横浜ベイスターズ情報

1998年オフから1999年にかけての横浜ベイスターズ情報です。
KATOのページ YOKOHAMA BayStars & Baseball 横浜ベイスターズ情報1997 横浜ベイスターズ情報1998

日韓野球出場選手(1999.10.25)

10月6日〜10日に4試合行われる日韓野球にベイスターズから出場する選手は、第1戦(11/6 ナゴヤドーム)に川村、石井琢、第2戦(11/7 岐阜長良川球場)に福盛、波留、第3戦(11/9 福岡ドーム)に三浦、第4戦に斎藤隆、谷繁、石井琢、鈴木尚。ただし斎藤隆と鈴木尚は出場を辞退する。代わりに佐伯、横山が出場する予定。

宜野湾秋季キャンプ参加者(1999.10.24)

沖縄県宜野湾市で行われる秋季キャンプの参加者です。森中、河原、川村、矢野、三浦、戸叶、野村、関屋、福盛、横山、谷口、島田、谷繁、新沼、鶴岡、万永、古木、石井琢、金城、福本、波留、佐伯、井上、加藤、多村、小池。

FAでの動向が気になる、リハビリ中の野村も参加です。FA権を持つ進藤、佐々木は参加しません。

鈴木尚が入院(1999.10.23)

左肩の痛みを訴えていた鈴木尚が、頸椎症性神経根症のため入院する。手術は受けずに点滴などを受けながら静養する。全治1か月。

出身地別東西対抗戦出場選手(1999.10.22)

11月3日東京ドームで行われる出身地別東西対抗戦に出場する選手が発表されました。横浜ベイスターズからは、東軍に川村(神奈川)、石井琢(栃木)、鈴木尚(静岡)、西軍に谷繁(広島)、波留(京都)が出場する。

権藤監督が来季も続投(1999.10.21)

権藤監督はマルハ本社で中部オーナーに今季の報告をした。来季も権藤監督が継続して指揮をとることが決まった。契約期間は1年。

佐々木がハイサイリーグで登板(1999.10.19)

佐々木が8月に右肘の手術を受けて以来初めて、実戦のマウンドに上った。19日、沖縄宜野湾で行われたハイサイリーグの対広島カープ戦で登板。先発して1イニングを3人で抑えた。

ローズをセリーグ会長特別表彰(1999.10.19)

最多安打のセリーグ記録を49年ぶりに更新したローズを、セリーグ会長特別表彰することが決まった。ローズの今季の安打数は192。

タイトルホルダー(1999.10.16)

今季のタイトルホルダーが確定しました。ベイスターズ選手では

ローズがシーズン最多安打リーグ新記録(1999.10.15)

ローズが15日の試合4打席目で今季192本目のヒットを放ち、これは1950年の藤村(T)の記録を破るセリーグ新記録。打点は153と新記録に届きませんでしたが、今季の打率、打点は賞賛すべきもの。何らかの表彰を考えてください、高原さん。打率.369は落合の記録を破る右打者の最高打率でもあるそうです。

石井琢が1000試合出場(1999.10.15)

試合が成立した5回終了後、守備につく石井琢に花束が渡されました。1000試合出場おめでとう。微妙なタイミングで今季中に達成できました。初出場は投手として出場だったはずですね。おめでとう。

チーム打率プロ野球記録(1999.10.15)

チーム打率を.294の高率で終え、これはプロ野球記録になるそうです。試合が終了してスコアボードで発表されるまで知りませんでした。おめでとう。

公式戦終了(1999.10.15)

71勝64敗で3位。3位とはいえ、ドラゴンズ、巨人軍、スワローズの3チームに負け越し。Bクラスでもおかしくない結果に終わってしまいました。チャンスに打てない、ピンチに打たれる野球になってしまいました。すべての歯車がかみ合わないままシーズンを終わってしまった印象です。でも、3年連続勝ち越しはチーム新記録。

登録選手入れ替え(1999.10.15)

