傷だらけの栄光 ★★★
(Somebody Up There Likes Me)

1956 US
監督:ロバート・ワイズ
出演:ポール・ニューマン、ピア・アンジェリ、アイリーン・ヘッカート、サル・ミネオ

左:ピア・アンジェリ、右:ポール・ニューマン

前回ロバート・ワイズの「たたり」(1963)を取り上げましたので、続けてもう一本彼の作品を取り上げることにしましょう。敢えて言うまでもありませんが、ロバート・ワイズという監督さんはほぼあらゆるジャンルに渡って、しかも水準以上の作品を撮り続けてきたまさに職人と言えるような確かな腕を持った監督さんでした。勿論寡作であるとはとても言えない彼の全ての作品を見たわけではありませんが(と言えども40年代を除いた作品の大部分は見ています)、彼の作品の中で箸にも棒にもかからないような全くお話にもならない作品は見たことがありません。スタジオ側にしても、このような堅実な計算できる監督さんは喉から手が出るくらい欲しいのではないでしょうか。「傷だらけの栄光」は実在のボクサーを題材とした作品であり、街のチンピラ不良少年であったポール・ニューマン演ずる主人公がボクシングのミドル級世界チャンピオンになる迄がそこでは描かれています(ロッキー・グラチアーノという名前ですがボクシングに詳しくはない私めはよく知りません)。その意味では、たとえボクサーが主人公であるという点では多少なりともユニークであったとしても、ストーリー展開そのものはかなりありふれたものであると言えるかもしれません。従ってそのようなマテリアルを職人ロバート・ワイズが扱って、大きくはずすとは考えられないのであり、このレビューでも作品の内容そのものに関しては特に述べるつもりはなく、よく出来たドラマでありまた白黒画面に捉えられた街の情景も素晴らしいので是非見て下さいという他にはありません。それでも敢えて一点だけ指摘しておきましょう。スポーツがテーマであるような映画は、どこまでスポーツ的なアクションシーンを取り込めば良いかに関して中途半端に終わる危険性が常に付き纏っています。何故かというと、映画には本来厳然としたシナリオがあるのに対して、スポーツではルールは決められてはいても八百長でなければシナリオは存在し得ないので、あまりにもそのスポーツ固有のアクションシーンを取り込みすぎるとフィクションとスポーツの間に存在する矛盾が顕在化せざるを得なくなり、またあまりにもアクションシーンが少なすぎると今度はそのスポーツがテーマとして選択された意味が希薄化してしまうからです。その点でもロバート・ワイズは極めてワイズ(wise)であり、ポイントとなる後半クライマックスのかなり長めの対戦シーンを強調するかのように、それ以前のシーンにおいてはフィジカルなボクシングマッチの映像にはほとんど時間がかけられておらず、しかも新聞の見出しや極めて短いショット或いは静止画などに留められています。そのような例はマーティン・スコセッシの「レイジング・ブル」(1980)などでも踏襲されており、瞬間的な緊迫感を捉えることに重きが置かれフィジカルなボクシングシーンを必要以上に引き伸ばすことがないように留意されているように見えます。さて、ではこの作品に関連して内容面以外に何を語るかと言うと、それは主演のポール・ニューマンについてであり、彼の経歴の中にしめるこの作品の位置についてです。ポール・ニューマンというと、彼とともに1960年代1970年代を代表するスーパースターであったスティーブ・マックイーンとの比較をどうしてもしたくなる衝動に駆られるのですね。あまつさえ、「傷だらけの栄光」は、ポール・ニューマンをスターダムに押し上げた作品であったと同時に、スティーブ・マックイーンのデビュー作でもありました。と言っても勿論マックイーンに関して言えば、単なる街のチンピラを演じたチョイ役として出演したに過ぎないので、主役であったポール・ニューマンと共演をしたなどとは口が曲がっても言えず、真に共演する機会は結局凡そ20年後の「タワーリング・インフェルノ」(1974)まで持ち越されることになります。しかし主役のポール・ニューマンですら当時はまだほんの駆け出しであったことを考えれば、この未来の二大スーパースターが、曲がりなりにも既にこの作品に共に出演しているということは、今日の目から見れば極めて興味深いことには間違いありません。さて、ここで彼らについて出題するので皆さんも考えてみて下さい。ではその二大スーパースター、ポール・ニューマンとスティーブ・マックイーンの違いを一言で言うとすれば、どのように表現できるでしょうか。私めの解答は、それはニューマンが開かれたオープンな俳優さんであったとするならば、マックイーンは閉じたクローズされた俳優さんであったというものです。