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佐々木昭一郎 アーカイブ

 佐々木昭一郎 「深い川」

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『放送批評』1975年11月号より

「日曜日にはТVを消せ」第7号に引用
(このページ作成者は池田博明)
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■叫声(エッセイ)

           深い川          佐々木昭一郎       

          川底の少年の死体はバラバラとなりカオスをまきちらした
          (アンタゴニスティック・テレビ・アルティザン)

 私は、橋の上に立って、川を見下ろした。川の底には、一人の少年が眠っているはずなのだ。川底にいる少年は、当然、死体だ。

 その少年の死体には、まづ、首がなかった。死体には、腕がなかった。死体には脚がなかった。死体にはヘソがなく、すでに男根もなくなっていた。
 少年が、いつ死体になって川に投げ込まれたのかというと、最終的には約一ケ月ばかり前の夏であった。
 それまで、少年の五体は、約十五年をかけて男根の周辺から徐々にけずりとられていったのだった。切りとったのは、刃物なのか銃弾なのか、さっぱり不条理な(わけわからない)のだが少年の五体が、目に見えてけすりとられたのは、昨年の夏からだった。まづ、頭蓋骨がはぎとられ、卵色の脳味噌がえぐりとられたのだ。
 脳味噌には、数億光年彼方の星の数よりも多いシワがあって、そこにその分だけの川が流れていた。その分だけの川は、この東京のどの川よりも深かった。
 その川は記憶を持っていた。その記憶はどの学問を応用しても計量不能なのだった。その記憶は、情熱を持っていた。その熱量は計量不能のコロナだった。その情熱は、情念を持っていた。その情念は、深海ほどの深さだったのか、川ごとさらわれて、不明な(わけわからない)胃袋によって飲み下されてしまったもの、次々と川底から湧き上り補充されるので、干上ることはなかった。だから、その情念は、怨念を持っていた。だから、その情念は、怨念を持っていた。それは、少年が年令を増す度にふくれ上がる、黄河の川幅なのだった。
 えぐりとられた脳味噌が、不美味なはずはなく、今でも町の茶の間で思い出したように食べられているという噂である。余り美味なので、もしかすると毒が入っているのではないかと噂が流れたことがあった。毒あたりして倒れたのは、何でも虎ノ門近くに集まった十名ばかりの老人たちらしく、癒えるまで半年かかり、ぼろぼろになって生きながらえているということだった。一人だけウエノに住む若いエンピツ業者は、エンピツの鉛毒が毒を増幅して早死したということだった。
 その記憶の川をたどってゆくと、大きな海につき当り、海をたどってゆくと、再び元来た川に出会う事になっていた。
 少年の五体から、次に切りとられたものは首だった。首を斬り落されたとき、グルフ玉ほどの大きさの眼球がこぼれ落ち、その眼球は、いつも川面に浮いていて、川底の死体を見ている。首を斬り落したのは刃物なのか、全くわけわからなかった。ただ、岩がころげ落ちる重いスピードでコンクリートの上に落下し、偶然か必然か。そこを通りかかった清掃車が、待ちかまえるようにして夢の島に捨てに行ったのだった。夢の島で、その首は微塵に斬られ、一つ一つの大きさは8ミリフィルムのコマとほぼ同一だったといわれている。二つ合わすと、丁度16になるサイズで、今では近くの川底に雲散して悪臭を放ち、ハエの発生源となっているということだった。
 少年は首を切り落されてからも、しばらくは生きていたらしく、次に、手首を斬り落された時には、大量の血液が、川に流されたのであった。手首が切り落されたとき、少年の手相は死相どころか、いつにない運命線が走り、成功線が汽笛を発して乱発され、生命線は腕のつけ根まで走ったのだった。
 手首の次に斬り落されたのは、足首だった。足首は、多分、現像液の猛毒が流れるドブ川に落下したらしく、それを食べたネズミが、東京湾に三万匹も浮上したのだった。
 斬りとった刃物は、確か、映画用編集機だったはずで、刃物の正体が明らかなのはこれだけなのであった。足の、小指の付根には大きな魚の目が渦巻いていて、そこを噛んだ雑魚は、以後、有名な放送批評家になったということだった。
 少年の腕が斬り落されたのは、この春になってからであった。斬り落された腕は、女学生の背中に落下して、以来その女学生は、ものすごい近眼に悩まされ、デフォルメされた字や絵を得意とするようになったのだった。
 少年の膝が斬り落されたのは、この雨期であった。
 膝の皿は、真っ二つに割られ、火が吹き上げたという事だった。何でも、アルコールがたまっていたらしく、飲もうとした男のパイプに突き当ったのだった。以来、その男は、失語症にかかり、めっきり白毛が増え、声も出なくなってしまったということだった。
 膝の皿は、つい先頃まで神経症患者にとって重宝がられ、それを手の掌にすっぽりはめこんで握力をくり返すと、老人性大言雑語症を増進させるという噂が流れ、経営者の真で握られる事が多くなったのだが、じつは、まっ赤なウソであって、握りしめるだけエネルギーが消もうすることが判明、回収するのに大わらわ、ということだった。