登板機会の無い三浦と谷口を抹消。代わって西と川崎を登録。西は現役最後の雄姿を本拠地で見せるため。川崎は何? 西さん本当にお疲れさまでした。

登録選手入れ替え(1999.10.14)

登板機会の無い斎藤隆を抹消して、谷口を2回目の登録。前回は登板機会がありませんでしたが、今回は登録即初先発。結果は出せませんでしたが、今後へのステップにしてほしいです。

ローズ、セリーグ最多タイの191安打(1999.10.14)

ローズがセリーグ最多記録に並ぶシーズン191本目のヒットを放った。これまでのリーグ記録はタイガース藤村富美男が1950年に記録したもの。セリーグ創設のシーズンに記録されたものなのですね。

畠山、戦力外(1999.10.13)

畠山準外野手に来季戦力外が通告された。出場機会が極端に少なくなり、実力を発揮できないままシーズンを終えてしまった感があるのが残念でなりません。出場機会さえあれば、勝負強いバッティングもみられたはず(?)。他球団で活躍の場が得られることを願ってやみません。もちろん今後も畠山選手の応援を続けます。

湘南シーレックス(1999.10.13)

2000年から横浜ベイスターズのファームは、チーム名を「湘南シーレックス」に変更する。将来の独立採算制までにらんだ形で、より一層地元(横須賀、平塚)に密着した活動を目指したもの。ユニフォームも新しいものに変更する予定。「シーレックス」はラテン語で海の神様?

斉藤、岩井両コーチが退任(1999.10.12)

斉藤明夫ピッチングコーチ、岩井隆之内野守備走塁コーチが退任する。斉藤コーチは投手陣崩壊の責任をとる形。ユニフォームを脱ぐことになる。岩井コーチはフロント入りとのこと。斉藤コーチの大きい背中を試合前の練習で見られなくなるのはさびしい限りです。来年は再びTVKの解説でしょうか。楽しみにしています。おつかれさまでした。岩井コーチは昨年の優勝の陰の立て役者ではないでしょうか。昨年の優勝は安定した内野守備があってこその優勝でした。フロントでしっかりと戦力の充実を図るよう、お願いします。

単独3位が決定(1999.10.10)

10月10日の勝利で単独3位が決定。3年連続Aクラス、3年連続勝ち越しはともにチーム初の快挙です。

登録選手入れ替え(1999.10.09)

書き漏らしていました。渡辺に変わって森中が登録されています。たしか6日あたりです。

登録選手入れ替え(1999.10.08)

解雇が決定したポゾを抹消。代わって福本を登録。ルーキーでは矢野、古木、金城に次ぐ一軍ですね。試合にでられるといいですね。最も一軍が近かったはずの小池はどうしちゃったの?

ポゾ、戦力外(1999.10.07)

アルキメデス=ポゾ内野手に対して、来季戦力外が通告された。もう何年か鍛えてみても面白い選手だと思うのですけどね。守備力が足りなかったのでしょうか。

7選手に戦力外通告(1999.10.04)

球団は西、池上、紀田、宮川、ジョー古河、四条、金村の7選手に来季の戦力外であることを通告した。

ローズ残留へ(1999.10.04)

ローズとの来季契約交渉で合意に達した模様。3億4千万円。

登録選手入れ替え(1999.10.04)

谷口を抹消。代わって金城を登録。谷口も結局一度も登板はありませんでした。何だそりゃ。金城は早速初打席で併殺打。がんばれー。

登録選手入れ替え(1999.09.18)

神田を抹消。代わって谷口を登録。結局神田は一度も投げずに降格。谷口は入団後初の一軍です。登板機会があるといいね。がんばれ谷口。

登録選手入れ替え(1999.09.18)

川崎を抹消。代わって小桧山を登録。崖っぷちの小桧山。さあ、どうする。

登録選手入れ替え(1999.09.11)

森中を抹消。代わって神田を登録。森中はおたふく風邪による発熱。せっかく実力を発揮しはじめたところなので、非常に残念です。神田は今季初の昇格です。チャンスを生かせ。

