、6日後のUPとなりましたが、その内の2日間はサイトの表示方法の手直しなどに費やしたので、実質は4日間で仕上げました。

今回も洋上から見たサン・フランシスコ、歩いて渡ったゴールデン・ゲート・ブリッジ、ケーブルカーのヴァーチャル乗車体験など、ユニークな写真を満載しています。ご覧いただければ嬉しいです。 2007年8月27日 (月) 旅行・地域 | 固定リンク | コメント (4)


▼コメント
投稿 Ikeda | 2007年8月28日 (火) 12時11分
前回は名前を入れ損なって失礼しました。
今回も写真を楽しませて頂きましたが、船からの風景を多く掲載されているのは、あまり見慣れない風景なので真新しい感じがしました。

これらの中で私が行ったことのあるのはサンフランシスコだけで、それも大分、前なので、あまり覚えていません。懐かしいのはゴールデンゲートは別として、ケーブルカーとチャイナ・タウンです。ケーブルカーに乗る機会はありませんでしたが、車で運転している人が、登り切る時に背伸びして前方を見ていたのが印象に残っています。それにターンテ−ブルを手で回すとは知りませんでした。中華料理のテーブルみたいですね。

今回の貴旅行と直接、関係ありませんし、私も行っていませんが、サンフランシスコでの観光の一つにワイナリーの見学があったと思います。あまり知られていないことなので話題として御紹介しますが、カリフォルニアのワインは日系の人がフランスで技術を習得してきて広めたものだそうです。これは私が訪ねた会社の日系2世の人から聞いた話ですが、この人は醸造のドクターでしたから信憑性があると思っています。

ついでの話ですが、サンフランシスコの北にはセバストポール市とかロシア川という名前があるので、その人に聞いてみたら、昔はロシア人がその辺に住んでいたとの事でした。確かにアラスカはロシア領でしたから、ここまでくるのは大したことではありませんが、地名を残すだけの人が住んでいたとは思いませんでした。 更にカリフォルニアの語源を調べてみたら、これはスペイン人が付けた名前だそうです。最初は上カリフォルニアと下カリフォルニアがあったようですが、スペインから買い取ったのは上だけだったので、それを省いて現在の州名にしたそうです。よく調べた訳ではありませんが、この一帯にアメリカ人の付けた地名は、ほとんど無いのではないかと思います。

カナダの写真では、スタンレー公園の「ウエット・スーツの少女の銅像」を見てコペンハーゲンの人魚姫に似ているなと思いました。ポーズが多少違いますし、それに比べて多少、大きいようですが、真似したような気がします。 この人魚姫も「世界の3大ガッカリ」の一つになっていますが、今回はコペンハーゲンには寄港していないので、その代わりと思えば、「シンガポールのマーライオン」「ブリュッセルの小便小僧」と合わせてセットになると思います。

ただし、いずれも小さいことがその理由の一つなので、この3点セットは、マーライオンの2代目が出来る前の話だとは思います。

キャピラノ渓谷の売店に置いてある熊は、剥製だと思いますが、やはり大きいですね。これを見て、北の国では野生動物としては熊が代表格になっているらしいという事に気が付きました。マーライオンとの対比で面白いです。最終回を楽しみにしています。

▼コメント
投稿 BOW | 2007年8月28日 (火) 17時23分
ikeda様、早速のコメントありがとうございます。

>船からの風景を多く掲載されているのは、あまり見慣れない風景なので真新しい感じがしました。
ワールド・クルーズのメリットですね。

>それにターンテ−ブルを手で回すとは知りませんでした。中華料理のテーブルみたいですね。
楽しい街です。遊び心が嬉しいですね。

>サンフランシスコでの観光の一つにワイナリーの見学があったと思います。
オプショナル・ツアーは8つあり、その一つにワイナリーを2箇所巡る「ナパバレー1日観光」がありました。 >カリフォルニアの語源を調べてみたら、これはスペイン人が付けた名前だそうです。 そうなんですか、メキシコあたりまではスペイン支配下にあったのですね。

>この人魚姫も「世界の3大ガッカリ」の一つになっていますが、
>「シンガポールのマーライオン」「ブリュッセルの小便小僧」と合わせてセットになる
面白いことを教えて頂きました。

>北の国では野生動物としては熊が代表格になっているらしいという事に気が付きました。
>マーライオンとの対比で面白いです。
南はライオン、北は熊ですね。面白い!

>最終回を楽しみにしています。
ありがとうございます。なんとか、終りまでたどり着けそうです。

▼コメント
投稿 Nicole | 2007年9月30日 (日) 23時37分
始めましして、ニコルです。中之島先生のページとても面白いです!
まだ全部で見ていませんけどでもバラの写真はきれいです。日本語まだ上手ではあいませんから残念でも一つ分かりました中之島先生は”いい仕事”しています。ありがとうございます。

▼コメント
投稿 BOW | 2007年10月 1日 (月) 08時10分
ニコルさん、こんにちは!
外国の方からコメントをいただき、とってうれしいです。私のページを面白いとか、”いい仕事”とほめてくださり、ありがとうございます。ニコルさんは、C.W.ニコルさんとご親戚ではないですね。中之島は住んでいるアパートメントハウスがある地名で、大阪では有名なところです。

2年前までは医師の仕事をしていましたが、今は無職です。だから、先生ではありません。ハンドルネームのBOWか、BOWさんと呼んでくださいね。またのコメントをお待ちしています。


◆飛鳥U世界一周2007 9.アラスカをUP 2007年8月31日 (金)

記事挿入画像は35枚、写真集の画像は219枚で、これまでの掲載した写真を合計すると約1660枚となります。チェックした写真は撮影したものの全部で、約5000枚でした。また、撮影した約5000枚の写真うちの約1660枚を掲載したということは、3枚のうちの1枚を使った勘定になります。

8月1杯をかけて、なんとか航海記に1660枚の写真を掲載することができました。オマケの人生に入ってからは、タイムリミットを決めて行動する生き方を止めましたが、不思議にきりの良いところで終えることができました。また、意図せずに9のマジックが働いて、航海記を9章で終えることができました。

氷河の写真は充分に撮れましたが、鯨ウォッチングの写真は皆無で、ビデオスナップショットに頼らざるを得ませんでした。何時間も観察を続けて、鯨が現れるのは2〜3秒以内であり、デジカメでの撮影は困難でした。しかし、このビデオスナップショットによって、鯨ウォッチングのヴァーチャル体験をしていただけるのではないかと思っています。


▼コメント
投稿 T-baba | 2007年9月 1日 (土) 10時21分
>8月1杯をかけて、なんとか航海記に1660枚の写真を掲載することができました。
大団円ですね!Turn out happily !

サンフランシスコとはうって変わった静寂のモノトーンの世界、氷河がこんなにたくさんあるとは驚きです。大昔、アンカレッジを経てポイントバローあたりに行ってみましたが、こんな迫力ある氷河にはお目にかかりませんでした。アイスブルーが美しいですね!

> このビデオスナップショットによって、鯨ウォッチングのヴァーチャル体験をしていただける
> のではないかと思っています
ヴァーチャル体験させていただきました!鯨の尾っぽが可愛いくみえました。

言わずもがなのことですが、コーラスの男声4人、いずれもその道のツワモノ、クセモノ揃い、なかなかいい面構えですね(笑)

>オマケの人生に入ってからは、タイムリミットを決めて行動する生き方を止めましたが、
>不思議にきりの良いところで終えることができました。

大きなリミットを見据えたうえで、今回のような大航海をお二人でやってのけられました。お互いに「相方」に関しても新しい発見もあったことと拝察しています。これからもプレミアム満載のハッピィライフが続くことでしょう。この素晴らしい思い出を飛躍させて、更によい「おまけの人生」をエンジョイなさって下さい。

>また、意図せずに9のマジックが働いて、航海記を9章で終えることができました。
時あたかも9月、9のマジックの幸運は続いていくでしょう。オツカレサマでございました!今年の夏はこれが楽しみで乗り切れたようなモンです。有難うございました!

▼コメント
投稿 BOW | 2007年9月 1日 (土) 11時48分
T-baさん、コメントありがとうございました。

> 大団円ですね!Turn out happily !
ありがとうございます。UPするや、間髪を入れずいつもご感想を書き込んで下さり、ほんとうに励みになりました。

> 氷河がこんなにたくさんあるとは驚きです。
そうですね。このほかにもまだまだあるようです。ただ、私はやはり人間の関係している場所の方に興味がありますが、、、

> ヴァーチャル体験させていただきました!鯨の尾っぽが可愛いくみえました。
良かった! あれだけを見るのに、モノスゴク苦労したのでした(笑)

> コーラスの男声4人、いずれもその道のツワモノ、クセモノ揃い、なかなかいい面構えですね(笑)
私は例外でしょう!(笑)

> これからもプレミアム満載のハッピィライフが続くことでしょう。
ありがとうございます。プレミアムは、なくてもともと、あればもうけと思っています。

> 時あたかも9月、9のマジックの幸運は続いていくでしょう。オツカレサマでございました!
9のマジック、不思議ですね。疲れましたが、楽しい1月でした。ありがとうございました。


◆「世界の写真」をUP 2007年9月 9日 (日)

世界一周航海記で使った写真約1500枚を、テーマ(キーワード)で分類し、世界の写真のデータベースを作りました。

航海記写真集のようなストーリー性がないため、面白くはありませんが、写真の活用とか、知識の整理には、こちらの方が有用ではないかと思います。

自分のために作ったものですが、活用して頂ければ幸甚です。これを以て、世界一周クルーズの写真シリーズを終ります。


▼コメント
投稿 BOW | 2007年9月10日 (月) 21時58分
「世界の写真」に「全項目表示」を追加しました。
「世界の写真・目次」を補完する目的で、323の全項目を、分類別に表示する「全項目表示」を追加しました。これによって、「世界の写真」の使い易さは、20%程度アップするのではないかと思っています。ご活用いただけることを願っております。

▼コメント
投稿 musi | 2007年9月11日 (火) 00時25分
ますます検索しやすく拝見したい映像へスパッと飛べるのですからたまりません。スバラシイ!です。
GO先生は昼休みの時間、あまり座らないPCへ向かわれています(^_^)b 「写真一枚一枚にこれほど詳しい説明が付けられるとはいったいどうしてメモ取りはるんやろ?凄いなー」「明日も見るから起動しといてや!」と毎日うれしい命令です(^_^)v

▼コメント
投稿 | 2007年9月11日 (火) 09時26分
musiさん、コメントありがとうございます。検索しやすくなったでしょう!(笑)どんどん使ってくださいね!!Dr.GOによろしくお伝えください。

▼コメント
投稿 Ikeda | 2007年9月15日 (土) 14時55分
コメントが大分遅れましたが、前にお話したように9月5日から12日までギリシャへ行ってきました。成田からミラノまで12.5時間、ミラノからアテネまで2.5時間という飛行時間なのが、かなり大変でしたが、それでも一番短いコースのようです。

航空会社はアリタリアでしたが、出発時、ツアー客の荷物は纏めて搭載してくれたせいか、少なくとも往路は不着ゼロでした。復路はどうだったか知りませんが、当日着かなければ、宅配便代が助かるという人もいました。 以前のエーゲ海クルーズを含めてBOWさんの行かれた場所と同じなのはアテネとデルフィだけですが、目玉のパルテノン神殿は工事中だったので工事現場を視察に行ったようなものでした。それでも観光客が非常に多かったのには驚きました。

8月末に山火事が報道されていたので心配していましたが、観光には全然影響はないようです。ギリシャは岩山の国ですから、どこが火事になったのかと思っていましたが、我々が見たのは全面的に焼けたというより、飛び火して、あちこちが焼けてている所だけでした。オリンピアの遺跡の中にも焼けている木がありましたが、火事と知らなければ枯れたのかなという感じでした。

最後の日にミニ・クルーズがありましたが、これはエーゲ海というより、アテネのあるサロニコス湾のポロス、イドラ、エギナ三島の島巡りです。この内イドラはソフィア・ローレンの「島の女」の主舞台なので特に興味がありました。「島の女」と言えば、2日目に行ったメテオラのそそり立つ岩山の上の修道院へ昇るリフトを見て、クリフトン・ウエブがそれを使うシーンがあったのを思い出して懐かしくなりました。

大量の旅行記と写真集を有り難うございました。

▼コメント
投稿 BOW | 2007年9月16日 (日) 00時08分
Ikeda様 お帰りなさい! 帰国早々のコメントありがとうございました。アリタリア航空が時間通りの発着だったようだし、不着もゼロとか、良かったですね。パルテノン神殿が工事中とは残念。山火事が報道されていたほどのことではなかったとは驚きました。

>ソフィア・ローレンの「島の女」の主舞台なので特に興味がありました。
エーゲ海の風景が一杯の懐かしい好きな映画でした。ありがとうございました。ソフィア・ローレンの魅力の方がもっと素晴しかった(笑)。

>大量の旅行記と写真集を有り難うございました。
なんとかまとめました。今はハイビジョン・ビデオにかかっています。

▼コメント
投稿 Muチャ子 | 2007年9月19日 (水) 01時54分
毎夜、映像に引き込まれブログまでたどりつくのが遅くなりました。
Muチャ子はあらゆる映像に惚れてしまいました〜!航海記ものこらず拝読いたしました。細部にわたりわかりやすくまとめていらっしゃるので、初めての場所ですら旅行したような錯覚になり、楽しんでいます。お言葉に甘え活用させていただきま〜す。

▼コメント
投稿 BOW | 2007年9月19日 (水) 15時23分
Muチャ子さん、コメントありがとうございます。航海記も映像も存分にお楽しみいただいたとのこと、モノスゴク嬉しいです。ありがとうございます。どんどん活用してくださいね(笑)

世界の写真のあと、ハイビジョンビデオを編集し、BDにメニューつきで焼くことの研究をしてきました。市販されている多くのソフトを試してみて、なんとか目途がつきましたので、これからは実行段階に入ります。結構ややこしくて面白いです(笑)。

▼コメント
投稿 マミー | 2007年10月 4日 (木) 21時32分
お久しぶりです。大量の画像を項目別にまとめられたDrBOW! やっぱり何事もきっちり総仕上げをなさる、その姿勢と情熱に感動しました。

大英博物館の画像をゆっくり見させていただきました。私も一人旅をしていたとき、大英博物館のすぐ近くのホテルに1週間ほど滞在し、1日の観光のしめくくりは必ず博物館の「ミイラ」コーナーと決めていました。綺麗な棺に納められた王族のミイラよりも、一般人の行き倒れのような方がリアルで怖かったのを覚えています。怖いもの見たさで、毎夕同じミイラの前に立っていました。

質問なのですが。
これほど大量の画像をどのようにして持ち帰られたのですか?メモリースティックをたくさん持って行かれたのですか?それとも少しずつディスクに焼きながら保管されていたのですか?もしかしてファイルにして、日本のご自身のアドレスに送信されていたのでしょうか?

この夏友人が海外から2ヶ月ほど日本に来ていたのですが、デジカメにたまっていく画像をどうしようか、、、と悩んでいました。結局USBメモリをこちらで購入して移してみたり、私のPCにフォルダーを作って万一に備えて保存して帰りました。「私が無事帰国して自分のPCに画像を保存できたら報告するから消去してね。」と言い残して。

DrBOWはきっと合理的かつ安全な方法を選んでおられたと想像しています。是非お教え下さい。そのことについて、既にUPされている箇所がありましたらお教え下さい。自力で探し出せずにすみません。m(__)m

▼コメント
投稿 BOW | 2007年10月 4日 (木) 23時37分
マミーさん、コメントありがとうございます。大英博物館はスゴイですね!

さて、ご質問ですが、5000ファイル、約4GB超で、ノートPCに保存して持ち帰りました。メモリは2GBを使っていたので、比較的余裕がありました。それよりもハイビジョン撮影を記録のメインにしていましたので、PCのほか、100GBのHDD2個とノートPCに保存する方が気を使いました。特に合理的に安全を意識したのではないので、過大評価をいただいて恐縮です。

船なのでPCやHDDを移動することがなく、乗船下船は宅配でなく、自分で携帯したことが唯一安全対策でしょうか?

▼コメント
投稿 マミー | 2007年10月 5日 (金) 00時56分
Dr.BOW
早々にご回答くださりありがとうございます。なるほど、ノートPCを持って行かれていたのですね、、。でしたら何も問題ないですよね。船内に設置されているPCを利用されていたのか、とか勝手に複雑な方法を想像していました。失礼致しました。

「大英博物館」で、もう1つ思い出しました。
エジプトなどから膨大な数の文化遺産を壁ごと切り取ったりして持ってきていることに、ショックを受けました。そのことを友人のスコティッシュのご主人に言ったことがあります。

「大英博物館って正に略奪の成果だね。」とまたダイレクトに言ってしまったのです。そうしたら一晩中反論されました。

「当時は植民地、すなわち我が国の領土からモノを移動させただけ。しかも盗掘から守ってあげたんだ。発掘や保存の技術が無い国だったから、自力では無理。大切な遺産が現在まで無事なのは我が国のおかげ。」・・・とつたないヒアリング力で聞きとれた部分を要約するとたぶんこんな内容だったと思います。

「なら、知識も技術もOKな現在は、もうカイロ博物館なんかにお返しするべきじゃないの?」「もし日本の高松塚古墳の壁画がもぎ取られて、大英博物館に展示されていたら、やっぱり国の遺産を返してよ!と私なら思うな。」とまた反論してしまいました。結局どちらも引き下がらずに、この話題はワインとバーボンと黒ビールのまぜこぜ頭の渦の中に消えていき、終了でした。

翌日彼の妻である友人が解説してくれました。イギリス人は小学校の頃から歴史の授業でこのように教育されている。そして博物館が無料なのは、略奪してきた国の人たちが見に来られたときに料金をとるなんてとてもできないから批判をかわす意味もあるんだと。

「ふ〜ん、そんなものなのか。でもいつか主なモノだけでも返してあげてほしいな。」とまだしつこく言ってました。「大英博物館にあったからエジプトに行かなくても見られたんじゃない、あなたにとってはラッキーだったでしょ?」と言われて、納得してしまった私です。

とにかくあの博物館はすごいですよね。

▼コメント
投稿 BOW | 2007年10月 5日 (金) 01時10分
前に大英博物館へ行った時はマミーさんとまったく同じように思いました(ロン・パリやぶにらみ道中記)。今回はエジプトの考古学博物館を見たあとだったせいもあり、考えが大分変わりました。(航海記6.5月22日:ロンドン塔、大英博物館)

▼コメント
投稿 マミー | 2007年10月 5日 (金) 01時33分
Dr.BOW
>分捕り品には間違いないとして、それを元の場所に置くよりも、世界の多くの人に広く見てもらえて、保存管理が行き届いているなら、それも致し方ないかも知れないと考えが変わってきた。どちらが人類にとって有用であるかが問題であろう。

なるほど。そのような考え方もあるのですねー。あながち彼がガンコなだけというわけではなかったようで、、。大英帝国の名誉と正当性を守るためだけに主張していたという印象だったのですが。「どちらが人類にとって有用か」なんて思い至りませんでした。エジプトも見学されたからこそ、そう感じられたのですね。次に友人一家に会ったら、「日本人にもこんな風に思っている人がいるよ。」と伝えます。小躍りして喜ぶ彼の姿が目に浮かんで、ちょっと悔しいですケド。

航海記をもっと読ませていただきたくなりました。今夜も寝不足になりそうです!

▼コメント
投稿 BOW | 2007年10月 5日 (金) 11時36分
> 航海記をもっと読ませていただきたくなりました。
 ありがとうございます。

> 今夜も寝不足になりそうです!  ごめんなさい!!


◆サイト掲載記事の日付 2007年10月 3日 (水)

昨日、Web検索で中之島のBOWの「祇園一力亭の宵」を読んでくださった方から、”年月日が「200年10月…」ってなってましたが、いつ行かれたのでしょうか?”とのメールをいただきました。私のよくやるチョンボです。すぐに、「2006年10月2日」と訂正し、お礼の返信を差し上げました。

掲載記事の日付は、自分のメモ程度に考えて、必ずつけるわけではなく、ジャンル別の目次、更新歴、制作目録には必ず日付を掲載してきました。しかし、これも自分の整理のためでした。今回のチョンボがきっかけで、掲載記事の日付の重要性が良く分かりました。これから、時間をかけて、チェックすると一緒に、スタイルも統一しようと考えています。


▼コメント
投稿 Muチャ子 | 2007年10月11日 (木) 02時18分
「世界の写真」並びにコメントすばらしくて、ため息吐息で拝見し仮想体験しつつ楽しんでいます。「日付」に取りかかっていらっしゃるのでしょうか。又々HP訪問するのが楽しみで〜す。オマケの人生もメチャお忙しそう(^^)お好きな事だから出来るのですね。どういう風になるのか訪問者のMuチャ子は目が離せませ〜ん。

▼コメント
投稿 BOW | 2007年10月11日 (木) 08時29分
Muチャ子さん、コメントありがとうございます。
「世界の写真」を楽しんでくださって嬉しいです。日付は、とりあえず、今年と昨年分だけは修正しました。先週末に神戸で高校のクラス会があり、その幹事をしていたので、そちらにいくらか時間をとられていました。昨日その報告を48名全員に郵送したので、時間的、心理的に解放されたところです。

また別のことを思いつき、今はそちらにとりかかっています。またのお越しを、首を長くして(猪首ですが)お待ちしています(笑)。


◆クラス会でのドジ 2007年10月11日 (木)

さる10月6日(土)の夕、神戸で高校のクラス会があり、命じられてその幹事を、ほかの者と3名で務めました。ドジ・チョンボが得意のBOWが引き受けて、すんなり、うまく行かないのは皆様のご想像通りです。

まずは、案内状に会費を書かかなければならないことに気がつかなかった、というか、案内の前に会費をいくらにするかを算出せず、案内を出してしまったのでした。結局、会費は当日幹事3人が集まって決めました。出席者に「会費を書いていなかったので、幹事が全部持ってくれるのと違うかと思っていた」と脅されました。

クラス会はお陰さまで何とか無事に終り、帰宅して、会計担当の幹事から受け取った封筒を開けてみると、会費が1万円多いのです。すぐさま、「会費を数えたら○○万円あり、○○様が1万円余分に入れられたのではないかと推量しましたが如何でしょう? もし、そうなら現金封筒でお送り致します。」とメールを送りました。

その方は、それからほとんど24時間、いろいろ思い返され、そのはずはないと3回メールを送ってこられたのでした。あまり何度も否定されるので、もしやと思って数え直してみたら、5千円札が2枚入っていました。5千円札を1万円札と間違えて数えていたのです。最初に数え直した時にも、気がつかなかったということになります。

仰天して平謝りのメールを送り、寛大な許しを得てホッとした次第です。幹事は2回続けるとの緊急動議が通り、もう1回しなければならないことになりました。来年はどんなドジをすることやら(笑)。

▼コメント
投稿 Sammy | 2007年10月26日 (金) 08時33分
Bowさん しばらくご無沙汰をしておりました。世界一周旅行日記・・Bowさんの五感が映し出す世界の様子を遅ればせながら拝読しています。

近況を少し・・。この12月に22年間勤務した会社を卒業します。そして次の人生のステージに行きます。わくわくと不安の両方が混ざった心境です。また、時々お邪魔しますね。では、では(笑)

▼コメント
投稿 BOW | 2007年10月26日 (金) 10時06分
Sammy さん、お久しぶりです!旅行記をお読みいただきありがとうございます。

旅行から帰って、その整理に夢中でいろいろやってきました。我ながら呆れるほどです。12月に22年間勤められた会社を卒業されるのですね。Congratulation !お祝いに「Smile」を贈ります。私の愛唱歌です。では、では


◆生年順クラシック作曲家名をUP 2007年10月29日 (月)

クラシックの作曲家が、どの時代の人かを正確知りたいことがあります。

Web検索をしてみても、詳しい音楽史年表が見つからない。そこで、自分のために「生年順クラシック作曲家名」をまとめてみました。

その結果、これまで漠然と思っていたことの多くが間違っていたことを知りました。面白いです。ご興味があれば、覗いてみてください。


◆「クラシック雑感」をUP 2007年11月 1日 (木)

今日から11月、行事の多い月に入ります。それと関係はないのですが、「クラシック雑感」をUPしました。

「生年順クラシック作曲家名」をまとめて、Webサイトに掲載するようになったいきさつ、その過程で思ったこと、まとめてみて分かった面白いことなどを書いています。


▼コメント
投稿 Sammy  | 2007年11月 5日 (月) 22時12分
Bowさん今晩は!英語愛唱歌のリストにも感動しましたが、クラッシク作曲家の生年順リストも興味深く拝見しました。

この9月に主人の実家のあるBONNに里帰りし、ベートーベンの生家に久しぶりに行ってきました。「ここにベートーベンが確かにいた」ということを感じただけでも何か感慨深いものがありました。ベートーベンとモーツアルトの好きな主人が、生家のガイドの方に二人が生前会ったことがあるかの質問に「生前モーツアルトとベートーベンは会えずじまい」との回答。会う機会があったならば、さらに別の音楽史に残る曲があったかもしれませんね。そんなことを想像するだけでもわくわくします。

▼コメント
投稿 BOW | 2007年11月 6日 (火) 00時25分
Sammyさん コメントありがとうございます。
ボンに里帰りされたとのこと、ご主人はドイツの方なんですか? ビックリしました。まだまだ色々な思ってもいなかったことを、知ることがありそうですね。ベートーベンの生家に今度も行かれたとのこと羨ましいです。

10年前にドイツ・オーストリアに行った時、ウイーンの墓地でモーツアルトとベートーベンとシューベルトの墓が同じところにあり、感激しました。シューベルトの墓は二人に比べて小さいのですが、尊敬するベートーベンの傍で眠れるのが嬉しくてたまらないような感じがしてきました。

▼コメント
投稿 Sammy | 2007年11月 7日 (水) 12時27分
Bowさん今日は会社のPCからです。私お伝えしていたと思っていました。そうなんです。ゲルマン人です!(笑)ドイツにも行かれたことがあるのですね〜。

さて、数字について 「9」がBowさんにとっては特別なのですね。私は「4」です。大好きな数字です。 誕生日が4日 今年はぞろ目の44歳 変化の歳だと思っています。 おっと昼休みが終わりそうなので また、ではでは

▼コメント
投稿 BOW | 2007年11月 7日 (水) 19時26分
Sammyさん、こんにちは やはりゲルマンの方ですか、きっと、論理的な方でしょうね!?ローギッシュであることが一番大事な国民だと聞いたことがあります(笑)。私は論理的であるより、情緒的ではないかと自分では思っているのですが、あんがい理屈っぽいのかも分かりません(笑)。

ドイツは私の高校時代の精神的危機を乗り越える力となったシューベルトの生まれた国ですが、今ドイツと言えばビールが一番関係があります。「9」のマジックというのは、自分の過去を振り返った時に、9歳〜69歳まで、9のつく年齢がエポックを画していたことを知ったことから来ています。

私の好きな数字はSammyさんと同じ「4」です。誕生月が4月、誕生日が「4×4」だからです。44歳おめでとうございます。私よりも27歳もお若い、素晴しいです!!

▼コメント
投稿 Sammy  | 2007年11月 7日 (水) 22時57分
Bowさん今晩は!今 ボーカルのレッスンから帰ってきました!12月にライブに出るのですが、新しい曲にチャレンジすると決めたものの歌うとなると、、すでに壁にぶつかっています(ですが、好きなことですので乗り越えられると確信しています)

お礼が遅れましたが、会社卒業のお祝いに「Smile」の曲を贈っていただきありがとうございます。そして、お誕生日のお祝いのお言葉本当に嬉しいです。「Smile」は、喜劇王チャップリンが作曲していることでより一層好きになりました。この曲は私の人生におけるテーマ曲です。10月のライブでも歌ったのです!だからとても嬉しかったのです!

12月のライブでは「Cheek to Cheek」という曲に挑戦します。映画「グリーンマイル」の中で死刑囚の主人公が最後の希望を叶えてもらい、映画を見るシーンでスクリーンで歌われている曲です。

パートナーは、理論好きです(笑)、日本に恋して来日したのに日本の女性に恋をしてしまい、16年も住んでいます。「住めば都」と口癖のように言っていますし、何がおきるかわからないから人生は楽しいと言っています。そんな彼の生き方が大好きです。

▼コメント
投稿 BOW | 2007年11月17日 (土) 21時55分
「クラシック雑感」未完のDVDのことを書きましたが、あることがきっかけで完成させる気持が起こり、(1)アジア・ヨーロッパ編と(2)北米・中米編の2枚のDVDに分け、それぞれに800枚の写真をスライド・ショー形式で収めて完了しました。それに使ったBGMと各チャプターの再生時間を「クラシック雑感」の最後に補足として記録しておきました。

▼コメント
投稿 Muチャ子 | 2007年11月18日 (日) 18時20分
クラシックはなんとのう近寄りがたく思っていたのですが読んでいく内にこれ又、なんとのう解ってきた部分があります。今でもポップスを聞きながら書いています。奥さまの落雷、もっともだと(すみませ〜ん)稲光に合われませんようにご注意くださ〜い。HP拝見してま〜す。

▼コメント
投稿 BOW | 2007年11月18日 (日) 20時59分
Muチャ子さん、こんばんは 気の重い「クラシック」に近づいてくださりありがとうございます。HPご覧いただいて嬉しいです。落雷対策を考えて行動しているのですが、読み違えることが多々あります(笑)。


◆スライド・ショーDVDの制作をUP 2007年11月21日 (水)

DVDプレーヤーで飛鳥U世界一周クルーズの写真を見ることはできるように、スライドショーのDVDビデオを制作しました。アニメーションとBGM、タイトルや字幕をつけたところ、予想していたより良いものに仕上がったので、忘れない間に制作法をまとめてみました。

使ったソフトの中心は、「Windows PhotoStory 3」というマイクロソフトの無料ソフトで、これが非常に素晴しく、それを使っている間に知った技法や原理などを、画像を40枚使って整理したものです。


◆「征服されたことのない国」をUP 2007年11月25日 (日)

飛鳥U世界一周クルーズのまとめとして「征服されたことのない国」をUPしました。15年前の最初の海外旅行で得たキーワードが人類の過去に対する私のまとめでしたが、今回の最初の世界一周クルーズで得たキーワードが人類の未来に対する私のまとめとなりました。

これを以て、帰国以来続けて参りました世界一周シリーズを終えたく思います。長い間お付き合いいただきありがとうございました。


◆初めての人間ドックをUP 2007年12月 8日 (土)

この1年間でに、生まれて初めてという体験をいくつか持ちました。初めての入院、初めての手術、初めての世界一周クルーズ、そのほかにもいろいろありますが、昨日受けた人間ドックもその一つです。

71歳になるまで人間ドックを受けたことがなく、もうこれからは受けないと決めた人間ドックと、それに関係づけて、早期発見早期治療について考察してみました。

2007年12月 8日 (土) 心と体 | 固定リンク | コメント (4)


▼コメント
投稿 Sammy  | 2007年12月17日 (月) 19時02分
BOWさんご無沙汰しております。
BOWさんのような人生経験豊かな方でも生まれて初めてのことがまだまだ、たくさんお有りとのこと。私もこれからどれだけのことを経験できるのか楽しみになってまいりました。

 さて、この土曜日に会社での最後のレクリエーションで再び神戸へ参りました。目的はルミナリエでした。ハーバーランドでなんと飛鳥Uを見ることができました。お〜、BOWさんと奥様との世界一周の旅の素敵な空間だと感激いたしました。その感激をお伝えしたくてご連絡しました。今年もあと半月 私も卒業まであと3日となりました。感慨深いです。では、では

▼コメント
投稿 BOW | 2007年12月17日 (月) 23時40分
Sammyさん、こんばんは
ルミナリエをご覧になられたのですね!それに飛鳥Uもご覧になったとのこと、その感激を書き込んでくださり、ありがとうございました。私も最初に見たときはどちらにも感激し、興奮してしまいました。

22年間のお勤め御苦労様でした。いろいろ多くのことを経験されたことでしょうね。次のステップは決まりましたか?来年「日本に恋して来日したのに日本の女性に恋してしまわれた方」のお国の首都へ行く予定です。では、では

▼コメント
投稿 Sammy  | 2007年12月19日 (水) 11時14分
BOWさん 優しいお言葉に感激です。ありがとうございます。

この世に生を受けたということは、使命があるからだと思います。私の場合は「歌を通じて自分以外の人のために癒しの空間を多く創ること」だと確信しています。それは、人のためであり、かつ私自身が生きている証を感じる空間だと思います。具体的な行動の場は、多くあります。来年から開始です!そのために自分を磨くこともしつつ できることから やっていきたいと思っています。

来年 ベルリンですか〜。楽しみがたくさんですね。BOWさんはまさにプレミアな人生を過ごされていますね。では、では〜

▼コメント
投稿 BOW | 2007年12月20日 (木) 17時02分
Sammyさん、こんばんは 「使命」「確信」「生きている証」のことばに、Sammyさんの誠実さを感じます。そして若さも。71歳のオマケの人生をなんとか生きている人間には、強烈で新鮮です。どうか、ご自分の求める道を進んでください。そして、ときどきはこのブログに、その経過を書き込んでいただければ嬉しいです。私は目標を定めず、タイムリミットも設けず、オマケの人生をなるがままに生きています。では、では


◆「オマケ1年目をふり返って」をUP 2007年12月31日 (月)

昨年末は予期せぬ入院騒ぎでバタバタしましたが、今年は何ごとも無く、ゆっくり1年をふり返ることができました。と言っても、自分の備忘録のインデックス程度のものです。



2008年の記事


◆「私の年賀状スタイル」をUP 2008年1月 1日 (火)

オマケの人生に入った今年から、年賀状のスタイルを変えることにしました。私は一旦決めたことを度々変更するのは嫌いなので、細かな修正はあるにしても、大筋はオマケの人生の終りまで変わらないのではないかと思います。

そこで、一部が残っていたこれまでの年賀状を探し出し、私の年賀状のスタイルとポリシーについてまとめてみました。正月の話題に、お読みいただければ嬉しいです。


▼コメント
BOWさん 明けましておめでとうございます。「年賀状」スタイル拝見しました。まず、高校生のころの原版をお持ちであることに驚きです。BOWさんの几帳面さ 見習いたいと思いました。今年のスタイル素敵ですね!奥様とのツーショット!!我が家は結婚以来 毎年 ツーショットの写真入りの年賀状にしています。ご迷惑でなければ我が家の年賀状をご自宅にお送りしてもいいでしょうか?
投稿 Sammy  | 2008年1月 2日 (水) 20時18分

▼コメント
Sammyさん、おめでとうございます。年賀状スタイル見ていただいたのですね、ありがとうございます。

>我が家は結婚以来 毎年 ツーショットの写真入りの年賀状にしています。
やはり、センスが違いますね!!私は71歳も過ぎればどう思われても良いかと開き直って、元気にしているのを知っていただこうとスタイルを変えました(笑)。あの写真入り年賀状を見て、伯母が安心したと喜んで電話をしてきました。効用はあったようです。sammyさんご夫妻の年賀状是非送ってください!待っています!!
投稿 BOW | 2008年1月 3日 (木) 00時16分

▼コメント
BOWさん こんばんは!今日は主人と宮島に行ってきました。天気もよく 鳥居の朱がとてもきれいでした。行かれたことはありますでしょうか? 私の大好きな場所のひとつで季節ごとに毎年行っていますが、今日初めて通る道があったりとまだまだ宮島の魅力がたくさんあることに気づきました!

