横浜ベイスターズ情報

2000年オフから2001年にかけての横浜ベイスターズ情報です。
KATO's Page YOKOHAMA BayStars & Baseball 横浜ベイスターズ情報1997 1998 1999 2000

ドスター解雇(2001.10.22)

ドスターの解雇を決定、ウェーバー公示した。5人の助っ人のうち、バワーズのみが残留か?

高木豊コーチが退団(2001.10.15)

高木豊守備走塁コーチが今季限りで退団することが決定。

公式戦終了(2001.10.12)

10月11日の対中日ドラゴンズ戦で、今季の公式戦を終了。翌日、リーグの全日程が終了。勝ち星でカープを上回り、かろうじて5年連続のAクラスをキープ。

選手登録(2001.10.11)

三浦、神田を抹消。出場機会が無いため。代わって後藤、多村を登録。

谷繁1000安打(2001.10.09)

谷繁元信捕手が9日の対ドラゴンズ戦で通算1000安打を達成。初安打は1989年4月11日対カープ戦で。

選手登録(2001.10.09)

杉本を抹消。出場機会が無いため。代わって鈴木尚を登録。故障は癒えたのでしょうか。

選手登録(2001.10.08)

野村、谷口を抹消。出場機会が無いため。代わって中野渡、稲嶺を登録。稲嶺は出番があるのでしょうか。

選手登録(2001.10.05)

吉見、古木、七野を抹消。代わって竹下、井上、万永を登録。詰まらない....。

中尾コーチ退団(2001.10.02)

中尾孝義シーレックスバッテリーコーチが今季限りで退団することが決定。

9選手に戦力外を通告(2001.10.01)

五十嵐、三野、岡田、小桧山、田中敏、杉山俊、宮内、大野、金川の9選手に来季の戦力外であることが通告された。

ズーバー解雇(2001.09.30)

ズーバーに来季の戦力外であることを通告。ズーバーは30日に登録抹消、1日に帰国予定。

サンダース解雇(2001.09.27)

サンダースを今季限りで解雇。ウェーバー公示の手続きをした。

選手登録(2001.09.25)

左手負傷の鈴木尚、ひじ痛の中野渡を降格、代わって古木、山田を登録。がんばれ、古木!!

選手登録(2001.09.21)

福本降格、神田昇格。福本は何かしましたっけ?

選手登録(2001.09.20)

杉山降格、吉見昇格。

選手登録(2001.09.12)

おたふく風邪疑惑の万永を降格、代わって福本を登録。

選手登録(2001.09.08)

静岡でボロボロだった森中を降格。代わって鶴岡を登録。

選手登録(2001.09.04)

バントに失敗した井上降格。代わって田中一昇格。古木か七野とおもったんだけどなあ。開幕早々から井上、万永より古木、七野、小池と主張していたわたしにとっては、井上降格はいいのですが、理由がバント失敗というのが何ともね....

選手登録(2001.08.26)

多村を腰痛のため登録抹消。どうしてチャンスになると怪我するのでしょうね、多村は。代わって小池が昇格。がんばって〜。

ホージマー退団(2001.08.25)

ホージマー投手の退団が球団から発表された。夫人の出産に立ち会うために帰国するにあたり、来季の契約を結ぶ意思がないことを通告。このまま退団となる。26日にシーレックス戦で最後の登板予定。

選手登録(2001.08.22)

東と田中一を降格。田中一は打てそうもなかったもんなあ。東は....、次はがんばれ。代わって杉本とズーバーが昇格。杉本ねぇ....。

選手登録(2001.08.19)

先発してワンアウトもとれなかったホージマーを降格。代わって谷口が昇格。

選手登録(2001.08.18)

鶴岡とサンダースを抹消。多村と石井義が昇格。鶴岡はほとんど出番が無いまま。サンダースは....。だから言わんこっちゃない。打てないねぇ。

選手登録(2001.08.17)

米と細見を抹消。米は足を負傷。細見は水虫。代わってホージマーと東を登録。ホージマーは袖ヶ浦のピッチングをベイスターズでも。東は初登録。思い切って投げてくれ。

選手登録(2001.08.14)

カープ戦で打たれた吉見と昇格してすぐに打たれた河原を降格。代わって細見と竹下を昇格。細見、どうなんでしょうね。ファームで結果を出していたかどうかは不明。竹下は、この前ボロボロだったのをみたばかり....。

選手登録(2001.08.12)

なぜか三割打者ズーバーを降格。代わってここ数試合で本塁打を連発しているサンダースが昇格。ダメだと思うけどなあ。ズーバーもそんなに悪くないと思うし....。

選手登録(2001.08.10)

