例えば、街であったイベント。
例えば、デパートの中であった出来事。
例えば、電車の中から一瞬だけ見えたシーン。
例えば、新聞やテレビで報道された事件。
例えば、自分が遭遇した場面。
そんななかで、「これはこれは・・・」と思った事柄について、その感想をつらつらと書いているページです。(勿論、ノンフィクション)
ということで、書き損ねたまま忘れていたネタを引っぱり出します。
1.厚底で自転車
そろそろ夏も終わりだなと思った頃のこと。
自転車で川沿いのサイクリングコースを走っていたら、前方にママチャリを漕いでいる高校生から大学生くらいの女がいた。近づくにつれ、なんとなくペダルの部分がぼったりとした感じなので、追い越しざまに確認したら、10数センチはある「厚底サンダル」で漕いでいた。
なんじゃそりゃ。
ルートとしては駅へ向かうとかでは無いようだったけで、どこまで行くつもりだったのだろうか?
そこまでして履きたいか?
2.消えたカレンダー
10月になると、書店などではカレンダーが並べられ、年末が近いのだぁという雰囲気を盛り上げてくれる(って余計なお世話なのだが)。
今年使っているカレンダーが気に入っているので、また同じモノを買おうと探している。
しかし、見つからない!
どうしてかなぁ。「ノーマン・ロックウェルの週めくり」はどこに行った?
このまま時間切れで、最終的に好きでもないカレンダーを使うのも癪なので、押さえで別のを買ったが。まさか、カレンダーメーカーが潰れてしまったのかな。今年はけっこう盛り上がっているという話も聞くけど。
(情報大歓迎です)
3.なくなった風景
『街中の劇物』で何件かの風景は、その後消滅、あるいは崩壊してしまったモノがあります。
もちろん、変化することが当然の場所(ゴミ箱の付近とか)については気にしていないのです。でも、建物とか、変化することが予想できないモノについては、再びその場所を訪れたときに唖然とすることがあります。
時々、「あのネタの場所はどこなんでしょうか?」というメールをいただきます。でも、もうその場所を教えることもできません。
例えば、『どこでもドア』『一本抜けてる』『対抗意識』など。
こういうことがあると、記憶に留めておくためにも、こまめに記録しておかなければいけないのかな、と思います。
まったく、何度言ったら分かるんだ。って、聞こえていないんだろうけど。
夜、会社から自宅へ帰る途中で、毎度毎度、無灯火自動車に出会う。無灯火といってもスモールランプは点けているから、全くの無灯火ということではない。
しかし、だ。
理解できないのは、なぜ無灯火のまま(あるいは前照灯を点けないまま)走るのかということ。それも、何度も何度も同じ失敗をしている(はず)にもかかわらずだ。
言い分はあるだろう。
なぜ前照灯を消すかといえば、バッテリーの消耗、信号待ちで歩行者や対向車ががまぶしいだろうから、などの理由が挙げられるだろう。たった一つの理由を除いてくだらないこじつけだと思う。そのただ一つの理由とは、信号待ちで道路の状況によって対向車の運転手にまともに光軸がぶつかるときだけである。それ以外は承伏しかねる。
人間は忘れるのだ。ホンの数秒、数分前に自分がしたことを。
それが引き起こす事故のほうが、どれだけ大変なことか。自分自身がここにいることを発信していてこそ、安全性が高まるのだ。(ハイビームっぽい車は論外だが)
加えて、最近自転車に乗る機会が多いので、ますますその意を強くしたのだが、自転車の無灯火は危険だ。危険すぎる。
車対自転車だけでなく、自転車対自転車、自転車対歩行者。どれも危ない。
質が悪いのは、暗闇なのにライトを点けないことを気にしていないこと。自分が危険にさらされている、あるいは他人を事故に巻き込むおそれがあることに、気がついていないのだろうか。それとも、よくある「根拠のない自信」、なのだろうか。
無灯火のバカとはかかわりたくないが、自分だけが注意して行動するのにも限界があるのだ。その限界が、ずうっと来ないことを望む。
一年ぶり、2度目の人間ドックである。2度目だから検査項目が増えるとか、省略されるということはなかった。
今回も、ネタになりそうなところをあげていこう。
(一部、お下劣な内容を含んでおりますのでご注意を)
まずは事前準備の検便である。
昨年の経験から、便器にまたがる前にちゃんとパンツは脱いだ。
便器にペーパーをひき、××して一息すると、なんとまぁ、モノが便器の斜面を転げ落ちていき、水没してしまったではないかっ!
これは焦った(汗)。
仕方なく、再度がんばること数分で現状回復。事なきを得る。
検査中のこと。
2度目ともなると、何処でどんな検査があり、どういう内容かは分かっている。したがって、検査待ちの時にも少しは周りを見る余裕が出来るというものである。
で、思わず笑ってしまったのが、肺活量の検査の時。同時に、短時間に肺の空気を出すという検査もします。そのとき(というかすべての検査で説明をしてくれますけど)、看護婦さんが、
「吸って、吐いて、吸って、吐いて、思いっきり吸って、はぁぁぁぁぁぁぁ〜〜(と声を出しながら自分でも吐くポーズをする)」
と、一緒にやってくれるのです。
この日、一番楽しかったのが、このとき(笑)。
この検査の事前説明をしてくれたときも、僕と看護婦さんは、なんだか今にも笑い出しそうな雰囲気だったしなぁ。
2度目でも慣れないものといったら、やはりバリウムでしょう。
飲むヨーグルトを煮詰めたような、しかも重い液体。いくら、横から「がんばって飲んでください」と言われても、のどの奥に通りませんよ。今回は、回転してください、との要求に素早く応じたため、文句をつけられることはありませんでした。
しっかし、また来年、この時期にこの場所に来なけりゃいけないと思うと、・・・。
ネタが見つかるかどうか心配である。
約半年間蓄えていた髭を、盆休みに剃りました。
休み明け、会社に行くと、思ったより反応がない。というか全然ない。やはり、半年やそこら伸ばしただけだと、定着していないんだな、きっと。眼鏡も同じようなものか。
ちょっと肩すかしを食らったような気もするが、まぁいい。また半年後に伸ばしはじめよう。
僕は元々電気かみそりを使っていたので、伸びた髭を剃るのには少々不便。そこで登場したのが、いつも自分で散髪するための子供用バリカン(笑)。
これは気持ちいいです。
髭を生やしていない皆さん。本当に剃る瞬間は気持ちいいですよ〜。
たとえて言うなら、1週間以上の便秘が・・・・(%)
残念なのは、剃るときに「変な形状の髭」にしてみるのを忘れてしまったこと。次回までのお楽しみです。
ひと頃の安値競争に区切りがついて、徐々に値上がりしているガソリン価格です。思いがけないこと
僕が利用しているGSも、交通量の多い街道沿いにあり、数件のGSが看板に価格を掲示しています。もちろん、同じ価格を。
ところが、いつもあまり気にしていなかったレシートを見てビックリ。
掲示価格よりも3円安くなっています。(ちなみに、88円が85円(税抜き価格))
前回のレシートも3円安くなっていました。
その前のレシートも(笑)。
ほかのGSもそうなのだろうか?
それとも、このGS独特のサービスなのだろうか?
