白い肌の異常な夜 ★★★
(The Beguiled)

1971 US
監督:ドン・シーゲル
出演:クリント・イーストウッド、ジェラルディン・ペイジエリザベス・ハートマン

左:ジェラルディン・ペイジ、中:クリント・イーストウッド、右:エリザベス・ハートマン

クリント・イーストウッドは、60年代にマカロニウエスタンでマッチョイメージを確立した後、70年代に入ると、折角確立したイメージを逆手に取るかのような被虐的ともいえる作品になぜか出演するようになります。女ストーカー(ジェシカ・ウォルター)に悩まされるディスクジョッキーを演じ、自身の初監督作でもある「恐怖のメロディ」(1971)と、ここに取り上げる「白い肌の異常な夜」の二作です。「白い肌の異常な夜」では、ななななんと!クリント・イーストウッド演ずる主人公は、女学校の女校長(ジェラルディン・ペイジ)に足をちょん切られた挙げ句、毒キノコを食べさせられ、最後は顔面蒼白ならぬ顔面真っ白な死体と化してしまうのです。南北戦争当時、負傷した北軍兵士(クリント・イーストウッド)が、南部の女ばかりの寄宿学校に転がり込んでくるところからストーリーは始まり、女ばかりの寄宿学校に男が一人ということで最初は誰もが予想する展開になります。しかしながら、寄宿学校の校長は誰あろうジェラルディン・ペイジが演じており、前述の通り、次第に彼女の狂気の世界に主人公を絡めとっていくのです。「白い肌の異常な夜」での女校長の狂気と、「恐怖のメロディ」での女ストーカーの狂気を見比べると興味深いものがあります。前者はいわば偏執狂的(パラノ)な狂気であり、かつて流行ったドゥルーズ&ガタリ流の言い方をすればオイディプス的な狂気であるのに対し、後者は分裂症的(スキゾ)な狂気であり、分散粒子的な狂気であると見なせます。かくして正反対の狂気の餌食にされる犠牲者を、マッチョイメージを確立したクリント・イーストウッドが演じているところが非常に面白く、殊にこの「白い肌の異常な夜」では、オイディプス的な罠に見事に絡み取られたヒーローという、いかにもズブズブな深層心理的イメージが喚起され、かつての彼の飄々としたイメージとのギャップが際立ちます。オイディプス的な罠に絡み取られたヒーローとは、自己矛盾した響きがあるかもしれませんが、ユング派深層心理学者エーリッヒ・ノイマンによれば、スフィンクスの謎を解いたオイディプスは最後は母親表象に絡め取られるといえど、やはりヒーローはヒーローなのです。ドゥルーズ&ガタリによれば、オイディプス的な罠とは、問題とその解決がともに罠そのものであるような円環的な構造を成す罠であり、その中に絡み取られると脱出は極めて困難なのです。かくして一人のヒーローを、いとも簡単に出口のない罠に陥れることができるほど怪物的な心理機制を有する人物を演ずるとすれば、ジェラルディン・ペイジほど相応しい女優さんはいないことが「白い肌の異常な夜」を見ているとよく分かります。殊に、ラスト近く、小さな女の子に毒キノコを盛らせる時の彼女の狡猾かつ冷酷な表情は、全てを貪り食う元型的母親形象をイメージさせ、現実が妄想を生むのではなく妄想が次第に現実を紡ぎ出していくさかさまの世界が、彼女ならではのパフォーマンスによってこれ以上ないほど説得的に表現されています。まさに、ジェラルディン・ペイジの面目躍如といったところでしょう。また、エリザベス・ハートマンが、「いつか見た青い空」(1965)で見せたセンシティブなパフォーマンスをここでも披露しており、ジェラルディン・ペイジとは全く異なる繊細な雰囲気が印象的です。ドン・シーゲルが監督しクリント・イーストウッドが主演している事実からは、全く予想不可能な内容を持つ作品であり、そうであるからこそ余計に興味深い作品です。


2004/03/06 by 雷小僧
(2008/11/16 revised by Hiroshi Iruma)
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