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  2007年8月、自治会の回覧で「山口の昔話」というテーマの山口公民館・地域講座の開催を知った。旧・国鉄有馬線などの山口の昔話の講演と山口町郷土資料館の見学がその内容だった。私にとっては、HP「にしのみや山口風土記」の情報収集の格好の機会であり、勇んで参加した。
 開始数分前の会場には、既に30名ほどの参加者がつめかけ、パイプ椅子に陣取っている。なかなかの盛況のようだ。多くは地元のオジサン、オバサンとお年寄りたちである。
 講師は、山口町在住の山口町史編集委員でもある岡本佐久次さんという方である。話の内容から80歳前後の年齢と推察されるが、到底その歳に見えないかくしゃくたる話し振りだった。
 講演では、私の知らなかった多くの話を聞くことができた。「山口の紙漉き職人であった「やじ兵衛」という人が天保年間に姫路藩に招かれて34年間にわたって藩札づくりに携わった」といった話しは初めて耳にしたものだ。
 予定時間を15分ばかりオーバーして講演が終了した。希望者はそのまま徒歩10分ほどの郷土資料館に移動し、引続き岡本講師による展示品の解説を受けた。終了後、「有馬郡誌」掲載の山口の名勝旧跡の現状について幾つか講師に質問し、回答を得ることができた。


 今回の講演で、旧国鉄有馬線をはじめとした山口の鉄道を巡る以下の話題は、とりわけ興味深いものだった。
 ・旧国鉄有馬線敷設には山口村も駅舎建設費用の寄付等、積極的に協力した。駅名には「山口」の名前が冠される筈だったがなぜか「有馬口」駅になってしまった。駅舎の位置は当時の村の中心部の役場(現在の支所)付近を要望したが、カーブや勾配等の制約があり、結局、公智神社北側の平地になった。
 ・講師が出征兵士として篠山の連隊に出発した年に旧国鉄有馬線は廃線となり、終戦で昭和20年6月に帰還した時には既に駅舎もレールも取り払われていた
 ・旧国鉄有馬線以外にも、「明治45年計画の箕面有馬電気軌道」「大正12年計画の有馬電気軌道」「昭和47年計画の国鉄福知山線複線電化」と山口を通過する鉄道計画が過去3回俎上にのぼったがいずれも実現されなかった。
  講演中には、西宮市の広報課作成のビデオ「知られざる西宮V・失われた鉄道を求めて」と題するビデオも放映された。旧国鉄有馬線を巡るドキュメントである。さすがに行政機関による取材だけあって多くの貴重な資料や画像、関係者インタビューを交えた優れた作品だった。地域講座終了後、ビデオの貸し出しを受け、その概要を「ビデオ・失われた鉄道を求めて(国鉄有馬線)」のタイトルでこのサイトに収録した。