Tammy and the Bachelor ★★★

1957 US
監督:ジョセフ・ペブニー
出演:デビー・レイノルズ、レスリー・ニールセン、シドニー・ブラックマー、フェイ・レイ

左から:ミルドレッド・ナトウィック、フェイ・レイ、デビー・レイノルズ
シドニー・ブラックマー、レスリー・ニールセン

天真爛漫な田舎娘のタミーが活躍するいわゆるひとつのほのぼのドラマであり、評判が良かったからかこのタミーを主人公とした続編映画が更に2作、それに加えてTVシリーズが1960年代になって製作されています。個人的にはTVシリーズについては全く見たことがありませんし、第一作目の「Tammy and the Bachelor」を除く続編2本は、今年Universalから発売されたタミーシリーズ3作がバンドルされたDVDプロダクトで初めて見ました。見たことのないTVシリーズについては論評のしようがありませんが、やはりシリーズものやリメイクものがしばしばそうであるように第一作目以降の続編の出来はイマイチに見えます。しかしながら、勿論単に続編であるが故にイマイチであるというわけではなく、それなりの理由があります。その最大の要因とは、ずばりキャスティングに関する問題であり、殊にタミーの持つキャラクターが9割方ものを言うこのシリーズにあってキャスティングミスは致命的になるのですね。それを説明しましょう。「Tammy and the Bachelor」の続編とは、「Tammy Tell Me True」(1961)と「タミーとドクター」(1963)で、実は第一作目で主人公のタミーを演じていたのはデビー・レイノルズであるのに対し、2作目、3作目はサンドラ・ディーに交代しています。交代そのものには致し方ない面があり、イメージ的には10代の娘(実際に何才という設定であるのかが映画中では明瞭ではありませんが)を演じなければならないのに、第一作目の時分ですらデビー・レイノルズは既に20代半ばに達していたのであり、従って実際にはもともとかなりオーバーエイジ気味のキャスティングであったわけです。彼女は童顔であることもあってこの頃はそれでも十分だったとはいえ、さすがに30界隈になってこの役を続けることはできなかったということでしょう。しかしながら、そうであってもタミーはまさに彼女の為にオーダーメイドで誂えられたようなキャラクターであり、勿論彼女の作品を全て見たというわけではありませんが、彼女の特徴が最も見事に活かされた作品に1つがこの「Tammy and the Bachelor」であるように思われます。彼女の代表作として真っ先に思い浮かぶのは間違いなく、ジーン・ケリー、ドナルド・オコナー、シド・チャリースといった単に静止した歌手である以上に体の動きを重要視するダンサー&シンガー達と共演し、歌のみでなくパフォーミングアートも炸裂する「雨に唄えば」(1952)でしょう。その他にもミュージカルにいくつか出演しており、なまじその方面の才能も豊かであることもあって、唄って踊ってのエンターテインメント系列の女優さんであるように見なされがちですが(更に旦那のエディー・フィッシャーをエリザベス・テイラーに寝取られたなどという派手な場外乱闘もありました)、実はキャラクターアクトレスとしても同時に評価されて然るべきであったように個人的には考えていています。実際彼女は、「Tammy and the Bachelor」においてのように大向こうを唸らせる派手なパフォーマンスで飾ることなく、ストレートに彼女特有の屈託のない闊達さ明朗さを表現している時の方がかえって似合っているところがあります。その意味では、どちらも彼女のフィルモグラフィーの中では最もマイナーな部類に属する作品であるとはいえ、「恋に税金はかからない」(1959)とともに「Tammy and the Bachelor」は、彼女の魅力が最もうまく活かされている作品であると見なせます。従って、そのような彼女のキャラクターに合わせたかのような主人公が活躍するタミーシリーズは、やはり主演が交代した時点で作品固有の魅力がどこかで揮発してしまったと言わざるを得ません。それは交代したサンドラ・ディーのパフォーマンスうんぬんの問題なのではなく、そもそもデビー・レイノルズとサンドラ・ディーではキャラクターがあまりにも違いすぎるのですね。