さて、年賀状お言葉に甘えて昨日投函しました! 今年のCMで「年賀状は贈り物」というフレーズが気に入っています! 喜んでいただければ嬉しいのですが・・。
投稿 Sammy  | 2008年1月 4日 (金) 21時15分

▼コメント
Sammyさん、こんばんは!
 ご主人と宮島へ行かれたのですか、私たちは未だ行ったことがありません。しかし、TVなどで見て憧れています。年賀状を贈ってくださったのですね、嬉しいです。楽しみです。明日郵便ボックスを何度も覗いてみます。住所をメモしてくださっていたのですね。メールでお知らせすることもできないし、と思って自分の載せた記事を見たら、住所電話番号が丸見えでした。住所はまだしも、電話番号が業者などに漏れて、勧誘電話が頻繁にかかってくるようなことになっては大変と大急ぎで塗りつぶしました。Sammyさんがメモして下さっていてホッとしました。
投稿 BOW | 2008年1月 4日 (金) 21時42分

▼コメント
Sammy さん、年賀状、今日届きました! オランダの風車群をバックのツーショット素敵です! Sammy さんは以前ハートブレイク メンバーの写真で拝見しましたが、年賀状の方が嬉しそう。知的で男らしくて優しいお顔のご主人に守られているからではないかな?お返しに、私たちの年賀状を投函しました。
投稿 BOW | 2008年1月 7日 (月) 20時43分

▼コメント
BOWさん こんばんは! 嬉しそうな顔をしていますか(笑) 日本以外の場所で写真を撮るといつもとても幸せそうな笑顔なんです!開放感とリラックスしているからでしょうか〜 勤務していたときに同僚から 「年賀状の笑顔と歌っているときの表情は職場では見れないね」とよく言われていました。どんな顔して仕事していたのか怖くなります〜 BOWさんからの年賀状楽しみにしております! ありがとうございました
投稿 Sammy  | 2008年1月 7日 (月) 21時06分

▼コメント
私の年賀状スタイルをまとめた機会に、手許に残っている住所録登録人数と投函年賀状数をまとめて、補足しました。来年からは儀礼的年賀状をできるだけ減らし、安否報告年賀状を中心にしていきたいと思っています。
投稿 BOW | 2008年1月 9日 (水) 09時35分

▼コメント
BOWさん 年賀状 今日届きました〜♪ 嬉しいです ありがとうございます! ハネムーンのようで素敵です。そして BOWさんの筆跡はとても味があって暖かい印象を持ちました〜 ウィーンとベルリンの旅 楽しんでいらしてくださいね! 失礼ながら 提案です! 来年は是非お二人の表情がよくわかる お写真を選ばれてはいかがでしょうか!
投稿 Sammy  | 2008年1月10日 (木) 17時11分

▼コメント
Sammy さん、こんばんは! 年賀状届いたそうで良かったです。ハネムーンはないでしょうが、顔が小さくて、しわが見えずもうけています(笑)。

>来年は是非お二人の表情がよくわかる お写真を選ばれてはいかがでしょうか!
せっかくのご提案ありがたいですが、表情が見えないから、元気そうに見えるメリットは、もらっておきます。Sammy さんご夫妻のようにアップに耐える方は良いですが、私たち老夫婦が真似をすれば悲惨です(笑)。
投稿 BOW | 2008年1月10日 (木) 22時06分


◆今年は音楽に傾くかも 2008年1月17日 (木)

昨年飛鳥Uでコーラスに参加したり、その航海写真のDVD化で、BGMとしてクラシックを久し振りに聴いたことなどがきっかけで、音楽にもう少しだけ深く関わってみたいという気持になりました。

オマケの人生だから、やり遂げることをせず、途中で止めて他のことに熱中するかもしれないのですが、今は音楽関係でいろいろ面白いことを考えています。少し具体的になったところで、「中之島のBOW」に掲載していこうかなとは思っています。

先ずはウィーンとベルリンへ、クラシック音楽の鑑賞に出かけます。今回はPCを持参しないので、携帯でこのブログにコメントの書込みができるか試してみます。音沙汰なしなら失敗です(笑)。


▼コメント
今回は手軽な手荷物でご出発でしょうか。音楽鑑賞の旅行、帰国後のオハナシを(決してドジチョンボを期待しているわけではございませんfufufu)楽しみにお待ちしています。後日、試験的に書き込みしてみます。
投稿 musi | 2008年1月18日 (金) 03時01分

▼コメント
BOWさん ご出発もうすぐでしょうか。しっかり楽しんでいらしてくださいね。次々に面白いことが浮かぶ・・素晴らしいですね!ご旅行で感じられたこと 書き込みを楽しみにしております。いってらっしゃいませ! Gute Reise!
投稿 Sammy  | 2008年1月18日 (金) 08時49分

▼コメント
musi さん、こんにちは 今回は船と違うので、最小の荷物となります。これまでは盆休み期間限定の海外旅行だったので、薄着で済み、荷物も少なかったのですが、今回は寒い時期なので衣類がかさばり大変です。ご期待のドジチョンボ、今回は空振りだったりして? そんなわけないか(笑)。ここに書込みができなければ、それが私にはダイチョンボです(笑)。
投稿 BOW | 2008年1月18日 (金) 09時50分

▼コメント
Sammy さん、コメント Danke schoen. ベルリンではSammy さんのご主人のお顔を思い出すかも分かりません。帰国したら、旅のこと、音楽のことを書き込むつもりです。お読みくださいね(笑)。
投稿 BOW | 2008年1月18日 (金) 09時51分

▼コメント
Guten Morgen !BOW先生! ご準備でお忙しいと存じます。このブログへの書き込みをドイツからなさるために新型携帯電話をご購入、張り切っておられるご様子を感じます。日本で、試しにその新型でコメントをブログにおいれになってみてはいかがでしょう、、
投稿 T | 2008年1月19日 (土) 10時49分

▼コメント
T-ba さん、アドバイスありがとうございました。古い機種では実験済みだったので、忘れてしまっていました。もう少しでドジるところでした。
投稿 BOW | 2008年1月19日 (土) 13時36分

▼コメント
早速チョンボをしました。今日の午前中はコーラスの練習に参加し、それを終えて、医師会の理事会に出席する途中のJRの中で、このブログへの、T-ba さんのコメントを読み、なるほどと携帯でコメントを書き始めました。しかし、携帯メールは滅多にしないので、操作に戸惑い、失敗を重ね、河内磐船の駅に着いたところで何とか送信できました。

理事会が終わって、資料を入れようと楽譜用のフォルダーを探したが見つかりません。急いで飛び降りた時に、JRの車内に置いてきたのでしょう。まあ、楽譜だからそれほど困らないのですが、この調子だと旅先が思いやられます(笑)。
投稿 BOW | 2008年1月19日 (土) 18時17分

▼コメント
コーラスの練習??!!ギャギャ、、いいですね! 楽譜を忘れはった、、ハハハ、、、オモロ! 予行練習でチョンボされたのですから、もう本番はバッチリでしょう! 予行練習や予行訓練はバカになりません、まだ勤めていた若い頃、予行訓練でどれだけ本番で助かるかを実感したものです。大丈夫!良い旅になりますよ〜!!ブログ楽しみ〜!ついでにチョンボも〜、、
投稿 T-ba | 2008年1月19日 (土) 19時25分

▼コメント
ヤレヤレご出発前からのチョンボ、先が、、、ではございません!これはさい先がよいわい!と期待は膨らむばかりで〜す。今回は日程がわかりませんが、明日21日はいずこでしょうか? お元気で旅行を楽しんでくださ〜い!ブログへのコメントうまくいきますように!
投稿 musi | 2008年1月20日 (日) 23時40分

▼コメント
musiさん、こんばんは! 今夜は成田に泊まり、明日の夜はウィーンに泊まります。ご期待に添わぬように精一杯頑張ります(笑)。
投稿 BOW | 2008年1月21日 (月) 00時10分

▼コメント
只今ウィーンのホテルに入りました。時刻は21日午後6時7分です。
投稿 BOW | 2008年1月22日 (火) 02時08分

▼コメント
ブログのコメントもメールの送受信もバッチリでよかった!音楽鑑賞のはじまり〜(^^) いっぱいのオハナシを忘れないでお持ち帰りお願いしまーす。
投稿 musi | 2008年1月22日 (火) 04時02分

▼コメント
昨夜はベートーベンが遺書を書いた家のある近くの居酒屋でワインを飲みながら談笑しました。バイオリンのメチャ上手いおじいさんにブラボーを連発したら、ちゃっかり寸志を求められました(笑)。
投稿 BOW | 2008年1月22日 (火) 11時09分

▼コメント
ウィーン航空の機内で飲んだコーヒーがあまりにも美味かったので書いておきます。その名はマリヤテレジア、ブラックコーヒーにオレンジリキュールがたっぷりミックスされ、えもいわれぬ陶酔感を味わいました。アルコールがかなり高いので、誰にもお勧めするわけにはいかないのですが、、、
投稿 BOW | 2008年1月22日 (火) 12時37分

▼コメント
これまでの海外旅行は盆休み中ばかりだったので、ラッシュアワーのようでした。今回はその反対に静かで閑散、呆れるほどスムーズです。寒いと脅かされて来たのに、成田7度ウィーン12度で、厚着がバカのよう!!
投稿 BOW | 2008年1月22日 (火) 13時07分

▼コメント
あまりこの携帯が素晴らしいので、メモがわりに書いています。昨夜の居酒屋に着くまでにちょっとしたハプニングがあり、10分ばかり見知らぬところをさ迷いました(笑)。居酒屋で添乗員の携帯の番号を登録して目の前でかけてみると、国内と同じようにかかります。目の前でしゃべっているのにタイムラグのあるのが、日本を経由して通話している実感がありました。905iはスゴイ!!
投稿 BOW | 2008年1月22日 (火) 13時40分

▼コメント
901i はスゴイ!ですね、、簡単にコメントできることが実証されましたね。マリアテレジアコーヒー、、オーストリア航空のビジネスクラスで出されるウィーン風のコーヒーですね!オレンジリキュールがよくマッチして、さぞかし美味しいことでしょう。寒くて暇な時期に航空機を楽しむことができるのが「プレミアムライフ」の醍醐味ですね!楽しんで下さい!
投稿 T | 2008年1月22日 (火) 20時14分

▼コメント
BOWさん マリアテレジアコーヒー 飲んでみたい〜♪ ウィーンの夜も楽しまれているご様子!さらに、携帯電話の進化 すばらしさまで 伝わって〜音楽、そして+αの楽しみがたくさん 待っている予感がいたします!私も ここで 旅をご一緒している気分をちょっぴり味あわせていただきます!!
投稿 Sammy  | 2008年1月23日 (水) 12時32分

▼コメント
電話のベルがなりました、「モシモシ、、」BOW先生らしき声ですが、師匠は今ベルリンのはず、、とおもいきや、頼みの「iモード」がつながらなくなったとかで、、「お笑い下さい、」とおっしゃる声が笑っておられました。「iモード取り説本」を持参されなかったということですが、「師匠のことですから、なんとかなるでしょう」と申し上げ、ネンノタメ携帯とPCに試験的メールを送信しておきました。

時間差も殆ど感じないで明瞭に聞こえる 905iはやはりスゴイですが、携帯のサポートがヨーロッパと日本とでは違うのかもしれないなどと思ったりしています。そんなわけで、BOW先生ご夫妻はお元気でベルリンへ向かっておられます。お書き込みがあれば「905i」のご機嫌が直ったということですね、直ることを願っています(笑)
投稿 T-ba | 2008年1月23日 (水) 15時13分

▼コメント
T-baさん、sammyさん、コメントありがとうございました。i-modeは表示されているのに、接続できないイライラは解消できました。方法は再起動でした。
投稿 BOW | 2008年1月24日 (木) 14時23分

▼コメント
携帯入力は疲れます。昨夜カラヤン生誕100周年記念コンサートは生まれて初めての感動に戦慄しました。この感動を携帯で書くことはできません。
投稿 BOW | 2008年1月24日 (木) 14時34分

▼コメント
携帯、回復されよかったです。

>生まれて初めての感動に戦慄しました。
スバラシイ旅!を過ごしていらっしゃることがよーくわかる、一節です。

>この感動を携帯で書くことはできません。
PCで思う存分お書き下さ〜い!お待ちしています。ベルリンは壁の崩壊あとにも行かれたのでしょうか。
投稿 musi | 2008年1月25日 (金) 01時35分

▼コメント
ベルリンの壁をバッチリ撮ってきました。お見せしますね。ウィーンのオペラも良かったのですが、ベルリンフィルの悲愴とムッターのバイオリン・コンチェルトにはもう身震いのする感動の連続でした。クラシックが苦手な妻も居眠りするどころか、ショックを受けたようです。

今日はベルリンの市内観光をしてきました。戦争、冷戦、東西ドイツの統一、再建、復興の全てが混在しながら、休みなく変革が進行中であるとの印象を強く受けました。土曜日に成田に着きます。やはり今年は音楽に傾きそうです(笑)。
投稿 BOW | 2008年1月25日 (金) 06時27分

▼コメント
BOWさん また、また 初めてのご経験をされたのですね!素晴らしい〜。体感した”感動”を伝えるとき 時に「言葉」では足りないほどのことがありますね〜 でも楽しみにしております〜ベルリンの市内観光をされたのですね。中世の建築物とガラス張りのモダン建築が混在していて、、、過去と現在、近い未来までもがこの場所に集められているような印象を持ちました。

ベルリンの壁・・身近な家族が離れ離れになるという現実のものとして それを経験している人でないと分からない 様々なエピソードがありますね。時々主人からも聴いています。さて、残りのご旅行を満喫され、お気をつけてお帰りくださいね〜
投稿 Sammy  | 2008年1月25日 (金) 11時13分

▼コメント
もう26日にはいりました。今日ご無事で帰国されると確信しています。UPされるのをメチャお待ちして、、、いえいえ一段落されるまでごゆっくりと〜(^^)
投稿 musi | 2008年1月26日 (土) 01時42分

▼コメント
皆様 無事帰って参りました。強行軍だったので、正直疲れました。成田エクスプレスに乗ったのに、東京駅を居眠りで乗り過ごし、終着駅の新宿まで行ってしまう始末。現地ではかろうじてドジチョンボは免れたのに、やっぱり私たちには無理なことでした。帰宅しても、また眠り込み、やはり年のようです。

帰国後始めての電話に、飛鳥の旅全部よりも、今度のベルリンフィルの演奏の方が感動したとしゃべってしまっていました。ちょっと落ち着いてから、旅の話や感動した演奏について書くことにします。しばらく、休養をさせてください。
投稿 BOW | 2008年1月26日 (土) 21時26分

▼コメント
焦らないでくださーい。楽しみは待つほど増すと云いますから。ごゆっくりなさってください。
投稿 musi | 2008年1月27日 (日) 02時15分

▼コメント
お帰りなさいませ〜♪ お体はお疲れになっているけれど、心はきっといろんな感動や気付きで充実しておられるのでしょうね! ご夫妻でその感動をじっくり味わいながら〜旅の思い出を紐解いてくださいね〜お待ちしております。
投稿 Sammy  | 2008年1月27日 (日) 10時51分

▼コメント
musi さん、sammy さん、おはようございます。今朝9時過ぎまで眠ったせいか、疲れはほとんどとれたようです。宅配でスーツケースが届きました。さあ〜、感動のベルリンフィルの夜を書こう! 意気込んでいます(笑)。
投稿 BOW | 2008年1月27日 (日) 11時17分

▼コメント
感動のベルリンフィルの夜、さあ〜始発のベルが鳴りました!
投稿 musi | 2008年1月28日 (月) 03時23分

▼コメント
musi さん 03時23分 は遅すぎます!今日は大丈夫かな?!Dr.GOにお目玉食らわないように(笑)
投稿 BOW | 2008年1月28日 (月) 11時53分

▼コメント
大丈夫で〜す。隠れてのアクビはお手のものですものハッハハハ
投稿 musi | 2008年1月30日 (水) 01時29分


◆カラヤン生誕100周年記念コンサートの感動 2008年1月28日 (月)

1月23日、ベルリンフィルハーモニーホールで開催された、カラヤン生誕100周年記念コンサートの感動を「戦慄的感動の演奏」のタイトルで、UPしました。

これまでの人生で体験した最大の感動に私は何度も身震いしました。その感動をことばで表現するのは難しいことですが、できる精一杯のことを、感動の余韻が残っている間にまとめてみました。お読みいただければ嬉しいです。


▼コメント
BOWさん 早速「戦慄的感動の演奏」拝読いたしました。今、涙を禁じえない状況です。多くのことを感じすぎているのでしょう。 今はそれしか申し上げられません 言葉:「戦慄=旋律」が重なりました。(余り意味はありません) カラヤンのエリエッテ未亡人のお気に入り選曲のCDのタイトル「Mein Leben an Seiner Seite」が素敵ですね。
投稿 Sammy  | 2008年1月28日 (月) 12時36分

▼コメント
Sammy さん、早速お読みいただきありがとうございました。少しは感動をお伝えすることができたようで嬉しいです。Mein Leben an Seiner Seite 結婚とは夫婦とはこういうことですね。コメントくださったお三方に、お土産として買ってきましたので、近いうちにお送りします。
投稿 BOW | 2008年1月28日 (月) 13時58分

▼コメント
BOWさん 私の思いをご理解いただいて 嬉しいです。まさにそうです!早速今夜BOWさんのレポートのことを主人に電話で伝えました。彼も丁度、職場でカラヤンの記事を読んでいたようです。明日BOWさんのレポートを彼にも読んでもらいますね〜。CD え〜感激〜大感激〜です! ちょっとお聞きしますが、「小澤幹雄さん」って小澤征爾さんの弟さんのことですか?お知り合いなのですか?すごいですね。
投稿 Sammy  | 2008年1月28日 (月) 22時18分

▼コメント
> 「小澤幹雄さん」って小澤征爾さんの弟さんのことですか? そうです。飛鳥Uに講師として乗船された時にお話をしたことがあり、今回の旅行をお誘いくださったのです。CD それほど喜んでいただけると嬉しいです。明日にでも投函しますね(笑)。
投稿 BOW | 2008年1月28日 (月) 22時48分

▼コメント
BOWさん おはよございます! CDとお手紙が届きました〜♪ありがとうございます!主人も大喜びです。「Vielen Dank」  を しっかり伝えてほしいとのことです。レポートも拝見しました。レポートを読みながら口笛を吹き、熱く語り始めました〜(笑)ムターも大好きのようです。バイオリン協奏曲は作曲されて数年間演奏をされなかったと・・当時の音楽家には難し過ぎたと・・。

さて、サプライズのプレゼントを素直に喜んだ後に よ〜く考えてみると BOWさんご夫妻に このように よくしていただいて いいのかなあ〜と・・。なんだか申し訳なさと不思議なご縁に人生の面白さを感じました〜。私が勝手にブログに遊びにこさせていただいて約1年。すっかり お友達のような感覚でおります〜ありがとうございます。

そうそう昨日 主人は大阪におりました!大阪大学時代の指導教官でもあり、来日以来の親代わりでもある教授の最後の講義を聴講するためでした。いつか、私も大阪にうかがいますので一度お目にかかれると嬉しいです〜。本当にありがとうございました。
投稿 Sammy  | 2008年1月31日 (木) 06時55分

▼コメント
Sammy さん、おはようございます。タイムスタンプを見て驚きました。musi さんを上回る午前6時55分だからです(笑)。CDを、お三方のどなたにも、思っていなかったほど喜んでいただいて嬉しいのですが、あれだけのことで感謝していただいて申し訳ない気持です。

ご主人が大阪大学で学ばれたと知り、不思議なご縁を思いました。私も55年に入学し、石橋で2年間教養時代を過ごしました。阪大男声合唱団でコーラスに没頭していました。専門課程に進んでからはピッタリとコーラスから離れ、クラシックからも離れたのですが、若いときに熱中したものは今でも色濃く残っていることを最近知り、驚いています。

コーラス時代に親しくなった法学部の男が私の親友の一人で、飛鳥Uでのクルーズでほとんど毎日コメントをメールで送ってくれていました。人との出会いは不思議ですね。大阪に来られたらぜひお越し下さい。家内ともども大歓迎です。ご主人によろしくお伝え下さい。同じ大阪大学で学んだ者同士、乾杯しましょうと、、、
投稿 BOW | 2008年1月31日 (木) 09時19分

▼コメント
今日から2月ですね〜。おはようございます。タイムスタンプ・・昨日は主人が、学校の試験のため余裕をもって到着したい と いつもより早めに出かけたので早めにPCを立ち上げました。早寝早起きです!

>あれだけのことで感謝していただいて申し訳ない気持です。
BOWさん 私たちからしますと 「このようにしていただいて・・・」です!
大切なご旅行の際の時間そしてお金を「私たちのために」・・と思うからです。

>ご主人が大阪大学で学ばれたと知り、不思議なご>縁を思いました。
そうでいらしたのですね〜。大先輩でいらっしゃいますか〜
出逢いは偶然であってもいろんなつながりが見つかると 必然のように感じます〜だから人生は楽しいのかもしれませんね

今月も何かわくわくするようなことがありそうです。私は下旬に上京の予定です!では、では〜
投稿 Sammy  | 2008年2月 1日 (金) 10時09分

▼コメント
>出逢いは偶然であってもいろんなつながりが見つかると 必然のように感じます
そうですね、私もそう思います。運命というものは不思議ですね。先ほどベルリンなどの観光記を掲載しました。ご覧下さいね。ドイツ人のご主人からの批評批判が楽しみです(笑)。
投稿 BOW | 2008年2月 1日 (金) 18時32分


◆ウィーン・ベルリン音楽の旅をUP 2008年2月 1日 (金)

ウィーン・ベルリン音楽の旅をUPしました。ベルリンフィルの感動的演奏については、先に「戦慄的感動の演奏」のタイトルで掲載しましたが、それ以外の旅行記をまとめました。90枚以上の写真で以て、ウィーンとベルリンを紹介しています。


▼コメント
BOWさん ウィーン・ベルリン音楽の旅 いただいたCDをBGMに拝見しました〜♪ お写真にお二人の笑顔のツーッショット!旅の楽しさが伝わります〜。BOWさんの各写真へのコメントもいいですね〜私の大好きなコメントは「カニポーズに元気がない」おもわず 「クスっと」笑ってしまいました。

奥様のドレス姿・・・。エレガントでとっても素敵〜。憧れます・・あ〜私も行きたくなりました〜 音楽的なコメントでなく すみません
投稿 Sammy  | 2008年2月 6日 (水) 10時59分

▼コメント
Sammy さん、早速あのCDを活用していただき、嬉しいです。老人のツーショット、もう、恥も外聞もありません(笑)。カニポーズは得意なときに出るというのに、疲れ果てたようなナサケナイ姿となりました。トホホホ、、、コーラスを始めました。発表会で声を限りに絶叫してきました(笑)。
投稿 BOW | 2008年2月 6日 (水) 21時57分


◆50年ぶりのコーラス発表会 2008年2月 4日 (月)

昨日52年ぶりにコーラスの発表会で歌ってきました。

何で、今、私がと怪訝に思われる方もいらっしゃると思いますので、そのいきさつを簡単にまとめて、中之島のBOWに「50年ぶりのコーラス発表会」のタイトルで掲載しています。


▼コメント
拝読!エンジョイBOWだけに載っていたので、あやうく見過ごすところでした。先日、河内磐船駅で下車される際に「楽譜」を忘れたとおっしゃっておられましたから、合唱を始められたのだということは何となくわかっていました。むしろ遅すぎた感じもしています。「飛鳥U」であんなに楽しそうに赤いチーフを振って歌い踊っておられましたから、、、ご自分の結婚式にもSolo でお歌いになった花婿様です、今度は37階天空からのSolo ですね!

>なぜ私が参加したいと思ったかというと、新森美加先生の魅力だった。
・・・・・・・・・・・・(笑)

>「音楽にエネルギーを注ぐ」という流れに今年は乗りそうな予感がする
是非一度、お聴かせいただきたいと思います。楽しんで下さい!またいいお話を待っています。
投稿 T-ba | 2008年2月 5日 (火) 19時50分

▼コメント
ひとりごとにまで書き込むことでもないので、このブログにだけにしました(笑)。正直コーラスを始めようとは思っていなかったのですが、あのような事情で、入会してしまいました。

音楽にエネルギーを注ぎたいといっても、コーラスはその10分の1も、20分の1も占めるものではありません。どんなことがしたいのかを今まとめているところで、そうすると次々新しい発展があり、それがとても楽しいのです。

オマケの人生だから、できなくても、途中で放棄しても構わないので、楽しくなるのだと思います。近くプランだけをまとめて発表しようと思っています。また、お笑い下さい!
投稿 BOW | 2008年2月 5日 (火) 22時56分

▼コメント
早くに拝読していたのに今更ながらでごめんなさい。写真、景色、建物、ドイツはおもしろい、が解るようです。なんと云ってもツーショット!ステキです。少々お疲れ気味のカニポーズ!にニヤリ。

コーラス、musiも「楽譜を忘れた…」ん?もしや!?が当たりました〜プランのまとめ、どのような内容かなあとお持ちしています。
投稿 musi | 2008年2月12日 (火) 04時07分

▼コメント
musi さん、こんにちは! ベルリンでのカニ・ポーズ、何時もと違ってくたびれた感じでしょう!? コーラスは、いくら声を張り上げてもとがめられず、むしろ好意的に解釈してくださるようなので、喜んでいます(笑)。

プランは着々と?というか、脱線しながら新しいことを見つけて、そちらに熱中したりして、相変らず忙しく過ごしています(笑)。

その一つとして、「戦慄的感動の演奏」にMIDIでメロディーを載せました。[MIDIによるメロディー]をクリックするとドレミで書いたメロディーがピアノの音で流れます。お試しくださいね。音色をヴァイオリンなどに変えるのは今のところ力不足ですが、、、
投稿 BOW | 2008年2月12日 (火) 10時44分

▼コメント
>「戦慄的感動の演奏」にMIDIでメロディーを載せました。
ウヒャーでた出た聞こえてきました。次々と新しいことを発見し挑戦され、それを惜しげもなく教えてくださる

恩恵にあずかっているmusiは超うれしいかぎりです。ありがとうございま〜〜す。
投稿 musi | 2008年2月14日 (木) 01時10分

▼コメント
musi さん、おはようございます。MIDI のメロディーを喜んでいただき、嬉しいです。これがわずか400バイトくらいのサイズ。いくら付け加えても、への河童!!いつか、超簡単MIDI作成法をまとめますね(笑)。
投稿 BOW | 2008年2月14日 (木) 08時59分


◆「いま関わりたい音楽」をUP 2008年2月14日 (木)

昨年から音楽づいていますので、これからしばらくは音楽に関わりたいという気持になっています。音楽と言っても範囲は途方もなく広いのですが、私がしたいことは自分が能動的に関わっている種類のことが多く、鑑賞的なものはわずかです。

これらは、発展的に変更したり、増えたりする可能性は大ですが、オマケの人生だから、途中で放棄しても、なんら心苦しいことはありません。ご興味がおありの方に、お読みいただき、ご感想、ご質問などいただければ嬉しいです(笑)。


▼コメント
Bowさんおはようございます。Bowさんの音楽に対する情熱や世界の広さに圧倒されています!論文みたいですね〜何事も文字にしていくこと 客観的なものとなりますね〜

私は来月、人前で話をする機会をいただきます。自分自身の考えを人に伝える前に 文字にして頭の整理をしようと 思いました〜Bowさんのまとめを読ませていただきながら大切な気付きをいただきました〜ありがとうございました〜
投稿 Sammy  | 2008年2月19日 (火) 08時19分

▼コメント
Sammy さん、おはようございます。UPした記事を読んでくださっているのですね、ありがとうございます。 論文みたいですか? そうかも知れません。ややこしいことを書いていますが、自分のために書いているという意味が大きいので、お許しください。確かに文字にしていくと客観的になり、見えていなかったものが見えてきたり、思っていたことが違っていることに気づいたりできますね。

PCはそれが簡単にできるので、良い時代に生きることができたと感謝しています。来月講演をされるのですか、良いですね。また一段と高いところへ上られることになると思います。頑張ってください!
投稿 BOW | 2008年2月19日 (火) 10時36分


◆「文字譜いろいろ」をUP 2008年2月17日 (日)

文字譜?それ何?と言われそうですが、楽譜の一種で、文字や数字、記号を使って書くものを言います。実は10年くらい前から、歌の歌い出し部分のメロディーを自分で考案した「メロディー略譜」という文字譜で記述しています。

最近、文字譜の一種で、欧米のインターネットユーザーでかなり普及している「abc記譜法」(abc譜)を知り、その素晴しさに魅せられ、これからは、こちらの方を使っていこうという気持になりました。

そこで、これまで使ってきた文字譜についてまとめてみました。もし、五線譜ではなくても楽譜を書くことができるということにご興味がおありの方にお読みいただければ、嬉しいです。また、これは、先日ご紹介した「いま関わりたい音楽」の一部です。


▼コメント
皆さまお久しぶりです。マミーさんお元気ですか? ちょっと覧ない間に数々のUPに目をみはっています。あわてて「カラヤン、音楽の旅、コーラス、文字譜」などをみてまわりました〜。どれも解りやすく書かれ、すごくきれいな画像に目の保養!