球団が権藤監督に続投要請(1999.09.05)

大堀球団社長が、今季で2年契約を終了する権藤監督に続投要請したことを表明した。権藤監督の意思表明は公式戦終了後となるが、続投に前向きな発言をしている模様。大堀社長は2年間のチーム成績と、作り上げたチームカラーを評価したらしい。

登録選手入れ替え(1999.09.01)

矢野、秋元を抹消。矢野は肘に違和感。秋元は....、がんばってくれい。代わって谷繁、戸叶を登録。

登録選手入れ替え(1999.08.20)

米を登録抹消。代わって川崎を登録。これで安心して相川でも川崎でも使えますね。

登録選手入れ替え(1999.08.18)

17日の試合中に負傷した谷繁を登録抹消。代わって相川を登録。相川にはまたとないチャンスです。まずは試合出場を目標にしてがんばれ。

登録選手入れ替え(1999.08.14)

小桧山、西を抹消。代わって河原、渡辺を登録。河原は背水の陣じゃないかな。がんばれ。渡辺は移籍2年目で初の一軍登録。ファームのブルペンで選手の会話を聞いたことがあるのですが、渡辺はいい兄貴分という感じでした。一軍でもお願いしますよ。西さん、はやく戻ってください。

登録選手入れ替え(1999.08.11)

川崎を抹消。代わって荒井幸雄を登録。川崎って出場機会あったけ? 荒井は鼻骨骨折からの復帰。ファームでも調整済み。代打の切り札、がんばれ。

先発全員安打、先発全員得点(1999.08.08)

進藤以外の全員がヒットを打った4回裏、進藤の一振りはレフトスタンドへ。6回裏にはタイムリー二塁打で出塁した斎藤隆が万永のタイムリーヒットで生還。先発全員得点となった。

登録選手入れ替え(1999.08.04)

佐々木を抹消。代わって米を登録。久々の一軍ですね。神田か関屋を使って欲しかったなあ。

佐々木、右肘手術が決定(1999.08.03)

右肘に故障をかかえながらの登板が続いていた佐々木に対し、チーフトレーナーがこれ以上の投球不可能を監督に進言。これを受けて権藤監督も手術を受けることを了承した。佐々木は3日中に遠征先の呉から横浜に帰った。登録抹消は間に合わず。こんなことなら古木を残しておけば良かったのに。

登録選手入れ替え(1999.08.03)

古木を抹消。代わって西を登録。佐々木に無理がきかないことのフォローでしょう。がんばれ、西。

野村、左肘を手術へ(1999.07.29)

ひじ痛で離脱している野村の左肘「ねずみ」があることが発覚。除去手術を受けることになった。今季の復活登板は絶望的。

鈴木尚がオールスター第3戦で優秀選手(1999.07.27)

27日倉敷マスカットスタジアムで行われたオールスター戦第3戦で、鈴木尚が2打数2安打の活躍。第1戦に続いて優秀選手に選出された。

ローズがオールスター第2戦で最優秀選手(1999.07.25)

25日甲子園球場で行われたオールスター戦第2戦で、ローズが3打数3安打1本塁打6打点の活躍。最優秀選手に選出された。1試合6打点はオールスター戦タイ記録。

鈴木尚がオールスター第1戦で優秀選手(1999.07.24)

24日西武ドームで行われたオールスター戦第1戦で、鈴木尚が5打数3安打の活躍。優秀選手に選出された。

古木がフレッシュオールルターゲームでMVP(1999.07.23)

横浜スタジアムで行われたフレッシュオールスターゲームで、ベイスターズ古木克明が同点で迎えた8回裏、決勝打となるタイムリー二塁打を放ち、最優秀選手に選ばれた。

登録選手入れ替え(1999.07.23)

西を降格して川崎を登録。代打で登場したが凡退。がんばれ。でも、西さん、早く帰ってきてね。

記録ずくめの試合(1999.07.22)

