日曜日にはTVを消せ 目録


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★1975年  
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★ FOLK ART vol.4 (1975年4月29日発行)より   編集・大川義行
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     退行移動   佐々木昭一郎

           <私>の中にひとつの夢があった。
           <夢>の中に海があった。           

 五能線は山裾にしがみつくようにして走っていた。移動する真冬の風景は凍りついた肌色だった。
は列車の一番先頭の窓ガラスに顔をこすりつけるようにして立っていた、真正面にはやがて、海がいっぱいに開けて見えるはずであった。そこへ行くには、列車は幾つものトンネルを潜り抜けなければならなかった。私は自分の手を見つめた。手は凍りついた灰色だった。手は十七歳の少年のものとはとても想像できない程寒々としていた。タール色の爪には無数の縦線が走っていて、それは既に人生の大半を移動した中年の生気しか示していなかった。手相の成功線は真中で途切れ、生命線だけが異様に手首の青筋まで走っていた。愛情線は一本もなく、私の掌は人間の居ない荒地のようだった。「この自分から上着をとり、シャツをとり、そして全てをとってしまったら、一体最后には何が残るのかな」と、幼稚な独言を発した。その途端、一本だけ残っている奥歯の乳歯が傷み始めた。この歳になってまだ乳歯が生き残っているのは異常という他ない。一度だけその乳歯を人に見られたことがあった。中学の校医で哲学者という仇名の歯医者がいた。身体検査の時、哲学者の歯鏡は乳歯の脇でピタリと止まった。長い沈黙の後、哲学者は、「これは魂の歯だ」と謎めいた言葉を吐いた。中学三年の冬だった。私の乳歯が奥歯の一本を残して全部抜けたのは六歳の時だった。その冬、私は上野駅14番ホームで、母親と別れた。汽車が駅を出てから、私は母親がくれた風呂敷包みを開けた。チューブのチョコレートと「広い天」という本があった。その本は戦争中の本だった。一人で疎開する少年が母と駅で別れる物語だった。一つの星を決めて、毎晩同じ時刻に二人でその星を見ようという見よう、という悲しいお話だった。私は大粒の涙を落下させた。は、今、流行している「見上げてごらん夜の星を」という唄を思い起こした。それから本と唄の作者を憎んだ。獅子文六という人を憎んだ。戦争にかこつけて人を別れさせ、あげくに涙まで流させて、金を設けている作者の世界を憎んだ。夜間中学の生徒にかこつけて唄を作ったもう一人の作者の世界を憎んだ。私はチューブチョコレートを飲んだ。ウドン粉と血糊絵具の味がした。涙を押さえる為に、力いっぱい奥歯をかみしめた。歯ぐきが切れ、血が流れ出した。チョコレートと同じ色だった。本の間から車掌宛ての封書が出てきた。母親が書いたものだった。封書は見知らぬ駅の駅長に手渡され、駅長から署長へ、村長から住職へ、校長から村人へと移動した。封書と一緒に私の身柄も移動した。こうして私は中学を出て働くまで、声を殺した人生を生きてきた。母親と会うことはもうなかった。乳歯の激痛が頭のてっぺんからつま先まで走った。目の前にトンネルが見えた。五能線は警笛を発した。女の叫び声に似ていた。列車はトンネルに入った。私は快感を覚えた。頭のてっぺんから体ごと暗い安心できる穴の中に吸い込まれてゆくような感覚だった。トンネルの水滴が何回も列車の窓ガラスを濡らした。トンネルのずっと奥に、肌色の光が浮んだ。それは女の体だった。私が撮った、たった一本の映画その主人公の少女の白い体だった。少女の胸元は上下に息づいているようだったが、目は閉じたままだった。列車はトンネルを出た。出るとまたトンネルに入った。列車は同じトンネルを往復している様だった。移動してゆく風景は、何一つとして私の目には見えていなかったのだ。見えているものはたった一つしかなかった。目を閉じても、目を開いても、目を移動させても、見えているものはたった一人の少女だけだった。全てが移動していた。しかし、私は止まったままだった。
