折々の想い
 

2006年4月4日




我が家では
ちび苗だったクリスマスローズが
2年目にして開花しました。









足踏みしていた春がようやく到来しました。
東京では先週から桜が満開になり、
近くの駅前の桜並木も
明るい桜色に染まりました。

ついこの前まで、
膨らんできたつぼみたちが
裸木を覆い尽くし、
その枝の先に広く見えていた空が
すっかり覆い尽くされた頃には
すでに枝全体が花よりも濃い薄桃色で、
寒風に耐えて蓄えたエネルギーを
解き放とうとしていたのでした。

桜を見ると心に灯りがともるように
優しい気持ちになれるのは
日本人に特有の感情なのでしょうか?

長く冷たい冬から、
やっと暖かな日だまりの中へ出てこられたような安堵感と、
決して強すぎない柔らかな桜色が
明るい光のもとへと、誘うように
希望を与えてくれるような気がします。

非情にも、関東では
一昨日は春雷が鳴り響き、
昨日は嵐のように強風が吹き荒れました。

あまりにも過酷な仕打ちに
桜の木々は持ちこたえてくれたかしらと
心乱れていました。
あんなにか細い花だから、
きっと激しい雨にたたきつけら、
強風に吹き飛ばされてしまったものと思っていました。

それなのに、今朝見てみると
桜はまだしっかりと咲いていたのです!
いくらかは散ってしまってはいたものの、
太い幹から今年初めて枝を伸ばした小さな
小枝のひとかたまりの花さえ、
何事もなかったかのように
凛と咲いていました。

ひとが桜に心惹かれるのは
その美しさはもちろんですが、
冬の厳しさも、
春の嵐もものともせずに凛と立つ、
そのたくましさにあるのかもしれません。

2006年2月












凍えるように寒い日々が続いています。
寒波が幾度となく押し寄せて、
北国では7mもの積雪となり、
過去最高記録の豪雪となりました。

関東でも何度か
一面が銀世界に包まれました。
ラニーニャ現象ということです。
海の水温が1度変化するだけで、
たちまち大きな影響をもたらし、
寒波のために農作物にも被害が出て
野菜の値段も高騰しました。

こんなに記録的な寒さなのに
灯油やガソリンも高騰し続けています。
環境に優しい代替エネルギーを
心から待ち望んでいます。

そんな中、
雪の中で
少しだけ芽を出し始めた
チューリップやスイトピーに覆いをしたり、
吹き付ける北風の中で
バラの枝の誘引や、剪定をしたりして
春の準備も整いました。

春を迎えるためには
冬の間の準備が必要なのです。

あとは百花繚乱の春を待つばかりです。


2006年1月





明けまして
おめでとうございます!

初春は
空でさえ
いつもとは全く変わっていて、
本来の空の青さが戻っています。
なんてすがすがしいことでしょう。

吹く風さえも心地良い!

今年は心機一転、
志も高くと思っています。

それにしても
松の葉の若々しい緑と
まっすぐな立ち姿は
心が新たまる新年に
いかにもふさわしかったのだと
感慨深い思いです。


2005年12月





師走ともなると
一年の総括の時期なので、
いつもながら何となく気ぜわしいものです。

去年の師走は
東京では夏日が観測されましたが、
今年はかなりの寒さになりました。

街には賑やかにイルミネーションが輝き
景気も回復して
海外で新年を迎えようとする人達も
多いとか。
いざなぎ景気うんぬんと言われています。

ちなみに
ダイオードの発明は
街の大きなもみの木だけでなく、
アレンジメントのクリスマスツリーの
こんな小さな豆電球にも
革命をもたらしています。
(発明料の是非はともかくとして。)

今年もお世話になったあの方この方に
思いを馳せながら年賀状を作り、
つくづくと
心優しい友達への感謝をかみしめる
幸せな年末です。


2005年11月10日



凱旋門



リュクセンブール公園



セーヌ川のノートルダム寺院

ロンドンパリ旅行記が
やっと完成しました。

黙々と写真の整理や
画像処置をしている間に
季節は流れ、
早くも晩秋を過ぎて初冬になりました。

今年は初秋がなくて、
残暑の後に
いきなり晩秋がやってきた感じです。

長雨が多かったので、
突き抜けるような高い秋の空も
ずいぶん見ることができませんでした。
秋独特の紅葉も
温暖化のせいで
例年より2週間遅れていると言われています。

