かわいい毒草 ★★☆
(Pretty Poison)

1968 US
監督:ノエル・ブラック
出演:アンソニー・パーキンス、チューズデイ・ウエルド、ビバリー・ガーランド、ジョン・ランドルフ
左:チューズデイ・ウエルド、右:アンソニー・パーキンス

この作品はそれなりに知っている人は知っているというような作品であり、以前英語バージョンの当ホームページを真面目に更新していた頃、海外の映画ファンとのメイルのやり取りの中でこのタイトルが話題になったこともありましたが、しかしながら実際には長いこと入手困難(不可)な状態が続いていました。見る機会がこれまでなかったので是非見たい作品の1つでしたが、ようやく昨年海外ではDVDが発売されました。また国内でもTV放映されたそうであり、Google等で検索してみるとこの作品に言及しているブログもいくつかあるようです。この作品はコメディ的側面を持つサイコドラマであり、どこにでもいそうな少女が次々と殺人を犯すというストーリーには一種のブラックコメディ的要素も色濃く存在します。誤解を招くのを避ける為に付け加えておくと、コメディ的と言ってもコメディパフォーマンスが展開されているわけではなく、施設から出所したばかりの妄想癖のある青年デニスがCIA工作員であると偽って、一見すると健康美人のように見える女子高(?)生スー・アンに取り入る展開がいかにも子供地味ておりそれがコメディ的印象を与えるということです。そもそも高校生にもなって一介の浮浪者的青年がCIAのスパイであることを頭から信じるなどということは現実には有り得ない話ではないでしょうか。しかしながらこの作品を最後まで見ると、もしかすると彼女はわざと信じるフリをしてうるさい自分の母親を亡きものにする為にこの青年を利用していたのではないかという解釈も成り立つような気にもなりますが、魅力的であるとはいえこの解釈は少し苦しいように思われます。というのは、スー・アンという悪の華が開花するのはデニスという触媒を通してであると考える方が自然だからであり、最初から狡知に長けてそのような遠大な意図の下に振舞っていたというのは、後述するようにフィルムノワール的な悪女が対象であれば妥当であったとしても、カウンターカルチャー期に製作された作品に登場するノンシャラントな悪女が対象であってみればそれには大きな無理があるからです。いずれにしても、コメディという視点から見ない限りあまりにも展開が馬鹿げているので、そのように見ることが半ば強制されると言う方が当を得ており、恐らくこれは意図的であるように考えられます。つまり、題材が題材だけにオーディエンスを徹底的に主観的に巻き込むよりはシニカルな視点に立たせることが必要であり、それを目的としてブラックコメディ仕立てにすることがそのような導入部からの展開によって意図されているのではないかということです。言い換えると、下手をするとゴシックホラー映画的な展開にすらなり得る題材が扱われているのであり、しかしながらそのようにしてしまう意図は製作者には全くなかったが故に、妄想癖のある青年のスパイごっこを信じる一見ピュアな少女という子供地味てすらいるような荒唐無稽なアイデアが展開されているのではないかということです。その妄想癖のある青年をここで演じているのが、まさにそのイメージにピタリとマッチする「サイコ」(1960)のアンソニー・パーキンスですが、しかしながらこの作品の焦点は彼にあるのではなく、チューズデイ・ウエルド演ずるスー・アンにあります。表面ではいかにもオールアメリカンガールのように見えるも関わらず(実はポーランド系という設定になっていますが、チアガールとして登場する冒頭のシーンは健康美人的オールアメリカンガールという印象を与えます)、次々にノンシャラントに殺人を犯していく彼女の前では、マザコンのアンソニー・パーキンスなどふっ飛んでしまうのですね。このスー・アンを見ていると「タイトル別に見る戦後30年間の米英映画の変遷」の「カウンターカルチャー運動に影響された映画 《ボブ&キャロル&テッド&アリス》」でも紹介した「悪女のたわむれ」(1969)のナンシーを思い出しますが、そこでも書いたように彼女達に共通するのは悪女と言ってもいわゆるフィルムノワールのファムファタール的悪女ではなく、いかにもカジュアルでノンシャラントな悪女を演じているのであり、パラノイアックに1つのスタイルに固執するよりは日常性の中のちょっとした隙間に分裂症的なカオスを出現させるといういかにも現代的な悪が彼女達によって体現されています。確かに「かわいい毒草」にはLSD的にサイケデリックないかにもカウンターカルチャーでございというような雰囲気は存在しませんが、それでもなお且つこの作品がカウンターカルチャー期に製作された作品でありその影響を少なからず受けているという点では間違いのないところでしょう。その視点から眺めると、今度はアンソニー・パーキンスの位置付けが極めて興味深く、スー・アンの行動を目の当たりにして全くの腰砕けになってしまう彼の姿は滑稽であると同時に、「サイコ」におけるノーマン・ベイツによって体現されるパラノイアック(偏執狂的)なマザコンイメージは、スキゾフレニック(分裂症的)なカウンターカルチャーの時代になると完璧に相対化され一種の道化師として無害化されることを通じて笑いの対象と化してすらいることに気付くことができます。しかしそれにしても、この作品でスー・アンを演じているチューズデイ・ウエルドは、「悪女のたわむれ」でナンシーを演ずるリー・テイラー−ヤング同様、パーフェクトに役に嵌っていますね。彼女にはどこかエキセントリックなイメージがありますが、今まで見た中ではこの作品における彼女が最も見事に役柄にフィットしているように思われます。勿論「シンシナティ・キッド」(1965)のようなよりポピュラーな作品にも出演していますが、特徴が最も活かされているという意味においてはこの「かわいい毒草」を彼女の代表作と見なすべきでしょう。そう言えばこれも昨年始めて見たジョン・フランケンハイマーの日本劇場未公開作品「I Walk the Line」(1970)でも彼女はグレゴリー・ペック演ずる中年おじさんを魅了して彼を最後に破滅に追い込む一種のロリータを演じており(ロリータに惹かれるペックを見て私めは思わず「ペックよ、お前もか!」と叫んでしまいました)、このような役柄には彼女は打って付けだと言えるでしょう。ということで全体的に派手さはないものの、展開の妙味と殊にチューズデイ・ウエルドの小悪魔的な白い悪(ブラックホールのように周囲の光を底無しの闇に吸い込むフィルムノワール的な黒い悪ではなく、乱反射的に周囲の目を眩ます白い悪)の魅力が光る一編だと言えるでしょう。ま、但し万人向けの作品ではないかもしれませんね。


2007/01/27 by Hiroshi Iruma
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