これですもの訪問がやめられません!頑張りすぎないようにガンバッテくださ〜い。こんな事もできるようになったのですね。ビックリ!
投稿 Muチャ子 | 2008年2月17日 (日) 19時38分

▼コメント
Muチャ子さん、こんばんは 分かりやすいとのご感想嬉しいです(笑)。また、お越しくださいね!
投稿 BOW | 2008年2月17日 (日) 22時08


◆「大阪弁と標準語のアクセント」UP 2008年2月20日 (水)

「大阪弁と標準語のアクセント」をUPしました。 TVドラマでベテラン俳優が変な大阪弁で話すのを聞いて、これほどの名優が、なぜおかしい大阪弁を話すのかが気になり、分析してみました。

大阪弁と標準語について関心がおありの方に読んでいただければ嬉しいです。

2008年2月20日 (水) ことば | 固定リンク |コメント (1)


▼コメント
これは、「いま関わりたい音楽」で書き出した「標準語と大阪弁(関西弁)を対比の形で、abc記譜法で表現してみる」を、abc記譜法でなく、別の表示法でまとめたものです。
投稿 BOW | 2008年2月20日 (水) 22時20分


実用abc譜をUP 2008年3月7日 (金)

abc譜と言っても分かってもらえないでしょうが、PCでメロディーを書いたり、それを演奏したりすることができる規格です。ヨーロッパのインターネットの世界で、かなり広く使われています。

1.PCとエディターでメロディーを書く、2.abc譜のメロディーをPCで演奏する、3.PCで演奏しながら、修正(編集)を加える、4.abc譜を五線譜に印刷する、5.abc譜をMIDIファイルに変換する、6.コードネームを加える、7.多段譜を書く、8.和声法の和音を書く、9.移調する、10.MIDIファイルからabc譜を作る

以上のことが簡単に行なえる素晴しい楽譜の記述法です。関心のある方にお読みいただきたく思っています。


▼コメント
BOWさんご無沙汰しています〜 ここ数日の暖かさにすっかり春の気分です。ご無沙汰している間に話題についていけなくなってました(笑)

実用abc譜へのトライをしてみようかと・・。私は楽譜を書いたり専門的なことに苦手意識とコンプレックスを持っています〜これから いろいろ勉強します 

さて、明日から28日まで主人とNZに行ってきます。私にとっては、卒業旅行であり憧れの国です。主人にとっては、21年前 ヒッチハイクで3ヶ月過ごし、生き方や考え方の根を創り上げた思い出の地のようです。 レンタカーも借りて運転します。自然の中で何を感じ 気付くのかまた 報告させていただきますね〜ではでは
投稿 Sammy  | 2008年3月15日 (土) 11時02分

▼コメント
Sammy さん、こんにちは!暖かくなって来ましたね。明日からNZ行きですか。良いですね。憧れの地への卒業旅行を、思い出の地とされているご主人と行かれるとは素晴しいですね。存分に楽しんで来て下さい。そして、お話を聞かせてください。お帰りになったら、abc譜にもチャレンジしてくださいね(笑)。von voyage!
投稿 BOW | 2008年3月15日 (土) 14時27分

▼コメント
はじめまして!
私は数年前からABC譜の普及活動をしていたんですが、誰も使わないので挫折しかかっていて、また最近加熱し始めたので再活動の第一歩にABC譜で検索してきました。実用ABC譜は最近書かれたのですね!すばらしいです!ぜひとも宣伝させていただきます!
投稿 hg | 2008年4月30日 (水) 17時47分

▼コメント
hgさん、こんにちは 数年前からABC譜の普及活動をされていたとのこと、その頃からABC譜をよくご存知だったのですね。私は昔から数字譜には慣れていたのですが、PCで簡単にドレミで譜が書けるように、「メロディー記譜法」を考案して、8年前にこれを使って、「歌のデータベース1000曲」とか、「歌と思い出」で60年間に慣れ親しんできた500曲余りの記譜、1000の歌い出しメロディーから曲名や歌の情報を検索するメロディーの記譜に使ってきました。

この度、文字譜をWebで調べていて、たまたま「ABC譜」に遭遇し、これが非常に優れものであることを知って、「メロディー記譜法」を全面的に「ABC譜」に変更することにしました。こで自分が使うのに役立つように「実用ABC譜」をまとめ、掲載した次第です。宣伝して下さる由、ありがとうございます。

私は、歌のデータベース1000曲の歌い出しメロディーを「ABC譜」とMIDIで表示する作業にかかっています。連休明けまでには完了する予定です。「ABC譜」を知ってまだ3ヶ月ばかりの新参者で誤りもあるかと思います。先輩として、ご教示いただければ幸甚です。
投稿 BOW | 2008年4月30日 (水) 22時32分


▼コメント
すごい量の曲数ですね・・・ぜひ聞いてみたいです!実用ABC譜にあるABCexplorerってわりと新しいソフトなんですね。早速使ってみます!

私のオススメはABCeditというソフトです。ABC譜の音列に合わせて自動的にコードを付加してくれたり、ホイッスル譜にしてくれたりもするんですよ。

ABCedit
http://home.quicknet.nl/qn/prive/j.coolegem/abcedit.html

投稿 hg | 2008年5月 1日 (木) 12時05分


▼コメント
hg さん オススメソフトのご紹介ありがとうございます。ダウンロードしました。ちょっと落ち着いたら試してみます。これもフランス製のようですね。abc譜は英、仏、伊で盛んなのでしょうか?良い記譜法を知って幸せです。
投稿 BOW | 2008年5月 2日 (金) 08時44分

▼コメント
ちなみにABCeditはレジストしないと使う毎に起動時間が長くなる仕組みがあります。レジストコードは製作者にメールを送れば特に料金等はかからず、すぐ返信がもらえます。

ABC譜は欧米でかなり人気ですね。日本では検索してもぜんぜんヒットしないのでよく英語のgoogleに行って「ABC tune」とかで検索をかけたものです。 オススメは
http://www.www.thesession.org/
というコミュニティです。ABCの楽譜で検索とかできるのでけっこう便利です。
投稿 hg | 2008年5月 2日 (金) 11時25分

▼コメント
hg さん、ABCeditを何とか使ってみました。非常にシンプルな構造になっていて驚きました。メトロノームを同期させるとか、コードを省いて演奏するとかユニークな機能もあるようですね。ただ、私は高齢で頭が固くなってしまっていて、使い慣れたABCexplorerの方が合っているようです。折角ご紹介いただいたのに済みません。また、いろいろご教示ください。
投稿 BOW | 2008年5月 6日 (火) 23時16分


◆「abc譜のABC」をUP 2008年3月10日 (月)

PCだけあれば、PCに附属しているメモ帳を使って、特別なソフトを使わずにメロディーが書けます。そして、フリーウエアのソフトを1つ使うだけで、作ったメロディーを聴くことができ、それを五線譜にしてPCで見ることも、印刷することも、MIDIファイルに変換して、誰かに聴いてもらうこともできます。

先に「実用abc譜」を掲載しましたが、分かり難いようなので、実体験をしていただけるような手ほどきを書いてみました。

abc譜のイロハ、abc譜のABCです。


▼コメント
お久しぶりです。し〜ずかに生きていました(笑)今年は音楽に関わるような・・・と書かれておられましたが、HPを拝見し「なるほど」と納得しています。曲を作ってみたい人には「こりゃあたまらん!」と喜ばれるでしょうね。Muチャ子はオンチも音痴、カラオケでは「声出さずに口パクよ!」と云われるお墨付きで〜す。お花見の季節ですが、みなさま方お出かけされましたか〜?
投稿 Muチャ子 | 2008年3月29日 (土) 02時45分

▼コメント
Muチャ子さん、こんにちは HPをご覧いただいたのですね、ありがとうございます。Muチャ子さんがオンチとは思えませんが、家内は歌うと立派なオンチです。しかし、感想は的確なことが多いので、歌うこととは関係がないようですね。私は、聞くより歌う方が好き、見るより作るほうが好きな人間です(笑)。

今は、歌のデータベースなどの歌い出しメロディーの表記をメロディー略譜からabc略譜に変更することと、MIDIを全てに付けることなどの作業をしています。対象が歌1000曲、クラシック180曲あるのでボチボチ続けています。
投稿 BOW | 2008年3月29日 (土) 09時18分


◆ウイークデーの花見 2008年3月31日 (月)

今日天神橋から銀橋まで1周して花見をしてきました。月曜の昼間は人が少なく、一昨年とはまったく違った静かな景色でした。

桜の花を啄ばむ鶯?を何度も目にすることができるのどかな雰囲気で、リタイヤしてエブリサンデーのメリットをエンジョイしています。写真を添付します。ご覧下さい。


▼コメント
>リタイヤしてエブリサンデーのメリットをエンジョイしています。
同類項なので、お気持ちよ〜くわかります。土日ははずして、ウイークディに遊ぶなんて、なんと豪勢なことよデス。

>写真を添付します。ご覧下さい。
鮮やかにバッチリ撮れていますねぇ!春爛漫、平和、平和、、桜はなんとなく人を浮き立たせますね、桜が無ければ、日本の春はつまらないのでしょうね。でも、、

「世の中にたえて桜のなかりせば、春の心はのどけからまし」、、、などという人もあったらしいですから、バタバタ気忙しいのは「桜」のせいだということになるのでしょうか。
投稿 T-ba | 2008年3月31日 (月) 19時29分

▼コメント
T-ba さん、コメントありがとうございます。リタイヤの良さの1つが、ウイークデーに遊べるということですね、実感することが多いです。今までは、自由になるのは土日休日、海外旅行は盆休みでした。それがどんなものだったかを、この間のウィーンで痛感しました。

桜を、私たちはあまり好みません。蕾の頃、あるいは葉桜の方が好きです。1本の桜には風情を感じますが、満開の桜の大群には圧倒されてしまいます。その意味でも、人の群がっていない7分咲きの桜は良いものでした。鶯?のような小鳥を何度も目撃することができました。
投稿 BOW | 2008年3月31日 (月) 21時45分

▼コメント
BOWさんはじめまして、友人からこのサイトを教えて貰い、少し前より拝見しておりました。とても素敵な内容で、BGMもおしゃれで写真の多さにビックリしました。特にウイーン・ベルリンの音楽の旅の時の写真は丁寧に拝見させて頂きました。

現在主人はまだ現役なので、まとまった休日が、ゴールデンウイークやお盆、お正月くらいしか取れず、海外も近場ばかりしか今は行けませんが、定年したらゆっくり各国を廻ろうと楽しみにしているところです。それまでにBOWさんのサイトでしっかりお勉強させて下さい。素敵な奥様のファッションもチェックチェックです。
。*★::・'゚☆。.::・'゚よろしくお願いします。*★::・'゚☆。.::・'゚
投稿 ☆づかおとめ | 2008年4月 9日 (水) 16時25分

▼コメント
☆づかおとめさん こんばんは! 嬉しいコメントありがとうございました。このようなカラフルで楽しいコメントをいただいたのは初めてです。

私たち夫婦も引退するまでは、盆休みの10日間前後しか海外旅行はできずで、今ようやく休みを気にせずに旅行できるようになりました。ところが、今度は残された時間が短くなって行きます。☆づかおとめさんは宝塚ファンでいらっしゃるのですか? ☆は星組?

私は、今音楽にエネルギーを費やしています。それでは、また、コメントくださいね
投稿 BOW | 2008年4月 9日 (水) 23時20分

▼コメント
BOWさん 春の陽気に出没しました〜!しばらくご無沙汰していました〜春を楽しまれていますか〜無事、NZから帰国いたしました〜 ただ、NZのあまりの素晴らしさにまだ夢から覚めていないような・・・そんな感じです〜!

また、すぐにでも「帰りたい」そんな気持ちです〜!天候にも恵まれ、より自然を身近に満喫することができました〜今月〜6月までは、歌のイベントがあるので気持ちよく練習から本番までを迎えられそうです。広島の花の祭典フラワフェスティバルのステージも参加予定です!

私もBOWさん同様 音楽にエネルギーを注ぎます!!では、では・・。
投稿 Sammy  | 2008年4月10日 (木) 13時40分

▼コメント
Sammy さん、お帰りなさい〜NZ ものすごく良かったようですね!!長年お勤めのご褒美だったのだと思います〜

>また、すぐにでも「帰りたい」そんな気持ちです〜!
たまげました、私たちにはやはり日本、大阪、我が家が一番だからです。そのような素晴しいところを発見され、羨ましく思います〜

歌のデータベースの略譜をabc略譜に変える作業と歌い出しメロディのMIDIを付ける作業に没頭しています〜MIDIは、1000曲のうちの200曲ばかり作りましたが、遅々として進まずです〜では、では、、、
投稿 BOW | 2008年4月10日 (木) 23時16分


◆明石瞳さんの受賞作品をUP 2008年4月12日 (土)

明石瞳さんの受賞作品をUPしました。

この度明石賢三先生の奥様の瞳さんの絵が、大阪府知事賞を受賞されました。大阪市立美術館で開かれている第52回新槐樹社関西巡回展で、受賞作品などを観てきました。

女性らしい優しい夢のような絵です。ご覧下さい。


◆「高速道路逆送?」をUP 2008年4月20日 (日)

お待たせしました。ドジチョンボ4連発の「高速道路逆送?」をUPしました。発端は高齢者講習、それから続くドジチョンボをお笑いください。


▼コメント
ギャハ〜傑作な作品「ドジチョンボ四連発」大成功!読み返してみても面白いです(決っして人様の失敗を望んでいるわけではございませ〜ん!?)明日からの活力になるお話ありがとうございました。又の…楽しみにお待ちしていま〜す(ごめんなさい)
投稿 nusi | 2008年4月25日 (金) 01時05分

▼コメント
nusiさんでしたか?

> 「ドジチョンボ四連発」大成功!
失敗=成功、n=m ややこしい理屈ですね(笑)。

> 明日からの活力になるお話
滋養強壮剤のようなものでしょうか、いずれにしても面白がっていただけて大喜びしています。ありがとうございました。
投稿 BOW | 2008年4月25日 (金) 23時33分

▼コメント
nusi?なんのこっちゃ??アッチャ〜笑ってばかりいられない「musi」でした!ま、いいっか!自分のチョンボには甘い…す、すみませ〜ん。
投稿 musi | 2008年4月28日 (月) 01時33分


◆歌の3部作を改訂 2008年5月 5日 (月)

歌のデータ・ベース 歌と思い出 歌の曲名検索 という歌の3部作を改訂しました。

それは、1)歌い出しのメロディーを記述するのに、「メロディー略譜」を「abc略譜」に書き換え、2)歌い出しメロディーをMIDIで表示し、3)3部作の間にリンクを張り、連携をより強めました。4)それ以外の内容については、ほとんど手をつけていません。今回約30のファイルを改訂しました。オマケの人生だから、このような仕事ができることをありがたく思っています。

今回の改訂の目玉は、1000曲について、歌い出しメロディーを直接 MIDI で聞こえることにしたことと、縦横にリンクを張り、瞬時に求める個所へジャンプできるようにしたことです。使い勝手が改訂で飛躍的に良くなっていると思っています。ご愛用いただければ嬉しいです。


▼コメント
なんじゃこりゃ!?ええーーMIDIクリックすると頭だしの曲がきこえてきた!それも全部に!題名はわかっていても、「う〜んどんな曲だったかなあ?」これが解消され喜んでいるMuチャ子です。思わず口ずさんでいま〜す。リンクがすばらしく、「?」マークがいらなくなりました!いつも楽しませていただいています。ありがとう燦々で〜す。
投稿 Muチャ子 | 2008年5月 6日 (火) 16時42分

▼コメント
Muチャ子 さん こんにちは 

>MIDIクリックすると頭だしの曲がきこえてきた!それも全部に!
そうです。1000曲全部ですよ(笑)。

>題名はわかっていても、「う〜んどんな曲だったかなあ?」これが解消され喜んでいるMuチャ子です。 良かった〜、喜んでいただけて嬉しいです。

>リンクがすばらしく、「?」マークがいらなくなりました!
これも願っていたことなので嬉しいです。アリガトウ333!
投稿 BOW | 2008年5月 6日 (火) 18時14分

▼コメント
BOWさん またまたご無沙汰してしまいました〜
4月に入ってから 結婚式での歌やライブ 広島のお祭りフラワーフェスティバル ビッグバンドのコンサートなどなど ・・・すべて昨日終わりました〜盛りだくさんの日々でした〜

歌の3部作の改訂・・・・。
私もMIDIでいろんな曲を聴かせていただきました〜BOWさんすごすぎます〜これから いろんな歌を覚えるための私の大切な情報源としても活用させていただいていいでしょうか。

音楽ってやっぱりいいですね〜音楽なしでは生きていけないです(笑)。ありがとうございました〜 では、では
投稿 Sammy  | 2008年5月 7日 (水) 18時04分

▼コメント
Sammy さん、こんにちは 4月から昨日まで大活躍されたのですね、お疲れ様、しかし、充実した時間だったことでしょう!

>私もMIDIでいろんな曲を聴かせていただきました〜
ありがとうございます。すごすぎます〜と言っていただき、大満足です(笑)。

>これから いろんな歌を覚えるための私の大切な情報源としても活用させていただいていいでしょうか
どうぞ、どうぞ、自分以外の人にも役立つなら望外の幸せです!

>音楽ってやっぱりいいですね〜
>音楽なしでは生きていけないです(笑)
同感です。72歳になるまで音楽なしの生活はなかったです。では、では
投稿 BOW | 2008年5月 7日 (水) 18時49分


◆作者不明の佳曲 指切りをUP 2008年5月 9日 (金)

今から45〜6年前に、NHKの「あなたのメロディー」というTV番組で聞いた歌が忘れられず、頭に残っているその歌のメロディーをabc譜、五線譜、MIDI で表示し、記憶している歌詞も加えました。

一度聞いただけの歌で、今も覚えているのはこの歌しかありません。ご興味がおありでしたら、見て、聞いてやってください。


▼コメント
「指きり」・・・センチメンタルなメロディーですね〜私が生まれた年あたりの曲ですね〜琴線に触れるメロディーを聴くと反射的に涙が自然に出てきます。

先日 脳科学者の茂木健一郎さん著書「すべては音楽から生まれる」では脳と音楽の関係に触れておられましたが、人によって 心に触れる音楽が違うのは 何か説明できないものがあるのでしょうね。BOWさんにとっても「指きり」の曲がその一つなのかなあ〜と勝手に想像いたしました〜。

今日は日本の歌謡曲集を拝見しておりました。結構しっている曲があります〜喜びも悲しみも幾年月なんて 小さいときによく歌ってました(笑)
投稿 Sammy  | 2008年5月10日 (土) 12時20分

▼コメント
Sammy さん、こんにちは 「指切り」聞いていただいたのですね、ありがとうございます。ほんとにセンチメンタルですね(笑)。ドライのようで、根はかなりウエットなのかも分かりません。もちろん、この曲とか、この類の曲が一番好きだと言うのではなくて、かなり雑食ですが、、、

>喜びも悲しみも幾年月なんて 小さいときによく歌ってました(笑)
この曲の私の思い出は、そこにある「歌と思い出」をクリックすれば、ジャンプします、もうご存知ですね! ではでは
投稿 BOW | 2008年5月10日 (土) 16時00分

▼コメント
「指きり」ゲンマン拝見しました。う〜ん・・
産まれる前の歌のようで・・・(^^:) 曲はもの悲しい雰囲気、歌詞は今時風ではないしMuチャ子はお手上げで〜す。でもって、MIDIで楽しみました〜!ご存知の方が現れるといいですね。
投稿 Muチャ子 | 2008年5月17日 (土) 13時49分

▼コメント
Muチャ子さん、おはようございます。 >産まれる前の歌のようで・・
カビが生えていますか?

>今時風ではないし
そうでしょう、そうでしょう

>お手上げで〜す
ゴメンナサ〜イ(笑)。

>MIDIで楽しみました〜!
ありがとうございま〜す!
投稿 BOW | 2008年5月18日 (日) 08時39分


◆名歌手ミレイユ・マチューをUP 2008年5月20日 (火)

私が一番影響を受けた歌手のことを記録に残しておきたいと思って、ミレイユ・マチューのことを書き始めたのですが、いろいろ調べているうちに、私はもうすっかり彼女ののファンになってしまいました。

Youtube の動画をふんだんに埋め込んで、彼女の歌の素晴しさを紹介しています。久しぶりに自分では気に入った作品となりました。ぜひ、ご覧下さい。


▼コメント
BOWさん おはようございます! ミレイユ・マチュー 初めて聞いたお名前です。先日、エディット ピアフの 映画を見に行ったのですが・・。また、すこし違った味のある お声です。

声量がすごいですね〜 フランス国歌は 力強くて素晴らしかった!ジャンヌダルクをイメージされた 共感します。まだまだ知らない素晴らしいボーカリスト 素晴らしい曲がたくさん・・・・ 私もがんばろう!と思いました〜 ありがとうございました〜
投稿 Sammy | 2008年5月21日 (水) 10時18分

▼コメント
Sammy さん、おはようございます! もう見て聴いてくださったのですね、ありがとうございます。

>先日、エディット ピアフの 映画を見に行ったのですが
 ピアフは高校生のころ(1952〜55)よく聴いていました。映画は残念ながら未だ見ていません。

>声量がすごいですね〜 フランス国歌は 力強くて
>素晴らしかった!ジャンヌダルクをイメージされた 共感します
共感いただき嬉しいです(笑)。

>私もがんばろう!と思いました
 がんばってください!!
投稿 BOW | 2008年5月21日 (水) 10時36分

▼コメント
マチューの「星空の祈り」の作詞作曲者をフランス語で探しています。テープはあるのですが、レコード持っている人、是非、教えていただきたいです。 you tube で見ました。感動。もう削除されています。残念です。
投稿 yuyu | 2008年10月28日 (火) 05時00分

▼コメント
yuyu さん、はじめまして 私は1989年7月14日にはじめてマチューを知った者です。「星空の祈り」Priereは1978年の作品のようですね。手持ち8枚のCDにこの曲はなく、私の調べた範囲では作詞作曲者は不明でした。Youtubeの動画は短時間に削除されてしまうのですね。DLして保存しておかなければ幻に終わってしまいますね。
投稿 BOW | 2008年10月28日 (火) 10時51分

▼コメント
調べていただき有難うございました。Bow様の言うとうり、すぐ削除されました。貴重でした。。次回は保存しないと。有難うございました。
投稿 yuyu | 2008年10月30日 (木) 04時15分

▼コメント
yuyu さん、もう一度調べてみました。YouTube の動画は2つ見つかりました。
1)http://jp.youtube.com/watch?v=coaVxKmkZ1Q  Mireille Mathieu - Priere (1978)
2)http://jp.youtube.com/watch?v=g-YbyBKHcgg&NR=1  Mireille Mathieu Priere Prayer

Lyricsでは2つのサイトが見つかりました。
1)http://www.teksty.org/m/mireillemathieu/priere.php
2)http://letras.terra.com.br/mireille-mathieu/482420/

しかし、作詞作曲者はどれにも見当たらないようです。
投稿 BOW | 2008年10月30日 (木) 11時41分

▼コメント
yuyu さんの書き込みのお陰で以前UPしたタイトルをチェックしたところ、YouTubeの動画6個のうち4個が削除されてしまっていて、再生不能でした。そこで、同じ歌名の別の動画に取替えました。半年足らずで削除されるのに困惑し、朝から大事なマチューの動画をどんどん保存し、整理しました。これで、YouTubeから削除されされても安泰です(笑)。
投稿 BOW | 2008年10月30日 (木) 16時23分

▼コメント
久しぶりに、マチューのyou tubeみました。ピアフからすきですが、マチューは再来と言われるだけ凄いですね。世界の宝!!ありがとうございます。
投稿 | 2008年10月31日 (金) 04時55分

▼コメント
お名前が書かれていなくて、ちょっと残念ですが、取り替えたYouTubeを早速ご覧いただき嬉しいです。ありがとうございました。
投稿 BOW | 2008年10月31日 (金) 08時56分

▼コメント
BOWさん今晩は、ミレイユの話題があったので堪らず書き込みしたくなりました。
私は男性、今年で52歳になります。38年前のある日ラジオからミレイユ・マチューの歌声が聞こえたとき魂が震えるような感動を覚えました。

2005年にはオランピアのコンサートに2回いきました。あの時の感動をどんな文章で表していいのでしょう。緞帳が上がった途端に涙が止まりませんでした。裏声を使うことなく地声だけの歌唱法は表現力抜群で感動的です。会場には中学生くらいから高齢の方まで幅広い年齢層でしたが会場の盛り上がり方は半端じゃなかったですね〜。ラテンの血は熱かったです。 またよろしくお願いします。
投稿 ks | 2009年1月18日 (日) 20時59分

▼コメント
ksさん、ようこそお越しくださいました。
ミレイユを初めて聴かれたのが13歳、多感な中1のころだったのですか!素晴しい、お幸せです!

私は、今から20年前、今の貴方とほぼ同じ52歳の時でした。もう感動してしまい、それから数年間は彼女のCDばかりを聴いて過ごしました。52歳の男を夢中にさせるミレイユを、ksさんは青春の時期に、彼女の最盛期にお聴きになったのだから、羨ましいです。

> 緞帳が上がった途端に涙が止まりませんでした。
この文章を読んだだけで、私も涙がにじんできました。その感動が私の心の中に飛び込んできました。良かったですね!私は2005年の秋に引退したので、生涯で一番多忙な年でした。また、お話をお聞かせ下さい。
投稿 BOW | 2009年1月18日 (日) 23時40分

▼コメント
はじめまして!
当方、51歳です。ミレーユとの出会いは中学生の頃でした。音楽が大好きで、ミレーユ・マチューも大好きな歌手の一人です。数年前、彼女のCDが欲しくなり、阿倍野ののHMVにて、2枚ゲットできました! you tubeにて、あらためて彼女の歌を聴くと、感動で胸が打ち振るえ、涙が溢れてきます。
投稿 Nikita | 2009年1月27日 (火) 19時56分

▼コメント
Nikita さん、こんばんは Nikita さんも中学生のころミレーユを聴かれたのですか!

>彼女の歌を聴くと、感動で胸が打ち振るえ、涙が溢れてきます。
良く分かります、Nikita さんのお気持が。72歳の老人も、もらい泣きしてしまいます。ミレーユはほんとうに凄い、偉大としか言えない歌手ですね。今夜も感動しました。ありがとうございました。
投稿 BOW | 2009年1月27日 (火) 21時20分


▼コメント
bowさん こんばんは。
ミレイユの歌での小さな話がしたくなりました。個人的な話ですが、15年前くらい前になりますが知人女性に電話越しに良い曲なんで聞いてくれる?と{あなたが帰る日}を聞いてもらっていました。するとその知人が泣き出したんです!後で和訳の歌詞を読んで説明すると、やっぱり!との返事でした。フランス語の解らない人でも感情がこもった歌の内容は伝わるんですね。

もうひとつは、友人の子供(3歳女児)は私が最初に脅かしたりしたものですから顔を合わせる度に怖い〜と泣くようになってしましました。ある日友人宅でミレイユの{愛のメロディー}を聞いていると怖がっていた子が急に立ち上がり笑いながら踊りだしたんです。それから私と目が合うと笑うようになりました。

ミレイユの歌って本当に凄いと思います。
投稿 ks | 2009年1月29日 (木) 12時32分

▼コメント
ks さん、こんばんは!フランス語の分らない女性が、ミレイユの歌で泣き出したとのお話に驚いたら、3歳の子どもが、ミレイユの歌で笑い踊りだしたとは!! 如何にミレイユの歌が凄いかという証拠になりますね。感動的なお話ありがとうございました。
投稿 BOW | 2009年1月29日 (木) 23時19分

▼コメント
検索ここへ辿りつきました。
いつだったかもう記憶に無いほど昔なんですが、30年ぐらい前に日本公演来たときにいきました。その頃雑誌で紹介されマチューカットなんかも流行った記憶があります。それからファンになりレコードも沢山集めましたが震災ですべて無くしてしまいました。

今こうしてヨウツベで見ることができて懐かしく思ってます。とても好きだった曲で「私のママは20歳」がどうしてもまた聞きたくて英語名も分からず検索でさまよっております。古レコードかCDなど情報があればよろしくお願いします。
投稿 nanchan | 2009年2月 8日 (日) 21時16分

▼コメント
nanchan さん、こんばんは。
30年前にミレイユの公演に行かれたのですか、羨ましい! 残念ながらその頃は彼女のことをまったく知らずにいました。震災に逢われたのですね。お気の毒です。「私のママは20歳」は分かりませんが、「今夜のママは20才」はMaman ce soir tu as vingt ans(1969)のようです。手持ちのCDにはなく、YouTubeで検索してみましたが、見つからないようです。
投稿 BOW | 2009年2月 8日 (日) 23時32分

▼コメント
BOWさん有難うございます。さっそくMaman ce soir tu as vingt ansで検索したら歌詞のページが有りまさしく「今夜のママは20才」でした。ずっと私のママと思い込んでいました。しかし難なく探し当てるBOWさんは凄いです。youtubeで無くても題名が分かれば十分なのでCDを根気欲探してみますね。「今夜のママは20才」は軽快ですぐに耳に馴染むとてもいい歌なので機会があれば聞いてみてください。それでは本当に有難うございました!
投稿 nanchan | 2009年2月 9日 (月) 09時03分

▼コメント
ジャケット見つかりました。感謝します^^
http://member.hot-cha.tv/~htb00699/mireille/lp/lp24.htm
投稿 nanchan | 2009年2月 9日 (月) 09時38分

▼コメント
nanchan さん、少しはお役に立てたようで嬉しいです。ジャケットを見つけられたサイトを教えていただき、私も良い情報を知ることができました。ありがとうございました。
投稿 BOW | 2009年2月 9日 (月) 10時10分

▼コメント
BOWさん、みなさん、こんばんは。
昨年末違うページでミレイユ・マチューをカキコしたTAKです。 ミレイユファンが多くてうれしいです。昨年突如として愛の信条Mon Credoを思いだし、 you tubeで彼女の声と姿を懐かしんでました。それ以来、彼女の歌を聴きたくて聴きたくて・・・・ やっと昔買ったLP(といっても4枚ですが)をやっとCD化しおわり、いま楽しみながらカキコしてます。

愛の信条の他に 幸せの鳩 Mille colombes トレビの泉 Apprends-moi 2曲が流れてきて、こんないいうたもあったなと思いだし、懐かしんでいます。 こえからも、ミレイユのお話分かち合いましょう。 愛のメロディーもうきうきする曲でいいですねぇ。 NHKFMにリクエストしたら応えてくれたのを思い出しました。 私のママは20歳:いまから探してみます。
投稿 TAK | 2009年2月13日 (金) 23時45分

▼コメント
TAKさん、おひさしぶりです。
「2008年の総括をUP」の記事のところへ、ミレイユについて書き込んでくださったのでしたね。本当にミレイユのファンが多いのを知って、彼女の歌手としての偉大さをあらためて実感しています。LPのCD化ですか、大事ですね。私もアナログ財産をできるだけデジタル保存しようとしはじめたところです。また、いろいろ教えてください。
投稿 BOW | 2009年2月14日 (土) 09時38分

▼コメント
ミレイユのファンといつかオフ会したいですね。
さて、 ミレイユの動画を調べていたら、Gigliola Cinquetti という歌手の Non ho l'etaという歌に出くわしました。ミレイユとは違う、語りかけるような歌・・・。

事務所の上司に話すと「それはふるいねぇ・・」。ミレイユもご存じでした。 ウィルマ・ゴイクという歌手にも当たりました。「あ、この人!シングルレコードをむか〜し買った人だ!」歌は「花咲く丘に涙して」「花のささやき」です。 Bowさんいつかお会いしましょうね。
投稿 TAK | 2009年3月19日 (木) 15時17分

▼コメント
TAK さん、こんばんは。ジリオラ・チンクエッティは私もファンです。東京オリンピックの年(64年) 彼女の Non ho l'etaは大ヒットしました。私は28歳でした。彼女は17歳、サンレモ音楽祭で優勝した曲だったと思います。CDは2枚持っています。歌が上手くて、美人で、4〜5年前に彼女が主演した映画がBS2で放映されました。ウィルマ・ゴイクという人は知らないです。ミレイユのファンのオフ会良いですね!
投稿 BOW | 2009年3月19日 (木) 23時45分

▼コメント
bowさん、ミレイユのファンさん今晩は!ミレイユのファンのオフ会ですか、、いつか実現して欲しいです。その際は僕も輪に入れてください。ジリオラ・チンクエッティはミレイユと同時期に知りました。当時13歳でしたが「雨」という大ヒット曲が印象深いですね。雨の季節になると思い出します。ウィルマ・ゴイクも懐かしいです。
投稿 ks | 2009年3月26日 (木) 21時33分

▼コメント
ks さん、こんにちは!チンクエッティの「雨」は1969年の曲のようなので、私がこの曲を聴いたのは33歳です。アポロの月面着陸、日本では大学紛争の真っ只中でした。それまでの曲と違ってアップテンポの軽快な歌でしたね。ウィルマ・ゴイクの名前をTAKさん、ks さんのお二人が挙げられましたので、YouTubeで調べたら、「花のささやき」という曲はよく聴いたことがあることを思い出しました。
投稿 BOW | 2009年3月27日 (金) 11時12分

▼コメント
はじめまして。youtubeで国歌を色々と聴いていたところ,ミレイユ・マチューさんがエッフェル塔前で歌う画像に行きあたり,一気に惹かれました。そしてこのページにたどり着き,多くを知ることができました。