片や開いていて片や閉じているという言い方をすると、前者の方が優れていることが含意されているのではないかと思われるかもしれませんが、全くそのような意図はなく彼らの持つ特質がそうであったと言っているに過ぎず、どちらが優秀な俳優さんであったかという判断がそこに含まれているわけでは全くないことに注意して下さい。それでは開いた/閉じたとはいったいどういう意味でしょうか。まず「閉じた」から説明することにしましょう。スティーブ・マックイーンが閉じているという場合の「閉じた」とは、最初から完成した自己充足性を持ち、人を寄せ付けないスーパーチャージされた内面性が自己の周囲にオーラのような緊迫感を放射し、従って外部からのインプットを受け入れて自ら成長変化していくというような可塑性に関わるテーマは寄せ付けないようなパーソナリティを有しているということを意味します。そのようなパーソナリティの権化とも言える彼は最初から最後まで孤独なヒーローであり、誰の手助けも必要とせず常に一匹狼であるような一般人には見出せないような緊迫感を四六時中漂わせています。よく言われることですが、彼には単にスクリーンペルソナとしてだけではなく、現実生活に関してもそのような傾向が色濃くあったようです。従って彼のフィルモグラフィーを見ても分りますが、ポール・ニューマンの場合で言えば「傷だらけの栄光」や「都会のジャングル」(1959)に該当するような、主人公の成長という観点が多かれ少なかれ含まれる作品が一本もありません。それは何故かと言えば、前述したように最初から自己充足している彼が演ずるスクリーンペルソナは、成長過程が描かれることをはねつけるような本質を持っているからです。このような自己充足した高圧蓄電池のような彼であるからこそ、たとえば「シンシナティ・キッド」(1965)のラストシーンにおける主人公の運命の崩落に、蓄えられていた濃縮されたボルテージの強烈な発散による一種のネガティブなカタルシスが付与されるわけです。因みに、「シンシナティ・キッド」におけるマックイーンと、同様にプロのギャンブラーを扱った映画である「ハスラー」(1961)におけるニューマンの対比について「シンシナティ・キッド」のレビューで書きましたのでそちらも是非参照して下さい。ポール・ニューマンが「シンシナティ・キッド」にもし主演していたならば、ラストシーンは全く意味をなさなくなったことは間違いないのではないでしょうか。何故ならば、後述するようにニューマンはオープンな俳優さんであり、一回の破滅が彼が演ずる主人公の決定的な没落を決して象徴したりはしないからです。対比的に言えば、スティーブ・マックイーンであれば滅びの美学が成立するのに対し、ポール・ニューマンであると高い代償は支払っても人生に関する苦いレッスンを1つ学んだということになりますが、「シンシナティ・キッド」ではまさに前者の滅びの美学が要請されています。まあポール・ニューマンがポーカーの勝負をすると、「スティング」(1973)でのロバート・ショーとのショウダウンにおけるように、ボルテージがゼロであることを見せものとして相手の裏をかくような弛緩戦術が展開され、これはポール・ニューマンの持つ可塑性に充ちたパーソナリティとも極めてよくマッチしています。それから、作品自体の評価は敢えて問わないとすると、マックイーンであるからこそ成立し得た作品として「栄光のル・マン」(1971)を挙げることができます。それは彼がレーサーとしてカーレースに出場するホビーを持っていたからというわけではなく(その意味ではニューマンも全く同様にカーレースを趣味としていました)、24時間という限られた時間枠内で繰り広げられるカーレースシーンの描写にほぼ終始し、ストーリーが皆無に等しくほとんどドキュメンタリーであると言ってもよいこの作品をかろうじてカーレースファン以外でも見られる作品にしているのが、マックイーンの持つ自己充足した強烈なパーソナリティであったからです。すなわち、彼のスーパーチャージされた存在は時にはストーリーすら不要にしてしまうということです。このようなマックイーンと対極をなすのがポール・ニューマンです。ニューマンは、決して最初から自己充足した強烈なパーソナリティを備えているわけではなく、誰の助けも不要な一匹狼でもありません。「傷だらけの栄光」でもピア・アンジェリ演ずる奥さんのバックアップがあってこそチャンピオンになれるわけです。それどころか、時には自らの弱みから自滅的に振舞う主人公を演ずることすらあることは、「シンシナティ・キッド」のレビューでも述べました。