知っている人ならば、ほかのGSの看板価格を見たって、ここを利用するだろうな。
はたして、いつまでこの状態が続くのか、見守っていきたいです。
なんだか、月刊にも充たない状態になってしまっているなぁ。桜・水・焼け跡
今日は土曜日だったけど、休日出勤して、データ取りを大急ぎでやっつけて、午後2時頃には会社をあとにしました。それで向かったところは・・・、千葉。
正月以来、久しぶりの千葉方面鉄塔探索です。といっても、そのときに撮影に失敗した千葉発電所周辺の鉄塔と、以前情報をいただいて撮影した鉄塔(これも曇り空で使える写真にならなかった)を再度収集するため(笑)。
土曜日に鉄塔撮影する時間がとれたのは今年初めてくらいかな(涙)。
千葉発電所近くにある鉄塔については「黒騎士」「逆さドナウの二乗」など松原さんの投稿作品も実地に確認することができました。やっぱり実物を見ることができると感慨ひとしおといったところですね。
それ以外にも、ミニ鉄塔とか、建設中の鉄塔とかを収集することができました。
で、タイトルの「思いがけないこと」ですが、その撮影途中で、千葉発電所に続く道からやってきたおばちゃんに声をかけられました。
おばちゃん「こんにちは」
僕「あっ、こんにちは」
お「何を撮ってるんですか?」
僕「ここら辺にある鉄塔なんです」
お「あぁ、たくさんありますからねぇ。今は工事中でねぇ。あの鉄塔はそのうち取り壊されるし、あっちの鉄塔には送電線がつながるんですよ」
僕「へぇ、そうなんですか。」
そのおばちゃんは東電の関係者ではないようでしたが、千葉火力発電所か付近の鉄塔工事に関係しているようで、割と詳しい話を聞くことができました。思いがけない情報を教えていただき、ここまで来た甲斐があったというものです。
その他にも、鉄塔工事の作業者とお話しできたりして、つかの間の幸せ(ホント、最近こんな時間がとれなかったんですよ)を感じました。
大分間があいてしまいました。「どうしたんだ」の声も(一部より(笑))いただきましたので、一寸前の出来事ですが。
その日は、午前中に地元の桜祭り、午後から上野恩賜公園の桜を楽しもうとカメラを持って出かけたのです。
桜祭りは、日本の道百選にもなっている桜並木の続く通りで、屋台の種類をカウントしながら。今年はやはり「だんご三兄弟」ばかりだったなぁ。
駅を二つ分歩いて楽しんだ後、電車に乗って上野へ。
丸井側から公園にはいると、この時期いつもやっている骨董市。それを眺めながら、不忍池を右回りに歩いていきました。
ボート池との間にある散歩道を歩いていると、なんだか弁天堂のほうの風景が変。
「!!!」
なんと、2軒ある茶屋のうち、弁天堂に近いほうの茶屋が焼け落ちている。全焼。まだ、かすかに焦臭い。ジュースの自販機だけが、焦げ跡をつけながらも自立していた。
最初に書いたように、カメラを持っていたので、この場面を撮ろうと思えば撮れたのだが、結局できませんでした。
「桜と水、そして焼け跡」
滅多に出会える光景でないことは、十分に分かりました。でも、僕はそれを撮るだけの心構えが無かったし、撮ってどうするんだという疑問も湧いてきたからです。そんなことは考えずにいられれば良かったのかもしれない。自分に対して自らの壁のようなモノを作っていたということ。
聞くところによると、放火らしい。
アメ横のガード下でも、火事によってぽっかりと空いた黒い空間がありました。
なんとも、表現できない怒りがこみ上げてきました。
『パソコン用スピーカー』の項で書いたとおり、キットを買って復活させました。その内容を書いておきます。
購入したもの
・20Wアンプキット 2個 1000円
・12Vスイッチング電源 1個 600円
・スピーカーターミナル 1個 200円
・ピンジャック、ステレオジャック等 300円
・ケース(タッパーもどき) 1個 100円
・その他、ケーブル、ボリュームつまみ等
スピーカーユニットはそのまま使ったので、追加投資は2500円くらい。この値段だったら、ジャンク屋さんで売っているような安いアンプ内蔵スピーカーを買えばいいんじゃなかったの? と思った皆さん。甘い甘い(笑)。
僕のようなタコ耳でも、その音質の違いはハッキリとわかりました。特に、外付けMIDI音源からの音が生き生きとしていて見違えるようです。もちろん、CDやWAVEも。それに大音量(といっても大した音量ではないが)でも歪まない。これはACアダプタから、ちゃんとした電源に変えたことも影響していると思う。(ただ、スイッチング電源の影響もあってかバックノイズがあるのは以前と同じだが、もともとパソコンが五月蝿いから、実際はほとんど気にならない(笑))
同じような経験をして、スピーカーユニットが余っている人、音質を少しでもよくしたい人は、試してみる価値ありですぞ。
「ページにまつわる話」でも書いたのですが、このページがあるプロバイダが主催した「第2回私のやる気コンテスト」で、運良く「推奨委員賞」をいただきました。このページを見てくださった皆様のおかげです。
さて、昨年暮れから今現在に至るまで、正直なところツイていない日々が続いていたのですが、今回の受賞でその鬱憤を晴らすことが出来た思いです。今シーズンのスキーが全滅状態なのは、いかんともしがたいのですけど。
いままで、こんなことなかったですから、まるで一年のツキをここですべて使ってしまったのかもしれない(笑)。うわぁ〜。ほんとかや〜。
それはさておき、人からいい評価をもらう、というのはいいですね。このページを作ってきた甲斐があったというもんです。特に『鉄塔』というマイナーな分野に、周囲の目が集まるきっかけにはなったかな。
これにおごらず、これからも視線の閾値を低くして、これはこれは、というモノを集めていきたいと思います。
で、
今欲しいもの: 時間
14日からなんだか寒気がすると思っていたのだが、15日になってダウン。熱を計ったら39度半ばあたり。咳も出ないし喉も痛くないのでインフルエンザではないようなのだが、熱と頭痛で難儀しました。
最初は寒くてぶるぶると震えていたのだけど、それを通り過ぎると寒気自体はなくなって、「熱が下がったのかな?」と思い、計り直してみるとやはり39度を超えている。こりゃ素直に寝ているしかない。
以前、これくらいの熱が出たとき、困ったのが「テトリス」にうなされるってこと。当時(大分前だけど)凝っていたのが仇となったのだろうけど、「S型」と「Z型」のブロックばかり落ちてくる、という場面ばかりが頭に浮かんできた。「あぁ、なんで他のブロックが落ちてこないんだ〜」などと思っているのだが、S型とZ型しか落ちてこない。それなのにゲームオーバーにならないという苦しみ(笑)。
今回は「フリーセル」でした。なかなかうまい方法がなくって、同じカードをあっちの山にやったり、こっちに持ってきたりという場面ばかりが頭の中で繰り返し。(ちょっと説明しずらい)
しかし、熱があるときの思考回路というモノは、どーしょもないですね。これは食欲が落ちてブドウ糖摂取量が減っていることにも関係あるのでしょう(おぉ理論的考察)。あっという間に体重も落ちたしね。
パソコンに接続しているスピーカー。
突然、右側のスピーカーから「プチッ」という音が出て、それっきりCDもMIDIも音が出なくなってしまった。
最初、単なる接触不良だろうと、コネクタをグリグリやって(笑)みたのだが駄目。2系統の入力があるのだが、その両方とも右チャンネルがいかれてしまったようだ。スピーカーについているヘッドフォン端子も右チャンネルから音が出ない。
こりゃ、アンプ部が壊れたんだと思い、分解してみたら・・・。
あ〜、ひどいもんだ。
アンプ基板。いかにも安くあげてます、というにおいがぷんぷんしています。使っている部品も安そうなものばかりだし。壊れた部分はおそらくアンプのICだろう。
(一応、オーディオメーカーの名前が付いているんだけどね)
まぁ、所詮パソコンという五月蠅い装置の近くで使うスピーカーだから、音質なんか二の次で、コスト勝負になるんだろう。高い機種はそれなりのモノだとは思うが。
しかたないから、とりあえず左チャンネルだけから音が出るようにはしてあるが、今まで聞いていたバランスが崩れてしまったので、そりゃもう変な感じ。
次の休みにでも、秋葉原でアンプ部分だけをキットで買ってきて作ろうかな。
1月下旬から2月あたまにかけて、僕のWebPageに関していろいろな動きがありました。
最初は、「Yahoo!キッズ」からの登録の知らせ。
Yahoo!自体には既に登録してあって、どういう経緯でYahoo!キッズに登録されたのかは不明です。誰かが推薦してくれたのかもしれません。それはともかく、「子供が見ても安心なサイト」という評価のようです。 これは、喜んでいいのかどうなのか微妙なところ。
さらには、登録されたジャンルが「ユーモア・お笑い」というところでした。
正直言って「どうしてなんだ?」という気分でしたが、よくよく考えてみれば、鉄塔を素材に、興味を持ってもらえるよう、変な写真やコメントをつけているわけですから、なかなかうまい所に分類されたな、と思い直しました。
次は、「やる気コンテスト」。
これは少し説明が必要ですね。このページがあるプロバイダが主催しているホームページのコンテストです。ここに推薦作品として選ばれました。
これまた、どういうわけでこうなったのか不思議なのですが、この際「鉄塔」という存在を認知していただく、いい機会になるのではないかと思います。
そして、「Yahoo!今日のオススメ」。
2月7日のオススメとして、このページが紹介されました。
たまたま、その日は体調不良で会社を休んでいたんですが、メールチェックのついでに自分のページを見たら、カウンタの値が変。やっぱり熱があるからかなぁ、と思いつつ以前「Yahoo!で紹介されたらカウンタが爆発した」という話を思い出して、Yahoo!にアクセスしてみると・・・。
この頃は、日に2〜30くらいの人がいらっしゃるようなのですが、この日に限っては800カウントくらい急上昇。やっぱ、凄いね。この威力。
僕以外でも「鉄塔」をネタにしたページも増えてきて、非常に嬉しい今日この頃です。
いつものように、お茶の水の本屋街から秋葉原に移動するため、靖国通りを歩いていた。
なぜか頭上にはヘリコプターが。
「うるせえな。なんか事件かな」
などと思いつつ、淡路町の交差点にさしかかると、信号が故障しているわけでもないのに警官が交通整理している。路肩にはパイロンが並べられている。そういえば、さっきから信号が変わらないなぁ。
一旦青になったので、横断歩道を渡ったら、あっという間に赤になってしまった(笑)。そのまま交差点で信号を待っていると、赤色灯を回した黒塗りの車が右折してきた。その後ろには・・・。
「その車」が交差点に入ってこようとした時、信号が赤に。「その車」の脇では通行人が手を振っているではないか。
「????」と思っていると信号が青になって、「その車」は右折してきました。
「!!!!!っ」僕も思わず手を振っていました。
「その車」に乗っていた人はっ。
なんと天皇皇后両陛下でした。
右後部座席にはに天皇陛下、左後部座席には皇后陛下が座られていました。
しかも、皇后陛下側の窓ガラスは下ろされており、にこやかに手を振っていました。
ホンの数m先。目が合ってしまいました(ような気がした(笑))。
そういえば、この日は初場所初日。国技館に向かうところだったのでした。
僕はちょうどカメラを持っていたのですが、バッグに仕舞ったままだったので撮ることができませんでした。でも、新年早々、滅多にない経験をさせてもらったなぁ。
思いがけない場所で、思いがけない人と。
しかし「その車」も信号待ちするんですね。友人の話によると、信号待ちしないように、信号の操作をするそうなのですが。タイミングを間違えたのかな?