対スワローズ17回戦(YB22-11S)で、両チーム33得点はリーグタイ記録。ローズが10打点で、リーグタイ記録。石井琢が6得点でリーグタイ記録。

佐々木、当面は手術を回避(1999.07.29)

監督、フロントと話し合いの結果、当面の間手術は回避し、シーズン終了後または順位確定後に手術することになったようです。これで当分はスリルたっぷりの試合をみることができそうです。

佐々木が右ひじを手術へ(1999.07.19)

右ひじの張りを訴えてタイガース戦、ドラゴンズ戦での登板を回避した佐々木が、横浜市内の病院で精密検査を受けた。20日に監督と相談のうえで手術に踏み切る。キャッチボールの再開まで1か月かかる見込み。

FA権獲得とのタイミングが絶妙ですね。

駒田の連続試合出場がストップ(1999.07.17)

駒田が7月17日の対ドラゴンズ戦を欠場。巨人軍時代から739試合続いていた連続試合出場が739試合でストップ。

石井琢1000安打(1999.07.15)

甲子園球場で行われた対タイガース16回戦2回の打席で達成。

登録選手入れ替え(1999.07.15)

鼻骨骨折の荒井に代わって古木を登録。古木は初の一軍登録。がんばれ〜。

オールスター戦出場選手(1999.07.14)

ファン投票での選出はなかった。監督推薦で、斎藤隆、川村、佐々木、島田、谷繁、石井琢、ローズ、鈴木尚の8選手が出場することが決まった。

フレッシュオールスター戦、古木、矢野、小池が出場(1999.07.13)

7月23日横浜スタジアムで行われるフレッシュオールスター戦に、横浜ベイスターズからは古木、矢野、小池の3選手が出場することが決まった。

川村、ローズが6月の月刊MVPを受賞(1999.07.06)

6月の月刊MVPが発表され、投手部門は川村が初受賞、野手部門はローズが3回目の受賞。川村は5勝0敗、防御率1.89。ローズは打率.452、本塁打7、打点26を記録。おめでとうございます。

ローズ3回目のサイクルヒット(1999.06.30)

富山市民球場(アルペンスタジアム)で行われた対カープ戦で、ローズが自身3回目のサイクルヒット。プロ54回目(50人)の記録。

登録選手入れ替え(1999.06.30)

ひじ痛が再発した野村を降格。代わって五十嵐を登録。野村には焦らずにじっくり治療してもらいたい。万一治らなかったら.....、野手転向して駒田の後継者に。五十嵐は登録即登板。がんばれ、五十嵐。あのガッツポーズを再び。

ローズ1000安打(1999.06.19)

函館で行われた対スワローズ戦第一打席でライト前安打で達成。来日7年目で達成。

登録選手入れ替え(1999.06.11)

戸叶を降格。代わって野村を登録。しっかり時間をかけて出直してください、戸叶さん。野村は北海道での対ドラゴンズ戦に登板が予想されます。しっかりたのみますよ。

ローズが今季限りでの引退を表明(1999.06.08)

ローズが今季限りでの引退を表明。家族との時間を大切にしたいため、とのこと。勝負強いバッティングと、安定した守備が欠けるのは非常に大きい。残念です。

登録選手入れ替え(1999.05.30)

河原を降格。代わって森中を登録。登録即登板でプロ初勝利!! このピッチングを忘れずに!!

三野(G)を金銭トレードで獲得(1999.05.19)

読売巨人軍の三野勝大投手を金銭トレードで獲得。東北福祉大出身。1993年のドラフト1位。逆指名制度初のドラフト1位選手です。

登録選手入れ替え(1999.05.09)

野村、新井潔を降格。代わって横山、西を登録。野村は肘が万全でないため再調整。福盛が先発ローテーション入りするため中継ぎ投手を補充するので、新井は降格ということなのでしょう。頑張れ横山、西!!