 少年の脚が、根本から斬りとられたのは、この初夏であった。まづ、四人がかりで胴体のヘソあたりを押さえつけ、ノコギリを使って斬ろうとしたもののうまく行かず、斧で一気に斬り落したのだった。
 その脚は斬り落されたとたん、三倍にふくれ上り、幸い。一滴の血液も出なかったためか、食肉として不適当とされ、クン製化されることになった。クン製化された足は、粘着力が強く、今では、接着剤として使用され、殊に、親子の断絶、世代のそれ、愛のそれ、と、形而上下して使用されるものだから、在庫不足となり、大方の接着剤は模造品となって販売されるため、気まぐれで、こわれやすく、それが人体にまで影響を及ぼし、新しいガンの発生原因をなしている、というのがもっぱらの噂で、ことに、日毎、人の目に触れ易い品物は、全て発ガン性の強い模造品によって接着されていることから、まづはじめに、目が侵され、次に脳、次いで歯といった順序になっている。男根への影響はまだ見られないというものの、急性になれば、のたれ死するそうである。
 少年の五体から、次に斬り落されたのは、男根だった。
 斬り落した刃物は、不明なのだが、斬り口や、刃型の模様から察するに、切り通しか、千枚通しを千本ほど突き差した上、斬首したらしい。男根を斬り落された事で、少年のはりつめていた、脳味噌の代替は、一気にヘソに集中し、息をつめていったのだった。
 斬り落された男根には、顔があった。顔には目があった。目は、200以上の透視力があり町の眼鏡屋は、何処ぞと東京中を探し廻った末、これも、東京湾で発見された。
 発見された眼球は、ハム切り器によって、細分され、これによってコンタクトレンズの売れ行は十数倍にもふくれ上り、世が世なら、人は人、人々は、ものがよく見えはじめ、従ってものがよく見えはじめられると困る人間にとっては、きわめて不都合なカオスを呼び起したのであった。このブームによって一番打撃を受けたのは桶屋さんであったということだ。次に打撃を受けたのは気象台で、ここのレーダーは狂いに狂ったあげく、重大な国家的行事の日に、津波が押し寄せ、川は洪水、羊水も何もごちゃまぜになって、東京中が真白な水になったのであった。
 ビルの中にも水は押し寄せ、水気にやられたビル住人たちは、家に帰ってから、何回も外にたたき出され、総入歯になったということである。
 斬り落された男根には、鼻があり、斬り落された男根には、当然、口があった。口は、当然ヒゲをたくわえていた。そのヒゲは、ペン先よりも強靭で、何でも、大きな万年筆会社が新しく設立され、それを使用すると、人々が自ら信じていた欲望が泉の如く湧き上り、想像力をかりたて、眠っていたあらゆる、眠らせられていたあらゆる、自ら眠らせていたあらゆる欲望がたち現れて、インチキ催眠材を販売していた薬会社は倒産、専売公社も倒産、大麻タバコ酒常用車は、代替に空気を吸すだけで欲望がかなえられるという流言飛語。そのため、いままで押し黙っていた人々が急にしゃべりはじめ、大声を放つことを得意としていた連中は言語喪失症となり街の精神科は患者の数量のため、全部横倒したということである。
 少年の男根は、斬り落されたのだ。その男根はしかし、つけ根からヘソにつながった珍品のため、肥料を与えれば、ジャックとマメの木ほどの生長が可能ということであった。
 最後にえぐり落されたのは少年のヘソだった。斬り落したのは産婆さんだったために、ヘソは半分生き残り、これまた再生可能の力を持っていたのだった。半分のヘソは、ゴマ塩として販売され、それを飲んだ連中は急激に老い、すでに少年にして白髪頭があたりまえになったのだった----
 水中の死体は、呼吸していた、水中の死体は、首で生きていた、水中の死体は、首穴で呼吸し、つけ根から排泄して生きているのだった。死体は強靭だった。今日も、流されて来た嬰児の死体を、首穴から食べたのだった。嬰児の死体は、赤坂から日夜、数億光年分量排泄される精液がドブで孵化され、死体となって川に流されてくるのであった----
 少年の眼球は、水面に向って浮いて空を見ている。水面からはすぐ首が出せるはづなのだが、水面はガラス張りのように見え、眼球感触によればそれは数億マイルに及ぶ透明な氷なのであった。その水面に、空中から落下すれば、すぐにでも川底にたどりつく事ができても、水中から外へは、決して出られないのであった。空中から落下するモノを、死体は首穴で待ちかまえているようすだった。落下するものを、きりはなされた少年の眼球が見張っているのだった---
 私は、川面を見た。見ると、私の眼球はゴルフ球となって水面に落下した。水面下の少年の眼球はこのときくるりと回転して下の死体を見、私の眼球は空をあおいだまんま、密着して、トンボの眼球が二つ出来上がった。トンボは360°私を見つめた。
 私は川から街へ歩き出した。
 そこはまた川だった。
 ドーッと、いくつもの川が、私の眼の穴から、入って来た。
 私はまた、深い川底を見ようとした。眼球がないというのに、泥色の深い川の底は、よく見えるのであった。

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