北海道で炎上した小桧山を降格。代わって河原を昇格。多くは期待しませんけど。小桧山は今月また北海道に行けそうですね。

野村、通算100勝達成(2001.08.05)

野村弘樹投手が通算100勝を達成。プロ14年目で達成。1988年10月2日対広島カープ戦で初勝利。1993年には17勝をあげて最多勝。デビュー直後の、谷繁との合計40歳バッテリーは見ていて楽しかった記憶があります。

選手登録(2001.08.04)

細見を降格、代わって森中を昇格。細見はもう一度調整して出直しですね。期待しています。森中はシーレックスでもそんなに好調とは思えないのですが....。

木塚7月月刊MVP(2001.08.03)

木塚投手はセントラルリーグ7月の月刊最優秀選手(投手部門)を獲得した。中継ぎながら規定投球回数をクリア。1点以下の防御率が評価された。

鈴木尚1000安打(2001.07.31)

鈴木尚典外野手は、7月31日対カープ戦(広島市民球場)で1回表レフト前にヒットを放ち、通算1000安打を達成した。

選手登録(2001.07.29)

野村を登録、七野を抹消。七野は代打の1打席だけでした。残念。次の機会を目指してがんばれ!!

オールスター第3戦(2001.07.24)

石井は途中の守備から出場1打数無安打。佐伯は代打で出場、そのままDHに。3打数無安打。元YB盛田は打者1人(清原)から三振を奪う。

オールスター第2戦(2001.07.22)

石井琢朗がスタメンショート。6打数4安打で優秀選手賞。鈴木尚は6番レフト、3打数1安打、無死満塁の場面で代打を送られる。谷繁は8番スタメン捕手で出場。松坂から初球をセンターオーバー二塁打。3打数1安打。佐伯は途中、代打で出場。1打数1安打2打点。斎藤隆は9回からマウンドへ。簡単に三者凡退におさえる。元YBの盛田が出場。打者2人に対して1安打。

オールスター第1戦(2001.07.21)

石井琢朗がスタメンショート。3打数1安打。鈴木尚は9番DHでフル出場。3打数2安打。谷繁は途中から出場、1打数0安打。佐伯は途中から出場、1打数1安打。

フレッシュオールスター戦(2001.07.20)

田中充、七野、内川、後藤の4選手が出場。田中充は1安打2打点2盗塁で優秀選手賞を受賞。七野は4番ファーストでフル出場したものの、死球で出塁したのみ。内川はライトフェンス直撃の二塁打を放つ。後藤は最終回に登板もコントロールが安定せず、2/3を投げて1失点。

選手登録(2001.07.17)

野村、宮内を抹消。代わって鶴岡、七野を登録。野村は前半戦の登板機会が無いための抹消。七野は初のベイスターズ昇格。がんばれ七野。

選手登録(2001.07.15)

竹下、田中敏を抹消。代わって米、野村を登録。がんばれ、野村。

オールスター出場選手(2001.07.11)

石井琢朗がファン投票で、斎藤隆、谷繁元信、鈴木尚典、佐伯貴弘が監督推薦で出場。森監督もコーチとしてベンチ入り。

選手登録(2001.07.07)

谷口を抹消。代わって三浦を登録。肝機能障害から復帰。

選手登録(2001.07.04)

河原を抹消。代わってバワーズを登録。復活白星を。

選手登録(2001.06.30)

米、森中を抹消。代わって小桧山、河原を登録。

選手登録(2001.06.29)

ホージマーを抹消。ホージマーの抹消で空いた枠と三浦の抹消で空いていた枠に、谷口、吉見を登録。

選手登録(2001.06.28)

石井義を抹消、代わって宮内を登録。27日のエラーがきいて抹消となった模様。宮内、チャンスを生かす活躍を。

選手登録(2001.06.27)

肝機能障害が再発した三浦を登録抹消。年中行事になってきましたね。

選手登録(2001.06.24)

田中一を降格。代わって多村を登録。登録即スタメンで本塁打。

選手登録(2001.06.22)

新沼を降格。一度も出番無かったじゃないか。代わってホージマーを登録。あれ? 捕手二人でいいんですか?

