last update 000614


トップページに戻る

 私は、常に食事を頂くときには両手を合わせ箸を捧げて”いただきま〜す”と声に出すことによって、命を私に分けてくれた野菜や鳥豚や魚達に対して感謝をすることにしている。

 それはそういった宗教にかぶれているからではないが、しかし私が神の存在を信じているからである。
 それは、教会やお寺さんに居る様な物ではなく大宇宙の意思、といった形でだ。もちろん大宇宙の意思であるからお布施を求めたりはしない(^^;。その神に感謝しているのは私にいつも美味しい肴と酒を授けてくれることである。

 ちなみに私はこの年になるまで縁無く独り身であるが、こと呑むことと食べることに関しては何も苦労せずとも目の前に差出されているような思いがある。私の神はミューズではなくバッカスのようだが、これはこれでしょうがないかとも思う。私の前世はよっぽど食べることに苦労したのかもしれない。

 美味しいものを食べるということは、TPOは当然、自分の体調も含めてかなり偶然に支配されていると思う。それが判っていて尚且つ「不愉快な思いをした店には2度と行かない!」と思っている。美味しいものを極めるためには人生はあまりにも短いのである。しかし、こんな私に「美味しいラーメン屋ない?」と聞く人が最近増えてきたこともあって、我が侭ではいけないと不満な店にも2度、3度と足を運ぶようにはなった。

 自分の味覚にそれほど自信があるわけでもなく、辛いもの大好きだし、最近とみにハッカ菓子を口にしているような気もするし、大酒は呑むしで舌も荒れているだろうけど、ただ人よりは考えてものを食べているつもり。

 でもね、広く流布された味はあるのかも知んないなぁ、って思う時があります。
 例えば長野五輪の時。某国営放送のKJなる人気女子アナが選手村を訪ねたんですよね。あなたも見ていません?彼女は食堂のメニューを食べ散らかしていたんですけど、その中でビーフシチューか何かで塊の肉をほうばったんですよ。
 で、第一声が『柔らかぁ〜ぃ』・・・・彼女にとって『美味しい』に対する表現が『柔らかい』なんですね。で、その時の私はすごい不快感を抱いちゃったんです。KJの顎の骨格を見ると固いのは苦手なのかなぁとも。で、あれに何の不思議も持たない味覚の人に対して「この麺は柔い」と言っても通じないのかも知んないですねぇ。



うどん

讃岐うどん おか田