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ボージョレヌーボ解禁日に飲む会

2016.11.30. 掲載
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はじめに

私は1985年49歳からパソコンを使い始め、1988年52歳からパソコン通信の世界に入り、国内大手のパソコン通信局である NIFTY SERVE に加入した。

当時インターネットは存在せず(世界初のサイトは1991年、日本初は1992年)、ここでの情報収集、交換、発信は有用で貴重だった。

その NIFTY のパソコン通信で飛び交う話題から、ボージョレヌーボを知った。未だマスコミでは大きく取り上げられていなかった頃である。

1996年60歳から、パソコンをDOS機からWindows機に変更し、インターネットの世界に入り、Webサイトを開設した。(Yahoo! JAPAN が4月、野村医院が8月

この年のボージョレヌーボ解禁日(11月の第3木曜日)の夜、初めてボージョレヌーボを5人で飲み交わした。メンバーは井上俊孝氏と彼の知人二人に、私と家内を合わせて5名だった。これが「ボージョレヌーボ解禁日に飲む会」の始まりだった。

この飲み会は井上氏の発案で、今年まで幹事役、世話役をして下さり、私は何のお手伝いもせず、喜んで参加し、飲んでしゃべりあう会だった。

以来毎年、ボージョレヌーボ解禁日の夜に、決まった飲み仲間とワインを楽しむ習慣ができ、今年まで20年間続いた。

私は酒が飲める体質で、飲んで騒ぐのが好きな性格なので、それまでも外で飲むことはあったが、毎年決まった日に、アルコールを飲むことが20年間も続いたのは、異例である。

最初のころは、その時に飲むワインはボージョレヌーボと決めていたが、そのうち、他のワインやアルコールが中心となるように変わって行った。


ボージョレヌーボ解禁日に飲む会 初回

1996年11月21日(木)午後6時から、10時近くまで、枚方の割烹「千鳥」という店で、ボージョレ・ヌーボを飲み、和食を賞味しながら、おしゃべりを楽しんだ。

メンバーは、井上俊孝、清水健次、高須真理、野村望、野村経子の5名。私たち夫婦は招待客だった。

この飲み会の趣旨は、私が還暦までに書いた文書をまとめて出版した「還暦まで」の出版祝いと、私の還暦祝いを兼ねて企画して下さったのだと記憶している。

井上氏と交わした手紙によると、私はナット・キング・コールのセプテンバー・ソングやインターネットについて熱弁を奮ったようだが、酩酊してしまい、しゃべったことがまったく記憶に残っていなかった。記憶がないほどの酩酊は生涯で数回しかなく、よほど嬉しくて痛飲したのだろう。


主催

この飲み会の発案者、主催者、幹事、世話役は井上俊孝氏である。彼なくして、この会が20年も続くことはなかった。

私は1973年に開業したが、そのころ周りには酒の飲める医師が少なく、一緒に飲んでも、酔いつぶれてお宅まで送り届けることを何度か経験した。これでは、酒の楽しさは消えてしまう。

誰か、酒に弱くない人と飲みたいものだと愚痴っていると、妻が「井上さんなら飲めるのではないか、彼の従兄が津田で酒屋を営んでいるから」と教えてくれた。津田というのは妻の実家のある地区である。

そのようなわけで、井上氏とはこの飲み会以前から飲み仲間になっていた。

彼は1998年5月10日から、インターネットのEメールを使えるようになり、それ以来、飲み会の連絡・案内も手紙やFAXからメールに変わった。彼からの受信メールは今日までの18年間で354通、彼への送信メールは235通ある。

私は古くから手紙の整理保存Eメールの整理保存を行ってきた。このまとめでも、手紙とEメールを活用したが、整理されたメールは整理された手紙より、情報の量も質も、見つけやすさも、利用しやすさも、比較にならぬほど優れていることを痛感した。


メンバー

メンバーは毎回4〜5名で、20回皆勤は幹事の井上氏と私の二人、精勤は14回参加の明石賢三Dr.、そのほかは6回以下で、いずれも幹事や私が親しい人である。ここ数年は女性が加わるようになった。いずれも孫持ちで、平均年齢は70歳前半ではないかと思う。