選手登録(2001.06.18)

バワーズ降格。好投しても打線が打ってくれないもんだから、とうとう自爆してしまった感じです。代わって森中が昇格。

選手登録(2001.06.14)

打てないサンダースを降格。打率1割を切るって何だそりゃ。代わってズーバーが昇格。まだズーバーの方が打てそうです。

選手登録(2001.05.31)

河原を降格。代わって杉山賢が昇格。

背番号変更(2001.05.29)

ホージマー投手が背番号を38から42に変更。

選手登録(2001.05.28)

谷口、小池を降格。代わって昇格するのは川村とサンダースか。

選手登録(2001.05.27)

鶴岡を降格。代わって新沼が昇格。

選手登録(2001.05.26)

森中を降格。代わって横山が昇格。

選手登録(2001.05.21)

杉山を降格。代わって昇格するのは三浦の予定。

選手登録(2001.05.19)

ズーバーを降格。代わって小池が昇格。今度のチャンスは逃さないでがんばれ、小池。

選手登録(2001.05.16)

細見を登録。代わって米を降格。元祖追浜魂を見せてください、細見さま。

新外国人選手獲得(2001.05.14)

アンソニー=サンダース外野手(シアトルマリナーズ)を獲得。右投げ右打ち。球団の公式発表

選手登録(2001.05.13)

前田を降格。代わって田中敏が昇格。シーレックスの抑えの切り札、活躍を期待します。前田の昇格は何だったのでしょう。

選手登録(2001.05.07)

不調の多村を降格。代わって田中一がベイスターズ再昇格。5日、6日の2日間で7安打(うち1本はランニング本塁打)した好調さが買われたのでしょう。

選手登録(2001.05.06)

前田を登録。代わって小桧山を登録抹消。前田の調子が良いとは思えませんが、何か事情があるのでしょうか。

選手登録(2001.05.05)

シーレックスで調整の進んだと思われるドスターを登録。代わって小池を登録抹消。次のチャンスでがんばれ、小池。

選手登録(2001.05.04)

肘の張りを訴えた福盛を登録抹消。代わって小宮山を登録。シーレックスでも7回9失点のピッチングしかしていないんだけど、大丈夫ですか?

選手登録(2001.05.03)

肩の違和感を訴えた三浦を登録抹消。代わってホージマーを登録。

トレード(2001.04.20)

波留敏夫外野手と中日ドラゴンズ種田仁外野手、山田博士投手の2対1交換トレードが成立、発表された。種田の背番号は12、山田の背番号は34。これにともない、波留の出場選手登録を抹消、小池が昇格した。

選手登録(2001.04.14)

小宮山をシーレックスに降格、代わって米を登録。また、田中一をシーレックスに降格、代わって多村を登録。

選手登録(2001.04.09)

不調の川村をシーレックスに降格。代わってシーレックスのエース谷口がベイスターズに昇格。今度はチャンスを生かせ。がんばれ、谷口。また、入院中の遠藤コーチに代わって、シーレックスの堀井コーチが臨時にベイスターズへ。

遠藤コーチ負傷(2001.04.07)

遠藤投手コーチが、練習中に打球を背中に受けて負傷。脾臓に内出血が見られるとのことで入院。しばらく入院する模様。

杉山賢の背番号(2001.04.04)

トレードにより入団した杉山賢人の背番号が26に決定した。佐伯が10に変更して空き番号になっていました。

トレード(2001.04.03)

関口伊織投手と、大阪近鉄バファローズの杉山賢人投手の交換トレードが成立、発表された。杉山投手は、1993年に西武ライオンズに入団、阪神タイガース、大阪近鉄バファローズに移籍している。

選手登録(2001.04.03)

川村、福盛を出場選手登録。

登録抹消(2001.04.02)

横山、内川を登録抹消。横山はあのピッチングじゃ....。オープン戦では良い試合もあったんだけどな。内川は、代走しかしてないぞ。川村、福盛を登録するのでしょう。

開幕一軍メンバー(2001.03.29)

斎藤、森中、河原、三浦、木塚、野村、小宮山、横山、バワーズ、中野渡、竹下、谷繁、鶴岡、相川、万永、金城、ドスター、石井琢、小川、内川、ズーバー、石井義、波留、中根、鈴木尚、田中一、佐伯、井上

S席チケットの発券をイープラスが(2001.03.03)

今季の横浜スタジアムの主催試合S席の発券業務を「イープラス」が独占して行う。

シーレックス「糸でんわ」をスポンサーに(2001.03.03)

追浜駅近くで携帯電話店を営業している(株)エレクトロデザインをスポンサー契約し、ユニフォームとヘルメットに同社のロゴ「糸でんわ」をつけることが決まった。

福盛が改名、背番号変更(2001.03.01)

福盛の登録名が福盛和男から福盛一夫へ。背番号は34から37に変更することが発表された。

一軍キャンプ打ち上げ(2001.02.23)

