縄文岩魚1 縄文岩魚2 縄文岩魚3 縄文岩魚4 縄文岩魚5

 2001年最後を飾る山釣りは、もちろん白神の源流部だ。9月中旬に訪れた時は、真夏の渇水なみだった。あれから2週間、雨が降っていないらしく、これまで見たこともないほど水量が少なかった。流れる沢の音が心なしか力がない。恐らく、1ヶ月以上も雨らしい雨は降っていないのだろう。源流部に生息する縄文岩魚たちは大丈夫だろうか?、不安になったが、わずかな水溜りに細々と生きていた。

 上の写真は、源流部で捕獲した縄文岩魚。いずれの固体も頭部から背中にかけて、鮮明な虫食い状の模様があるのが大きな特徴だ。もう一つの特徴は、体長の割りに頭が大きいことだ。中にはドジョウのように痩せた岩魚もいる。これらの固体は、餌が乏しく厳しい世界に生きる源流岩魚の特徴を如実に物語っている。

 (今回歩いた縄文岩魚の生息地域は、同じ白神と言っても、入山規制や禁漁となっている白神の核心部ではない点をあらかじめお断りしておきます。さらに、縄文岩魚の生息を願って、どこの沢かは一切公表しませんので、その点のお問い合わせは固くお断りします。)
 縄文岩魚を求めて再び縄文の森へ・・・ブナが林立する脇尾根を登る。白神の山に入ると、なぜか心も体も軽くなる。東大弥生講堂で開催された「田んぼの学校」のシンポジュームに参加した。都会は、人間が作った「人工」であり、人間が予測制御できる世界である。世界自然遺産に登録された白神や屋久島は、「原生的な自然」であり、人間では到底予測制御できない世界である。田んぼは、その中間で何千年も人間が「手入れ」してきた世界であるという。人工の世界に生きる都会人は、「手入れ」された田んぼや里山といった二次的自然、そして究極の「原生的な自然」に憧れる。理屈はどうあれ、私はブナに埋め尽くされた縄文の森がどこの山よりも好きでたまらない。
 フナの寿命は、せいぜい200〜300年と言われている。風雪をまともに受ける日本海側のブナは、さらに寿命が短いだろう。しかし、その懐に入るとたくさんの巨木を見ることが出来る。奥へ進むにつれて母なる森の懐に抱かれたような安らぎ・・・と同時に、死にかけていた心が生き返っていくのが実感できる。
 秋晴れの森は、光輝いていた。源流をめざす長谷川副会長の足取りも速くなる。ところがなぜか物足りない。見上げると、ブナの実はほとんどなし、ドングリもトチの実も、ブドウの実も・・・干乾びた小沢の倒木を見ても毒キノコさえほとんど生えていない。これはどうしたことだろう・・・昨年はブナの実が大豊作だったが、余りにも落差が大き過ぎる。山の恵みは2年に一度とは言うものの、これに干ばつが追い打ちをかけているのだろうか。
サラシナショウマ・・・白い大きな花穂をつけ、ブラシのような小花を密につける。若芽を煮て水にさらしてから食用にすることから、この名がついたという。 朽ちて倒れたブナの残骸。森に大きな穴があいたようだ。その広い空間に光が降り注ぐ。林床には、たくさんのブナの新芽が見られた。
シイタケやムキタケと間違え易い毒キノコ・ツキヨタケ・・・毒キノコとはいえ、太いブナの倒木に生えた幼菌は、見事。思わずカメラを構えたくなるほど美しい、これも自然の造形美のひとつだと思う。
 沢沿いのキノコは、ことごとくツキヨタケ・・・若いのはシイタケ、大きくなるとムキタケに似ている。しかも同じ樹に生えているからややこしい。右の写真は、キノコの根元が黒くなっている。縦に裂けば一目瞭然だが、黒く染みになっているのが毒キノコだ。夜になると発光するらしいが、ぜひそのシーンを撮ってみたいキノコだ。
森の中を歩くと、至る所にブナの風倒木があった。こうした倒木に、ブナハリタケやナメコが生えると絵になるだが・・・。 立ち枯れたブナの樹には、無数の大きな穴が空いていた。キツツキが虫でも捕った跡だろう。硬いブナの樹をクマゲラに穴を開けるシーンを思い浮かべると、あの小さな頭がよく割れないな、と思う。
 ブナだけが林立する斜面。太さはバラバラだが、所々に200年程度の巨木が見える。少しだが黄葉し始めている。紅葉は、夜間の最低気温が6度を下回ると急速に進むと言われている。国道を走っているとき、電光掲示板は丁度「6度」となっていた。恐らく山ならもっと低いだろう。

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