長時間秋雨に打たれてしまった
バラの葉が、かなり黒点病に
かかってしまって
痛々しいです。


とはいえ、
遅れていた紅葉が
やっと見頃になってきました。

街路樹のプラタナスや
銀杏や桜並木が
赤や黄色の色とりどりに
染まっていて、
キャンパスに描かれた
絵画のようです。

2005年9月15日




ロンドン・ビッグベン




パリ・ルーブル美術館
9月に入っても、最高気温が34℃と、
厳しい残暑が続いていましたが、
今週になってどうやら季節が移り、
過ごしやすい気候になってきました。

雲が秋の雲に変わり、
秋独特の青い空が広がって、
夕焼けが美しくなってきました。

この夏は
ディスクトップのパソコンと
ノートパソコンに不具合が生じたために
データの移し替えや
インストールのやり直しなどで
かなり時間を費やしてしまいました。

そのために
ロンドンとパリの旅行記が、
まだできあがっていません。

写真の量もかなり多いので、
画像処理に手間取っていますので、
このページに少し写真をアップしました。

7月末のロンドンの青い空は
信じられないくらい美しく、
カナダの空を思い起こしました。


2005年7月31日







梅雨も明けて
もう、バラの季節も終わってしまいました。

わずかなバラながら
棘と格闘しながら葉や花の状態を見ては
うっとりしたり、ため息をついたりの毎日でした。
本当にバラを育てるのは気の抜けない作業です。

それでも、咲いてくれた時のうれしさは格別なので、
陽に焼けても、虫と格闘せざるを得なくても
バラの誘惑には勝てそうにありません。


7月下旬に
ロンドンとパリに行って来ました。

あちらは4月くらいの気候で、快適な旅でした。

毎日、美術館巡りで足が棒になりましたが、
キングスクロス駅へも出かけて
テロで犠牲になられた方たちのご冥福を祈り、
記帳させてもいただきました。


写真をたくさん撮ったので
次回から少しずつアップしていきたいと思います。


留守中に咲いたオリエンタルリリ−とカサブランカは
写真を載せることができませんでしたが、
水やりをしてくださった
親切なお友達のお家で
ご家族の皆さんが見て喜んでくださったので
うれしい限りです。


2005年6月11日

藤川他

ウイリアムス他

咲き乱れるチューリップのごく一部です
お花の世話に追われていてアップするのが遅れましたが
4月に横浜球場で、阪神VS横浜戦を観戦しました。

主人は熱烈な阪神ファンです。

同じく熱烈な阪神ファンの友人一家と
横浜球場で待ち合わせて観戦しました。

横浜球場は比較的狭い球場なので
試合前にグランドで練習する選手を
間近で見ることができて
ファンの皆さんも大喜びでした。

試合も見応えのある試合で阪神が勝利を収め
全員ご満悦で中華街へ繰り出しました。

友人家族に会えただけでもうれしいのに
試合も満足な結果で、お食事会も盛り上がり、
気持ちの良い、いい一日になりました。

自由席しか手に入らなかったので
席取りのためにかなり早めに球場に着きました。

なんと、横浜球場の外では
フラワーパークもかなわないと思われるほど、
広大な敷地いっぱいに、
多種多様なチュ−リップが咲き誇っていました。

地元の有志の方達が植えて管理して下さっているとのことでした。
あまりにも見事なチューリップの群生を
たくさんの方達が三脚を据えて
カメラにじっくり納めていました。

私も開場までの待ち時間が苦にならないくらい
充分堪能させてもらいました。
横浜球場のチューリップ (4月22日の写真)

2005年5月9日



ピエ−ルドゥロンサール

   
マンションの改修工事が順調に進んできて、
建物自体がすっぽりとグレーのシートでくるまれてしまいました。

ルーフバルコニーの防水工事は今回は行われないことになり、
植木の引っ越しの心配が杞憂ですんでほっとしています。
(とりあえず、今回は・・・・・。)