沖縄宜野湾市立野球場で行われてきた春季キャンプを打ち上げ。24日からは、オープン戦が開催される。

細見、波留が帰浜(2001.02.23)

20日でキャンプを打ち上げたシーレックスとともに細見が帰浜。右肩の違和感で調整が遅れているもの。また、シーレックスでキャンプを過ごした波留もともに帰浜した。開幕には間に合わない見込み。

横浜対湘南(2001.02.15)

宜野湾市立野球場で、横浜ベイスターズ対湘南シーレックスのチャリティ対抗戦。初回の拙攻をものともせずに6点を先制した横浜が湘南を下す。湘南は横浜横山から1イニング4点の反撃をするが及ばす。

メンバー入れ替え(2001.02.14)

ねんざの福本がシーレックスへ降格。代わって内川が昇格。ドラフト一位ルーキーが早くも一軍昇格です。

メンバー入れ替え(2001.02.08)

腰痛の神田がシーレックスへ降格。代わって中野渡が昇格。また、右足捻挫の岡田がシーレックスへ降格。

キャンプスタート(2001.02.01)

沖縄県宜野湾市で、春季キャンプがスタート。波留が右足ふくらはぎの故障のためシーレックスで調整。シーレックスは横須賀の練習場でキャンプ開始。2月5日に沖縄県嘉手納町に移動する予定。

キャンプ参加メンバー追加(2001.01.30)

発表済みのキャンプ参加メンバーに加えて、石井義内野手が一軍キャンプに最初から参加することが発表されました。

キャンプ参加メンバー(2001.01.26)

一軍春季キャンプの参加予定者が発表された。監督=森、コーチ= 黒江、高木由、遠藤、高木豊、青山、秋元、片平、ターニー、平野、投手=斎藤隆、関口、森中、河原、川村、三浦、木塚、野村、吉見、細見、小宮山、岡田、福盛、ホージマー、横山、バワーズ、神田、竹下、捕手=谷繁、鶴岡、相川、内野手=万永、金城、ドスター、石井琢、小川、福本、ズーバー、宮内、外野手=波留、鈴木尚、田中一、佐伯、井上、多村。

スローガン「Fight in Unity」(2000.01.20)

今季のチームスローガンが「Fight in Unity」と決定。チームが一体となって、そして地域と、ファンといっしょになって戦うという意味らしい。

森監督の氏名表記(2001.01.20)

森監督が、名前(祇晶の「祇」)の書体を「示へんに氏」から「祇」に改めることを表明した。球団も表記には苦労していたと思いますので、とりあえずよかった。このページでは以前同様、引き続き「祇」で表記します。

駒田現役続行断念、引退へ(2000.01.18)

横浜ベイスターズを自由契約となり移籍先を探していた駒田徳広が、現役続行を断念、引退を表明した。「悔いは残る。でも、やるだけのことはやった」とのこと。さらに、「たとえば一週間後にでもやれと言われたら、やりますよ」と現役へのこだわりに変化が無いことも表明した。どこに移籍しても応援していくつもりでしたので、獲得する球団が現れなかったのは残念でした。横浜の駒田として、ずっと記録に残ってくれるのはちょっとだけ嬉しいことですが。

ローズ自由契約(2001.01.09)

保留選手として来季の契約交渉、および他球団とのトレードの打診を続けてきたロバート=ローズ内野手との契約は成立せず、トレードも不調に終わった。球団は契約の保留を解除、ローズを自由契約選手とし、公示された。

背番号変更(2000.12.18)

横浜ベイスターズは2001年シーズンからの選手背番号の変更を発表した。波留 2→1、金城 37→2、佐伯 26→10、田中敏 66→60、以上4選手。

新人9選手入団発表(2000.12.14)

ドラフト会議で指名、契約した新人9選手の入団が横浜市内のホテルで発表された。契約金、年俸、背番号などはこちらへ。

2001年日程発表(2000.12.07)

セントラルリーグは2001年の公式戦日程を発表した。開幕は3月30日(金)。ベイスターズはスワローズと対戦する。本拠地以外の開催試合は、24試合(ホーム、ビジター合計)と、例年になく多い。140試合制に移行して、地方開催を増やした結果と思われる。

ベイスターズフェスタ(2000.11.23)

2000年のファン感謝デー「ベイスターズフェスタ」が横浜スタジアムで開催された。観客数は見た目12000人程度? 権藤前監督や森監督は姿を見せませんでした。また、駒田、新井などの退団する選手も姿を見せませんでした。

ドラフト会議指名選手(2000.11.17)

