シンシナティ・キッド ★★☆
(The Cincinnati Kid)

1965 US
監督:ノーマン・ジュイソン
出演:スティーブ・マックイーン、エドワード・G・ロビンソン、アン−マーグレット、カール・マルデン
左:スティーブ・マックイーン、中:カール・マルデン、右:エドワード・G・ロビンソン

60年代のニューヒーローといえば、ポール・ニューマンと共に真っ先に名前が挙がるのがスティーブ・マックイーンでしょう。興味深いことに、両人とも60年代にギャンブル映画に主演しています。言うまでもなく、「ハスラー」(1961)と「シンシナティ・キッド」のことです。50年代以前の作品はあまり多くは見ていない為確信はありませんが、彼ら二人のようなスーパースターがギャンブルそのものをテーマとする作品の主人公を演ずることは、それまではほとんどなかったように思われ、これも60年代に出現したニューヒーローの特徴を示しているように思われます。興味深いのは、どちらもニューヒーローであるとはいえ、同じギャンブラーを演じていても二人の間には大きな違いがあることです。一方のポール・ニューマン演ずるハスラーは、悪徳マネージャ(ジョージ・C・スコット)から始終「born loser(生まれつきの負け犬)」と呼ばれているように、必ずしも完璧に自己充足したヒーローを演じているわけではなく、表面では自信満々に見えながらも、心の片隅ではどこかに挫折感や自己不信感を抱き、常に酒をくらいながらプレーし、負けた時に自分自身に対する言い訳ができるよう予め準備を怠らない人物を演じています。これに対し、スティーブ・マックイーン演ずるポーカープレイヤーは、表面上も内心も一点の曇りもない自信を持ってプレーに臨む完璧に自己充足したキャラクターを演じています。従って、ポール・ニューマンの方は、ヒューマンな弱みを持つキャラクターが、最後にその弱みを克服して最初は全く歯が立たなかった老練なハスラー(ジャッキー・グリースン)を打ち破るという、或る意味で極めて常識的な役を演じているのに対し、マックイーンの場合はニューマンとは全く逆に、若いにも関わらず最初から完璧に自己充足したパーソナリティを持ち、よもや自分が負けるとは一度たりとも想像することなく老練なポーカープレイヤー(エドワード・G・ロビンソン)と対戦し、岩のような自信が最後に完膚なきまでに打ち破られ全てを失うという、それまでには見られなかったタイプのヒーローを演じています。それ故、「ハスラー」の場合には、ポール・ニューマン演ずる主人公が最後にはライバルに勝つであろうことは誰でも最初から想像可能であり、実際にそのような展開になるのに対して、「シンシナティ・キッド」を初めて見た時、恐らくスティーブ・マックイーン演ずる主人公が最後に負けるであろうとは誰も夢にも思わないのではないでしょうか。「シンシナティ・キッド」のラスト近くで、ライバルの持ち手の中でストレートフラッシュが完成しているのを見てマックイーンは呆然とした表情をしますが、呆然とするのは彼だけではなく作品を見ているオーディエンスにしても同様なのです。「シンシナティ・キッド」は、大袈裟に云えばこのような大きな落差を持った一瞬の転落がテーマであり、極めて無情な作品なのです。そのような作品の主人公は、スティーブ・マックイーンのような完璧に自己充足した俳優でなければ務まらず、また彼であるからこそ途轍もない落差を主人公が転がり落ちる決定的なラストシーンが成立し得るのです。但し、道端の勝負で彼がいつも負かしている少年にすら負け、最後に手元に残った硬貨すら失った後、喧嘩別れしたはずの娘(チューズデイ・ウエルド)が彼を待っているシーンで「シンシナティ・キッド」は終わりますが(※)、このような甘っちょろいラストは作品の無情なテーマに相応しくありません。しかしこれについては、どうやら製作上のいきさつがあるようです。今年あちらで発売されたDVDバージョンに添付されていた監督ノーマン・ジュイソン自身の音声解説によれば、実はチューズデイ・ウエルドがスティーブ・マックイーンを慰めるラストシーンは、スタジオの意向で追加されたのであり、ノーマン・ジュイソン自身は全く挿入したくなかったようです。無用で有害ですらあるセンチメンタルなラストが追加されているのは申し訳ないとすら述べています。現在の目から見れば、明らかにジュイソンの判断は間違っていなかったことが分かりますが、当時は新人に毛が生えた程度の監督であった彼は、さすがにスタジオの力には勝てなかったようで、40年後に同作品のDVDの音声解説の中で自分が本来望んでいなかったことに対して謝る羽目になろうとは全くついていない人です。つまり、スタジオ側はまだヒーローが全てを失うことはあり得ないとする旧態依然としたモラルに固執していたのに対して、ジュイソンはそのような偏見を持っていない新しいタイプの監督であったことがそれによって分かります。そのような新しいセンスを持っていたジュイソンであったからこそ、後にスティーブ・マックイーンの持つ自己充足した新たな魅力を「華麗なる賭け」(1968)で誰憚るところなく発揮させることに成功したのでしょう。そのようなエピソードは別としても、「シンシナティ・キッド」のポーカーシーンにはイカすシーンが多く、殊にカードを配る配り方や、札束を勘定する手さばきなどにはシビレます。個人的にギャンブルをすることはありませんが、仕草に惹かれて思わず知らず勝負の世界に引き込まれてしまいます。まさに、これが映画の魅力だとも言えるのではないでしょうか。

※ビデオバージョンではカットされているようです。


2005/09/24 by 雷小僧
(2008/10/29 revised by Hiroshi Iruma)
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