植木を移動しなくてはならないと思い込んでいたので、
お花の植え替えは諦めていましたが、
それでも土の中で生きていた球根が
思わぬ花を咲かせてくれたり、
こぼれ種からポットマムが開花したりと
うれしい贈り物をもらったようで、
せっせっと世話を焼いています。

それにしても今年は5月になっても肌寒い日もあって
意外な感じがしています。

ここ何年も、春から一気に夏が訪れたような感覚に
すっかり慣れていたせいでしょうか

お花には朝夕の温暖の差がいいのかわかりませんが、
今年は生育もいいようで、楽しみです。

2005年4月中旬




    
4月7日8日の初夏のような陽気で、桜がいっせいに満開となり、
あっという間に葉桜になりました。

わずか二日で満開になったのは観測史上初とのことだそうです。
7日は一日で、去年一年分の2倍の花粉が飛散したそうです。!
今は八重桜が美しく咲き誇っています。

主人がニュージーランドから帰国した翌々日から
私は母の具合が良くなかったために実家に帰省していました。

今回の帰省では、同窓生が集まってくれて、
これまでにない、楽しいひとときを過ごすことができて
心からうれしく、ありがたく、感謝でいっぱいになりました!!

これまでは帰省しても、母の看病に追われて、
外出することはできなかっただけに
今回の友人の心配りにジーンと胸が熱くなってしまいました。
ちょっと緊張してしまったかもしれません。

こちらに帰ってきたら、マンションの改修工事のために
ベランダはグレーの網が掛かっていましたが、
バルコニーではチューリップが咲いていてくれました。
工事のためによそに移すかもしれないのに
これだけはどうしてもあきらめきれずに植えたアンジェリケです。

バラも蕾がふくらんでいました。
ピエール・ドゥ・ロンサールの蕾です。


2005年4月上旬





3月特有のぐずついた菜種梅雨も過ぎ、
さんさんと陽光が降り注ぐようになりました。

植えっぱなしのムスカリが
いち早く花を開き、
バラの新芽が次々に生まれて
春の到来を告げています。

それでもまだ、朝夕はヒーターが必要で、
いつもの4月とは少し趣が違います。

主人がニュージーランドに出張でした。
これから秋に向かうNZでは、
既に紅葉が始まっていて、
残念ながら街中を埋め尽くすような
お花の見頃は終わっていたようです。

それでも、NZに留学している
友人の娘さんとあちらで会えて、
元気な彼女の様子をご家族に知らせるこができて、
とても良かった!と思っています。

想像通りの爽やかで感じの良いお嬢さんで、
友人の家庭あたたかさが
改めてしのばれました。

2005年3月14日





3月に入り、春の陽射しが暖かく降り注ぐようになりました。
春の明るい陽射しは心まで晴れやかに軽くさせてくれます。

いつもならパンジーで色とりどりのバルコニーなのに、
今年はマンション工事のためにお花を植え替えていないので、
あの、ワクワクと高揚した思いを味わえないのが残念です。

それでも、鉢の中で越冬したアネモネが
一輪、そっと花を咲かせてくれました。
シクラメンもどうやら無事に冬を越したようで、
先週の雪にもめげずに、けなげに花を咲かせています。

シクラメンの球根が越冬したのは初めてのことなので
最初はこの丸い物体は一体なんだろう?と不思議でした。
忘れた頃にシクラメンの葉らしきものが生えてきた時は
一生懸命頑張っている姿が愛おしくてたまりませんでした。

シクラメンは球根の真上から水をかけてしまうと、
球根自体が腐ってダメになるそうです。
球根に直接水がかからないように
まわりからそっとお水をあげないといけないそうです。
片手に乗るほどの小さな花ですが、うつむき加減に咲いていて、
なんだかとても可愛らしいのです。
ここまで来るまでに暑い夏も寒い冬も一緒に乗り越えてきたようで、
仲間のような、子どものような感じがしています。

薔薇の木も芽が動きだして、先端がふくらんできました。

昨夜も霧雨かと思うほどの細かい雪が一瞬降りましたが、
寒が戻ったり、ゆるんだりして、春はやってくるのですね。

 百花繚乱の春はもう間近です。



2005年1月22日






主人が古いテープをDVDに作り替えています。

フジ子ヘミングさんの奇蹟では彼女の半生が語られています。
フジ子さんの弾くリストを初めて聞いた時には
これまでのリストのイメージが完全にひっくり返りました。
デジュー・ラーンキさんの演奏会でも聞いていましたが、
リストは技巧的で難しいという印象しかありませんでした。
弾けるだけですごい、と思っていました。

それがこんなにも美しい調べだったなんて!