 私の生涯の目的は、一人の少女を映画(フィルム)に撮り、彼女と永久に暮らすことであった。途方もない夢であった。しかし、これ以外に人生の目的は何もなかった-----。
 その少女は、私のアパートの近くにある駄菓子屋の二階に住んでいた。少女は二階の窓からいつも遠くを見つめたまま立ちつくしている事が多かった。少女は窓の外に様々な空想の世界を持っているように見えた。店には老夫婦が坐っていて、少女が店頭に立つことはなかった。店の外には万年薔薇が咲いていた。その脇には水道の蛇口がひとつ、突出していた。蛇口の下には、少女がいつも足を洗うために使うポリバケツがひとつ、置いてあった。少女はなぜ足を洗うのか、謎だった。少女が二階から下りてくるのは足を洗う時だけだった。私は、そのポリバケツの水ごと、盗みとるために、キャラメル一個を買いに行く。私は少女の水で体を洗い、それからコップにすくって飲む。そんな日が一ヶ月も続いた。「きみに、ほれたから、映画を撮りたい」、そんな一流作家なみのセリフを一度だけ吐いてみたいと私は想い続けていた。「きみに、ほれたから、映画を撮りたい」。少女は、大きな目を見開いて私を見つめた。私は、私のシナリオを力いっぱい彼女に語った。「きみに、ほれたから、映画を撮りたい」・・・・・何という殺し文句なのだろう。私は四六時中、私の言葉に酔いしれた。私は朝から晩まで少女を見張った。そして一日だけ少女が外出する事を発見した。毎週金曜日の夕方、少女は白いワンピースを着て外出する。少女は、私のアパートのすぐ近くを流れている、近々埋められる事になっている運河の橋の上に立つ。そこへ、白い車が迎えに来る。白い車には三十過ぎの男が乗っていて、少女を連れ去る。車は夜中の一時過ぎに、同じ橋の上で一分ほど止まる。車を下りた少女は、赤い靴をぬいで裸足、裏口から二偕へ駆け上る。これが金曜日の少女の行動だった。私は、干布団二組を盗むと、アパートの三畳間に運び込んだ。押入れの上段が私の寝床、畳の上が少女の寝床と決めて、次の金曜日を待った。その夜は雨だった。私の目的は、少女を橋から川に突落し、気絶させてアパートに運んでくる事であった。そして、その通りになった。車は走り去った。突落された少女は運河の廃船の角で頭を打って気を失った。私はトビの先端を少女の足にひっかけ、川渕の洗い場の上に引ずり上げた。トビの傷口から血が流れた。用意周到の計画だった。私は少女をかつぎ上げ、背負ってアパートまで走った。少女の白い肌、白い胸は上下に微かに息づいていたが、少女は、死んでいるように見えた。私は胸に耳を当てた。目を閉じ、レールの音を聞いた。音は、私の鼓動と同起(シンクロナイズ)した。
 夢の様な日が続いた。少女は私が盗んだ牛乳を飲み、私が盗んだ浴衣を着せられ、この世のものとは思えない女に成長していった。一度だけ、人目を忍んで街を散歩した。少女を振り返らない者は居なかった。振返った者は皆私の視線によって殺された。ままごとのような生活が続いた。私は金になる職場を転々と移動した。「きみに、ほれたから、映画に撮るんだ」、繰返し、数えきれない程、私は少女に囁き語った。少女はその度に、体ごと喜びを表現した。少女に関心を持つものは、例え親友といえども、許すことができなかった。二人の間に入ろうとする者は殺されなければならない。
 恐れていた日がやって来た。
ある日、職場から帰ってみると、少女は姿を消していた。浴衣がきちんとたたんであった。薔薇の花が生けてあった。書置きは何もなかった。私は少女の着ていた浴衣を顔に当て、泣き続けた。少女の匂いだけが残っていた。家に戻ったのかと怖れ、私はグリコを買うふりをして駄菓子屋へ走った。別の客が居た。少女の噂をしていた。「シャシンのモデルにセンバツされて遠くへ行っているのです」と老夫婦の片方が入れ歯を鳴らして云った。私は、気が狂いそうだった。それからというもの、私は職場をほったらかして、東京中を探し求めた。私の直観力は、霊感を呼んだ。少女は居た。そのスタジオはあるマンションの鉄扉の奥にあった。鍵穴からシャッターの連続音が私の耳に響き渡った。