目下,ミレイユさんの歌をyoutubeで愉しみつつ,CDを探そうとしているところです。また,発音が極めて明快で美しく,今まで学んだことのないフランス語を勉強したくなるほどでした。テクニックを超越した命の輝きのようなものをミレイユさんの声には感じます。  また,ちょくちょくこのホームページによらせていただきます。  ありがとうございました。
投稿 docotor | 2010年9月25日 (土) 14時24分

▼コメント
docotor さん、こんばんは!貴方もミレイユのラマルセーズに魅せられたのですね。私と同じです。彼女の歌は聴いた瞬間に聴く者を虜にしてしまいますね!また、ときどきお越しください。お待ちしています。
投稿 BOW | 2010年9月26日 (日) 20時30分

▼コメント
はじめまして。You Tubeで、ミレィユ・マチューの歌う「Une  Femme  amoureuse」という動画を鑑賞しました。素晴らしい歌唱です。記憶がつかえて思い出せないのですが、確かこの歌は英語でも歌われてヒットしたよです。題名がわからないのですが、教えて戴けたらさいわいです。
投稿 kT | 2010年11月 9日 (火) 19時03分

▼コメント
kT さん、こんばんは。Barbra Streisand が歌ってヒットした Woman in Love ですね。
投稿 BOW | 2010年11月 9日 (火) 21時03分

▼コメント
早速の返信ありがとうございます。「Woman in Love」♪ BOWさんのおかげで思い出しました。感謝です。 英語ではバーブラ・ストライサント?でしたか・・・ミレイユ・マチューのシャンソンのが最初にヒットしたのでしょうね? シャンソンが英訳されても歌われたケースはよくあるようです。ミレイユの「愛の信条」は私が20代のはじめ頃にヒットした曲なので、彼女も私と同年代の60歳前後だと思われますが、現在も現役で活躍中なのでしょうか? 声量もあり力強い歌唱でしたが、Woman in loveは味わい深い歌声で魅了されました。 また、なにか分かりましたら、よろしくお願い致します。
投稿 kT | 2010年11月10日 (水) 17時44分

▼コメント
彼女の歌に出会って、丁度40年目になります。 一瞬でその歌声の虜になりました。 以来、車の中、仕事場、自宅のリビング、寝室とどこでも聞いています。当初から、彼女のレコードは新しいものを見つける度に購入してきました。CD,VHS,DVDも合わせると約500枚になります。どれもが、僕にとって本当に本当に掛け替えのない宝物です。何度聞いても、その素晴らしさに涙が出てきますね。いつも、初めて聞いた時のままの感動です。

また、彼女の曲の歌詞をもとに、独学ですが、ずっとフランス語を勉強してまいりました。フランス語が分かればわかるほど、素その晴らしさ、感動は深まってゆきます。一層虜になってしまいます。おそらく、今際の際まで、聴き続けるでしょうね。彼女のファンの方は、"彼女の歌に出会える時代に出てきて、本当にゆかった。”よくおっしゃいますが、 僕も全く、その通りです。同世代のファンの方が多く、とてもうれしいです。
投稿 放浪者 | 2011年1月22日 (土) 09時18分

▼コメント
放浪者さん、こんにちは。40年前からミレイユの歌声の虜とは、驚きであり、羨望であり、納得でもあります。

> 何度聞いても、その素晴らしさに涙が出てきますね。
> いつも、初めて聞いた時のままの感動です。
よく分かります。ほんとうにそうですね。今年、後期高齢者の年齢となりますが、一番好きな歌手、一番影響を受けた歌手を一人だけ挙げろと言われれば、ためらうことなく彼女です。書き込みありがとうございました。
投稿 BOW | 2011年1月22日 (土) 10時10分

▼コメント
BOWさっそくの御返事ありがとうございました。私も同じく、一番影響を受けた(いや、支えていただいた)のは、彼女です。 歌詞を大切にしつつ、全く妥協を見せない真摯な歌いっぷりに、癒され、励まされしてまいりました。

大学生の時は、当時持っていた10数枚の彼女のLPの歌詞の暗記をもとに、独学のフランス語を試しに留学しました。 また、のちにも運よく家族を連れて留学する機会にも恵まれました。 以後、理由を付けてたびたびパリを訪れてきました。 いずれも、彼女のいる”フランス”であったからです。

1990年でしたでしょうか? パレデコングレでは、ついに彼女に花束を手渡し、話をさせていただくというチャンも恵まれ、さらに返事まで頂きました。極東の単なる1ファンまでも大切にされる彼女の誠実さは歌にもあふれていますね。 もっともっと、書き込みが増えて持ち上がるといですね。
投稿 放浪者 | 2011年1月24日 (月) 16時29分

▼コメント
BOW様”様”が脱落し”BOW”と呼び捨てになってしまってました。どうぞ、御許し下さい。

投稿
放浪者 | 2011年1月24日 (月) 16時31分

▼コメント
放浪者さん、おはようございます。二つのフランス留学のお話、驚愕です。スゴイ方ですね。常人のできることではありません。その源が「ミレイユ」である。それほど彼女の歌は人を魅了するのですね。 信じられないほどの素晴らしいお話をありがとうございました。

”BOW”のこと、どうかお気になさらないでください。私のよくやる失敗です。ミレイユファンの共通失敗かも分かりません(笑)。
投稿 BOW | 2011年1月25日 (火) 09時04分


◆人生応援歌「くよくよするな」をUP 2008年5月21日 (水)

昨日に続いて、今度は私の生き方で影響を受けた人生応援歌「くよくよするな」をUPしました。

これも作詞作曲演奏者不明ですが、大学に入った55年ころにラジオで聴いて、それから今日まで、よく鼻歌で歌ってきました。昨日の影響を受けた歌手に続いて、生き方で影響を受けた歌として記録に残しました。曲自体は単純です。よろしければ、お聴きください。


▼コメント
今日は〜久し振りの投稿です。【☆づかおとめ】HDネームはマイホームの場所と関係しています。追っかけは「舟木一夫さん」の大阪・京都・神戸・姫路位ですが、「入り待ち」で握手して頂いて居ります。彼がデビューした時、私は可憐な?小学生でした。それ以来のファンです「あれ〜歳がわかりますね〜」(笑)

前置きはこのくらいで。。。。私もすべてにおいて「くよくよするな」 何でもチャレンジで「当たって砕けろ」でダメもとの精神で今迄過ごしてきました。

「くよくよするな」良い曲ですね。大好きです。BOWさんの鼻歌が聞こえてきそうです。ドリス・デイさん懐かしいですね。昔ですがTVで「ドリス・ディ・ショー」をよく見ました。
投稿 ☆づかおとめ | 2008年5月22日 (木) 18時13分

▼コメント
☆づかおとめ さん、今晩は!HDネームは前回の質問に答えてくださったのですね!ありがとうございます。 船木一夫さんのファンですか、懐かしい名前です。

>私もすべてにおいて「くよくよするな」 何でもチャレンジで「当たって砕けろ」で
>ダメもとの精神で今迄過ごしてきました。
同志を得たりです(笑)。

>「くよくよするな」良い曲ですね。大好きです。
ヒヤー、そのようなコメントをいただけるとは、まったく思っていなかったので、ビックリ仰天!ありがとうございます。
投稿 BOW | 2008年5月22日 (木) 23時12分


◆二つのコンサートで思ったこと 2008年5月26日 (月)

一昨夜と昨夜、二つのコンサートを鑑賞した。一つはソプラノリサイタルにジョイントコンサートが加わったもの。もう一つは、有名な合唱団の演奏会だった。それぞれが素晴しかったし、感動する歌がいくつかあった。それと同時に、いろいろなことを思った。

その一つは、歌が好きな者を大きく3種類に分類できるのではないかということで、1)人に聴いてもらうことが好きな人、2)自分で歌うのが好きな人、3)人が歌うのを聴くのが好きな人である。もちろん、オーバーラップする場合もありうるが、単純化してみた。

人に聴いてもらうことが好きな人で、そのため努力を続けている人がいる。それによって生計を立てることができる人をプロと呼び、そうでない人をディレッタント(好事家)というのだろう。人に聴いてもらうことを前提とせず、ただ歌うのが好きで歌うという人もいる。逆に、歌うのは好きでない、あるいは苦手だが、歌を聴くのは好きだという人がいて、この3つの分類では一番多いのではないかと思われる。

プロと言うのは、比較の対象にならないが、その他の3つのタイプについては、どれが優れていて、どれが劣っているということはいえないと思うのだ。私の場合間違いなく自分で歌うのが好きだから歌ってきた。それは、生活の一部だったと言える。

二つのコンサートで思った二つ目は、クラシック的な発声の場合、女声はピッチの高くない範囲では音がすっきりしないのではないかと言う印象で、ソプラノのソロ、混声合唱の女声を聴いてそのように思った。それに対して男声はどの声域でもソロ、コーラスとも違いは少なかった。

三つ目に思ったことは、一般的に言って、男声の方が女声よりも優れているのではないかという大胆な仮説である。動物のほとんどが、雄はできるかぎりのパフォーマンスを演じて雌に求愛する。その一つに音声があり、必死で雌に受け入れてもらおうとする。人間もそれに似ているのではないかと思ってしまった。それは、どちらのコンサートでも男声が安心して気持ちよく聴くことができたからであったと思うのだが、、、


▼コメント
お好きな「音楽」に囲まれての日々のようで拝読しながらニンマリしています。HPをさがしましたがUPはナシ!のようで(^^) 観察力のスゴサにはいつもおどろいています。誰もがみとめる音痴という特技?の持ち主にとっては聴くほうが大好き!です。鼻歌はしょっちゅうで〜す(^^)/
投稿 | 2008年5月26日 (月) 02時28分

▼コメント
おはようございます。Muチャ子さんですね。このブログを始めて開いた数時間後にコメントをいただき、感激したことを覚えているから、名無しでもすぐに分かりました。鼻歌は良いですね。鼻歌同好会を作りますか(笑)。仮説に異論が出るだろうと思っていたのでちょっと拍子抜けです(笑)。
投稿 BOW | 2008年5月26日 (月) 08時36分

▼コメント
>人に聴いてもらうことが好きな人で、そのため努力を続けている人がいる。それによって生計を立てる
>ことができる人をプロと呼び、そうでない人をディレッタント(好事家)というのだろう。

人に食べてもらうことが好きで、そのために努力を続け、それによって生計をたてうる人がプロ。努力を続け、かなりの腕であってもそれで生計をたてる気のない人を「料理好き」。食べることに貪欲ではないが、誰か人のために作るのが好きな人。自分では料理はしないが、ただただ食べることが好きな人。

この分類の中では、一番多いのが「食べることが好きな人」だと思います。このように考えてみると「歌うことと食べること」にまつわるいろいろなことが実に似通っていると思いました。我田引水の感があるこじつけで申し訳ないのですが、音楽オンチのT−baにはこのように考えることですっきりでした(笑)

>プロと言うのは、比較の対象にならないが、その他の3つのタイプについては、
>どれが優れていて、どれが劣っているということはいえないと思うのだ。
御意!
投稿 T-ba | 2008年5月26日 (月) 10時38分

▼コメント
久しぶりに大笑いしてしまいました!才気煥発とは、このような人のことを言うのだろうと直感しました。

>「歌うことと食べること」にまつわるいろいろなことが実に似通っていると思いました。
歌うことが、食べることと同じくらい人間にとって大事なことであることを、改めて思うことができました。ありがとうございます(笑)。

我が家には、歌うことが好きな人間と聴くのが好きな人間がいて、料理を作るのは苦手で、好きな店屋物を探してくるのが好きな人間と、決まった数少ない種類の料理を美味しい美味しいと食べる人間がいます。人さまざま、家庭さまざまですね!
投稿 BOW | 2008年5月26日 (月) 11時40分

▼コメント
BOWさん こんにちは〜♪ 私は、3つの領域すべて入りますが、(2)≧(1)>(3)といった分類でしょうか(笑) 自分の今の立場は(1)も時々でも今は(2)といったところです

仮説に異論をご期待されているようですね・・。安心して聴けるという視点からすると私は男性・女性ともにそれぞれ好きな声に出逢ったときにそれを感じますね〜 男声は 大気のように包み込んでくれるそんな大きな印象。女性の声は天から注がれるような そんなイメージを持っています!

BOWさんのお歌をお聴きして仮説を是非証明していただく機会を得たいですね。ではでは
投稿 Sammy | 2008年5月26日 (月) 15時12分

▼コメント
はーーい名無しでしたね、ごめんなさい。でもでも分かっていただき光栄で〜す!音沙汰ナシでもこのブログは日夜にらみをきかせていますぞ!(^^)
投稿 Muチャ子 | 2008年5月26日 (月) 15時26分

▼コメント
Sammy |さん、こんばんは 仮説に異論反論、ありがとうございました。無茶苦茶な仮説であることは分かってます。二つのコンサートからの結論に過ぎないこと。私の一番好きな歌手がミレイユ・マチューという女声であることから、これはクラシックに限った場合であることをご理解いただきたいのです(笑)。

ホームページに載せるほどのことではないけれど、物忘れがひどくてどこかへ書いて置かなければと思って、普通はHPへUPしたことのお知らせ用に使っているブログに書き込んだのでした。そうしたら、思いがけなく、たくさんの方から、それぞれがユニークというか個性的なコメントいただき、大喜びしています。

しかし、それじゃいつものまじめなUploadはお呼びではないのかと、いささか複雑な心境です(笑)。 それでも、歌はテナーのアリアが最高ではないか問題提起したくて Youtube の動画をUPするつもりでいます。

>BOWさんのお歌をお聴きして仮説を是非証明していただく機会を得たいですね
汗顔のいたり、私は人様に聴いていただくより、歌うことだけがしたい人間です。いじめないで下さいね(笑)。では、では
投稿 BOW | 2008年5月26日 (月) 19時11分

▼コメント
Muチャ子 さん、こんばんは!

>このブログは日夜にらみをきかせていますぞ!(^^)
お〜怖い! うかつなこと書けませんね(笑)。お手柔らかに!!
投稿 BOW | 2008年5月26日 (月) 19時14分

▼コメント
ウムウムなるほど、と皆さんのコメントを読み終えたところです。歌も料理も×印のmusiは聴くほうが多いかな、用事をしながら鼻歌は日常的にあります。食は。目の前に好きな食べ物があればカラになるませパクパクです(みっともないですね)
投稿 musi | 2008年5月27日 (火) 03時53分

▼コメント
musi さん、おはようございます。岡山への強行軍どうやら成功だったようですね!?雨が止んで良かった。私は神戸で中学の同窓会がありましたが、助かりました。
投稿 BOW | 2008年5月27日 (火) 07時54分


◆「誰も寝てはならぬ」をUP 2008年5月26日 (月)

スーパー・テナー8名の「誰も寝てはならぬ」をUPしました。

レコードでしか知らない伝説の名テナー「カルーソー」から始まり、三大テナーのカレーラスまでのスーパー・テナー8名が歌う「誰も寝てはならぬ」のYoutube動画を、年代順に並べています。ご覧下さい。

▼コメント
UPした動画を午後10時45分に再生しようとしましたが、アクセスが多いためか、配信が極度に遅延しています。ご迷惑をお掛けすることになるので、削除いたしました。申し訳ありません。
投稿 BOW | 2008年5月26日 (月) 21時53分

▼コメント
11時40分にチェックすると、正常に再生できました。そこで、みっとも悪いですが、再度UPしました。 アクセスの殺到する時間でなければ、正常に再生できそうです。
投稿 BOW | 2008年5月26日 (月) 23時47分


◆上から見たビーチバレー・ワールドツアー 2008年5月27日 (火)

今月22日から25日まで、中之島公園で開催されたビーチバレー・ワールドツアーを、マンションのバルコニーから見下ろすことができました。このような位置から見るビーチバレー・ワールドツアーも、一興ではないかと思ってご披露します。


▼コメント
野村様
ビーチバレー会場の撮影をお願いしておりました和田でございます。撮影をお引き受けいただきましてありがとうございました。その後、お返事をいただけておりませんがいかがでしょうか?撮影された写真データはお手数ですが、mgc@ga2.so-net.ne.jpに添付送信していただけると助かります。なにとぞ宜しくお願い致します。
投稿 和田泰一 | 2008年6月24日 (火) 12時34分

▼コメント
和田泰一様
5月26日12時53分にご依頼のメールを頂き、同日16時23分に、4枚の写真を返信の形式でお送りしました。受取のお返事を頂けなかったので、写真を無駄にせぬため、翌日27日にホームページに掲載した次第です。只今、前回のメールを転送形式でお送りしました。CCで私のところには届いております。 今回も届いていないようであれば、私としては致し方ありません。
投稿 BOW | 2008年6月24日 (火) 16時30分

▼コメント
野村様
何度もお手数をおかけいたしまして、誠に申し訳ございません。野村様からのメールは、撮影をご了承いただいた一番最初のご返信を最後に、当方では受け取れずにおりました。こちらからも再々ご連絡差し上げておりましたが、お返事を受け取ることができず心配しておりました。原因は不明ですが音信不通のような状態となりましたことをお詫びいたします。

至急、Yahoo!のメールアドレスを取得いたしました。
再度、mgcxprinthouse@yahoo.co.jp に再送いただけますでしょうか。
この度は、無理なお願いをお引き受けいただいたにもかかわらず、ご不快な事となりまして申しわけございませんでした。和田泰一
投稿 和田泰一 | 2008年6月25日 (水) 18時35分

▼コメント
和田様 mgcxprinthouse@yahoo.co.jp宛で、24 Jun 2008 16:14に再度送信しました。CCでは私のところに届いています。私は1996年よりインターネットメールを行なって来ましたが、このようなケースの経験がありません。今回も届いていないとしたら、私にはもうお付き合いできかねます。これで以てこの件は終了とさせていただきます。
投稿 BOW | 2008年6月25日 (水) 21時25分

▼コメント
野村様 確かに写真を受け取りました。助かります。撮影をお願いした当初から、いやいやながらもお付き合いいただきましてありがとうございました。メールの送受信不可の件は大変失礼いたしました。この度はどうもありがとうございました。
投稿 和田泰一 | 2008年6月26日 (木) 13時26分

▼コメント
今度は届いたとのこと良かったです。
投稿 BOW | 2008年6月26日 (木) 21時35分


◆二つのフェスティバル公演 2008年6月 7日 (土)

今年は大阪国際フェスティバルが始まって50回目となる。また、その舞台となったフェスティバル・ホールは、来年から解体され、2013年に高層ビルに建て替えられることになっている。だから、このホールでの最後のフェスティバルになる。そのためと言うわけでもないのだが、先月と今月の2回フェスティバルに出かけた。

現在は「クラシック・メロディーのデータベース」と「クラシック・メロディーの検索」の制作に没頭しているが、ちょっと骨休めに、2つのフェスティバルの印象などを書いておくことにした。

2008年5月17日(土)17:00より、アンヘル・ロメロ ギター・コンサート
私は高校生のころクラシック・ギターに熱中していた時があった。SPレコードで、アンドレ・セゴビアの弾くグラナドスのスペイン舞曲第5番などを貪るように聞いていたし、1959年に来日したときには、サインをしてもらった記憶がある。カルカッシ教則本を独習で一応マスターした。

また、スペインの盲目の作曲家ロドリゴの「アランフェス協奏曲」が好きで、スペインに旅行してアランフェスの王宮前に立ったとき、ただただ感動してしまった。この協奏曲の第2楽章は「恋のアランフェス」という名前でポップスにも使われている。

そのアランフェス協奏曲を、現代ギターの巨匠であるアンヘル・ロメロが演奏すると知って、チケットを購入した次第である。まず最初は、ファリアの「三角帽子」第2組曲で、これはかなり良く知っている曲だった。次は本邦初演の「フラメンコ・ギターのための協奏曲」で、フラメンコギターは好きな方なので、これにも不満はなかった。

そして、やはり圧巻はお目当ての「アランフェス協奏曲」で、曲も良ければ、演奏もこの上なく良くて大満足だった。

2008年6月6日(金)19:00より、アンネ・ゾフィー・ムター&トロンヘイム・ソロイスツ
こちらは、珍しくクラシック嫌いの妻が強く望むのでチケットを購入した。今年の冬、ベルリンのカラヤン生誕100周年記念コンサートで体験した「身震いのする感動」を、もう一度味わいたいというのだ。なるほど優れた音楽の威力、魔力はすごいものだ改めて思った。

さて、演奏であるが、まず「トロンヘイム・ソロイスツ」によるバルトークの「弦楽のためのディヴェルティメント」から始まった。これは、弦が非常に忙しく技巧的な音を発するが、無調というかメロディーがなくて退屈至極で、この種の音楽にはついて行けないと思った。

ところが、演奏が終わるや否や、大声で「ブラボー!」と叫んでいる人がいる。妻などは、あれは「サクラ」に違いないと言う。私がまったく分からず退屈したというと、クラシックをほとんど聴くことがない妻は安心したようだった。

次は本命のムターが登場。この人には華がある。バッハのヴァイオリン協奏曲第2番ホ長調を、自分で指揮をしながら(合図をしながらと言うのが正確)、演奏を始めた。こんどはバロック音楽なので、メロディーも明確、リズムがあり、聴きやすかった。しかし、この協奏曲では、まだあのベルリンでの戦慄的興奮にはほど遠かった。

最後はヴィヴァルディの「四季」で、これは非常にポピュラーな曲なので、文句無く気持ちよく聴くことができた。それがベルリンの感動に近いレベルに急上昇したのは「夏」からだった。ムターの魔力がぐいぐいと聴くものを引き込んでいく。

イ・ムジチ合奏団の「四季」を聴き慣れている耳には、ヴァイオリンの音色がたまらなく甘美であり、また、ムターが完全に主役で、これでこそ合奏でなくヴァイオリン協奏曲であると思わせる演奏だった。なかでも、ほとんどチェロだけを相手に掛け合いのように弾きまくるところは楽しく、乗りに乗っていた。ここでもムターは身体で指揮をしながら演奏する。

終われば、もう、拍手鳴り止まず、5回舞台に登場し、3回アンコール曲を演奏した。1曲目は、「四季」の夏第3楽章、2回目は「四季」の冬第3楽章、最後が「バッハのG線上のアリア」だった。

退屈→まあまあ→興奮というのが、このコンサートの経過だった。 (2008.6.7.)


◆二つの歌謡曲 2008年6月10日 (火)

今夜のNHK歌謡コンサートで二つの懐かしい歌謡曲を聴いた。吉田 正さん作曲の幾つかの歌が歌われたが、その中にフランク永井の「お前に」があった。これを、ささきいさおさんが歌ったが、やはりこの歌にはフランク永井のイメージが強固に結びついている。

開業して5年目のころ、この歌はなぜか私の心境に一番合っていた。そばに居てくれるだけで良いというその「お前」が、なぜか妻でなくて息子だったのだ。私はこれまで気楽別館のように生きてきたように思っていたが、当時はそれなりに気苦労があったのかも知れない。その状況は歌と思い出の1977年のところに書いている。 もう一つの懐かしい歌は、番組の最後に出演者全員で歌った「異国の丘」だった。この歌については、歌と思い出の1948年のところに書いている。今夜、この歌を聞きながら、当時粗末なラジオから聞こえてくる竹山逸郎のバリトンの歌に聞き惚れていたことを思い出していた。そして、この歌が敗戦直後の私たち日本人に、どれほど生きる希望と勇気を教えてくれたかを思い出していた。

吉田 正が復員をしてきて、この歌の作曲者であることが分かった。それから後は、都会的でオシャレな大人のムードの歌をたくさん作曲した。今夜そのうちの「再会」を八代亜紀さんが歌い、「東京ナイト・クラブ」は、フランク永井さんと松尾和子さんのデュエットのビデオが放映された。フランク永井さんは、さすがにうまく、完璧と言ってよいほどだった。今これだけ歌える歌手はおそらくいないだろう。

最後に、高齢になっても歌う力はそれほど衰えないことを80歳の三浦洸一さんが教えてくれた。昔ビング・クロスビーが70歳の時に録音したLPを聴いて、70歳でも歌えるのだと知ったときには希望が持てて嬉しかった。それより10歳過ぎても、若い頃の80%くらいは歌えると知って嬉しい。

それと比べて、橋幸夫さん三田明さんの歌と顔は三浦洸一さんと対照的だった。生きてきた姿が表れているといえば酷だろうか?


▼コメント
こんにちは 蒸し暑いですね 昨晩の「歌謡コンサート」見たかったのですが。。。違うチャンネルを見ていました。私は亡くなった父の影響で、子供の頃から和物は「フランク永井さん」の歌が大好きで、特に「君恋し」のレコードはよく聴きました。歌詞の内容は子供だから、理解不可能でしたが。(笑)フランク永井さんの声は本当に素晴らしいですよね。あと灰田勝彦さんの「燦めく星座」とか。。。ビング・クロスビーも渋くていいですね。

洋楽クラッシクは「G線上のアリア」「剣の舞」「トルコ行進曲」etc。。。まとまりのない分野ですが,タンゴは「ラ・クンパルシータ」「エルチョクロ」等です。私事ですが、今年3月同居していた私の母が、ディサービス中に転んで亡くなったのですが、告別式には、主人の計らいで母の大好きでしたタンゴ「ラ・クンパルシータ」のCDを流してくれて、安らかに見送る事が出来ました。暗い話で恐縮です。。。私の人生にも音楽は無くてはならないものなんです。ジャンルはいろいろですが、いいですよね〜

BOWさんも「歌謡曲」お聴きになるんだぁ〜と以外でした。(ごめんなさい)
投稿 ☆づかおとめ | 2008年6月11日 (水) 16時07分

▼コメント
☆づかおとめさん、こんにちは
カラフルな楽しいコメントありがとうございます。フランク永井さんについてのご感想まったく同じです。タンゴは中高生のころよく聴きました。タンゴを口笛吹きながら歩くと、足どりが軽く、それでいて行進曲よりもスマートで気持ちが良かったのを思い出します。「エルチョクロ」は戦後まもなく「キス・オブ・ファイヤ」の名前でポップスとして大流行しました。2匹目のドジョウを狙って「ラ・クンパルシータ」は「ストレンジ・センセーション」というポップスで売り出されたのですが、それほどヒットはなかったようです。

告別式でお母様がお好きだった「ラ・クンパルシータ」を流されたとのこと、よいことをされましたね。あの曲にはオシャレな哀愁がありますね。私は演歌をほとんど聴かないですが、歌謡曲はむかしよく聴きました。歌のデータベースの1000曲の中では85曲ありました(笑)。
投稿 BOW | 2008年6月11日 (水) 17時11分

▼コメント
早速の返信有難うございました。タンゴを口笛で吹けるなんて素敵ですね。曲によっては、かなりの技術がいるのではないのですか。タンゴについて詳しい説明をありがとうございました。知らないことばかりでしたお礼にコーヒーでもどうぞケーキつきですよ(笑)。「エルチョクロ」の方が、人気があったんですね。ポップスだからですかね〜;゜*★;。*★;゜*オヤスミナサイ。*★::・'゚☆。.::・'゚
投稿 ☆づかおとめ | 2008年6月11日 (水) 20時39分

▼コメント
BOWさん 今日は〜私も丁度 歌謡コンサート観ました〜「君恋し」は私もフランク永井さんの声で育ちました(笑)昭和歌謡については 父が歌が好きな人でよくTVでも観ていました。よく父が「歌の上手な人は 息継ぎの音がマイクに入らないんだ」と言ってました〜三浦洸一さん 80歳を超えても素晴らしかったです。自然体ですね〜 いつまでも音楽とともにあるというのは いいですね〜
投稿 Sammy | 2008年6月12日 (木) 18時04分

▼コメント
☆づかおとめ さん、ケーキ付きコーヒーをどうも。ケーキは家内に譲って私はコーヒーをブラックでいただきました(笑)。タンゴの速さは早足で歩くのにピッタリなんです。カミニートも良い曲ですね。何年ぶりかで口笛を吹いてみましたが、この3つは何とか吹けました(笑)。
投稿 BOW | 2008年6月12日 (木) 19時27分

▼コメント
Sammy さん、こんばんは。Sammy さんもあの番組をご覧になったのですね、それじゃ、きっと私の感想に納得していただけただろうと勝手に思っています(笑)。お父様が歌を好かれたというお話、☆づかおとめ さんのお母様がタンゴを好かれたお話から、親の音楽好きは子供に大きく影響するのではないかと思いました。私の母も歌うのが好きで、絶えず家の中で歌っていました。私が歌好きなのはその影響が大きいと思います。ほんとうに、いつまでも音楽とともにあるというのは いいですね。自然体 私も好きです!ではでは
投稿 BOW | 2008年6月12日 (木) 19時33分


◆脳優勢度調査と脳科学をUPしました。 2008年6月18日 (水)

2日前にたまたま送られてきたメールマガジンで「脳優勢度調査」なるものを知り、試してみたところ面白い結果がでました。そこで、いま取り組んでいることを一時中断し、こちらについてまとめてみました。右脳左脳などにも触れています。ご興味があればお読みください。


▼コメント
お久でございますぅ。このところますます脂身が厚く暑さも倍増!ゼッペキの前身ごろのくせにアセモらしきブツが・・・(~~) 海に飛び込みたいよ〜!後のヒリヒリを考えると、ヤメトコ!に落ち着くMuチャ子で〜す。
投稿 Muチャ子 | 2008年7月15日 (火) 00時40分

▼コメント
Muチャ子さん、こんにちは!お久しぶりです。暑いですね、交野と違って大阪市内は滅茶苦茶暑い気がします。今は「海に飛び込みたいよ〜」の発想が出ないのが悲しい。昔は夏=海でした。

今ちょっとした大作?を作っています。7割くらいできた感じです。クラシック・メロディーのデータベースです。聴いたことのある400曲について、作曲家100名、MIDIつき、譜面つきで、まとめています。できあがったら自分にとって重宝するだろうと思っています。来月ころにはUPできるかも分かりません。できたらここでお知らせしますので、見てやってくださいね!
投稿 BOW | 2008年7月15日 (火) 09時00分

▼コメント
猛暑の日が続いて居りますね大阪は特にヒートアイランド現象で1℃〜2℃は暑いのではないでしょうか。お久し振りです。いつも覗いていましたが、更新もないし、BOWさんの登場もないので、心配しておりました。なる〜ほど。。。クラシック・メロディーのデータベースの大作を作成中でしたか安心しました。400曲ですか?凄いですね。ここにUPして頂けるようですので、楽しみにしております。

小さい庭に家庭菜園らしきところで、トマトとミョウガの今年初収穫をし、なかなか美味しかったですよ。飲めませんが。。。ミョウガはちょっと手を加えてお酒の肴に最高ですね〜
投稿 ☆づかおとめ | 2008年7月23日 (水) 18時01分

▼コメント
☆づかおとめ さん、こんばんは 本当に大阪は暑いですね!
横浜から昨日帰ってきたら、たしかに1〜2℃は高かったです。横浜で小澤征爾さん指揮オペレッタ「こうもり」を観てきました。ウィーンでは大晦日に必ず「こうもり」を上演するというわけが良く分かる楽しい喜歌劇でした。そうです、音沙汰なしでいるのは大作(笑)を制作中だからです。良いのができるぞと妻に言うと、いつも同じことを言うと言ってとりあってくれません。まあ、結果をご覧あれと言いたいところです。

家庭菜園でトマトとみょうがですか! みょうがは大好きで交野にいた頃はよく食べました。ところが大阪市内に転居してからは滅多に食べていません。記憶力低下を心配している妻が、これを敬遠しているのかも分かりません(笑)。たしかに酒の肴に良いですね。大作をUPしたら、ぜひご覧下さいね。
投稿 BOW | 2008年7月23日 (水) 20時55分

▼コメント
「コメントの検証 スパム・コメント防止のために、以下の画像の文字を入力してください。この防止機能は、スパムがおきやすい条件を、自動的に判断して表示しています。」

これが出ている時には、画像に表示されている文字を、白い空白の文字入力区画にキーボードから書き込んでいく必要があります。入力区画にポインターをマウスで置かないと、キーボードで入力しても書き込めないのでご注意くださいね!これは、無差別大量に記事が書き込まれないための防衛策だと思います。ご面倒ですが、よろしくお願いします。musi さん、書き込みお待ちしています。
投稿 BOW | 2008年7月24日 (木) 14時46分

▼コメント
お手数おかけしました(__)。超大作に挑戦、「良いのができるぞと妻に言うと、いつも同じことを言うと言ってとりあってくれません。まあ、結果をご覧あれと言いたいところです。」

ハイ!結果は上々間違いなし!と確信していま〜す。我々一同いつ何時でも諸手を挙げておまちしております。先日とつぜん、ピカッーゴロゴロと雷が…マンションへは落ちませんように!(^^;)
投稿 musi | 2008年7月26日 (土) 02時16分

▼コメント
BOWさん 暑い日が続いておりますね〜超大作に制作中でいらっしゃるのですね。楽しみにしております!!

