トップ 伝えたいこと アウトライン 案内地図 地形 船坂の風景 北六甲台物語
 1983年、西宮市北部の新興住宅街「北六甲台」に移り住んだ。以来20数年が経過した。散歩がてらに目にする豊かな自然と風景は、限りない安らぎと郷愁を覚えさせずにはおかない。
 たまたま目にした「山口村誌」という郷土誌も興味深いものだった。山口村誌なども頼りに、この街の歴史、自然、史跡、風物を紹介したいと思った。多くの人にこの街の素晴らしさを知ってもらい、この自然の恵みと風土をいつまでも護ってもらいたいと思った。そのことに少しでも貢献できればというのが、この地域紹介サイト「にしのみや山口風土記」を立ち上げた主要な動機である。
 私は、故郷を離れ山口という歴史の街の一角に忽然と姿を現したベッドタウンに移り住んでいる。そんな私には、子供たちに子供たちの故郷であるこの街をを語れない。新興住宅に住む多くの親たちも然りである。「風土記」による新興住宅の住民や子供たちへの「歴史と自然の街」のアナウンスへの想いが加速した。ライフワークがステップアップしたと思った。
 新興住宅街の中に開校した小学校の先生の「風土記」へのアクセスが、私を小学校の教壇に立たせることになった。3年生の授業に地域学習がある。「通い」である先生たちもこの街を語れない。「風土記」の作者の出番となった。ふるさとを知らない新興住宅街の子供たちへのパソコン活用の現代版・語り部の役回りが巡ってきた。個人的ライフワークが社会貢献と結びついた喜びの瞬間だった。
  六甲の山並みの北側に広がるこの街は、1951年(昭和26年)に西宮市に合併される以前は「有馬郡山口村」と呼ばれていた。合併に際して山口村の伝承・風物・自然を伝えようと1973年(昭和48年)に発刊されたのが「山口村誌」である。
 また郡制が廃止された1923年(大正12年)を期に、兵庫県有馬郡会は郡誌編纂を議決した。これを受けて「有馬郡誌」が1929年(昭和4年)に発行された。
上下2巻からなる有馬郡誌には、有馬郡16カ村のひとつである山口村の記述も多い。
 「山口村誌」も「有馬郡誌」もネットを通じて入手することができた。このサイトは、主としてこの二つの郷土誌をもとに記述している。 
 「風土記」の執筆を通して痛感したことがある。知ることが愛することの出発点だということだ。山口を知ることでこの街が好きになった。この街の素晴らしさを護りたいと思った。知るための教材としての「風土記」執筆に拍車がかかった。
 歴史のあるこの街に昔から住んでいる住民と同様、山口の新興住宅街に終の棲家を求めた住民たちやその子供たちにとっても山口はふるさとである。「ふるさと山口」を共通のキーワードにして新旧住民の交流や連携が図れれば、山口の活性化にとって大きなパワーを生み出すに違いない。