語りかけるように歌うように、時に優しく、時に激しいフジ子さんの演奏に
完全にまいりました。

フジ子さんも「私は私の弾くカンパネラが一番好き」と言っておられますが
私もそう思います。

彼女のこれまでの、決して幸せとは言えなかった半生のすべてが
指からはじき出されて怒濤のように押し寄せてくるようです。

彼女の月光も素晴らしい。
ショパンの夜想曲も素晴らしい。

1枚だけしか手に入らなかったコンサ−トチケットを友人が譲ってくれて、
サントリーホールに一人で聴きに行った時も大感激でした。
本当に、彼女のチケットはもう容易には手に入らなくなってしまったのです。
でもそれはフジ子さんにとって本当に良かったと思います。
こんなにも彼女の演奏で感動する人たちがたくさんいるということですから。



2005年1月1日








大好きなティナタ−ナ−とベッドミドラ−のビデオを見ていて、彼女たちの歌唱力に引き込まれているうちに新しい年が明けました。

大晦日は、大雪になるかのような荒れた天気でしたが、今では空もすっかり晴れ渡りました。

新年にふさわしい新しい一日の始まりです。

少しだけダラスに住んでいた時に、ティナターナーが出演していたトークショウを見ました。その中で司会者が「We Are Proud of You! 」・・・あなたは私たちの誇りです・・・と深く尊敬の念を込めて言っていたのが忘れられません。ティナは思慮深く知的で思いやりの深い大人の女性でした。ステ−ジを見ていても、それはちょっとした仕草からも感じられます。このビデオではまだデビューしたばかりのブライアンアダムスがゲスト出演していて懐かしいです。

ベッドミドラーはジャニスジョプリンを描いた「ローズ」という映画でジャニスの役を演じています。私はベッドミドラーの歌を聞くと感動のあまり涙が流れてしまうのですが、彼女自身が「歌は演じるように歌う。私はアクトレスだから」と話すのを聞いて納得しました。
声を武器に一つの世界を自由自在に作り上げていく力量はさすがというほかありません。それにしてもこんなにすごい歌唱力にはただただ感動するばかりです。

2004年12月29日

昨日の夕方、西の空が重たく感じられたのですが、関東は今朝から雪になりました。

初雪です。


雪は
そこかしこの家々の屋根に、木々に降り積もり、
音もなく静かに降り続けています。

年内に初雪を見たのはここ数年なかったことです。

鳥の羽のように軽やかに、舞うように降る雪を見ていると気持ちが静かに落ち着いてきます。

あわただしい年の瀬に
思いがけない贈り物をもらったような気がします。

今年出会えたたくさんの方達に
心からありがとうと伝えたい気持ちです。

2004年12月9日
      冬が来た
               高村光太郎

 きっぱりと冬が来た
 八つ手の白い色も消え
 公孫樹の木も
箒になった

 きりきりともみ込むやうな冬が来た
 人にいやがられる冬
 草木に背かれ、虫類に逃げられる冬が来た

 冬よ
 僕に来い、僕に来い
 僕は冬の力、冬は僕の餌食だ

 しみ透れ、つきぬけ
 火事を出せ、雪で埋めろ
 刃物のやうな冬が来た
いよいよ師走に入りました。

今年は12月に入ってからも台風が上陸し、
その翌日には東京は24.5度という夏日に、北海道では大雪になりました。
今年の11月から12月初旬の東京の気候は通常の鹿児島の気候とほぼ同じだったそうです。

例年なら今頃はすっかり葉を落としているはずのイチョウの木々がようやく色づいて晩秋のように美しい風景です。

そして今日は気温がぐっと下がって
今度こそ本格的な冬の到来かと思わせます。ただ、今年は暖冬ということですから
季節も1月遅れでめぐってきているように感じられます。

