いつか見た青い空 ★★★
(A Patch of Blue)

1965 US
監督:ガイ・グリーン
出演:シドニー・ポワチエ、エリザベス・ハートマン、シェリー・ウインタース、ウォーレス・フォード

左:エリザベス・ハートマン、右:シドニー・ポワチエ

黒人スーパースター第1号というべきシドニー・ポワチエの出演作といえば、「夜の大捜査線」(1967)や「招かれざる客」(1967)などの人種差別をテーマとした作品がありますが、「いつか見た青い空」はそのようなコノテーションが皆無ではないとはいえ、焦点がそこに置かれているわけではありません。黒人と盲目の少女のラブストーリーという言い方も可能であるとはいえ、それもやや誤解を招く言い方です。繊細なタッチを持ち、公園でシドニー・ポワチエとエリザベス・ハートマンが出会うシーンなどデリケートなストーリーテリングが実に素晴らしい作品です。当作品がデビュー作であるにもかかわらず、オスカーにノミネートされたエリザベス・ハートマン演ずるセンシティブな盲目の少女とシドニー・ポワチエ演ずる黒人青年の交流シーンは、昨今のアメリカ映画にはほとんど見られなくなった微細な情感に満ち溢れています。また、センシティブな盲目の少女のがさつで無教養な母親役を演じているシェリー・ウインタースが対照的な好演を見せ、当作品で見事にオスカー助演女優賞に輝いています。「いつか見た青い空」には、繊細なストーリーと出演俳優の好演以外に、もう1つポイントがあります。それは、目が見えることと物事の本質が見えることが必ずしも等価ではないことを教えてくれる点です。つまり、見えることによって見えなくなるものがあるのであり、このことは、たとえば知ることによって分からなくなることがあるなど様々な言い替えが可能でしょう。自由にものを見ることができるはずのがさつな母親は黒人を毛嫌いしていますが、それに対して盲目の少女には黒人であるか白人であるかというカテゴリー分けは、存在しようにも存在し得ないのです。目が見えなければ外見がどうであるかは問題になりようがないという事実、すなわち外見とは単なる視覚の関数値であり本質的なものではないというあまりにも自明な事実(自明な事実とは同時に最も分かり難いことであることも忘れられてはならないでしょう)、また外見に捕らわれることによって何が見逃されるかという点が、この母子の対照的な態度によって浮き彫りにされているのです。そもそも四六時中ガミガミ言っているシェリー・ウインタース演ずる母親のようなキャラクターと一緒に生活していれば、当人もそれに負けず劣らず偏屈なキャラクターになるのが普通でしょう。しかし、「いつか見た青い空」の盲目の少女のように、そのような劣悪な環境のもとでもセンシティブなパーソナリティを維持できるのは、普通の人が見えることによって見えないことも、盲目であるが故に見えないことによって見えることとも無縁ではないのかもしれません。


2002/02/09 by 雷小僧
(2008/10/27 revised by Hiroshi Iruma)
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