(以前にも同じ場所で皇太子殿下妃殿下の車を見かけたことがありました)
正月早々から、鉄塔ネタを収集に16号を下って千葉方面に行ってきました。
東電の千葉発電所内の鉄塔をカメラに収めようと、車をおりて鉄塔に近づいていくと(もちろんフェンスの外からですよ)。
「そこのあなた。どこに行くんですか?」
と呼び止められました。そのあたりは臨海鉄道が16号の海側を袖ヶ浦の手前くらいまで延びているのです。踏切の前に警備員の詰め所があったのでした。
「え〜と、そこらへんに・・・」
「ここは立入禁止なんですよ」
警備員に呼び止められて、初めてその向こう側がどこかの企業の敷地になるということに気が付きました。僕は僕で「鉄塔を撮りに来たんです」とも言えずに、すごすごと退散してきたのです(笑)。時期が時期だけにね。
だけど、その警備員は、僕の目を見ずに、あさっての方向をむいて目を合わせなかったな。どこの警備員かは知らんが、感じ悪いぞ。
でも千葉発電所は工事中らしく、送電線のない鉄塔や、小型の鉄塔などがあり、興味深いところです。
僕の部屋にも、新しいカレンダーを飾った。
一つは「ノーマン・ロックウェル」、もう一つは「オードリー・ヘップバーン」。
この組み合わせになって2年目です。もっとも、オードリー・ヘップバーンのものは5年くらい前からだけど。
会社のほうには取引先などからカレンダーや手帳などをいただき、それを部内で分けるのですが、さすがに今年は数が少なかったですね。
前から疑問だったんですけど、会社でカレンダーを手に入れた人は、それ以外に自分で買ったりするのだろうか? どうしても、もらいもののカレンダーでは気に入ったデザインや素材というのが少ないです。一年間つきあうのですから、自分にあったものと過ごしたいじゃないですか。
これから365日、オードリー・ヘップバーンの笑顔と、ノーマン・ロックウェルの暖かな画を見ながら。
いつものように、書店街をぶらぶらしていたら・・・。
某書店のそばにあるゴミ箱の前で、座り込んでいる人が。
何をしているのかと見ていたら、ハードカバーの本の表紙をバリバリと破っているではありませんか。そして、それをゴミ箱に放り込んでいます。
いやぁ、びっくりしました。今まで、こんなことをする人は見たことがありませんでした。このハードカバーは、古本の大学の教科書のようでした。
まぁ、僕にも経験がありますが、ハードカバーの教科書ってかさばるんですよね。講義がいくつかある日で、さらに参考文献などを持ち歩く場合には、鞄がパンパンになるほどのこともありました。
そういうことであれば納得できそうな気もしますが、やはり僕には無理だな。
以前ここに書いたような「ものすごく本の状態を気にかける人」程ではありませんが、通常あるべき状態を壊すようなことはしたくない。したくないけど、一度やってみたいなぁ(笑)。
世の中、針の先ほどの小さな情報が交差して、思わぬことが起きるもんです。
僕は実感しました。
この文章を読んでいるあなたは既にお判りの通り、このページ、メインのネタは鉄塔です。
『鉄塔 武蔵野線』という小説を読んだことがきっかけとなり、現在のような内容になりました。同好の士であるフルタニアンさんから送っていただいた「新岡部変電所」の写真が、今回見学することができた場所なのです。
追って、新岡部変電所についてはお伝えすることができるでしょう。(乞うご期待)
鉄塔を観察していくことが変電所につながっている。これは小説の中で主人公の見晴君が経験すること。奇しくも同じ目的地に到着することができたのです。
招待してくれた茂一さんは、フィクションの中の果平変電所所長であったのです。
そして、一緒に現地に赴いたフルタニアンさんは、アキラ君だったのです。
僕は、本当にすばらしい経験をしました。
他の人たちには理解できないかもしれないけど。
説明を聞きながら、敷地内のあれこれに目を見張らせている。
うねる電線、うなる変圧器、口を開ける断路器、空を向く碍子。
そして。
僕らは「電気的信頼」によってつながっているのだな、と背筋が痺れるような感覚を味わったのです。
感謝です。
僕も、イイ年になって、今年から単なる健康診断ではなく、人間ドックなるものを受けるようになってしまいました。
ということで、初体験のレポートです。
人間ドックといっても、検査当日に決められた場所に行くだけではなく、事前に自分自身でやっておかなければならないことがあります。それは・・・。
・検便
・喀痰
です。
運悪く(笑)、便秘の谷に当たってしまって、本当のところ焦ってしまいました。
うちのトイレは洋式なので、ふつうにいたしますと、モノがすべて水没してしまいます。だから、通常とは逆向きで水没しないよう、便器に向かわねばなりません。僕はズボンとパンツを下ろして、便器に腰掛けようとしたところで悩んでしまいました。なんと、それらが便器に引っかかるのです。こんな、当たり前のことに気がつきませんでした。下げただけではなく、脱がなければならなかったのです。
それと、喀痰。要するに痰を採取するのですが、思い出してみると痰を吐いたことなんでほとんど無い。痰も出ない。仕方なく、綿棒をのどの奥につっこみ、涙と吐き気をこらえながら粘液上のモノを採取し、容器の中へ。
あとで看護婦さんに聞いたら「普通の人は取れないもんなんですよ。そこまでしていただいてありがとうございます」だって。最初から言ってくれ〜。「でも、取れたのが唾液だけだったら検査NGとなりますから」とのこと。ひょっとすると、あの苦労は無駄だったのかもしれません。
初バリウムは、どうということもなかったです。でも、レントゲン台(?)に乗って、いきなり「横に3回転してください」と言われて、しばらく考えてしまいました。おそらく、バリウムを胃の中にまんべんなく行き渡らせるためなのでしょう。のろのろと回転していたら「もっと早く!」と注意されてしまいました(爆)。
まぁ、いろいろありましたが、看護婦さんがたくさんいて目の保養になりました。わっはっは。
今まで、知らない人物を車の助手席に乗せたことはなかったんですが・・・。
自宅から車で1時間ちょっとかかる、とある安売り店に買い物に行った帰りのことでした。
駐車場から出てすぐのところにある自販機でジュースを買って車に戻り、「さぁ、また1時間かけて帰るか〜」と、プルトップに手をかけたところ、助手席側の窓ガラスをたたく女性が。
「なんだこいつ、待ち合わせの男と間違えたな?」と思いつつ、窓ガラスを下げると、
「すいません、○○駅まで乗せてもらえませんか?」
僕は、その駅自体は知っていたのですが、行き方が分からなかったので「いやぁ、その駅分からないです」と言って断ろうとしたのです。でも「道を教えますから」と言ってくるので、仕方なく乗せました。(俺って、いやとは言えない性格なんだよね(笑))
年の頃は20前後かな。走り出してから
「駅じゃなくて、もう少し先までお願いします」
「ちょっと暑いですね」
などと、少しわがままなことを言っておりましたが、まぁ腹も立てずに目的地(友達の家らしい)まで送り届けました。
このごろの女性は、全く知らない男の運転する車にほいほい乗るもんなんですかねぇ。(僕がお願いしたわけじゃないですよ。念のため)
もし、僕が普通の人間じゃなかったらどうするつもりなんでしょう?