風が冷たくなると決まって高村光太郎の詩を思い出します。
彼はまっすぐな強い人だったのだなあと、憧れのように思い出すのです。

    冬よ来い 僕に来い

こんなにも自己に厳しい光太郎だからこそ、真のフェミニスト足り得たのかもしれません。

光太郎の凛とした強さを見習って、私も寒さに負けないでぐっと首を上げて風に向かって歩いていこうと勇気づけられます。

それにしても光太郎の詩はリズミカルで実に歯切れの良い詩だと思います。


2004年11月24日

ここのところ穏やかな小春日和が続いています。

今日の空は、遠くまでぽんぽんと並べたようにうろこ雲が続いていて、
その中のいくつかは、上空の強い風に吹かれて流星の尾のようにたなびいて、
まるで青い画用紙に描いた白い雲を、筆先でス−ッと流したように
絵のように美しい空でした。

こんな日にはカ−ラボノフやベッドミドラ−の曲が似合います。

その秋空の下ではコスモスの花が空を見上げるように咲いています。
秋色の空にはコスモスの花がこんなに映えるものかと驚きました。

東には透き通った白い月が淡く浮かび、
西では雲が次第にあかね色に染まって、
時が静かに流れていました。

こんな穏やかな日がずっと続いてくれるとどんなにかうれしいのですが。

遠い空のもとで、必死に復興をめざしておられる中越地震の被災者の方々にも
一日も早くお元気で安心できる日常が戻られますようお祈り申し上げます。


2004年11月5日



初秋の神戸
中世風ホテルの中庭
雨続きの10月が過ぎて、ようやく秋晴れが戻ってきました。
お天気がいいというだけで気持ちまで軽やかになるから不思議です。
新しいスニ−カ−をはいて
どんどん遠くまで歩いていきたい気分です。

並木道の街路樹が色づき始めて
空気もほどよく乾いていて
散歩にはもってこいの季節です。

夕焼け空の下には遠くの山際が影絵のように浮かんでいます。
運の良い日にはその中に富士山も望むことができます。


森鴎外の遺品が120点ほど発見されたそうです。
彼の評価は全く二つに分かれていたように思います。
権威主義者で出世欲が強くて冷徹、というものと、
家父長制度の犠牲者で家長として若き自分を犠牲にした
権威主義とは全く無縁の孤高の人であったというものと。

彼の遺品を見るともっとはっきりと人物像がわかってくるでしょうが、
私は昔から彼の大ファンなので、
森鴎外は孤高の天才で、孤独な面もいっぱいあって、
しかし、人に対して愛情の深い人だったと思い込んでいます。

舞姫、高瀬舟、雁、青年・・・・
私個人はどの作品からも人間に対する優しさを感じるのです。

それらの遺品は本にまとめて出版されるそうです。
鴎外の素顔が更に明らかになることでしょう。

ちなみに2万円で販売とのことですので、
図書館で借りて読むことになるでしょうが、
今から本の出版がとても楽しみでなりません。


2004年10月15日

 秋雨前線が日本全土を覆うようになり、
それと相呼応するように台風が次々に上陸して
各地に大きな被害をもたらしました。

河川は氾濫し、土砂は崩れ、暴風で倒壊した家屋もあり、
天災の怖さを思い知らされました。
関東でも、雨になると大粒でたたきつけるような日が続き、
10年ぶりに最大級の台風が上陸しました。

被害にあわれた方々が一日も早くもとの暮らしに戻られて、
お元気になりますようにと祈らずにいられません。

台風が過ぎ去ったあとも雨は降りやまず、
1週間も冷たい雨が降り続けました。
秋には晴れ渡った高い空と爽やかな心地よい風、
そして、優しい秋雨が似合うものなのにと残念な思いでした。

台風襲来の前、街を歩いている時に
そこかしこにキンモクセイの香りが漂っていました。
キンモクセイの香りに包まれているとなぜか無性に懐かしく、
一番好きな季節の到来にわくわくしたのです。