私は最近、毎月一度のペースでLIVEに参加しており、充実しています。それと録画で撮ってもらった小澤征爾さん指揮内田光子さんピアノのベートーベンの「皇帝」を何度も観て聴いています。夫と私の一番好きなピアノソナタです。大作の完成をお待ちしております。ではでは・・。
投稿 Sammy | 2008年7月26日 (土) 10時39分

▼コメント
musi さん、こんにちは!超々大作(笑)、ボトボチと、しかし確実に前進はしています。
雷のご心配ありがとうございます。避雷針を張り、落雷を極力避けられるよう鋭意努力しております。 例えば、雨が降らなければ毎夕梅田までウォーキング、お陰で大阪の酷暑を満喫しています。
投稿 BOW | 2008年7月26日 (土) 13時33分

▼コメント
Sammy さん、お久しぶりです!
ちょっとした制作が大作になり、超大作、超々大作へと勝手にエスカレートさせています。あとでガッカリ、羊頭狗肉とそしられそうです(笑)。

毎月1度のライブ、良いですね。人生をエンジョイされていますね!!私は毎月2回コーラスの練習に参加しています。今日も歌ってきました。いくら大声を張り上げても許してくれるので気持ちが良いです。

「皇帝」は今作っているクラシック・データベースに入れています。第1楽章と第3楽章だけですが、主要メロディーの譜例とMIDIでその譜を聴くことができます。すべてハ調かイ短調に移調しています。鑑賞用でなく備忘録、メモといった代物です。なにかのお役に立てれば良いと願っていますが、もともとは自分のために作っているのです(笑)。ではでは、、、
投稿 BOW | 2008年7月26日 (土) 14時01分


◆クラシック・データベースをUP 2008年7月31日 (木)

超大作と自分で前宣伝をした「クラシック・データベース」をUPしました。10個のファイルから成り立っていますが、その説明は「クラシック・データベースの説明」に詳しく書いています。

これまでの作品の中で、構造的には一番きれいにまとまっているのではないかと、自分では思っています。聞き覚えのあるメロディーを含むクラシック曲を400曲選び、メロディーのさわりの部分8小節の譜面とMIDI音声をつけ、メロディーパターンからクラシック曲を検索できるようにしたことが特長です。

お役に立つことがあることを願っています。


▼コメント
BOWさん データベースの完成おめでとうございます!さっそくいろいろ検索して聴かせていただきました〜 これからいろいろ活用させていただきますね〜

BOWさんの目標達成意欲といいますか、お好きなことをとことん実行される姿に私も刺激をいただきました〜!・・・・

今日 本屋さんで小澤征爾さん著書「ボクの音楽武者修行」と出逢いました〜これから読むのが楽しみです!
投稿 Sammy | 2008年8月11日 (月) 17時37分

▼コメント
Sammy さん、こんばんは!コメントありがとうございました。
目標達成意欲と言えるのかどうか分かりませんが、したいことが次々と出てきて、やり始めるとある程度満足できるようになるまでしてしまいます。

小澤征爾さん指揮のオペレッタこうもりを先日横浜で観てきました。腰痛も少し良くなられたようで、お元気で指揮をされていました。あの方の生き方、素晴しいですね!
投稿 BOW | 2008年8月12日 (火) 00時30分

▼コメント
今日から9月ですね。ご無沙汰致しております。大作の完成おめでとうございます。gUUgカンパ〜イ! 莫大な時間を費やされての、大作で。。。年長者のお方に失礼な言葉ですが。。。『おみごと』ですね

いろんな文献を探すだけで大変なのにそれを、分かりやすく解説してあり、忘れていたメロディーも分かり、一口メモも大変参考にさせて頂いて居ります。ビゼーの「アルルの女」。。。知らない事が沢山あり、拝見してより詳しくなりました。

時々「データベース」を覗いては、早く書き込みをしなければと思いつつ、8月は大阪新歌舞伎座に早朝より5回も通っていたので、今日ようやく、出来ました。これからも、参考にさせて頂きます
投稿 ☆づかおとめ | 2008年9月 1日 (月) 15時39分

▼コメント
☆づかおとめ さん、こんばんは!楽しい、嬉しいコメントありがとうございます。あのデータベースを活用して下さっているとのこと、作った甲斐がありました。案外クラシックも捨てたものではないですね。私もクラシックを再発見したような気持ちになりました。

> 大阪新歌舞伎座に早朝より5回も通っていた
驚きました! お若いんですね!! そう言う情熱がちょっとばかり羨ましいです(笑)。
投稿 BOW | 2008年9月 1日 (月) 21時15分


◆「阿久悠の歌」をUP 2008年8月 6日 (水)

「阿久悠の歌」をUPしました。
今夜のNHK歌謡コンサート「阿久悠 歌よ時代を語れ」を聴きました。そして、久しぶりに歌謡曲の楽しさを思い出していました。その余韻が残っている間にと思い立って大急ぎで感想をまとめてみました。この番組を観られた方も多いと思います。ご興味がおありでしたらお読みください。


▼コメント
クラシック。。阿久悠。。拝見しました〜。HPのMIDIで聞いたことのあるのがいくつかありましたが、懐かしのメロディってことのようですね。演歌もお好きなんだと発見!ご趣味の歌の世界、ものごっつう幅広いし歌に関してこれほど詳しく書かれているなんてビックリもしています。これだから、目がはなせませ〜ん!楽しんでいます。次回作はなーにかな?
投稿 Muチャ子 | 2008年8月10日 (日) 03時58分

▼コメント
Muチャ子 さん、お早うございます。といっても、まだお休みかな?と、タイムスタンプから思いました。

嬉しいコメントありがとうございます。クラシック=懐メロという発想良いですね。歌は楽しむもの、音楽も楽しむものだと思っています。歌謡曲は好きですが、演歌は好きではないのです(笑)。 どう違うねん、と言われると困るのですが、、、「嫌いな歌謡曲が演歌」というので分かってもらえるでしょうか?次回作は始めたばかりで、公表できるほどのものに仕上がるかどうか今のところ自信はありません。

PCをフルに使った発明のようなものです。メロディー略譜、abc略譜の延長線上にありますが、対象は音楽ではありません。大作になるようなものでなく、アイデア作品ですが、工夫して創っていくのが楽しいのです(笑)。
投稿 BOW | 2008年8月10日 (日) 09時20分


◆「スパム・メール・ブロックの注意」をUP 2008年8月26日 (火)

一昨日、大事なメールをスパム・メールとして処理していて、そのことを電話の問い合わせで知るという大失敗をしてしまいました。昨年はじめにも同じ失敗をして、今回で2回目です。

このようなことを3度も起さないようにという自戒の意味で、スパム・メール(迷惑メール)対策を行なった場合の注意点をまとめ、「スパム・メール・ブロックの注意」としてUPました。

最近のスパム・メールの数は異常に多く、1日平均150通くらいあり、何らかの対策をとらなければ、無駄な時間の浪費を余儀なくされます。スパム・メール対策を行なっておられる方には、私の失敗とそれから学んだ対応がお役に立つかも分かりません。


◆サイトマップをUP 2008年8月28日 (木)

これまでは内容により8個のジャンルを設け、トップ・ページにそのジャンルへ飛ぶボタンをつけ、ジャンルごとに個々の情報にリンクできるようにしてきました。情報が少ない間はこれでも良かったのですが、400件以上もの情報を掲載してしている現在では、作成者自身でさえ情報を見つけ難くなっています。

そこで、各ジャンルを統合し、全体の構造が分かるサイトマップに変更しました。一見したところ以前と変わりがないように見えますが、8つのジャンルは独立したものでなく、全体の中の1部門となっています。

情報の所在が分かりやすくなったのではないかと思うのですが、如何でしょう?


◆仲秋の名月 2008年9月15日 (月)

中之島に転居して3年目になりますが、今年はじめて仲秋の名月を眺めることができました。天候に恵まれただけではなく、それを楽しむ心の余裕ができたのかも分かりません。酒は日本酒ではなく、いつものS−DRYでした。みなさまは如何でしたか?


▼コメント
いい名月ですね!大阪の夜空が意外と真っ暗なのに驚きました。高いからでしょうか、、月見ダンゴならぬ月見ビールでいいご気分、夜景とともに、Good!ですね。
投稿 T-ba | 2008年9月15日 (月) 20時13分

▼コメント
どうも、どうも、ありがとうございます。最初の年は引継ぎでバタンキュー、翌年は義姉のことで、それどころでなく、昨年はクルーズ後遺症でこれまたバタバタしていました。今年はじめて人並みの生活ができたのかもしれません。それにしても、いつまでもS-DRYでは進歩がありませんね(笑)。ま、これが身の程なのだと思っていますが、、、(笑)。
投稿 BOW | 2008年9月15日 (月) 21時54分

▼コメント
w(゚o゚)w今年の中秋の名月はココで拝月?しました。むか〜し縁側にススキやお団子、果物などをしつらえあとでお団子を頂くのが楽しみで、大人達が眺めながら話しているのが早く終わらないかと、待ちわびていたのを思い出しました。この食い気はいまだに続いています。困ったモンだ(^^;)
投稿 musi | 2008年9月19日 (金) 01時54分

▼コメント
musi さん、こんにちは!コメントから、むかしの月見の光景を思い出しました。あの頃は今よりずっと涼しかったし、夜空はもっと澄み切っていて、月がきれいだったですね。まだ、団子ですか! 元気度のバロメータですね(笑)。
投稿 BOW | 2008年9月19日 (金) 16時12分

▼コメント
大阪の名月はビル群との良いアングルでよく撮れていますね。本当にE:fullmoon]今年のお月見はとても綺麗でした 。まだお月さんが低い時は、かなり明るくて、門灯点けなくても庭が良く見えました。BOWさんは「月見でいっぱ〜い」はgUUgカンパ〜イ!」でしたか。我が家はあんこタップリのお団子とコーヒーでした(笑)。子供の頃はススキを買ってきて、お家でお団子作り、高坏(タカツキ)に綺麗に並べ、ブドウや梨をお月さんに向けて置き、その後、家族で美味しく頂いたものでしたが。。。今はこうした、風情がなくなりましたね。
投稿 ☆づかおとめ | 2008年9月19日 (金) 16時38分

▼コメント
☆づかおとめ さん、こんにちは!カラフルで楽しい画面を見るだけでニコニコしてしまいます(笑)。 今年の名月は良い気象状況だったのですね!あんこタップリのお団子とコーヒーでしたか!私はノーサンキューですが、妻は大好物です。牛乳入り砂糖なしのコーヒーと甘い菓子の組合せが最高だとよく言っています。私には理解できないことですが、、、
投稿 BOW | 2008年9月19日 (金) 17時00分


28◆BOW式英語音声表示記号をUP 2008年9月28日 (日)

英語口語文の文中にPCの半角キーボードにある記号を挿入して、英語口語文の発音・アクセント・リズム・イントネーションを近似的に表現するためのツールとして「BOW式英語音声表示記号」を開発しました。17個の記号で27種の音声の表示を行ない、英語口語をメロディーとして楽譜的に表現することができます。

「メロディー略譜」から始まり、歌の3部作、大阪弁の楽譜的表現、クラシック・データベースと続けてきた「PCで楽譜」という一連の仕事は、これで以て終りとします。

難し過ぎると感じられたら、「はじめに」と「あとがき」だけをお読みいただければ嬉しいです。


◆神戸ジャズ・ストリートをUP 2008年10月 6日 (月)

昨日5日に神戸ジャズ・ストリートへ行って来ました。神戸で生まれ31歳までを神戸で過ごしたのに、今年で27回目になるという神戸ジャズ・ストリートを体験したことがなかったのです。その感想は素晴しい、来年は泊りがけで金土日の3日間を存分に楽しみたいです。詳しくは神戸ジャズ・ストリートをお読み下さい。

▼コメント
神戸JAZZストリートに行かれたのですね〜いいなあ〜私も2年前に行き、SONEで食事をしながら楽しみました〜♪ゴスペルの神戸マスクワイアの感想を拝見して 11月のBOWさんの感想が気になり始めています(笑) ではでは
投稿 Sammy | 2008年10月 8日 (水) 21時34分

▼コメント
Sammy さん、こんばんは!神戸ジャズストリート 思っていたより何倍も素晴らしかったです。その前日、神戸の諏訪山展望台からみた昼、夕方、夜の景色も良かった!!11月楽しみです(笑)。ではでは
投稿 BOW | 2008年10月 8日 (水) 22時54分

▼コメント
はじめまして。 神戸ジャズストリートのことを素晴らしく書いてくださっていてとてもうれしいです。私も毎秋、楽しみにしております。客席と一体となった素晴らしいジャズライブは 最高ですね!
投稿 MASAYO | 2008年12月 9日 (火) 08時34分

▼コメント
MASAYO さん、はじめまして!コメントありがとうございます。神戸ジャズストリートに毎年参加されているのですね。そのお気持、よく分かります。私たちもそうしたく思っています。ジャズはやっぱりライブが最高ですね!!
投稿 BOW | 2008年12月 9日 (火) 10時41分


◆7年目のPCリカバリーをUP 2008年10月15日 (水)

WindowsPCを使い始めて12年になります。その間2001年に1度PCのリカバリーを行ない、今回は2度目になります。今回のリカバリーとその事後処理を行なった後で、Cドライブの丸ごとイメージ・バックアップを行ないました。これを使って、PCの動作が鈍くなったとか不調の際には、Cドライブの復元を積極的に行なっていますが、非常に好調で楽しくなります。その詳細を7年目のPCリカバリーのタイトルでUPしました。


◆中之島線開通をUP 2008年10月21日 (火)

10月19日に京阪電車中之島線が開通しました。中之島線新駅は予想していたよりもはるかに素晴しく、これまで私が抱いて来たダサイ京阪のイメージがクールな京阪に180度チェンジしました。40枚の写真を使い「中之島線開通」のタイトルで詳しくレポートしていますので、ぜひご覧下さい。


◆心に生きることば 補足・修正・追加分をUP 2008年11月11日 (火)

「心に生きることば」を書いて6年が経過したのを機会に、この全てに目を通し、キー・フレーズの説明の一部に補足と修正を加え、新しくキー・フレーズを追加しました。補足:11個所、修正:6個所、追加フレーズ:22篇で、キーフレーズは合計464篇となりました。442フレーズの内で、修正が6フレーズ(1.4%)であることは、6年間でほとんど変わりがなかったと言えるでしょう。

「心に生きることば」に変わりはほとんどなかったのですが、生活には大きな変化がありました。息子の結婚、私たち夫婦の引退と息子夫婦への引継ぎ、私の本当の人生からオマケの人生への移行、そして、私たち夫婦の血を半分引継いだ生命の誕生です。

心に生きることば 補足・修正・追加分としてUPしました。


▼コメント
BOWさん またご無沙汰してしまいました〜 あれよあれよと11月も中旬です。「心に生きることば」 今の私には 12自然体が一番 ぴったりきます。

実は大阪行きの前に、17日から10日間で四国へ歩き遍路に出かけます。今はその準備をしています。 まずは 徳島(発心の道)を歩いてきます。 ・・ということで26日に広島に戻ります。大阪での歌にどんな影響があるのか ないのか それも楽しみです。

戻って再び 「心に生きることば」を拝見させていただきます。 そのときには どのことばが自分に響くのかも楽しみです〜ではでは お会いするための場所などは 直前になりますがよろしいですか〜
投稿 Sammy | 2008年11月13日 (木) 20時13分

▼コメント
Sammy さん、こんばんは!お遍路さんに行かれるのですか、何を見つけてこられるのか楽しみです。お会いできるのを楽しみにしています。 お気をつけて、いってらっしゃい!!
投稿 BOW | 2008年11月13日 (木) 22時20分


◆「新しいいのち」をUP 2008年11月16日 (日)

初孫の誕生2時間後に、息子夫婦、両祖父母の6人で立ち会うことができました。そこで得たのは感動の連続でした。その6人の気持ちを「新しいいのち」の名で表しました。自分では詩のつもりです。生まれて初めて書きました。爺バカではないつもりですが(笑)


▼コメント
*:.。..。.:*お孫さん誕生おめでとうございます*:.。..。.:*    gUUgカンパ〜イ!  ○○ちゃん綺麗な響きの可愛いお名前ですね BOWさんの「詩」お気持ちがこもっていて、素敵な文ですね  新しい命が誕生するという事は、このハイテクな時代も、電話もない大昔も、かわりなく本当に神秘的な不思議なことですね 
投稿 ☆づかおとめ | 2008年11月18日 (火) 18時20分

▼コメント
☆づかおとめ さん、こんばんは!孫娘の誕生を祝ってくださり、ありがとうございます。本当に誕生って神秘的ですね。今嫁の実家に帰っていますが、息子が10日目のビデオを撮ってきて、ファイルをPCに置いてくれたので、飽きずに眺めています(笑)。
投稿 BOW | 2008年11月18日 (火) 23時10分


◆DVDライブラリ一覧をUP 2008年11月21日 (金)

今から5年前、息子の結婚式のビデオをDVD化したのが始まりで、ビデオ(動画)をDVDで保存することに決め、DVDライブラリーを作りました。以来その数は増え続けましたが、医業を退いてからは、ほかのしたいことに気を取られ、整理をせず、放置してきました。

ここにきて、ようやく整理する時間と気持ちの余裕ができたので、DVDライブラリ一覧、ジャンル別、五十音順、制作年順という相互のリンクを持ったDVDライブラリのまとめを作りました。

DVDライブラリへの登録タイトル数は、2003年9月:96点、04年:500点、06年:600点、08年11月:700点です。このデータから、最初の1年で集中的に蒐集したのが分かります。

そのジャンルは、音楽30%、女優13%、西部劇10%が3大テーマで、この3つで過半数を占めていますが、私の関心のありどころなのでしょう。映画から生き方を学ぼうということはほとんどないようです。そのほかは、ヨーロッパ映画14%、邦画7%、恋愛と美術とドラマがそれぞれ4%、記録3%といったところです。これで、観たい映画は大部分集めることができたと思っています。

しかし、このDVDを実際に観ることになるのは、したいことがなくなった時のような気がします。DVDの鑑賞よりは制作をしたい、それはDVD化、BD化しておきたい素材がたくさん残っているからです。受動的欲求より能動的欲求の方が強いのは死ぬまで続くのかも分かりません(笑)。

あくまで私個人の記録ですが、ご興味があればご覧下さい。一応DVDライブラリ一覧の名でUPしてありますが、ページトップとページエンドで、ジャンル別、五十音別、制作年度別にジャンプできるようにリンクを張ってあり、いずれからも相互リンク可能です。


▼コメント
BOWさん おはようございます!700点ものDVD・・すごいですね〜 先日ご自宅に訪問させていただいた際、BOWさんの基地(書斎)を拝見し、整理整頓されたその空間でいろいろ創作をされているんだな〜と感慨深かったです!さて、CDと写真届きました〜ありがとうございます!動画でみる自分は照れくさいですが、一番 盛り上がっていますね〜 本当に歌えるだけで 幸せでしたから〜こうして映像に残していただけて 感謝です〜ありがとうございます!!
投稿 Sammy | 2008年12月 3日 (水) 10時49分

▼コメント
Sammy さん、おはようございます。
先日は本格的なゴスペル?を初めて見、聴きしていささか驚きました。ゴスペルの発声はクラシックやジャズヴォーカルと違った真っ直ぐに突き抜けるように唄うのですね。それから、リズムは絶えず躍動的ですね。まさか、Sammy さんがバックコーラス付きで、ソロを唄われるとは知らなかったので、慌てました。

デジカメで動画も撮れることが頭の隅に残っていたので、とっさに試みましたが、かなりうまく撮れていて驚きました。私も妻も、ソロはSammy さんが一番良かったと感心しています。良い音楽をありがとうございました。写真はストロボ禁止なので、ブレがありますが、致し方ありません。時間が限られていたので、私の基地の貯蔵庫をお見せできなかったのですが、DVDなどはそちらに収納しています。
投稿 BOW | 2008年12月 3日 (水) 11時12分


◆思春期の作文をUP 2008年11月27日 (木)

マンションは収納スペースが限られているので、廃棄処分を余儀なくされます。これで整理が否応無しに行なわれ、意外な掘り出し物が見つかることもあり、結構楽しいものです。

昨日、中学1年から高校1年までに書いた作文を見つけました。思春期(pubety)は男子の場合13歳から16歳までを言うと研究社の新和英大事典に載っています。まさに、この思春期に当るので、思春期の作文としてまとめてみました。

もちろん、学校用に書いたものだから、思春期の葛藤などは影も見えませんが、それでも、どのようなことをしていたのか、どのようなことを考えていたのか、どのような文章を書いていたのかが分かります。ご興味があれば、お読みください。


◆検索結果1位をUP 2008年12月 7日 (日)

中之島のBOWに掲載している記事のタイトルを検索キーとし、検索エンジンGoogleとYahoo!を用いて、本月1日から5日までの期間に検索を行ないました。その結果、記事総数271件について、どちらかのエンジンで検索1位になる記事は232件86%あり、その母集団も10万件以上のものが過半数を超えていることに驚愕しました。信じられないというのが正直な気持ちです。検索結果1位のタイトルでUPしましたのでご覧ください。


◆光のルネサンスと郷愁をUP 2008年12月16日 (火)

昨夜、大阪光のルネサンス2008を見てきました。鳥取砂丘の砂で作った彫刻があるというので、それを見るために出かけたのですが、その途中や、その後の建物に青春の郷愁を感じ、それが中心となるレポートとなってしまいました。写真はかなりきれいだと思います。光のルネサンスと郷愁のタイトルでUPしています。ご興味があれば、ご覧下さい。


▼コメント
BOWさん こんにちは〜♪ 12月に入って イベントが続いております  明日明後日で今年も歌い納めです〜 さて、光の演出 とても素敵ですね〜 リーガロイヤルホテルの3人の天使 実物を見てみたいです〜 来年も機会をつくり、大阪に行きたいと思います〜また、コメントしますね ではでは・・・・。
投稿 Sammy | 2008年12月19日 (金) 15時03分

▼コメント
Sammy さん、こんばんは!今週末で歌い納めですか、お家ではその後も歌われるのでしょう?古い大阪の建物、素敵でしょう。すっかりノスタルジックになってしまいました。来年はぜひご主人とご一緒にお越し下さい。お待ちしています。
投稿 BOW | 2008年12月19日 (金) 20時47分

▼コメント
お、お久しぶりの出前で〜す。「思春期の作文」 おどろきました!しっかりした信念をお持ちの上それをサラサラと書いていらっしゃる、何度も読み返し知り合いの息子さんにコピーを渡しましたところ、ご両親がお読みになり「これは立派な大人の文章ですね」と感心していました。オマケに息子さんのアタマをポカリ(*^-^)

「検索結果一位」 スゴイ結果ですね!再三HPを訪れているMuチャ子は納得しています。「光のルネサンスと郷愁」 美しい写真でみとれます。天使のゆがんだ?表情は政治家に向けたものかしら・・・と思おっと。
投稿 Muチャ子 | 2008年12月24日 (水) 01時27分

▼コメント
Muチャ子さん、お久し振り!嬉しいコメントのかずかず、ありがとうございます。検索結果1位には正直驚きました。このエンジョイBOWにUPしたことを載せるのが、大きく影響しているのではないかと、後で思ったりしています。

というのは、エンジョイBOWのキーワードで検索するとGoogleで1200万件中1位だからです。そのエンジョイBOWに開設数時間後書き込んで下さったのがMuチャ子さんなので、感謝しています。天使のゆがんだ?表情の解釈おもしろいですね。
投稿 BOW | 2008年12月24日 (水) 09時33分


2009年の記事


◆新年おめでとうございます 2009年1月 4日 (日)

大晦日から孫娘一家がやって来て賑やかでした。知人から贈られた「初孫」という大吟醸を酌み交わし、例年と違う正月となりました。

一家が去ると、どっと疲れが出ました。来るも良し、去るも良しです。

今年はどのような1年となるのか、オマケの身になると、楽しみです。危機は好機、ピンチはチャンス、敗戦前後の状況を思えば、立ち直れるのではないかという気がします。そのためには、発想の転換をせざるを得ないのではないでしょうか?

今年も、どうかよろしくお願い申上げます。


▼コメント
BOWさん 奥様 新年明けましておめでとうございます 本年もよろしくお願い申し上げます。今年もコメントさせていただきます!!年末年始は賑やかにお過ごしでいらしたのですね〜  そして、いつもの毎日に戻られたご様子ですね。 ピンチはチャンス 私もそう思います。心の平安を保ちながら様々な出来事を受け止めていきたいと思います〜今年も歌を通じて いろんな経験をしていきたいと思います〜よろしくお願いします〜 ではでは
投稿 Sammy | 2009年1月 6日 (火) 20時20分

▼コメント
Sammy さん、おめでとうございます。良いお正月だったことと思います。今年も歌ですね。歌はどんな時にも心のよりどころとなります。素晴しい1年をお過ごしください。孫を抱いて、何度も子守唄を歌ってやりました。一番多く歌ったのが、アイルランドの子守唄、それから、天満の子守唄でした。天満の子守唄ご存知ですか?ねんねころいち、てんまのいちで、だいこそろえて舟に積む〜今年もよろしくお願いします。ではでは
投稿 BOW | 2009年1月 6日 (火) 21時47分

▼コメント
「ねんねんころり〜よ・・・」なら何とか知ってはいるのですが、これは知りませんでした。検索してみました。「ねんねころいち 天満の市は 大根揃えて 舟に積む舟に積んだら どこまで 行きゃる 木津や難波の橋の下橋の下には カモメが 居やる カモメとりたや竹ほしや」しりとりのようになっている唄は覚えやすく、八百八橋と言われた大坂の当時の様子が、伝わってきます。 ーーー と記されていました。抱っこされて子守歌をですか〜!ニッコニッコ笑顔の初おじいさまですね。よいお年になること請け合います! 今年もよろしくお願いいたします>
投稿 Muチャ子 | 2009年1月15日 (木) 02時38分

▼コメント
Muチャ子 さん、おはようございます。今年も書き込み、よろしくお願いいたします(笑)。「天満の子守唄」は森山良子の歌で覚えました。音痴の妻の唄う子守唄を聞かさないように、森山良子の8トラカートリッジ(昔のカーステレオ)を息子に聞かせていて覚えたのです。昔の大阪の人は知っているようですが、メロディーはかなり違いますね。妻の母の歌うのを聴くとまるで別物です(笑)。しかし、歌詞はほとんど同じです。

鑑賞用の子守唄とあやすための子守唄は違いますね。竹田の子守唄、五木の子守唄、島原地方の子守唄、中国地方の子守唄などは観賞用で、江戸の子守唄、天満の子守唄などはあやす子守唄だと思いました。アイルランドの子守唄は歌詞を変えて Rio's Lullaby にして唄っています(笑)。
投稿 BOW | 2009年1月15日 (木) 08時31分


◆運命についてをUP 2009年1月10日 (土)

昨年孫娘が生まれ、この孫に強運を強く感じました。そのことがきっかけとなり 運命について まとめてみたくなりました。運命は、科学では取り扱えない現象ですが、偶然と考えるには余りにも必然のように思えます。自分の体験や見聞を中心にして、できるだけ素直に、合理的にまとめたつもりです。お読みいただければ嬉しいです。


▼コメント
BOWさんこんにちは〜寒い日が続いておりますがお元気でおすごしでしょうか。運命について 記事拝読いたしました。

一番印象に残っているのは、「したいことをする」のは生きる喜びの中で最大!というフレーズです!私は現時点の自分の運命を”いい感じ”と受け止めています。過去にはいろんな思いがあったことは確かです。「今」がよければ 運・不運も何がどうかというのは ないと 書かれているのと同じ心境です!

直感を高める方法も興味深かったです〜 そして何よりもご結婚が最も幸運と書かれていることに私も幸せな気持ちになります〜ではでは
投稿 Sammy | 2009年1月13日 (火) 15時20分

▼コメント
Sammy さん、こんばんは。寒い日が続きますね。「運命について」お読みいただき、ありがとうございました。簡単なまとめとなりましたが、私は力いっぱいで取り組んだような気がしています。久し振りに全力投球した満足感が残りました。

> 一番印象に残っているのは、「したいことをする」のは生きる喜びの中で最大!というフレーズです!
私の生きる意味がこれなんです。私だけではなく、恐らく誰もがそうに違いないと思っています。

> よりもご結婚が最も幸運と書かれていることに私も幸せな気持ちになります〜
お分かりいただけますよね、Sammy さん(笑)! 貴方も同じですよね!ご主人様によろしく、ではでは
投稿 BOW | 2009年1月13日 (火) 23時12分

▼コメント
満足感が残る・・・いい感覚ですね〜 そして、結婚が幸運・・・・私も同感です〜♪パートナーの存在の有難さは年々増す一方です!次回の記事も楽しみにしております。

さて、私は今月末に初のソロ(ピアノとのアンサンブル)のライブをするべく準備をしています。30席ほどのスペースのカフェなのですが、すでに予約満席という有難い状態です。いつか、BOWさんと奥様にもライブに来ていただけるように頑張ります!思いを歌(音楽)にのせて〜 いい空間を創れるようにしたいと思います。ではでは
投稿 Sammy | 2009年1月15日 (木) 16時08分

▼コメント
Sammy さん、こんばんは。寒いですね。梅田まで、毎夕アフタファイブ ウォーキングをしていますが、昨日今日は厳しかった(笑)。月末にソロライブですか、スゴイですね。頑張ってください、遠くから応援しています。成功(を祈ります!いつか、私たちにも聴かせてください。では、では
投稿 BOW | 2009年1月15日 (木) 21時36分


◆ドジBOW 5話 をUP 2009年1月21日 (水)

どういうわけか、私はドジ・チョンボなど滅多にしない人間と思われることがよくあります。しかし、実際はその反対で、人がしないような失敗を何度も重ねてきました。

そのような失敗談のいくつかをこれまでに載せてきましたが、今回それらをまとめて「ドジBOW 5話」として再掲しました。固い話が続きましたので、バカ話でおくつろぎ下さい(笑)。

2009年1月21日 (水) 日記・コラム・つぶやき | 固定リンク|コメント (4)

▼コメント
BOWさん 広島は雪の朝です〜さて、早速 5話まで一気に読ませていただきました〜

第一話 BOWさんが梅田まで走られているお姿を想像しました〜
第二話 そういえば お会いした食事の席でも奥様の左に座っていらっしゃいましたね〜ご自身のことを、こうしてお話してくださるのはユーモアがあり、余裕がおありだという証拠だと私は受け止めています〜ではでは〜
投稿 Sammy | 2009年1月24日 (土) 11時17分

▼コメント
Sammy さん、こんにちは 広島は雪ですか、こちらは曇りですが雪ではありません。ユーモアがあり、余裕があるなどとは違うんです!なぜか、完全の星の住人だと思っていたなんていわれることがあって、そんな悪いイメージを払拭しようと頑張っているだけです(笑)。

また、ちょっと小難しいことを始めています。過去の音声・映像データのデジタル保存です。今年はこれがメインになりそうです。ではでは
投稿 BOW | 2009年1月24日 (土) 15時10分

▼コメント
BOWさん2月になりましたね〜我が家の1階はお花屋さんですが、いつも一足早く季節を感じることができるのも嬉しいことのひとつです。さて、31日のライブを終えてほっとしています。 そのときの様子をカフェの方が掲載してくださいました〜 ご覧いただけると嬉しいです。私よりも夫のほうが主役みたいに写真がでています(笑) http://ameblo.jp/herstoryhouse/

昨日は 映画マンマミーアを観ました。アバの懐かしいナンバー BOWさんも歌われていたかなあ〜洋楽リストを確認させていただこう!ではでは
投稿 Sammy | 2009年2月 2日 (月) 11時12分

▼コメント
Sammy さん、こんばんは。ライブ大成功とのこと、おめでとうございます。しっかり、読ませていただきました。ご主人がUPで写っていて、Sammy さんは小さくて、あまりよくわかりませんでした(笑)。夫婦愛の見本とされたようで、良かったですね!!