そのような弱みや若さに由来する無謀さを修正していく度量があるところに彼の持つオープンなパーソナリティの特質があるわけですが、つまり彼が演ずるキャラクターは自己充足してはいないが故に常に発展の余地が存在し、その代償としてそれが実現される為にはそれが描かれるストーリーが常に必要だということです。自己充足したマックイーンがストーリーなしの展開の中でオーディエンスをぐいぐい引き付ける魔力を発揮していたのに対し、ストーリー展開の中でこそ活きるニューマンは、アマチュアレーサーであったからと言って決して「栄光のル・マン」のマックイーンの替わりを務めることは不可能であったはずです。ニューマンのこのような開かれた特質は何も一本の映画の中のみではなく、彼のフィルモグラフィー全体を通じてもアナロジックに確認することができます。そこでキーとなる作品として挙げることができるのが、まさにこの「傷だらけの栄光」と「都会のジャングル」であり、この二作品の中でポール・ニューマン演ずる主人公が名声を得ていく過程は、まさにポール・ニューマンその人が俳優として名声を得る過程とパラレルであり、ライジングスター「ポール・ニューマン」の描く成長の軌跡そのものでもあったのです。「傷だらけの栄光」のラストシーンで、チャンピョンになった彼が原題にもなっている「Somebody up there likes me.」と言うと、それに対してピア・アンジェリが「Somebody down here too.」と答えますが、自身の経歴全体を通じてこの会話が象徴するような親しみのある庶民的な人気を彼は維持し続けたのであり、確かに人気があったとはいえ孤高の近寄りがたさを同時に備えていたマックイーンとは違ったスター性を持って現在まで君臨し続けてきました。まさに「傷だらけの栄光」のラストシーンのセリフは、その後の彼のスーパースターとしての活躍を予兆するものであったと言えるのではないでしょうか。ところで、音声解説のロバート・ワイズが述べるところによれば、「傷だらけの栄光」は最初はジェームズ・ディーンが主演することが予定されていたそうです。実はよく考えてみるとジェームズ・ディーンも強烈に自己充足しスーパーチャージされた内面性を持った俳優さんであったように思われます。つまり、ポール・ニューマンよりはスティーブ・マックイーンに近い俳優さんだったということですね。従ってもしジェームズ・ディーンが交通事故死せずこの作品に本当に主演していたならば、たとえ映画自体は成功したとしても内容的には全く変わったものになっていたかもしれません。ディーンとマックイーンは同年代に属すということもあり、たとえチョイ役であったとしても事故死したディーンではなくマックイーンが「傷だらけの栄光」に出演していたという事実は運命的であるような気さえします。ディーンのよみがえりが実はマックイーンではなかったかというアイデアがふと脳裏をよぎったとしても、それはそれ程大きな間違いではないように思われるからです。そしてまた、このような自己充足した俳優さんは短命であることが多く、ジェームズ・ディーンもスティーブ・マックイーンも現在はもうこの世にいませんが、それより半世代上のポール・ニューマンは21世紀になっても現役です。いずれにせよ、ポール・ニューマン、スティーブ・マックイーンという全く正反対のパーソナリティを持ったスーパースターが活躍した1960年代1970年代も今となっては古きよき時代になってしまいました。因みに、もともとアクターズスタジオ出身でエリート的なところがあったニューマンの方はそれ程ではなかったとしても、たたき上げのマックイーンの方はニューマンに対してかなりライバル意識を剥き出しにしていたようであり、この二人が真の意味で共演した最初で最後の作品「タワーリング・インフェルノ」ではこの二人の関係に関して色々面白い逸話が残されているようです。たとえば、冒頭のクレジットの表示にすらそれが現れていて、両者のエゴを等しく満足させる為に下記のごとくマックイーンが左側に表示されているのに対しニューマンの方が一段上に表示されています。昔の日本のように右から左に読むことは西洋ではありえないので左右の関係では左が優先され、上下の関係では当然上が優先されることからの折衷案をとった結果が、以下のような表示になってしまったということです。知らなかった人で、「タワーリング・インフェルノ」のDVD或いはビデオを所有している人は確認してみて下さい。ウーーーン、やはりスーパースターの扱いは難しい?

           PAUL
 STEVE     NEWMAN
McQUEEN


2007/09/08 by Hiroshi Iruma
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