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傘寿に思う

2016.06.13. 掲載
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私は、30歳のころから、死ぬときに悔いが少ないように生きようと思ってきた。50歳のころから、自分の死亡時期を70歳(71歳になるまで)と想定して生きてきた。それは当時、医学部の親しかったクラスメートが、次々と亡くなったからだ。

70歳の古希には、「古希に生きる」のタイトルで、残り1年をどのように生きるつもりかを、下記のように書いた。

1.タイムリミットから自由になる
2.マイペースで、妻と残りの人生を過ごす
3.鑑賞などの受動的欲求を満たすことを増やしていく
4.夕食の腹十二分目を腹十分目に減らす
5.普段のアルコール量をこれまでの半分とする

このうちで、3、4、5は目標だけに終わり、現状維持が続いた。

その1年間が過ぎ、「オマケの人生が始まる年」に、今後の生き方を、「死亡想定期までの人生(私の本当の人生)から、完全に自由に生きる」と書いた。

具体的には、「オマケの人生」には意義を求めない。したいことをしても良く、しなくても良く、変更しても、中止しても構わない。周りと過去とのしがらみから解放され、好きなように生き、生きることを存分にエンジョイすることと考えた。

死亡想定年齢を終え71歳となったとき、したいことの70%、しなければならないことの90%を果たせたと自己判断し、それ以来、何時死んでも悔いはないという気持ちでいる。詳しくは「オマケ1年目をふり返って」に載せている。

そのオマケの人生を、思いがけず9年ももらい、現在10年目に入っている。その間、2年前までは、体力の衰えの自覚はなかった。そのためだと思うが、生き方で変わったのは「タイムリミットを守る生き方」を止めたことくらいで、他はこれまで通りだった。

それに加え、予想していなかった幸運に出会ったことにより、新しい種類の生きる喜びをエンジョイすることが増え、多忙だった。その幸運の一つがハートリー合唱団入団で、もう一つは3人の孫を授かったことである。

体力の衰えを自覚するようになったのは、78歳の春ころからで、視力低下、右頸部上腕痛、聴力低下が著しくなった。視力低下は、白内障手術によって術前以上に改善し、右頸部上腕痛は、神経根を傷めない注意や、圧迫・マッサージで自然に緩解したが、聴力低下は、逆に急速に進行し、補聴器装着でも対応し難く、会話が不自由になった。ほかにも、階段を下りる速さが遅くなり、体力の低下を痛感するようになった。

これまでに生き方を考えたときには、老化の実感はなく、頭で考えたものであった。しかし、今は老化を切実に感じ、進行していくことが予想できる状態である。

傘寿という節目の歳にあたり、老化の進行に対応したこれからの生き方を考え、実行するときが来たと思った。

その一つとして、9年間在籍し、楽しんできたコーラスを退団した。それは、聴力の低下がひどくなり、コーラスに迷惑をかける前に、楽しかった思い出を記憶に残したいという願いからである。詳しくは「コーラスを退団」に載せている。

私にはしたいことがたくさんあり、コーラスを退団したあとも、相変わらずしたいことを続けるだろう。ただし、自分の老化の進行を自覚したいま、私が死んだあとの妻への配慮が必要であることを痛感し、まずそれを実行しようと思う。

初めて海外旅行をした1992年より、海外旅行の直前に、二人が不慮の事故で死亡するという非常事態に対応するための資料やキーを、息子に手渡して来た。私が死んだ際にも、妻はそれ読むことにより、大きな対処はできるだろう。

しかし、日常的な些細なことで困ることがあることは十分予想できる。例えば、電話・FAXの使い方、TV・BDプレーヤーの使い方、PC不調時の対応、などの実際である。

私のしたいことの多くが、何かを作り、あるいは構築し、それをサイトに記事として載せることであるが、その記事について、これまでのような思いつくままではなく、選別する必要があると思うようになった。

その基準は以下の4点にしようと思う。
優先順位は、
  1.自分あるいは妻にとってこれからの人生で有用である
  2.家族にも有用の可能性がある
  3.第三者にも有用の可能性がある
  4.関係者に不利益を及ぼす可能性が少ないと思われる

妻に有用ではなかろうかと私が思う記事を、妻は見たくないと思うかもしれないが、それは見なければ済む。記事がなければ、見たくとも無いものを見ることはできないのだから、記事は必要だと考える。

また、ある時点を選び、サイトの記事すべてを電子出版の形式でDVDに保存しようと思う。その具体的な方法は検討中で、実行の際にマニュアル化しようと考えている。その配布についても考えている。

私の死後、このサイトを継続するか否かを考慮中だが、閉鎖する気持ちに傾いている。

私は長い時間をかけて構築してきたプロジェクトを持っている。ネットワーク・メディアプレーヤーである。簡単に言えば、ファイルベース時代のホーム・シアター。このプロジェクトは、私の動画人生の集大成、ライフワーク的な仕事だと思っている。

記録としてのサイトの記事は、私にとって最重要であるが、映像記録としては、動画マスターファイルが最重要で、その表示手段であるネットワーク・メディアプレーヤーを完成させたく思っている。

このような整理をしながら、心は軽やか、その作業を楽しんでいるのに気づき、頬がゆるむ。自分は、作ること、構築することが本当に好きなのだと思う。これはおそらく持って生まれた気質なのだろう。

もし、明日の命がないと分っても、したいことをしているような気がする。したいこととは、作ること、構築することが主で、読書、鑑賞のような受け身の欲求に向かう確率は低い気がする。


<2016.6.13.>


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