それとも、そんなリスクを冒す以上に大切な約束だったのだろうか?
こんなことを考えているのは、もうオヤジ思考なのだろうか???
(やはり、それ以前に乗せる方も乗せる方だよね。途中でナイフを突きつけられたりしたらどうするつもりなんだろう、俺。もう2度と知らない人は乗せないと、心に誓うのであった)
それと、見知らぬ乗客と言っても、僕の商売はタクシー運転手じゃないし、お金ももらってないです(爆)。
透明人間といえば、ピンクレディーですが・・・(笑)。
そうではなくて、つまり、そこにいるのに見えない人間、のこと。
またまた運転中の話なので申し訳ないのです。
僕が使っている通勤道路は、夜中に道路脇を散歩している人や、ジョギングしている人が割といるのです。夏の間は日が延びていたので、あまりそうは感じていなかったのです。
カーブの出口や、坂道の途中。いきなり黒い陰が浮かぶのです。いやいや、驚きます。
まさに、透明人間がその姿を黒く凝集した、という感じ。
散歩やジョギングする人にとっては、ヘッドライトの明かりで問題のない状況なのかもしれませんが、車を運転する人にとっては逆なんですよね。これは、点灯しない自転車にも言えることですけど。
歩く人に懐中電灯を持たせよ、とは一寸言えませんから。運転する人が十分に注意するしかないですね。
ただし、無灯火自転車の諸君。君らは論外だ。
最近、特に感じているのだが、車のヘッドライト、それも、メインのヘッドライトじゃなくて、サブというか、フォグのようなモノというか、が非常にまぶしい。
メインのライトと、このサブのライトを両方点灯させている車が多くなっている。これ、どういう意味があるのだろうか。
はっきり言って、対向車であっても、後続車であっても、大変危険だ。サブライトはメインのライトに比べて低い位置に配置してあるから、光軸がどうしても上を向きがちなのだ。さらに、サブライトはビームがきついことが多いから尚更である。
おそらくこれらの車は、自分の視界が明るくなるから使っているのであろうが、自分の利便と引き替えに危険をばらまいている。それとも、単なるかっこつけか?
僕は程度のひどい車に対しては、遠慮なくパッシングをかます(対向車だけだけど)が、後ろにつかれたひにゃ、腹が立ってしようがない。
ヘッドライトだけで暗ければ、暗いなりの運転をすればいいのだ。
自分の目の前だけ明るくして、他の車に危険をばらまくのだけは考えてくれ。
まぁ、ヘッドライトだけでもまぶしい某メーカーのRV車もあるから、ユーザーに文句を付けてもだめかもしれんなぁ。
僕は、雑誌や平積みの文庫本を買うとき、上から3冊目をさっと抜き取ってレジに持っていくので、あまりこの件についてなんやかんや言うのは気が引けるのですが・・・。
その日、駿河台下の某大書店の2階の文庫本売場に寄って、何かないかとうろうろしていました。
その人は、文庫の新刊が平積みされているところで、ある文庫の積まれていたところを掘り出していました。何をしていたのかというと「積まれている本の中で一番程度のいい本を選んでいる」のでした。一冊一冊、上下左右をなめ回すようにして、2〜30冊の中から購入候補を絞り込んでいきます。
僕は、嫌な気持ちになって、その場から離れ、また売場をうろうろとし始めました。そして10分くらいして、またさっきの場所に戻ってくると、まだいました、その人。そして、数冊に絞り込んだ文庫の表紙カバーをはがしています。
なんと、カバーを交換している!
いやぁ、こういう人を何人も見ていますが、カバーを交換する人は初めて見ました。
本に対する思い入れは、判らないでもないです。でも、この行為は非常に恥ずかしいことだと思います。
その人は、満足できる本を買うことができるのでしょうか?
その人が本を選ぶ過程でふるい落とされた本は、掘り出す前の状態を保っているのでしょうか?
その人の行為によって、本の状態はより悪くなっているということはないのでしょうか?
はたして、その人は、選びだした本を読むのであろうか?
自分で本を読むという行為の結果、本の状態が悪くなったとき、その人はどう思うのだろうか。
その人の行為、ビデオに撮って、その人に見せてやりたい(笑)
今年は、手塚治虫生誕70周年ということで、それに関する催し物が多いようだ。
千葉では「手塚治虫個展・色彩の世界」
東京秋葉原では「手塚治虫ワールドショップ」
東京新宿では「コミックジャングル展」(これは手塚治虫だけではないが)
作品を扱うという点では「色彩の世界」がこのなかでは一番である。なにしろ、宝塚の記念館で先行公開したものであるらしいので、いわゆる由緒正しい催し物。
「ワールドショップ」は本(全集がメイン)やキャラクターグッズの販売が目的。
「コミックジャングル」は、いろいろな漫画家の原画を集めて展示していて、その中で手塚治虫のコーナーがあった。
僕はまじめな手塚治虫作品読者ではないけど、一枚の絵から伝わってくる迫力って、いまだに衰えていないと感じました。是非、宝塚の記念館に行ってみたいものです。
ところで、「コミックジャングル」。これはひどい。展示されている作品がひどいのではなく、展示の仕方がひどいです。たとえば、ある作品の原画が何枚か並べてあって、本来順番にページが並んでいるはずなのですが(15、16、17とか)、そうなっていないところがありました。それも、1カ所や2カ所ではありません。最初、間違えたのかな?と思いましたが、一通り見終わる頃には、腹が立ってしょうがありませんでした。いい加減すぎます。作者本人が見たら激怒するに違いありません。
しょせん、商売のひとつでしかないのか、と悲しくなりました。(これで入場料を取るんですよ)
そして、それも素人同然の商売です。責任者は気が付いていないのだろうか? それとも、わざとやっているのだろうか?
地元恒例の花火大会が、景気が悪いのにもかかわらず行われた。
もちろん、僕は休日出勤だったのだが早々に失礼して(みなさん申し訳ありませんでした)、自宅に帰ってきました。なにしろ、交通規制区域内にあるので下手すると車を駐車場に入れられなくなってしまうから。
今年は、念願だった花火撮影をするという目標があって事前に、「絞りは?」「シャッターは?」「フィルムは?」「三脚は?」などと準備しておけば良かったのだが、なんやかんやで全然していなかった(笑)。会社から帰る途中で本屋に寄り、カメラ雑誌を立ち読みして、撮影条件を暗記してきた。
最初にカメラを据えた場所は風向きが悪くて、どんどん打ちあがっているのを横目に会場の反対側へ人をかき分けていきました。ようやく場所を見つけたら、既に先客が。中判カメラを三脚に据えて、さすがに絶好の位置にいました。
僕もその人の近くで2本ほど撮影。どうも勝手がわからない。レンズの広角側が弱くて思うように花火を捕らえることが出来ない。三脚の自由度がひとつ足りずにフレーミングがしづらい(安いやつを買ったから)。懐中電灯を忘れたので液晶が見づらい。などなど。今後の補強個所が見えてきました。
最後にボケた話を。
3本目のフィルムを入れて撮影しようとしたら、カメラがうんともすんとも言わない。どうも電池がへたったようだ、と思い予備電池を探したら、2本しか見つからず(4本使い)結局撮影断念。家に戻って電池を交換しても動作せず。「???」と思って調べてみたら、フィルムを入れたのだが巻き上げるところに届いていなかっただけ。
やはり、暗いところでは明かりが必要じゃ。
それにしても、自分のゴミくらい持って帰れ!!
御茶ノ水で本を何冊か買った後、いつものように秋葉原へ。
某ソフト屋の前に人だかりが。何だろうと思い、近づいてみると、そのソフト屋の店員と若い男が取っ組み合いをしていた。その後、警備員のような人が来て、店員に替わって若い男を押え込んだ。
おそらく、万引きか何かだと思う。以前にも何回か、何箇所で店員や警備員につかまっている人を見かけたことがある。しかしねぇ。犯罪意識の希薄さって、こういう場面を周りで見ている人にも表れているんですよ。
「ばかなやつ。つかまってんの」
だって。つかまらなけりゃいいのか? それ以前の問題なのにね。
つまり、
つかまる=犯罪
つかまらない=犯罪じゃない
という意識なの。まさか、万引きなんかじゃなくて、もっとひどい犯罪に対してもそれを適用しているなんてことはないだろうか?