マンマミアーは劇団四季で見ましたが、映画は近く見るつもりです。30日封切でしたが、ちょっといろいろあって、延び延びになっています。アバ世代とは違うのですが、聴き慣れた曲が心地よいですね。ではでは
投稿 BOW | 2009年2月 2日 (月) 23時32分


◆古き日のムービーをUP 2009年2月16日 (月)

今年は、所持している映像と音声のデータをデジタル保存することにしている。その中で、一番古い映像は1967年の結婚式と披露宴の8ミリシネフィルムの記録で、一番古い音声は、1978年の誕生日記念録音のカセットテープ記録である。これらの映像と音声のデータはデジタル保存のごく一部ではあるが、今から42年前の動く映像や30年前の歌声を眺め聴くと、強い感慨を覚える。

この「古き日のムービー」が、映像と音声のデジタル保存について興味を持たれるきっかけとなることがあれば、嬉しく思う。いずれ、詳細なまとめをこちらに掲載する予定にしている。

▼コメント
BOWさん今晩は〜 結婚式のご入場はSmileだったのですね〜 素敵ですね〜記録に残すって大切ですね〜

私は昨晩もライブでした〜 主人が新しいカメラ(CANON EOS 5D MarkUというのです)で動画を撮影してくれました〜カメラで動画とはすごい時代ですね〜これも記録に残るとは幸せものです 無事終わってほっとしているところです〜「古き日のムービー」をゆっくり拝見します。では、では・・・。
投稿 Sammy | 2009年2月20日 (金) 21時10分

▼コメント
Sammy さん、こんにちは!スマイルは昔から好きです。チャップリンと誕生日が同じことを誇りに思っています(笑)。高校生のころライムライトを観て、なんと美しいメロディを作ることができる人だと思いました。ライブで大活躍されているのですね!本格的なビデオが撮影できるEOSで、ご主人に記録を作っていただきお幸せです!!

私の方は、息子の0歳から3歳までの8ミリシネを編集して、DVD化したところです。BGMには、その年に思い出のある曲を選びましたが、楽しいです。今日はコーラスの練習日、2週間ぶりに大声を張り上げて来ました。ではでは
投稿 BOW | 2009年2月21日 (土) 14時15分


◆「時代先取り」をUP 2009年3月 9日 (月)

最近「時代先取り」の記事を読んだ時に、自分もかなり時代先取りをする方だと思って、一度それをまとめてみようかという気になりました。データのデジタル保存という大プロジェクトに関わってきましたが、ちょっと疲れたので息抜きをしようと思ったからです。

ところが、いったん始めて見ると、これが面白くてどんどん数が増え60項目になってしまいました。おまけに、画像も33枚付けてしまい、息抜き変じてくたびれもうけとなってしまった次第。

私には、良いまとめになりましたが、関心のない方には退屈至極の代物かも分かりません。写真を眺めるだけでも結構です。一度ご覧いただければ嬉しいです。「時代先取り」です。

2009年3月 9日 (月) 生き方 | 固定リンク|コメント (2)


▼コメント
BOWさん しばらく記事を書かれていないのでご旅行かな?などど思いをめぐらせておりました〜♪いやあ、最後まで一気に読み終えました(笑)

見たこのない機器がたくさんでしたが・・85年の表計算ソフト 「スーパーカルク、1,2,3」あたりから 使ったことのあるものが出てきて嬉しくなりました〜 86年社会人になり配属先の経理部で初めて表計算ソフトを使ったからです〜好きなことのために情報収集し、それを駆使されて活用されていてすばらしいですね〜 私もアンテナを張り巡らせようと思います!
投稿 Sammy | 2009年3月11日 (水) 17時39分

▼コメント
Sammy さん、こんばんは! お読みいただきありがとうございました。旅行でなく、データのデジタル保存に専ら頑張っています。ちょっと、疲れたので、骨休めと思って書いてみたら、どんどんエスカレートしてしましました。それでも、正味4日くらいでまとめたのですよ。86年だったら、世間では表計算はMultiplanだったと思います。その頃から表計算を使われていたのですね!スゴイ!

また、昨日からデジタル保存に戻っています。手持ちのVHS2〜30巻のデジタル化を何とか終えました。またのお越しをお待ちしています(笑)。
投稿 BOW | 2009年3月11日 (水) 23時19分


◆「2回目のコーラス・コンサート」をUP2009年3月30日 (月)

私がレッスンを受けているコーラスのコンサートが週末にあり、その関連記事を「2回目のコーラス・コンサート」のタイトルでUPしました。

その際に、PCMレコーダーでライブ録音をして、それを19トラック、73分のCDにまとめました。CDのラベルと、ケースの裏表紙を掲載しています。ご興味がおありでしたら、ご覧下さい。


▼コメント
BOWさん コンサート出演されていたのですね〜 わ〜 所属されている守口教室の楽曲は私の好きな曲ばかりです〜 来年は 直接聴きに伺いたいですね〜 是非お知らせくださいませ^^好きなことでの仲間は性別年齢など関係なくいいです〜 私も4月からのいろんなイベント楽しみながらやりますね Rolandのレコーダーも気になっているのです 是非情報をお願いします!ではでは
投稿 Sammy | 2009年3月30日 (月) 09時53分

▼コメント
Sammy さん、おはようございます!昨夜遅くにUPした記事をもう読んでくださったのですね、ありがとうございます。

>守口教室の楽曲は私の好きな曲ばかりです
それは良かった。年齢的には老人グループですが、皆歌好きで、声がきれいで、明るくて、楽しい方ばかりです。

CDお送りします。Sammy さんのようなセミプロクラスの反対にいるので、がっかりされるでしょうが、生録CD化の見本としてお聴きください。Rolandのレコーダーの情報というか、如何にすぐれものであるか、どのように使えるかなどを早急にまとめてUPしますね。ではでは
投稿 BOW | 2009年3月30日 (月) 10時34分

▼コメント
BOWさん おはようございます!今日は快晴の広島です〜近くの桜も見ごろで出かけるのも楽しいです〜  CD楽しみです^^ 嬉しい〜  コーラスのハーモニーいいですよね 4月になって新年度、新学期、新入社員と「新」の文字が多いこと〜 数年前までは自分もその組織の中にいて繁忙期を過ごしていました〜 現在、自分本来のペースで生活させてもらえることに感謝です 奥様との毎日の散歩もこの時期はまた格別でいらっしゃることでしょう ではでは
投稿 Sammy | 2009年4月 2日 (木) 09時46分

▼コメント
Sammy さん、こんにちは 大阪も今日は良い天気です。CDは今日には届くと思います。このPCMレコーダーの能力の判定材料として、お聴き下さいね。天候は良いのですが、まだ寒いのはどういうことでしょう。私は寒さに強いのですが、妻は寒がりで困っているようです。
投稿 BOW | 2009年4月 2日 (木) 14時34分

▼コメント
BOWさん おはようございます! CD昨日散歩から帰るとポストに届いておりました〜 ありがとうございました〜 ジャケットも素敵ですね〜 早速拝聴いたしました〜感想はまた別途いたしますね^^ 私は暑さにには弱いですが、寒さは比較的大丈夫ですね〜 歩いていると体が温まってきますよね 今日もよい一日でありますように ではでは
投稿 Sammy | 2009年4月 3日 (金) 08時17分

▼コメント
CD届いたようで良かったです。PCMレコーダーの能力如何ですか? 私はこれに惚れこみました。 Sammy さんも、暑さに弱く寒さに強いのですか、同じですね(笑)。ではでは
投稿 BOW | 2009年4月 3日 (金) 12時13分


◆大阪城の桜  2009年4月 5日 (日)

さくら日和の日曜日の午後、大阪城のさくら見物にでかけた。大川沿いのさくらも満開で、さくらの樹の下はすべて人の集まりで占められている。椅子、テーブル持参のグループも多い。重箱を拡げる組、インスタント食組、店屋物組、バーベキュー組のほかに鍋料理組もいて、花を楽しんでいるというよりは、パーティーを楽しんでいるのだと思われた。私たちも、花を見るより、その人たちを眺めて楽しんだ。

この花見見物では、ふだんのウォーキングでは耳にしないことばが聞こえてきた。例えば、ある若者が連れの女の子に「こんなきれいな花が見れて、日本に生まれて幸せやなぁ〜」と言っている。オイオイ、ほんまかいな(笑)。

くたびれた感じの老人が若者に話している「目的と手段を明確にしなければ、、、」。そんなこむつかしいことを言ってるから、陰気な顔になるのと違うか?

中年男性同士が話している「実は、妻が膵臓ガンで、片一方の腎臓に転移をしていまして、、、」相手はしずかに相槌を打っているが、さくら見物でする話と違うんやないか?

大阪城の西の丸公園の手前で、外人の若いカップルが写真撮影をしていた。純白のドレスは新妻に違いない。近づいてみると英語を話しているようだ。かなりの美人である。人物が特定できない程度の写真を載せて置く。

大阪城西の丸公園を全周を歩いたことがなかったが予想以上に広い。ここもさくらは満開で、さくらの樹の下でパーティーをしているが、ここでは椅子もテーブルも、バーベキューも鍋料理も見られなかった。マナーも良くて、ゴミは1箇所にまとめてある。入場料が要るところで花見をする人は、大川沿いの人たちと違うところがあるのだろうか。

さくらの花の間から見る大阪城は風情があった。

▼コメント
BOWさんおはようございます!
昨日は優しいお言葉ありがとうございました〜 さて、お花見をしている方たちの会話集(?!)思わず クスッと笑ってしまいました〜 桜効果かもしれませんね  私たちも昨日平和公園界隈を散歩しました。お花を見るより、人を見るほうが楽しかったです〜 主人もカメラ持参でしたが、何をとっているのかとおもいきや、お花見客が残したごみの山です(笑)証拠写真でしょうか??ドレスのカップルの写真 遠目でも絵になりますね〜大阪城も素敵です〜お城と桜は似合いますよね
投稿 Sammy | 2009年4月 6日 (月) 08時14分

▼コメント
Sammy さん おはようございます。Sammy 家もお花見されましたか、久し振りの良い天気でしたね。

我が家と同じく、花より人を見られたとは愉快です。ヒューマン・ウォッチングは楽しいですね。ゴミの山を撮影されていらっしゃるご主人、やはり学究的です。大阪城公園でフリスビーをしている家族にしばらく見とれていました。父親と娘2人は上手で、母親だけが失敗をなんどもくり返すのですが、楽しそうで何ともいえない良い雰囲気でした。写真のご感想ありがとうございました。花より人間、花より城、ヘソ曲りでしょう!
投稿 BOW | 2009年4月 6日 (月) 09時31分

▼コメント
> 花を楽しんでいるというよりは、パーティーを楽しんでいるのだと思われた。私たちも、花を見るより、
> その人たちを眺めて楽しんだ。
お花見の定番、それを見て楽しまれるお二人、余裕ですね!。

>さくらの花の間から見る大阪城は風情があった。
今が一番いい季節ですね!お散歩にも絶好の日和、ご様子が見えるようです。写真も大阪城がはっきりと写っていてきれいでした。ラテン系とおぼしき新婚さんは、二番煎じという感じもしながら、さまになっていましたね(笑)。日本人ではこういうスタイルはあまり見かけませんね。
投稿 T-ba | 2009年4月 6日 (月) 13時32分

▼コメント
T-ba さん、コメントありがとうございました。花を見るのなら、エブリ・サンデーの私どもはウィークデーに出かければ良いわけで、余裕というより、やっぱり野次馬根性があるのでしょうね(笑)。

大阪城公園といえば安保闘争でここに集結したことを思い出します。アンポハンタイ、キシヲタオセ!でした。ここは覚えていたよりも広く、入場券には1万坪とありました。府庁は太閤さんゆかりの一等地にあることがよく分かりました。ちょっと移転は無理でしょうね。

> 日本人ではこういうスタイルはあまり見かけませんね。
 フィレンツェで同じようなことをしていた日本人を知っています(笑)。
投稿 BOW | 2009年4月 6日 (月) 16時39分

▼コメント
満開の桜にかこまれて、大阪城が一段とりっぱにみえます(^^) カップルも満開にあわせたのでしょうか 「お花見」って、桜の花だけに当てはまるのかな?とヘンなことかんがえてしまいました。
投稿 musi | 2009年4月 7日 (火) 02時36分

▼コメント
musi さん、おはようございます。相変らずの深夜のタイムスタンプ、恐れ入ります(笑)。

> 大阪城が一段とりっぱにみえます(^^)
チョット大阪城を見直しました。なかなかカッコエエヤン!お花見の花がさくらなのは、日本人の民族性なんでしょうね!?
投稿 BOW | 2009年4月 7日 (火) 08時47分


◆はじめてのライブCD制作をUP 2009年4月 7日 (火)

3月末に行なわれたコーラス・コンサートに、PCMレコーダーR-09HRを持参してライブ録音を行い、この録音を編集して、はじめてのライブCDを制作しました。そのCDをレッスンをしていただいている先生やコーラス仲間に進呈しましたが、大方の好評を得ました。

そこで、この制作に使った技法を「はじめてのライブCD制作」のタイトルでまとめてみました。これはあくまでも、記憶力低下の著しい自分のための備忘録が目的ですが、PCMレコーダーやCD制作を考えていらっしゃる方の参考になるところがあるかも分かりません。ご興味がおありの方はご覧下さい。大きいサイズの画像を20枚以上使っています。


◆「金沢美大とミステリアス・ディナー」をUP 2009年4月16日 (木)

4月11日の夜、私たち夫婦のために、金沢美大同期生が連携で素晴しい「ミステリアス・ディナー」を演出して下さいました。

お二人の同期生画家への感謝の気持を込めて、その一部始終をまとめて、「金沢美大とミステリアス・ディナー」のタイトルでUPしました。7枚の大きな写真を付けています。ご覧下さい。


▼コメント
BOWさん1ヶ月のご無沙汰となりました〜  ごめんなさい 
ミステリアス・ディナーを読ませていただいて サプライズ感あふれるワクワクした感じがいいですね〜 割り箸とおしょうゆでの似顔絵・・・粋ですね!「弘法筆を選ばす」・・ということですね〜素敵でアカデミックなお友達をお持ちなのですね〜

私は昨日までライブが続いており、やっと区切りがつきました〜♪コメントできるようになりました 来週の結婚式での歌の仕事の後、主人とドイツに帰ってきます〜
投稿 Sammy | 2009年5月 7日 (木) 14時19分

▼コメント
Sammy さん、お久し振りです。充実した日々をお過ごしだったのですね!ミステリアス・ディナーを読んでいただき、ありがとうございます。

私のリビングにある4枚の絵の2つが、堀口さんと明石瞳さんの作品で、どちらも大好きです。ドイツは今 Wundershoenen Monat Mai ですね、どんなにか美しいことでしょう。お優しかったお義父さまのお墓参りをされるのですね。ご主人様と思いっきりお義父さまの思い出に浸ってきてください。ではでは
投稿 BOW | 2009年5月 7日 (木) 14時51分


◆「中之島のBOW」の写真を変更 2009年5月16日 (土)

Webサイト「中之島のBOW」の最終更新からちょうど1ヶ月が過ぎました。「交野の野村医院」を「中之島のBOW」に変えて以来、更新が月に1回というのは数えるほどしかありません。しかし、活動はこれまでと変わりなく、デジタル保存を中心に、新しく生まれたしたいことにも集中的に対処しています。いずれ、それらをまとめて発信しようと考えています。

ちょっと、骨休めのつもりで、Webサイトの写真を取替え、トップページのレイアウトも変えてみました。写真はマンションの西面からの眺望で、08年12月14日10時13分撮影したものです。この日は空気が澄み切っていて、はるか明石海峡大橋まで望見できました。

その部分だけを拡大表示した写真をご紹介します。左側の山並みは淡路島側、右側は神戸垂水側で、その間に明石海峡大橋の主塔とつり橋が見えます。


◆インフルエンザとマスク 2009年5月23日 (土)

私たち夫婦は午後5時前後からマンションを出て、梅田までウォーキングするのを日課としています。雨の日を除けば、もう1年半以上続いているから、もうこれは立派な習慣と言えるでしょう。

最近は白マスクで変装した人間に多数出くわすようになりました。一種異様な風景です。もちろん、新型インフルエンザの感染を恐れて、自衛手段としてマスク着用をしているのでしょう。

これほどたくさんの白マスクに毎日遭遇していると、マスク着用はどのくらいの割合なのかという興味が出てきました。そこで、紀伊国屋梅田店の文房具売り場で、手動式カウンターを購入し、実際にマスク着用率を計測してみました。その方法として、自宅から梅田までウォーキングする間に、すれ違った人の数とマスク着用者の数を測定してみました。

第1回計測:2009年5月20日(水)
中之島(なにわ橋北詰)から梅新交差点まで 100人中35人=35%
梅新交差点から曽根崎警察署横の地下道入口まで 100人中45人=45%
平均すると、200人中80人で、40%となります。

地下街やデパ地下では人数が多く、他方向に人の流れがあるため、計測困難でしたが、マスク着用率は50%を越えるでしょう。

第2回計測:本日2009年5月23日(土)
中之島(なにわ橋北詰)から梅新交差点まで 50人中9人=18%
梅新交差点から曽根崎警察署横の地下道入口まで 90人中34名=38%
平均すると、140人中43名で、31%となります。

全体で10%ほど着用率が減ったのは、1)土曜日でサラリーマンやOLが少ないせいか、2)マスクの入手が困難になったためか、3)インフルエンザ予防としてのマスク効果をあまり期待しなくなったせいか、4)大阪府下の学校の一斉休校が解除になったためか、いずれにしても興味のある現象です。


▼コメント
マスクの数をカウント!記録魔でもいらっしゃるのは承知でしたが、驚きました(笑)。大阪は特に患者数が多いようですが、40%以上のマスク率というのは歩いていて一種異様でしょうね。
投稿 T-ba | 2009年5月25日 (月) 09時32分

▼コメント
T-ba さん こんにちは!記録魔ですか? そうかもしれませんね(笑)。直感を大事にする人間ですが、定量的に計測できるものは、アバウトでもよいから、そうしようとしてきました。若いOLやサラリーマンはほとんどが黒ずくめですね。梅田界隈では、その黒服が集団で歩いて来るのによく遭遇します。異様、不気味な感じです。
投稿 BOW | 2009年5月25日 (月) 12時01分

▼コメント
BOWさん 無事にドイツから帰国いたしました〜 父の葬儀を終えて、寂しさは消えることはありませんが、大好きなモーツアルトの曲で送ることができてよかったと思っています。ひとつ区切りがついた感じです 遺灰を墓地に埋葬する儀式の際、一羽の蝶が儀式が終わるまで墓石の後ろにとまっていました〜 後でその蝶をみたのは、姉夫婦と私たち夫婦だけであったと分かり、きっと母だねと話しました。最後まで両親から素敵な思い出をもらった感じがします 私たちは、父が愛用していたHORNER社のハーモニカを遺品として持ち帰りました。額縁に入れて飾りたいと思っています。

さて、マスク着用には私も一言申し上げたく(笑)出発の当日マスク着用をしているのは 空港では 4〜5割りの人のようでした。 私たちは念のために購入はしていましたが、行きは着用しませんでした〜機内では、日本人はほとんど着用していましたね 異様な感じをうけました。 ドイツでは、新型インフルエンザのニュース自体がおまり大きく取り上げられていませんでした 帰国して、健康状態のアンケート、チェックと問題なく通過・・。関空では さらにマスク着用者が増えてました フランス人の団体の人たちもマスクをしていました。 それにしてもいろんなマスクがありますね〜 私たちはJRはるかを降りるときに着用をしました。なんと主人は人生で初めてのマスク着用でした。 今週は念のため人込みをさけてゆっくりしております。
投稿 Sammy | 2009年5月26日 (火) 14時08分

▼コメント
Sammy さん、お帰りなさい!無事お義父様のご葬儀を終えられ、気持が少し落ち着かれたことと思います。モーツアルトのレクイエムで送られたのですか、最高の葬送の曲ですね。蝶のお話、天の配剤だと思いました。世の中には不思議なことがありますね。ハーモニカ懐かしいです。小学6年の頃ハーモニカバンドに入っていました。

マスクが流行っています。私は32年間の開業生活で、マスクを着けたことはほとんどありません。自分が風邪をひいて咳が激しい時に1〜2回したことがあるかもしれないのですが、記憶にありません。それでも病気で診療を休んだことは一度もないのです。
投稿 BOW | 2009年5月26日 (火) 23時23分

▼コメント
BOWさん今日から6月ですね!蝶の話・・・”天の配剤”と感じてくださったのですね。ありがとうございます 絶妙なタイミングで自分の周りで日々多くのことが起きていて、それを"自分”というフィルターを通して映し出しているのでしょうね。それをどう受け止めて生きるのかで人生が幸にも不幸にも感じられるのではないかと改めて思いました〜

BOWさんハーモニカバンドに所属されていたのですか〜 音色、私とても好きなんですよ! 今月もどんなことが起きて、それを自分のフィルターがどう映しだすのか楽しみです 今週金曜日から上京します。阿修羅展に足を運ぶ予定です では、では〜
投稿 Sammy | 2009年6月 1日 (月) 08時20分

▼コメント
Sammy さん、おはようございます 

> 絶妙なタイミングで自分の周りで日々多くのことが起きていて、それを"自分”という
> フィルターを通して映し出しているのでしょうね。
> それをどう受け止めて生きるのかで人生が幸にも不幸にも感じられるのではないかと
> 改めて思いました〜

まったく同感です!阿修羅展に行かれるのですか、阿修羅がどうしてあのような優しくて寂しそうな顔なんでしょうね?

先日、ピカソとクレーの生きた時代を見てきました。ノルトライン=ヴェストファーレン州立美術館が改装中のため、こちらで公開されたのでした。そこで、ナチスドイツがクレーに対して迫害したことを詫びるため、クレーの作品を可能な限り蒐集していることを知り、ドイツ人の素晴しさに胸が痛くなりました。いつまでも過去の過ちを忘れず、贖罪を続けようとする心は日本人には少ないものです。
投稿 BOW | 2009年6月 1日 (月) 10時14分

▼コメント
BOWさん 同感いただいてとっても嬉しいです〜ありがとうございます〜阿修羅様に会いに行きます〜そのお顔も見る人によっても様々な表情に感じられるみたいです〜 ”懺悔”の気持ちを表現しているといわれていますね  しっかり、ご対面してきます クレーは、私たちも好きな画家です・・というか主人が好きで、彼と知り合って知った画家です。過去の過ちを”過去”のものとせず、今できる償いをするというスタンスからでしょうね〜 時代が繋がっていることを感じます
投稿 Sammy | 2009年6月 1日 (月) 18時40分

▼コメント
Sammy さん

> 過去の過ちを”過去”のものとせず、今できる償いをする
それができるから人間なんだと思いました!
投稿 BOW | 2009年6月 1日 (月) 21時03分


◆新しいパソコン保全システム をUP 2009年6月 1日 (月)

今日から6月ですね。気になって中之島のBOWを覗いたら、5月は1度も更新をしていないことを知り、慌てて「新しいパソコン保全システム」をまとめてUPしました。といっても、やっつけ仕事ではなく、かなり時間をかけたものです。

バッチファイルについては、Web検索で見た限りでは複雑難解、非実用的なので、できるだけ分かりやすく、実用的であるようにまとめました。それでも、わけが分らん、オモロウナイと思われることは間違いないでしょう(笑)。私の備忘録のつもりでまとめたものなので、お許しください。


▼コメント
ごめんなさいm(__)m
携帯からのテストでがんす(:_;)
投稿 | 2009年6月13日 (土) 02時55分

▼コメント
お名前書き忘れさん、コメントありがとうございます。
2008年1月17日 (木)「今年は音楽に傾くかも」の記事に対して、コメントのいくつかを、ウィーンやベルリンから携帯で書き込みました。FOMA 905i でしたが、通話はもちろん、Webサイトを見ることも、メールの送受信もできましたよ。スゴイ時代になりましたね。また、コメントください!
投稿 BOW | 2009年6月13日 (土) 08時58分


◆水の都 大阪vsベニスをUP 2009年6月15日 (月)

先日「安藤忠雄建築展 2009 対決。水の都 大阪VSベニス」を見てきました。そこで知ったこと、感じたこと、調べたことなどを、記憶のうすれない間に書き留めたものです。8枚の画像とYouTube投稿動画へのリンクも付けておきました。

この動画は面白いですよ。ご覧ください。


▼コメント
BOWさん梅雨らしい週明けですね〜お元気でしょうか〜ベニスとあって、反応しました(笑) 私の大好きな街だからです〜 20歳のときに訪れて以来、いつか主人と一緒に行きたいと思いながら今に至っています 

「リトルロマンス」という映画をご存知でしょうか  その映画の大切な場所がベニスなんです!その映画を10代で見て、いつか行ってみたい場所のひとつになっていました〜 大阪VSベニス・・・「VS」しなくても・・いい感じがします どちらもそれぞれに素敵ですね

さて、私は来月のGOSPELユニットライブに向けてリハを重ねています。今週末は尾道で合宿です  尾道も水の町です!思いつくままのコメントですみません ではでは
投稿 Sammy | 2009年6月22日 (月) 18時16分

▼コメント
Sammy さん今晩は!ベニスは大好きな街なんですね!私たちもそうなんです。1992年 銀婚の記念に、はじめて海外旅行して、最初に足を下ろしたところです。信じられない光景でした。着陸前の深夜に、小型飛行機から見たベニスは例えようもなく素晴しかった。だけど、それを記録に残せていないのが残念です。

「リトルロマンス」は知らなかったのですが、あらすじを読みました。少年少女の恋物語のようですね。私たちの知っているベニスの映画は「旅情」です。こちらは、中年男女の恋物語ですが、未練たらしくないところが爽やかです。「Summetime In Venice」ご存知ですよね!

大阪中之島地区は、府、市、民の協力で急速に良くなりつつあるような気配です。秋以降はだいぶ変わりそうです。ゴスペルの練習に精を出されておられるのですね、頑張ってください。
投稿 BOW | 2009年6月22日 (月) 21時31分

▼コメント
BOWさんご夫妻と大好きな街が同じでとても嬉しいです!

>それを記録に残せていないのが残念
深夜、しかも上空からだとまた、格別なのでしょうね。天の川みたいな感じなのかなあ〜  ”記録”を残すことがお好きなBOWさんにとっては、残念と感じておられるのですね 

私には、”心という記憶”装置?!で、しかも、奥様とのみ お二人で共有できる思い出は特別な感じがします!Summetime In Venice・・なんとなく知っています!10代の青春時代に見た映画です!ロマンティックな恋に憧れる時期ですね〜私も「旅情」のほうがしっくりくる年代になりました~では、では
投稿 Sammy | 2009年6月26日 (金) 09時40分

▼コメント
Sammy さん、仰るとおりなんです。今も時々深夜に空からみたヴェネチアのことを話題にすることがあります。”心という記憶装置”の記憶は、ビデオよりも大切です。そのことを教えてくださり感謝しています。

ただ、心の記憶は、年月とともに薄れたり、変っていくもので、そちらの方が正しいのかも分かりませんし、どちらかを選べといわれれば、物理的な記録よりも心の記憶の方をとりますが、客観的記録も、面白いものですよ!
投稿 BOW | 2009年6月26日 (金) 20時54分


14◆PCファイルの階層構造をUP 2009年6月26日 (金)

久し振りに大きな仕事をした気分です。私は疑問が解けて満足していますが、他の方には欠伸の出そうなお話かも分かりません。よろしければ、お読み下さい。

2009年6月26日 (金) パソコン・インターネット | 固定リンク|コメント (2)


▼コメント
BOWさん 今日は七夕ですね〜お天気が気になるところです 

さて、PCファイルの階層構造拝見・・というよりとても理解にまでは、、、申し訳ない次第です。こんなだからものごとを探究したり、深く考えることが苦手なのかもしれません。

直感とひらめきでは補えないものがありますね〜いろんなもののしくみを知ると物ことを深く理解できるのでしょうね〜BOWさんは直感も大事にされるし、論理的な探究心やその見識も兼ね備えていらっしゃる。バランスの大切さを痛感!がんばります! ではでは
投稿 Sammy | 2009年7月 7日 (火) 16時12分

▼コメント
Sammy さん、こんばんは こちらでは星空とまでは行きませんが、雲も少なく、七夕祭をしているこどもさんは喜んだことでしょう。

ややこしい文に目を通していただき、ありがとうございました。申し訳ありません。私は組み立てるとか、構築するということが昔から好きなんです。あの文も工作物のようなものです。しかし、いろいろ理屈をつけて物を考えるのは苦手というより嫌いです。だから、たいてい直感で決めてしまいます。Sammy さんと同じですよ(笑)。ではでは
投稿 BOW | 2009年7月 7日 (火) 22時06分


◆北欧4国旅行 2009年7月18日 (土)

明日から北欧4国へ旅行するので、日程を書いて置きます。

19日:関空発
20日:ヘルシンキ(フィンランド)
21日:ストックホルム(スウェーデン)
22日:ヤイロ(ノールウェイ)
23日:ベルゲン(ノールウェイ)
24日:ベルゲン(ノールウェイ)
25日:オスロ(ノールウェイ)
26日:ヨーテボリ(スウェーデン)
27日:コペンハーゲン(デンマーク)
28日:コペンハーゲン(デンマーク)
30日:関空着


▼コメント
わ〜BOWさん 今日から北欧4カ国の旅なんですね〜素敵です〜♪私はヘルシンキに昨年初めて行きました。とっても気に入りました〜 また、旅のご感想のレポ楽しみにしています〜Gute Reise!
投稿 Sammy | 2009年7月19日 (日) 09時49分

▼コメント
Sammyさん、コメントありがとうございました。時差は6時間遅れで、今ヘルシンキのホテルにいます。下痢をして妻が心配していますが、私はすこぶる元気です。北欧をエンジョイしてきます。ではでは。
投稿 BOW | 2009年7月20日 (月) 10時38分

▼コメント
下痢をしたのは私で、鬼の撹乱です。(笑)
投稿 BOW | 2009年7月20日 (月) 10時45分

▼コメント
BOWさん ヘルシンキに到着ですね〜お返事をkiitosです!鬼の撹乱・・・・ お腹の調子いかがですか〜奥様がご心配されるお気持ちわかります〜 旅ははじまったばかりです。どうか、回復されていることをお祈りしています〜
投稿 Sammy | 2009年7月21日 (火) 10時04分

▼コメント
Sammyさん、もうすっかり回復して元気です。ヘルシンキは予想以上に素晴らしいところです。昨日はストックホルム、今日からノルウェーです。存分にエンジョイしています。ではでは!
投稿 BOW | 2009年7月22日 (水) 22時15分

▼コメント
無事帰国しました。10名のツアーなので、同年輩の方ばかりと思っていたら、私たち夫婦が一番年寄りです。若いご夫婦は14歳も年下でした。

帰宅して、簡単な片づけを済ましたところへ、留守番を頼んだ孫娘家族がやってきて、2週間ぶりに孫娘の成長ぶりに驚き喜びましたが、少し疲れたのも本当です。やはり、年齢は正直です。

北欧は、予想していた以上に、私にとっては魅力的した。近いうちに北欧4国に対する、私のまとめ(総括)をWebサイトに記録を残しておきたいと思っています。その時は、再度ご紹介しますので、お読みいただければ、幸甚です。
投稿 BOW | 2009年7月30日 (木) 22時13分

▼コメント
お帰りなさいませ!お疲れ様でございました。ご無事で何よりでした。日本はまだ梅雨明け宣言にもならず、ムシムシじめじめの夏ですが、北欧はさぞかし素晴らしかったことと拝察しています。HP掲載、期待しています。
投稿 T-ba | 2009年7月31日 (金) 11時21分

▼コメント
T-ba さん、おはようございます。始めに下痢をしたので、妻は例のちょっとしたパニック状態になりましたが、すぐに治ったので、旅を存分にエンジョイできました。まだ梅雨明けではないのですか! ビックリしました。北欧は暑さをほとんど感じることがなかったのですが、天候は非常に変わりやすく、晴れ間が続くのはまれでした。私はノールウェイが一番好きになりました。HPに書きたいと思っています。また、お読みくださいね。
投稿 BOW | 2009年7月31日 (金) 12時04分

▼コメント
BOWさん ご無事でご帰国とのこと お帰りなさいませ〜♪10名のツアーこじんまりして いいですね〜 レポート楽しみにしています!
投稿 Sammy | 2009年7月31日 (金) 16時54分

▼コメント
Sammy さん、こんばんは。帰って参りました。毎晩ベッドに入るや否や熟睡し、5時に目が覚めるのが続きました。昔なら、眠る間もなく、翌日の下調べをしていたのですが、やはり年かも知れません(笑)。これから、旅をまとめて報告しますね。
投稿 BOW | 2009年7月31日 (金) 19時29分

▼コメント
(O_o)WAO!!! さっそく拝見いたいしました!すばらしい写真の数々とくわしい説明に堪能し、まるで見てきたような 気分になりました。楽しい時間をありがとうございました。
投稿 musi | 2009年8月 9日 (日) 14時22分

▼コメント
musi さん、こんばんは!お久し振りです。お元気だったのですね、安心しました。北欧はご覧いただいたように南欧にない文化があり、精神的に大事なところだと分かりました。私は自分がラテン80%、ゲルマン20%の傾向にあるのではないかと最近思い出したのですが、そ20%がスゴク大切なように思うようになりました。お分かりいただけないでしょうね(笑)
投稿 BOW | 2009年8月 9日 (日) 21時05分


◆北欧4国の旅をUP 2009年8月 8日 (土)

7月19日から30日まで、北欧4国に旅行しました。北欧は予想していた以上に素晴しいところでした。その中でもノルウェーとフィンランドは魅力一杯、感動一杯でした。

その旅の記録を146枚の写真でまとめましたので、ご覧ください。


▼コメント
BOWさん北欧4国旅行記 主人と一緒に、拝読いたしました!! ヘルシンキでの数々のお写真は、私たちも懐かしく〜特にテンペリアウキオ教会は印象深かったです。そして、ノルウェーでは、中学生の頃の書籍を大切にお持ちなのにびっくりです!ナンセン伝、コンティキ号漂流記・・・主人も読んだことがあると 内容を教えてもらいました〜 冒険記は、夢とロマンがあるのでしょうね〜 BOWさんと主人はお話が合うのだろうなあ〜と思いました!