登録選手入れ替え(1999.04.30)

森中を降格。代わって新井潔を登録。進藤、ローズの負傷により、層の薄い内野手を補強。新井はほぼ1年ぶりの1軍登録。筆者と同郷(群馬県)のよしみで応援しています。

登録選手入れ替え(1999.04.27)

横山を降格。代わって小桧山を登録。2年前に1か月で2本の満塁弾を浴びて二軍降格となって以来の登録です。見てみたいが、怖い。

斎藤隆、危険球退場(1999.04.09)

斎藤隆が4月9日の対読売巨人軍1回戦3回に、村田真の顔面に死球を与えた。危険球と見なされて退場処分。

セントラルリーグ公式戦開幕(1999.04.02)

横浜スタジアム、ナゴヤドーム、東京ドームで開幕。横浜スタジアムで高原リーグ会長が挨拶。

開幕一軍選手発表(1999.03.31)

斎藤隆、森中、河原、川村、矢野、三浦、戸叶、野村、佐々木、福盛、横山、島田、阿波野、谷繁、秋元、万永、進藤、石井琢、ポゾ、駒田、ローズ、波留、中根、鈴木尚、畠山、佐伯、井上、荒井。

投手陣、開幕一軍は13人(1999.03.28)

斎藤隆、川村、矢野、三浦、戸叶、野村、河原、福盛、横山、島田、阿波野、佐々木の13人の投手陣が開幕一軍入りとなることが決定。

始球式は佐藤藍子、国歌独唱は和田アキ子(1999.03.25)

4月2日の1999年セントラルリーグの開幕戦セレモニーは、始球式が佐藤藍子、国歌独唱が和田アキ子と決定した。

五十嵐手術(1999.02.27)

右肘を故障して一足先に帰浜した五十嵐が、精密検査の結果、遊離骨(ネズミ)が出来ており手術が必要なことが判明。3月1日に手術。復帰まで2か月。

オープン戦スタート(1999.02.21)

12球団のトップをきって、オープン戦が開幕しました。宮古島平良で行われた対BW戦。17対4の大敗でスタートとなりました。

横浜スタジアム改装中(1999.02.14)

横浜スタジアムが改装工事の真っ最中です。外野スタンドはベンチ型のイスから背もたれ付きのイスへ。スコアボードもシートを被っていて改装中のようです。新聞の報道によれば、外野スタンドには一部に指定席(2200円)も設けられるようです。年間売り(11万円)もするようです。

キャンプスタート(1999.02.01)

風にたなびくチャンピオンフラッグの下、春季キャンプが沖縄県宜野湾市野球場でスタートしました。やっぱりチャンピオンフラッグを見に行きたいなあ。暖かそうだし。

元監督二人が殿堂入り(1999.01.31)

横浜大洋ホエールズ元監督である近藤貞雄、古葉竹織両氏の野球殿堂入りが決定した。

ベイスターズキャンプに参加する五輪代表候補選手(1999.01.31)

山田秋親(立命館大)、北川智規(横浜国立大)、阿部慎之助(中央大)、沖原佳典(NTT東日本)の4選手。

宜野湾でパレード(1999.01.31)

春季キャンプ地沖縄県宜野湾市で昨年の日本一を記念したパレードが行われた。

公式戦の日程確定(1999.01.29)

公式戦の日程が試合開始時刻なども含めて正式発表された。

宜野湾キャンプ参加選手(1999.01.29)

沖縄宜野湾で行われる一軍キャンプに最初から参加する選手が発表された。

権藤監督と大谷、斉藤明、山下和、岩井、青山、片平、葉室の各コーチ。投手は斎藤隆、関口、五十嵐、森中、河原、川村、矢野、三浦、戸叶、野村、佐々木、福盛、横山、神田、島田、阿波野、田中敏、西。捕手は谷繁、新沼、秋元。内野手は進藤、古木、石井琢、ポゾ、駒田、ローズ、金川、金城、川端、福本。外野手は波留、中根、鈴木尚、畠山、佐伯、井上、小池。

ポゾは1月30日に来日。キャンプに参加予定。

宜野湾でパレード(1999.01.26)

