ナイトムーブス ★★☆
(Night Moves)

1975 US
監督:アーサー・ペン
出演:ジーン・ハックマン、ジェニファー・ウォーレン、エド・ビンズ、スーザン・クラーク
左:エド・ビンズ、右:ジーン・ハックマン

前々回「黒い罠」(1958)のレビューの中で、70年代に復活したフィルムノワール、すなわち「ネオノワール」について簡単に言及しましたが、「ナイトムーブス」もその範疇に入る作品であると見なせるでしょう。確かに、ビジュアル面からいえばノワール的な要素はそれほど見られないとはいえ、ジーン・ハックマン演ずるいまひとつパッとしない私立探偵といい、かなりひねくれたストーリー展開といい、内容面ではノワール的な雰囲気が濃厚に漂っています。殊に、ジーン・ハックマンは素晴らしいの一語に尽きます。元花型プロフットボーラーであった過去の栄光の思い出に浸りながら、今やしがない私立探偵として生計を立て、奥さん(スーザン・クラーク)の浮気にすらスムーズに対処できない不器用な男を演ずるならば彼しかいないと思わせるほどの味のあるパフォーマンスを見せてくれます。そもそも、寝取られ(コキュの)私立探偵などという役柄が演じられる俳優などそうざらにはいないでしょう。「ナイトムーブス」を見ていると、70年代を代表する男優の一人としてジーン・ハックマンの名前を是非とも挙げねばならないという気にさせられること請け合いです。70年代の大スターといえば、スティーブ・マックイーン、ポール・ニューマン、ロバート・レッドフォード、ダスティン・ホフマン、チャールズ・ブロンソン、クリント・イーストウッド、或いは後半になるとアル・パチーノやロバート・デ・ニーロなどのイタリア系が挙げられますが、ジーン・ハックマンほどカッコよさと縁遠いスターはいませんでした。確かに、チャールズ・ブロンソン、クリント・イーストウッド、ロバート・デ・ニーロ、ダスティン・ホフマンなども、二枚目であると言うにはクセがありすぎたとはいえ、しかし彼らには彼らなりのカッコよさがありました。それに比べると、見てくれはその辺のオッサン連中とほとんど大差のないジーン・ハックマンには、カッコよさもなければ、派手さもなく、外見のむさ苦しさを強引にそして錬金術的にスターパワーに変えてしまう凡そ60年代以前のトップスターには見られなかった独特のキャラクターを有していました。他にはジョージ・C・スコットや、ややタイプは異なるとはいえウォルター・マッソーなども同類項として挙げられ、むさ苦しいイメージを持つ男優が主役として活躍するようになったのが70年代だったのです。その意味では、既に50代に達していたチャールズ・ブロンソンが活躍できたのも70年代ならではの現象であったように考えられます。しかし、その中でも特筆すべきは、やはりジーン・ハックマンであり、「フレンチ・コネクション」(1971)でのポパイ刑事は、まさに並居る70年代のアンチヒーローキャラクターの先駆けを成したと見なせます。そしてノワール的な展開を持つ「ナイトムーブス」は、確かにややマイナーな作品であるとはいえ、彼のパーソナリティを活かすには最高の素材であったのではないかと考えられます。同年に公開されたネオノワール作品「さらば愛しき女よ」(1975)のレビューの中で、「探偵もの映画の中には、「さらば愛しき女よ」でのロバート・ミッチャム扮するフィリップ・マーローのように、どこかうらぶれていて外見からは無能そうに見える私立探偵が、状況にもて遊ばれながらもなぜか最後には事件を解決するというストーリーパターンを持つ作品が少なからず見受けられます」と述べたように、殊に70年代のネオノワール作品に登場する私立探偵には、状況巻き込まれ型が多く、「ナイトムーブス」でジーン・ハックマンが演じている私立探偵のハリー・モスビーもまさにこのタイプです。というよりも、これから説明するように究極の状況巻き込まれ型であると言った方が正しいかもしれません。確かに、彼は人探しを依頼され、チンピラのメカニック(ジェームズ・ウッズ)を脅したりしながら、早々と失踪した娘(メラニー・グリフィス)を探し出します。しかしながら、この過程は作品全体の中でもさして重要な部分ではなく、そもそもこの程度の捜査であれば、私立探偵であれば名探偵でなくても誰でも達成できるはずのものです。