会社の帰りに会社の先輩を家まで送っていった帰りのこと。
大分暗くなっていたので、車間距離を他の車より少し大目にとって運転していると、後ろから貨物トラックが近づいてきた。そのまま運転していると、リアウィンドウのすぐ後ろに感じるほどのところまで近づいてきた。
「また、こんなやつが」
と思いつつそのままの速度で巡航。(このとき、前の車との車間距離は一定(約50m)に保っていた) そのうち、そのトラックは蛇行をはじめ、明らかに敵意を示し始める(笑)。
いつも思うのだが、自分に比べて小さい相手(僕の車は1500cc)や安い車に対する運転マナーは、その差が大きくなるほど低くなる。もちろん、そうではない車が多いのであるが、こういうマナーの無い車はこの傾向大。
まして、職業としてドライバーを選んだ者ならば、一般のドライバー以上に気をつけるべきだし、事故対策は当然だ。
だから、おまえのようなやつは運転するな。
他人に話してもなかなかわかってもらえないのが、体の不調についてだと思う。
僕は頭痛持ちで、何かの拍子に頭がガンガン痛くなることがよくある。この日も、目が覚めたらそういう状態で、うっすらと吐き気もあった。あぁまたかよ、と思いながら本来の起床時間まで寝直したが、結局ダウン。
その後週末まで不調であった。結局風邪だったのだけど。
それにしても、頭痛というのは何でおきるのかなぁ。会社に入って最初にダウンしたときも頭痛であった。(もう何年も前のこと) そのときは初めて経験した偏頭痛で、目の中がチカチカし始めて、それが広がっていき、消えたころに猛烈な頭痛と吐き気がきて驚いたなぁ。
良くあるパターンが、気温が急激に上がったときにおきる頭痛。おそらく、体温調節がうまく行かなくておきるのだと思うけど、これからの季節は少し憂鬱だ。
前々から思っていたことで、周りの人にも話したことがあるネタ。
エスカレータに乗るとき、必ず一旦停止してからステップに上がる人っていますよね。それも女性の方がほとんど。そういう方の後ろについてしまうと、ステップのところで一呼吸入るもんだから、僕の後ろにいた人からは突っつかれるし(笑)。どうしてかなぁ。
それともうひとつ。
混み合ったエスカレータの降り口で、立ち止まる人。
これは危険ですよ。僕自身も、何度か危ない目にあいました。どうして後ろの状況がわからないのでしょうか? エスカレータでの将棋倒しで死亡事故も起きるくらいなんですから、もう少し考えてもらわねば。
一週間くらい前から、あごの部分ににきびができていた。何度かつぶしても、なかなか直らない。(つぶすのが好きなんです(笑))
それで「どうもおかしい」と思い、よくよく観察してみると、その部分の奥になにやら黒い影がある。思い切って皮膚をはがしてみると、その黒い影は、髯でした。
針を取り出して、皮膚の下に潜り込んでいた髯を掻き出そうと、血を流しながら苦闘していると、ようやくちょこっと頭が出てきました。おぉぉぉ、と驚きつつ、その髯を引っ張り出してみると・・・。
なんと、その長さは20mm。
陽の目を見ずに(笑)これだけの長さに成長するとは。
ちなみに、その髯を抜き取ったら、あっという間に痛みも腫れも引きました。
通勤や買い物でよく利用する県道。国道や常磐道にも接続しており、いつも交通量が多い。そんななか、何箇所か渋滞の抜け道が存在する。
なかでも、信号のある十字路のひとつ先の信号のない十字路で、その抜け道を通ろうとする車がいて、狭い車線をふさぐ形になる。案の定、その車のおかげで、後ろにいる何十何百という車がストップしてしまう。たった一台のために、である。たびたび事故も起きているようだ。
実は、本来の渋滞地点より、その抜け道を通ろうとする車による渋滞のほうがひどいのだ。それらの運転手は気がついているのだろうか。「自分さえよければ」という論理が丸見えのこの状態を改善する方法はない。いっそのこと、その十字路を廃止してみてはどうか? きっと、すいすいと走ることができるだろう。
その十字路は、朝は抜け道から合流しようとする車でつまる。私は、めったなことではその車を入れないようにしている。迷惑している多くの車の気持ちを思い知れ。
あっ!! と思ったときには、私の車の助手席の窓から、トレーラーのフロントが見えた。以前、友人の車の後部席に乗っていて事故に遭ったとき、同じような方向から、トラックのフロントが見えたときのことを思い出した。
国道を横切る信号がある小さな十字路。私は細い路地を直進し、国道を横切るのです。今日は朝から頭痛がして、多少集中力が無くなっているのは否めないけど、信号を無視するほどおかしくはない。
信号が青になり、私の車の前にいた2台は左折した。私は直進するために、スピードを増しながら交差点に進入していった。
そのとき・・・。
「このまま直進したら、完全にぶつかる」
「せっかく、今まで無事故だったのに」
「こんなところで、現場検証したら、渋滞必至だな」
などという思考が渦巻きつつ、ハンドルを右に切り、トレーラーの前方を走るかっこになりながら止まった。
幸いにして、接触しなくて済んだが、トレーラーの運転手はクラクションを「プップッ」と鳴らして、謝っているんだか、抗議しているんだか。明らかに、トレーラーの信号無視である。下手すりゃ、私は死んでいたかもしれない。それはともかく、私もクラクションを「ブ〜〜」と鳴らし、せめてもの抗議をしたが、心臓がばくばくして、はやいところその場を離れたいと思ったのでした。
ようやく、父はICUから一般病棟に移り、見舞いの時間制限も大幅に緩くなった。
ICUは、壁にたくさんのコンセントがあり、酸素やその他諸々の器具を接続出来るようになっている。ベッドの周りは十分な空間があって、心電図、血圧、呼吸のモニターやたくさんの輸液の袋をぶら下げられるようになっていた。そして、天井は高く、明るく、病状の重いこととは裏腹であった。
家族がICUに入るときは、白衣、紙マスク、手の消毒をしてからでないといけない。白衣はロッカーの中で自動的に紫外線消毒されるようになっていて、着るときにオゾンのにおいがした。
徐々に父の側から機器や輸液の袋が減っていき、ようやく安堵するのでありました。その時はじめて気がついたのですが、ICUには静かに音楽が流れていました。
そして、一般病棟に移り、ベッドの幅、空間、が狭くなる替わりに、安堵の度合いも大きくなってくるのでした。ICUにいたときは、見舞い時間はわずか10分だったけど、一般病棟は5時間。まだまだかかりそうだけど。父はベッドの上で暇そうにしていた。
父が倒れた。
私が会社から帰ってきたときは、既に救急車で病院に運ばれた後だった。
しばらくして、弟が「緊急手術だ」といって家族を病院に連れて行く。私も沈鬱な顔をして車に乗っていたことだろう。医師から病状の説明を受け、手当ての内容を聞き、同意して応急処置室の前の長椅子で待つ。
真夜中を過ぎ、なんだか頭の中がふわふわとして、何も考えられない。
だけど、看護婦や医師の履いているサンダルの足音が、やけに神経に障る。そして、何度か開閉した部屋のドアの音も。彼らは、もはや気にしていないのだろうか。待っている家族が、どれだけ足音に、ドアの音に身を堅くしているのかを。
命を助ける力に比べればこんな事は、なんの問題にもならないことなのかもしれない。きっと、そうなのだ。そうなのだけど、釈然としない。
その後、ICUに移されるとき、一回りも二回りも小さくなってしまったような父の姿を茫然と見送った。
いつも会社の帰りに寄る本屋さんの入口。
本を買って出ようとしたとき、外から車椅子に乗った青年が入ってこようとしているところでした。私はドアを開けながら、中に入っていく姿を見ていました。
後になって気がついたのですが、本屋の内部というのは、車椅子を必要とする人にとってハードルの高い空間なのではないかと。平積みの本ならともかく、書棚にある本、高い場所にある本。私なら、あれこれと手にとってパラパラとページをめくるなり、立ち読みすることが出来るけど。彼らにとって、本屋とはどれだけの場所なのであろうか。あるいは、彼らの周りの人々が、本屋をどれだけ普通の空間にしているといえるのであろう。そんな事を考えた一日でした。
前回の「ごみ捨ての話」の続きになってしまいますが。
スキーに行ってきました。そのスキー場のゲレンデは至る所に『禁煙』の札がありました。にもかかわらず、リフトおりばの先に吸い殻が捨てられており、リフトに乗っている最中に煙草を吸っている人がいる。
一時期のように、白い雪が茶色くなるほど捨てられているということはありませんでしたが、まだまだマナーのない人がいます。
雪の中に吸い殻を隠してしまうことによって、その人の罪悪感というものがなくなってしまうのでしょうか。それとも、最初からそんな事を気にしていないのでしょうか。雪の中なら目立つ吸い殻も、街中だったらアスファルトの色や、その他のごみに埋もれてめだたなくなってしまう。やはり、目に見えないものに対しては鈍感になっていくのであろう。
それらの行く先を想像できないのであろうか?