感動的な旅の後のご自宅、大阪が好きと感じられているお気持ち・・・旅はそういった自分にとっての大切なことを確認させてくれることにも大いに助けとなるのですね〜私たちもBOWさんご夫妻に習い?!次なる旅の計画をしております ではでは 
投稿 Sammy | 2009年8月10日 (月) 17時11分

▼コメント
Sammy さん、こんばんは  お読みいただきありがとうございました。テンペリアウキオ教会とスターブ教会はどちらも初めて見る形式の教会でした。モダンとプリミティブですが、どちらもシンプルで機能的で、コケオドシでない温かみがありました。

ナンセン伝、コンティキ号漂流記をご主人も読まれたことがあるのですか、愉快ですね。今取り出してみて、あまり記憶に残っていないのですが、中学のころは夢中になっていた記憶があります。

自分はラテン気質の人間だと思っていたのですが、最近ゲルマン的なところも20%くらいはあるような気がしています。年をとると余計その傾向が増すようなので面白いです。中学のころの悩みはヘッセのデミアンで、高校ではシューベルトの冬の旅で解放されました。どちらもゲルマン系ですね。ご主人ともお話があうような気がしてきました。次はどちらへ行かれますか?ではでは
投稿 BOW | 2009年8月10日 (月) 21時11分

▼コメント
逃亡中でして、お久しぶりで〜す。HPは訪問しては沢山の画像に驚いたり覚えたい文章をプリントさせていただいてます。ブログ繁盛してる様子をみるたび嬉しく思っています。まさにエンジョイされているご活躍に乾杯!
投稿 Muチャ子 | 2009年8月16日 (日) 04時54分

▼コメント
Muチャ子さん、ほんとにお久し振りです!! お元気でしたか?HPをご覧いただいたのですね、ありがとうございます。 まだオマケをもらえて、これ幸いと、一生懸命エンジョイしています(笑)。またのお越しをお待ちしていま〜す。
投稿 BOW | 2009年8月16日 (日) 08時42分


◆ホームページの大掃除 をUP 2009年8月19日 (水)

96年8月15日に「中之島のBOW」の前身である「交野の野村医院」のホームページを開設しました。

この日の記念にサイトの大掃除を思いつき、正味3日をかけて行ないました。削除した記事数74、更新暦の改変、サイトマップを使いやすくする工夫などを行い、サイト内の記事を見つけやすくしたつもりです。

その一切をまとめて「ホームページの大掃除」のタイトルでUPしました。ご覧ください。 2009年8月19日 (水) サイトとブログ | 固定リンク|コメント (0)


◆旅行記を二つリニューアルしました 2009年8月24日 (月)

HPの大掃除をした機会に、昔の旅行記を見てみると、2001年ものは、サムネイルの小さな画像から、大きな画像を自分で選び出す方式になっています。これは、作った本人でも面倒くさくて、見る気になれません。

当時は、進んだところでもISDNだったので、大きな画像を全部表示するなどにすれば、轟々たる非難を浴びたものでした。だから、小さな画像から判断して、見たいものだけを選ぶとういうのが、良識のある者の作るホームページでした。

情報技術の進歩はものすごく早く、今回「ハワイ珍道中」と「エーゲ海クルーズ」を、大画面で直接表示できるようにしました。これだけでも、リニューアル効果ははっきり出ています。作った本人がそう思うくらいなので、ご興味があれば、ご覧下さい。


◆旅行記の改訂版をUP 2009年9月 1日 (火)

2000年にロンドン・パリを旅行した際に、映像記録はほとんどビデオで行い、そのまま手をつけずにいました。今回9年ぶりにビデオから静止画像を取り出し、旅行記に載せました。

文章にはほとんど手を加えていませんが、まったく画像がなかったものに、77枚の写真を加えたので、リニューアルというより、リメークというべきだと思います。

デジカメとは違って、動画から適当な画像を取り出すのは、かなり面倒です。その割に画質はあまり良くないのですが、画像があるとやはり説得力があると思います。

ロン・パリやぶにらみ道中記(改訂版)として、掲載します。ご覧ください。


▼コメント
BOWさん ご無沙汰している間にホームページの大掃除、旅行記のリニューアルと整理整頓されていらっしゃる・・・

やぶにらみ道中・・・タイトルが面白い!ご旅行の目的地+タイトルに引かれて読ませていただいています!私たちは今月11日から21日までの予定でオーストラリアに行ってきます。

私はその前日 ライブがあります。半年ぶりのライブハウスなので、今から緊張気味です。また、戻りましたらご報告しますね では、秋の始まり〜 奥様とのお散歩も心地よい風を感じられているのでしょうね ではでは
投稿 Sammy | 2009年9月 4日 (金) 10時26分

▼コメント
Sammy さん、こんにちは!ご覧の通り、大掃除やリニューアルで忙しくしています(笑)。

オーストラリアに行かれるのですね、ニュージランドとの違いなど、お聞かせください。半年ぶりのライブ、頑張ってください。きっと心地よい緊張状態でいらっしゃるのでしょう。散歩中の風も、少しづつ爽やかになってきています。

昨日から阪急デパートがリニューアルオープンしました。雑踏があまり苦にならない私たちでも、いささか辟易しました(笑)。旅を存分にエンジョイしてきてください。ご無事をお祈りしています。 ではでは
投稿 BOW | 2009年9月 4日 (金) 13時34分


◆ブダペスト・ウィーン オペラ鑑賞の旅 2009年9月29日 (火)

30日から7日まで、小澤幹雄さんと行くオペラ鑑賞の旅で、ブダペスト、ウィーン、ザルツブルグへ参ります。小澤征爾さんの、ウィーンオペラ座の音楽監督としての最後のシーズンとなるので、参加することにしました。初めて行くブダペストが楽しみです。

30日午前7時40分に成田集合なので、今日は成田に前泊します。成田発はこれを最後にしたいものです(笑)。


▼コメント
只今ブダペストのホテルに入りました。時差は7時間なのでまだセプテンバーです。明日は思い切りブダペストをエンジョイしたく思っています。
投稿 BOW | 2009年10月 1日 (木) 03時52分

▼コメント
今は午前9時30分です。ブダペストからウィーンに向かっています。ブダペストは想像していたよりも素晴らしいところでした。もう一度ぜひ来て見たくなりました。オペラも予想を越えるもので感動!ドジもしっかりしてきましたが、こちらは帰ってからご報告しますね。
投稿 BOW | 2009年10月 2日 (金) 16時42分

▼コメント
昨夜はウィーン国立オペラ座でスペードの女王を鑑賞しました。あまりにも現代化された演出に戸惑うところもありましたが、フィナーレには静かな感動が残りました。今はウィーンからザルツブルグに向かう列車の中です。
投稿 BOW | 2009年10月 3日 (土) 17時06分

▼コメント
昨日はザルツブルグの旧市街、新市街を見物。天候に恵まれ良い映像が撮れました。今日はサウンド オブ ミュージックの舞台となったザルツカンマーグートを眺めました。天候は最高、美しい景色に惚れ惚れです。 今は一路ウィーンに向かっています。アウトバーンを走るバスの中でこれを書いています。
投稿 BOW | 2009年10月 4日 (日) 21時43分

▼コメント
BOWさん ブタペスト・ウィーンの旅にでていらっしゃるのですね〜 旅先からのメッセージを読んでびっくりです^^ オペラを満喫されていらっしゃるのですね〜私はまだ、旅の整理ができていないまま仕事や歌のイベントといった状況です。小さなお土産(本当に小さな)お帰りになるころにお届けするようにしています。引き続き旅を楽しんでくださいね ではでは
投稿 Sammy | 2009年10月 5日 (月) 18時51分

▼コメント
Sammyさん、お久しぶりです!!オーストラリアに行かれたのでしたね?私たちはオーストリアです。今夜は最後のオペラ鑑賞でエフゲニ オネーギンです。ではでは
投稿 BOW | 2009年10月 5日 (月) 23時35分

▼コメント
今成田につきました。やはり日本は良いです!!
投稿 BOW | 2009年10月 7日 (水) 08時55分

▼コメント
7日に成田に着いたら、大型台風が上陸寸前とのことで、仰天。1日遅れていたら、大変な目にあうかもしれなかったと、幸運に感謝しました。その上、台風の近畿直撃は免れ、重ねてラッキーでした。ボチボチ、旅の整理を始めようと思っています。
投稿 BOW | 2009年10月 9日 (金) 08時28分

▼コメント
台風をさけお天気に恵まれ楽しい 「ブダペスト・ウィーン オペラ鑑賞の旅」ポーズが発揮できたのではないでしょうか(o^-^o) お帰りになられて・・・UPをおまちしていま〜す 決してドジ話を期待しているわけではありません!?え?信じられない、、、やっぱり(^^)
投稿 musi | 2009年10月12日 (月) 23時24分

▼コメント
musi さん、こんばんは!ご明察どおり、楽しい旅でした。その疲れも取れない間に11日12日と医師会の会員親睦旅行に、妻と参加したので、かなり疲れてしまいました。UPちょっと遅れるかも分かりませんが、きれいな映像を一杯、ドジも少しだけスパイスに加えるつもりなので、お待ちくださいね(笑)。
投稿 BOW | 2009年10月13日 (火) 00時08分


◆ハンガリー・オーストリア オペラ鑑賞の旅をUP 2009年10月19日 (月)

9月30日から10月7日まで、ブダペスト、ウィーン、ザルツブルグを旅行してきました。この旅行は3つのオペラを鑑賞するのが目的でしたが、音楽関係の観光もしっかりしてきました。

天候に恵まれ、中欧は素晴しく、美しい写真を撮ることもできました。その記録を119枚の写真を使ってまとめ、「ハンガリー・オーストリア オペラ鑑賞の旅」のタイトルでUPしましたので、よろしければご覧下さい。


◆琵琶湖方面旅行をUP 2009年10月21日 (水)

10月11〜12日にかけて、医師会会員親睦旅行で琵琶湖方面に行きました。よく知っているはずの琵琶湖に、知らないところが多くあり、天候にも恵まれて良い写真が取れました。

「琵琶湖方面旅行」のタイトルで、30枚ほどの写真を使ってまとめてみましたので、ご興味がおありでしたら、ご覧ください。


◆64ビット Windows 7 パソコン をUP 2009年11月 1日 (日)

話題の 64ビット Windows 7 パソコンを発注しました。手許に届くのは12月中旬という代物ですが、いろいろな意味で感慨深く、そのスペックや、インストール予定のソフト、保全システムなどについてまとめてみました。

これは、まったく自分のための記録であり、多くの人にとって面白くなく、分けの分からないものではないかと思います。Windows 7 や 64ビット という点でご興味がおありでしたら、お読みください。

今日から11月ですね。我が家では誕生日が、妻、子、孫までこの月に集中し、独り、主だけがさびしい思いをする月です。


▼コメント
BOWさん ご旅行の記録、楽しく拝読いたしました〜また、ご無沙汰してしまいました〜Windows 7 主人も発注者の一人です。64ビットかどうか 詳しいことはわかりませんが、いろいろ説明してくれていました〜♪12月が楽しみでいらっしゃいますね〜

さて、11月は私が一番好きな季節 私も一昨日一つ年を重ねました〜 ご家族が11月生まれが多いとおっしゃていたことを思い出しました〜 私達がお会いしたのも11月下旬でしたね〜 歳月の早さを感じます!どうぞ、深まる秋を楽しんでくださいませ 私は明日ソロライブ(ピアノとベースと一緒です)です!この季節にできるのは嬉しいのですが、やはり緊張感が増します!ではでは
投稿 Sammy | 2009年11月 6日 (金) 11時35分

▼コメント
Sammy さん、お久し振りです!ご主人も Windows 7 を発注されたのですか、何か楽しいですね。昨年11月末日にお越しいただいたのでした。昨年の11月は孫娘が生まれたし、思い出一杯の月となりました。明日ソロライブですか、良いですね!頑張ってますね! 楽しい緊張状態でしょう。存分にエンジョイしてきてください。ではでは
投稿 BOW | 2009年11月 6日 (金) 13時30分


◆サイトのページに パンくずリスト を設定 2009年11月 6日 (金)

Web サイト「中之島のBOW」の記事は、7つの「大分類」の下に、それぞれ数個から10数個の「中分類」があり、その一部は、さらにその下に幾つかの「小分類」がある階層構造内に収められています。

これまでは、一つのページに、その記事が属する大分類、中分類、小分類を、ページの最上段とページの最下段に「〜へ」という形式で載せてきました。今回はそれを「>」で表示する「パンくずリスト」形式に変更しました。

例えば、一番新しい記事「64ビット Windows 7 パソコン」の場合、

これまではページの最上段に、
ホームへ  サイトマップへ  パソコンへ  PCの仕組へ

としてきましたが、それを
ホーム > サイトマップ > パソコン > PCの仕組 > 64ビット Windows 7 パソコン

の表示形式に変更しました。

そのわけは、1)区切り記号として、多くのサイトで 「 > 」 が使われていて、Windows 7 でも、これに類似の表示法が使われていること、2)「 > 」 の左側が大きいので、こちらの方が上位の階層(カテゴリー)に属すると直感的に分り、3)「 > 」 が矢印に似ているので、流れの方向まで分かるメリットがあるからです。

パンくずリストは、訪問者にとって、自分がサイト内でどこに位置しているかを把握しやすい上、リンクによって、それぞれの階層表示にジャンプすることができるため、サイト内を巡回しやすいというメリットがあります。

パンくずリストという名前は、童話「ヘンゼルとグレーテル」で、森の中で迷わないように、パンくずを少しずつ落としながら歩いた、という故事から来ているそうで、英語では、パンくずリストの直訳(breadcrumbs list)のほかに、「トピック・パス」(topic path)という語も使われているそうです。

以上の変更は、現在掲載中の約340の記事すべてに対して行ないました。

なお、ページの最下段に、この「パンくずリスト」を付けているWeb サイトは、ほとんど見当たりませんが、訪問者に便利だと考えて、以前から最下段にも載せてきました。

2009年11月 6日 (金) パソコン・インターネット | 固定リンク|コメント (0)


◆記事の探し方をUP 2009年11月19日 (木)

サイトの最上段に「パンくずリスト」を設置したのを機会に、「サイトマップ」の階層構造による記事の収納と「更新歴」の時系列による配列の二つから、記事の探し方をまとめて、具体的にご紹介したものです。これで以て、当サイトの記事の収納配置に関する修復作業を終えたいと思っております。

この「記事の探し方」には、意外と新しい発見があるかも分かりません。お読みいただければ嬉しいです。


◆Windows 7パソコンのカスタマイズ 2009年12月16日 (水)

注文していた64ビットWindows 7 パソコンが届きました。それを使い始める前の準備として行なったカスタマイズの実際と、その基礎となったデータの階層構造をまとめたものです。

これらは、Windows 7 の入門書ではほとんど取り上げられていないことですが、私にとっては理解しておく必要がありました。

備忘録のつもりですが、私と同じように思われている方のお役に立てば嬉しいです。

2009年12月16日 (水) | 固定リンク|コメント (4)


▼コメント
BOWさん カスタマイズの手順を拝読! 「目次6」で??? ついていけなくなりました〜 一気に「まとめ」に飛んだ私です。主人の仕事用は、発注中ですし、我が家のPCも来年初めには新機種にする予定です。また、ゆっくり参考にさせていただきます! 来年もさらにBOWさんのスキルがバージョンアップされるのですね!楽しみです!ではでは
投稿 Sammy | 2009年12月16日 (水) 20時38分

▼コメント
Sammy さん、こんばんは!あの難解な記事を読んでいただけたのですね!! ありがとうございます。

> 「目次6」で??? ついていけなくなりました〜 一気に「まとめ」に飛んだ私です。
それが本当だと思います。PC歴24年の私には、過去の知識や経験との差異が何としても知りたいことですが、普通は知りたくもないことだと思います。

Sammy さんにとって、今年はものすごく充実した年だったですね、歌はスゴイですね、来年もSammy さんの歌う機会が増えるとのこと、その結果をまた教えてください。

しばらく閑古鳥が鳴いていたこのブログに元気を吹き込んでくださり、ありがとうございました。ではでは
投稿 BOW | 2009年12月16日 (水) 21時12分

▼コメント
皆さまおめでとうございます。本年もよろしくお願い申しあげます。行く年来る年なんて云いますがMuチャ子はずーと行く年がグルグルと何年も続いている感じで〜す。久しぶりに休みがとれましたので覗いてみると、なんと盛りだくさんの記事に圧倒!こうしちゃいられない!「中之島のBOW」に飛びま〜す。
投稿 Muチャ子 | 2010年1月12日 (火) 01時34分

▼コメント
Muチャ子さん、おめでとうございます。お久しぶりですね。

このブログの書き込み第1号の大恩人さんに、今年の最初のコメントをいただき、嬉しいです。失敗談が少なくて、やたら難しい話が多い傾向にありますが、流し読みしてやってくださいね(笑)。年末から、Windows7パソコンに収納するデータの整理を、楽しんでしています。脱線して、20年以上前の記録を読んだりするものですから、なかなか捗りませんが、面白いです。
投稿 BOW | 2010年1月12日 (火) 09時15分


2010年の記事


◆20年間のPCデータの整理保存 2010年1月21日 (木)

今年最初の記事「20年間のPCデータの整理保存」を「中之島のBOW」に upload しました。22年間PCに保存継承してきたデータを、本格的に整理し、Windows PCに保存しましたが、その階層構造の紹介です。個々のデータは載せていませんが、どのような階層構造であるかは、お分かりいただけるのではないかと思っています。

データ量は870 GBで、700 MB のCDに換算して、約1,240枚に相当する量です。これを整理し直すのに、約3週間かかりました。これまでに行ったことがなく、これからも行うことはないと思われる大規模なものでした。

もちろん、自分が使いやすいようにという自分のための整理ですが、関心がおありの方のご参考になるところがあれば、嬉しいです。


▼コメント
BOWさん 大掛かりな情報の整理を成し遂げられたのですね〜お疲れ様でした。22年間の思い出を紐解くように懐かしみながら作業をされたのかな?と想像しています。今は達成感にひたっていらっしゃるのかな?今年も再会できたらいいな〜と思いつつ ご連絡してみました。ではでは 
投稿 Sammy  | 2010年1月25日 (月) 16時33分

▼コメント
Sammy さん、こんばんは!お久しぶりです。お元気ですか?
ご想像通り、昔を懐かしみながら、作業をしました。何とかやれました。これを使って仕事ができるのを楽しみにしています。今年も再会したいですね、できれば、ご主人もご一緒にお越しください。昨日の駅伝、ずっと見ていました。最後の競い合いすごかったですね。広島大学へ昭和41年夏に行きました。ハイカラな落ち着いた街だと、そのとき思いました。ではでは
投稿 BOW | 2010年1月25日 (月) 20時40分


◆Web記事の文書スタイル をUP 2010年2月 7日 (日)

20年間のPCデータの整理保存を行った機会に、14年間続けてきたWebサイトを振り返り、これからの掲載記事のスタイルを考えてみました。そして、これからはHTMLだけでなく、スタイルシートを併用することにし、Web記事の文書スタイルのテンプレートを作りました。

このテンプレートで作った記事は、この「Web記事の文書スタイル」だけですが、これからの記事はこのスタイルで掲載していくつもりです。これまでの記事については、大事なものから順にこのテンプレートを適用していく予定です。面倒な作業ですが、その割りに変わり映えがしないかもしれません。


◆「中之島のBOW」のリフォーム完了 2010年3月12日 (金)

2月7日に、「Web記事の文書スタイル」をUPしましたが、そのあと、これまでの記事を、この文書スタイルに書き換える作業に入り、先ほど、現在掲載している310記事について、この作業が完了しました。

今回は、記事の中身については、その一部に読点を加えたくらいで、大きな変更や追加は行っていません。だから、リニューアルではなく、リフォームです。

今回のリフォームで、階層構造のある記事については、その構造がずいぶん分かりやすくなったと思います。これまでの文書スタイルを60点とすれば、今回は70点くらいではないでしょうか?読みやすさも改善されたように思いますが、いかがでしょう?

リフォーム作業はかなり大がかりなものになり、この1ヶ月間、ほとんどPCに向かいっぱなしでした。飛鳥で世界一周した後の状況と似ていましたが、落雷は免れました(笑)。

新装成った「中之島のBOW」をご覧いただければ嬉しいです。


◆サイトのリフォームをUP 42010年3月17日 (水)

この度、中之島のBOWの、はじめての全面リフォームを終えたのを機会に、その作業の方法、リフォームの効果、学んだこと、今後の予定などをまとめ、「サイトのリフォーム」をUPました。

これは、自分のための備忘録ですが、関心がおありの方には、面白いところがあるかも分かりません。

ちょっと、覗いていただければ、嬉しいです。


◆歌とコーラス をUP 2010年3月30日 (火)

寒かった3月も明日限りとなり、間もなく春ですね。一昨日(28日)に第3回のコーラスのコンサートがありました。コーラスをはじめて2年半ほどになります。この機会に、コーラスの感想、コーラスで学んだこと、それが私の歌にどのような影響があったかなどをまとめ、「歌とコーラス」のタイトルでUPしました。ご関心がおありの方にお読みいただければ嬉しいです。


▼コメント
BOWさん 春になり、登場してまいりました^^。

コーラスのコンサートが開催されたのですね。 楽しく しかもさらに音楽を通じて多くのお仲間と楽しく歌われているBOWさんのお姿が目に浮かびます。私も元気に過ごしております。

2月のドイツ行きの時は結局北ドイツハンブルグ、ブレーメン、リューベックとハンザ同盟都市に参りました。先月は、主人とハワイ(オアフ島、マウイ島、ハワイ島)に行ってきました。歴史、自然、人とのふれあいは私達の大好きなことです。そして、日本の桜のきれいなこの季節も勿論大好きです。 楽しみましょうね^^。ではでは・・・
投稿 Sammy | 2010年4月 2日 (金) 08時44分

▼コメント
Sammy さん、春ですね。お久しぶりです。ハンザ同盟都市とハワイですか、北と南、旅をお二人で楽しんでいらっしゃる。良いですね。昨年ノルウェイのベルゲンでハンザ同盟商人が築いた海沿いの街を歩きました。「歴史、自然、人とのふれあい」は旅行のエッセンスですね。人生をエンジョイしましょう。では、では
投稿 BOW | 2010年4月 2日 (金) 09時21分


◆大阪市内環状クルーズ をUP 2010年4月11日 (日)

4月8日に、「川の環状線桜スペシャルクルーズ」という水路を通って大阪市内を環状にクルーズする船に乗りました。これが結構面白くて、見るところが多く、知らなかったことも多くて、一回は体験してみる値打ちがありました。

天候が良く、座席の位置にも恵まれ、きれいな写真がたくさん撮れました。これに地図を加え、観光案内にも役立つような記録としてまとめました。

名前は「大阪市内環状クルーズ」です。ご興味がおありでしたら、ご覧ください。


◆歌詞リズム略譜をUPしました 2010年4月17日 (土)

英語の歌は、歌詞だけではなかなかうまく歌えません。もちろん、譜面を見れば解決できますが、面倒くさいので、できれば、歌詞に工夫をして、楽譜なしでも正しく歌えるものがあれば便利です。

私は歌うのが好きですが、メロディーが大事、歌詞は二の次で生きてきました。だから、暗譜などしたことがなかったのですが、最近機会があって暗譜をしてみたら、案外簡単にできて、面白くなりました。

そこで、オールディーズの好きだった歌をこれから暗譜していこうかという気になり、暗譜に便利な「歌詞リズム略譜」を考案しました。昨日74歳の誕生日の最終ぎりぎり23:58にUPしました。

総括好きな私ですが、総括の時期ではないので、誕生日の記念として、いま始めようとしていることを書いておくことにしたのです。そのため、オマケの人生に入ってから止めていた「タイムリミットを守る」を4年ぶりにして、なんとか間に合わせることができました。しかし、もう、これで止めておきます。

それは、タイムリミットを設けず、好きなだけしたいことをする方が、よほど楽しいからです。できあがったときの達成感よりも、したいことをしているときの充実感の方が、この年になると大事です。


◆香港旅行をUP 2010年5月 8日 (土)

5月2日から4日まで、香港に旅行してきました。香港は、はじめてなので、驚くことがたくさんあり、記憶の薄れない間に、50枚の写真を使ってまとめました。

今回は写真をすべて16:9サイズ(800×450)で揃えました。写真を撮影した場所が分かりやすいように6枚の地図を挿入しています。

タイトルは「香港旅行」、更新暦に登録して、これがWebサイト掲載500件目であることを知りました。ご覧ください。


◆HD動画制作をUP 2010年5月18日 (火)

変動の激しかったHD動画(ハイビジョン動画)も、ようやくAVCHDが主流となって、落ち着きはじめています。撮影もビデオカメラだけでなく、デジタル1眼カメラ、デジタルカメラでも可能になり、優秀な編集ソフトも現れ、編集するパソコンの能力も上がってきました。BD(ブルーレイディスク)レコーダーも普及し、BDもかなり安くなっています。YouTubeでもHD動画が主流になろうとしています。

私は、40年以上に亘って、その時々の動画に関わってきました。AVCHDのHD動画をはじめる前に、これまでの動画の歴史をふり返り、これからのHD動画制作の方針をまとめ、「HD動画制作」のタイトルでUPしました。

かって動画制作に手をつけたことがある人、これからHD動画を制作したいと考えておられる人に、お役に立つところがあるのではないかと思っています。ご関心がおありなら、お読みください。


◆8回目の庄野学級クラス会をUP ■2010年5月28日 (金)

先日庄野学級クラス会が開かれました。今から65年前、敗戦の翌年に小学4年をともに過ごしたクラスです。恩師の庄野千鶴子先生が、昨年東京へ転居されたので、今回は初めて先生ご不在の中、14名が出席し4時間近く歓談しました。

このクラス会は、ほぼ毎年続いています。最初の4回の記録は「中之島のBOW」に載せていますが、それ以降は変わったことも少なく、記録を残さずにきました。

今回は、これまでのクラス会のまとめの記録として残しておくことにしました。私たち、少なくとも私は、この小学4年庄野学級を、人生で最初の大きな幸運だったと感謝しています。小中高を通じて、この時ほど思い出が多く、懐かしいクラスを知りません。

「8回目の庄野学級クラス会」のタイトルでUPしています。お読みいただければ、嬉しいです。


▼コメント
BOWさん 久しぶりにコメントいたします!。
庄野先生そして、ご一緒された生涯の宝物であるお友達との出逢いを「幸運」とおっしゃるBOWさん素敵ですね! 男女共学第一期生・・。私の時代はそれが当たり前でしたが、改めて考えると 当たり前ではないことのほうが多いですね。ウェルナーの「野ばら」を教えられたエピソードなど素敵な思い出をお持ちで BOWさんのそばには、やはり音楽がありますね^^。

昨日は友人の結婚披露宴の企画、進行、音楽と幸せのお手伝いをさせていただきました。こんな経験をさせてもらえる私も幸運な人間だとしみじみ感じます!
投稿 Sammy | 2010年5月30日 (日) 10時36分

▼コメント
Sammy さん、こんにちは! お元気で、人生をエンジョイされていますね(笑)。私の幸運の始まりが、この庄野学級だったと思っています。「男女共学第一期生」何、それ?と思われるでしょうね。Sammy さんも、ほんとに幸運な方ですね、分かる気がします。またのお越しをお待ちしてま〜す!
投稿 BOW | 2010年5月30日 (日) 12時05分


◆中之島バラ園 2010 をUP 2010年6月 1日 (火)

あまり爽やかとは言えなかった五月が終わり、今日から六月ですね。五月に訪れた中之島バラ園の紹介記事を、「中之島バラ園 2010 」のタイトルでUPしました。

リニューアルオープンした中之島バラ園は、前と比べて都会的でオシャレなバラ園になりました。その違いが分かるように、また、植えられているバラの紹介では、写真的美しさでなく、肉眼的な美しさに重点を置いたつもりです。


▼コメント
BOWさん 中之島にバラ園があるのですね。私もBOWさんと同じく、バラは大好きです! 種類はあまり知りませんが大好きなのは、ブルームーンという薄紫色のものです。平和公園にあるとっても小さなバラ園にもあり、通るたびに観ております。女優・・イングリットバーグマンが一番お好きなのですね^^(主人と同じでびっくりしております!!)。バラと言えば先日、友人二人から「ひさみ」という名のバラがあると写真付で送ってもらいました!自分のことではないけれど、同じ名前のバラがあることを知り、嬉しくなりました!ではでは
投稿 Sammy | 2010年6月11日 (金) 08時52分

▼コメント
ヤーヤー、Sammy さん、こんにちは

> 中之島にバラ園があるのですね
眼下に見えていますよ(笑)。

> ブルームーンという薄紫色のものです
1936年に作られた同じ名前の歌があります、リチャード ロジャースの作曲で、 青い月に祈りを捧げていたら、願いが叶って、月は黄金色に変わった という歌です。Sammy さんの愛唱歌ではないですか?