ベイスターズのキャンプ地である沖縄県宜野湾市で日本一を記念したパレードが行われる。1月31日15時30分から。参加するのは、沖縄県知事(最近当選した稲嶺さんですね)、宜野湾市長(比嘉さん)、権藤監督以下総勢35人の選手とコーチ。

凱旋パレードとなりました。キャンプ地にチャンピオンフラッグを持ち帰ることができて、本当によかった。お世話になっている宜野湾市の方々への最高のお礼になりますね。これで宜野湾にもベイスターズが深く根付いてほしいものです。

キャンプ日程(1999.01.23)

一軍の宜野湾キャンプ日程。2月1日(月)〜28日(日)。5日(金),10日(水),15日(月),19日(金),24日(水)が休日。21日(日),27日(土),28日(日)はオープン戦

二軍のキャンプ日程。2月1日(月)〜4日(木)は横須賀でキャンプ。5日(金)は移動日。6日(土)〜23日(火)は嘉手納キャンプ。10日(水),15日(月),19日(金)は休日。

オープン戦日程発表(1999.01.22)

1999年オープン戦の日程が試合開始時刻も含めて正式発表された。2月21日の対BW戦(平良市=宮古島)が追加され、この試合が開幕戦となる。また3月25日の対BW戦の開催地は横浜スタジアムから横須賀スタジアムに変更された。ベイスターズオープン戦日程

チームスローガンは「LET'S PLAY AGAIN!」(1999.01.20)

チームスタッフ会議で今年のチームスローガンが「LET'S PLAY AGAIN!」に決定した。「PLAY」には、ともすると本来は「PLAY Baseball」のはずである野球が、「WORK Baseball」になってしまいがちな日本野球への警鐘の意味が込められているようだ。「AGAIN」はもちろん1998年ベイスターズを再現するということ。

つまり1998年の優勝は、深く考えない(言葉を変えれば思い切りの良い素直な)野球で優勝しちゃった、ってことですね。それはそれでこのチームの持ち味だと思いますので、大切にして欲しい部分であります、と思います。

山下ヘッドコーチが負傷(1999.01.16)

山下ヘッドコーチが自宅階段で足首を骨折。全治2か月。沖縄宜野湾で行われる春季キャンプへの参加は難しそう。

竹之内前二軍監督が台湾へ(1999.01.14)

竹之内前二軍監督が統一(中華連盟)のヘッドコーチに就任。

契約更改(1999.01.12)

荒井2500万円(+500万)。これで全選手との契約更改終了となりました。

契約更改(1999.01.08)

斎藤隆10000万円(+4300万)。

契約更改(1999.01.06)

駒田16000万円(+1500万)。

契約更改(1998.12.29)

石井琢17000万円(+5000万)。

契約更改(1998.12.26)

五十嵐6000万円(+800万)3年契約、島田8200万円(+800万)、鈴木尚15000万円(+5000万)。

特別番組の情報(1998.12.26)

インターネットファンクラブの球団情報から抜粋です。

契約更改(1998.12.25)

阿波野4000万円(+1600万)。

背番号の決定と変更(1998.12.23)

ポゾ=9、四条=55、池上=68、山下和コーチ=84、戸叶=63→19、小桧山=19→30、加藤=70→41、葉室コーチ=68→91、田代コーチ=75→76。

小桧山、とうとう背番号19を剥奪されちゃったのですね。奮起してくれ。20番と24番の剥奪も近いかな?

新人選手入団発表(1998.12.22)

新人選手の入団発表が行われた。決定した背番号は古木内野手3、矢野投手17。金川内野手35、福本内野手45、金城投手37、小池外野手56。ドラフト5位の金城は投手から野手転向を宣言。

契約更改(1998.12.22)

波留8800万円(+2300万)、新井1050万円(-150万)、佐伯6800万円(+2100万)。

優勝旅行から帰国(1998.12.18)

ハワイへの優勝旅行から帰国。次はニュージーランド?