しかも、折角、探し出して連れ戻したはずの娘も、すぐに事故に見せかけて殺されてしまうのであり、これでは一体何の為に娘を探し出したのかオーディエンスが疑問に思ったとしても何の不思議もないはずです。むしろ、私立探偵として彼が腕を見せなければならないのは、この事故死に見せかけた殺人を含む二つの殺人が発覚するその後の展開においてであり、そうであるにも関わらずその過程において彼は自分では何も解決することがないのです。脚を撃たれて動けなくなった彼の乗ったヨットが海原の中で無益にぐるぐる旋回するラストシーンは、極めて象徴的であり、どこにも行き着くことのない主人公の境遇が見事に表現されています。監督のアーサー・ペンは、「ナイトムーブス」について、「解決が何も解決しないことを見出す私立探偵に関する探偵映画(a private-eye film about a detective who finds the solution is not solvable)」であると述べていますが、どのような意味でペンは「the solution is not solvable」と言っているのかはとりあえず置くとしても、状況に対して常に後手を踏み、状況の確認者にしかなれないハリー・モスビーにとって、たとえ最後に状況の方から全てが露になったからといって、それでは自己と世界の関わりという実存的な次元においては何の解決にもならないことは確かです。このような私立探偵を演じさせればジーン・ハックマンはピカイチであり、世界を自らの色合いで染め上げる狂信的な「フレンチ・コネクション」のポパイ刑事とはまた違った、世界とのギャップがどうにも埋め切れず世界の中で居場所を失って迷走する私立探偵をこれ以上ないほど説得的に演じています。奥さんの浮気の現場を目撃し浮気相手マーティ(ハリス・ユーリン)の家に乗り込みながらも、乗り込んだ自分の方があたかも問題の核心を避けるかのように落ち着きのない子供のような態度で振る舞い、しかもマーティに「サム・スペードのように俺に一発お見舞いしたらどうなんだ」と挑発されながらも、そうできないハリー・モスビーは、いくら元花形プロフットボーラーで腕力には自信があったとしても、状況を自分の手で強引に変えようとするポパイ刑事とは対極的に、結局状況に完全に支配されざるを得ないタイプの人物なのです。このようなキャラクターは、サム・スペードやフィリップ・マーローなどの従来の私立探偵像には全く見られなかったものであり、仮に世間から疎外されていたとしても、ニヒルな立場を維持していられた彼らとは異なり、状況にズブズブにつかりながら状況から疎外される恐ろしく現代的な悲劇性が彼の人物像には孕まれているのです。50年代以前のノワール作品には、ほとんど見られなかった新たなキャラクターがここに見出せると言っても過言ではないはずです。そして、そのようなキャラクターを演じ切れる俳優は、当然ながら二枚目を気取ったロバート・レッドフォードではなく、またスティーブ・マックイーンでもなければ、ポール・ニューマンでもなく、それ以上にチャールズ・ブロンソンやクリント・イーストウッドでもなく、或いは演技派のダスティン・ホフマンですらもなく、ジーン・ハックマンでなければならなかったのです。だからこそ、彼は70年代を代表する俳優の一人と見なされなければならないのです。ということで、ジーン・ハックマンが主演した70年代の作品の中では、「フレンチ・コネクション」、「ポセイドン・アドベンチャー」(1972)、「カンバーセーション・・・盗聴・・・」(1974)などとともに、一筋縄では捉えられない彼のキャラクターが最もうまく活かされた作品であると評価できます。尚、ヒッチコックの「」(1973)に出演したティッピー・ヘドレンの娘、メラニー・グリフィスのデビュー作のはずであり、いかにも素人っぽい彼女のしゃべり方は、それが彼女の1つのトレードマークでもあり、これもまた新たな時代の幕開けを象徴していると考えられるかもしれません。またデビュー作ではありませんが、ジェームズ・ウッズもその鋭角的な面構えを見せており、80年代の彼の活躍の先駆けとなった作品であると見なせるでしょう。


2008/12/22 by Hiroshi Iruma
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