日曜日にはTVを消せ 目録


 カノンが永遠の幸世を流し出す 

★1974年  
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★ FOLK ART vol.3 (1974年8月20日発行)より   編集・大川義行
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     カノンが永遠の幸世を流し出す   佐々木昭一郎

         
永  遠

 
ドレミファソラシドと唄って下さい
ドシラソファミレドと唄って下さい
ドシラソファミレドに和音を付けて下さい
  ドシラソファミレド
  ミレドシラソファミ
私が見つけた、私のカノン
カノンはエンドレスです
宇宙の円のように永遠に終わりは
無いのです。


          「夢の島少女」企画書
             思いつき旧年12月

 夢の島に捨てられている物体を見つめていると、それを使用したであろう人々が、次々に立ち現れるイリュージョンにとらわれる。夢の島は死の島だ。人々は、そこでは、死んでいて、生きている---。
   ●
 花もつぼみの春のある日。かげろう揺らぐ正午どき。江戸川べりの花影荘アパートに、夢の島方向から、美少女がたった一人、今どき珍しいリヤカーを引っぱり、押しながら、移動してくる。少女の大きな瞳は、世間のありきたりの文句は聞きあきたわと、訴えかけるように私を見つめた。少女は真赤なワンピース。色彩のキラメキ、そのリフレイン。胸のときめき、そのリフレイン。ぴったりと肌に吸いつくように良く似合うワンピースは、安物の吊売りらしいのだが、これ以外に少女が身につけているものは何もない。指輪もなければマニキュアもない。髪は・・・・自然の直毛、おかっぱ頭、カラスのヌレ羽色------。だが、花のつぼみも束の間の初夏、少女の手には腕輪がからみつき、耳には耳輪、首に真珠、指にダイヤ・・・・と総身は装飾物がこびりつき、それらは、様々なホコリだらけの人間とからみ合いまがら少女を化身変身させていった。
 ある日、少女はぱっちりと目を見開いたまま、トラック万歳の荷と共に、去ってゆくのだが・・・・。ドラマは初めと同じように、少女が夢の島の方向から、移動してくるところで終わる・・・・が、素通りして天国の彼方に消えてゆく・・・・。
 変るものは何か。そして常に変らないものは何か。変らぬ永遠の魂を描く。そのための人物探しを行ないたい・・・・。これが、私の第一の空想、思い付き企画書の一部だ。
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 私は少年の頃から次のような考えに熱中していた。この東京で、一人の純粋培養体が、人並みに、人並みの家に住み、人並みの生活を営むためには、身を汚して、ある種の売春行為、身を売る行為にコミットせざるを得ない。好きでもない仕事のために自分自身の時間のほとんどを労働のために売り渡す。現代産業社会のしくみの中では、この異常な状態が正常として通っているのだ。私自身もその一部なのだが・・・・・。私は健気に生きる少女のメルヘンとこのリアリティーを同時に進行させたいと考えていた。

            
少女探し

 私は空想から出発した。空想の目前には、現実があり、現実の背後にはまた新しい空想が湧き上がる------。
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 「まなざし悲しく、瞳の花が海のような少女は、どこにいる・・・・・」
 私の現実は足を棒にして少女を探す毎日。実にぼう大な、ロケーションと同じように大量のエネルギーを使って、私は都内を駈け廻った。これ迄、私の仕事は、必ず人物が先に決っていたと言うのに、今回はそうは行かなかった。「マザー」ではケンという少年が真先に居た。私は彼と呼吸した。葛城カメラマンはそれをとらえた。とらえさえすれば、地平が開けたのであった。
   
            
夢の島15号地

 現実の夢の島15号地は、フォークアート編集発行人、大川義行が、かつて主演した作品「ゴミタロー日記」当時とは、すっかり様子が違っていた。第一ゴミがない。かつて大川義行はここで、ゴミだらけの汚物となって、むっくり立ち上がったのだが。
 現実の夢の島15号地は、ゴミの廃棄が中断されていて、美しく見えた。ここは処女地だ。島を形造っている稜線はグランドピアノの女性的な曲線そのものに見えた。15号地は女性なのだ。グランドピアノだ。ここを永遠の少女が駆け回るのだ。ピアノは永遠に終らないカノンを演奏し続ける。リフレインの連続。カノンが永遠の幸世を流し出す。15号地は天国だ。