台風22号の雨ですっかり花が落ちてしまいましたが、
我が家のキンモクセイも花を咲かせていました。
もう少し長く香りを楽しみたかったのですが。

2004年9月

観測史上初の最高気温を記録した夏も過ぎて、
 彼岸を迎えたとたんに
     風が秋の風に変わりました。    

空が次第に高くなり、
いわし雲も見えてきました。

 ついこの前まで寝苦しい熱帯夜が続いていたというのに 
それもまるで嘘のように
なんとも心地よい夜風が吹き始めました。

高い空に煌々と月が輝き、
その光を受けた瓦が
一筋の、細い川の流れのように 
そこだけ白く輝いているのを見るのは
なんと幸せな心地でしょう。

子どもの頃、長い棒で月をつかまえようと
  屋根に上って何度挑戦したことか・・・・・。

秋の月光は
あまりにも美しく輝いて見えるので
高いところにありながら、
不思議にすぐ手を伸ばせば
届くように感じられたのでした。

エリックカ−ルの絵本「パパ、お月様とって」を読んだ時
かなり大きくなるまで自力で月をつかまえようとした
あのころのの自分がそこにいるようで
懐かしく感じたものでした。


2004年8月

 今年の夏は記録を更新するような夏日の連続でした。

そんな中で、久々に学生時代の友人達に会えたり
参加はできなかったものの、高校の同窓会があったり
その懐かしい友人達の様子を
メ−リングリストで毎日見る楽しみもできました。

さらには中学の同窓会の幹事になって、
昔話に花を咲かせたり、
近場の友人が訪ねてくれたりして、
うだるように暑い夏も、新旧の友人達と
友好を深めることのできた夏になりました。

主人の仕事の都合で、まだ夏休みは取れませんが、
幹事会の帰りに出かけたエビスガ−デンでは
おいしいジャ−マンウインナ−に舌鼓を打って、
以前訪れたドイツの様子を思い起こしました。
マイケルム−ア監督の華氏911が上映中でしたが、
さすがに全席満席で見ることはかないませんでした。



2004年7月

 空梅雨だった梅雨が明けて、焼け付くような猛暑がやってきました。
高温だったためかベランダでは例年より2週間も早くカサブランカが咲きました。
ふだんなら、私の背の高さを超えるほどの高さになってから開花するのですが、
今年は茎の伸びるのを待ちきれないように早くも大きな花を咲かせました。

それにしても今年は異様な暑さです。
最高気温が37度、38度という日も続きましたが、
アスファルトの路上では40度を優に超えていたそうです。
スコールのような激しい夕立といい、各地に被害をもたらした大型台風も
日本はやはり亜熱帯になってしまったのではないかと思います。
これから約2ヶ月、この猛暑が続くのかと思うと秋の訪れが待ち遠しいです。

新しくパッチワークの作品と庭の花を更新しました。  


2004年6月

今年は梅雨の中休みが長くて、もう梅雨明けか思うほど容赦なく太陽が照りつけていました。
とはいえ、どうやら再び梅雨空が戻ってきました。
  からからに乾いた大地には雨の恵みが必要です。

            かんかん照りの空の下でもねじ花は花を咲かせ続けて、
         今では細い茎のてっぺんまで花が咲いています。
           戻ったばかりの梅雨空なのに、もう梅雨明け間近ということなのでしょうか?
        植物は正直なので、その声に耳を傾けたいと思います。
  

アレンジメントと庭の花を更新しました。  




北原白秋「白金之独楽」
   薔薇二曲 
        薔薇ノ木ニ
        薔薇ノ花咲ク。

        ナニゴトノ不思議ナケレド。

        薔薇ノ花。
        ナニゴトノ不思議ナケレド。

        照リ極マレバ木ヨリコボルル。
        光リコボルル。
2004年6月
梅雨に入り、憂鬱な雨続きの中で思いかけず晴れ間が覗くと 、なんだか気持ちも晴れ晴れと軽くなります。

ベランダでは余所よりも遅かったけれどバラのピエール・ド・ロンサールが咲き始めてくれました。
コロコロした花姿はなんとも言えず愛らしく、薫りも格別に香しく、幸せなひとときを味わっています。
シャルルドゴールも2番花が咲き始めています。