「ほれたから、撮るんだ」、カメラマンの声が聞えた。その声は、何回もループになって、私の脳天をかきまわした。私は狂いそうになった。私は街に出て、思案即決した。松葉杖をついた青年を殴り倒すと、杖を奪い、眼鏡屋の店頭から一番黒いサングラスをかっぱらって、男のマンションの外で待ち伏せた。夜になった。鍵穴の奥で「ほれたから、撮るんだ」という男の声がきこえていた。それから少女は、ソファの上に横にされた。男はカメラを放り出し、ソファの少女の耳元に同じ言葉を吐き続けた。少女は身動きもしなかった。それは、丁度、円卓の上に置かれた王様の一級料理の様だった。深夜になった。男は少女を抱きかかえるようにしてガレージに向った。男は橋の上を走り去った車の人物と似ていた。この種の職業の人物は全部同じ顔をしているのか、---私は一瞬考えた。少女が先に車に乗った。男が運転席側のドアに向きを変えたその瞬間、私は松葉杖で思いっきり男を殴り殺した。殺している自分の顔が、ドアガラスに映って、私は一層興奮した。自分の顔をみながら、私は男をメッタ打ちにした。その男の死体は、ドブの中に埋められている。
 少女を探す日が続いた。ある日、私は少女のポスターを見た。少女は映画に出演することになったのだ。そのステージは、両国にあった。撮影が行なわれていた。私のか細い体の倍もある様なレスラーと少女のラブシーンが撮影されていた。監督がレスラーを大声で怒鳴っていた。「俺の分身がお前なんだ。俺はこの女にほれているから、映画を撮るんだ。」 私はとっさに何をしようか考えた。私は火をつけようと考えた。だがガソリンを買いに行ってる間に、撮影は終わり、人影はなくなっていた。映画は駄作だった。スクリーンには少女が映っていたが、それは無論、影でしかなかった。その監督の死体は、地下鉄工事のコンクリートのはるか下方に眠っている。
 夜、満月が、満潮でふくらんだ運河に凍りついていた。大きな廃木が二本、ぶつかり合う音で私は目を覚ました。私は、彼女の月を飲む夢を見ていた。川面には宇宙がはりついていた。「世界が孤独だから私は飛ぶの・・・・」 その劇場は阿佐ヶ谷にあった。スポットが少女の上半身を追っていた。このセリフをきっかけに、少女は舞台中央の巨木の前で立止まり、動きを止め、裸になった上半身を客席に向ける。幕。スポットを当てているのは舞台演出家だった。男は少女を主役にした多くの戯曲を持っていた。自分で書いたものでなく買いとったものだった。少女は翻訳劇の主役だった。「きみにほれているから、二人だけで稽古をするのだ」、演出家は、五十才位の男だった。彼はエピローグの演技指導を繰り返した。又スポットが少女を追った。私は握りしめた果物ナイフを男の下腹に突きさした。舞台は暗転した。男の死体はゴミの島に埋められている。
 少女は、安ホテルで男の帰ってくるのを待っていた。私は、男のキイを使ってドアを開けた。少女は凍りついて立っていた。「帰って来てくれ」
、私はこれしか言葉がなかった。「どうすればいいの、どうすればいいの、ありきたりの言葉は聞きあきたの、ほれているから? ありきたりの言葉は聞きあきたの」、少女はカノンのように唄い繰り返し、帰って来たのだ。二人はそのまま列車に乗った。列車は東北の見知らぬ駅についた。黒い砂浜を歩いてゆくと、涯も見えない場所に、大きな黒い岩が二つあった。二人は岩の上に寝た。永遠の海だけが二人を見ていた。二人は全く同じ夢を見続けた。沖に浮んだ誰一人いない島を、私は少女を背負って歩き続けていった。真白い太陽を視た。一生に一回の世界を視た。−−−四時間の試写は、終った。途方もない長い映画だった。四時間のどのショットにも、少女は映っていた。少女の居ないカットは、ただの一カットともなかった。他の人物は常に少女との2ショットの脇に居た。移動(パン)ショットはなかった。前進移動(ドリー・イン)によって、私は少女に密着して、見続けた。それは、私の止まっている意識の現れだった。一つのものを見る、その時、移動(パン)した前のものは、次に出会うものによって、忘れられる。私は、出会いを拒否した。四時間のフィルムを見了えた者は、誰一人として何も言う事が出来なかった。見る者は、私になることによって、少女を見続けることに耐えなければならなかった。それが私のフィルムの全てだった。見た者は作者の海を拒否した。フィルムと作者を愛し憎み、少女に惚れた。少女に感情移入した。私と同じように、少女と世界を共有したいと望んだ。試写の後、私は「公開するのじゃなかった」と後悔した。私の目的は、世界を共有して、少女と永久に閉じこもる事だった。しかし、彼女は、共有する世界をもう一つ、更にもう一つと、夢は果てしなく開けてゆくのであった。それは虚像の世界だったのだ。