明石Dr.は今年79歳。1996年8月の医師会の理事会で、パソコン同好会を作り、その世話役を私に務めさせるという緊急動議を提出し、医師会員の間にパソコンフィーバーを吹き込んだ人である。

また、2001年に明石・野村両夫婦が10日間のエーゲ海クルーズをともにしたことがあり、お互いに気心がしれている。


会場

会場は、井上氏行きつけの割烹「千鳥」が2004年まで選ばれた。ここは京阪電車枚方市駅の近くで、参加者の交通の便が良かった。それ以降、イタリア料理店と中華料理店も一度選ばれたが、和食料理店に落ち着いた。

昨年、今年と、和食レストラン「美濃吉」天満橋店が選ばれた。ここは京阪電車天満橋駅に直結していて、交通の便が良く、特に私のマンションからは駅一つの距離にあるので、ありがたい。


会費

会費は8,000円または9,000円で、女性は7,000円または8,000円に設定されているようだ。一度だけ、10,000円の時があったが、特殊な農園料理だった。

追加を徴収されたことがなく、最年長者として心苦しいが、それも、この会が長く続いたことの理由の一つかもしれない。


時間

メンバーが男性ばかりのときは、午後6時開始、終了は10時頃、二次会があって、帰宅は午前ということもあった。

女性が参加するときは、開始が午後5時30分、終了は9時過ぎで、4時間近くになることが多かった。


呼称

「ボージョレヌーボ解禁日に飲む会」というのが正式な呼称であるが、こんな長ったらしい名前は嫌われ、いろいろな呼称が使われた。

面白いので、長いものから挙げていく。順序はこの通りではなく、滅茶苦茶であるのは、ご想像通り。

「ボージョレヌーボに飲む会」 これはまともな略し方だ。

「ボージョレヌーボの会」 これもまだ許せる。

「ボージョレの会」「ヌーボーの会」 これは何だ!

「ヌーボー」 わけが分らん!

「11月○○日」 見当はつく。

「収穫祭」 万国共通の人間の気持ちが理解できる。

「飲み会」 単刀直入、よく分る。


ボージョレヌーボ解禁日に飲む会 最終回

2016年11月17日(木)午後5時30分から9時過ぎまで、京阪シティーモール8階の美濃吉で、ワインやビールを飲み、京懐石を賞味しながら、楽しい会話が続いた。

メンバーは、井上俊孝、野村望、明石賢三、池畑久美、藤川ヨシ子の5名。

話題は、昔話、孫のこと、消息、マンウォッチング、不眠、今後のことなどだったと覚えている。私は自分の聴力低下が最近著しいことも話した。和気あいあいの中、時間は急速に過ぎて行った。

お開きの前に、9年間続けてきたコーラスを半年前に退団したこと、コーラスの親睦旅行に参加する条件で、退団を認めてもらったので、先日それに参加したが、退団したときよりも大幅に聴力が落ちていて、話が聴き取りにくく辛かったことを話し、来年はもっと情けない状態になると予想されるので、この飲み会への私の参加は、今年を最後にさせて欲しいとお願いした。

皆は、突然の話に驚かれたようだったが、私の気持ちを察して認めてくださり、ありがたかった。



図1.ボージョレヌーボ解禁日に飲む会の最終回のメンバー


まとめ

・20年間続いた「ボージョレヌーボ解禁日に飲む会」に参加できたことを幸せに思う。
・井上俊孝氏の誠実な人柄がこの飲む会を成功に導いた。
・会話を和ませる名人 明石賢三Dr.の参加は、この会に笑いを常在させた。
・女性の参加は、泥酔を減らし、話題の範囲を広げた。
・私の聴力低下という個人的な理由で終了することになったのは申し訳ないが、
 なにごとにも終わりはある。幸せな気持ちの内に終えることができたことをありがたく思う。
・楽しく過ごした時間の記憶は、喜び生きた記憶である。この飲む会はその一つである。
・2016年は、サイト開設20周年傘寿この会の最終回という節目の年となった。


<2016.11.30.>

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