縄文岩魚1 縄文岩魚2 縄文岩魚3 縄文岩魚4 縄文岩魚5

 やっと見つけたブナハリタケ(秋田ではブナカノカと呼ぶ)・・・釣りをしながらでも簡単に見つけることができるポピュラーなキノコだ。しかし、これ一回きりだった。いつもなら水分を多く含んでいるので、絞らないと駄目だが、余分な水分はなかった。いかに雨が降っていないか、わかる。
 手前(左の写真)はツキヨタケだったが、根元の方(右の写真)にビッシリ、ブナハリタケが生えていた。一箇所見つければ、十分だ。手で直接採らないで、根元をナイフなどで切り落とした方がベスト。
 キノコもいいが、右の写真は、倒木に貝殻がビッシリ張り付いたように連なるサルノコシカケの仲間
 縄文の森に分け入り、小沢に入るとご覧の通り。水は細流で、底まで丸見えだった。ここから上流は、伏流で一滴の水も流れていない。この壷は、第2の魚止めだが、流木の下に岩魚が見えた。いつもなら瀬尻で餌を待っているのだが、餌など流れてくる気配はない。もし、浅瀬に出て遊んでいたら鳥に狙われるだろう。
 苔生した岩に点々と落ち葉が落ちている。その苔岩の間を縫うように冷たい名水が流れてゆく。秋深まる小沢の風景だ。流れ落ちた岩の下には縄文岩魚が隠れている。汗で濡れた顔や手足を洗ったり、名水で喉を潤せば最高だ。
 縄文の森を流れる沢を歩けば、なぜ気持ちがいいのだろうか。理屈などどうでもいいが、調べてみるとそれなりの科学的根拠があるようだ。沢には、樹木のフィトンチッドに加えて滝壷や清流沿いには陰イオンが多いという。陰イオンは、体のあらゆる細胞を含む細胞外液の主成分で、人体にすこぶるいいらしい。やっぱり沢歩きが一番だ。
 右の写真は、細流の流れから釣り上げた岩魚だ。暗い岩の中に入っているせいか、頭部から尻尾にかけて、真っ黒にサビつき、腹部にかけて橙色をしている。腹部は特に濃い柿色。斑点は薄っすらと橙色に染まり、全体的に痩せている。過酷な世界を生き抜く逞しさみたいなものを感じる魚体だ。
 時折、浅瀬に岩魚の姿が見えた。産卵が近いのか、ペアでいるケースが多かったが、その姿をデジカメで撮ることはできなかった。デジカメの欠点は、電源を入れてもすぐには撮れない。起動までにやたら時間がかかる。かと言って電源を入れっぱなしでは電池がいくらあっても足りない。すなわちシャッターチャンスにはすこぶる弱い。さらに、いくら感度がよくても暗い沢では手ブレを防ぐことが難しい。今回は三脚を持参したが、三脚では自由なフレームや機動力が殺がれる。どちらをとっても痛し痒しだ。

 上の写真は、デジカメを三脚に固定し、望遠側で何枚も撮影した中の一枚だ。シャッタースピードは1/8〜1/4・・・これでは、カメラがブレなくても動く岩魚がブレてしまう。結局何十枚も撮らないと満足した写真は撮れなかった。まして岩魚の産卵シーンを撮るとなれば、よほど明るい条件がそろわないと難しいだろう。
苔に覆われたブナの倒木にサルノコシカケの仲間・ツリガネタケがビッシリ生えていた。共生の美とでも表現できるだろう。 ダケカンバの流木。かつてマタギが火付け用にダケカンバの樹皮を携帯していたのは有名だ。樹皮には油分が多く、湿っている雪の上でも簡単に火がつく。夜は枝に丸めてタイマツにすれば、ヘッドランプがなくても歩けるスグレモノだ。
 大量の落ち葉と岩魚。何とか一人2尾の岩魚をキープして、一日目は終わった。岩魚の刺身、空揚げ、ブラハリタケの煮付け、みそ汁・・・そして焚き火を囲んで熱燗の酒を飲み語らう。酔うほどに白神山語りは続き、あっと言う間に酒は空っぽ。しまいには、予備のウィスキーを渓流水で割った水割りも空っぽになってしまった。お陰で翌日は二日酔いだった。

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