優勝旅行へ(1998.12.12)

優勝旅行へ出発。契約保留者続出のまま、38年ぶりの優勝を記念したハワイ旅行へ出発した。

大家、レッドソックスと契約(1998.12.12)

メジャー挑戦のため自由契約となった大家がボストンレッドソックスとマイナー契約。メジャーを目指すことになった。

契約更改(1998.12.12)

佐々木48000万円(+15000万)。

契約更改(1998.12.08)

野村12500万円(+3500万)、三浦8800万円(+3200万)、川端2200万円(-200万)。

契約更改(1998.12.05)

井上2200万円(+1000万)、進藤7200万円(+2400万)、畠山4000万円(-200万)、万永1500万円(+600万)、西2200万円(-200万)、秋元2500万円(0)、川崎750万円(-50万)、多村510万円(-20万円)。

四条、池上が入団(1998.12.03)

BWを自由契約となった四条、Buを自由契約となった池上の両選手のテスト合格、入団が発表された。

契約更改(1998.12.03)

谷繁13000万円(+6600万)、関口3800万円(0)。三浦は保留。

大家自由契約、米国へ(1998.12.02)

大家がメジャー挑戦のため自由契約となった。昨年オフからメジャーを目指していたものの、日米間の選手移籍ルールが確定しなかったため凍結していたが、ルールが確定したため自由契約となった。メジャー各チームと自由に交渉可能。

「ハマの大魔神」が流行語大賞(1998.12.01)

流行語大賞に「だっちゅーの」「凡人、軍人、変人」とともに「ハマの大魔神」が選ばれた。

契約更改(1998.12.01)

河原1600万円(-100万)、横山2400万円(+1440万)、川村5000万円(+1500万)、戸叶3500万円(+300万)。

下関で優勝パレード(1998.11.29)

権藤監督、高木コーチ、石井琢朗をはじめとする5選手による優勝パレードが下関で行われた。6万人の観衆が集まった。下関は横浜ベイスターズの前身である大洋ホエールズ発祥の地。38年前の優勝時にもパレードが行われた。

駒田、ひざを手術(1998.11.25)

膝の痛みを訴えていた駒田が、半月板損傷のため手術を受けることが決まった。来春のキャンプには間に合う見込み。

もう歳も歳ですから、焦らずにじっくり治して欲しいと思います。

「ベイスターズフェスタ」開催(1998.11.23)

今年最後の公式行事である「ベイスターズフェスタ」(ファン感謝デー)が横浜スタジアムで開催された。権藤監督は「気持ちはすでに来年に向かっている」と宣言。1999年も期待したいものです。

下関でパレード決定(1998.11.22)

まるは大洋球団発祥の地である下関で優勝記念パレードが行われる。11月29日の予定。権藤監督、高木コーチと石井琢、野村、戸叶、福盛、横山の5選手がオープンカーでパレード。終了後には有料の優勝祝賀会も開催される。春季キャンプ地である沖縄県宜野湾市でも来春のキャンプ時にパレードが行われる予定。

ドラフト会議終了(1998.11.20)

ドラフト会議が終了。横浜ベイスターズが1位指名した松坂(横浜高校)は西武ライオンズ、日本ハムファイターズと競合。くじ引きの結果西武ライオンズが交渉権を獲得した。ベイスターズをはじめとする指名選手はドラフト指名選手一覧で。

秋季キャンプ終了(1998.11.19)

沖縄県宜野湾市で行われていた秋季キャンプが終了。

日米野球第7戦(1998.11.15)

石井琢、鈴木尚、谷繁が先発出場。石井は2打数2安打で2打点。鈴木は4打数1安打1打点。谷繁は2打数1安打1打点。石井が負傷で交代したのが気になります。長いシーズン、お疲れさまでした。それにしても首位打者鈴木尚を「9番打者」として使う長島監督....。

1999年のコーチ陣決定(1998.11.14)

一軍バッテリーコーチに山下和彦(前日本ハムファイターズ)が就任。堀井コーチが二軍ピッチングコーチに異動。

日米野球第6戦(1998.11.14)

石井琢、鈴木尚が先発出場。鈴木はDHでの出場。石井は3打数1安打、鈴木は4打数1安打。鈴木ヒットは左中間への二塁打。

日米野球第5戦(1998.11.12)

