短編集詳細(カッコ内は初出)
追っかけ屋 愛蔵(6編) | |
追っかけ屋愛蔵(小説宝石 2007年10月号) | |
夜鷹蕎麦(小説宝石 2008年2月号) | |
隠れ念仏(小説宝石 2008年5月号) | |
人殺し(小説宝石 2008年9月号) | |
一刻者(小説宝石 2009年2月号) | |
恋日和(小説宝石 2009年7月号) | |
人はなぜスポーツするのか(49編+「あとがき」) | |
第一章 人はなぜスポーツするのか | |
人はなぜスポーツをするのか(「暗黙のルール」) | |
ルールが生む悲喜劇(「暗黙のルール」) | |
肉体の裏切り(「暗黙のルール」) | |
非紳士的スポーツ(「暗黙のルール」) | |
スポーツで何を教えるか(「快適な日々」) | |
友よ、ゴルフ場で会おう(「暗黙のルール」) | |
再会(「暗黙のルール」) | |
コンペ前夜(「暗黙のルール」) | |
イギリス渡航の前に(「暗黙のルール」) | |
ゴルフにおける二つの道具哲学(「暗黙のルール」) | |
道具を替えずに絶対100を切る(「暗黙のルール」) | |
立ちはだかる壁(「快適な日々」) | |
チッパーの甘い誘惑(「暗黙のルール」) | |
ドライバー開眼!?(「暗黙のルール」) | |
十四本のクラブ(「暗黙のルール」) | |
ミスショット(「暗黙のルール」) | |
他人のスコア(「暗黙のルール」) | |
ノーキャディ(「暗黙のルール」) | |
6インチ・ルールの怪(「暗黙のルール」) | |
高すぎる昼食(「暗黙のルール」) | |
高いボール(「暗黙のルール」) | |
ゴルフのマナー(「暗黙のルール」) | |
ゴルフの勝ち負け(「快適な日々」) | |
日本でやっているゴルフ(「快適な日々」) | |
尾崎が海外で勝てない理由(「快適な日々」) | |
第二章 サッカーというゲーム | |
四年に一度という絶妙(「暗黙のルール」) | |
サッカーの醍醐味(「暗黙のルール」) | |
新しいスポーツ観(「暗黙のルール」) | |
一分間の悲劇(「快適な日々」) | |
舞踏会の孤独(「暗黙のルール」) | |
熟年サッカーの魅力(「暗黙のルール」) | |
われらキャンディーズ(「暗黙のルール」) | |
あるサッカーチームの消滅(「暗黙のルール」) | |
第三章 F1ドライバーの精神力 | |
セナ、極限の速さに死す(「暗黙のルール」) | |
セナが抜かれた日(「暗黙のルール」) | |
セナの日本グランプリ(「快適な日々」) | |
ホンダの国のフェラーリ(「快適な日々」) | |
F1ドライバーの精神力(「快適な日々」) | |
行ってみなければ分らないこと(「快適な日々」) | |
ポール・ポジションの男(「快適な日々」) | |
第四章 野球という仕事 | |
プロ野球・審判員という仕事(「球界裏の演出者たち」) | |
球場支配人という仕事(「球界裏の演出者たち」) | |
公式記録員という仕事(「球界裏の演出者たち」) | |
野球連盟広報という仕事(「球界裏の演出者たち」) | |
プロ野球・日程作成という仕事(「球界裏の演出者たち」) | |
プロ野球・マネージャーという仕事(「球界裏の演出者たち」) | |
プロ野球・アナウンサーという仕事(「球界裏の演出者たち」) | |
スポーツ新聞記者という仕事(「球界裏の演出者たち」) | |
スポーツ・ニュース制作という仕事(「球界裏の演出者たち」) | |
あとがき | |
プロ野球が殺される(56編) | |
第一章 野球選手に感情移入できない・・・書き下ろしエッセイ | |
第二章 プロ野球が壊れてゆく | |
スポーツの正しい見方〜「守備妨害なのか、頭脳プレーなのか」/「ジャイアンツは昔のタイガースのようになってしまった」/「歴史に残る名勝負ではない」/「大リーグへの選手流出に際して危機感のない言葉」/「野球は歌謡番組じゃねえんだ」/「飛ぶボールが野球を壊す」/「1リーグにしても赤字は消えない」/「監督不在という異常事態はなぜ起こったか」/「野球ロボットから脱却せよ」/「ファンは神様でなかったのか?」/「楽天を苦しめるプロ野球界の閉鎖性」/「ファンを魅了するおもしろい野球とは」/「プロ野球とボールを巡る問題」/「本当のファンサービスとは」/「内角高目は投手のものだ」/「巨人を私物化するYOMIURIの勘違い」/「『飛ばないボール』が野球を変えた」/「球界はなぜ結束できないのか?」/「練習方法に見える日米の選手気質」/「連続試合出場という勲章」/「野球人気のこれから・・・」/「野球選手の全力疾走」/「自由と強制という命題」/「松坂が背負った重圧」/「反省なき日本プロ野球」/「星野ジャパンへの懸念」/「裏金問題でプロ球界がすべきこと」/「高橋由信が下した決断」/「訃報を聞いて思う、鉄腕の適正年俸」/「投手のドラマが生まれない時代」/「奇妙な監督たち」/「真っ向勝負の首位打者争い」/「変化する日本シリーズ」/「虚構のフリーエージェント」/「WBCという謎の大会」/「メジャーが本当に負けた相手」 | |
第三章 サッカーの日の出と黄昏 | |
スポーツの正しい見方〜「わずか10年ばかりでずいぶんえらくなったものだ」/「どんな悪夢が待っているのか」/「ジーコ采配 海外組偏重の功罪」/「既成概念を覆した優勝」/「自主性と創造性を見せて欲しい」/「バブルが去ったとき」/「オシムとジーコの違いとは?」/「監督VS.スター選手」/「色あせた“オシムの言葉”」/「サッカー協会の人脈不足を憂う」/「岡田ジャパンの憂鬱」/「玉砕を命じた反町ジャパン」/「Jリーグの秋春制移行」/「代表チームよりもJリーグ」 | |
第四章 日本のスポーツがおかしい | |
スポーツの正しい見方〜「体育会体質と儒教の根深き関係」/「変わりゆく大相撲」/「ゴルフのルールと特待生制度の考察」/「テレビがスポーツを殺す」/「スポーツの国際化と柔道」/「石川遼、伝説の枯れ葉」 | |
第五章 スポーツを美化してはいけない、スポーツを利用してはならない・・・著者インタビュー | |
ぼくらのスコットランド紀行(46編+「あとがき」) | |
第一章 旅へ | |
ぼくたちのスコットランド紀行(「快適な日々」) | |
それはリッチモンド・パークで始まった(「快適な日々」) | |
リッチモンド・パークのベンチ(「快適な日々」) | |
旅へ(「暗黙のルール」) | |
第二章 小説という空間 | |
わが師・岡野弘彦先生(「暗黙のルール」) | |
短歌の不思議(「暗黙のルール」) | |
四寸という表現(「暗黙のルール」) | |
単純なことほどむずかしい(「快適な日々」) | |
知識という道具(「快適な日々」) | |
こころおどり(「快適な日々」) | |
おしゃべり(「快適な日々」) | |
書くことのよろこび(「快適な日々」) | |
建築家の心(「快適な日々」) | |
もの書き(「快適な日々」) | |