『自分の家の前だったら・・・』 というようなTVCMがありましたが、それはあたりまえなのです。自分の家の前じゃないから、ごみをポイポイと捨てるのです。
久しぶりに洗車場で車をきれいにして、家に帰る途中、タクシーの後ろにつきました。運転手は車を走らせながら、窓から腕を出し、その指先には煙草の包装フィルムかなにかがひらひらと風になびかせていました。10秒程度そのままの状態で走っていたので、これは捨てないだろうと思っていたら、・・・。
少なくとも、職業として車を運転する人が、このようにごみを車外に捨てるということは、日常的にそういう行動をとっているということです。その人本人の考えも聞いてみたいものですが、雇っている会社側の教育というものも聞いてみたいものです。(ねえ、☆タクシーさん)
たとえば、くわえ煙草で歩いている人が路上で吸い殻を捨てるのも、自分の視野からそれが無くなってしまうから気楽に捨てるのだと思う。まして、運転中にごみを車外に捨てれば、あっという間に消えてなくなるわけです。
もう、これは罰則をもうけて取り締まるしかないのではないでしょうか。人間の性善説を信じるのは、終わりにしなければなりません。大蔵省だって、国会議員だって、所詮はごみを車外に捨てる人間と同じなのです。厳罰をもって対処するしかないと思うのです。
幸いにして、日本人には「決まってしまったことには素直に従う」という特質があるので、早いとこ法制化してくれないかな。罰金を取るようにすれば、国も助かるでしょ(笑)(消費税や、ステイオンタブの缶なんかの例を見ればわかる)
大雪の後、久しぶりに車に乗って買い物に行ったときに気がつきました。たったこれしきの雪で、もう道路はぼろぼろです。少し前に舗装工事した道路でさえ、轍の跡がはっきりと見て取れるほどです。
雪が解けて、もう道路の脇にしか残っていないのに、まだチェーンを巻いている車もいました。雪への対処が遅れるは問題ですが、雪解けへの対処が遅れるのも問題です。
それと、最近は低騒音舗装というのが広まっているそうですが、よく見ると舗装面に穴がいくつも空いているのが特徴です。実はこの舗装はチェーンに対して、以前の舗装より弱いのではないでしょうか。
きっと、今回の雪のおかげで、道路工事が増え、税金が使われるのでしょう。その分、無駄な所に使うのを押さえてくれればいいのですが。そんなことは考えないのだろうな。
お茶の水の本屋で配っていた絵の展示会無料招待券につられて新宿○○○の会場に行ってきました。そこは、ミュシャやアールヌーボー系のその他の版画を展示していたのですが、会場に入ってすぐ目に入ってきたのは、会場奥のテーブルと椅子でした。
何かというと、即売会を同時に行っていたのです。なんとなく嫌な予感がしましたが、版画がたくさん並んでいて一応全部見ていこうと思い、入口近くからぶらぶらしていると・・・。コンパニオンの女性が話しかけてきました。「版画は好きなんですか?」「よく絵は見るんですか?」などなど。うっとうしいなぁ、と思いつつ、版画のしくみや枚数が限定されているなどの話しが聞けて、内容は面白かったのですが。
「それでは、ここにちょっとお掛けください」と椅子に座らされ、カタログの中から「これはどんな感じ?」「じゃあ、こっちの方が気に入るかも」と絵を絞り込んでいきます。結局、ここからが本番で、向こうは如何に私にこの版画を買わせるか、という攻撃が始まったのです。私は最初に「買いません」と言っておいたので、それからの話は「どういう風に攻めてくるのであろう」と、お手並み拝見状態でした。
「この絵が部屋にあったらいいと思いませんか?」
「このくらいのお値段だと60回払いで月15000円くらいです」
「最初に気に入った絵を手に入れるのは勇気が要りますけど、みなさん喜んでいます」
「部屋が狭くたって、大丈夫」
などなど(笑)。私が「はい」と言わないので、私の前にイーゼルをもってきて絵を飾ったり、ライトを当ててみたり、会場裏の倉庫にある作品まで見せてくれましたけど。しかし、私が本当に買う気がないと分かると、いままでにこやかだった顔の表情ががらっと変わり、いろいろと支払方法などを書いたメモを私に渡し、電卓をポイとテーブルに投げ置きました。一言もなく。
まあ、わからんでもないけど、その態度にはカチンときたです。
これが潮時と、会場を後にしましたが、乗せられて買ってしまう人もいるんだろうな。
ふっふっふ。最初からその気がないというのに、もっと早くに気がつけ。今日の勝負は私の勝ちじゃ。
それにしても、こういう商売方法というのもちょっと。それ以上にこの女性の態度といったら、商売人じゃねいね。少なくとも、相手に不愉快な思いをさせるのは、こういう商売にとって致命的なんじゃないの?
聞くところによると、こういう経験のある人は、けっこういるらしい。
ちゃんとした展示即売会もあるのに、こういう経験をすると、信用できなくなるぞ。
<追記>
先日、この会社かどうかはわからないのですが、こういう商売をしている会社の『顧客名簿』が流出した、という事件がありました。ますます信用できなくなりました。(って、もう信用していないけどね)
別に、受験生ではないのですが、湯島天神に行ってきました。甘酒を飲みに。
私は受験で神頼みをしたことはありませんが、一人で、カップルで、親御さんと、家族全員でといろいろな人が、願い事を持ってきていました。
甘酒を飲みながら、境内の絵馬やおみくじが括り付けられている場所をぼんやりと眺めていたら、なんだか鼻の奥がツーんときてしまいました。もう十何年も前に受験から開放された私ですが、ここにくる人は、みな切実な思いなのでしょう。中学、高校、大学、司法試験等など、絵馬に書かれている内容は様々ですが、かなうといいね。
でも、神様にお願いして願い事がかなえられる以前に、努力ですよ、努力。それがなければ失礼ですぞ。
境内には、絵馬の生木の香りが漂っていました。
米粒ほどの梅のつぼみが、枝から顔を出していました。花の咲く頃には、結果が出ているのだなぁ。
ということで、暮れにプレイステイションを買ってしまいました。
生まれて初めての、自分専用のゲーム機(パソコンは除く)。買ったゲームは『電車でGo!』『グランツーリスモ』の2本。いや、おもしろいですね。こりゃ、売れるわけだ。
『電車でGo!』はちょっと難しいので後回しにして、今は『グランツーリスモ』をやっています。結局、暮れから正月にかけては、これにかかりっきりの状態といっても過言ではない、という具合。少なくとも、パソコンでやる『セガラリー』よりも10倍はいいです(笑)。
コントローラには、ゲームの状況によって振動する(回転する?)モータが仕組まれているので、ギアチェンジとか、路面のでこぼこ、他車との接触、壁への激突などで、ブルブルと震えます。割といい感じ。これくらいなら、秋葉原のジャンク屋で売られている「バイブルモータ」と何個かの部品を付ければ、音量でもって振動量が変わる「振動パック」というのもできそうだ。(めんどくさいので作るつもりはないけど)
頭について離れないよ〜。「GoGoGoGo!」って。ゲーム機は持ってないんだけれど、欲しくなってしまった。大多数の男は鉄道好きだと思う。別に、鉄道模型、プラレール、ブリキのおもちゃ、駅、プラットホーム、新幹線、貨物列車、ブルートレイン、踏み切り、枕木のにおい、車窓からの眺め、運転席・・・。わかりますよね。
どうしてかなぁ。運良く、運転席の後ろにいて、仕切りの所にブラインドが降りていなかったら、もうそこを離れられない。
欲しいぞプレステ! しかし、なぜ値引きが少ないのだろう。かろうじて、16,800円の所はあったけど。新宿あたりに行くともっと安いのだろうか。
名前は知らなくても、その人が創ったもの、残したものを知っている場合は多い。この展示会を知ったのも、新聞に載っていた一枚の絵がきっかけでした。『クリスマスはわが家で』と題された絵でした。
両親の家に久しぶりに帰ってきた息子夫婦でしょうか。抱き合う母と娘、その後ろで「ひさしぶりだなぁ」と言っているような父と息子(かな)。なんとも、心温まる一枚です。息子夫婦は、まだコートを着たままで、あけた玄関のドアもそのままに、久しぶりの再会を喜んでいます。
いいなぁ。こういう、物語を心の中に描ける絵って。
それ以外にも、アメリカが直面している問題点を考えさせるもの、思わずニヤリとしてしまうもの、いろいろありました。どの絵を見ても、肌の質感を感じさせる丁寧で細部まで描き込まれた印象がつたわってきます。
「古き良き時代のアメリカ」は、これらの絵の中に凝縮されている、そんな展示会でした。
どこかで、サイレンの音がする。
午前3時前、それは自宅の前で止まった。「!」目を開けると回転灯の赤い光がガラス窓に反射していた。起き上がり、靴を突っかけて玄関を出ると、路上駐車していた軽自動車から煙が出ていた。既に火は消えていたが、消火活動をする以前に消えていたのかもしれない。
その軽自動車は、運転席側のサイドミラーが取れていて、放置自動車状態なのかと思っていたら、実は近くのアパートの人の持ち物だった。ちゃんと駐車場があるのに、なぜ路駐状態にしておくのだ。(5mと離れていないのに)