> イングリットバーグマンが一番お好きなのですね
ご主人とは、なにか好みの似ているところが多いようですね(笑)。

> 「ひさみ」という名のバラ それはスゴイ! 良いお友達をお持ちですね。ではでは
投稿 BOW | 2010年6月11日 (金) 11時13分

▼コメント
はじめまして。 船の旅に憧れて、飛鳥記事の検索からこちらにたどり着きました。他の記事も面白いです。 BOWさんの記事は、読んでいて楽しく、無意味に他人と比較することが無いように思えてほっとします。
投稿 みちこ | 2010年6月24日 (木) 10時11分

▼コメント
みちこさん、こんにちは。飛鳥からこちらへお越しいただいたのですね、嬉しいです。

> 他の記事も面白いです。▼コメント
ありがとうございます。

> 他人と比較することが無いように思えて、、、▼コメント
はじめて言われたことばですが、考えてみれば、他人と比較するということはあまりしてこなかったし、これからもしないだろうという気がします。よろしければ、また、お越しくださいね。お待ちしています。
投稿 BOW | 2010年6月24日 (木) 11時01分


◆「ICレコーダーと音声編集」をUP 2010年6月 8日 (火)

必要なときに、目立たず、簡単に録音できて、そのデータをPCに保存するのが簡単な録音機として、ICレコーダーSONY UX200 を使っています。

また、PCに保存した音声ファイルを編集するソフトとして、AudioStudio90を使い、満足できる結果を得ました。

ここで習得した使うコツや、ルーティーンの手順などをまとめ、「ICレコーダーと音声編集」のタイトルでUPしました。

音声編集ソフトは数も少なく、解説する書籍やWeb記事もあまりないようです。ご興味があれば、ご覧ください。


▼コメント
BOWさん おはようございます!
「お孫さんのために」というのは 何でも全力で取り組まれる大きな動機になりますね^^。
ICレコーダーは私もレッスンやリハの録音のために使用しています。4年前のものです。新しいものをと思い始めたので参考にさせていただきます。 時々、残しておきたいものをSONIC STAGEというPCソフトに入れています。あ〜近くにBOWさんがいてくださったら色々教えていただきたいくらいです^^。ではでは
投稿 Sammy | 2010年6月24日 (木) 10時38分

▼コメント
Sammy さん、おはようございます!本当に孫は意欲、活力の源ですね、我ながら驚いています。例えば、創作ミュージカルに出演する話が舞い込んできて、孫に見てもらいたくて頑張っています(笑)。

Sammy さんにはICレコーダーは必需品でしょうね。私も、ようやく仲間入りしました。今のは使いやすいですよ、おすすめです。SONIC STAGEはVAIOに付属している有名な音楽ソフトですね、私は単純に、自分なりの分類でミュージックの階層構造に収納しています。ほとんどmp3です。ではでは
投稿 BOW | 2010年6月24日 (木) 11時39分


◆中之島の天の川をUP 2010年7月 7日 (水)

中之島に天の川を作るというプロジェクトがあることを、昨日の新聞記事で知りました。交野の家の近くにも、機物(はたもの)神社という織姫を祭る神社がありました。

どこに住んでも、天の川と縁があるのが嬉しくて、今日これに参加して、LED電球の「いのり星」を流してもらいました。

マンションから眺める光景は、予想以上に、美しく幻想的で、こんな七夕も良いものだと思いました。その映像を「中之島の天の川」のタイトルでUPしました。よろしければ、ご覧ください。


▼コメント
画像を見る前はライトアップだと勘違いしていましたので、見てビックリ! 本当に流れているなんて!! 画像でこの美しさなら、実際に見たらどんなに感動が大きいかと思います。 私は離島に暮らしていますから星空は近くに感じられる環境なんですよ。
投稿 みちこ | 2010年7月13日 (火) 09時01分

▼コメント
みちこさん、おはようございます。5万個のLED電球が上流から下流へと流れていくのです。現代的な発想に驚きました。幻想的で良かったですよ。満天の星の下でお過ごしとのこと、素晴らしいですね。私が小学生のころ(65年ほど昔です)の夏は、神戸でもそのような環境でした。今もその状況を時々思い出します。コメントありがとうございました。
投稿 BOW | 2010年7月13日 (火) 09時43分


◆AVCHD BD制作技法をUP 2010年7月30日 (金)

最近、1920 X 1020 のフルHD動画を撮影できるAVCHD方式のデジカメが多数発売され、編集困難だったAVCHDファイルも、Edius neo 2 booster の登場や、PCの高性能化などによって、かなり編集もしやすくなりました。

孫の成長の記録を、最近はこのるAVCHD方式のデジカメで行っていますが、それを編集し、チャプターメニュー付きのBDを作りましたので、備忘録として「AVCHD BD制作技法」のタイトルでUPしました。

ご関心がおありの方はご覧ください。



◆ミュージカルに出演します 2010年8月10日 (火)

来る9月4日5日に、守口市のエナージーホールでミュージカル らくだのダンスの公演があります。その中の、らくだ王国の長老役で、私も出演します。

プロの役者、歌手、ダンサーや、オーディション合格者の中で、ただ一人ずぶの素人の私に出演の打診があったのは、74歳という年齢と白髪と風格が、このミュージカルの主人公の祖父役に適していたのでしょう。

このような機会は、これから99.999%もあり得ないことなので、電話で即お受けしました。4月20日のことです。ミュージカルを観るのは好きですが、まさか、それに出るとは夢にも思わなかったことでした。

ソロが1曲、コーラスで3曲ほど歌います。台詞は少しだけ、ダンスはもちろんありません。孫や息子、娘の世代に混じって、稽古を見たり、加わったりするのは本当に楽しいです。

ご興味がおありでしたら、ぜひお越しください。お子様も一緒に楽しめるミュージカルを目指しているようです。詳しいことは、ミュージカル らくだのダンス をご覧ください。


▼コメント
連日の暑い毎日ですが、BOWさんは、9月の公演に向けてさらに暑い夏をお過ごしでしたか!!! ミュージカルデビューおめでとうございます!わ〜素晴らしいご経験をされているのですね さらに多くの方との出逢いや輪が広がられていますね〜♪ 公演に駆けつけたい気持ちは一杯ですが、予定があり今回は難しそうです(悲) BOWさんに刺激をいただきました!!!!
投稿 Sammy | 2010年8月15日 (日) 10時54分

▼コメント
Sammy|さん、こんにちは 驚かれたでしょう! 孫、娘、息子の世代に老人がただ一人混じっています。面白いです。歌のプロのSammy さんに見てもらえたら嬉しいですが、広島から来ていただくような代物ではなく、ご予定がおありで良かったです。素人がミュージカルに参加することなど珍しいので、公演が終われば、そのまとめを載せようと思っています。そちらをご覧くださいね。
投稿 BOW | 2010年8月15日 (日) 12時40分

▼コメント
ミュージカル らくだのダンスは、おかげさまで無事終了しました。私は「らくだ王国の長老」役で出演しましたが、こちらも、なんとか無事務めることができました。お越しいただいた皆様に心からお礼申し上げます。

練習と公演のいずれもが楽しいものでしたが、それをまとめてWebのサイトに掲載する作業は、それ以上に楽しいものになりそうです。こちらは時間を自由に使えます。拘束される時間が少ないことの素晴らしさを、今つくづく感じています。

これから「私のミュージカル物語」のまとめ作業に入ろうと思っています。素人が実体験できた「ミュージカルの作られていく過程」を記録に残して置きたいのです。記憶力低下に対して、書き残すことで対応するというのも、年を重ねて来た者の知恵の一つでしょう。
投稿 BOW | 2010年9月 8日 (水) 10時26分


◆ミュージカル物語をUPしました 2010年9月23日 (木)

この度、ミュージカル「らくだのダンス」に出演しました。この貴重な経験が記憶から消失してしまわないように、「幾年を越えて重ねた知恵」の一つとして、Webサイトに「ミュージカル物語」のタイトルで記録を残しました。

これに出演できたことは幸せでしたが、その間に体験したことを、自分のやり方でまとめ、「ミュージカル物語」を構築できたことを、その何倍も幸せに思っています。


◆記憶力低下対処法をUP 2010年10月24日 (日)

Webサイトに載せている私の記事を読まれた方から「素晴らしい記憶力」と言われることがあります。ところが、実際はその正反対で、情けないほど記憶力は衰えています。それなのに誤った評価を受けるのは、私なりに、記憶力低下に対処してきたからではないかと思います。

その記憶力低下対処法をご紹介します。この記事が、ご自分に合った記憶力低下対処法を作り出すのに、お役に立つところがあれば嬉しいです。


▼コメント
BOWさん こんにちは! 記憶力低下・・・私もそれを感じることはあります。それを嘆いたりするのみ(感情論)で何も対処していないことに気づきました(笑)

読み進むうちに、BOWさんの何かの能力が低下したな、ということを変えられないことと受け止めつつ、対処法として何か自分なりの手段を見つける(方法論)ことをすればいいのだと! これは、何事にも併用できる手法だと感じました。「まとめていることが楽しくなって」と書かれているように何事も楽しみに変えていくことが、エネルギーにもなり、記録にもなりいいですね では、では
投稿 Sammy | 2010年11月12日 (金) 14時39分

▼コメント
Sammy さん、こんばんは!11月は Sammy さんも、嬉しい月ですね(笑)。 記憶力低下対処法をお読み頂き、ありがとうございます。そこに書いた私の気持、願いをしっかり掴んで下さったのを知り、嬉しいです。

> 何事も楽しみに変えていくことが、エネルギーにもなり、記録にもなりいいですね
その通りだと思います。では、では
投稿 BOW | 2010年11月12日 (金) 20時29分

▼コメント
やってみます。
投稿 musi | 2011年1月26日 (水) 22時47分

▼コメント
musi さん、がんばってみて下さい。[送信]ボタンを押したら、画像に表示されている文字を入力するように指示がでた場合、下の白い入力用スペースに、半角で入力をして、[続ける]ボタンを押せば、受け付けてくれるはずです。
投稿 BOW | 2011年1月26日 (水) 22時59分

▼コメント
はい!上の「やってみます」が無事受付終了! されました。ホッとしました。お手数おかけしごめんなさい〜。
投稿 musi | 2011年1月26日 (水) 23時05分


◆15年間のメールの整理保存をUP 2010年11月 5日 (金)

インターネットを始めて5年間のメールは Outlook Express 6 で整理保存し、それ以後の10年間のメールは Becky!2 で整理保存してきました。

しかし、Windows 7 からは、Outlook Expressは消滅し、Windows Live Mailに変わってしまったので、これまでの15年間のメールを、一括して Becky!2 で整理保存することにしたのです。

そして、この機会にメールに関する諸問題をまとめました。お役に立つ箇所があるかも分かりません。ご関心がおありでしたらお読みください。タイトルは「15年間のメールの整理保存」です。


◆夕方のウォーキングをUP 2010年12月29日 (水)

今年も残り3日となりました。今年は、始めて3年となる習慣が二つあります。その内の一つが、午後5時前後に、妻と散歩をすることです。これを気取って、アフターファイブ・ウォーキングとかアフターファイブ・カップルと称しているのですが、良いものです。

そのまとめを「夕方のウォーキング」のタイトルで書いてUPしました。ご関心のある方にお読みいただければ嬉しく思います。

どうか、良いお年をお迎えください。


2011年の記事


◆ボーボとグランマをUP 2011年1月 5日 (水)

2歳の孫は、私たち祖父母を「ボーボ」「グランマ」と呼びます。その呼び名の由来と、それに関係する話をまとめて「ボーボとグランマ」のタイトルでUPしました。


▼コメント
明けましておめでとうございます!ボーボとグランマ、、究極のじじバカに笑いました(ゴメンナサイ)。 でもお気持ち、よ〜く分かります。ボーボを偉大なる家長と、認めておられるマゴちゃんの慧眼は流石です。うちの孫どもは、おババに一目おいているようですが、それは単に食べ物を作ってくれるからだと、思っています(笑)。でも、子供は大人の本質をよく見抜いていますね。
投稿 T-ba | 2011年1月 6日 (木) 12時19分

▼コメント
明けましておめでとうございます。早々ジジバカをご披露してしまいました。究極とまでは思っていなかったのですが、T-baさんにお墨付きをいただき、そんな気がしてきました(笑)。偉大なる家長と認めてくれているのでしょうか? 「ボーボ、スゴーイ」「ボーボ カッコイイ」と孫に言われて苦笑して、喜んでいます。おだてに弱いところを見抜く慧眼かもわかりません(笑)。確かに本質を良く見抜いていますね。いろいろアドバイスありがとうございました。
投稿 BOW | 2011年1月 6日 (木) 14時41分

▼コメント
何度、挑戦してもへんてこな表示がされ送信できませんでした。
投稿 Muチャ子 テストです | 2011年1月17日 (月) 21時35分

▼コメント
出来ました!届いた! これで安心また書き込みます。今年もよろしくお願いいたします。
投稿 Muチャ子 | 2011年1月17日 (月) 21時39分

▼コメント
Muチャ子さん、お久しぶりです!こちらこそ、今年もよろしくお願いします。
投稿 BOW | 2011年1月17日 (月) 21時42分

▼コメント
送信できないとのMuチャ子さんの書き込みよーくわかります。虫もこれで参っています。これ届くかなあ。
投稿 musi | 2011年1月18日 (火) 16時05分

▼コメント
凍った脳みそでは、何がどうなっているのかさっぱりですわ〜 数回振りに無事飛んでいってくれました。ヤレヤレです。
投稿 musi | 2011年1月18日 (火) 16時12分

▼コメント
「記憶力低下対処法」隅々まで拝読しました。 身内にぜひ読んでもらいたい!(^^;) コピーをとり数軒に送ることにしました。お役立ちサイト助かっています。
投稿 musi | 2011年1月18日 (火) 16時22分

▼コメント
musiさん、こんにちは!送信できないというのはどういうことでしょうか? 今のところ、私は問題ないのですが、、、「記憶力低下対処法」がお役に立てば嬉しいです(笑)。
投稿 BOW | 2011年1月18日 (火) 18時36分

▼コメント
BOWさん ずいぶんとご無沙汰してしまいました。 今年もどうぞよろしくお願いいたします。夕方のウォーキング&ボーボーとグランマ・・・楽しく読ませていただきました^^。お散歩コースは少しだけご一緒させていただいたな〜と嬉しく思いました!「ボーボー&グランマ」という響きがすきです! お孫さんのご成長をご家族全員で見守られ、楽しまれている雰囲気に私まで幸せな気持です!ありがとうございました。では、では・・・(今年もこのフレーズでまいります)
投稿 Sammy | 2011年1月22日 (土) 10時32分

▼コメント
Sammy |さん、お久しぶりです!こ難しい話のUPが続いたので、柔らかい話を載せました。お読みいただき嬉しいです。

> 「ボーボー&グランマ」という響きがすきです!
ありがとうございます。そう言われると、確かにそんな気がします。 ちょっとハイカラですね(笑)。孫の成長を見るのは、ほんとうに楽しいです。では、では
投稿 BOW | 2011年1月22日 (土) 13時15分


◆冬の北海道旅行をUP 2011年2月18日 (金)

2月12日から北海道を旅行してきました。札幌雪まつりのほか、冬の北海道の素晴らしい景観を楽しんで来ました。これは、予想していた以上に素晴らしいものでした。60枚の写真を中心にしてまとめてみました。タイトルは「冬の北海道旅行」です。よろしければ、ご覧ください。


◆「地震のまとめ」をUP 2011年3月27日 (日)

今回の地震で自然の力の強大さに圧倒されました。その中で、地震に対する私の知識が非常に貧弱であることを痛感し、地震について自分が知りたい知識や情報をWebで調べ、私の判断で精度が高いと思った情報をまとめて「地震のまとめ」のタイトルでUPしました。

これまで、サイトには自分のオリジナルな記事を掲載してきました。今回のような、文献のダイジェスト版のような記事を載せるのは初めてです。ただし、今後の西日本の地震の予想のところで、野村望の注釈をつけ、日本の地震のデータを使った私見を載せたのが、唯一のオリジナルな部分です。

地震から学ぶことはありますが、原発事故からは、考えることばかり、暗然たる気持ちです。


◆南イタリアへの旅をUP 2011年4月27日 (水)

4月14日から21日まで南イタリアへ旅行しました。その記録を「南イタリアへ旅」と「古代ローマの遺跡を巡る」の2つのタイトルで残そうと考えました。私としては、あとの方に重点をおきたく、先の方を写真集として大急ぎでまとめたものです。

天気予報はことごとく外れ、旅を存分に楽しむことができました。ご関心があれば、ご覧ください。私の関心は、次のタイトルをまとめることに移って います(笑)。


▼コメント
BOW先生、初めまして。ひろみと申します。 「自由と規律」の検索をしていたら、「中之島のBOW」のサイトを見つけました。読んで驚きました。高校の大先輩なんですね!その上、開業されたいた地域の近くが私の生地(枚方ですが・・・)なんです。偶然ですね〜。 もう少し早く出会っていたら・・・。

イタリアにいらしたんだったら、ついでに、私が住んでいるスペインにも寄っていただきたかったです。。。次のご旅行の際には是非! 南イタリアといえば、先日からナポリ民謡の「帰れソレントへ」がずっとリフレインしていて、その理由が分からなくて悩んでいたんです。BOW先生、ナポリへ行かれたけれど、地図見ましたがソレントは寄られなかったんですね。
投稿 ひろみ | 2011年5月 1日 (日) 00時33分

▼コメント
ひろみさん こんにちは。スペインからのコメントに驚き、嬉しいです。高校の後輩、お生まれが私の開業していた所の隣の枚方市で、「自由と規律」に関わりがある、面白いですね。まだまだありますよ。妻は枚方で枚方で生まれ、結婚するまで枚方で育ちました。

2番目の海外旅行はスペインでした。スペインは大好きな国です。旅行中、スペインの少女たちから、私たち夫婦はスペイン人か日本人かと尋ねられ、今回も妻がナポリで一緒に写真に写っている若い女性たちはスペイン人でした。

帰れソレントは私の愛唱歌です。ソレントへは立ち寄らないツアーだったので、遠くからあれがソレントだとナポリからもカプリからも眺めました。スペインは2度行きましたが、もう一度行ってみたい国です。同じ歌が何度も繰り返し頭に流れてくるというのは、私などそれが普通ですが、、、ありがとうございました。また、お書き込みくださいね!
投稿 BOW | 2011年5月 1日 (日) 10時27分

▼コメント
お久しぶりです。「南イタリアへの旅」をはじめ時々は訪問し頷いたりプリントしたりと楽しんでいます。もっちこのブログもで〜す。閉鎖されては大変だと目を光らせています(^-^; またオジャマします。 スペインからお出ましのひろみさん 海外からの書き込みにびっくりしたMuチャ子です。
投稿 Muチャ子 | 2011年5月 6日 (金) 02時24分

▼コメント
Muチャ子さん、お久しぶりです!!いつも救世主のようにこのブログにコメントを書き込んでくださり、ありがとうございます。何しろこのブログ開設数時間後にコメントをくださった方ですから、、、

いろんなことが重なり、このところ超多忙です。はやくまとめておきたいことが中断しなければならず、少々いらついています。では、では
投稿 BOW | 2011年5月 6日 (金) 23時15分


◆古代ローマの遺跡を巡る」をUP 2011年5月10日 (火)

1972年の最初の海外旅行でポンペイ遺跡を訪れ、人間は2000年程度の時間では頭脳は全く進化しないという仮説を得ました。このような仮説を思いつかせてくれたことに感謝し、それを教えてくれた映像を、「古代ローマの遺跡を巡る」のタイトルでまとめました。もし、ご興味があればご覧下さい。


▼コメント
BOWさん 大変ご無沙汰をしておりました。南イタリアのご旅行のお写真の中の素敵なお二人のツッショットに思わず にっこり!イタリアは、20歳の初めての海外旅行で訪れた思い出深い場所です。ポンペイ遺跡は、BOWさんと同じく人間の歴史、文明のすばらしさ、そして自然の驚異を一度に感じた場所です。当時の馬車の轡跡もはっきりあったことを思い出しました。 お忙しくされているご様子ですね。また5月から海外旅行ができないご事情とのこと。 私の大切にしている言葉を贈ります。「日常も旅する気持ちで過ごす」です! きっとBOWさんはすでに実践されていると思います!!では、では
投稿 Sammy | 2011年6月 4日 (土) 12時17分

▼コメント
Sammy さん、こんにちは。 お久しぶりです!「南イタリア」も「古代ローマ」もお読みくださり、ありがとうございました。最初の海外旅行先も、ポンペイ遺跡で感じたことも同じとは愉快ですね。「日常も旅する気持ちで過ごす」のことば、ありがとうございます。したいことを精一杯しながら生きているという意味であれば、そのような生活を送っています。オマケを5年ももらっているのに、次々としたいことが出てくるので、現役時代より忙しい日常です(笑)。またのお越しをお待ちしています。
投稿 BOW | 2011年6月 4日 (土) 14時14分


◆「東日本大震災から学ぶ」をUP 2011年5月20日 (金)

私は太平洋戦争、空襲、敗戦、オイルショック、バブル崩壊、サリン事件、阪神淡路大震災などを経験してきましたが、人生の終わりの時期に、東日本大震災という自然災害と人工災害に見聞きすることになり、やりきれない思いでいます。

この震災で学んだこと、感じたこと、考えたことなどを忘れない間にまとめ「東日本大震災から学ぶ」のタイトルでUPしました。

今回の震災に関連して、「地震のまとめ」と「古代ローマの遺跡を巡る」の2つの記事を掲載しましたが、今回の「東日本大震災から学ぶ」は、それらを含めた総まとめのつもりです。


◆「HD動画のための静止画」をUPしました。 2011年6月11日 (土)

4月に海外旅行をした際、ビデオカメラを持たず、デジカメだけで動画と静止画を撮影しました。ズボンのポケットに入るデジカメで、フルHD動画が鮮明に撮影できることは感動的です。

その編集作業をしていて、風景の場合、静止画から作ったHD動画が、本来の動画撮影したものより優れている場合があることを知り、今後の撮影に役立てようと「HD動画のための静止画」のタイトルでUPしました。

また、今回、はじめて YouTube にUPしましたが、あっけないほど簡単で、その動画を記事に埋め込むことも、数行を書き加えることで可能でした。

数字の羅列の部分は飛ばして、静止画、動画をご覧になれば、静止画から作ったHD動画の有用性をお分かりいただけるかもしれないと思っております。


◆プライドのめばえをUP 2011年8月 4日 (木)

このところ、PCや動画についての技術的なことばかりをUPしてきました。特殊な方を除いて、くそ面白くもない記事なので、紹介することをしないできました。

今日は、現在2歳8ヶ月の孫娘が、2歳になる直前に見せたプライドのことを載せました。それは、記録のために撮っている孫のビデオの内容を書き出していたときに知ったのでした。こどものプライド誕生です。ジジバカの私には、すごく大事な記録ですが、よろしかったらお読み下さい。タイトルは「プライドのめばえ」です。


◆孫娘の反抗をUP 2011年8月 8日 (月)

「孫娘の反抗」をUPしました。孫は現在2歳9ヶ月ですが、3歳までの成長を記録に残すことにしています。その中のエピソード的なことがらを、エッセイとして書くことを思いつきました。

2歳前後にあるという第一反抗期について、孫の場合はどうだったのかをまとめてみました。ご関心がおありでしたら、お読みください。


◆孫のふざけいたずらをUP 2011年8月11日 (木)

孫の守りをしていて得たエピソードを、今回も続けます。プライド、反抗の次は「孫のふざけいたずら」です。 2011年8月11日 (木) 心身の発達 | 固定リンク|コメント (0)


◆「人のこころの面白さ」をUP 2011年8月18日 (木)

私は思春期頃から人のこころに興味を持つようになりました。孫を授かり、その成長を見ていると非常に面白く、特に孫のこころについては、驚くことの連続です。これに触発され、孫の気質を中心に、人のこころの面白さを自分史風にまとめてみました。タイトルは「人のこころの面白さ」です。


◆「孫が初めて見た個展」をUP 2011年9月22日 (木)

明石瞳さんが、100号の油絵17点を中心に、30号以下の作品8点を加え、「私の100号個展」を開かれました。天井が高く、広々とした展示室で、作品は美しく輝き、瞳さんの人生の歩みの見事な証となっていました。

その個展に、2歳10ヶ月の孫を連れて行きました。初めての体験に、幼い孫は予想していた以上に喜んでいました。「孫が初めて見た個展」のタイトルでUPしました。よろしければ、ご覧ください。


◆新幹線九州旅行をUP 2011年10月18日 (火)

鹿児島まで開通した新幹線を利用して九州旅行をしてきました。鹿児島、指宿、熊本、福岡で見てきたものを写真で説明しています。タイトルは新幹線九州旅行です。ご興味がおありでしたら、ご覧下さい。オマケで厳島神社の写真集も掲載しています。


▼コメント
遅くなりましたが、九州旅行の記事と写真を拝見しました。新婚旅行に行かれたことを知り、なんだかほのぼのとしました。お二人で記念の旅行地に再び行かれたということは、いろんな意味ですばらしいですね!

厳島神社の写真を始め、たくさんのきれいな風景を見ることができました。熊本城は圧巻ですね!お父上の大学のことや、奥様が「温泉嫌い」のことなどを拝読、奥様と同類項なので、なんだかおかしくなりました(笑)。
投稿 T-ba | 2011年10月22日 (土) 20時47分

▼コメント
T-baさん こんばんは!九州旅行と厳島神社をご覧いただきありがとうございました。JTBに飛び込み1時間程度で決まったので、始めよければ何とかの通り、うまく行きました。

T-baさんも温泉嫌いでいらっしゃるのですね、温泉に行って内風呂に入るタイプですね、妻も同じです。熊本城はすばらしいですね。私の一番の目的が高3の修学旅行で見て感激した熊本城をもう一度見ることでしたが、妻も熊本城は格が違うと感じたようです。
投稿 BOW | 2011年10月22日 (土) 21時23分

▼コメント
BOWさん 私 Sammyです。ひさしぶりの書き込みに嬉しいやら、恥ずかしいやらです。
九州旅行の記録を拝見しつつ、気になる「厳島神社」の文字・・・。おまけに 宮島を選んでお越しになったのですね〜♪ お近くにいらしたと思うとうれしくなります。私たちもおかげ様で元気に過ごしております。BOWさんご夫妻も旅はJTBなのですね^^お父様の学び舎をご訪問されての感想・・・心に染み入りました。いろんな「旅」がありますね〜。私も日々 旅する気持ちで五感をフルに使って過ごしております^^ 深まる秋を満喫してくださいませ ではでは
投稿 Sammy | 2011年11月 1日 (火) 12時17分

▼コメント
Sammy さん、こんにちは!お久しぶりです。お元気でご活躍のご様子ですね。旅行記を見ていただき、ありがとうございました。バタバタ慌ただしく、それでもシッカリ旅を楽しんで来ました。その後の記録をまとめるのが、旅行と同じくらい楽しいので、今回も大満足です。車窓から眺めて広島はおしゃれな街のように感じましたが、如何でしょう?ここにお住まいなのだと思いながら、宮島に渡りました。ではでは
投稿 BOW | 2011年11月 1日 (火) 12時47分


◆孫がことばを習得する過程をUP 2011年11月21日 (月)

「人はことばをどのように習得していくのか」は興味のあるテーマです。幸いなことに、孫を3歳まで観察し、それを知ることができました。「孫がことばを習得する過程」のタイトルでUPしましたので、ご関心がおありの方にお読みいただければ嬉しいです。


◆孫娘3歳までの成長記録をUP 2011年12月22日 (木)

「孫娘3歳までの成長記録」をUPしました。孫を3年間観察して記録した生データ約2600件から、約1000件余のデータを抽出し、14のカテゴリーに分類し、横断的分析と縦断的分析を加えました。

全部で20章という大部になりましたが、各章のタイトルのすぐ下に「全目次」を配置していますので、これをクリックして、各章に移動できます。また、各章の最初には、その章のあらましを記載しています。

お読みいただけることを期待していませんが、お知らせいたします。


2012年の記事


◆63年ぶりのハーモニカをUP 2012年1月29日 (日)

孫娘がお気に入りのビデオに「ムーミン」があります。この中にスナフキンという旅をするキャラクターがいて、絶えずハーモニカを吹いています。これを見て、ハーモニカを吹いてみようかという気になりました。というのは、小学6年のころハーモニカ・バンドの一員として、学芸会に出演したことがあったからです。

そのころのハーモニカは半音が出ないので、幾つかの曲は正しく吹くことができなかったことを覚えていたので、半音をつけることができるハーモニカを選びました。これはクロマチック・ハーモニカと言われているようです。

これを購入してみると、63年ぶりにも関わらず、昔通り曲を吹くことができるのです。嬉しくなり、ハーモニカについて調べたこと、実際に使ってみた経験などをまとめ、「63年ぶりのハーモニカ」のタイトルでUPしました。

ハーモニカに関心がおありの方には、あるいはお役に立つところがあるかも分かりません。よろしければご覧下さい。


◆リスト編曲ベートーベン第9をUP 2012年2月 8日 (水)

ベートーベンの第9にリスト編曲のピアノ版があることを知り、これを鑑賞して、オリジナルの第9との比較などを行い、「リスト編曲ベートーベン第9交響曲」のタイトルでUPしました。


◆「色の勉強」をUP 2012年3月31日 (土)

いまや静止画、動画の世界はデジタルの時代で、デジタルカラーの基礎的知識があれば、これれの機器を使いこなすのに役立つのではないかと思います。

市販されている色に関する書籍を調べてみましたが、ほとんどが配色か色彩心理に関するもので、デジタルカラーに関するものは少ないようです。

そこで、Wikipedia を中心として Web で色の勉強をし、私なりのまとめを「色の勉強」としてUPしました。


◆Windows の画面構成をUP 2012年4月25日 (水)

Windows PC は分かりやすく、直感的に操作できるため、その仕組みなどを深く考えることもなかったのですが、あるきっかけから、Windows の画面構成についてまとめてみました。

Webでも文献的にも、このようなまとめは少ないようです。イラストを多く用い、マイクロソフトの用語集から、マイクロソフトの公式用語(英語、日本語対訳)を使用しました。最後に、108語の索引をつけ、ミニ用語辞典としても使えるようにしています。

ご興味があれば、ご一覧下さい。


◆美しい台中・台南をUP 2012年5月 9日 (水)

これまでアジアでは、ソウル、台北、香港に旅行したことがあります。今回、台中・台南を旅行しましたが、アジアのどこよりもダントツに素晴らしく、これまでにないほどの満足感を経験しました。きれいな写真と詳しい説明を付けていますので、関心がおありの方に見ていただければうれしいです。タイトルは「美しい台中・台南」です。


◆私の静止画処理法をUP 2012年5月20日 (日)

50歳の時からデジタル静止画は私のテーマの一つでした。

76歳の現在、そのまとめとして、これを記事にし、「私の静止画処理法」のタイトルで、サイト「中之島のBOW」にUPしました。

42枚の図を入れて、分かりやすくしたつもりです。

ご関心がおありの方のお役に立つところがあれば嬉しいです。


◆美しき国スロベニア・クロアチアをUP 2012年6月25日 (月)

スロベニア、クロアチアなどアドリア海沿岸に旅してきました。数えてみると、これまで16回の海外旅行と1回の世界一周クルーズを経験しましたが、今回はその中でいちばん美しい景色をたくさん見ることができました。 帰国後、突貫作業でその詳細な記録を200の図と写真でまとめ、昨夜サイト中之島のBOWに「美しき国スロベニア・クロアチア」のタイトルでUPしました。

できるだけ分かりやすくすることに注意しています。関心がおありの方にご覧いただければ嬉しいです。


◆エンジョイBOW 閉鎖のお知らせ 2012年7月15日 (日)

2006年5月に開設し、7年3ヶ月が経過したこの「エンジョイBOW」を、今月末で閉鎖することに致しました。その間、たくさんの皆さまにお越しいただき、楽しく過ごせましたことをありがたく思っております。

このブログ開設の翌年から、私はオマケの人生に入りました。ブログは通常のウエブサイトと比べ、時系列的記録に向いています。

ブログは閉鎖と同時に記録はすべて永久に失われます。そこで、ブログを閉鎖する前に、年度ごとの全記録をまとめ、テキストファイルで保存しました。その作業をしながら、この記録もまた、私にとって重要で、貴重なものであることが分かりました。そこで、これを「ブログ エンジョイBOWの記録」のタイトルで「中之島のBOW」に転載しました。

ブログの記録の構成は、記事は降順の時系列、記事に対するコメントは昇順の時系列で配置されています。ブログを実際に利用する場合、ある記事とそれに対応するコメントが一番大切なので、この構成で読みにくいことはありません。しかし、ブログ全体の記録として残す場合は、これでは分かり難くなります。

そこで、記事もまた昇順に並べ、コメントを含めて、すべて昇順に変更しました。また、各年月の記事にジャンプしやすいように、冒頭に目次をつけています。狭い幅で小さな文字のブログから、大きな幅と大きな文字のサイトに変わったことも加わり、ブログよりは記事やコメントが探しやすく、読みやすくなったのではないかと思っています。

7年もの長い間お付き合いくださった皆さまに、心からお礼申し上げます。ありがとうございました。

これからの私の記事の時系列的な記録は、「中之島のBOW」の更新歴をご覧ください。掲示板「BOWのひとりごと」は、今しばらくは残しておくつもりですが、こちらもそろそろ閉鎖の時期だと考えています。

このブログに掲載した記事の数は265件、コメント数は803件でした。
また、月平均記事数は、2006年:5.6件、2007年:9.8件、2008年:3.0件、2009年:2.2件、2010年:1.6件、2011年:1.3件、2012年1.1件、月平均コメント数は、2006年:29.3件、2007年:22.2件、2008年:15.5件、2009年:6.9件、2010年:1.9件、2011年:1.8件、2012年:0件、で、いずれもブログ開設4年目の2009年から激減しています。


▼コメント
>2006年5月に開設し、7年3ヶ月が経過したこの「エンジョイBOW」を、今月末で閉鎖することに致しました。
ブログの閉鎖、、残念ですが、お気持ちは分かるような気もいたします。

◆T−baさんが帰って来た 2006年6月17日 (土) ・・と、お書き込みご紹介いただいたのが、つい先日のように思えます。

HPに行って、当時の記事を拝読し、なんと熱気に溢れた記事が躍っていたのだろう、、と、あらためて思いました。

HPをはじめブログ閲覧、楽しませて頂きました。あつく御礼申し上げます。 有り難うございました!BOW先生!
投稿 T-ba | 2012年7月16日 (月) 14時22分


▼コメント
T-baさん こんばんは!
祇園祭の宵山に行っていましたので、お返事遅れて申し訳ありません

ブログ、ちょっと長すぎたようです。最近はサイトにUPした記事の紹介だけで終わっていたのに、マンネリでそれを続けていました。これで気持ちがすっきりしました。

長い間こちらへご訪問いただきありがとうございました。サイトは、オマケがある限り続けるつもりです。思い出されることがあれば、ご訪問ください。

お元気で
投稿 BOW | 2012年7月16日 (月) 22時52分

▼コメント
閉鎖いま知りました。
あーー時間がない!
ありがとうございました!!
投稿 musi | 2012年7月31日 (火) 23時54分

▼コメント
時間がない!
投稿 BOW | 2012年7月31日 (火) 23時56分


▼コメント
トリになるでしょうか!?
書き込みもままならず失礼しました。
でもでも。淋しいです〜〜〜!!!
ありがとうございました。
投稿 Muチャ子 | 2012年7月31日 (火) 23時57分


▼コメント
ありがとうございました!!
投稿 BOW | 2012年7月31日 (火) 23時59分


<2012.7.31.>

ホーム > サイトマップ > PC > ブログ・掲示板 > ブログ エンジョイBOWの記録   このページのトップへ