プロ野球選手の引退(「快適な日々」) | |
一九六九年六月二十七日(「快適な日々」) | |
スポーツ小説について(「暗黙のルール」) | |
『美味礼讃』について(「快適な日々」) | |
言葉に出会って(「暗黙のルール」) | |
パブクラブ(「快適な日々」) | |
第三章 故郷の山 | |
駐車場にて(「快適な日々」) | |
順番を守りなさい!(「快適な日々」) | |
漱石以来の単身赴任(「快適な日々」) | |
イギリス人とルール(「暗黙のルール」) | |
棄民(「暗黙のルール」) | |
汗を流す仕事(「快適な日々」) | |
ビッグバンとウィンブルドン(「暗黙のルール」) | |
政治家が破壊したもの(「暗黙のルール」) | |
リアリストになる(「暗黙のルール」) | |
接待論争(「暗黙のルール」) | |
役人になればよかった(「暗黙のルール」) | |
同窓会名簿(「快適な日々」) | |
TVスポーツ中継への疑問(「暗黙のルール」) | |
パソコンが動かぬわけ(「暗黙のルール」) | |
もっと静かにつつましく(「快適な日々」) | |
モミの木ほしい(「快適な日々」) | |
文化のはじまり(「快適な日々」) | |
微妙な香り(「快適な日々」) | |
ビッグ・ランチ(「快適な日々」) | |
川のある景観(「快適な日々」) | |
魚河岸の空気(「快適な日々」) | |
おもいでの味 百九十円のカレー(「暗黙のルール」) | |
人の死(「暗黙のルール」) | |
父の葬式(「暗黙のルール」) | |
桜の木の下には(「快適な日々」) | |
故郷の山(「快適な日々」) | |
あとがき | |
ふたりのプロフェッショナル(27編+「あとがき」) | |
第一章 | |
長島茂雄という謎(「快適な日々」) | |
天才の孤独と歓び(「暗黙のルール」) | |
堀内恒夫のパームボール(「快適な日々」) | |
江川卓の孤独(「快適な日々」) | |
江夏豊の怒り(「快適な日々」) | |
第二章 | |
ふたりのプロフェッショナル(「快適な日々」) | |
激闘日本シリーズ(「快適な日々」) | |
第三章 | |
管理野球を考える(「暗黙のルール」) | |
辻つまがあわない(「暗黙のルール」) | |
伊良部投手の幸福(「暗黙のルール」) | |
いじめの野球(「暗黙のルール」) | |
アメリカ人の審判(「暗黙のルール」) | |
ディミュロ審判はあきれるだろう(「暗黙のルール」) | |
野球二十年史(「暗黙のルール」) | |
また野球場へ行こう(「暗黙のルール」) | |
マリーンズ熱(「暗黙のルール」) | |
パーフェクトな一日(「暗黙のルール」) | |
死にものぐるいのジャイアンツ(「暗黙のルール」) | |
プロ野球衰亡論(「快適な日々」) | |
プロ野球をつまらなくしたのは何か(「快適な日々」) | |
巨人を愛した巨人キラーたち(「みんなジャイアンツを愛していた」) | |
野球の都を離れて(「みんなジャイアンツを愛していた」) | |
第四章 | |
グラウンド・キーパー(「球界裏の演出者たち」) | |
トレーナー(「球界裏の演出者たち」) | |
スコアラー(「球界裏の演出者たち」) | |
スカウト(「球界裏の演出者たち」) | |
通訳(「球界裏の演出者たち」) | |
あとがき | |
無用庵隠居修行(連作 単行本6編、文庫本8編) | |
無用庵隠居修行(オール読物 2006年2月号) | |
女の櫛(オール読物 2006年7月号) | |
尾ける子(オール読物 2006年11月号) | |
聖天の藤兵衛(オール読物 2007年3月号) | |
千両鶯(オール読物 2007年8月号) | |
金貸し(オール読物 2007年12月号) | |
会津からの客(オール読物 2008年8月号) | |
松屋の銀煙管(オール読物 2008年12月号) | |
辻斬り(オール読物 2009年4月号) | |
彼女の哲学(10編) | |
一度の機会(小説宝石 1996年5月号) | |
十年(小説宝石 2004年2月号) | |
彼女の哲学(小説宝石 1997年4月号) | |
小型ボート(小説宝石 2004年8月号) | |
ショウケースのケーキ(小説宝石 1999年9月号) | |
ウエイター(小説宝石 2004年4月号) | |
小田原まで(小説宝石 2005年7月号) | |
夜の色(小説宝石 2001年7月号) | |
すみれ荘(小説宝石 2006年3月号) | |
将来(小説宝石 2006年10月号) | |
サルビアの記憶(7編) | |
時限爆弾(オール読物 2005年8月号) | |
クラス会の通知(オール読物 2005年5月号) | |
森の中で(オール読物 1997年2月号) | |
春の日のヘレンド(オール読物 1995年2月号) | |
完全な世界(別冊文藝春秋 1996年1月1日 214号) | |
服を着て、そして帰って(オール読物 2000年3月号) | |
サルビアの記憶(オール読物 2002年2月号) | |
「読売巨人軍」の大罪(50編+「あとがき」) ※初出「T」は東京中日スポーツ、「S」は週刊ベースボール | |
【特別書き下ろし】プライド | |
序章 「長嶋巨人」とは何だったのか? | |
長嶋茂雄二度目の監督就任が意味するもの(朝日新聞1992年11月9日「プロ野球監督人事に異議あり」)/そして、ファンには無力感だけが残った(プレジデント 2001年10月1日号「『長嶋二度目の監督就任』でファンが味わった無力感」) | |
第一章 「歓声」と「どよめき」を奪ったフィールドの罪 | |
プロ野球をつまらなくしたのは何か(再録「快適な日々」より「プロ野球をつまらなくしたのは何か」) | |
こうでなくちゃ! | |
黒木知宏、エースの心意気(T2001年3月27日 セブンアイ「黒木」)/野茂英雄に送られたスタンディングオベーションにグッときた(T2001年4月10日 セブンアイ「アメリカの文化」)/イチローに知った「意味あるプレー」と「無意味なプレー」(T2001年5月15日 セブンアイ「大リーグの盗塁」)/プレーする「喜び」(T2001年9月11日 セブンアイ「ボーリック」)/入来と橋本、「存在証明」をかけた闘い(T2001年6月5日 セブンアイ「入来と橋本」)/「いいこと」は強いチームで起こる(S2001年10月1日号 Extra Innings「モラル意識の高さ」)/「ミーティング」がニュースになる愚(S2001年3月5日号 Extra Innings「あたりまえのこと」) | |
ルーキーの不思議 | |
ドラフト下位選手の活躍がうれしい(S2001年4月30日号 Extra Innings「八十七人のルーキー」)/プロ野球記録をつくった「三十八番目の男・金本知憲」(S2001年9月4日 セブンアイ「金本知憲」) | |
ホームランは野球をおもしろくもつまらなくもする | |