ドラフト会議が開催され、横浜ベイスターズは9人の選手を指名した。9人中高校生が6人(投手3人、捕手2人、内野手1人)であることが特徴的です。ドラフト2位では東北福祉大の吉見祐治投手を指名。即戦力左腕の呼び声高い選手です。一覧はこちら

日米野球(2000.11.12)

金城が2番ショートでスタメン出場。3打数0安打1四球。特にいいところなく終わってしまったようです。この試合は残念でしたが、このシリーズは良い収穫になったと思います。

日米野球(2000.11.11)

金城が2番ショートでスタメン出場。5打数1安打。初回に無死一塁の場面で併殺打、ヒットで出塁して牽制死、守備でもぽろぽろとやってしまっていいところは少なかったようです。

トレード入団選手背番号発表(2000.11.10)

小川博文内野手=背番号23、杉本友投手=背番号19、前田和之投手=背番号41。BW時代の背番号をそのままつけることになった小川内野手、背番号23は自分の番号だとしっかりアピールしてください。

新外国人選手(2000.11.10)

マーク=ホジマー投手(31歳 185/77 背番号38 左/左)、 シェーン=バワーズ投手(29歳 196/100 背番号44 右/右)、 デーブ=ドスター内野手(30歳 178/84 背番号4 右/右)、 ジョン=ズーバー内野手(30歳 183/86 背番号49 左/左)

日米野球(2000.11.09)

金城がスタメン二番サードで出場。3打数2安打1犠打の活躍。NPB唯一の得点にもからむことができました。

2001年のコーチングスタッフ発表(2000.11.09)

横浜ベイスターズ: 監督=森祇晶、ヘッドコーチ=黒江透修、打撃コーチ=高木由一、投手コーチ=遠藤一彦、守備走塁コーチ=高木豊、青山道雄、バッテリーコーチ=秋元宏作、同補佐=片平保彦、S&Cコーチ=ジョンターニー。湘南シーレックス: 監督=日野茂、打撃コーチ=田代富雄、投手コーチ=堀井恒雄、守備走塁コーチ=銚子利夫、バッテリーコーチ=中尾孝義、同補佐=三浦正行、S&Cコーチ=塚原賢治、同補佐=平野元章。

日米野球(2000.11.08)

金城が2番ショートでスタメン出場。5打数1安打でした。

日米野球(2000.11.07)

金城が2番ショートでスタメン出場。3打数1安打1四球の活躍でした。金本の内野安打で二塁から生還した走塁は見事。

阿波野引退(2000.11.06)

横浜ベイスターズを戦力外となり移籍先を探していた阿波野秀幸投手が現役を引退することが決定し、球団から発表された。阿波野は近鉄バファローズに入団、読売巨人軍を経て1998年から横浜ベイスターズに移籍、リリーフ投手として優勝に貢献した。

日米野球(2000.11.05)

金城が2番ショートでスタメン出場。4打数4安打2打点、1四球の活躍。試合終盤はレフトの守備にもつきました。The man of the game に選出。

日米野球(2000.11.04)

金城が代打で途中出場もファーストライナーで凡退。そのまま三塁守備に入る。1打数無安打0打点。

日米野球(2000.11.03)

金城がスタメンショートで出場。3打数1安打2打点。一時は同点となるタイムリーヒットを放つ。

トレード成立(2000.11.02)

横浜ベイスターズの進藤、新井潔、戸叶とオリックスブルーウェーブの小川、杉本、前田の3対3の交換トレードが成立し、両チームから発表された。

出身地別東西対抗(2000.11.01)

西軍から金城、谷繁、三浦、東軍から鈴木尚が出場。金城は1本塁打を含む2安打、浅い外野フライでタッチアップ、生還などの活躍で優秀選手賞を獲得。鈴木尚は1本塁打。また、浅い外野フライで金城のタッチアップを許す好アシスト。

ローズ、石井琢がベストナイン受賞(2000.10.30)

ローズ、石井琢の両内野手がセントラルリーグのベストナインに選出された。ローズは6回目、石井琢は4回目。

金城が新人王を獲得(2000.10.30)

首位打者を獲得した金城龍彦内野手がセントラルリーグの最優秀新人のタイトルを獲得した。チームでは1977年の斉藤明雄投手以来23年ぶり。

島田がヤクルトスワローズへ(2000.10.29)

横浜ベイスターズを戦力外となっていた島田直也投手がヤクルトスワローズに入団することが決定した。獲得の意思を示していた日本ハムファイターズ、千葉ロッテマリーンズよりも、「横浜を見返したい」ためにスワローズを選択した模様。がんばれ、島田。


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