愛のメモリー ★☆☆
(Obsession)

1976 US
監督:ブライアン・デ・パルマ
出演:クリフ・ロバートソン、ジュヌビエーブ・ビジョルド、ジョン・リスゴー

左:ジュヌビエーブ・ビジョルド、右:クリフ・ロバートソン

どこかの国の歌謡曲のごとく安易な邦題が付けられているこの作品は、ブライアン・デ・パルマが監督したミステリースリラーです。ヒッチコック御用達の作曲家バーナード・ハーマンが音楽を担当していることもあって、ヒッチコックカラーの濃い作品に仕上がっており、実際にそのように見なされるケースが多々あるようです。「愛のメモリー」が依拠していると考えられるヒッチコックの作品を1つ挙げるとすれば、それは「めまい」(1958)でしょう。「めまい」でジェームズ・スチュワートが演じている役をクリフ・ロバートソンが、またキム・ノバクが演じている役をジュヌビエーブ・ビジョルドが演じていると考えられます。また、ジョン・リスゴーが演じている役は、「めまい」では主人公に捜査を依頼したヒロインの旦那の役であると見なせるかもしれません。そのような類似もさることながら、「愛のメモリー」はヒッチコック作品以上にめまいを起こさせる作品なのです。というのも、「愛のメモリー」は、神経症患者が見た世界のように人気(ひとけ)がほとんど感じられず、3人の主要登場人物が周囲から隔絶されているイメージが強烈にあり、オーディエンスにえも言われぬ不安感を与えるからです。勿論、クリフ・ロバートソン、ジュヌビエーブ・ビジョルド、ジョン・リスゴー以外にも登場人物はいますが、ほとんどこの3人しか存在しないかのようであり、3人が妙に浮き出して見えます。しかもクリフ・ロバートソンが演じている主人公は心理的に強く抑圧されたパーソナリティを持っており、他の二人に関してもヒューマンなパーソナリティを演じているというよりも、プロットによって宛がわれた構造的な役割を器用に埋めているといった印象を受けます。従って、ジュヌビエーブ・ビジョルドが母親と娘の二役を演じてもさほど奇妙には思われないのです。「めまい」の場合には、主人公を演じているジェームズ・スチュワートが、決してノンヒューマンな印象を与えることがないのに加え、非現実的なヒロインの存在を補償するかのように主人公の秘書を演じているバーバラ・ベル・ゲデスがヒューマンで現実的なタッチを加えています。それに対して、「愛のメモリー」には、安直な邦題が示すようなエモーショナルでヒューマンなタッチはほとんど存在しません。要するに、「愛のメモリー」は、作品全体として強迫神経症的で没感情なところがあり、強迫観念という意味を持つ原題の「Obsession」が、そのような印象の正しさを証明しています。絵画に喩えれば、ポール・デルヴォーの絵のごとく登場人物がギリシャ彫刻のように凍りつき、また精神分析的な言い方をすれば、湖の表面に張った氷がその下に存在する生命の泉に触れるのを拒否しているかのごとく登場人物の感情が凍りついているように見えます。このような強迫神経症的な傾向は、オーディエンスに必ずや不安或いは不安定さを与えるはずです。強迫神経症的な状況下では、抑圧され意識の表面には現れない識域下の巨大なエネルギーが表層のオートマティズムを支配し、意識的には非存在であるはずの何ものかが、意識の及ぶ域外から意識を支配するが故に意識に対してえも言われぬ不安感を呼び覚ますわけです。このような言い方すると、「愛のメモリー」はミステリースリラーを通り越えて精神病理の領域にまで突き抜けそうに聞こえるかもしれませんが、それはさすがに少し言い過ぎでしょう。しかしながら、たとえばヒッチコックの有名な「サイコ」(1960)には、タイトルが示すような精神病理的要素はドラマの効果以上のものとして存在していないのに比べ、「愛のメモリー」を見ていると作品全体が一種の強迫神経症的な精神病理そのものではないかという奇妙な印象を多少なりとも受けざるを得ないのです。その意味においては、「愛のメモリー」には、「めまい」で主人公を強度のカタレプシーから救うバーバラ・ベル・ゲデスが演じていた役に相当する役が存在しないのは、むしろ当然なのです。そのようなわけで、「愛のメモリー」は邦題が与えるイメージとは全く逆に、甘ったるいところのほとんどない幻惑的な作品なのです。ところで、「愛のメモリー」ではジュヌビエーブ・ビジョルドが母親と娘という一人二役を演じています。勿論、二つの役が同一シーンに同時に現れることはありませんが、当時35才近かったはずの彼女が美大生を演じていてもそれほど不思議でないのは、ベビーフェイスの彼女ならではのことでしょう。ということで、「愛のメモリー」はオーディエンスを幻惑させるブライアン・デ・パルマの特徴がかなり純粋な形で現れている作品です。


2003/02/22 by 雷小僧
(2008/11/27 revised by Hiroshi Iruma)
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