驚異のバファローズ(T2001年7月3日 セブンアイ「キング争い」)/首位に不思議の首位あり(S2001年7月9日号 Extra Innings「ホームランと順位」)/サイン盗みは終わらない(S2001年7月23日号 Extra Innings「サイン盗みは終わらない」)/なくならない審判問題は誰のせい?(S2001年9月17日号 Extra Innings「真の温情」) | |
「高貴な精神」と「貧困なる精神」 | |
同時多発テロに己の存在意義を問うた大リーガー(S2001年10月15日号 Extra Innings「悲しむべきこと」)/うつろい行くときの流れに思う(T2001年10月2日 セブンアイ「野球界も激動」)/「55本」の価値(S2001年10月29日号 Extra Innings「破られなかった記録」)/鳥肌が立ったワールドシリーズ(S2001年11月26日号 Extra Innings「鳥肌の立つゲーム」) | |
第二章 「ファン不在」にした球団の罪 | |
自分たちだけの論理をふりかざす彼らにうんざり | |
金儲けの前にすべきこと(T2000年11月14日 セブンアイ「ロゴ」)/すばらしい記録をおとしめるな!(T2001年11月6日 セブンアイ「宮本の犠打記録」)/間の抜けた日程(T2001年10月16日 セブンアイ「空きすぎ!」)/ベイスターズ身売り事件(T2001年11月20日 セブンアイ「野球協約」)/無様な結末(S2001年12月24日号 Extra Innings「不様な結末」)/選手会よ、おおいに闘え(S2001年1月1日号 Extra Innings「彼らの人権回復宣言」)/「契約」が球界のうさん臭さを助長する(S2001年1月22日号 Extra Innings「契約内容を公開せよ」) | |
「裸の王様」 | |
開いた口がふさがらない(S2001年2月19日号 Extra Innings「勝手な言い分」)/清原とオーナー(T2001年6月26日 セブンアイ「清原」)/清原の純情(S2002年1月7・14日号 Extra Innings「清原の純情」)/だからこそ、彼らは海を渡る(S2001年6月11日号 Extra Innings「子供のような理屈」)/NHKにジャイアンツ戦を売って何がどう変わるのか(S2001年12月10日号 Extra Innings「スピーディーな野球」) | |
第三章 「ご都合主義」の球界の罪 | |
野球ワールドカップに未来はあるか | |
世界への挑戦を歓迎するサッカー、いやがる野球(S2001年2月5日号 Extra Innings「ワールドカップの可能性」)/星野監督の苦言(T2001年2月27日 セブンアイ「星野監督の正論」)/裏金を合法化するだけのドラフト改革(S2001年3月19日号 Extra Innings「裏金の合法化」) | |
金に目がくらんだお粗末な「改革」がもたらすもの | |
スポーツの本質(S2001年5月28日号 Extra Innings「間の抜けた話」)/勝利数と勝率(T2001年12月25日 セブンアイ「勝利数と勝率」)/野球人のレベルが問われる事件(S2001年8月20日号 Extra Innings「スポーツのモラル」) | |
第四章 そして/スタジアムに誰もいなくなった | |
オールスターは誰のもの?(S2001年8月6日号 Extra Innings「オールスターはだれのもの」)/さらば、『プロ野球ニュース』(S2001年4月2日号 Extra Innings「プロ野球ニュース」)/生きたまま切り刻まれる「スポーツ中継」(S2001年4月16日号 Extra Innings「生き物である試合」)/哀れなテレビ局(S2001年11月12日号 Extra Innings「野球中継とCM」)/「低視聴率」が本当に意味すること(S2001年5月14日号 Extra Innings「低視聴率の原因」) | |
節操のないやつら | |
「非常識」より恥ずかしい「非礼」(T2001年7月24日 セブンアイ「礼儀」)/勘違いでバカバカしい「演出」(S2001年9月3日号 Extra Innings「要望と義務」)/「ジャイアンツファン」であることの絶望(S2000年12月18日号 Extra Innings「六十二歳で失った生涯の友」) | |
第五章 野球が楽しかったころ | |
二人のプロフェッショナル(再録「快適な日々」より「二人のプロフェッショナル」)/激闘日本シリーズ(再録「快適な日々」より「激闘日本シリーズ」) | |
終章 「長嶋茂雄」が長嶋茂雄に戻った日 | |
二人の「英雄」がいた(Number 2001年10月25日緊急増刊号 「ふたりの英雄がいた。」) | |
あとがき | |
ぼくの好きなゴルフ The Fairway of Dreams(68編+「あとがき」) ※初出はすべて週刊朝日 | |
自由であることが犯罪的ですらある(1999年12月31日、2000年1月7日合併号)/人生の至福を感じたこともある(2000年1月14日号)/動機なぞ、もうどうでもよろしい(2000年1月21日号)/ぼくのゴルフ病はますます高じ(2000年1月28日号)/たった一回でも自分の実力(2000年2月4日号)/冬ゴルフ、しないこともなし(2000年2月11日号)/人間は成長するのである(2000年2月18日号)/「成果」をためす春は近し(2000年2月25日号)/「偉大」であるということは(2000年3月3日号)/そこがブエノスアイレスでも(2000年3月10日号)/「ずいぶん軽く打ちましたね」(2000年3月17日号)/あるがまま、がゴルフの命(2000年3月24日号)/「ラフをティーにしてしまう」(2000年3月31日号)/ゴルフは審判のいないゲーム(2000年4月7日号)/そんなパーはパーではない(2000年4月14日号)/沈黙を呼ぶ「悲劇」(2000年4月21日号)/空中の「夢」、地上の「不安」(2000年4月28日号)/想像力は悲観的にはたらく(2000年5月5日・12日合併号)/長靴は持っていないけれど(2000年5月19日号)/ファンサービスの「苦痛」(2000年5月26日号)/青空すら憎らしくなるとき(2000年6月2日号)/友がまた、友を呼ぶよろこび(2000年6月9日号)/いずれ劣らぬゴルフ好きの文士(2000年6月16日号)/「天啓」がぼくの頭におりてきた(2000年6月23日号)/何度裏切られてきただろう(2000年6月30日号)/高くて険しい90の壁(2000年7月7日号)/頭をかかえる日が続いた(2000年7月14日号)/それは大きな希望でなければ・・・(2000年7月21日号)/控えの間からメインルームへ(2000年7月28日号)/あの夏の心踊りも消えうせて(2000年8月4日号)/「確信」を自分で証明する(2000年8月11日号)/ライバルがいないことの不幸(2000年8月18日・25日合併号)/ぼくはようやく奮い立った(2000年9月1日号)/地理音痴に?