いくらサンドラ・ディーが熱演しようが、パーソナリティにズレがあればこの手の作品ではどうしようもないマイナスが生じてしまうのです。というのも、主人公のタミーは確かに田舎娘ではあれ、レスリー・ニールセン演ずる相方のピーターを始めとして周囲の人間が皆感化されてしまう程の賢さ、すなわち大自然の中で育ったが故の裏表のない賢さを持ったしっかりもののキャラクターであるように設定されているのに対して、「避暑地の出来事」(1959)のレビューでも書いたようにサンドラ・ディーはモラトリアム的な未熟性を孕んだ思春期を体現する女優さんの一人、それも最も早い時期に現れた一人であったのであり、従って大自然の中で育ったタミーの持つ賢さ、ゆるぎなさとサンドラ・ディーという女優さんが本来的に持っているパーソナリティーとがうまくマッチすることなどまず考えられないからです。これに対して一方のデビー・レイノルズは、いくら彼女の童顔が外見上必要以上に彼女を幼く見せたとしても、サンドラ・ディーの持っていた思春期的な未熟さとは全く無縁だったのです。要するに、タミーという主人公が持つパーソナリティーは他人の生き方を変えてしまう程に完全に自己完結しているのに対して、サンドラ・ディーという女優さんはこれから大人に成長しなければならないキャラクターを演じて人気を博していたのであり、明らかにミスキャストであったということです。よく云えば、サンドラ・ディーの方が、より現代的な女優さんであったということです。面白いことに、「Tammy and the Bachelor」においてほぼ唯一全く成長しないキャラクターがタミーなのですね。それ以外の主要な登場人物はピーターの計算高いフィアンセのバーバラ(マラ・パワーズ)を除くと多かれ少なかれタミーの影響を受けて大ヘーンシン或いは少なくとも小ヘーンシンします。ここではまだ自分のお笑いタレントに気付かず二枚目面ひっさげて出演しているレスリー・ニールセン演ずるピーターはもとより、シドニー・ブラックマー演ずるピーターのおやじさんも、キング・コングの初代恋人フェイ・レイ演ずるおふくろさんも、ミルドレッド・ナトウィック演ずるボヘミアンのおばちゃんも、ビジネスでピーターの住む豪邸にやってきた実業家も、ピーターの親友も皆タミーの影響を受けて態度を代えていきます。そのような或る意味でカリスマ性すら宿っていると見なせるタミーの持つパーソナリティーは、思春期の不安定さに彩られたマインドとは全く無縁であり、むしろそのようなパーソナリティーにとって「成長」とは一種の自己矛盾にすらなるのですね。その点、小粒は小粒でも(「Gidget」(1959)でgidget=girl+midget(こびと)とあだ名されるサンドラ・ディーも小粒ですが、デビー・レイノルズもレスリー・ニールセンの肩くらいまでしか丈がありません)山椒のようにピリリとしてサンドラ・ディーよりも輪郭が遥かにはっきりくっきりしたデビー・レイノルズにはタミーはうってつけの役であったと考えられます(余談ですが、彼女の実の娘キャリー・フィッシャーはこのような面はあまり受け継いでいないようですね)。まさにデビーちゃんの面目躍如といったところでしょうか。ピーターがチップとして置いてきたコインを忘れものと思ったり、「grown」を「growed」と言って訂正されたり(日本の中学生ですらそんな単純な間違いをすれば落第でしょう)というような、いくら田舎娘でもアメリカ人ならばそれはなかろうと思わせるシーンも散見されますが、デビー・レイノルズという女優さんの持っている天真爛漫な素朴さが見事に開花している作品であることは間違いないので、彼女のファンにはお薦め作品です。因みに「タミーとドクター」のみは日本でも劇場公開された実績があるようですが、一作目のコンセプトからは大きくはずれてメロドラマティックな色合いさえあります。ピーター・フォンダのデビュー作というところが唯一のウリでしょう。以下におまけとして続編からの画像を追加しておきます。上が「Tammy Tell Me True」(サンドラ・ディー&ジョン・ギャビン)から、下が「タミーとドクター」(サンドラ・ディー&ピーター・フォンダ)からのものです。


2008/04/25 by Hiroshi Iruma
ホーム:http://www.asahi-net.or.jp/~hj7h-tkhs/jap_actress.htm
メール::hj7h-tkhs@asahi-net.or.jp