 恐れていた予感が、恐る恐るやって来た。私のフィルムと、試写室の人物が、次々に、少女の前に立ち現れた。少女は出会いを望んだ。「きにのほれたから、きみと世界を共有したい。こんな言葉は一生のうち、最初で最後なんだ。帰って来てくれ!」、私は悲痛な叫声をあげて、少女の足にすがりついた。「あなたの世界は好きだけど、あなただいきらい!!」、少女は残酷な言葉を残し、私の手を蹴った。私は世界を持っているの人々を憎んだ。私にだって世界はある。しかし、今すぐ具体化する方法が、無い。それさえあれば、何百年だって彼女と世界が作れる。何もない私は自分の手を見つめるだけであった。カメラマンは少女のアルバムを出した。監督は映画を撮った。二人共、私のフィルムと同じ言葉を吐き続け、同じものを作ったが
、私のフィルムの切れぱしでしかなかった。その代わり複製再生産によって金を儲けていた。私はふと、「世界」を商売にしている芸術家や、文化人が隠しているうす暗い欲望を想像した。そして、あの大久保というベレーを覆った殺人犯を思い出した。私は大久保を偉いとさえ思った。彼等の仮面を見事にひっぺがえし、トータルを演じてみせた偉大な人物だとさえ思った。それから小野という殺人容疑者を想った。小野こそ世界も何もすっとばして生きている。私はそんな愚にもつかない例題を自分にあてはめて、自分を励まそうとした。舞台では少女を主人公にした劇の最終公演が行なわれていた。スポットの裏で演出家が舞台の少女を見つめていた。私のフィルムとそっくりの場面だった。照明が溶暗し、スポットだけが少女の上半身を追った。「世界が孤独だから、私は飛んでいくの」、同じ様なこのセリフをきっかけに、少女は上半身を丸出しにした。私は果物ナイフを握りしめ舞台に馳け上った。ナイフは少女の心臓を貫通した。照明が一斉に溶明した。私は客席を馳け抜け、扉を押して外へ走った。舞台には血が流れ、少女は倒れたままだった。客席と舞台の高低が区別されていない劇場だったから、観客は皆、劇の一部としか思わなかった。幕が下り劇は終った。
 真正面に、海が開けて見えた。が、彼の目は海を見ていなかった。列車は止った。彼はまだ少女を見つづけていた。「この自分も、彼女には通りすぎる駅にしかすぎなかったのか」と、二度目の独り言を吐いた。もう乳歯に痛みはなかった。彼は二人っきりの撮影と同じように、黒い砂浜を歩き、カラスの大群を聞き、岩の上を歩いて行った。既に体の感覚はなかった。この海岸は彼が生まれて初めて記憶した風景とそっくりだった。波はめくれるようにうねっていて、その間に間に浮いている人の体が遠のいていったのを憶えている。彼は岩の上に空を向いて寝た。着ているものを海に投げた。それから果物ナイフで左右の手首を切った。血は海に吸い込まれていった。言いようのない安堵が彼の全身に伝わった。彼の目には広い天空が凍りついた。冬が明けた。何も見ようとしなかった彼の目は、カラスにえぐりとられた。
 夏になった。彼の死体は、風化した。僅かに残っていた頭髪も風化した。岩の上煮は。彼の乳歯だけが根をおろしていた。歯令を調べると
三十六才であった。
 彼は、海になった。
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 一部、佐々木さんがメモをして訂正している個所がある。
 完成された作品には「私}とすべきところを「彼」のままにしている箇所があったので
 修正した。もとの原稿は「彼」だったのだが、佐々木さんは校正段階で最後の方の
 段落を除いて、すべて「私」にするようにと指示していた。しかし校正者が見落とした
 ものと思われるからだ。

日曜日にはTVを消せ 第2号