快挙?伝えた悲劇(2000年9月8日号)/「分かった。さあ、行こう」(2000年9月15日号)/道具を変えてスコアアップすれば(2000年9月22日号)/ゴルファーを笑ってはいけない(2000年9月29日号)/ボールの進化とスコアの変化(2000年10月6日号)/ゴルフには極上の楽しみがある(2000年10月13日号)/ゴルフどころじゃなくなっちゃう(2000年10月20日号)/期待はつねに裏切られる(2000年10月27日号)/楽しい騒々しさに満ちていた(2000年11月3日号)/いま、ぼくはためされている(2000年11月10日号)/ぼくは最後の救いを求めた(2000年11月17日号)/韮餃子とエコヒイキの関係(2000年11月24日号)/手腕も名声もないけれど(2000年12月1日号)/アマチュアゴルファーの都合、不都合(2000年12月8日号)/何といってもすばらしかったのは(2000年12月15日号)/同人誌をカレー屋の青春時代(2000年12月22日号)/クラブたちの故事来歴(2000年12月29日号)/やると決めたらすぐやりたい(2001年1月5日・12日合併号)/それぞれの冬の黄昏(2001年1月19日号)/ハンディキャップなんか知らない(2001年1月26日号)/こんな簡単なゴルフをしていたんですか(2001年2月2日号)/グリップ変わればスイングも変わる(2001年2月9日号)/最高のゴルファーになるために(2001年2月16日号)/ヘボはヘボの道を歩む(2001年2月23日号)/とんでもない。あきらめるものか(2001年3月2日号)/いつだって、毎日だっていきたい(2001年3月9日号)/グリップどころの話じゃなかった(2001年3月16日号)/ごまかさない、が前提のゲームなのに(2001年3月23日号)/これを買う、僕はその場で宣言した(2001年3月30日号)/世界で最も美しいトーナメント(2001年4月6日号)/永遠なるボビー・ジョーンズ(2001年4月13日号)/想像以上に壮大だったオープンの概念(2001年4月20日号)/あらゆるものを受け容れられる日は(2001年4月27日号)/遠くには海が視界から去らぬ(2001年5月4日・11日合併号)/愛すべき、ゴルファーという人種(2001年5月18日号) | |
あとがき | |
巨人がプロ野球をダメにした(110編+「あとがき」) ※初出「T」は東京中日スポーツ、「S」は週刊ベースボール | |
プロローグ | |
ジャイアンツが抱える長嶋茂雄という矛盾(TITLE 2000年7月号) | |
第一章 「記録」はすべてを物語る | |
イチローの最速1000安打の意味(S1999年5月17日 DIAMOND COLUMNS「破られない記録」)/カル・リプケンJrと衣笠祥雄(T1996年6月18日 セブンアイ「偉大な記録」)/野球は記録のスポーツ(S2000年5月8日 EXTRA Inning「記録の恩恵」)/秋山の本当の「凄さ」(S2000年5月8日 EXTRA Inning「記録の恩恵」)/「記録」にはさまざまな顔がある(T2000年8月22日 セブンアイ「秋山の偉業=v)/ホークスを優勝させた意外な要因(S2000年2月14日 EXTRA Inning「ダイエーが優勝できた理由」)/松井稼頭央の走らぬ理由(T1997年10月28日 セブンアイ「走らない理由」)/悪しき打点記録161(T1999年10月19日 セブンアイ「記録」)/秋山登の七十二試合登板記録の重み(T2000年8月15日 セブンアイ「秋山登氏」)/村山実、戦後唯一の防御率0点台の男(T1998年8月25日 セブンアイ「野球が野球だったころ」)/ピッチャーの究極の目標(T1999年5月11日 セブンアイ「ノーヒットノーラン」) | |
第二章 「選手の価値」を分かつもの | |
ホークスナインの「純情」(T2000年10月10日 セブンアイ「鷹ナインの純情=v)/一億円プレイヤーの条件(T1995年12月12日 セブンアイ「契約更改」)/おかしな査定(T1996年1月30日 セブンアイ「おかしな査定」)/最低のチームを常勝にしたNBAのアイザイア・トーマス(S1999年10月4日 DIAMOND COLUMNS「トーマスに学ぶ」)/選手交替と自尊心(S2000年9月25日 EXTRA Inning「プライド」)/タイガースの不孝、マリーンズの希望(T1999年8月10日 セブンアイ「プロフェッショナル」)/「なる」ことと「であり続ける」こと(T1999年3月2日 セブンアイ 荻原の銅」)/日本野球はただの喧嘩になりつつある(T1996年8月20日 セブンアイ「ガッツポーズ」)/スポーツにおける「敬意」(S1999年9月6日 DIAMOND COLUMNS「プライドと敬意」)/みにくい勝利(T1998年7月21日 セブンアイ「76盗塁」)/キャンプの醍醐味(S2000年3月13日 EXTRA Inning「キャンプのいいところ」)/新人の楽しみ(S1999年7月26日 DIAMOND COLUMNS「天の配剤」)/はかない喜び(T1999年4月27日 セブンアイ「松坂」)/功労者に冷たい球界への疑問(S2000年6月5日 EXTRA Inning「ベテランの居場所」)/二度死んだ桑田真澄(T2000年10月31日 セブンアイ「桑田」)/ドラフトは球団でなく「命運」を決める(S1999年12月13日 EXTRA Inning ドラフトの不思議」) | |
第三章 一流選手の「存在証明」 | |
松井秀喜、進化した「怪物」の憂愁(S2000年9月11日 EXTRA Inning「松井の不幸」)/やっぱりイチローはすごかった(T1997年6月24日 セブンアイ「イチロー」)/いってはいけない一言(T2000年7月25日 セブンアイ「第一人者」)/イチローと四球(T1999年6月1日 セブンアイ「4割実現は今年か」)/どうした清原?(T1999年6月29日 セブンアイ「清原」)/「才能を使いきる」ということ(T2000年3月14日 セブンアイ「天才清原」)/清原の「傷み」(T2000年5月30日 セブンアイ「清原」)/金よりも故郷を選んだ大リーガー(T2000年2月15日 セブンアイ「グリフィー」)/「らしさ」を受け入れるのに十四年かかった落合博満(T1997年6月3日 セブンアイ「落合」)/西口文也のエースの矜持(T1997年9月23日 セブンアイ「エースの仕事」)/「打てるものなら打ってみろ」(T1999年9月7日 セブンアイ「松坂ノスタルジー」)/三十三年前の新人投手(S1999年5月31日 DIAMOND COLUMNS「三十三年前の新人投手」)/人気の不思議(T1999年12月21日 セブンアイ「松坂と上原」)/見えない疲労(S2000年7月17日 EXTRA Inning「2年目の苦悩」)/FA移籍のプレッシャーをはねのけた江藤智(S2000年3月27日 EXTRA Inning「江藤のこと」) | |