まあ、大事に至らず一安心だったが、原因は、車上荒らしだとか、放火だとか、いろいろな噂が出ている。私の車は大丈夫だろうか。
さて、寝ようかと思って、布団に入ったが、回転灯の赤い光と、ディーゼルエンジンの音がうるさいので眠れない。緊急車両には、アイドリングストップ運動というのは関係ないのであろうか(笑)。
人が倒れていた。
毎日通っている道。今日は生まれてはじめて人身事故の現場に遭遇した。信号のある十字路から数十m先の小さな十字路にトラックが止まっていた。私の車の前には6、7台の車が並んでいた。一台ずつ、なぜかそのトラックのはるか手前から反対車線に入って追い越していく。なんか変だと思いつつ、私の前の車が車線を変えると、そこには、人が倒れていた。
まだ、警察も来ていなく、渋滞にもなっていなかったから、おそらく事故直後だったのだろうと思う。歩道では二人の女子学生が立ち尽くしていた。おじさんが現場に向かって走ってきていた。
そして、倒れている人は、動かない。
雨が上がりかけていた頃だったので、傘を差していたのだろう。うつ伏せに倒れている人の頭の部分には、紺色の傘の骨がひしゃげた姿で巻き付いていて、顔の部分を覆っていた。反対車線から車が来ており、私は車を進ませることができず、その人が立ちあがるのを待っていたような気がする。気がつくと反対車線があき、ハンドルを切ってその場を後にした。私は何もすることができず、単なる通りすがりの人になってしまった。
その人は通勤する途中のおじさんだったのだろう。傘の色は覚えているけど、着ていたコートの色が思い出せない。会社に着くまで、顔のまわりのぴりぴりとした感覚がこびりつき、家に帰ってきても、引きつったような感じが残っている。
アスファルトに叩き付けられる自分にもなりたくない。
アスファルトに叩き付ける自分にもなりたくない。
その駐車場は、20台くらいは入れるのですが、時間によっては満杯という状態になります。そういう時は、通路スペースとでも呼ぶようなところに一旦避難して、帰る車が出て行くまで待つ様にしています。
今日も、そういう状態で待っていたら、すぐ近くの車が出て行くところでしたので、反対側にバックして、その車が出られるようにしたのです。すると、新たに入ってきた車がそこにするっと駐車してしまうではありませんか。「この、ばかやろう」と思い、またまたクラクションを鳴らす寸前までいきました。
車を運転するときはいつも思うのですが、周りの状況が見えていない車が多すぎます。駐車場の順番に限らず、普通の十字路や、横道に入るとき、停留所のバスを追い越すとき、渋滞、etc.
もう年末。いつもより、さらにわさわさした状況になる中、少しでも、「周りを見て、周りに主張する運転」をしたいと思う。
お茶の水の駿河台の坂を下っていくときに、前々から気になっていた催し物。実は10月で展示期間終了のはずが、好評だったために12/14まで会期延長とのことで、みることができました。
「拷問」。わりと軽い気持ちで、会場に入ったのですが、順路の最初に、いきなり骸骨が床にころがっていてびっくりしました。ギロチン、手枷足枷、拘束具、鞭、骨を圧搾する器具、舌・性器を切る道具、鋸、貞操帯、水責め、火あぶり、四つ裂き、串刺し、等々。うーむ、頭の後ろ側が引きつったような感じがする。
これらのものが、単純な刑罰だとは、とても思えない。死に至る拷問があるということに、罰以上のものがあることに気がついた。そして、さらに驚いたのは、一般民衆が、その拷問に参加できるという場合もあるということ。例えば、手足を拘束された被拷問者を広場に放置し、民衆の暴力を無抵抗に受けさせる、など。
より重大な罪に対しては、より苦しむ時間が長くなるように。その結果が死になるとしても、苦しめることが本来の目的になっているようである。
よくも、これだけの方法を考え出したもだ。感心してしまったのが、それらの道具に細かな飾り細工のあるものがあったこと。実は、それなりの腕を持った職人でないと、作れない道具なのかもしれない。
少なくとも、ヨーロッパの刑罰は、宗教との関わりを無視できない。魔女狩りなどの例をあげるまでもなく、異端を極度に圧迫することと、人間本来の虐待欲が混ざり合って、これらの拷問方法が生まれたのではあるまいか。
しかし、日本で拷問が行われていなかったかというと、そうではない。第2次世界大戦中の特高警察や、時代劇の中の取り調べシーンを見るかぎり、宗教とは関係ないように思う。とすると、拷問は宗教や戦争、犯罪捜査に名を借りた、人間自身の欲望なのかもしれん。
無実の人も、拷問に屈したであろう。
そして、今でもどこかで、拷問が行われているという。
免許更新の講習があり(警察で手続きしたので講習は別の日なのです)、とある会場でビデオを見て新しい免許証をもらった帰り。その会場の近くに市立博物館があり『よみがえる10万歳坊や・ネアンデルタール人の復活展』という大袈裟なタイトルの催しがあったので、見てきました。
要するに、ネアンデルタール人の子供(推定2歳)の化石を中心に、人類進化の概要を展示していたのです。なにしろ、平日の昼だったので、会場には私一人だけしかいない(汗)。そして監視の(?)おばちゃんが椅子に座って、私の行動に目を光らせている。会場の中ほどに、マックが置いてあり、ブラウザで展示品の解説を見ることができるようになっていたので、それをいじっていると・・・。爆弾マークが(笑)どうなってるんじゃNN!
ということで、そのおばちゃんに「すいません。止まってしまいました」というと、「あら、またですか。大丈夫です」といってくれました。
そそくさと、会場を後にしたのはいうまでもありません。
展示物の中に、あの「プラスティネーション標本」もありました。子供の化石から復元標本(骨格肉付けしたもの)を作るために、参考にしたのだそうです。この標本作成は、コンピュータを駆使したハイテクなんだそうです。
その存在は知っていましたが、走っている実物を見たのは今日がはじめてでした。それは、「シルバー・マーク」。初心者マークを逆さまにして丸くしたような形で、色をオレンジと黄色にしたものである。
最初、なんだか変なシールを貼った車だな、と思っちゃいました。これは、義務ではないのだそうだ。なぜだ。運転免許証は、高齢者の場合、ゴールド免許であっても書き換えまでの期間が短縮されることになっているにもかかわらず、である。
話は変わるが、それ以上に、無灯火自転車の対策を何とかして欲しいものである。だいたい、ランプの無い自転車を夜の暗い裏道で走らせる輩がいるんだから、あぶなくてしょうがない。警察はなぜこの状態を放置しておくのだろうか。高齢者対策もいいけど、もうちょっと、足元を見たらどうなんだ。
神保町の本屋街に行くために、いつも地下鉄千代田線の新御茶ノ水駅から歩くことにしている。駅からすぐのところに、某大学病院があり、その前を通過していき、明治大学の建物を横目に駿河台の坂を下っていくのです。
それはさておき、その病院の前で、駐車違反の取り締まりをしていました。レッカー車が、おそらくお見舞いの車だと思いますが、ちょうど牽引していくところでした。確かに、そこは駐車禁止で、広い通りではないから取り締まりについては文句はないけど、もっと他の場所でやったほうが効果あるんじゃないの? 靖国通りとか。
牽引されていったのは、川崎ナンバーのワゴンでした。
せっかくのお見舞いなのに、こんなことになってねぇ。少しは、ミニパトの婦人警官も気を利かしゃいいのに。まして、退院で迎えに来ていたのだったら笑い話にもならないですよね。
それと、地面に書かれた連絡先の警察の電話番号ですが、いつも思うのは、メモもお金も土地鑑もなかったらどうするのだろうか、ということ(笑)。だから、路駐はこわくてできん。(たまにしか)
このネタは、リンクを張らせてもらっている「ありゃ」さんから聞いた話。元ネタはラジオとのことなのですが、面白いので紹介します。
「あなたは、台所用洗剤といったら、どの銘柄を思い浮かべますか?」
さて、どうでしょう。私は「ママレモン」でした。「ありゃ」さんの御両親は「ライポン」だそうです。「ライポン」ってなんだ? 全然知らないぞ。実は、どの銘柄をあげるかによって世代がわかるとのこと。「ママレモン」はそのボトルの形や色まで覚えているのですが、今ではもう売られていないそうです(売ってたらごめんなさい)。一度、多くの人にアンケートを取って、どうなるのか確認してみたいなあ。
もし、あなたの周囲でこのネタを振って、面白い結果が出てきたら教えてくださいね。
洗剤に限らず、世代ごとに代表選手が明確に分かれるモノって、たくさんありそうな感じもするけど、思い浮かばないなあ。CMなんかいいかも知れんけど、同世代でも別れそうだし。
と、いうことなのですが、「ありゃ」さんよりお言葉がありました。
「ラジオでは世代判別云々とはいっていなくて、ライポンという洗剤の話から世代判別ができるんじゃないかと考えたのだ」とのこと。(でいいのかな?)
