恋に税金はかからない ★★☆
(The Mating Game)

1959 US
監督:ジョージ・マーシャル
出演:デビー・レイノルズ、トニー・ランダール、ポール・ダグラス、フレッド・クラーク



<一口プロット解説>
税務署員のトニー・ランダールは、物々交換で生計を立てるポール・ダグラス一家の脱税調査を命じられるが、ダグラスの天衣無縫の娘デビー・レイノルズに次第に感化されてしまう。
<雷小僧のコメント>
実を言えばこの50年代の他愛ないコメディをわざわざ寸評でもないレビューで取り上げた理由は、この映画自体について評することがその目的ではなく、この頃のコメディ映画が持っていた特徴の1つであり、また現在のコメディ映画にはほとんど見られなくなった要素について浮き彫りにするためです。正直に言えば「恋に税金はかからない」は、面白さという点においてはたとえば寸評等でも取り上げている「純金のキャデラック」等のリチャード・クワインの映画や、ドリス・デイ+ロック・ハドソンによるロマンティックコメディシリーズ等に比べても一段落ちると言えるように思います。では何故取り上げたかというと、このコメディはこの頃のコメディが持っていた特質を典型的な形態で有しているように思われるからであり、最近のコメディを見ていてどうも足りないなと思われる側面を持っているからです。あまり昨今の映画をとやかく批判すると懐古趣味だと受け取られかねないかもしれないのですが、私目の目には現代のコメディ(必ずしもコメディだけではなくアクション映画などでも同様なことが言えます)がどのように写るかということを、この映画と対比することによって語ってみたいと思っています。
まず最初に述べなければならないのは、コメディは大きく分けて常に3通りのタイプがあったように思われます(勿論別のタイプのカテゴリー分けも可能ですが)。1つはコメディパーソナリティによるコメディで、これはある一人或はある一団のコメディ役者がメインとなってコメディパフォーマンスを繰り広げる種のコメディであり、たとえばチャーリー・チャップリン、バスター・キートン、ダニー・ケイ、ボブ・ホープ最近ではエディ・マーフィ、スティーブ・マーティン等がこれに当たると言えるでしょう。とは言えこの形態を有するコメディの構成人員は必ずしも1人であるとは限らないわけで、私目はほとんど見たことがないのですがマルクス兄弟であるとか、ボブ・ホープ+ビング・クロスビー、ディーン・マーチン+ジェリー・ルイス、或は日本のTV番組で言えばドリフターズ等もこのタイプに相当します。すなわち後者の場合、構成人員は複数であっても、コメディ的シチュエーションという観点から見た場合は、その複数の構成人員が1つのコメディパーソナリティを形成していると見ることが出来るわけです。それから2つ目のタイプとしてシチュエーションコメディがあり、このタイプのコメディには中心的なコメディパーソナリティは存在しないのですが、状況的な配置の妙味によってコメディ的雰囲気を醸し出す映画です。従って、このタイプの映画においては性格付けが明瞭ではあるが他の登場人物達よりもパーソナリティとして突出することがない複数の登場人物が巧妙に配置されるところにその妙味があります。実を言えば、「恋に税金はかからない」はまさにこのタイプに典型的に属するコメディ映画であり、最近の映画でこのタイプを捜すのが実に困難なのです(たとえば「デンジャラス・ビューティ」(2000)は辛うじてこのタイプに識別することが出来るように思います)。最後の3つ目は、ただ矢鱈にコメディパフォーマンスを繋げただけの映画で、このタイプの映画は映画全体の統一性が全く感じられないものが非常に多いと言ってもよいように思います。私目の目から見ると現在のコメディ映画のほとんどが、この3つ目のタイプに属するように思われます。注意する必要があるのは、見かけは第1のタイプの映画であっても実体は第3のタイプの映画に過ぎないものも多くあるということです(これは現代のコメディ映画に限った話ではなく、昔のものにもかなり多くあります)。
それでは私目はどのタイプのコメディが好きであるかというと、実は2番目のタイプのコメディなのですね。そういうわけもあってか、第1のタイプに属する映画は、現在のものであろうが昔のものであろうが余り見ることがなく、チャップリンの映画ですら余り見たことがないのです(ただボブ・ホープのみは彼のタイミングをはずしたコメントがなかなか好きなのでかなり見ている方ですが)。第3のタイプのコメディは問題外で、殊に映画は繰り返し見るものであると考えている私目にはとても見る気を起こさせないタイプのコメディ映画であると言えます。ではここで何故この3番目のタイプの映画が繰り返し見る価値のない映画になってしまうかを説明してみたいと思います。前段でも述べたようにこのタイプのコメディは、パーソナリティとはほとんど関連のないコメディパフォーマンス(たとえば比較的最近の例では「メリーに首ったけ」(1998)における一連の下ネタパフォーマンスでどういうパーソナリティを持った誰がそれをやるかはさして関係がない)或はコメディ的発言によるギャグ(思い出せる最近の典型例としては「ミート・ザ・ペアレンツ」(2000)での名前の語呂合わせギャグ)を繋ぎあわせていくという形態を取ります。従って、誇張した言い方をするとこの3番目のカテゴリーに属するある特定のコメディ映画Aは、構成要素としてたとえばコメディパフォーマンスa、b、c,dから成ると単純に言い切ることが出来ます。またその言い方を続けると、この3番目のカテゴリーに属するある特定のコメディ映画Bは、構成要素としてたとえばコメディパフォーマンスe、f、g,h、iから成ると言うことが出来ます。ではこれから、この3番目のカテゴリーに属する新しいコメディが作成されるとした場合、必ずやこのコメディ映画Cは構成要素としてたとえばコメディパフォーマンスj、k、l,m等から成るであろうということになります。では、この3つのコメディ映画A,B、Cの違いは何かというと、それは含まれる構成要素すなわち個々のコメディパフォーマンスが異なるというだけであり、いわば順列組み合わせの違いに過ぎないのですね。