第四章 プロ野球をつまらなくしたのは誰なのか | |
大リーグは管理野球だからおもしろい(T1997年5月13日 セブンアイ「大リーグ『野球術』」)/ファンをバカにする「顔見せ興行」(S2000年12月4日 EXTRA Inning「球界全体の利益」)/大リーグに見習いたい日程の妙(S1999年11月1日 DIAMOND COLUMNS「無駄のない日程」)/投げさせてもらえる喜び(S2000年8月14日 EXTRA Inning「中六日の不思議」)/最適の登板間隔(S1999年7月12日 DIAMOND COLUMNS「最適の登板間隔」)/野球選手が走ってケガする愚かしさ(T2000年7月11日 セブンアイ「トレーニングコーチ」)/しゃべりすぎのテレビにうんざり(S1999年6月14日 DIAMOND COLUMNS「新鮮なラジオ中継」)/悪夢のテレビ中継(T1997年7月29日 セブンアイ「お粗末球宴中継」)/〈オールスター=祭り〉という勘違い(S2000年8月28日 EXTRA Inning「オールスターは誰のもの?」)/日本らしい事件だった「サイン盗み疑惑」(T1998年12月8日 セブンアイ「サイン盗み」)/愚かな口約束(S2000年4月10日 EXTRA Inning「長い試合」)/孤独な選手たち(S2000年10月23日 EXTRA Inning「八人のプロ選手たち」)/野球選手の夢(S2000年11月6日 EXTRA Inning「野球選手の夢」) | |
第五章 「ジャイアンツ」であることの不幸 | |
大リーグを破壊しかけたヤンキース化するジャイアンツ(S2000年1月31日 EXTRA Inning「日本プロ野球界の現状」)/失われた栄光のジャイアンツ(S1999年5月3日 DIAMOND COLUMNS「三つのスローガン」)/「背番号3」という名の亡霊(T2000年2月29日 セブンアイ「バカ騒ぎ」)/ジャイアンツのオーナー(T1999年11月9日 セブンアイ「一人だけが」)/フェアプレーとエゴイズム(T1998年1月27日 セブンアイ「泥沼の世界」)/野球らしい野球とは何か(T1995年10月3日 セブンアイ「ジャイアンツの敗北」)/「あたりまえ」ではつまらない(T1998年4月14日 セブンアイ「強い理由」)/原辰徳のいないジャイアンツ(T1996年2月6日 セブンアイ「原のいない巨人」)/二軍選手の希望(T1999年9月28日 セブンアイ「巨人の二軍選手」)/見えない未来(T2000年2月22日 セブンアイ「絶望の2軍」)/ドラゴンズの失敗(T2000年4月11日 セブンアイ「巨人優勝の意味」)/いやな予感(T2000年9月5日 セブンアイ「いやな予感」)/ONシリーズ(S2000年11月20日 EXTRA Inning「ONシリーズ」) | |
第六章 ジャッジ≠諱A球界の主役たれ | |
審判は過酷な職業(T1999年7月20日 セブンアイ「審判のミス」)/審判の責任(T1999年8月3日 セブンアイ「審判の責任」)/ルールをよく読め(T1997年6月10日 セブンアイ「審判に同情」)/ディミュロ審判の嘆き(T1997年6月17日 セブンアイ「審判の苦渋」)/治外法権のプロ野球(S1999年6月28日 DIAMOND COLUMNS「審判の憂鬱」)/リーグ処罰に疑問(T1996年9月10日 セブンアイ「実際的な罰を」)/ルールを骨抜きにするのが日本流(T1997年7月1日 セブンアイ「厳然と!」)/「ルールを守れ」と教えるアメリカ、抜け道を教える日本(T1998年11月24日 セブンアイ「ルールの抜け道」)/審判の自覚(S2000年7月3日 EXTRA Inning「審判の自覚」)/有利だと沈黙、不利だと「殴る」のが審判問題の真実だ(S2000年6月19日 EXTRA Inning「十連勝のカンフル剤」) | |
第七章 ルールがないから悲劇は起こる | |
ルールをつくろう(S1999年12月27日 EXTRA Inning「ルールをつくろう」)/権利は闘って勝ちとるもの(S2000年1月17日 EXTRA Inning「権利は闘って勝ちとるもの」)/「日本野球協会」が存在しないことの意味(T1999年6月22日 セブンアイ「日本野球協会がない」)/コミッショナーの権限(T1998年12月22日 セブンアイ「コミッショナー」)/バカバカしい問題(T1995年12月19日 セブンアイ「パ会長の『責任』」)/サッカーに見る、よりよい方向を目指す姿勢(T1997年3月11日 セブンアイ「野球の時間短縮」)/不可解な伊良部問題(T1997年1月21日 セブンアイ「不可解だらけ」)/ルールを無視する責任者(T1997年7月15日 セブンアイ「伊良部」)/「ドラフトの悲劇」の原因(T1995年11月28日 セブンアイ「ドラフト」)/スカウトの死(T1998年12月1日 セブンアイ「腐ったプロ野球」)/ドラフト制度は欠陥だらけ(S1999年9月20日 DIAMOND COLUMNS「逆指名の弊害」)/FA制度は尻すぼみ(T1998年11月10日 セブンアイ「FA制」)/広沢の過ち(T1999年12月7日 セブンアイ「広沢の過ち」)/「飼い殺し」で若者の未来を奪うな(S1999年11月29日 EXTRA Inning「若い選手が絶望しないうちに」) | |
第八章 「普通の野球場」の幸福 | |
バットの折れる「音」(S2000年4月24日 EXTRA Inning 普通の姿の野球場」)/「球音」を楽しむ日(T2000年6月20日 セブンアイ「球場の騒音」)/日本シリーズ経験者(T1995年10月17日 セブンアイ「日本シリーズ」)/敗者の日本シリーズ(T1995年10月31日 セブンアイ「イチローの感想」)/選手が別の高みに昇る瞬間(T1998年10月13日 セブンアイ「魔人の成長」)/星野監督(T1996年1月23日 セブンアイ「野球は監督」)/「将」の「将」たるゆえん(T1999年9月14日 セブンアイ「ジョン・カルロス」)/監督の「スタイル」(T1998年9月29日 セブンアイ「権藤監督」)/「手腕」というもの(T1999年10月12日 セブンアイ「トルシエの手腕」)/スマートな采配(T1999年11月16日 セブンアイ「トルシエ采配」)/「広島東洋カープ」という球団(T2000年4月4日 セブンアイ「カープ」)/国立競技場の芝(T1997年5月6日 セブンアイ「芝の傷み」)/東京ドームの謎(T1998年6月2日 セブンアイ「東京ドームに秘密が・・・」)/スカウトという仕事(T1999年5月4日 セブンアイ「根本さんとスカウト」)/野球における「言葉」(T1996年8月27日 セブンアイ「野球における言葉」)/本当の野球の見方とは何か(T1996年2月27日 セブンアイ「野球の見方」)/フェアな勝負が見たい(S1999年4月19日 「DIAMOND COLUMNS フェアな勝負の野球が見たい」) | |
あとがき | |