           
中尾幸世との出会い

 大川-----「とにかく、一人の女性のためにテレビフィルムを撮れるなんて、素晴らしいじゃない! 視聴率のためとか、会社のためなんてもんじゃなくてだよ、たった一人の女性のために夢の島から東京環状を駆け廻れるなんて、素晴らしいの一言だよ。それだよ、そて、今や。その精神状態をそのまま書いてみて下さい。明日の朝までに眠らずに-----」
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 中尾幸世(17才)。私の演出、葛城哲郎撮影によるテレビフィルム「夢の島少女」(NHKTVフィルム作品90分)のヒロイン。彼女は私の永遠。魂の女性だ。
 中尾幸世を私に出合せたのは、フォークアートの編集発行人、大川義行だった。「まなざし悲しく、瞳の花が海のような少女はどこにいる」・・・・・幻のヒロイン「夢の島少女」を探がし求め、私が動き出したのはこの三月であった。----少女はどこにでも居るようでどこにもいなかった。私は東京中を足で歩き廻り、三百人以上もの少女に会い、じつに多くの人々の手をわずらわせた・・・・・。
     ●
 撮影開始の制限がとっくに切れた五月の下旬、私は中尾幸世と二人きりで会ったのだ。ぱっちりと大きな目を閉じようともしないで、私を睨みつけたまま、彼女は私の考え出した役柄の話を熱心に聞いてくれた。その目は真実だった。私はそこに打たれたのだ。私は素直に自分の演出方法のクセを話した。職業俳優ではなく、現実の人を選び、ある設定の下にアドリブで演じなければならない。撮影のはじまりと終わりの区別はなく、絶えずカメラにみつめられなければならない。それは苛酷な要求だから、耐える力が無ければならぬ事。私は理屈で事柄を述べる説得力を持ち合わせていないから、感性で受けとめて欲しい。ひたすら、一緒にやって行く事を考えてくれるだけでいい。などと、私は自分自身でも訳のわからぬ事をしゃべりまくった。彼女は、自分自身の意志で私を受けとめ、出演を快諾してくれた。じじつ、自分の意志というのが大事なのだ。「私の意志で出ます」と彼女が語ったとき、私ははっとした。それ迄のニカ月、私は学校とPTAと母親のために痛い目に会わされ続けて来たのだった。或る女子私立高校の生徒の中から人を選ぼうと交渉した時、校長は椅子から落ちそうになってこう言った。
 「テレビに出たら、ウチでは首です」
 又、別の或る学校の教頭は言った。
 「学校の宣伝をしてくれるなら、協力しましょう」
 テレビが悪いのか。どこが悪いのか、私には分からないが、やはりテレビが悪いのだろう。少女を売り物にして、量産、複製しているからだ。そんな事柄も含めて、ごく普通の家の一人娘、都立高校の学生である中尾幸世が、自分だけの意志で出ますときっぱりと言った時は、じつに気持が良かったのである。彼女は私の背景がNHKである事も関係ない、私個人に対して出演する、そう語っているように思えた。これは私の一方的な思い込みだが、感動的な出会いなのであった。
 私は、私個人として、激しく彼女に傾斜して行く自分自身を発見して驚いてしまった。私のこれ迄の作品の全ては、男性が中心だった。女性も出ていたが、愛を感じた事は一度もなかったのだ。
 午前三時の寒かった朝、私は彼女がずぶぬれになって川から救出されるシーンを設定した。少年が、まるで物体を扱うように、救出し、背負って走るのだ。愛があるから私はそうした。感動的なシーンだった。カメラマンの葛城さんだけが、私の心情を見破っていた。彼は感動して語った。「それですよ、それ、そうならなければ」と。
 私が幸世に愛を打ち明けたのは、撮影も終わりに近づいた六月末だ。
 私はストレートにこう言ったのだ。
 「永遠だから、僕のところへ来い」と。