ジョセフィーヌお抱えのルドゥテの絵が大好きで、
海外でいくつか買ってきたのでしたが、
実際にバラを育て始めてみると
彼がただの美しい花を描くだけの天才画家ではなかったことがわかります。

彼の作品は植物辞典のバラの絵だったのですね。
精緻な筆さばきで、その花の特徴を正しく観察したとおりに描いています。
あまりにも芸術的な絵なので、美しさにばかり目を奪われていました



(2004年5月)

うす桃色の桜並木が若草色のトンネルに変わって、
風薫る5月になりました。道行くときに風に乗ってジャスミンの香りが漂い、競い合うように花々が咲き乱れています。
百花繚乱の春到来です。

我が家でも所狭しと花たちが咲き始め、去年まで小さかった芍薬も初めて開花してくれました。 
今年は、これまで難しいとあきらめていた薔薇に挑戦しています。早くも大きな花を付けてくれた苗もあって、至福の時を味わっています。

更にうれしいことに、このhpの「お勧めの1冊」を読んで下さった Paul Sminkeyさんからメ−ルを頂きました。
灰谷健次郎さんの「兎の目」を英訳して出版されることになったそうです。
灰谷さんの素晴らしい作品が世界中の方達に読まれることを願ってやみません。

Paul Sminkey さんの本の紹介です。
http://www.vertical-inc.com/rabbit.html


(2004年4月)

今年は寒暖の差の激しい早春でしたが、どうやら本格的な春の到来のようです。
桜並木では道の両側から手を伸ばし合うように枝を伸ばし合って、
その先端でぷっくらとふくらんだ蕾が咲く時期を待ちかまえていたと思ったら
あっという間に満開になりました。

万朶の桜並木はうすもも色の雲海のようで、
坂道を上っていくとそのまま空へ突き抜けて行けそうです。

いつもながら、どこにこんなに美しい花の命が潜んでいたのかと
寒風で凛と立っていた冬の裸木たちを思い起こします。

3月に京都に出かけました。

金閣寺を散策したり、
世界遺産の二条城の狩野派の障壁画(重要文化財)の展示を見る機会に恵まれました。
鳥や花や山水など、見事な壁画でしたが、
圧巻は壁画の修復作業でした。

ただ複製するのではなく、金箔に泥を塗って古色に仕上げていくそうです。
気の遠くなるような細かい作業を黙々とこなされて、
見事に修復したふすま絵を完成されている姿に感動しました。


(2004年2月20日)

風は依然として冷たいのに陽射しが春の陽射しに変わって、 こんなに早く春一番が吹き抜けていきました。 蕾のまま一月近くも休眠していたバラが、ゆっくりと目覚めるように 花を開き始めました。

ボーリング・フォー・コロンバインという映画を見ました。 アメリカのコロンバイン高校で起きた銃殺事件を題材にしたドキュメンタリー映画です。

何故アメリカが他の国に比べて銃犯罪が多いのか、何故、アメリカの多くの人たちが銃で家族や我が身を守ろうとするのかに迫ります。 コロンバイン事件の起きた街が軍需産業の街であることや(この街で作られた兵器やミサイルがベトナム、ニカラグア、イラク他などを攻撃しています)、暴力的なロックや映画が、もしくは家庭崩壊や多民族国家であることが悪影響を与えるのか、一つ一つ他の国の状況と比較しながら考察していきます。

危険だから銃を持つと主張する人に、危険な目にあったことがありますか?と聞くと、誰も現実には危険な目に遭っていないけれど用心のために銃を持つと答えています。 人間不信が銃を持つことによって安心感を与えているようです。 人々はそこにない恐怖にいつも煽られているから。

その恐怖心はどこから生まれるか、というと、アメリカのメディアが視聴率を上げるために流す扇動的なニュースにある、と。 黒人が犯罪を起こすという型にはまったニュースを必要以上に誇張して流し続けることで、人々は不必要に見えない危険におびえている、そして銃による犯罪が多発する、というのです。

ぜひ多くの人にお勧めしたい映画です。
この監督さんがまた大変魅力的な人です。

2003年以前の折々の想い