暗黙のルール(74編+「あとがき」) | |
T 人はなぜスポーツをするのか | |
ルールが生む悲喜劇(CHOICE「あるがままに打て!」 1993年9月号)/なぜ人間はスポーツをするのか?(CHOICE「何故人間はスポーツをするのか?」 1993年11月号)/肉体の裏切り(CHOICE「スポーツとは精神と肉体のハザマを埋める作業か?」 1994年1月号)/非紳士的スポーツ(CHOICE「非紳士的スポーツ、野球とゴルフの違い」 1994年3月号)/四年に一度という絶妙(CHOICE「四年に一度だからこそ・・・」 1994年5月号)/ノーキャディ(CHOICE「ノー・キャディのゴルフは快適だ」 1994年9月号)/コンペ前夜(CHOICE「コンペ前に終わるゴルフの愉しみについて」 1994年11月号)/死にものぐるいのジャイアンツ(CHOICE「ジャイアンツが教えてくれた真剣な精神の優位性」1995年1月号)/十四本のクラブ(CHOICE「ドライバーは楽しい?!」 1995年3月号)/マリーンズ熱(CHOICE「スポーツにヒーローは欠かせない!」 1995年5月号)/ルールがあるから面白い(CHOICE「ルールがあるからこそスポーツは面白い」 1995年7月号) | |
U かくて、ぼくはスポーツを愛す | |
ゴルフの楽しみ | |
友よ、ゴルフ場で会おう(QUATTRO STAGIONI「ゴルフの楽しみ」 1997年10月号)/再会(オール読物「幸福な人生」 1998年12月号)/ミスショット(文藝春秋「いいわけ」 1999年1月号)/6インチ・ルールの怪(毎日新聞「ちょっとひとこと 日本的なゴルフのルール」 1997年5月17日) | |
ぼくのゴルフ事始 | |
二人の道具哲学(週刊文春「金のクラブ銀のクラブ1」 1995年11月23日)/イギリス渡航の前に(週刊文春「金のクラブ銀のクラブ2」 1995年11月30日)/道具を替えずに絶対100を切る(週刊文春「金のクラブ銀のクラブ3」 1995年12月7日)/ドライバー開眼!?(週刊文春「金のクラブ銀のクラブ4」 1995年12月14日)/チッパーの甘い誘惑(週刊文春「金のクラブ銀のクラブ5」 1995年12月21日)/6インチプレースなんていらない(The Cyberwing Golf Club Magazine 1997年2月)/自分のことしか考えない(The Cyberwing Golf Club Magazine 1997年4月)/高すぎる昼食(The Cyberwing Golf Club Magazine「高すぎる昼食なんていらない」 1997年5月)/高いボール(The Cyberwing Golf Club Magazine「高いボールしか売らないのはおかしい」1997年6月)/他人のスコア(The Cyberwing Golf Club Magazine「これだからゴルフはこわい」 1997年7月) | |
野球の味わい | |
天才の孤独と歓び(Number400号 1996年9月)/スポーツ小説について(本の話 1996年8月号)/また野球場へ行こう(中央公論「新たな楽しみ」 1995年1月号)/パーフェクトな一日(潮 1995年7月号)/野球二十年史(室内「野球20年」 1996年12月号)/アメリカ人の審判(毎日新聞「ちょっとひとこと プロ野球の日米摩擦」 1997年4月5日)/ディミュロ審判はあきれるだろう(毎日新聞「ちょっとひとこと」 1997年6月21日)/いじめの野球(毎日新聞「ちょっとひとこと いやがらせ、いじめの野球」 1997年8月30日)/伊良部投手の幸福(文藝春秋 1997年9月号)/辻つまがあわない(室内 1998年10月号)/管理野球を考える(中央公論 1999年11月号) | |
サッカーの醍醐味 | |
何もしなければ何も起こらない(オール読物 1998年8月号)/舞踏会の孤独(Number PLUS 1998年8月号)/新しいスポーツ観(Number PLUS 1999年6月号)/熟年サッカーの魅力(愛媛新聞 1994年8月26日)/われらキャンディーズ(室内 1995年9月号)/あるサッカーチームの消滅(毎日新聞「ちょっとひとこと ぼくのサッカーチームが消滅する」 1997年12月13日) | |
F1への誘い | |
セナ 極限の速さに死す(週刊朝日 1994年5月20日)/セナが抜かれた日(Wings 1999年10月号)/人が死ぬのはいやなものだ(文藝春秋「セナの死」 1994年7月号) | |
V ぼくが出会った人と言葉 | |
イギリス人とルール(QUATTRO STAGIONI「ルール」 1997年8月号)/棄民(QUATTRO STAGIONI 1997年3月号)/TVのスポーツ中継への疑問(放送文化「論争のススメ スポーツ中継への疑問」 1994年9月号)/ビッグバンとウィンブルドン(毎日新聞「ちょっとひとこと」 1997年11月8日)/リアリストになる(毎日新聞「ちょっとひとこと 頼るべきは倫理観でなくシステムだ」 1998年1月24日)/接待論争(毎日新聞「ちょっとひとこと 接待論争、どうすればよいのか」 1998年2月28日)/政治家が破壊したもの(毎日新聞「ちょっとひとこと 言葉についての特別の能力」 1997年10月4日)/役人になればよかった(毎日新聞「ちょっとひとこと」 1997年7月26日)/パソコンが動かぬわけ(オール読物 1996年12月号)/父の葬式(現代 1997年7月号)/おもいでの味 百九十円のカレー(オール読物 1994年3月号)/なぜ四寸なのか(東京春秋 1998年11月号)/わが師・岡野弘彦先生(小説新潮「わが師の恩」 1998年4月号)/短歌の不思議(朝日新聞「私の好きな歌」 1998年7月12日) | |
言葉に出会って | |
不機嫌の理由−平野謙(読売新聞「名文句を読む」 1999年6月21日)/文体−大岡昇平(読売新聞「名文句を読む」 1999年7月19日)/海の恐怖−三島由紀夫(読売新聞「名文句を読む」 1999年5月24日)/世界の真実−H・D・ソロー(読売新聞「名文句を読む」 1999年8月17日)/トイレのシート−パトリシア・コーンウェル(読売新聞「名文句を読む」 1999年9月14日)/絶望−折口信夫(読売新聞「名文句を読む」 1999年10月11日)/きみはやりたいのか?−アーネスト・ヘミングウェイ(読売新聞「名文句を読む」 1999年11月8日)/正常な文学−吉田健一(読売新聞「名文句を読む」 1999年12月6日)/あきらめの年齢−吉行淳之介(読売新聞「名文句を読む」 2000年1月17日)/言葉の発達−アル・カンパニス(読売新聞「名文句を読む」 2000年2月15日)/何も書かない小説−永井龍男(読売新聞「名文句を読む」 2000年3月14日)/伝記−ロバート・クリーマー(読売新聞「名文句を読む」 2000年4月11日) | |
旅へ | |