石井琢、鈴木尚が代打で出場。鈴木は内野安打で出塁。

野村は単年契約(1998.11.12)

FA権を行使せずに残留を決めていた野村は、球団提案の複数年契約ではなく単年の契約。

日米野球第4戦(1998.11.11)

石井琢、谷繁が先発出場。石井は1安打、2四球。

日米野球第3戦(1998.11.10)

石井琢が先発出場。鈴木尚は代打で出場。

ゴールデングラブ賞に5人選出(1998.11.09)

キャッチャー谷繁、ファースト駒田、セカンドローズ、サード進藤、ショート石井琢が選出された。内野手は独占状態。

日米野球第2戦(1998.11.08)

石井琢、鈴木尚、谷繁が先発出場。

日米野球第1戦(1998.11.07)

石井琢、鈴木尚、谷繁が途中出場。

矢野(法政大)がベイスターズを逆指名(1998.11.04)

法政大の矢野投手が、ドラフト会議に際して横浜ベイスターズを逆指名することを明らかにした。ベイスターズはドラフト会議で矢野を2位で指名する予定。

日野二軍コーチが二軍監督就任へ(1998.11.04)

日野二軍コーチが二軍監督に就任することが決まった。外部からの招聘は断念。

秋季キャンプ(1998.11.04)

沖縄県宜野湾市営球場で秋季キャンプがスタート。もう1999年シーズンに向けてスタートです。

優勝記念パレード(1998.11.03)

みなとみらい地区から横浜スタジアムまでの2.2kmのパレードが行われました。40万人の人出だったそうです。わたしも尾上町付近で見物してきました。オープンバスの右側に乗っていた選手しかみられませんでしたが、選手一人一人が本当にいい顔していました。元内野応援団長の故池杉さんの遺影もパレードに参加したそうです。38年前はご本人がファン代表として参加されただけに、亡くなられる前に実現したかったでしょうね。

秋期練習スタート(1998.11.01)

題名通り。内容不明。

野村はFA権を行使せず残留(1998.11.01)

野村はFA権を行使せずに複数年(3年)契約を結び残留を決めた。

四条(前BW)が入団テスト(1998.11.01)

ブルーウェーブを自由契約となった四条外野手が入団テストを受ける。

東西対抗(1998.11.01)

宮崎市営球場で開催された。佐々木と野村は出場を辞退。代わりに戸叶、三浦が出場。他には斎藤隆、石井琢、駒田、鈴木尚、波留が出場。三浦は11失点で轟沈。波留は1本塁打で優秀選手。

佐々木、日米野球を辞退(1998.10.30)

佐々木は出場を予定していた日米野球(11.07開幕)を辞退する。肘とアキレス腱の故障のため。デニー(元YB、現L)も辞退。

ファン感謝デーは11月23日(1998.10.28)

ファン感謝デーは11月23日に開催される。入場券は、はがきで応募して抽選となる。詳細はインターネットファンクラブの球団ニュースのコーナーで。

優勝パレードは11月3日(1998.10.28)

優勝を記念したパレードが11月3日に行われる。赤れんが倉庫でセレモニーの後、みなとみらい地区のパシフィコ横浜前を出発。桜木町を経由して横浜スタジアムまでのコース。大混乱になりそうな気がします。

表彰選手(1998.10.28)

MVPは佐々木。ベストナインに投手佐々木、捕手谷繁、一塁手駒田、二塁手ローズ、遊撃手石井琢、外野手鈴木尚が選出された。おめでとうございます。ベストナインは文句無く誇れるタイトルだと思います。特筆すべきこととして、駒田は36歳で初受賞になります。G時代には受賞していなかったのですね。

アルキメデス=ポゾ内野手を獲得(1998.10.27)

新助っ人として内野(セカンド、サード)を守るポゾを獲得。

佐々木、正力賞(1998.10.27)

佐々木主浩投手に正力賞が贈られることが決定した。


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