また、ネタをください(笑)。
会社から帰る途中のこと。県道から入る街灯の少ない道で、少し前をゆっくりと進む車がいました。その車はやや歩道寄りを走っているのですが、別に道を譲ってくれるでもなく、スピードを上げるでもなくなので、自分も追い越すタイミングを計れないでいました。(対向車もいたので) 200mくらい後ろについて走っていたら、その車はさらに歩道に寄っていき、停車するではありませんか。クラクションを鳴らす寸前まで行きましたが、いろいろ恐いので止めました(笑)。
それにしても、自分の車をどう動かそうとしているのかを周囲に知らしめないことが多くて頭にきますね。この場合なら、指示器を出すとか、ハザードにするとか、そういう主張をしないと周りが迷惑します。急に車線変更したり、割り込んできたり、停車したりと枚挙にいとまがありません。後ろからペイントボールを投げつけたいぞ。
会社から帰って、途中で買い物をした後、車を自宅近くの駐車場に停めて歩き出した。すると、同時に3ヶ所くらいのところから「よっしゃぁ」とか「やったー」という叫び声が聞こえてきました。???と思いながら家の玄関を開けようとしたところで気がつきました。ワールドカップの予選で、日本が先取点を入れた瞬間だったのです。
このごろ、サッカー人気も落ち着いてしまって、経営が苦しいところが多いみたいだけど、本選出場を果たして、盛り上げていかないとホントにやばい状態になってしまうんじゃないだろうか。
TVを紙ふぶきを散らしているサポーターを見て、「紙ふぶき自粛」の情報が十分伝わっていなかったのかなあ、と思った。でも、以前の試合で問題になったサポーターの行動と合わせて考えれば、そんなことわかってやっている、という風に思わざるを得ない。
11/01に正式公開(と言ってもまだ完成には程遠い状態ですが)ということで、会社や知人でインターネットを利用している人には、メールでお知らせしておきました。そして、連休明けの今日までに、反応がポツポツと返ってきました。
一番多かったのが、「鉄塔の真下にどうやって入ったのか」という質問でした。私は「東京電力に許可を得たんですよ」などと、一発かましてみたら、真に受けそうな雰囲気だったので、すぐに訂正しました(笑)。鉄塔の下には、フェンスがあるところも多いですけど、何もないところも多いんですよ。だから、真下から撮った写真は、だれでも同じ風景を体験することができるんです。もし、こんな鉄塔が近くにあったら、一度見上げてみるのもいいと思います。そして、鉄骨に耳をつけてみてはいかがですか?
転職したHさんからもメールがあり、元気そうでなにより。WebMasterをやっているとのこと。びっくり。HさんのHPできたら教えてね。
車のタイヤが、そろそろヤバイ状態になったので、鉄塔写真を撮りに行ったついでにタイヤショップによりました。受け付けてくれた店員さんは、24〜5のおねえさんで、車のタイヤサイズの確認に行ったとき、持っていたボールペンで、手の甲に書き込んでいました。割と白い手だったので、ボールペンの黒いインクとの対比が印象に残りました。
そのおねえさんは、なかなか話が面白く、タイヤ交換のほかに、バッテリーとオイルの交換もしてもらったのですが、作業完了したときに、
「これで、車はばっちりです!」
と元気にのたまっていました。私が、
「あとは、車本体を交換しないとねぇ」
というと、
「いやあ、そればかりは、このお店では扱っていないんですよ」
と答えてくれました。うーん。いい人だ(笑)。
確かに、「おかしいな」と感じていた。
ある日、街道沿いのガソリンスタンドから、一斉に価格表示が消えた。以前にも同じようなことが何度も繰り返されており、その度にガソリンの値上げである。業者がどう言い訳しようとも、裏で話しが持たれていると思わざるを得ない。そろいもそろって、値上げ後の価格まで一緒なのだから。唯一、ガソリンが安いのは、独立系のところだけになってしまった。そことの値差は、10円近い。 仮に、裏の話がないならば、各会社の業務成績によってバラバラの値付けになるのが当たり前ではないか。新聞に載っていた業界関係者の話には、納得できるところがない。
証券会社や企業の総会屋対策の横並び現象と同じように、まったくあきれてしまう。
鉄塔の写真を撮りに柏方面に向かったところ、常磐自動車道柏インターから程近く、利根川の堤防土手のすぐ脇に「自衛隊高射教育訓練地」(うろおぼえ)を見つけました。(別に隠していたわけじゃないだろうけど)
あまり大きな施設ではなく、ここが自衛隊の施設だとわかるような車両もほとんどありませんでした。土手に沿って歩いていると、施設の中で動く物体が・・・。それは、犬でした。なんと、犬小屋もありました。飼っているんですね。で、一体何のため? やはり、防犯なのでしょうか。侵入者対策? そんなのは、日本の最先端技術でなんとかできないものなのかな。
施設の入り口の見張り小屋(?)からは、当番の自衛隊員二人の笑い声が聞こえてきました。まあ、日曜日だったから仕方ないか。時々犬と遊んでいるのだろうか?
たまたま、別の用事で買い物をした後、よくある100円雑貨売場に出くわしました。そこで見つけた「シャープペンシル」。一見、文房具売場で売られている80円くらいのモノと変わらない。はたして、何か違いがあるのだろうか。・・・。やっぱり違わない。
たかが100円(+消費税)の買い物だけれど、こういうところで引っかかってしまうのはいけませんね。ちゃんとモノを見て買いましょう。日頃、あまり買い物をしないお父さんなんかだと、裁縫道具や調理道具を買っちゃったりするかも(笑)。まあ、100円を出すだけの価値があるものもありますから、どれが得で、どれが引っ掛けか、十分に見極めないといけません。
だけど、面白いんだよね。買わずにはいられない雰囲気とでも言うのでしょうか。
「人体標本」と聞いて、どのようなモノを想像しますか?
理科室にあったようなプラスチックの標本? それともガイコツ?
いえいえ、これを見たら、人体標本の最新技術を感じることができます。
それは「プラスティネーション」。
人体を脱水・脱脂した後、シリコンやエポキシ樹脂を染み込ませて、生きている状態に近く、腐敗や収縮を防ぎ、無臭、そして、実際に触ることもできる状態の標本なのです。また、見慣れた標本と違って、縦や横方向にスライスしたり、内臓の位置を保ったままの立ち姿全身標本、筋肉だけの全身標本、などなど。その見事さは、実際に見てみないと想像できないかもしれません。
「プラスティネーション標本」を見ながら、人間だって所詮は物体なんだなあ、と思いました。どういう経緯で標本になったのかは知りませんが、灰になって原形を止めない姿になってしまうよりも、自己主張しつつ世の中のためになる、という死後の選択というのもあるのだと、まだ生きている脳味噌で考えたのでした。
もし、この標本を見る機会があったら、絶対に行くべきです。おすすめです。
(実は、今をさかのぼること2年前、「人体の世界」という、日本解剖学会百周年記念展が国立科学博物館であり、それも見てきました。もちろん、プラスティネーション標本の展示もありました。「解体新書」「華岡(青洲)式外科道具」「顕微鏡」などの解剖学関係の展示も数多くあり、これも、もう一度みてみたいですね)
・・・こういうのを2度も見に行くのは変な奴だと言われないようにしたいけど。