『行きつけの店』に行く(サントリークォータリー51号 1996年4月)/函館 海の見える坂道(サントリークォータリー59号 1998年12月)/イギリス再訪(オール読物「七年ぶりのイギリス感傷旅行」 1996年2月号) | |
あとがき | |
オーケイ。(6編) | |
オーケイ。(オール読物 1996年6月号) | |
厳格なゴルフ(オール読物 1999年11月号) | |
走る理由(オール読物 1995年10月号) | |
セカンド・ゴロ(オール読物 1999年2月号) | |
岐路(小説現代 1991年4月号) | |
二百万ナッソー(オール読物 1999年8月号) | |
男ともだち(10編) | |
季節はずれ(小説現代 1993年3月号) | |
森の生活(小説現代 1993年7月号) | |
一年ののち(小説現代 1993年9月号) | |
男ともだち(小説現代 1993年11月号) | |
温泉への道(小説現代 1994年2月号) | |
朝の思想(小説現代 1995年1月号) | |
長い髪(小説現代 1995年5月号) | |
痣(小説現代 1996年9月号(「朝の入江」を改題)) | |
ある幸福(小説現代 1997年3月号(「ヌサ・ドゥアと子供」を改題)) | |
シャボン(サントリークォータリー 1997年7月 54号) | |
人はなぜバーテンダーになるか(13編) | |
バーテンダーはファーザーたれ(サントリークォータリー 1993年8月 43号) | |
客が磨いたマティーニの味(サントリークォータリー 1993年8月 43号) | |
酒以外のサービスは無用(サントリークォータリー 1993年12月 44号) | |
技術とともに人間も磨く(サントリークォータリー 1993年12月 44号) | |
戦争だろうと不況だろうと飲む人は飲む(サントリークォータリー 1994年4月 45号) | |
身につけた技は後継者に託す(サントリークォータリー 1994年4月 45号) | |
バーテンダー受難の時代を生きる(サントリークォータリー 1994年8月 46号) | |
店の香りが客を集める(サントリークォータリー 1994年12月 47号) | |
バーテンダーを殺すキープボトル(サントリークォータリー 1994年12月 47号) | |
男だけのサービスに徹する(サントリークォータリー 1995年4月 48号) | |
カウンター越しの出会いの喜び(サントリークォータリー 1995年4月 48号) | |
臨機応変なオリジナルカクテル(サントリークォータリー 1995年7月 49号) | |
状況に合わせた飲み物をつくる(サントリークォータリー 1995年7月 49号) | |
あとがき | |
備考 サントリークォータリーでの連載ではもう一編「セント・サワイ・オリオンズ」がある。 | |
星と月の夜(9編+「解説にかえて」) | |
星と月の夜(小説すばる 1994年10月号) | |
心の中(小説すばる 1993年10月号) | |
夜汽車(小説すばる 1994年2月号) | |
だんだん弱く(小説すばる 1993年3月号) | |
公園の水(小説すばる 1993年6月号) | |
帰りの道(小説すばる 1993年12月号) | |
マハナージのおばさん(小説すばる 1994年6月号) | |
リボン(小説すばる 1994年12月号) | |
熱い氷(小説すばる 1994年4月号) | |
「解説にかえて」(青春と読書 1995年4月号) | |
廃墟(10編) | |
スイッチ(海燕 1994年5月号) | |
十九歳(海燕 1993年11月号) | |
目隠し(海燕 1994年9月号) | |
深く透明な流れの底(海燕 1993年9月号) | |
女の気持(海燕 1994年1月号) | |
二つの夜(海燕 1994年11月号) | |
春の風邪(海燕 1994年4月号) | |
廃墟(海燕 1994年7月号) | |
八ヶ岳の親切(海燕 1993年5月号「トランプ」を改題) | |
夏の祭り(海燕 1993年7月号) | |
帰郷(6編) | |
帰郷(オール読物 1993年2月号) | |
静かな生活(オール読物 1992年5月号) | |
夏の終りの風(オール読物 1993年6月号) | |
鳥は飛ぶ(オール読物 1993年8月号) | |
イヴニング・ライズ(オール読物 1992年10月号) | |
虚栗(オール読物 1993年11月号) | |
快適な日々(42編+「あとがきにかえて」) | |
第一部 ゲームの行方 | |
悪太郎のパームボール(青春と読書 1979年5月号)/長島茂雄という男(小説新潮 1981年1月号)/江川卓の孤独(問題小説「江川卓・孤独な戦争」 1982年1月号)/プロ野球をつまらなくしたのは何か(コミュニケーション 1982年秋号)/プロ野球衰亡論(The Newsletter 1983年8月29日号)/二人のプロフェッショナル(GORO「広岡達朗と江夏豊の知闘」 1983年2月10日号)/いつも何かに怒っていた(週刊読売 1984年9月30日)/激闘日本シリーズ(週刊朝日「広岡達朗の逆襲」 1983年11月25日号、12月2日号)/一分間の悲劇(週刊文春 1993年11月11日) | |
第二部 ぼくとF1と | |
男と女の描き方(青春と読書「海老沢泰久氏にインタヴュー」 1986年7月号)/一九六九年六月二十七日(小説新潮 1979年7月号)/魚河岸の空気(中央公論 1979年7月号)/故郷の山(宮崎日日新聞「荒れてゆく故郷の山」 1981年5月18日)/桜の木の下には(小説現代 1986年11月号)/同窓会名簿(宝石 1984年10月号)/もの書き(室内 1985年11月号)/建築家の心(望星 1987年9月号)/書くことのよろこび(日本経済新聞 1987年3月1日)/おしゃべり(室内 1987年8月号)/行ってみなければ分らないこと(CHALLENGE 1989年8月号)/ポール・ポジションの男(ミステリマガジン「ポール・ポジション」 1987年5月号)/F1ドライバーの精神力(飛鳥新社「最速−'87F1グランプリ写真集」 1987年10月号)/ホンダの国のフェラーリ(週刊朝日「F1日本グランプリ観戦記」 1987年11月13日号)/セナの日本グランプリ(週刊朝日「F1日本グランプリ それでもプロストはNo.2になった」 1989年11月3日号) | |
第三部 成熟の国から | |