またこういうコメディの傾向として登場人物の配置をそのパーソナリティとは全く関係なしにかなり恣意的に都合のよいように行うことが多く、最近の例では「隣のヒットマン」(2000)で主人公の奥さん(ロザンナ・アークエット)が旦那を殺そうとヒットマンを雇ったり、この主人公(歯科医)の助手が何故か実はヒットマンであったりというような具合に実に都合よく人物配置を行っている箇所に典型的にそのような傾向を見出すことが出来ます。このような恣意的な人物配置は、パーソナリティの必然性に基くものでは全くなく、次の面白いコメディパーフォマンスを導くために万策尽き果ててやむなくそうしたといったような印象の方が遥かに強いのです。従って、そのようなコメディ映画に関して映画全体としての独自性や統一性を捜そうとしても徒労に終わるのが普通であるわけですし、また独自性や統一性のない映画をわざわざ繰り返して見るなどということにもならないわけです。実は私目の目から見ると最近のアクション映画もほとんど全部これと同様に見えてしまうのです。というのも、ここまで述べてきた部分で、コメディという用語をアクションという用語に置き換えてみれば、これはそっくりそのままアクション映画にも適用出来るからです。ただ誤解されると困るので1つだけ付け加えておきますと、順列組合わせ的な要素が強く人物配置を恣意的に行う傾向があり、それ故全体的な統一性をもたないある意味で分裂的なコメディ映画が、必ずしも常につまらない映画になってしまうと言っているわけではないのです。イギリス人などは無闇にそのような映画を製作するのが得意で、最近の「スナッチ」(2000)などもその最良の例の1つであると言えるように思います。ただそういう類の一歩間違うととんでもない駄作に終る可能性のある映画を作るには、才能がいるのですね。たとえば「スナッチ」の場合には、誇張と高速性が巧みに利用され、コマのように回転し続けるパワーによって映画全体が分裂的に崩壊することから免れているわけです。いわば名人芸の離れ業が要求されるわけです。
とここまで述べてきて、肝心の表題の映画について何1つ語っていなかったのに気が付きましたので、少しこの「恋に税金はかからない」について述べてみたいと思います。この映画は、前段でも述べたように典型的にタイプ2に属するシチュエーションコメディであると言うことが出来ます。それ故、セントラルキャラクターは存在しないのです。確かに主演はデビー・レイノルズであり、その相手役がトニー・ランダールであると言えないことはないのですが、この2人だけではこのコメディは恐らく成立していなかったであろうとも言えるように思われます。何故ならば、他の登場人物であるポール・ダグラスやフレッド・クラークも非常に重要な要素を構成しており、映画自体の妙味がこの4人で構成されるシチュエーションの可笑しさで成立しているからです。すなわち、この4人の登場人物ともにそれぞれ独自のパーソナリティを持って登場しており、誰か1人の為に他の3人が盛り上げ役になっているというのではなく、この4人がそれぞれ独自のパーソナリティを持って行うインタラクションから生れる可笑しさがこの映画の大きな売りになっているのです。まずデビー・レイノルズは、目茶苦茶に陽気でストレートに感情を迸せるアグレッシブなカントリーガールを演じていて、私目は彼女の映画を全部見たわけではないのですが、彼女の茶目っ気のある陽気なキャラクターが最もよく出た映画であるように思います。それからトニー・ランダールがいつものように小市民的キャラクターを丸出しにして、税務署職員という四角四面のパーソナリティを演じており、この四角四面のキャラクターがだんだんとデビー・レイノルズの天衣無縫さに感化されていくわけです。それから、意地悪ではあるけれどもどこか憎めないキャラクターを演じれば天下一品のフレッド・クラークが実に意地悪な税務署長を、また舞台出身の名優ポール・ダグラス(これが彼の最後の作品であるように思われます)が実直な田舎紳士を演じていて、それぞれが実にはっきりと性格付けられた人物を演じています。要するに、この映画では誰か1人が主要登場人物であるということは決してなく、敢えて言えばこの4人全てがそうであると言っても間違いはないように思います。つまり、それぞれ独自のパーソナリティを有するキャラクター間でのインタラクションから発生するやり取りの総体としてのシチュエーションがこの映画の肝になっているわけであり、その意味においてこの映画は典型的にタイプ2のコメディに該当するわけです。確かにシャープな会話があるとか、たとえばケーリー・グラントのような絶対的なパーソナリティが君臨しているわけではないのですが、それがこの映画の欠点でもあれば長所であるとも言えるように思われます。このことは、たとえばリチャード・クワインのコメディ映画等でも言え、シチュエーション的な可笑しさから出来するコメディが最近とんと見られないだけに、これらの映画は私目にとっては非常に貴重なコレクションになっているのです。

2001/09/15 by 雷小僧
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