           
告  白
          
 ---- ある部屋の一室で --------
 少年ケンが入ってくる。
 永遠の幸世は泣いて立っている。
 ケンは足をけとばす。壁に椅子を投げつける。ケンは私自身。私は永遠の足元にすがりつく。安物シャツの胸襟を引裂き、叫び、訴える。
 「いちど好きになったら、それは俺にとって絶対のことなんだ。永遠なんだ。俺のシャツの奥の奥には、ダイヤが光っているんだ・・・・」
 私は大粒の涙を落下させて、カメラの背後でふるえていた。
     ●
 私は少年ケンに私を演じてもらった事に、罪悪を感じた。ケンは九年前の「おはようインディア」「マザー」以来の私の宝だからと甘えてしまったのだが、本当は私自身が出なければならなかったのだ。永遠の幸世もこの時、心が傷ついてしまった。演出なら演出らしく説得すればよかったのだが、私にはそれが出来なかった。私は、演出と私自身の幸世への傾斜を混合し、私の愛をぶつけてしまったのだ。私は永遠への愛を激しく表したかったのだ。それが狂的な演出のエゴイズムとしてしか伝わっていないのだろう。私はこの時、少年の真実の私に帰っていたのだが・・・・少年期の末期に、私はあのようなセリフ(言葉)で愛を告白してみたかったのだ。私は愛を語ったのだ。
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 永遠の幸世は、突然、まなざし悲しい瞳を見開き、私を睨む。と、こんなセリフが聞えて来る。「もう、ありきたりの文句は聞きあきているの・・・・」私は絶句し卒倒する。と、チャイコフスキーの悲劇が脳天を駆け廻り酔いしれた私をピエロにする。と、チンドン屋の音楽が私を勇気付けるのだ。
     ●
 テレビフィルム作家は、大別すると二つのカテゴリーに分類することができる。一つは、完璧に自分自身の人生と切り離したところで、量産できるタイプ。もう一つは「キャロル」の龍村仁や私のように、自分自身の人生と密着した何かを探し続け、そこから逃れようとしても逃れられないタイプだ。つまり、何をしようとしているのか分からないまま、テレビを探し続けるタイプの人間で、カメラマンの葛城哲郎も同類だ。丁度、人生がそうであるように、何も確かなものを持ち合わせてはいないのだ。
 私は、私の人生とテレビを創るという事の間に、何らの差別も持っていない。私は人生を生き、テレビを生きていると確信している。たかがテレビが、と、副業でもしてバカにする事は簡単だが、私にはそれがない。私は自分自身に誠実だ。

            
フィルムから血

            ------- ついに見つけた
            ------- 何を?
            ------- 永遠を・・・・・・
                          ランボウ

 私は「夢の島少女」の中尾幸世に傾斜して落込んでゆく私自身の感情を押え切る事が出来ないでいる。彼女は私の永遠、魂の女性だ。
 私は、毎日彼女に会っている。ただし編集台の上で。毎日会えないから、電話で話をする。
 「もしもし、永遠ですか?」
 「ハイ」
     ●
 夢の島第15号地の稜線は何千メートルあるだろう。多分、葛城カメラマンが撮影したフィルムの長さと同じだ。そのフィルム全部に永遠の幸世が居るのだ。ただの物質にすぎないフィルムなのに、私にはそれが幸世に見える。切れば血が出るのではなかろうか。とにかく切らねば作品にならない。
 私は今、葛城カメラマンと一緒に、幸世も一緒に、編集台の上を走り出すのだ。
  
        
 《夢の島の最終日に》

 永遠と少年ケンは、一本のナワトビを廻す。葛城カメラマンが中に入ってナワトビをはじめる。カメラを廻しながら、いい感じだ。これなんだ、やりたいのは。スタッフ全員、これまで出会った人間全部が、夢の島の稜線から手をつないで走って来ればいいのだ。
    

          
路上での永遠

どうすればいいの
どうすればいいの
ララララララ・・・・・・(カノンを唄う)
どうすればいいの、教えて・・・・・
右、それとも左・・・・・
真っすぐ歩いて行けばいいの
素足で?
走ればいいの、人生に向って
あなたの言いなり?
え?
きこえないわ、何も
ありきたりの文句はきこえないの
まなざし悲しく、ひとみの花が
海の黒? きこえないの私・・・・・
ララララララ・・・・・・・
どうすればいいの
どうすればいいの・・・・

 彼女は、私、演出に向って問いかけるのだ。



 FOLK ARTは1973年12月に創刊された大川義行発行のA3判のミニコミ誌。年4回発行の予定だった。
 第3号は1974年8月20日発行。この時点では「夢の島少女」は90分の作品として予定されていたことが分かる。実際に10月に放送されたときは75分だった。

日曜日にはTVを消せ 第1号

日曜日にはTVを消せ 第2号


佐々木昭一郎 「夢の島の少女

佐々木昭一郎 「退行移動

佐々木昭一郎 「深い川