こころおどり(総合教育技術「塾通いの子供たち」 1989年12月号)/スポーツで何を教えるか(月刊教育ジャーナル 1986年7月号)/知識という道具(滴(第4号) 1987年)/汗を流す仕事(NEXT 1991年4月号)/駐車場にて(東京新聞「みちのうた」 1989年1月14日)/順番を守りなさい!(室内 1989年10月号)/ぼくたちのスコットランド旅行(暮らしの手帖 1989年10、11月号)/パブとクラブ(THE RIGHT WAY「グラスに映る交遊録」 1992年5月号)/サッカーの1/7(Choice 1990年1、3、7、11月号 1991年1、5、9月号)/一人で行くな(ワールドプラザ「ロンドンで学んだ『人とどうつきあうか』」 1990年6、7月号)/リッチモンド・パークのベンチ(ヴァージンストリーム「なつかしい国に―ラブレターに似たもの」 1992年5月号)/川のある景観(第三空間「川恋し」 1992年7月号)/微妙な香り(日本経済新聞社 1991年2月23日)/『美味礼讃』について(毎日新聞「『美味礼讃』小説辻静雄をめぐって」 1992年4月13日)/文化のはじまり(CHALLENGE 1992年12月号)/もっと静かにつつましく(小説新潮 1993年1月号)/モミの木ほしい(室内 1993年6月号)/プロ野球選手の引退(シルバーサービス 1993年秋号) | |
あとがきにかえて | |
ヴェテラン(6編) | |
嫌われた男−西本 聖(Nember 1990年4月20日 241号) | |
成功者−平野謙(Nember 1990年11月5日 254号) | |
指名打者−石嶺和彦(Nember 1991年1月20日 259号) | |
十年の夢−牛島和彦(Nember 1992年2月20日 285号) | |
ヴェテラン−古屋英夫(Nember 1991年8月5日 272号) | |
秋の憂鬱−高橋慶彦(Nember 1990年7月20日 247号) | |
さびしい恋人(13編) | |
何もしないで(小説現代 1980年1月号) | |
夢からはじまる(小説現代 1982年6月号) | |
生きるよろこび(問題小説 1981年9月号) | |
胃潰瘍の男と住む女(小説宝石 1981年9月号) | |
最高の時(小説現代 1982年4月号) | |
婚約した男(小説現代 1981年9月号) | |
幸福の第三期(小説現代 1983年1月号(「ダブルベッド」改題)) | |
情熱(小説現代 1982年7月号(「嫉妬」改題)) | |
二つの世界(小説現代 1982年5月号) | |
再会(小説現代 1982年11月号) | |
幸福の定義(小説現代 1982年8月号) | |
悩む男(小説現代 1982年9月号) | |
川を渡る(小説現代 1983年8月号) | |
備考 「さびしい東京(講談社 1984年2月10日発行−絶版)」を改題。ただしこちらにはもう一編「待っている女(初出:小説現代 1983年9月号)」が収録されている。 | |
孤立無援の名誉(6編) | |
孤立無援の名誉(小説新潮 1989年8月号) | |
輝くとき(オール読物 1984年1月号) | |
エースは満足できない(小説新潮 1985年5月号) | |
スヌーク(小説現代 1985年5月号) | |
チャンピオンの夜(小説現代 1989年1月号) | |
引退した男(小説現代 1989年9月号) | |
夏の休暇(13編) | |
週末の釣り(別冊小説現代 1985年11月号) | |
ルクソールへ出発(小説新潮 1986年12月号) | |
善人の見地(小説新潮 1988年4月号) | |
二度目の恋(別冊小説現代 1986年春号) | |
鳥籠(月刊カドカワ 1984年3月号) | |
夏の休暇(月刊カドカワ 1983年6月号) | |
あしたの約束(小説現代 1988年1月号) | |
大きな男(マダム 1986年1月号) | |
フィレ・ミニヨンの夜(別冊小説現代 1986年秋号) | |
遠い時間(問題小説 1988年5月号) | |
結婚記念日(スピリタス 1986年3月号) | |
柔らかい孤独(野生時代 1985年6月号) | |
季節(ショートショートランド 1983年11月号) | |
球界裏の演出者たち(16編) | |
マネジャー(週刊朝日 1983年5月20日号) | |
通訳(週刊朝日 1983年5月27日号) | |
スコアラー(週刊朝日 1983年5月13日号) | |
トレーナー(週刊朝日 1983年7月15日号) | |
スカウト(週刊朝日 1983年4月8日号) | |
球場支配人(週刊朝日 1983年4月1日号) | |
グラウンド・キーパー(週刊朝日 1983年6月24日号) | |
野球連盟広報(週刊朝日 1983年4月22日号) | |
審判員(週刊朝日 1983年6月17日号) | |
公式記録員(週刊朝日 1983年6月10日号) | |
日程作成(週刊朝日 1983年5月6日号) | |
スポーツ新聞記者(週刊朝日 1983年4月15日号) | |
スポーツ・ニュース制作(週刊朝日 1983年4月29日号) | |
アナウンサー(週刊朝日 1983年7月1日号) | |
アマチュア野球(週刊朝日 1983年6月3日号) | |
スポーツ用品会社(週刊朝日 1983年7月8日号) | |
備考 「球界裏の攻防(単行本、朝日新聞社、1983年9月30日発行、ISBNなし)」を改題。ただしこちらには最後にもう一編「コミッショナー(初出:週刊朝日 1983年7月22日号)」が収録されている。 | |
二重唱〈デュエット〉(12編) | |
ひと月(青春と読書 1985年5月号) | |
夢の部屋(青春と読書 1985年6月号) | |
昔いた場所(青春と読書 1985年9月号) | |
友だちの恋人(青春と読書 1986年2月号) | |
二重唱〈デュエット〉(青春と読書 1985年10月号 「『愛してる』」を改題) | |
朝の笑い(青春と読書 1985年12月号) | |
出口(青春と読書 1985年7月号) | |
うそ替え(青春と読書 1985年11月号) | |
夜のタクシー(青春と読書 1985年4月号) | |
ウサギ(青春と読書 1986年1月号) | |
傷(青春と読書 1985年8月号) | |
輪唱曲〈カノン〉(青春と読書 1986年3月号(『愛情のパターン』を改題)) | |
スーパースター(7編) | |
スーパースター(オール読物 1980年10月号) | |
二人のランナー(オール読物 1982年12月号) | |
記録(週刊サンケイ 1980年3月20日号) | |
イン・ザ・ホール(野生時代 1982年7月号) | |
ライバル(小説宝石 1978年9月号) | |
もっとも愛するもの(別冊文藝春秋 1979年秋号(149号)) | |
眼下のゲーム(別冊小説新潮 1980年1月号) | |
みんなジャイアンツを愛していた(6編+「はじめに」) | |
はじめに | |
野球をかえた一冊の本(GORO 1978年2月23日・3月9日号) | |
ジャイアンツが敗れた (GORO 1978年11月23日・12月14日・12月28日号) | |
広岡達郎の七九〇日 (小説新潮 1982年1月号) | |
広岡達郎1982 (小説新潮 1983年1月号) | |
巨人を愛した巨人キラーたち(宝石 1982年6月号) | |
野球の都を離れて(宝石 1982年9月号) |